大 中
伝道の精神
福音を若い世代の人たちに伝えること重要性は言うまでもないことである。
若者に伝えることで、その人が生涯福音を証ししていくことになる。
これは私自身も若いときに信仰を与えられてそれ以後福音を伝えようとする心を起こされて今日に至っている。
そのような自分自身のことから考えても、若い世代がこの何にも代えがたい福音を何とか受け取ってほしいと思う。聖書にも、「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。」(伝道の書十二の1)とある。
若い世代にキリストの真理を知ってほしいというのは誰もが願っている。
しかし、意外なことであるが、新約聖書には「まず、青年(若者)に神の言葉を伝えよ」というような箇所は見当たらない。
若者に伝えなければ、この真理は未来の世代に受け継がれない、それはだれでもわかることである。それなのにどうして聖書にはそのような言葉がないのだろうかと誰しも不思議に思うであろう。
青年にイエスが語りかけたと言えるのはただ一カ所、イエスのもとに青年が教えを乞うためにやってきたときである。
その青年が、永遠の命を得るために何をすればよいか、と尋ねたのである。イエスは、「殺してはならない、盗んではならない、父母を敬え、また、隣人を自分のように愛せよ、」といった古くからの戒めを告げた。
するとこの青年は言った。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」
イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。 (マタイ十九の十六〜二二より)
このように、福音書において、イエスが青年に語りかけた唯一の例は自分はすべての神の戒めを守ってきた、ということを公言する人であって、イエスはそのような自分の弱さや限界を知らず、自分は何でも十分にできているという彼の心の傲慢さを知らせるために、持ち物を売り払って貧しい人々に与えよと言われた。このように言われてはじめて、その青年は、神の戒めである「隣人を愛せよ」という戒めを守ってはいなかったことを思い知らされたのであった。
ここに、青年に共通して見られがちなある種の傲慢さがあり、それを鋭くイエスは見抜き、このように突き放すような言葉を投げかけて、彼の自分は模範的な人間だ、といった傲慢な心が砕かれるようにと仕向けられたのであった。
それなら主イエスはどのような人に福音を告げよ、と言われたのだろうか。
イエスは十二人の弟子を選んで、どこに遣わされたか。それは、「イスラエルの家の失われた羊のところへ行け」ということであった。失われた羊とは何かと言えば、当時の人々から見捨てられたような人たち、それは、病人であり、死んだような人たちであり、ハンセン病のような重い苦しみを持った人たちであった。
現代においては、病人といってもいろいろあり、風邪での発熱状態にある人も一時的な病人である。しかし、昔の病気というのは、薬もなく、病院もなく、医者に診てもらうこともできず、痛みや苦しみで耐えがたい人たちはたくさんいた。
現代の私たちは、ガンになっても、また内臓その他のさまざまの病気、骨折などであっても適切な医療を大多数の人たちが受けることができる。
しかし、昔はそもそも医者といっても、診断のための研究も発達していなかったし、そのための機器もなく、さまざまな医療に関するデータもなかった。
そしてともかくも医者にかかることができるような人はごく一部であった。病人を運ぶための車もなかったし、病院も看護師もない、適切な薬もない、といった状況であった。そのため、治らない病気はいくらでもあり、苦しみがいくらつのってもどうすることもできず、大変な苦しみに置かれてしまう人たちも多かったであろう。
私もかつての苦しい状態―ある急性の病気にかかり、それは細菌感染によるものであって、それによる高熱が出て、夜も眠れず、耐えがたいような苦しみだったことを思いだす。医者にかかって適切な薬(抗生物質)を処方されたが、そうした治療によってあれほどの苦しみが徐々にひいていった。
もし、あのような時、医者も薬も病院もなかったら、そのまま生きてはいけなかったかも知れない。
また、単に歯が虫歯などで激しい痛みがあったときなど、食事もできず、ただ耐えるばかりであったということは多くの人たちが経験しているだろう。あのようなとき、昔なら、あるいは現代でも歯科医のいないような山奥であったら、歯痛のため、また歯がいたくて噛むことができなくて食事ができず、生活ができないほどになっていただろう。
病気が重くて痛みや苦しみが大きいとき、そのような病人というのがいかに困難な状況にあるか、それは他の元気な人には全く分からないのである。そのような苦しみの渦中にある人のところに主イエスは、心を深く留めておられた。
