私自身は、絶えずあなたを待ち望み、いよいよ切にあなたを賛美しよう。
私の口は一日中、あなたの義とあなたの救いを語ろう
(詩篇七一の14~15)
厳しさの中の美しさ
七月に、旭川に出向いた帰りに、大雪のふもとにて休養日を取ることにした。以後の東北地方などへの旅のための体調を整えるためであった。 そのときに、少し前までは行けるとは考えたこともなかった大雪山の一つの山(黒岳)にロープウェイとリフトを用いて登ることができ、そこで多くの美しく清い高山植物の数々と再会する機会が与えられた。
大学二年のときまだロープウェイなどもなく、ふもとから、テントや食料、燃料などすべてをリュックにつめて大雪山系を単独で縦走したことがあったから、四十四年ぶりの懐かしい渓流、山と植物たちであった。
今回はリフトを降りるとすぐそこには、いろいろの美しい花がさいていた。ヤマブキショウマ、カラマツソウ、ハクサンチドリ、チシマノキンバイソウ、ウコンウツギ、ミヤマナナカマド等々、四国、関西の山々では見たことのない野草たちの花が、次々に眼前にその美しいすがたをあらわしてきた。
かねてより植物のことを集会でも、「いのちの水」誌でも折々に紹介してきたこともあり、植物に関して特別に時間もエネルギーも注いできたことでもあるので、今回は本当にあらためて神の創造された美しい植物に感動させられた。
大雪山は、日本では最もはやく、九月半ばころにはやくも雪が降るということであり、短い夏のあいだに花を咲かせ種をむすばなければならない。そのような短期間と厳しい風雪に耐えてはるか人類の出現するまえから咲き続けているその姿にも、人間には不可能なわざをなさる神を感じさせられた。
平地には見られない美しい花が、いっせいに短い期間に次々と咲いていく。短期間に厳しい状況に置かれたものが、気温も高く雪もないような温暖なところにあるものより、ずっと多くの美しい花が咲く。
人間もたしかに似たところがある。
厳しい状況のもと、生きる期間が短いと深く自覚して神と結びついて生きる人、その人はしばしば特に美しい花を咲かせ、実を結ばせる。恐ろしい苦しみにあい、最後には死なねばならないことをも覚悟のうえで、信仰に生きた殉教者たち、かれらの咲かせた魂の花は時代を越えて訴えるものをもっている。
ダンテもそうであった。国を追われ、命を奪われるという状況にあって、家族とも離れ、生活の苦しみにさらされつつ、上よりの啓示を受けて書き綴ったのが神曲という大作であって、それはまさに、厳しさのただなかに、場合によっては短い命になるかも知れないという危険を感じつつ、咲いた花であった。
さらに、主イエスこそはその最大の花である。三十歳から福音を伝道しはじめ、わずか三年という短期間に、神からゆだねられた目的のすべてを達成する使命を与えられていた。その三年間は、無理解と迫害のきびしい期間であり、またその最後には、十字架という重い苦しみが待っていた。
しかし、そこに咲いた大輪の花は、二千年の間、全世界に咲き続けている。