今回の福島原発の大事故によって、おそらくほとんどの人たちにとって予想もしなかった状況が襲いかかっている。静かな自然や清い大気、水、そしてふるさとや農業、水産業という大事な仕事を追いだされた人たちは、原発のためにこんな状態になって「腹が煮えくり返るようだ」と悲しみと怒りをぶちまける人もいた。
しかし、このような重大な事態が起こりうることは、実は何十年も昔の早い段階から言われてきたー想定されていたのであって、決して想定外でなく、たんに電力会社や自民党、通産省(現在は経産省)、科学・技術者、そしてマスコミ等々が無視してきたにすぎない。
さらに国民の大多数も、そのようなものに安全を信じ込まされてきたのであった。
それなら、どのような過程でこうした「絶対安全」という虚構が形成されてきたのか、その一つの過程を書いてみたいと思う。
次は、一人の学者の書いた記事からの引用である。(「時代の風」毎日新聞
2011年3月26日)
加藤陽子氏(*)が、自分は原発を必要なもの、安全なものとして認めてきたと、次のように書いている。
(*)日本の歴史学者。東京大学教授。専門は、日本近代史。文学博士
…戦争や軍隊について自分が書く時には、自分がそれらを「許容していた」という、率直な感慨を前提として書かねばならない、と大岡(昇平)は理解する。その成果が「レイテ戦記」にほかならない。この大岡の自戒は、同時代の歴史を「引き受ける」感覚、軍部の暴走を許容したのは、自分であり国民それ自体なのだという洞察だろう。
以上の文章の、戦争や軍部という部分を、原子力発電という言葉に読み替えていただければ、私の言わんとすることがご理解いただけるだろう。
原発を地球温暖化対策の切り札とする考えは、説得的に響いた。また、鉄道等と共に原発は、パッケージ型インフラの海外展開戦略の柱であり、政府の策定にかかる新成長戦略の一環でもあった。生活面でも「オール電化」は、火事とは無縁の安全なものとして語られていた。これらの事実を忘れてはならない。
私は(原発を)「許容していた」。…
学者が、このようにはっきりと、自分の間違いを告白するということは珍しいことである。この加藤陽子氏は、今年はじめの毎日新聞紙上に次のような内容を書いている。
ここでも、比較的よく読まれていると思われるその著書のなかで書いた記述の間違いを正直に告白し、それまで全く関心のなかったと思われる聖書や内村鑑三に関心を持つようになったことを記している。
… 神や仏は私をよけて通られているに違いない。そう確信できるほど、祈りや宗数的体験とは縁のない暮らしをしてきた。だが、ある一件をきっかけに考えが変わった。神が私に近づいてきたなどと言えば、今度は人が私をよけて通りそうだが・……いやまじめな話、聖書への理解が日本近代史を考えるうえで必須だと悟ったということだ。
きっかけは経済学者のケインズ。第一次大戦後のパリ講和会議にイギリス大蔵省代表として出席したケインズは、ドイツの賠償案の策定にあたっていた。欧州の再興を期すには、報復的賠償を科してはならず、アメリカからの対独援助も不可欠だとケインズは説いた。だが、ウィルソン米大統領はこの提案を拒絶した。憤慨したケインズは「あなたたちアメリカ人は折れた葦だ」とのシブイ言葉を残し、会議半ばでパリを去ったのである。
このエピソードを「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」(朝日出版社)で紹介した私は、[折れた葦]とはパスカルの「人間は考える葦」のもじりで、「考えるのをやめた人」との意味でアメリカを批判したものだと書いた。
これに対し、牧師の方から次のようなご教示をいただいた。
「折れた葦」とはイザヤ書 36章6節「見よ、今、お前はエジプトという、あの折れた葦の杖を頼みにしているが、それは寄りかかる者の手を刺し通すだけだ」に由来するのではないだろうか、と。
ここで「折れた葦」は、頼りがいのないもの、との意味で使われている。よって、ケインズのアメリカ批判は、考えるのをやめた人ではなく「まったく役に立たない人」と読むべきなのではないかとご教示くださった。
これは本当にヒヤリとする経験で、無知の怖さを思い知らされた。
悔い改めた私は、昨年から、本当に遅ればせながらではあるが、明治を代表するキリスト者、内村鑑三の全集を読むことにした。
