文字サイズを変える
大 中
タリタ・クミ
(娘よ、起きなさい!)
福音書の中に、二人の女性のことが対照的に記されている箇所がある。一人は、12年間という長い年月を出血の病気に苦しんできた女性であり、もう一人は、まだ12歳の死の迫っている少女であった。(マルコ福音書5章21〜43)
前者の女性に関しては、この聖書の時代では、そうした病気そのものの苦しさにさらにその苦しみを増したのが、社会的な差別であった。婦人病である出血する病気は、汚れたとされ、その女に触れる者、その女の使ったものに触れるものさえ汚れがうつるということになっていた。(レビ記の15の25〜)
このようなことは、現代とはあまりにもかけ離れているので、この女性の苦しみは想像することが難しく、大多数の人は、この箇所を簡単に読み過ごすのではないかと思われる。差別と孤独、誰にも言えない苦しみと悲しみであった。
また、らい病にかかるとやはり汚れているとされていた。人間を悪くいうときでも、だれかを汚いといったような言い方は非常に相手を苦しめることになる。
人間はみな汚れている存在であるのに、特定の病気や生まれつきの障がい、あるいは生まれた場所や環境で人をそのように言っていた。 昔のユダヤ人たちも、異邦人であるというだけで、汚れているとしていたのである。
この大きな汚れと清めの区別を決定的に打ち破ったのが、キリストであった。そうした観念を破壊し、またそこで苦しめられてきた人を解放し、救いだした。
この箇所に現れる二人の女性のうち、12年間も出血が止まらない婦人病で、医者に全財産を使い果たし、苦しめられてきた人は、絶望的状態にあった。自分という存在が汚れているというようにみられるのは、自分の存在が否定されていることである。しかも、自分が使った家具、触れるものまでも汚れて、それに触れる人もまた汚れてしまい、清めの儀式をしなければいけなくなる、ということでは、およそ人との交際はできなくなる。家族との関わりもできなくなり、離れて生活しなければならなくなる。
そんな長い歳月は、彼女にとって地獄のような日々であったと思われる。家族との生活も、結婚や仕事も、およそ人間との共同生活ができないという状況に追い込まれていたと考えられる。
そのような女性が、イエスに対して不思議な力を感じていた。自分の病気は家族や医者にも、そして祭司たちにもどうすることもできない絶望的状態であったが、その闇の中にただ、イエスというお方だけは不思議な光をもたらしたのである。
それまで、この女の状況であれば人の集まるところへも行けなかった。彼女に触れる人まで汚れてしまうからである。
しかし、イエスが近くに来るといううわさを聞き取ったこの女は、何としてもそのイエスの力に触れたいと切実な願いを持つようになった。社会的に孤独な状況にあったこの女はいかにしてイエスに対するこうした絶大な信頼を寄せるようになったのであろうか。
その過程は記されていない。しかし、確かなことはこのような状況にある人でも、12年間という神の時が来たときには、そうした不思議な信仰が生まれたのであった。12というのは象徴的な数として聖書では現れる。神の定めたとき、というニュアンスがここにはある。
いかに闇と混沌の状況にあっても、時が来れば神が導かれる、ということ、それは、すでに聖書の最初から記されている。聖書の冒頭には、闇と混沌が世界に立ち込めていたが、そこに神の霊(風)が吹きつのり、そのなかに神が突然「光あれ!」との言葉によって、光が創造されたことが記されている。
このことは、ここにあげた女の状況をそのまま預言するものとなっている。
あるいは、十字架でイエスと共に釘付けられた重い罪人が、すぐ横で同様に重い犯罪人として処刑されているイエスが復活すると信じて、「あなたが、御国に行くときには私を思いだして下さい!」との最期のときの願いを訴えた。その願いに対してイエスは直ちに「あなたは今日、パラダイスにいる」と、救いの確約を与えたのであった。
ここにも、この重い罪人はいかにして、イエスが復活して神のところに行くなどということを信じ得たのか、その過程は記されていない。
3年間もイエスにつき従い、あらゆる奇蹟を目の当たりにし、その教えをすべて間近に聞いてきた弟子たちすら、復活などは信じられなかった。イエスがその死の前に、自分はとらえられて十字架にかけられ、三日目によみがえる、と予告したとき、弟子のペテロは、「決してそんなことがあってはならない」とイエスを引き寄せて叱る、といったことさえした。そうしたペテロの言動は、ただちにイエスによって「サタンよ、退け!」と一喝された。(マルコ8の33)
