大 中
主を仰ぎ見ること、キリスト者の交わり
主を仰ぎ見る、このことの重要性は、すでに聖書の最初から暗示されている。闇と混沌のただなかにあって、神が光あれ!と言われたら、ただちに光が存在した。
このことは、私たちがどんなに闇であり、またその闇のなかにいて混沌とした状態にあっても、そこから主を仰ぐことができるということ、主の光を見ることができるということを示すものなのである。
もしいかなる闇にも存在する光そのものがないのであれば、この世のいろいろな苦しい状況や絶望の中、あるいは死の苦しみにあるような状態にあっては、仰ぎ見よと言われても、できないのである。
また、主を仰ぎ見る、ということは、祈りにも通じる。祈るとは主に心を向けることであり、主の風を受けようとすることである。主からの風は今も吹いている。創世記の最初にも、闇と混沌、そして世界を覆う海の上を神の風が吹いていたとある。
聖なる霊を受ける、それは神の力を受けることである。私たちのあらゆる問題は、要するに力がないということに尽きる。病気の苦しみや、人間関係の難しさに悩むこと、また貧しさのゆえの苦しみ、能力の足りないことへの動揺等々、すべてそれらに打ち勝つ力がないからである。最も不幸なこと、それは死であるが、死は絶対に越えられない、死んだら終わりだと考えているからこそ、最大の不幸ということになる。それも死に打ち勝つ力を知らないからである。
弟子たちには、イエスが復活したと親しい人から聞いて、さらにその復活の姿を見るだけでも、力は与えられなかった。ヨハネ福音書によれば、イエスが復活したことが確実であるのがわかってもなお、部屋にこもって内から鍵をかけていたほどに恐れていた。また、イエスが復活の後四十日の間、弟子たちに現れていろいろと教えられた。しかしそれでもなお、力は与えられなかった。
それは、聖なる霊によらねばならなかったのである。
聖霊を受けてはじめて、弟子たちは、それまでと打って変わって力つよく福音を宣べ伝えることができるようになった。
主を仰ぎ望む、それは主からの力を受けようとすることである。
私たちがまちがった考えや思いに引っ張られて正しい道からはずれることは、日々生じることである。しかし、そこからそのようなまちがいや汚れた思いを清め、赦していただくことは、自分の力ではできない。ここにも力不足がある。
内村鑑三(*)は、若き日の結婚が、わずか半年ほどで破局となり、それは彼に自分がいかに罪深いかということを思い知らせることとなった。その頃アメリカに渡るということは、政府による派遣または学問の特別な研究のためなど、特別な場合に限られていたであろう。それは、一般の人たちには到底できないことであった。日本の明治以降の歴史においても、外国に自由に一般の人が行き来するようになったのは、最近の数十年ほどにすぎない。
そのような当時としては、著しく困難なアメリカ行きを、内村は罪の苦しみをなんとか解決するためというほかの人たちには考えられないような理由から実行したのである。
そして、後に大学教授や研究者を多く生み出した札幌農学校をかつてないような優秀な成績で、首席で卒業したというほどの才能を与えられていた。
そして当時は、国立の学校が創設され始めた時代で、卒業すれば国家の指導的人物になるための役人や研究者となるコースを歩むのが当然であったし、そのために国立の学校が次々生まれていた。
だが、内村がアメリカにわたって彼がはじめたのは、知的障害者たちの施設で働くということであった。
今から一三〇年ほども昔のことであり、日本には福祉の施設などまだほとんどなかった時代であり(*)、障がい者の教育といったこと自体に対する考えもすすんでいなかった。
障がい者に対して強い偏見や差別が当たり前とされていた時代に、そのような施設で働こうとすることはきわめて異例のことであった。
(*)内村がアメリカに渡ったのは、一八八四年。東京大学が設立されたのはその七年前であり、京都大学はそれより十五年後である。札幌農学校が北海道大学となったのは一九一八年。
一般の人のための教育機関が整えられていこうとする時期であった。この頃は、国立の学校を卒業すると役人や軍人、学者など国家の指導的人物となるのが決まったコースであり、国立大学はそうした目的で設立されていった。また、私立の盲学校が初めて京都にできたのは一八七九年、東京にも同様な施設ができたのもやはりその頃であった。のちに盲人教育や聴覚障がい者教育のための教員養成など、盲・ろう教育の中心的な場となる東京教育大学付属の学校が創設されたのは、一八八五年。
また、知的あるいは病弱の障がい者を特別に教育することについては盲、ろう教育よりはるかに遅れた。そうした障がい者のための養護学校の制度は、第二次世界大戦後の一九四七年の学校教育法の制定による。
さらに一九七九年以前の養護学校は義務教育機関ではないため軽度障害者のみを対象とし、重度・重複障害者は就学猶予や就学免除として、自宅や障害者入所施設に待機していた。
しかも、このことも、自分の罪の問題をなんとかこのような慈善的な仕事にかかわることで、解決につながることを望んでのことであった。
こうした内村の行動を見ても、いかにかれが自分が正しい道を歩めていないということ(罪)を深く魂に感じていたかがうかがえる。いったい誰が、あの外国旅行のきわめて困難な時代に、そうした個人的な心の問題の解決のために、アメリカに渡ろうとしたであろうか。
