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神様からの呼びかけと愛 愛媛 三好久美子(幼児教育者)
私がキリスト教を信じるようになったきっかけは、幼い頃からたくさんの心当たりありましたが、今、言えることは、「神様からの呼びかけと愛」をいただいているという実感があることが、
キリスト者として現在に至っている証しではないかと思うのです。
私は、今、不思議に幼児教育者としての仕事をしていますが、私が望んで頑張って園長をしているのではありません。
できることなら、家庭にいてのんびり過ごしたいと思う人間です。私は五人姉妹の末っ子に生まれ、その当時、上三人の姉たちは幼稚園に通ったのに、下二人は幼稚園に通っていません。両親も家族が多いので、幼稚園に行かせなくてよいと思ったのかも知れません。
ですから、末っ子で甘やかされた上に集団生活をしていなかった為、小学校へ入ったばかりの頃は、不安で寂しかった辛い経験を思い出します。その上、まもなく一年生になってはしかにかかってしまいました。そのはしかがひどくてこじらせてしまい、心臓弁膜症という病気になり一ヶ月以上入院しましたが、「このまま入院していると薬の副作用で、もう娘は死ぬのではないか」と父が判断し家庭に連れ帰ってくれました。その時の記憶は今でも鮮明に残っていますが、こども心にみんなの心配している様子などから、「もうだめなのかな」と思いました。
しかし、人生は不思議なことばかりで、今思えば神様や家族の愛で守られ回復できたと思います。又、幼稚園生活未経験に加えて、一年生の学校生活はもちろん、二年生の一学期頃まで休んでいてよく留年しなくてすんだと思います。
こんな心も身体も弱い私が少しずつ元気になり現在まで生かされ、責任のある仕事を与えられるなど、自分はもちろん誰も予測できなかったと思います。
大病をして以来、生きることの意味や、死ぬことの意味にいつも疑問を持つようになりました。この頃から、「教会に行ってみたいな」と思うようになりましたが、神様が無教会に導いて下さる為かどうかわかりませんが、高校卒業までキリスト教に出会う機会はありませんでした。
やがて、大学受験では、全て不合格という経験をし、一年間両親の食料品販売のお店を手伝いながらどうするべきか悩んでいました。結局、一年間が過ぎこれではいけないと思い、高校三年の担任であった恩師の所へ相談に行きました。すると、恩師が、「あなたは幼稚園先生になったらどうですか?」と言って下さり、今まで将来の仕事として一度も考えたことがなかったのに、すぐに「そうします。」と返事をして恩師の勧めて下さったカトリックの短大に行き、聖書に初めて出会ったわけです。
その時は、キリスト教が全く理解できず、幼児教育の授業の楽しさを満喫していました。幼稚園での楽しさ知らない私でしたが、幼稚園で学ぶことが、こんなに楽しい授業と同じなのかと、大人になって知りました。今でも、神様を通してこの職業に就ける道筋を教えて下さった恩師に感謝で一杯です。
やがて、カトリックの幼稚園で働いている時に現在のプロテスタントの幼稚園のバスの運転をしていた主人とお見合いをし、キリスト教を信じているというので、結婚を決めました。
それからは、二人が無教会信仰者になる為に神様から様々な試練を与えられ、信仰がなければ罪びとの頭であるような夫婦が神様からの慈愛によって、なんとか今日に至っています。
主人の両親が無教会信者であったこと、主人がクリスチャンになったこと、私も同じ信仰を与えられたこと、神様が私のような者に仕事を与えてくれていること、キリスト教を信じることにより、たくさんの試練があり日々祈らずにはいられないこと、など「神様からの呼びかけと愛」は数えきれません。
神様からの恵みである試練をいただいていると感じる度に、「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(Tコリント10章13節)という聖句を思い出します。
そして、讃美歌511番「みゆるしあらずば」の歌詞を噛みしめて、神様のお導きと深いご計画に感謝して過ごしたいと思っています。
これからも、神様のお導きに全てを委ね、日々犯してしまう罪を赦していただき、現在の仕事や信仰を全うできるよう、主イエス様との一対一の祈りによって、生かされたいと願う毎日です。
