(私たちは)神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。
それだけではなく、患難をも喜んでいる。
(ローマ5の2〜3)
晩秋
秋も終わりに近づいている。雨上がりの朝など大空は澄みきって、吹く風もひきしまるような透明感がある。夜空も星もいっそう清い光を見せるようになった。
そしてこの南国の徳島にあっても、次第に風も冷たくなりつつある。しかし、その風とともに、私たちが主に向かって心を開いているときには、神の国からの聖なる風をも感じ、受けることができる。
雨が降り、風が強かった翌朝、晴れわたった空、そこには大気中の微少な粒子が一掃され、空の遠くの山々もくっきりと見せてくれる。早朝の青い空にはたとえようのない清い美しさが広がる。
そのように、私たちの魂の内に、聖霊の雨が注がれ、神からの風が吹いてくるときには、汚れたものが一掃されるだろう。
夜、冷たい風のなかで、闇のなかに輝く星を見つめる人は少ない。
同様に、この世の冷たい風に吹かれ、さまざまの闇、暗い森のなかにあって、その背後に輝いている神の光に目を留めようとする人は日本においてはとくに少ない。
冷たい大気のなかで、いっそう星の光は澄んだ光を見せてくれるように、この世の苦しみや悲しみの中から仰ぐ主の光はいっそう私たちの魂に近く、そして親しく感じられる。
闇のなかに光は輝いている。どんなにその光が見えないようなときがあっても、私たちはその闇、雲の彼方には変ることなき神のいのちの光が輝いていることを信じていきたいと願う。
そして今、神の光を知らずに、かつて詩人ダンテも経験したと書いている、この世の暗い、恐ろしい森の中にいる人たちが、そこから解放され、いのちの光である主イエスを知ることができるようにと願うものである。