彼の若き日、自分がどうしても清く正しい道に歩めないという現実を、聖書の言葉を知って深く知らされた。聖書には、人を憎むことがすなわち殺すことであり、よくない思いをもって女性を見るだけでもそれが姦淫であり、神が与えていないにもかかわらず、不正な手段で地位や富などを自分のものとすることは盗みだと知るようになった。そのことを彼は次のように記している。
「私は偽善者である。人を殺すものである。姦淫を犯すものである。盗人である。そして聖書という灯によって、自分の心の中を探るならば、私は神をけがす者であるだろう。…私は、罪ということが何であるかを知らなかったときには、罪を犯してもそれほど苦痛を感じなかった。しかし、罪のにくむべきもの、おそるべきものであることを知ってからは、罪を犯したときには言い表すことのできないような不快を感じるにいたった。…」(岩波書店「内村鑑三全集」第二巻、一四三頁
原文は文語)
内村は、父に対して書いた若きときの手紙にしばしば「大罪を犯したり」とか、「一生の失策を思い…」とか、「ああ、誤ったことだった、二十三歳のときに妻をめとって…」
などと書いて、軽率に結婚しそれがまもなく破局にいたったことを痛切に悔やんでいる。
そして、アメリカにわたっても仕事について知的障がい者の施設で、彼らにいろいろと悩まされたこととともに、「自分の弱さ、愚かさ、不信実などについての、深い良心の痛みのためです」また、「私は、他の人以上に懐疑、野心、動物的食欲などをもっている。そのため、このような苦しい悶えがあるのだと考えます。」などと書いている。
そうした自分の心の状態をいつも見つめて苦しんでいた内村には、聖書にある 「信仰によって義とされる、罪は赦される」という言葉をよく知ってはいたが、それが実際に彼に罪の赦しの喜びを与えてはいなかったのである。
頭のなかでの知識と、魂の実体験とはまったく異なる。
このような状況にあった内村に決定的な転機を与えたのは、一人のキリスト者との出会いである。それが、アマスト大学のシーリー学長であった。そのときのことを、内村は次のように書いている。
「…シーリー先生は、ある日私を呼んで教えてくれた。内村、君は君の内ばかり見るからいけない。君は君の外を見なければ いけない。
何ゆえ、自分を省みる事を止めて十字架の上に君の罪をあがなって下さったイエスを仰ぎ瞻ないのか。(*)
君のやっていることは、こどもが植木を鉢に植えてその成長を確かめようとして毎日その根を抜いて見ているのと同じである。
どうして、自分を神と日光(神の光)とに委ねて、安心して自分の成長を待たないのか。」 (「内村鑑三全集」岩波書店刊 第二六巻二五頁)
(*)仰ぎ瞻る(あおぎみる)、これを名詞として 仰瞻(ぎょうせん)という語も内村鑑三が多く用いた。現代では、このような漢字はほとんど用いられないので、パソコンの変換でも出てこない。
内村鑑三の全著作において、仰瞻る、仰ぎ瞻る、という動詞の形と仰瞻という名詞形を合わせて一七四回用いられ、仰ぎ見る という形では、四七回使っている。合計すると、二二一回という多くの回数となる。
内村が、普通の仰ぎ見る、という漢字を使わず、仰ぎ瞻る、といった難しい漢字を使ったのは、「瞻」という漢字そのものが、「目を上げて見る」という意味をもっているからである。
「瞻」という漢字は、右の旁の部分は、タンまたは、センと発音し、「もちあげる」意を含む。瞻はそれに、目を加えた字で、「目をもちあげてみること」。なお、「瞻仰」(せんぎょう)と、逆に表現する漢語もあり、「みあげる」こと。「ソレ日月星辰ハ、民ノ瞻仰スル所ナリ」(礼記)。さらに、この語は人を尊敬する、という意味もある。(「漢字源」による)
なお、聖書では、次のように、目をあげる、という表現はしばしば見られる。
・「わたしは山に向かって 目を上げる。わが救いはどこから来るか。天地を創造した神から来る…」(詩篇一二一の一)
・ところが、目を上げてみると、石はすでにころがしてあった。この石は非常に大きかった。墓の中にはいると、右手に真白な長い衣を着た若者がすわっているのを見て、非常に驚いた。(マルコ福音書十六の四〜五)
・目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。彼はこれを見て、天幕の入口から走って行って彼らを迎え、地に身をかがめて、 言った、「わが主よ、もしわたしがあなたの前に恵みを得ているなら、どうぞしもべを通り過ごさないでください。(創世記十八の二〜三)
シーリー学長から言われたことはきわめて単純明解なことであった。自分の罪ばかりみていないで、主の十字架を仰ぎ望め、と言うことなのである。こんな単純な言葉が彼の決定的転機となった。いくら言葉を知っていても、またその箇所を繰り返し読んでいても、また他人がこの箇所はとても重要なのだ、と何度も言われてもなお、それだけでは、真理はわからない。神の定めた時がある。神の見えざる御手が働かなければ聖書の真理は体得されない。それはまた、聖なる風(聖霊)がその魂に吹き込まない限りわからないということでもある。
彼は、「余は如何にして基督信徒となりしか」において次のように述べている。
…三月八日(一八八六年) 私の生涯におけるきわめて重大な日であった。キリストのあがないの血は、今日のように明瞭に私に啓示せられたことはかつてなかった。
今日まで私の心を苦しめてきたすべての難問の解決は、神の子が十字架につけられたことの中に存在する。
キリストは私のすべての負債を支払って下さって私を堕落以前の最初の人の清浄と潔白に返すことができる。今や私は神の子であって、私の義務は、「イエス」を信じることにある。イエスのゆえに神は私の求めるすべてのものを私に与えて下さる。…
