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主は嘆き祈る声を聞き、わたしに耳を傾けてくださる。
生涯、わたしは主を呼ぼう。
(詩篇一一六の1〜2)
リストボタン望みの港へ

さまざまの困難が、とくに東日本大震災以来続いている。地震と津波によって家や畑、また家族、職業などを奪われた人たち、またそれらが壊れることもなく以前のままにあるにもかかわらず、原発の事故による放射能のために、そうした大切なものが失われ、傷つけられている多数の人たちがいる。
そのような方々にとって、以前と同じ目に見える状態に復帰して平安を与えられるということはまだまだ遠いし、また家族などの死によって、深く結びついた人間との関わりが失われた場合には回復するときがない。
しかし、神は万能であるゆえに、そうした方々の悲しみや苦しみに耐える力を与え、慰めや励ましを与えることは可能である。
「求めよ、そうすれば与えられる」という主イエスの約束の言葉はこのようなときにこそ、成就するはずの言葉である。
主イエスが「ああ、幸いだ、悲しむ者は。天の国はその人たちのものだからである。」と言われたことが思い起こされる。天の国とは神の国と同じであり、神の国にあるあらゆるよきもの、清い心、神の愛、苦難に耐える力等々が与えられるという約束がここにある。
私たちの心のさまざまの不安や騒いだ心を、静め、そのような主の平和へと導かれることこそ、大きな苦しみにある方々の真の支えとなると思われるし、ぜひそのような平安が与えられますようにと思う。
津波や地震の波は止まっても、大きな苦難に直面した魂の内なる波は静まることがない。それは、愛の神のもとに、見えざる港に導かれるとき初めて静まる。

…苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと、主は彼らを苦しみから救ってくださった。
主は嵐に働きかけて沈黙させられたので、
波はおさまった。
彼らは波が静まったので、喜び祝い、
望みの港に導かれて行った。(詩篇107の28〜30より)

リストボタン日本に最も必要なもの

原発のことは、いまの困難な事態だけでなく、今後生じるかもしれない大地震によってはさらに日本全体に回復の困難なほどの大きな影響を及ぼす可能性を持っている問題であるゆえ、日本人全体が強い関心を持つべきであるし、たしかにそのようになりつつあるだろう。
しかし、いかにこうした現実の問題を深く知ってもだからといって心の平安は与えられない。逆に知れば知るほど不安になったり、その原子力の途方もない破壊の力に驚かされ、人間の科学技術を含む力の弱さを思い知らされていく。
知っても知らなくとも、いやおうなく毎日のニュースで報道され、解決へとまるで進んでいかないような状況に接するわけだから、不安は漠然と増大していく。
そうした中で、私たちは力を与えられるものが必要である。人間が何より必要としているのは、さまざまの困難に出会ってもそれに耐える力であるからだ。
そしてその力は、確かにインターネットで得られるような一般的な知識や、科学技術やいろいろな学問的な知識、あるいはさまざまの小説などでも与えられない。
死の苦しみのときに、いったい誰が、科学や経済学、法学などの学問書を読んだり、売るために書かれた他愛もない小説を読んだりするだろうか。
私たちが元気であっても病気であっても、また人からの評価を受けなくとも、あるいは若くても老年であっても、たえず新たな力と希望を与えられることこそ、最も大切なことであり、それこそ、神の言葉がその力を与えるものである。
神の言葉、それが最も凝縮された存在がヨハネ福音書の冒頭に記されているように、キリストである。そのキリストが目にみえないかたちで私たちの世界にいまも訪れて下さっているのが、聖なる霊である。
この現在の日本、そしてこれからの日本に最も必要なのは、この永遠の真理たる神の言葉、いかなる人にも信じるだけで力を与える神の言葉、そして聖なる霊なのである。

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