さらに、弟子たちは裏切って逃げてしまったが、最後まで十字架のイエスのもとにとどまり続けたマグダラのマリアたち、イエスへ深い信頼を持ち続けてきた女性たちも、復活など信じられなかったことは同様である。
このように、最もイエスの近くにあった人たちでもみな一様に信じられなかったキリストの復活ということを、この十字架で最期を迎える罪人が信じることができていた、ということは、驚くべきことであり、ここに啓示ということの深い秘密がある。
学問でも、経験でもなく、また豊富な知識でもない。あるいは恵まれた家庭や生まれつきの能力でもないし、優れた教師につくことでもない。それらすべてがなくとも、ただ一方的な神からの啓示があれば、人は最も重要なことを知ることができる。
主イエスが、弟子たちに、「あなたがたには、天の国(神の国)の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていない。」(マタイ 13:11)と言われた。その弟子たちとは、漁師が半数ちかくを占めていたし、マタイという弟子は、ユダヤ人から憎まれ、差別されていた徴税人という仕事であった。それはユダヤ人を圧迫していたローマ人の手先になってしばしば不正な金を手に入れていたと考えられていたからである。
また、当時は、ローマ帝国がユダヤ人たちを支配していたが、その支配を受けいれず、反ローマ運動に関わっていた人たちのグループ(ゼーローテース、熱心党と訳されている)も、イエスの弟子に含まれていた。そのようないろいろな状況の人たちが、イエスからの招きとイエスの霊を受けることによって、悪の霊を追いだし、病など人を苦しめていた力に勝利する力を与えられたのである。
12年間も、出血の病で苦しめられてきた女は、ただイエスというお方は、いかなる人間にもない神の力をもっていると信じていた。それゆえに、ただ服に触れさえしたらいやされると信じていた。何も詳しい学問的知識や思索は要らない。ただそのような素朴な、しかし、全身をあげての信頼があれば足りる。
この女と対照的に記されているのが、12歳の少女の記述である。さきに記されている出血の病で苦しんでいた女は、12年間病気で苦しみ続け、この少女は12歳であったという。この12という数字は聖書では特別な意味をもっている。(*)
(*)旧約聖書における部族も12部族、イエスの弟子の数も12人、また、五千人のパンの奇蹟として知られている出来事においても、二匹の魚と五つのパン(合わせると7というやはり特別な数になる)を、イエスが祝福して分かち与えたところ、五千人をも十分に満たし、さらに残りは12のかごにいっぱいになったという。
これは、12という数が、完全数、言い換えると神の御計画のうちに置かれているということを暗示する。12部族とは神の御計画によって選ばれた民であり、神のご意志を知らされた人たちである。12弟子も同様である。
ここに現れる12年の苦しい病気や、12歳というのも、それは神の御計画のうちに置かれていたのだということを象徴的に表しているのである。
この12歳の少女の父親は、会堂長であった。会堂とは、毎週の安息日に人々が集まり、神の言葉(律法)の朗読と解きあかしがなされた。エルサレムの狭い市内に、400ほども会堂があったという。その指導者たちから選ばれたのが、会堂長であったから、社会的地位は高く、指導的立場にあった。そのような人が、30歳ほどの若いイエスのところに来て、大勢の群衆たちが集まっていたのに、そのイエスの足もとにひれ伏して懇願し続けた。(*)
(*)「しきりに願った」と訳されている原文のギリシャ語表現では、パラカレオー parakaleo の現在形であり、「繰り返し〜する」というニュアンスを持つが、さらにここでは、「たくさん、多く」という意味の ポリュス polus があるので、繰り返し、懇願した、熱心に懇願し続けた、という意味になる。英訳各種にもそうした強い懇願を表すために次のようにいろいろな表現で訳されている。
・made strong prayers
・pleaded desperately
・begged him repeatedly,
・pleaded earnestly
「私の幼い娘が、死にそうです。どうか手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるのです。」(マルコ5の23)