主イエスが、病人のところに行け、と言われたこと、病気で苦しみ悩む人のところにて神の力を受けるようにということはどれほどかありがたいことであっただろうか。
それゆえに、主イエスは、「失われた羊」のところへ行け、と言われたとき、病人を第一にあげられたのもそうした理由が背後にあったと推察される。病気の苦しみは時として耐えがたい。現在の苦しみとともに、将来のことが不安となって圧迫してくる上に、家族やまわりの人たちからも邪魔者扱いされることにもなりかねない。
つぎに、死者を生き返らせる、といったことはおよそ現代の私たちにはありえないと思われ、私たちとは無関係のように見える。しかし、死んだような状態の人はたくさんいるし、そのような人とは、最も見捨てられた人、もはやだれもかかわろうとしないような人を暗示する。
死者をよみがえらせる、それは病気の極限としての死の力から解放するほど、弟子たちに与えられた神の力を豊かに注げ、ということである。病気のなかでその病気の苦しみだけでなく、宗教的にも汚れているとして差別され捨てられてきたらい病の人たちのところへ行くようにと言われた。
また、聖書に言う「悪霊につかれた人」とは、どうしてそのようなことをするのか分からないような不可解な言動、自分も他人をも害するような言動をする人と言える。そのような人のところに行くとは、当時は見捨てられた状態の人のところへ行けということである。
さらに、らい病の人を清くすることが、多くの病人のなかでもとくに取り上げられている。他の病気はその苦しみや孤独ということで見捨てられた状態にあるが、らい病は宗教的にも汚れているとみなされて一般の人たちとは引き離されて暮さねばならないという状態であった。
このように、イエスが十二弟子たちをまず遣わしたところは、若者のところではなかった。誰にも分かってもらえない病気の苦しみや孤独、心の病、悪の力に打ちひしがれているようなところ、貧しさ
等々のところであった。
主イエスが最も大切なこととして言われたのは、「神を愛し、人を愛すること」であったが、そこには、とくに若者をまず愛せよといったことは言われていない。隣人を愛するとは年齢とか能力とかその人の状況にかかわらず、だれでも、という意味である。
また、驚くべきことであるが、主イエスは、当時社会的に見下され、宗教的にも汚れているとされていた取税人(*)や遊女が、聖書学者や祭司長といった宗教的な指導的人物たちよりも、先に神の国に入ると断言された。
…イエスは言われた、「よく聞きなさい。取税人や遊女は、あなたがた(祭司長、長老、律法学者たち)より先に神の国にはいる。
というのは、ヨハネがあなたがたのところにきて、義の道を説いたのに、あなたがたは彼を信じなかった。ところが、取税人や遊女は彼を信じた。あなたがたはそれを見たのに、あとになっても、心をいれ変えて彼を信じようとしなかった。(マタイ二一・三一〜三二)
(*)取税人(徴税人)は、現代で言えば、税を取り立てる仕事であるから、聖書にまだなじんでない人は国家公務員である税務署職員を連想するかも知れない。しかし、一般の人々からの評価は全く異なる。福音書に出てくる取税人とは、ローマ帝国の税金を取り立てる人で、ユダヤ人であるのに同胞から税を取り立てる人であり、しかもしばしば不正な高額の税を徴収することが多かった。ルカ福音書に現れるザアカイという取税人も、イエスに出会って「誰かから何かだまし取っていたら、それを四倍にしてかえします」と言ったが、こうした不正のゆえに憎まれていた。さらに、当時は偶像崇拝のゆえに汚れているとされていたローマ人たちと常にかかわっていたことから、汚れているともされていたから、一般のユダヤ人からは、ひどく見下されていた。
遊女や取税人たちもまた、主イエスが言われた「イスラエルの失われた羊たち」のなかに含まれる人たちであった。
多くの人が思い浮かべる「若い人」というのは、そうした人たちとは対照的である。元気で、苦しみを知らず、何でも自分の力でやっていると思い込むような傲慢さがあり、自分自身が苦しい経験をしていないから、この世の苦しんでいる人たちのことを思いやるような心が乏しく、体力的にも恵まれている場合が多い。また、学生によっては親から相当な金を仕送りしてもらっていながら、大学での勉強もあまりせずに、遊びやアルバイトに力を入れているという人たちも相当いると言われている。
時の政治的支配者の行動の間違いを指摘したゆえに捕らえられた洗礼のヨハネが、牢の闇のなかで苦しい状況に置かれていたとき、だんだんイエスのことを救い主であると信じられなくなってきたことがあった。そのとき、イエスのところに二人の使いを送って、本当にあなたが旧約聖書で預言されていた救い主なのか、と尋ねたことがあった。