神様がして下さったこと 徳島 熊井 勇(はり治療)
今日は、ぼくに神様がしてくださったことをお話します。思い出せば出すほどたくさんの恵み、導きがあり、すべてをまとめてお話しするには、むつかしいので仕事を中心に神様がしてくださったことを述べたいと思います。
初めてキリスト教と出会ったのは、盲学校に隣接している児童施設に入っているときです。この施設は、5歳くらいから20歳までの子供が当時120人ほど入っていました。中学生のころくらいだと思いますが、毎週日曜の午後に牧師さんか神父さんのどちらかはわかりませんが、お話をしに来てくれていました。そこに先輩に誘われて数回参加したことを覚えています。生まれつき弱視で、最高に見えていたときでも視力表の一番大きい文字を1m離れて見える程度の、0.04という弱い視力でしたが、生活に不自由も感じていなかったせいもあって、神様を求めることなく過ぎてしまいました。
卒業して鍼(はり)の勉強会で出会った綱野悦子姉が、吉村兄を紹介してくださり、現在の信仰にいたっています。
日本では、視覚障害者といえば、あんま・マッサージ・指圧・はり・灸というようにほとんどの人がこの職業についています。ぼくの後輩でもあり吉村さんの教え子である北田康広さんのように、ピアノと歌でコンサート活動をしている人もまれにいます。
ぼくは、当然のように鍼灸の道にすすみました。この仕事しかないので仕方なくしているという人もいるようですが、考え方によっては、目の見える人たちは多くある職業から自分がすべき職業を選ぶ苦労がありますが、私たち視覚障害者は、その苦労をせずこの仕事を与えられていると思います。神様と出会ってこのように受け取ることができるようになりました。
結婚をして許可を得て県営住宅で開業していましたが、生活と仕事を兼ねることになっていましたので間取りが不便だし、家賃も上がってきたため専用の治療室を持とうと思い土地を探すことにしました。近くの不動産屋に頼むと次々にさがしてくれました。しかし、これというものがありませんでした。家内と「必要であれば与えてください」と祈っていましたので、決めることができないまま日が過ぎていくうちに、自分の思いで選ぶのでなく、次に紹介してくれる物件は、神様から与えられたものとして決めようと思っていたところ、集会の姉妹が別の人を紹介してくれました。それでその人の紹介してくれたところに決めました。そこが現在住んでいるところです。ここは、子供のときの大半を過ごした盲学校の近くであり、幼稚園から高校まである静かで、しかも車に乗れないぼくたちにとって必要なバスや鉄道も近くにあり満足できる場所でした。本当に神様が与えてくださった土地だと思いました。加えて、数年前には、隣にスーパーもでき、南に隣接する高校の校舎がなくなり日当たりが良くなりました。
ヨハネの福音書の「わたしは道であり、真理であり、命である。」という聖句から「一真堂」という名前にして、ここで鍼の治療院を開業をしました。新しい場所での開業ですから当然折込チラシを入れるところですが、引越しをして荷物を片付ける間もなく、前の場所に来てくれていた患者さんが次々と来てくれました。結局チラシを入れないまま現在に至っています。
はり治療という仕事を与えてくださった神様は、もう一つ仕事を与えてくださいました。それは、盲学校の講師です。最初は、1日だけの講師を頼まれましたが、人前で話すような器でないと思い断りました。
それなのに、今度は、教えてくださった先生や先輩で教員になっている人を通じて、何度も1年の講師を頼まれました。1日を断ったのに1年もの長期間、これこそ受けるには荷が重いと断っていました。しかし、思えば神様が盲学校の近くの場所を与えてくださったということは、これも盲学校に行くようにということと受け止めて、それだけの器があるかどうかわからなかったけれど受けることにしました。それが1年のつもりがもう8年も行っています。
、この地で、開業して21年になります。この仕事は技術職ですので、ぼくの手先が器用ではありませんから、人を癒したり、楽にする力はありません。今日まで続けてこられたのは、神様の大きな助けをいただいているためだと思っています。また、学校の講師も続けておられるのも神様が招いていてくださると思いますので、機会があれば神様と結びつくような話をするようにしています。