(「余は如何にして基督信徒となりしか」岩波文庫 一六三頁・一八八六年三月八日)
キリスト教信仰というその本質は、きわめて単純明快である。何らの学問や経験、あるいは財力などとは関係をもっていない。
ただ、主を仰ぎ見る、十字架の主を仰ぎ見るということだけがなされ、罪の赦しを実感するとき、人はキリスト者となるのである。
ペテロやほかの使徒たちがキリスト者となったのは、イエスへの裏切りをしてしまい、それにもかかわらず、主イエスの愛のまなざしを受けて、その罪の赦しを実感したときであり、さらに、聖霊をゆたかにうけたときである。
…アマスト大学前総理シーリー先生が私の指導者であつた、すなわち人が義とせられるのは行為に由るのでなく、信仰に由るという事を、私は初めて彼より教へられたのである。
「あなたが義とせられるのは、あなたの努力によるのでなく、あなた自身がいかに自分を清めようとしても、清めることはできない。あなたが正しいとされるのは、あなた自身の努力などによるのでなく、あなたの罪のために、その身を十字架に釘つけられた、主イエスキリストによってなのだ。それ故に自己の努力を捨てて、ただイエスを仰ぎ見よ、そうすれば、救われる。」と。
この事を知って私の重荷はたちまち私の双肩より落ちたのである。神の前に自分の力で正しい人になろうとあせっていた私は、いまや、眼を挙げて十字架上に尊い血を流してくださったキリストを仰ぎ、それによって神の前に正しいとされたのである。…
この福音は私にとって実に貴重なものであった。私はこの福音を聞いて他のことを聞く必要がなくなった。ただこの福音だけあれば、帰国して我が同胞にこの福音を伝えるためには十分だと、こう考えて私は再び友人等の忠告に耳を傾けず勇んで日本に帰ることにした。
そして、それ以来三十年、シーリー先生から教えられたこの福音が今なお私の伝える福音であり続けている。…(内村鑑三全集 第二四巻一四〇頁)
また、内村は別の箇所で次のように述べている。
○向上の道
・我を仰ぎ見よ、そうすれば救われる。(イザヤ書四五章の二二)。
・彼ら、主を仰ぎ見て輝いた。 (詩篇三四篇の五)
主を仰ぎ見て救われる。救われた結果としてその顔は輝く。キリスト教はどこまでも仰ぎ見る宗教である。モーセがシナイ山から下った時、彼が主と語ったゆえにその顔が光り輝いていたという。(出エジプト記三四章)
また、パウロは言う「私たちは、ベールをとって鏡に映すように、主の栄光を見、栄光から栄光へと変えられ、主と同じ姿にされていく。
(Uコリント三の十八)
キリスト信徒に取って、聖化の道、向上の道は、これ以外には他にないのである。主を仰ぎ見るのである。そうすれば、私の顔も輝くのである。そして栄光から栄光へと変えられていくのである。しかし、主を仰ぎ見ないで、自分を見つめて、粉骨砕身して一生を終えても、自分以上の者となることはできない。
(一九二一年二月「聖書之研究」二四七号)
内村鑑三の大きな影響力、その根源はこの単純極まりないこと、「主を仰ぎ見る」ということに尽きる。主を仰ぐということのなかに、主の十字架を仰ぎ、復活された主を仰ぎ、その無限の愛のこもったまなざしを仰ぎ、その力を仰ぎ見るのである。
彼の全三八巻にわたる多くの著作はまた、彼が主を仰ぎ見続けた記録とも言える。
この福音をしっかりと魂の奥深いところで受け止めたという単純なことが、後世の文学や芸術、福祉、学問、教育、社会問題、非戦論等々に大きな影響を生み出すもとになった。
そういう意味で、この十字架のキリストを仰ぎみるということはきわめて大きな力を内に秘めているということができる。
もし、私たちが主を仰ぎ望む、という単純な一点を欠くならば、複雑な学問、数多くの書物を読破し、研究することを重ねても罪からの救いとは何の関係もないものとなるであろう。
困難のとき、悲しみのとき、苦しみの迫るとき、あるいは進むべき道が見えなくなり、絶望的な状況に追い込まれたとき、私たちはどのようにしてその苦しみを除くであろうか。
そのようなときに、人を見つめ、人の助けを求めても、それが困難な問題であるほど、解決はむつかしいし、ほかの人にはわかってはもらえないし、話せない。そして直面する困難や、これからの不安、自分が受けたほかの人からの冷たい仕打ち等々が思いだされて、どこにも希望はなくなってしまう。
とくに、死が近づくといった最大の困難を取り除くことは医者にも友人にも、またいかなる富も解決は不可能なのである。
しかし、主を見つめる(主を瞻つめる)ことこそ、そうしたあらゆる閉ざされた道を開く鍵なのである。あるいは、「開け、ごま!」のような、合い言葉だと言えるのである。
聖書という本はまさに、主を仰ぎ見るための書である。
…過去を振りかえって嘆くのは人情の常であります。しかし神は私共に命じて「過去を見てはいけない」と言われました。(ルカ伝 九の六十二、ピリピ書三の十三)
その代わりに、神は私どもに「我を仰ぎ見よ、そうすれば救われる。」と言われました。 (イザヤ書四五の二三)
「日に三たび自己を省る」とは儒教の教訓です。
「自己を見てはならない。 私(キリスト)を見よ」とはキリストの教訓であります、私共はいくら自己の内を探つて見ましても、その中に何の善い事をも見出すことができません。
若し自ら反省することが人類が救われる唯一の方法であるならば、人類に救いの希望は無いと思います。…