そのときの状況がつぎのように記されている。
…そのとき、イエスは病気や苦しみや悪霊に悩んでいる多くの人々をいやし、大勢の盲人を見えるようにしておられた。
それで、二人にこうお答えになった。「行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。
目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、らい病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている
わたしにつまずかない人は幸いである。(ルカ七の十九〜二三)
ここでも、若者たちが神を信じ、イエスを信じるようになった状況を見よ、というようなことは言われていない。やはり当時見捨てられていたような人たち、主イエスの言葉で言えば、「失われた羊たち」のなかで確実に変化が起こっているということを主は言おうとしているのである。
洗礼のヨハネは、神から遣わされ、当時の多くの人たちの心を動かし、悔い改めの洗礼を受けに来る人が続出した。そのような人ですら、イエスのこうした弱い人、見捨てられた人たちへの関わりなど社会的に何の大きな変革にもならないと考えていたのがうかがえる。
キリストの福音は、まず第一に若い人たちへの伝道を目指すものでなく、病気や貧しさ、圧迫、差別、国土の荒廃等々で苦しんでいる人たち、そしてそうしたことのすべての苦しみを重くする赦されない罪の苦しみにあえぐ人たちに、まずその闇の中に光があることを告げ知らせるというところから出発している。
それは子供であったり老人であったり、あるいは若者であったりで、年齢には関わりがない。
もちろん、教員のようにつねに若い人をその職業の対象とする場合には、福音を伝えようとするときには、当然その若者たちが第一の対象となるのは言うまでもない。そのときでも、まず勉強ができるとか能力のある生徒、学生を重んじるのでなく、まず苦しみや問題をかかえている人たちを第一の対象とするというのが聖書の示すところなのである。
そのことは、新約聖書の次のような箇所からも分る。
…兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。
…それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。(Tコリント一の二六〜二八)
これはギリシャの都市、コリントに宛てたパウロの手紙である。これを見てもまずキリストの福音が伝わっていったのは、この世では評価されていない無力な者、身分の低い者や軽んじられている人たちであったのが分る。
そしてこのような弱い立場の人たちにまず伝えようとしたのはなぜかと言えば、キリストの愛を受けたゆえであった。単なる勢力を広げようとする考え方からは、若くて行動力のある者、また強い者、権力あるもの、豊かな者たちを仲間に引き入れようとすることになる。
まず、何らかの苦しみや悲しみにある人たちにこそ、福音は伝えられるべきであり、それが主イエスのご意志なのである。
そのことは、新約聖書の最初に記されているイエスの教えの中心となることにも見られる。ここでまず書かれているのは、「ああ、幸いだ、心の貧しいものは!神の国は彼らのものだからである。ああ、さいわいだ、悲しむものたちは!彼らは慰められるからである。」ということであり、「義のために飢え渇く者たちはさいわいだ」ということであった。
心貧しき者、実際に貧しい者たち、あるいは悲しむ人たち、それは主イエスが言われた「失われた羊たち」のことに他ならない。
まず若い人に伝えることが重要だとされるなら、多くの人たちはどうしたらよいのか分からないだろう。若い人と恒常的に接するという仕事にあるのは、学校関係以外には多くはないからである。実際の私たちの現実の社会には、子供や若者、壮年、そして中高年の人が入り交じっている。
しかし、まず「失われた羊」といえるような人たちに福音を、福音の心をもって接するということは、どこでも、誰でもにとって可能である。
学校の教員は若い世代が相手である。その場合でも、成績のよい生徒、スポーツのできる生徒といった人たちにまず目を向けるのでなく、失われた羊ともいうべき人たちにまず、心を注ぐこと、それこそが、求められている。
そして、福音を伝えるのは、決して若い人たちだけでない。老人や寝たきりの人であっても、その人に主が祝福を注ぐときには、そこから福音は伝わっていく。
聖書でも、重い犯罪を犯したためにイエスとともに十字架につけられて処刑されることになった人が、最期のときにイエスに対する信仰を示したゆえに救いを与えられたことが記されている。
この記述によってどれほど多くの人たちが、救いとはいかに単純なものであるかを知らされてきたことであろうか。