内村といえば、教科書的には、日清戦争に際しては「日清戦争の義」をキリスト教国の欧米列強に向けて書き、戦争を支持するが、日露戦争に際しては非戦論に転じた、との説明で済まされてしまう。
だが、内村の言葉を実際に読めば、非戦論も人間の言葉のぬくもりとともに迫ってくる。日清戦争の翌年、1896年のクリスマスに書かれた「寡婦の除夜」という詩を目にすれば、内村の変化がいかなる点で起こったのかがよくわかる。冒頭の1連を引く。
月清し、星白し
霜深し、夜寒し I
家貧し、友少なし
歳尽て人帰らず(後略)
寡婦とは夫を亡くした女性を指すが、2連以下を読めば、清国艦隊との海戦で名高い威海南や台湾攻略戦で夫を亡くした妻たちだとわかる。家庭の幸福が破壊されるさまを見て、非戦への転換が早くから起こっていたのだった。…(毎日新聞
2011年1月16日)
およそ、名の知られた学者がこのように自分の聖書の理解が乏しかったことを全国紙で述べたということはかつて見たことがない。一般的に日本人は文化人も含めて、聖書の理解が著しく浅いといえる。新聞、テレビなどのマスコミにおいても聖書そのものの真理について語られたりすることはほとんどない。聖書そのものはよく売れても、大多数の人はその意味が分からないままに書棚に積まれてしまうだけのようだ。
それだけに、このようにあからさまに自分の無知を書いているのには、意外な思いを抱いた。
また、そのように書くことができたのは、一つには日本の他の学者たちも、このような誤りには気付かず、ケインズの言った言葉が、聖書のどこから引用されているか、など、まず分からなかったはずで、その意味も理解できていなかっただろうと感じていたからではないか。
他の学者たちならみんな知っているようなことなら、さすがに知らなかったとは言えないであろう。
しかし、そこからそれまで祈りや宗教的なことにはまったく無縁であったのに、「聖書への理解が日本近代史を考えるうえで必須だと悟った」と言われ、さらに遅ればせながら昨年から内村鑑三全集を読むことにしたという。
自分の間違いや洞察の不足などを正直に語ること、そこには真実がある。こうした真実性こそは、学者の命であり、一般の私たちにとっても同様である。
しかし、原発に関わる科学者・技術者たちはそのような真実への軽視があり、逆に金や利得にからめ捕られるという傾向が長く続いてきた。
一般の人々は、政治家、官僚、電力会社や、原発を推進する側の利益に沿って国民を欺いてきた科学者、マスコミ…そうした巨大な力によってだまされてきたのである。
日本のノーベル賞科学者たちは、過去40年ほどをみると、10数名いるが、彼らが、今まで原発の危険性について発言したのはー私の知るかぎりでは、ほとんど目にしたことがないし、今回の大事故という国家的大事件が発生しても同じ科学者として、しかも日本の代表的科学者であるはずの彼らの発言はどこにも見たことがない。
ノーベル賞を受賞するほどの科学者ならば、原子力の専門でなくとも、核分裂などに関する基礎知識があるし、少し学べばすぐにその途方もない危険性は明らかになったはずで、それにもかかわらずなぜそうした科学者の原発に関する発言がないのか不思議である。
彼らも、また自分の研究をするためには多額の費用が必要であり、その獲得のためには担当教授とか文科省とかから嫌われるとそうした費用がもらえず研究に差し支える。それゆえに、このような科学と技術の問題であるとともに政治問題でもある原発のことには触れようとしなかったのではないかと考えられる。
今まで黙っていた者が、事故があったからと当然にその問題性を発言したら、今までなぜ黙っていたのか、という反論が生じるゆえに沈黙を守っているのかもしれない。
その中で、科学者(天文学者)として著名な池内了(さとる)(*)が、原発問題について次のように書いている。
…原子力関係の科学者・技術者がネットワークを組み、原発に反対する論調があれば、直ちに回報がまわされる。そして、微に入り、細をうがってその論調を検討し、少しでも間違いがあれば、抗議のメールを集中させるというわけである。
数年前、NHKの教育テレビで、「禁断の科学」という番組に出演したとき、私は愚かにもそのテキストで少し間違ったことを書いた。
彼らは、それをあげつらってNHKに番組を中止せよ、と圧力をかけてきた。(私自身への直接の抗議はなかった)
今後NHKが原子力問題に及び腰になるという効果をねらってのことだと推測される。