自分の娘のこととはいえ、たくさんの群衆がイエスのところに集まっている状況のもとで、イエスの足もとにひれ伏して懇願するとは、ほかの人がどう思うかといった余計なことは念頭になく、ただひたすら娘への愛ゆえに死なないようにとの必死の気持ち、そしてイエスへの大いなる信頼がここにはある。
この会堂長は、いかにしてイエスに対するそのように絶大な信頼を持つことができたのだろうか。それについてはいっさい記されていない。
それは先に述べた長い出血の病で苦しんでいた女がいかにしてイエスだけはいやす力があると信じることができたのか、その過程はいっさい記されていないのと同様であって、それは、啓示ということに他ならない。
神(キリスト)からの啓示を受けたときには、周囲のあらゆる偏見や疑い、未熟な判断などを超えて、真理を洞察し、受けいれることができる。
このように、ただ主イエスの神のごとき力を単純率直に信じることこそ、主イエスが求められていたことである。幼な子、乳飲み子とはただ母親を全面的に信頼して見つめる。そのような心とイエスへの信頼がこの会堂長にはあった。
しかし、その家に向かう途中で娘は死んだと知らせが入った。それゆえもうイエスに来てもらう必要はなくなったとの連絡である。それにもかかわらずイエスは「恐れるな。ただ私を信じなさい。」と言われてその家に向かった。そして子供の手を取り、「タリタ・クミ」―娘よ、起きよ ―(*)と言われた。
(*)これはアラム語というヘブル語とよく似た言葉で、当時のユダヤ人が使っていた。タリタとは、「娘」、クミとは、クームという「起きる、立つ、立ち上がる」という動詞の命令形。このクーミーという言葉が、ギリシャ語に訳されたとき、クームと音写されたので、新共同訳では、クム という訳語にしてあるが、この箇所のヘブル語訳聖書、あるいは ほかの日本語訳―口語訳、新改訳、塚本訳、文語訳なども 本来のアラム語やヘブル語の発音である「クミ」と訳している。
この単純なイエスの言葉「タリタ・クミ」がなぜ、わざわざイエスの当時の発音のまま残されたのだろうか。このようにイエスの当時の語られたままの発音が残された他の例としてすぐに思いだされるのは、十字架上での最期のときの叫び、「エリ、エリ、ラマ サバクタニ」(わが神、わが神、なぜ私を捨てたのか!)がある。これは厳密には、アラム語とヘブル語の混在した形であるが、この言葉は、詩編22篇の冒頭にそのままのかたちですでに旧約聖書にみられる。詩編はしばしば預言書としての内容をも合わせもっているがこの例はそのような例の一つである。これは信仰を持ち、その信仰によって生き抜いてきた人間の最後の、最も困難な試練がいかなるものであるかを如実に表すものであり、それゆえに、主イエスもその最も苦難の極みでその叫びをあげられたのであった。
しかし、この会堂長の娘の件には、イエスの死のときの叫びほどの深刻さはない。「娘よ、起きなさい!」これは、毎日の家庭で日常的に言われるようなごく普通の言葉とみえる。
しかし、そのような何も重要性のないようなひと言がもっている重要な意味を、このときイエスと共にいたと記されている3人の弟子たちは鋭く感じ取ったのである。そしてそれはこの福音書を書いたマルコやほかの福音書の著者にも伝わっていった。
その重要性とは、何か。それは、娘よ、といわれているが実は、自分たち、さらには人間みんなに向かって言われているのであり、起き上がれ!というひと言も、万人に向けて言われている重要な意味を持っていると直感したのである。
起き上がる(立ち上がる)という日常的な言葉のなかに、人はみな、起き上がっていない状態にある、立ち上がれない弱さを深くその魂に持っているということが含まれている。
キリスト教の二千年にわたる最も大いなるはたらきをしたパウロのような人でも、「私はよいと思うことができない。したくないことをしてしまう。この死のからだをどうしたらいいのか!」と深い嘆きの言葉を発している。
パウロは家柄もよく、律法に関しても特別な教育を受けてユダヤ人の指導者でもあった。
…「わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人だ。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていた。 (使徒 22の3)