しかしながら私共には私共を潔むる者が与へられました、それは自分で反省する心ではありません。 キリストの十字架であります。これを見れば本当に罪が潔まるのであります。これを仰げば
新たなる心が私共に与えられるのであります。これにすがって私共に新たなる希望が生ずるのであります。これがキリスト者の最大の宝であります。キリストの十字架が私共の所有となりました時に、私共は世と全く離れて神のものとなつたのであります。
(一九〇三年十二月 内村鑑三全集第十一巻五一六頁)
以上の引用は、岩波書店からの「内村鑑三全集」において、二二〇回を越えて用いられている「仰ぎ瞻る」(あるいは仰瞻)という言葉の中からの一部である。これを見てもいかに彼の信仰の本質が単純明解であったか、ただ主を仰ぎ見るという本来はいかなる人もできるようなことであったのだということがわかる。
このように、主を仰ぎ見よ、という単純なみ言葉によって、人生の方向を転換させられて、後に大きな影響を多くの国々に与えるようになった人物にスパージョンがある。(*)
(*)チャールズ・ハッドン・スパージョン Charles Haddon Spurgeon (一八三四〜九二) ふつうはC.H.Spurgeon
と表記される。Spurgeon と綴るから日本語表記としては、スパージョンと書くのが本来であるが、スポルジョンという表記も用いられている。
彼は、内村よりも三〇年ちかく昔にイギリスに生まれた。 彼は、イギリスで福音の宣教に偉大な足跡を残し、今日でもたくさんの注解書や福音を解きあかした記録が書物となっていてその影響が続いている。スイスのキリスト教思想家ヒルティと同時代の人で、ヒルティも早くもスパージョンに注目し、その著作でしばしば引用している。
ヒルティが、最も熱心に精読して深く感化をうけた書物は『聖書』であり、これに次いでダンテ、タウラー、スパージョン等であったという。
スパージョンは、祖父が牧師であったので幼少のときから、キリスト教の深い霊的なものに触れて育った。しかし、こどものときからすでに自分の罪に苦しみ、十字架の赦しのことは、はやくから知らされていたしそのように信じていたが、魂の深いところでの平安が与えられていなかった。十字架の意味がはっきりとは示されていなかったのである。そのような状態にあってもなお、彼は十五歳のときに聖書の講話を依頼されてそのつとめを果たしたことがあった。
彼は日曜日ごとにあちこちの教会に行って、真剣にその罪の問題の解決を求めていた。その翌年、十六歳のときの一月はじめ、たまたま大雪で予定していた教会へと出発したが、雪のために行くことができず、あたりを見回していると、細い道の奥まったところに小さな教会があった。それまではここに気付かなかった教会だった。
そこは、スパージョン自身が行こうと思っていた教会ではなかった。もし吹雪がなくて、彼の予定していた教会に行っていたらスパージョンの回心はなかった。神は求める人に応えてくださる。求めよ、そうすれば与えられる。しかし、それはしばしばこのように、人の願ったとおりでなく、思いもよらない道をとおってかなえられることが多い。
彼が、そこにはいると、わずか十数人の人たちが大きい声で讃美歌をうたっていた。そこに入っても、彼は、自分のまちがった心、自分が犯している罪のゆえに神からの厳しいさばきを受けることを思い、顔を上げることができなかった。
大雪のためか、そこには牧師らしい人はいなかった。しかし、ある靴屋か服の仕立屋のような服装をした人が講壇に立って語った聖書のメッセージは、「私を仰ぎ見よ、そして救われよ。地の果てのすべての人たちよ!」(イザヤ書四五の二二)であった。(*)
(*)彼が聞いたのは、英語訳聖書として当時広く用いられていた欽定訳聖書(King James Version)の次の言葉。Look unto
me,and be ye saved, all the end of the earth ! (ye は、古語で、thou(あなた)の複数形。現代の表記では、you
あなた方)
そこで語られたのは次のような内容だった。
… この箇所は、まったく単純な言葉です。この箇所は、単に「見よ!」と言っているだけですから。そのためには、何の苦痛もない。足をあげ、指を動かす必要すらない。それはただ、「主を見る」ということだけなのです。
人は、「(主を)見る」ことを学ぶために大学に行く必要はありません。あなたが、もしもとても愚かな人であっても、見ることはできます。 見るために、たくさんの時間が必要だということもないのです。だれでも見ることはできる。子供もできます。
しかし、多くの人たちは自分自身を見ています。そこを見てもなんの役にも立たない。あなた自身のなかには、何らの安らぎを与えるものはないからです。
ある人たちは言います。聖霊をうけるために待たねばならない、その通りです。しかし、今はそのことをひとまずおいて、キリストを見ようとしさえすればいいのです。聖書の言葉が言っているのです。「私を見なさい」と。…
このように、熱誠をこめて語ったあと、そのメッセージを語った人は、一人の見慣れない少年(スパージョン)がいるのを見つめて、次のように少年に語りかけた。
…あなたは、ずっと罪の苦しみのために苦しんできた。もし今日、私が示した聖句に従わないなら、生涯ずっとそして死の時も苦しまねばならなくなる。
しかし、今従えば、ただちにあなたは救われるのです。
こう言ったあと、その説教者は、叫んで言った。
青年よ、イエス・キリストを見るのです。見なさい!見なさい!見なさい!
