(私たちは)神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。
それだけではなく、患難をも喜んでいる。
(ローマ5の2〜3)
秋
今年の夏、全国的に異常な暑さで百年以上もこのようなことはなかったという。わが家の室温が三十五度にもなって何日も続いたのも記憶になかったし、彼岸花が、十月になってから咲き始めるということもはじめてであった。
このごろになって、ようやく秋を実感するころとなった。山間部では色づき始める葉、そのはたらきを終えて落ちていく葉もある。新芽もでなくなり、成長もなくなり、植物はその勢いを失っていく。
しかし、他方では秋には、多くの植物が実をつけ、種ができる。私たちの主食である米、柿や栗、ぶどう、ミカンといった果物が次々と実っていく。
枯れていく季節はまた実りのときでもある。
神はこのように、いつも何かが失われていくときに、他方で良きものを備えておられる。
私たちの人生の秋を迎えるとき、一つずつ枯れていくようになくなっていく。視力や聴力、からだ全体の健康も体力も徐々に失われ、また仕事もできなくなり、知人友人も次々と地上を去っていく。
しかし、他方では愛の神を信じる者にとっては、神の国が近づいてくるという最大のよきものが待っている。
人生の実りとは、過去の一切を、そして日々のことを、神への愛と人への愛とともに感謝をもって思い起こすことができることである。そして現在を、生きて働く主が支え、導いて下さっているという実感、そして未来をも、私たち自身は復活して主と同じような清い永遠のものにして下さる、そしてこの世界全体に主が再び来たりていっさいを変え、新しい天と地にされる―それがどのようにして来るのか、どんなものであるかは言葉を越えることであるゆえに表現はできなくとも―ということを信じることができること、こうしたことも人生の晩年―人生の秋の実りだと言えよう。