それはまさに、どんなに優れた教育を受けても、本当の意味で人間は、死のからだといった状態から立ち上がることができないことを示している。この点は、だれでも自分がいかに無差別的な愛に乏しいか、敵対する人たちに対しても彼らがよくなるように(神の愛の心をもって)祈る、ということがいかにできていないか、いかに自分中心であるかを、静かに顧みるときに誰でも実感して確認できることだろう。
そうした人間の本性の根本的な弱さ、醜さは、聖書においては最初から記されている。パウロが、自分がよいと思ったことができず、悪いことをしてしまう、というそのことは、聖書の最初の創世記に現れる最初の人間であるアダムとエバの記述に記されている。神が食べ物も十分に備えてくれたエデンの園にて生活できるのに、あえて その一つの木の実だけは食べてはいけないと言われていた木の実を食べて、楽園を追放されることになった。
そこに、パウロが言った、死のからだ、ということを思い起こさせるものがある。人間は真に正しい道、あるべき姿にはどうしてもなれない、本当に死者のような状態から起き上がることができないという現実が記されている。
この聖書の箇所では、じっさいに、少女の手を取って、イエスが「タリタ・クミ」と言うと、すぐに起き上がって歩き始めた。
主イエスこそは、このように死んだ状態、あるいは起き上がれない状態にある人間に手を取って起き上がらせて下さるお方なのだ、という真理がここには込められている。そしてそれはキリストを本当に信じた人には、だれもがこのような内的な経験を与えられていくという、預言的な行動なのであった。
弟子たちはそれをはっきりと悟り、それゆえに、このひと言の重要性をイエスの言葉のままで彼らの魂に刻まれ、それが書き留められ、さらにじっさいにこの出来事が起こって数十年後になってマルコなどの福音書が現在のかたちに書かれたときにも、そのままで保存され伝えられていったのである。
このことは、またいかに家族の愛情、人間の愛が深くても、死に勝利することは決してできない。死の力に勝利するのはただキリストに注がれた神の力のみである、ということをも指し示している。
12年間も、医者からも苦しめられ、周囲の宗教的指導者からも苦しめられてきた女性は最も愛を受けない、孤独な日々を過ごしてきた人であった。そのようなまさに失われた羊のところへとキリストの力は流れていった。
他方、会堂長の娘は、すでに述べたように父親の深い愛からみても、幼いときから家族の愛に包まれて育ったと思われる。その点で対照的な背景をもった二人の女性であった。
前者は社会的、人間的な圧迫のゆえに暗闇の生活、絶望的な日々を歩むことを強いられてきた人であるが、いかにそのような闇が深くとも、キリストはその闇を貫いてそこに光を与え、力を与える。そしてこの女もまた、うちひしがれた今までの人生から、新たに起き上がり、新しい力を与えられて歩み始めることができた。
このように社会的な、人間関係や伝統、習慣ゆえに苦しめられてきた人間も、死という最大の滅ぼす力に飲み込まれそうになった人間、その双方にうち勝つお方としてのキリストが、この短い箇所に凝縮されて記されている。
これらの記述から二千年を経た現代の私たちにおいても、こうした困難、闇の力は常に迫っている。自然の大災害、人災、そしてまた、病気や人間関係による苦しみ…等々、それらはいつの時代にも人間を苦しめてきたし現代も同様である。
しかし、いかにそれらの闇の力が強くあろうとも、そのような力にうち勝つ力がただ幼な子のように神とキリストを信じること、その万能を信じるゆえに、イエスの死が私たちの心の最も奥深い問題をも解決するということを信じるだけで、そうしたいっさいにうち勝つ力が与えられるのである。
現代の複雑な時代、さまざまの映像や印刷物が洪水のようにはんらんしているときにあって、私たちに求められているのは、この幼な子のような単純率直な心をもって主イエス、神の万能を信じることである。
そのイエスの神にひとしい力によって、万人の心に巣くう弱き、醜い心(罪)を赦し、取り除いて下さり、あらゆる闇の力にもうち勝つ力を与えられることが約束されている。
…イエスは乳飲み子たちを呼び寄せて言われた。「幼な子たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。
あなた方に真理を言う。
幼な子のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」
(ルカ18の16〜17)