公明正大な討論こそ、科学者・技術者が遵守すべきことであって、反対の意見を持つ者やジャーナリズムを萎縮させる科学者・技術者の集団って何なのだろうか。(「世界」岩波書店2011年5月号 56〜57頁)
(*)池内了は、1944年生。京都大学理学部物理学科卒。天文学者。宇宙物理学者。総合研究大学院大学教授・学長補佐。名古屋大学名誉教授。理学博士(京都大学)世界平和アピール七人委員会の委員。大佛次郎賞、講談社科学出版賞選考委員
経済学者、文学者、政治家、芸能界はもちろん、どの分野の人であっても、明確に原発の危険性を語った有名人というのが思いだせない。
原発関係の裁判ですら、そのほとんどは原発推進の人たちの主張を採用してきたのであった。
それほどに、この原発の安全という根拠のない主張が国民に広く浸透してきたのである。
ビートたけし
の次のような発言がごく当たり前のように浸透していたのである。
「…原子力発電を批判するような人たちは、すぐに『もし地震が起きて原子炉が壊れたらどうなるんだ』とか言うじゃないですか。…
でも、新しい技術に対しては、『危険だ』と叫ぶ、オオカミ少年のほうがマスコミ的にはウケがいい。」
(「週刊金曜日」(*)4月26日号 42頁、これは、佐高信(まこと)が、「新潮45」の2010年10月号での、ビートたけしと、原子力委員長・近藤駿介との対談の引用をして批判している記事のなかにある。この週刊誌は、一般の書店では置いていない。直接にインターネットなどで講読を注文する。
「スポンサーや広告主におもねらずに市民の立場から主張できるジャーナリズム、権力を監視し物申せるジャーナリズム」を目指し、また、休刊した『朝日ジャーナル』の思潮を受け継ぐものとして創刊。「日本で唯一の、タブーなき硬派な総合週刊誌」を標榜しており、反戦・人権・環境問題など市民運動・市民活動の支援、体制批判を主に扱っている。(ウィキペディアによる)
原発は地震によって安全だということを信じきっているこんな発言が堂々とまかり通り、原発の危険性という事実を述べる者を、オオカミ少年呼ばわりをするほどに、見下してきたのであった。
彼は、「原発反対を言えば、マスコミに受けがいい」などと放言しているが、そんなことはない、逆である。
過去何十年という長い間にわたり、原発反対を明確に主張したら、マスコミからも相手にされなくなる事実は、後に述べる高木仁三郎や小出裕章氏などの件を見ても明らかなことである。
ここに引用した内容は、「週刊金曜日」誌の、佐高信(まこと)が書いている「電力会社に群がった原発文化人」と題する記事のなかにある。
そこには、
アントニオ猪木、荻野アンナ、それから脳科学者の茂木健一郎や養老孟司らもあげられ、勝間和代、大前研一、堺屋太一といったよくマスコミで出てくる人物も含まれる。森山良子のような歌手、星野仙一のような野球監督、北村晴男、木場弘子、漫画家の弘兼憲司(ひろかねけんし)等々も含まれている。
星野は、「僕も時には熱くなる男だけど、地球がこれ以上熱くなったらかなわんね」というセリフを関西電力の宣伝で語り、温暖化を口実として原発を増大させるという宣伝に一役買っていたという。
このように、とくにテレビなどでよく出てくる人物を原発推進の強力な担い手として絡(から)めとって、原発は安全だ、原発に反対などするのは、まともな人間でないのだ、といった雰囲気を形成するのに利用してきたのである。
今から35年以上も昔であったろうか、私が高校の理科教員であったころ、徳島県教育委員会主催の、高校理科教育研究会の講師として、四国電力の者が講演して原発の安全性を強調したことがあった。この研究会は県下の高校の理科教師全体の会であって、そこにて原発の宣伝をさせるほど、教育委員会というのもすでに原発宣伝の一環をになっていたのである。
私は教員になった頃に、福島原発の一号機が運転をはじめ、まもなくその原発の危険性を知るようになっていたから、そのような一方的なやり方にとても驚いたので今も記憶に残っている。
このようにして、政治家や官庁(通産省)、電力会社、科学者、技術者、そして教育から産業全体、マスコミ、そしてさまざまの文化人…といって多方面に手を伸ばして、原発の安全性をアピールしてきたのであった。
そして実にさまざまの人たちがそうした宣伝に乗せられて原発は安全だ、として何ら疑問を持たずにきたのである。
