原発の限界
福島原発が大事故を起こしたが、その原因が想定外の大地震とそれによる大津波で、電源装置が水につかってしまったからだと言われる。だから、電源装置を十分に高いところに設置しすること、高い防波堤を築くことによって防ぐことができるとしている。
中部電力は、高さ12mの防波堤を築く決定をしているという。
首相は、浜岡原発の危険性のゆえに、停止を勧告した。数年かけて点検し、防波堤を築き、電源装置などの安全化などの対策を十分にしたうえでの再開を目指している。
まず今回の福島原発の大事故の原因は、津波で非常用電源が水につかったと言われるが、実はそうでなかったことが専門家によって指摘されている。(*) 津波が襲ってくる前に、原子炉の配管が地震の強い振動によって激しく揺れて破損し、その破損した箇所から高温高圧で大量の放射能を帯びている熱湯が、激しく吹き出した。
それゆえに、原子炉内の燃料棒が大きく露出し、高温となり、放射線の作用やジルコニウムが水と反応して生じた水素によって、水素爆発を起こしたと想定されている。
このように、耐震設計が十分に安全になされていると主張してきた原発が地震によって深刻な打撃を受けていたということなのであり、従来の原発が地震に耐えるとしてきた主張も全面的に成り立たなくなる可能性が高い。
(*)田中三彦による、このことに関する詳細な記述が「世界」(岩波書店)今年の5月号134頁〜143頁に掲載されている。
田中は、元原子炉製造技術者。福島第一原発の圧力容器設計を担当。著書に「原発はなぜ危険か」(岩波書店)。最近は原発の解説記事やインターネットのYOUTUBEなどでよく見られる。
津波の前に、原子炉が地震によって深刻なダメージを受けていたと考えられるにもかかわらず、産業界ははやくも、「津波対策さえ十分にすれば、日本の原発は安全だ」と主張して、はやくも原発路線の継続を考えている。(毎日新聞5月3日)
しかし、津波対策をいくら十分にしたとしても、原発そのものが地震に弱いという致命的な問題がある。
これは、次の二つの問題が重要である。
一つは、原発は一般に想像されているよりはるかに配管、パイプが多いということである。強度の振動でそれらが損傷をうけやすい状況なのである。
しかも、配管内の冷却水は、300度ほどの高温、約70気圧もの高圧というきわめて特種な状況で循環しているから、パイプが地震で損傷すれば、そこから激しい勢いでその高温の熱湯が吹き出すということになる。(また、定期点検のときには温度が下がり、そのときの温度差があるからパイプが収縮するため、床に配管を固定することもできない部分がある。)
すでに述べた田中三彦が、今回の事故においてそのような状況が生じたと言っているのである。
しかし、このようになることは、すでに以前から、知られていたのであって、手許にある5年前に発行された書物にも書かれている。
この本には東海大地震で浜岡原発に大事故が発生すると、その放射能で首都圏が壊滅的な打撃を受けるということを記したものである。
原発の配管の長さの総計はどれほどになるのか、そんなことはほとんどの人は考えたこともないであろう。
これは総延長では、80キロほどにもおよび、その溶接箇所は、2万5000箇所にも及ぶという。そのような長大な配管はそこを通る高圧の熱水の高い放射能によって徐々に変質しもろくなっていく。 原発には、そのような構造上の欠陥がある。
さらにそれと関連しているが、そのための定期点検は強い放射能を帯びているその配管のひび割れや消耗を調べるのであるから、作業員たちはわずかの時間、ナットを締めるにも、何人もが交代で走るように現場に行って、少しずつ作業を進めるというほどに、危険な作業なのである。
そのような作業ゆえに、当然その担当者が手抜きをすることが十分に有りうるし、破損の点検なども手抜きすることが有りうるのはだれが考えても分ることだ。
人間とは弱いものであって、疲れていたり、すぐ次の作業員に作業を引き継ぐなら、自分の担当の作業を急いだり、簡単にすませたりすることがあるだろう。
ほかの自動車とかの機械と根本的に異なるのは、数分とか10分とかいったわずかの時間しか持続して使えないような危険な場所がいろいろとあるという点である。
いかに設計上は優れた技術者が作成して安全だと少なくとも理論的にはなされても、実際に原発を支えているのは、現場の作業員である。疲れ、弱さもあり、またその報酬のためだけにその危険な作業に加わっているのであるから、当然間違いもミスも手抜きもある。それを監督する人も、そのような膨大な長さの配管や溶接作業を一つ一つ確認できるはずもない。
ビルや橋の建築においても、手抜きということがよくあり、以前にも耐震設計を偽っていたことが大問題となったことがある。どんなことにもそれは起こりうる。
このように、いかに津波対策をしようと、またどんなに耐震設計をしようとも、なおそこに関わる人間の弱さというものはいかにしても克服ができない。また、機械化していくといっても機械にも必然的にミスが生じうる。長く使っているうちに故障、誤作動のない機械などはあり得ない。
このように、機械そのものも壊れることがあるし、人間も絶えず疲労し、また精神的に疲れたりしていると、これぐらいのことは…と小さな破損なども放置しておくという可能性がある。人間そのものがいわばつねに一種の「壊れる」という状況を持っているのである。
その上に、検査、点検を人間がするのであるから、当然一部の箇所しか見ない、ということも起こりうるし、意図的に簡略化したり、生じた事故を起こっていないとする人間も生まれる可能性がある。
このように、さまざまの点で大きな限界を持っている人間が最終的に関わるゆえに、必ずミスや情報隠し、また金や地位への欲望などによって不正をする等々があちこちで生じることが予想される。じっさい今までにもそのようなことは数多く生じてきた。
例えば、報告を義務づけられた事故だけでも、2007年に23件、翌年08年にも23件、08年に15件もの事故が報告されている。
また、1995年以降だけをとっても、レベル1からレベル4の事故は、11件、さらに内部告発によって発覚した事故も過去35年ほどで、15件ほど生じている。内部告発ということは、よほどのことがないとなされないのであって、まだまだ隠された事故が相当あったと考えられる。 (「原子力市民年間2010」 216〜217頁」七つ森書館発行)
こうした事故もその大多数は一般にはほとんど知られることもなく、テレビなどで繰り返し放映される「絶対安全だ」という宣伝だけが、人々のなかに刻み込まれてきたのであった。
このように、原発は大きな限界を持っている。それは人間が、限界を持っているからなのである。
その人間の限界を深く知るほどに、途方もない大事故が起こったら取返しのつかないような原発はつかうべきでないのがわかる。
人間の限界を知ればしるほど、そのような人間を支え、力を与え、自分の利害を考えないで真実な洞察をする力を与えるお方ー神へとまなざしは向けられる。 神こそは、限界のないお方なのであるから。