あなたがなすべきは、ただ見て、生きることなのです。(*)
(*)Young man,look to Jesus Christ!
Look! Look! Look! You have nothing to do but to look and live!
両手をあげて、力をこめて語ったこの人の言葉は、驚くべきはたらきをこの青年に及ぼした。
「私は、その瞬間に、信仰の恵みが私に与えられたのを見た。そして私は真理とともに次のように言うことができる。
信仰によって、イエスの豊かな十字架の傷が供給する流れを見て以来、
主のあがないの愛は、私のテーマとなった。
それは私が死ぬまでそうであり続ける。」
(The Treasury of the Old Testament」Vol.3-653P BAKER BOOK HOUSE)
これは、スパージョンが十六歳のときであった。この箇所に関するメッセージを聞いて彼には決定的転機が訪れた。
彼は救いへの道が見えた。そしてそれは自由と単純なる道であることがわかり、こう言った。
「私は救いのために、何十もの方法を考えていた。しかし、この単純な 見よ!という言葉を聞いて深い喜びがあふれた。そして目を上げて高きを見つめた。」
彼は、その二年後に十数人しかいない小さな村の教会に牧師として招かれた。そして、キリストを仰ぎ望むこと、その十字架による赦しの福音を神の導きにしたがって宣べ伝えはじめた。それからわずか数カ月後、その教会には二〇〇名を越える人たちが集まるようになったという。
その後、スパージョンはロンドンの教会に赴任した。そこは千二百人も収容できる大きな教会であったが、彼が赴任したときには二百人程度しか参加していなかった。そこに十九歳の少年のような牧師が赴任することになった。
ふつうでは考えられないようなことであった。そしてそれからわずか数カ月で、その教会は千二百人を越えて座席が足らなくなり、拡張工事がなされた。しかし、それもまもなく狭くなり、こんどは五千人もが入れるような巨大な教会が建設されることになった。それは無謀な計画だと思われたが、彼が赴任してから七年ほどで、その大きな教会が建設され、さらにそれでも満堂の人となり、さらに千五百人の座席が増設されていった。
こうして、彼の晩年には一万五千人もがその教会に所属するようになった。
このような奇跡的な働きは、特別な宣伝をしたわけでなく、すべては、「私を仰ぎ望め、そうすれば救われる」というみ言葉から出発したのである。いかに神の言葉が大きなはたらきをするか、その潜在的な力がどれほどのものであるかをまざまざと示すものであった。
スパージョンの聖書の解きあかしは、速記者がいて忠実に書き取られていて、それが現在でも膨大な著作集となって、刊行されている。詩的な表現にちりばめられた彼のメッセージは、内容を書いて十分に準備されたものであったが、話すときにはそれを読んだりせず、自由に語り、語るべき言葉があふれるように生み出されていったという。
内村鑑三とスパージョン
内村鑑三は、スパージョンよりも、三十歳ちかく若いが、ほぼ同時代の人物である。内村もはやくも、このスパージョンのことを知っていて、次のように書いている。
○ 「青年よ、汝自身を見ることなく、キリストを見よ」とは英国有名の説教師スポルジヨンをして彼の青年時代において彼の全身を神に献げるに至らしめた一言なりという。
日ごろ、自分の欠点や罪にのみ注目して、そこから去ることができないゆえに、悲しみや魂の痛みを日々もっているものは、そうした反省の心はよいとしても、神が喜ばれる者とは言えない。
私たちの罪は、キリストを見て、初めて私たちから取り去らわれれるものである。このことに関しては、私たちが、一日に百度、自分を顧みても、自分自身を去ることにはらならない。
救いの秘訣は、実にこの一事にある。今日の青年もまた、英国のスポルジヨンにならうべきなのである。(「内村鑑三全集」第九巻一三九〜一四〇頁 原文は文語)
○英国の有名なる説教師スポルジヨンは私と同様に単独で(聖書関係の)雑誌を発行した。ところがその雑誌が彼の死後の今日もなお続いていて、その記事は主としてスポルジヨンの筆に成つたものである。
すなわち彼の旧稿が復刷されて新号の記事となつて現はれているのである。「死せる孔明、生ける仲達を走らす」(*)の類であつて、喜ばしいことこの上なしである。(「内村鑑三全集」第二九巻
五二七頁)