そして、この死を目前にした一人の重罪人は、ただ信仰によって救われるという真理を明らかに示すということによって、福音の真理を二千年の間証し続けてきたのである。
また、マザー・テレサは一九二八年から一九四七年までカルカッタの聖マリア学院で地理を教え、一九四四年には校長に任命され、インドの上流階級の子女の教育にあたっていた。
しかし、その後、イエスからの啓示を受けて、最も貧しい人たち、失われた羊たちのところに出向くことを決意した。
それによって、若い人たちの教育から離れたのであったが、そこからかえって次々と若い女性たちが、マザー・テレサの後に従っていくようになり、世界的にその運動は広がり、大いなる伝道にもつながっていった。
私自身、高校教員となって福音伝道をするという目的をもっていたので、理科を教えながら福音を伝えたいと念願していた。
そして、全日制高校でいたとき、自分の内に強いうながしを受けて、高校のなかでも当時最も忘れられていたところ、夜間の定時制高校へ行くことを希望し、転勤した。
そして、そこで経験したこと、与えられたことはそれ以後の生活に大きな意味を持つものとなった。それは、暴力のはびこるような恐ろしい状況にあっても、じっさいに神は真剣な祈りには応えて下さるという真理を私の魂に刻みつけてくれたのであった。
それは、身の危険を感じる状況にあって体験したことであって、どんなに多くの書物を読んだり研究しても到底与えられない経験であった。そしてそこで忘れがたい人たちにも出会い、主の導きに従うことの祝福を実際に体験させていただいたことであった。
その後、視覚障害者が思いがけなく二人も相次いで別々のところから私に紹介され、そこから盲学校に転じることが示されて、そこでも現在に至る大きな祝福が与えられてきた。私たちのキリスト集会に視覚障害者が多く与えられたのも、そのときの主の導きに従ったゆえであった。
若い世代に伝えなければ、真理は次の世代につたわらないといった考えは、聖書的ではない。
この世のことはそのとおりであるが、聖書の福音は、神がその御計画にしたがって伝えるに必要な人を起こしていく。
そして若くても老年であっても、神の愛、そして神への愛はそうした人を動かして福音を伝えていく。
ローマ帝国の長く厳しい迫害の時代、福音が根絶されようとするような迫害にあっても、なお力強く福音が伝わることになった大きな原動力は、単に若い人が伝えたというのでなく、殉教した人たちであった。
テルトリアヌスが書いたように、殉教者の血はキリスト教徒の種であると言われてきたとおりである。
こうした殉教者たちは若者もいれば老人や子供、女性もいた。
彼らの内にあったのは、自分の命をかけてもキリストに従いたいという、神への愛であったし、神がそのような強靱な信仰を与えるほどに彼らに愛を注いだといえよう。
このように、きびしい迫害をも越えて、福音が伝わっていったのは、単に若者が受け継いだというのでなく、神への愛、神の愛がそのようになさしめたのである。
現代の私たちには、かつてのような命の危険がともなうような迫害はない。
しかし、その基本は同じである。それぞれの立場にあって、主の御心に従うことである。 若者相手の仕事ならそのところで、また一人養生している場合にはそこで接する少数の人や、関わりある人たちへの真剣な祈りに、また老人に関わるひとはその人たちに…ということである。
肝心なことは、相手がだれであっても、神の愛をもってすることであり、愛こそはすべてに勝つものだからである。
福音を伝えたいと願うとき、広く見れば、人間はそもそもみな、失われた羊のようである。
主イエスは、そのことについて言われたことがある。
…また群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて、倒れているのをごらんになって、彼らを深くあわれまれた。
そして弟子たちに言われた、
「収穫は多いが、働き人が少ない。
だから、収穫の主に願ってその収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい」。(マタイ九の三六〜三八)
イエスもこの世の人たちがみな本当の飼い主を知らず、弱り果てているという実態を鋭く見抜いておられた。それは今日においても同様である。イエスもそのような状態だからこそ、真実な力を与える福音を伝える人たちが起こされる必要を強調されたのであった。
私たちもそうしたところへと福音が伝わるようにと願うところに、主の祝福があり、御心にかなうときには、青年にも老人にも、元気な人にも、そして海を越え、大陸をも越え、民族の別にもかかわらず、そして時代のあらゆる変化にもかかわらず伝わってきたし、これからもそのようになるであろう。