大 中
賛美はつなぐ
歌は一人だけでも歌うことができる。しかし、複数の人たちで歌うことによって、歌を通して心をつなぐことができる。それゆえに、どこの国でも、一般の民衆によって歌いつがれてきた歌が存在するのである。
心を結びつける、それは話し合いや実際の愛に満ちた行いや共同での学び、研究とかによってもなされることでもあるが、歌は、メロディーやハーモニィと言葉とともにあるので、また違った働きをする。
音楽は言葉がわからずとも通じる万国共通語である。
悲しいときに、歌を歌う気持ちになどなれないという人は多いだろう。しかし、他方では悲しみのときだからこそ、ふさわしい歌を歌って励ましと慰めを与えられるということがある。
キリスト教で葬儀のときにも、讃美歌を歌うのもそうした意味も含まれている。
福音歌手の森祐理さんは阪神大震災で弟を失って以来、震災など突然に生じた苦難の人たちを訪ねるようになった。それは心の救援物資を届け、傷心の人たちの心と心をつなぐためだと言われる。
たしかに、さまざまの救援物資を運んできて、食物のない人々、水のない人たちに提供するという貴重な働きも不可欠なものであるが、それらによってもどうすることもできない、心の傷がある。自分も大怪我をし、家族も突然失われたというとき、食物が提供されても心の傷の痛みはいやされない。
そこに心の救援物資が必要なのだ。 そしてそれは震災や事故などでの被害者だけでなく、実は、人間はみな、心の救援物資が必要な存在なのである。
どんなに年金があり、よい家で住んでいても、なお足りない。それが心に力と平安を与え、喜びを与えるような霊的な救援物資である。
それを与えるために、キリストは地上に来られ、そして心の闇といえる罪をぬぐい去るために十字架にて死なれ、さらに聖なる霊となって来られた。
賛美は、適切になされるとき、その聖なる霊が働くときとなり、聞く人、ともに歌う人の双方に心の栄養分と力を与えることができる。
そして、そのような賛美は、人と人、そして神と人をつなぐ働きをするのである。
旧約聖書における詩篇は、もともと賛美である。主にむかって歌う歌である。それが大きな分量をもって記されているのも、そのような神と人、そして人と人をつなぐ重要な役割があるからなのである。