(*)「死せる孔明…」とは、死んだあとでもなお、生前の力が保たれていて生きている人への影響をもっていることのたとえ。中国の古い書物「蜀志」にある言葉。諸葛孔明とは中国の蜀の名将。仲達とは、魏の国の武将。
このように、スパージョンの聖書からのメッセージははやくも内村の時代から次々と印刷にされていたのがうかがえるが、それは今日に至ってもなお続いており、さらに近年はインターネットにおいて彼の聖書に関する膨大なメッセージを原文で、しかも無料で読むことができるようになっている。(*)
(*)なお、日本語でスパージョンの著作としては、「朝ごとに」「夕ごとに」(いのちのことば社刊)がよく知られている。
詩篇と主を仰ぐこと
旧約聖書では、主を仰ぎ見ることをしようとしない人たちに、絶えず警告がなされ、それでもなお聞かない人たちは次々と裁きを受けて滅んでいった。
そしてごく少数が、神の約束の地へと導かれた。
そこでも、再び主を仰ぎみることを怠り、神でないもの、不純なもの、不正なものを見つめることを止めなかった。そのために、神は警告を与え、神に立ち返るように、言いかえると、神を仰ぎ見るようにと預言者を遣わした。しかし、それでもなお、人々は立ち返ることをしなかった。
そのような中で、詩篇は神を真剣に仰ぎみようとした人たちの魂の記録である。 イスラエルの歴史が神にさからうことが続いたにもかかわらず、神は少数の人たちの魂に光を与え、活ける力を与え、暗黒のなかを導いた。
そして、そこから、詩篇には、神を仰ぎ見るということがいかに満ちあふれる祝福を招くことになるかを深く体験したゆえに、他者に呼びかけるということが見られる。
「ハレルヤ!」 という有名な言葉は、多数の人たちへの命令形なのである。
あなた方、主を賛美せよ! ということである。
主こそは、賛美されるに価する唯一のお方であるゆえに、人間の正しい姿勢は神の祝福を与えられ、それゆえに神を賛美することは、人間の特別なあるべき姿となる。
それは真実を言うのが人間のあり方であるから、真実であれ! といわれるのと同様なのである。
そしてその命令形が転じて、ハレルヤ!は、また、喜びの叫び、神への賛美ともなっていった。
聖書にふくまれる詩集である詩篇には、主を仰ぎ見るということが満ちている。それを少しだけ見てみよう。
まず、詩篇の第一編から見ると、その中心は、「ああ、幸いだ。主を愛し、そのみ言葉を昼も夜も心に思う人!」(二節)にある。
( His delight is in the law of the LORD, and on his law he meditates day
and night.)
神の言葉を昼も夜も、瞑想する、心に深くいだいて思うこと、それはすなわち、主を仰ぎ、主の十字架による大いなる恵を深く味わいつつうけることである。
また、第二篇も、地上のさまざまの支配者たちが、いかに神に敵対しようとも、必ず時いたればそのような力や組織は裁かれる、という核心が述べられている。神とは、完全な愛や正義、真実などのすべてを併せ持っている存在なのであり、真実を踏みにじろうとするような悪の力に対しては、必ず神がさばきを行われる。
これも神を見つめ、神の万能と正義の力を仰ぎ見るところから、言われている。このようなまなざしがないところでは、目に見える権力や武力などしか目に入らなくなる。
第三篇は、激しい苦しみのなかから、主に向かって叫ぶ一人の魂の姿がある。 多くの者が私を苦しめる。信じる神をあざける。しかし、この作者は言う。
…主よ、あなたは私の頭を高くあげて下さる方、
主に向かって声をあげれば、
聖なる山から答えて下さる。
私は眠り、また目覚める。
その間、主が支えていて下さる。
いかに多くの人々に囲まれても決して恐れない。(詩篇第三篇より)
このように、人間の悪意や攻撃のただなかにあって、そのような闇と混沌におしつぶされそうになりながらも、詩の作者はこのように言うことができた。それはただ自分のすべてをあげて主を仰ぎ見ていたためであった。
主イエスが最期を迎えるとき、「わが神、わが神、どうして私を捨てたのか!」と叫んだが、その叫びは、詩篇の作者がすでに体験したことであった。それは詩篇の二十二篇にある。このように地上の肉体をもった状態においては、いかに信仰あつくとも時として非常な苦しみゆえに神が私を捨てたのではないのか、というはげしい試練に襲われることがある。しかし、そのような時であっても、主を仰ぐということはさらに真剣に、全身全霊をあげてなされていた。
