十字架上のイエス
キリスト教は十字架がそのシンボルとなっている。しかしその十字架とは生きたまま大きな釘で両手足を打ちつけられ、想像を絶する苦しみ、痛みのなかで、熱い太陽にも責められ、見守る群衆に取り巻かれ、刑罰としてはたとえようのない恥辱と苦しみにさいなまれつつ長時間をかけて死んでいくという恐ろしい場面が結びついている。
そのような目をそむけたくなるようなものが、なぜキリスト教のシンボルとして世界中でみられるようになったのか、それも大なる不思議であり、驚異なのである。
…既に昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた
太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。
イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。
百人隊長はこの出来事を見て、「本当に、この人は正しい人だった」と言って、神を賛美した。
見物に集まっていた群衆も皆、これらの出来事を見て、胸を打ちながら帰って行った。(ルカ福音書二三・44~48)
イエスが十字架の上で、苦しみに満ちた最期の時を迎えるとき、さまざまの出来事が生じた。それらは、神の子イエスを殺すという悪の支配がきわだったときであったが、神のはたらきは、さらにそれを越えて大いなるものであったことを示すものとなっている。
太陽は光を失い
イエスの処刑された時刻は、真昼であった。太陽は最も明るく輝くそのとき、イエスは苦しみうめきつつ息を引き取った。
そのとき、全地は暗くなり、太陽は光を失ったと記されている。
イエスを殺すということは、深い闇の力の支配が表面に現れたことをも意味する。今は闇の支配する時だと主イエスもいわれた。
…わたしは毎日、神殿の境内で一緒にいたのに、あなたたちはわたしに手を下さなかった。
だが、今はあなたたちの時で、闇が力を振るっている。(ルカ二二・53)
そのような闇が支配するように見えるときがある。しかし、それは決して永続的でなく必ず終わる時が来る。
また、闇とは神の裁きをも暗示する。それは、終わりの時に関しての記述として旧約聖書の預言書にもみられる。
…主なる神は言われる、「その日には、わたしは真昼に太陽を沈ませ、白昼に地を暗くし、…(アモス書八・9)
それだけではない。これは、イエスの死ということが、宇宙的な大事件であることを示すものである。イエスの死を痛み、悲しむように太陽も反応したのである。
また、イエスを殺そうとする力に対して、神は見えるものでは最も神を象徴するような最大のものである太陽をすら動かして、神がイエスの背後におられるのだということを示したのである。
さらに、ここではイエスを殺すといった最大の悪事をなすときには、深い闇が押し寄せてくるということをも暗示する。
これらすべては、イエスの十字架での死が神の大きな御手の中で生じているということを示すものである。
神殿の幕が真ん中から裂ける
次に、生じたことは、神殿の垂れ幕が真ん中から裂けたということである。このことは、大祭司が年に一度だけ垂れ幕の内側に入って人々の罪の清めの儀式をするということが背景にある。(レビ記十六・11~34)
この重要な垂れ幕が真ん中から裂けたということは、罪の赦しが旧約聖書のような動物の犠牲や大祭司による儀式でなく、イエスがそのあがないを完全に成就されたことを示す。儀式的なことが真ん中から壊されて、廃棄されたということなのである。イエスご自身が大祭司であり、完全なあがないを成し遂げられたのである。
…キリストは、雄山羊と若い雄牛の血によらないで、ご自身の血によって、ただ一度聖所に入って、永遠のあがないを成し遂げられた。(ヘブル書九・12)
これは極めて重要なことであった。このことが、後にパウロによって明確に福音としてローマの信徒への手紙、ガラテヤ書などに書かれて宣べ伝えられていった。
福音の根本はこのときすでに成就されていたのである。
神殿の幕屋の垂れ幕が真ん中から裂けた、という現代のほとんどの人たちにとっては何の意味も持たない、古い宗教的なことだとしか思われない表現であるが、キリスト教の中心的真理がここにある。
キリストは生きているときのさまざまの奇跡や愛の言動だけでなく、死のときも万人のあがないという絶大なはたらきをされたということなのである。
私が最初に聖書を手にとったのは、このイエスの死の場面であった。小学校低学年のとき、押入れにあった一冊の小さな新約聖書を何気なく手にとった。それは母が結核で療養していたときにラジオのキリスト教放送で無料の聖書を、同部屋の人でキリスト者がいたので送ってもらって持っていたもののようである。
そこには、ここに記したように全地が暗くなり、神殿の垂れ幕が真っ二つに裂けるなどということがあって驚き、不可解なものを見たということだけが心に残り、そのままそっと元に返したのであった。しかし、その後聖書のことなどは全く心にとどまることなく、母も召されるまで聖書とかキリスト教のことは一切語ったことがなかったために、私はキリスト教とか聖書にはその後もずっと何の関心もないままであった。
そして大学四年の五月の終わりころ、京都の古書店で小さな一冊の本を何気なく手にとって、ぱらぱらと開いて部分的に読んだ。そしてそのなかのある数行によって一瞬のひらめきのようなものが魂に入ったのを感じた。そして私はキリスト教の真理に目覚めたのであった。それがキリストの十字架の死が私たちの罪の赦しのためであると、矢内原忠雄が短くわかりやすい説明を加えている頁なのであった。
このように、私が最初に出会った聖書の箇所も、それから十数年を経てキリスト者に突然に変えられたときも、やはり十字架でのキリストの死のことについての箇所であった。