このことに関して、高木仁三郎(*)の最後の著書から見てみよう。
高木は、原発科学者としては貴重な存在であり続けた。圧倒的多数が原発賛成の流れに組み込まれていくなかで一貫して原発の危険性、その本質を明らかにして、原発の非人間的な現実を説き続けたからである。
(*)高木仁三郎(1938-2000)は、日本の物理学者、理学博士(東京大学)。東京大学理学部化学科卒業。理学博士(東京大学)。
専門は核化学。東京都立大学助教授、マックスプランク核物理研究所客員研究員などを経て都立大学を退職し、 原子力資料情報室を設立、代表を務めた。
原子力業界から独立、自由な立場で、原子力発電の持続不可能性、プルトニウムの危険性について、専門家の立場から警告を発し続けた。特に、「地震」の際の原発の危険性を予見し、安全対策の強化を訴えたほか、脱原発を唱え、脱原子力運動の中心的人物でもあった。
その著書とは、「市民科学者として生きる」(岩波書店)であり、
この書は、彼がガンで次々と転移し、死が近いとも覚悟するほどの苦しみも経験していくなかでベッドの上で書かれた最後の著書で、書き終えた翌年死去した。この本から少し引用する。
「…私自身がしばしば経験したことだが、反対派には、東京電力や東北電力などの監視体制が存在して、例えば、私の講演会に誰々が出席したか、街頭で演説すれば、家の前に出てそれを聞いたのは誰々か、すべてチェックされてしまう。反対派の講演会には、公民館を貸さないし、ときには旅館も拒絶されたことがある。」(「市民科学者として生きる」202頁)
また、スリーマイル島の原発事故があり、原子力資料情報室の活動が多少注目されてきた頃、ある原子力の業界誌の編集長にあたる人が訪ねてきた。彼は高木をほめ上げて、将来の日本のエネルギー政策を検討する政策研究会をやりたいといい、高木をその研究会の責任者になって欲しいと言ってきた。
そして、その人物は、「とりあえず3億円をすぐにでも使える金として用意している、それはあなたが自由に使える金だ」と告げた。
高木は、当時の資料情報室は30万円ですら、飛びつきたいほどの資金不足の状況だったから、3億円あったら、ずっとこの資料情報室は金に困らないのでないか、という思いが1分ほど頭にはあったと書いている。
しかし、すぐにそれは、彼らが自分を取り込むための誘惑だと直感して断った。「それにしても一時金が3億円とは!現在だったら、百億円くらいに相当しようか」(211〜212頁)
このように金をもって取り込むという手法は、いろいろなところで使われたと考えられる。
例えば、アントニオ猪木(元プロレスラー、元参議院議員)はかつて青森県知事選挙応援のとき、原発一時凍結派の候補から一五〇万円で来てほしいと頼まれて、その候補の応援に行くつもりであったが、推進派のバックにいた電気事業連合会(日本全国の10の電力会社の連合会)から、1億円を提示されて、あわててその一五〇万円を返して、そちらに乗り換えたという。(「週刊金曜日」4月26日臨時増刊号 40頁)
こうした金の攻勢に加えて、社会的に抹殺しようとする働きかけもなされた。前述の高木仁三郎は次のように書いている。
「科学技術庁に地域の住民団体に随行して行ったとき、たまたまある大学のA教授に出会った。そこで玄関口で少しだけ立ち話をした。彼は、かつての核化学の研究仲間で、原発推進論者となり、政府の委員会の委員をしたり、原発の推進の討議に登場したりしていた。
その後、1年ほど後に別の地域での原発賛否討論会で再びA教授に出会った。そのとき、彼は『あのとき、科学技術庁のところで高木君と親しそうに話していたと言って、後から庁の役人たちに相当の懐疑心で見られたよ。
彼らにとって、高木君は、ウジ虫のような存在で、ー昔一緒に学問をやっていたよーとと言ったら、自分まで何かけがらわしい存在に見られてしまったよ。近寄るとバイ菌に感染すると思ってるんだ。ほんと。』
原発反対派は、そんな風に扱われた。虫ケラ同然の扱い…」と高木は書いている。(「市民科学者として生きる」209頁)
このように、社会的にも徹底的に排除しようとしていったのである。大金が動き、大規模なもの、マスコミによく登場するようなものは、オリンピックや大相撲、プロ野球など、しばしばこうした闇の状況がついてまわる。