そしてそれが確かに詩篇二十二篇の作者にも救いにつながったのであったし、主イエスもそのような大きな苦しみを通って神のみもとに帰っていかれたのである。
…深き淵から、主よ、あなたに向かって叫ぶ。
主よこの声を聞き取って下さい
嘆き祈る私の声に聞いて下さい! (詩篇一三〇の一〜二)
ここにも、絶望的な状況、闇の深い淵から主に向かって叫ぶ魂の姿がある。詩篇とはこのように、まさに主を仰ぎ望むという魂の姿が圧縮されているものなのである。
詩篇がわからないということは、主に向かって叫ぶほどの苦しみに出会っていないということであるか、もしくは、詩篇の心に迫って読んでいないということである。そしてそれは、言葉の表面的な違和感や私たちには何ら関係のないような地名、人名が現れたり、敵を滅ぼすといった記述への理解の問題などがあって、そのように詩篇の深い本質、主を仰ぎ見るということをとらえ得ていないからであろう。
詩篇とともに、主を仰ぎ見るという姿勢を強くもっているのは、イザヤ、エレミヤ、アモスなど預言者のうけた啓示を書いた預言書である。これらも、当時のひとたちが、神を仰ぐことをやめて、神でないものを見つめ、そこからあらゆる不正が生じていく有り様をみて、神の言葉を受けて、神に立ち返ること、主を仰ぎ見ることを命がけで人々に伝えたものである。
スパージョンが決定的な転機を与えられたのも、預言者イザヤの書にある言葉であった。
…地の果てのすべての人々よ
私を仰いで、救いを得よ。
(イザヤ書四五の二二)
そして、後のキリストの呼びかけに通じる神の言葉はつぎのようなものである。
…わたしはあなたの背きを雲のように
罪を霧のように吹き払った。
私に立ち帰れ、私はあなたをあがなった。(イザヤ四四の二二)
このイザヤが受けた言葉は、そのまま、十字架のイエスが私たちに呼びかけている言葉となっている。イエスは十字架にて血を流すほどまで苦しまれ、命を捨ててまで私たちに、私に立ち帰れ、私が十字架にて死ぬことであなた方をあがなったのだ!と語りかけておられる。
それゆえに、最後に書かれたヨハネ福音書では、私たち人間の根本問題である罪を、身代わりに担って死んで下さったキリストのことを最初から次のように記している。イエスのさきがけとして遣わされたバプテスマのヨハネは、イエスに対して次のように言った。
「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ!」(ヨハネ一の二〇)
この短いひと言に、キリストの最も重要なことが凝縮されている。私たちが見つめるべきお方、仰ぎ見るべきは、キリストである。それはなぜか、自分の過去の何か一つ二つの罪を除いたり赦すのでない。全世界のしかもあらゆる罪を除きさるために死なれたお方、神にささげられて死んだ小羊だからである。
ここにキリストの福音の本質があることをヨハネは啓示されていた。私たちがいかなる罪を犯そうとも、またどのような困難な場面に出会おうとも、そして最終的に死が近づくときであっても、やはり
私たちの魂の最も深い問題である罪を清めて下さったキリストを見つめることができる。
十字架の上から、私たちの一人一人に対してあなたの罪は赦された、と言われ、復活したキリストが私を見て力を受けよ、私の導きにゆだねよ、私を見つめて従って来なさい…と語りかけて下さっている。
主を仰ぎ見ることと、主にある交わり
人間同士の交流は至るところである。赤ちゃんが生まれたらただちに母親や周囲の家族との交流が始まる。そうした交流そのものは、人間だけでなく、動物にもごく普通に見られる。さらに、昆虫の世界においても、例えばアリは、集団で獲物を運んできて、巣穴まで持っていくがそうした過程ではかなり綿密な情報が交わされて、目的の獲物の大きさなども伝えられているのがわかる。また、ミツバチなどを見れば、花のあるところを正確に教えるなど、かなり密度の高い交流といえるものも見られる。
こうした広く見られる交流と、人間の交流と根本的に異なるのが、神との交流であり、神を知らされた者同士の交流である。これは、人間だけに見られる。
このような交わりを生み出すのは何であろうか。それは、主を仰ぐことによって大いなる救いが与えられたものは、それをだまっていることができない。
それは、主イエスが十字架上で最も悲痛な叫び声をあげたときに、詩篇の言葉と同じ叫びをあげられた。
…わが神、わが神、どうして私を捨てたのか!