神は私の意識や歩みを越えて、私の背後を見つめ、十字架のキリストへ、キリストの福音へとずっと導いて下さっていたということをはっきりと感じたのである。
御手にゆだねる
…イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。(ルカ二三・46)
御手にゆだねる、これは旧約聖書の詩編三一・6にある言葉がそのまま用いられている。別のマタイとマルコの福音書においては、「わが神、わが神、どうして私を捨てたのか!」(エリ、エリ、ラマ、サバクタニ)という言葉が、やはりそのまま詩編二二篇の冒頭の叫びと同じであった。
このように、詩編で言われていたことが預言であったのが分る。イエスのこれらの言葉は、闇の勢力が支配するように見えるときにも、神の御計画が成就していくのを示している。
いかなるときでも、神はその御計画の進行を止めることはないのである。
この叫びは、最初の殉教者、ステパノの叫びと共通している。死とは神に私たちの目に見えない本質をゆだねることなのである。
…こうして、彼らがステパノに石を投げつけている間、ステパノは祈りつづけて言った、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」。(使徒言行録七・50)
イエスの十字架の死は、さらに大きな出来事を生み出すことをローマの一人の将軍の心の転換によって示している。それは後に、ローマ帝国の広大な領域で、イエスを神の子と信じ、神を賛美する人たちが生み出されて世界の歴史に絶大な影響を及ぼすことをはやくも暗示しているのである。
…百人隊長はこの出来事を見て、「本当に、この人は正しい人(神の子)だった」と言って、神を賛美した。(47節)(*)
(*)マタイ、マルコの福音書では、「神の子だった」となっている。
イエスという存在は、死のときであっても、大いなる波のように次々と周囲の人々へ永続的な力を及ぼしていく、天体すらそれに呼応するような驚くべき存在であったことをこのような記事は示すものである。侮辱され、つばをはきかけられ、鞭打たれ、そのあげくに重い十字架を背負わされてよろめきながら刑場へと歩かされた。そして十字架で釘付けとされて恐ろしい苦しみのなかで息を引き取っていった。このような人間をどうして神の子、神と等しい存在とみなせようか。それにもかかわらず、このローマの将軍は、弟子たちでもなかなかそのようには思えなかったのに、イエスを神の子としてはっきり知らされたのであった。
福音書のなかに、ある時、イエスが私のことを何と思うか、との問いかけに、使徒ペテロが、あなたは神の子ですと答えたとき、イエスはそのように信じられるということは、人間の考えでなく、神の啓示によると言われたことがあった。
とすれば、このローマの将軍も神からの直接の啓示によってこのように信じ得たのである。神の啓示はいかに状況が暗くとも、そうしたことに関係なく与えられるのである。
寝たきりであれ、無学であれ、また死に直面しているような人(十字架上でイエスとともに処刑された罪人も)、いかなる民族であっても、健康、病気、能力の有無に関係なく、神の一方的な啓示があるときには、すぐに信仰は生まれる。
イエスの死は周囲にいた多くの人たちも、見えざる影響を与えた。
「見物に集まっていた群衆も皆、これらの出来事を見て、胸を打ちながら帰って行った。」
これは、少し前、群衆たちは、イエスよりも犯罪人のバラバを助けることに賛成して、イエスを見殺しにしたのであったが、この イエスの死の光景をまのあたりにして、群衆たちは、深い罪の意識に打たれた。
死のときにも、イエスはこのようにさまざまの反応を起こし、人間の魂を打つのである。
賛美の重要性
ここでローマの将軍は、イエスを神の子とはっきり啓示を受けた。そして「神を賛美した」と記されている。このような悲劇的な事態のただなかにあっても、神への賛美は生まれるのである。いつも喜べ、と使徒パウロは言った。主にしっかりと結びついているときには、このように賛美は状況を問わず生まれる。
神への賛美、これはルカ福音書の著者がとくに強調していることである。ルカの書いた使徒言行録においても、次のようなことが書かれている。
…群衆たちも一緒になってパウロとシラスを責めたてた。高官たちは二人の衣服をはぎ取り、鞭打てと命じた。…看守はふたりを一番奥の牢に入れて、足には木の枷をはめておいた。真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。(使徒言行録十六・25)
このような状況では、ふつうなら意気消沈してしまう。鞭打たれるだけでも身心の痛みはひどく、まっくらの牢に投げ込まれて絶望的状態となっているはずである。しかし、彼らはそうした状況にもかかわらず神をしっかり見つめ、賛美すらしたのであった。そしてそこから奇跡的なことが生じて彼らは解放され、看守がキリスト者となるという驚くべきことにつながっていった。
神への賛美はいかなるときにも生まれるということを示すものである。
そして、同じルカの書いたルカ福音書においては、イエスの誕生のとき、天使たちが賛美し、それがクリスマス賛美の源流となった。そして全世界にクリスマスの無数の賛美が生まれていく源流となった。この点でこの福音書を書いたルカのなしたはたらきは絶大なものがあるといえよう。そしてそれをなさしめたのが、背後におられる神なのである。
さらに、このルカ福音書の最後は神への賛美で終わっている。
…彼らは(復活した)イエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。(ルカ福音書二四・52~53)
神への感謝と賛美こそは、私たちの最終的な到達点だと言えるのであって、それゆえルカはこのように重要な場面で神への賛美がなされたことを注意深く記しているのである。