東京電力だけとっても、年間の宣伝費は二五〇億円〜三〇〇億円にも達するという。これは、毎日平均して七千万〜八千万円という膨大な費用を、政治家や地域対策だけでなく、このような学者、文化人、有名人への対策にもつぎ込んでいったと考えられる。
こうした闇の力によって原発が絶対安全だという宣伝が広く流布し、高木仁三郎のような良心的な科学者を排除し、また、京都大学原子炉実験所の科学者たちのうち、原発の危険性に警告し続ける6名ほども、せいぜいが助教授で多くが定年まで助手(助教)という、ひどい待遇を受けねばならなかったのである。
現在この原子炉実験所に残っているのは、今仲哲二、小出裕章の二人だけであるがいずれも、定年が近づいている現在も助手(助教)のままである。
冒頭に記した、東大の加藤陽子教授のように、大多数の人々が「原発を許容していた私」という状況になってしまったのは、原発推進側があらゆる方法を駆使して真実を覆い隠そうとした結果なのであった。
この点において、戦前に、日本は神国だ、絶対に外国との戦争には負けないのだという宣伝を繰り返し聞かされ、大多数の日本人が実際にそのように信じ込んでいったことや、ただの人間にすぎない天皇を現人神だと言われ続けてそのように信じていったのと似た状況がある。
以上述べてきたように、原発というものが巨大な偽りを包み込んだ複合体であり、大多数の日本人を呑み込んできた存在であり、その危険な本質さえ知らされないままとなり、国民もその本質を記した著書などもごく一部の者しか顧みることをしなかった。その結果、現在のような悲劇が生まれているのである。
原発の大事故による災害は、ほかのどんな環境破壊をもはるかに越えるものである。そして数知れない人々の暮らしを破壊し、人間生活の根源となる産業である農業をも破壊してしまう。
それゆえに、原発からできるだけ早期に脱却し、清い水や大気、そして安心して農業、畜産業、水産業やその他の仕事にいそしむことのできる社会のために、原発の実体を学んでいきたいと願うものである。
毎日新聞の投書欄に次のような記事があった。(5月8日付)
…「原発と共存していくしかない」との意見には全く同感できません。投稿者は長崎県に住み、第三者的に福島原発事故を見ているから気楽なことが言えるのです
。
私は政府や東京電力の「絶対安全」を信じて、東電主催の見学会に参加し、わが国の技術力の高さに誇りさえ感じました。
しかし、すべてうそでした。「想定外」「未曽有」を繰り返しますが、識者の警告を無視した結果なのです。私の住む郡山市は、原発から60キロはなれていますが、子供たちは野外に出ることを制限されています。
一般市民は、毎日発表される放射線量の数値を血圧記録のように記録し、不安な生活を続けているのです。
原発による電力は、30%近くを占めるといいますが、全国の温水洗浄便座の保温をやめるだけで、原発一基分の電力が節約できるといいます。
原発は全部廃炉にし、電力の供給範囲内で安心して生活するのが、真の幸せというものです。(福島県郡山市・須藤貴美男)
原発の放射線はこのように、数知れない人々の平和な生活を破壊し、混乱と不安と悲しみに陥れるのである。
聖書の最後の書である黙示録のその終章にあるつぎの言葉は、福島原発を追われた人たちーとくにキリスト者である人たちにとって、はるかな理想的状況となって浮かんでくるであろう。
…天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた。
川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。
そして、その木の葉は諸国の民の病を治す。
もはや、のろわれるものは何一つない。(黙示録22の1〜3より)
現実の世界ではこのような状況、うるわしい大地、流れる水は清く、農作物がゆたかに実を結び、そのゆたかな作物によって人々の健康が支えられ、のろわれた放射能はなにもない…それはまだまだ先のことであろう。
しかし、唯一の愛の神をあくまで信じ、主を仰ぎみるものには、その人の魂のうちに、いのちの水の川が流れ、そこから溢れるまでになると約束されている。(ヨハネ福音書7の38)
そのような命の水によって、被災を受けた現在の苦しい状況が支えられるようにと願ってやまない。
そのような霊的な水は、世界のいずこにあっても、またどんな状況にある人をも、求める者をうるおしてきたのであるゆえに。