なぜ私を遠く離れ、救おうとせずに
うめきも言葉を聞いて下さらないのか。
私を遠く離れないでください。
苦難が近づいても、助けてくれる人がいない。!(詩篇二二より)
このような叫びと絶望的な状況に置かれたこの詩の作者は、そのような深刻な闇のままではいなかった。この詩の終わりのほうで、次のように述べているからである。
…私は兄弟達に御名を語り伝え
集会のなかで、あなたを賛美します。
主をおそれる人々よ、主を賛美せよ。…
地の果てまで、すべての人が主を認め、みもとに立ち帰り、
国々の民が御前にひれ伏しますように。
私の魂は必ず命を得、子孫は神に仕え
主のことを来るべき代に語り伝え、
成し遂げてくださった恵みの御業を子孫にまで告げ知らせる。 (詩篇二二より)
このように、まったき絶望のなかにいて呻き叫びをあげるほどの状況であったが、ついには、大いなる救いへと導かれ、それで終わるのでなく、そのような救いを与える神がおられるという、よき知らせをなんとかして世界へと知らせたいという熱情が生じる。
それこそは、キリスト教信仰が世界に伝わっていく原動力となった。そしてそこから、その福音を聞いて信じた人たちは自分が滅びつつあったことから救われたゆえに、伝えてくれた人とは霊的に深いつながりを感じるようになる。そしてそこから新たに伝えようとする働きに加わる。そうして同じように福音を信じた人たちは、ともに困難なこの世にあって自分たちの信仰がなくならないように、ともに集まり、さらなる力、聖なる霊を与えられるようにと祈りあう。それが新たな交わりを生み出していく。
このようにキリスト者の交わりとは、趣味、娯楽などを共にする集まりとは根本的に異なるものがある。この世の交わりは、多くの場合そうした戦いを忘れ、あるいは知らないためにこの世の難しさを忘れるために集まる。
しかし、キリスト者の交わりとは、人間にとって最も大切な魂の救いにかかわる真理を感謝し、それを守り、伝えていくための共同の霊的戦いに加わるための交わりなのである。
そのために基本となるのが、神と生きてはたらくキリストとの交わりであるから、次のように書かれている。
… 私たちの交わりとは、父と御子イエス・キリストとの交わりである。(Tヨハネ一の三)
人間に与えられた最大の賜物は、父なる神と主イエスとの交わりを与えられているということである。この交わりを与えるために、イエスは十字架にかかって、死なれたのである。
そして、信徒もまた、その交わりを一人一人が与えられるために、ヨハネの手紙は書かれている。私たちが神とキリストとの交わりを与えられるとき、おのずから周囲に伝わっていく。
その交わりをいのちあるものにするために、聖なる霊が与えられる。
新約聖書では、主を信じる人たちの集まり(原語ではエクレシア)はキリストのからだであると言われているほどに重要なものとされている。一人が喜べば、他者も喜ぶ、ある人が苦しむなら、他者も苦しむ、それはキリストのからだ、神の愛によってむすばれたからだであるからだ。
エクレシアとは、議論や研究、趣味娯楽の仲間ではない。それは、福音を伝えるべく集まる人たちであり、弱さや醜さをともに祈りあう一つのからだである。
ヨハネ福音書はそのために、互いに愛し合うことをとくに強調している。それは一つのからだとなるためである。
主を仰ぐことにより、一つのからだとなる。そしてそれが、周囲に及んでいく。二人三人集まるところに主はいますゆえ、その主が真理を伝えていく。
主を仰ぐことによって、罪赦され、聖霊を注がれ、新たな力を与えられる。そこから、使徒パウロが述べているように、聖霊による交わりが自然に生まれる。
神の子となる力をも与えられる。これらはただ、主を仰ぎ見るだけで与えられる。
十字架の上で処刑された重い罪人も、やはり主を仰ぎ見るだけで、キリストから、あなたは今日、私とともにパラダイスにいる、と救いの約束をされた。
主を仰ぎ見るのでなければ、人間的な交流になる。それは場合によっては励まされることもある、喜ばしいものでもある。しかし、それは永続するということがない。どんな親しい友人でも、遠いところに去っていくと、会うこともなくなり、次第に結びつきは弱くなっていく。さらに、入院したり、その病状が重くなっていくと、いっそう訪れるひともなくなっていく。
しかし、主を仰ぎ見るという姿勢があれば、私たちは主がつないでくださる。私たちが知らないところでも、主は私たちを覚えて下さっているように、私たちが主につながっているかぎり、遠くに離れた友人とも結びつきは保たれる。
だからこそ、主を信じているならば、十年、二十年ぶりに出会っても以前と変わらぬ親しみをもって兄弟姉妹のように交わることができる。
このことは、初めて会うような場合も同様である。同じキリストを信じているならば、初対面であっても何か親しい兄弟姉妹のように感じるものである。
それはそれぞれが主を仰いでいるときには、主が私たちの意識しないところで、結びつけて下さっているからである。
内村鑑三の大いなる影響力もまた、主を仰ぐというところから生まれた。そしてその結果無数の人たちとの交流が生み出された。まことに、主を仰ぐという単純なことが限りなくよき交流を生み出すのである。
そしてそれは内村とかスパージョンとかいった特定の人だけでなく、今日まで二〇〇〇年の歴史において、主を仰ぎ見たキリスト者たちは絶えず、その周辺に交わりを生み出してきた。
主は、自分や他人といった人間を見つめることから、無理にでも主を仰ぎ見ることをさせようと、さまざまの苦しみを起こされると言えるだろう。私たちが健康で、家庭や職場でも何も苦しいこともないときには、真剣に主を仰ぎ見て叫ぶという必要がない。
それゆえに、主も大きな霊的な幸いを注がれるということも少ない。
こうした主を仰ぐことと、キリスト者の交わりは、祝祷として用いられている次の聖書の言葉にも見られる。
…主イエス・キリストの恵みと、神の愛と、聖霊の交わりとが、あなたがた一同と共にあるように。(Uコリント十三の十三)
主イエスから受ける恵み、それは十字架による罪の赦しであり、復活の命であり、日々の導き等々、一言で言えば、神の愛である。そして神の愛がそのような地上の最もよきものを与えてくださる。それらを受ける者は、目には見えないが聖なる霊との交わりが与えられるようになる。聖霊自身と私たちの霊の交わりであり、聖霊が私たち人間同士の交わりのなかにいてくださって導かれる交わりである。そしてそうした恵みや交わりは、地上の命を終えた後も、御国において、永遠の聖なる交わりとして続いていくのである。