神との出会い、人との出会い
私たちが本当に神に出会ったとき、そこからさまざまな出会いがはじまる。
私は神を知るまえに、大学時代に、山の世界とギリシャ哲学の世界に触れて大きなものを与えられていった。
しかし、人間には出会えなかった。
目の前に毎日さまざまの人と会っていながら本当に人と出会ってはいなかった。
しかし、人間の究極的なすがたであるキリストに出会ってから、さまざまの人がおのずと私のまえに現れて、魂との出会いが与えられていった。
そしてそれまでも愛していた山々も、また身近な自然に対しても質的にさらに深い出会いが与えられていった。
真の出会いは消えない。たとえその人が遠くに行っても、またこの世を去ってもなお、その出会いは続いていく。
私が初めて祈りの意味を知らされたのは、今から40数年前、大学時代に短期間であったが所属していた京都のキリスト教集会での責任者であった先生によってであった。
その先生に、私が大学卒業後、当時起こったある悲しい出来事を告げていたが、その何カ月か後に、長野の白馬での聖書講習会に参加する途中にて再会のとき、最初に私に言われたのは、その出来事のことであり、大学教授として多忙な先生が、私のそのことをずっと祈りに覚えて下さっていたということであった。
その時、初めてわたしは祈りとはどういうことなのかを知らされた。
卒業後、郷里に帰ったため、遠くに離れていった者であるのに、なお心のうちでの出会い―祈り―を保ち続けていて下さったのを知ったのである。
真の出会いは祈りを伴うがゆえに続いていく。
そうした出会い、祈りを支え、導いて下さるのが今も生きて働いておられる主イエスなのだ。