必要なものをいつも与えてくださり、思えば思うほど神様からの恵みや導きがたくさんあります。神様と出会っていなければ、今こうして歩んでいるぼくはなかったと思います。
キリスト・イエスに結ばれた者は
大阪 那須佳子(小学校教員)
パウロがロマ書、また書簡文において、
「キリスト・イエスに結ばれて…キリストがあなたの内におられるならば…キリストの霊に従って歩む者は…」とくりかえし表現していますが、結局はこのことが、今回のテーマ「解き放たれた者…」ということだと思っています。
私は中学校時代の国語の恩師が無教会のクリスチャンで家庭集会に誘われ、信仰に導かれました。四、五人のささやかな集会でしたがいつも厳粛な雰囲気に包まれキリストの香りに満ちていました。礼拝の度ごとに繰り返し語られていたこと、どんな講話であっても最後は必ず語られていたこと、それは「イエスをもつこと、十字架のイエスを思うこと、生活の中で慕わしい人を思うようにイエスを慕っているか、実感しているか、大切なことを後回しにして、この世の用事を優先していないか、神とこの世の両方を追おうとしていないか、…余った残りの時間を神に・・となっていないか」。「私には何も良いものはない、すべていただいた義だ。」ということでした。いつもこの問いに聖霊を受け、厳粛で真摯な信仰を注がれていました。
水野源三さんの詩と讃美に、昨年秋から冬にかけて慰められていました。
「キリストの愛に触れてみよ」
キリストの愛の尊さは
触れなければ分からないから
キリストの愛に触れてみよ
思い考えても
キリストの愛のたしかさは
触れなければ分からないから
キリストの愛に触れてみよ
涙を流して感動しても
触れなければ分からないから
キリストの愛に触れてみよ
キリストの愛に触れてみよ
キリストの愛に触れてみよ
水野さんにとって信仰は生きるか死ぬかのたたかいでした。大切なものを取り上げられて信仰なしでは生きていけないという切羽つまったもの、そこから得た救いでありこれしかないという聖なる信仰でした。私たちの信仰はどうでしょうか。これさえあれば他にはなにも要らないというほどに切実に求め思っているのか 身が引き締まるような気がします。少なくとも目標にしなければならないと思います。この世的には何の力ももたない水野さんに生きた水が流れ、聖霊が注がれ多くのものが励ましを受ける、ここに神の御業が顕れていると思います。
先の詩にあるようにどんなに考えても感動しても涙を流しても主の愛に触れなければわからない、この主の愛に触れたとき初めて憎しみや恨みや悲しみ不安が瞬時に消え去る、これが結ばれること、今回のテーマ、解き放たれた者の姿だと思います。
さて、私は小学校に勤めており、朝8時から遅いときは夜8時ごろまでどっぷりと人のうごめく世界につかっています。教育の場は尊い仕事だけれど人間中心の場、一日中子どもたちの賑わいと喧騒の中におり人の動きに右往左往し心動かされています。
そうした生活の中で祈りをもってしても良くない言葉を発したり、行動をとったり思いを持ったりします。ちょっと良いはたらきをすれば、高ぶりの心が生まれ、うまくいかないと喪失感や空しさまで感じることもあります。自分という人間が根強くあり自分で何とかしようという傲慢が深く心に巣くっています。
自分の罪にさいなまれてしまいます。そうした毎日必ず帰り道に寄るところがあります。バイクを停めて家の近くの川べりにたちしばらく祈ります。川の水の静かな流れの音、四季それぞれの野の花、草花が風に揺られ、高く広がった夕暮れの空を眺め…動かないものの世界に心を馳せます。暗くなれば夜空を見上げ、星々を見上げます。
ことに一月、二月、冬の身を切るような寒い夜空の星を見上げるときが好きです。こうした自然を創られた方に思いをはせるこの時間がなくてならぬ時です。
「イエス様すみません。今日もあなたをうらぎるような思いをもち行為をしてしまいました。ゆるしてください。こんなわたしのために罪をゆるしてくださったんですね。十字架にかかってくださったんですね。」と祈ります。見えるものに心を動かされていた中で、瞬時に、イエス様さえもてばそれでいいと立ち戻されます。
すべての不安は自分から出ていることに気づき、また明日はすべてをゆだねてみようと心が平安に満ちていく瞬間です。キリストに結ばれた実感、解き放たれた実感をもつ、このうえとない大切な時間です。
一方、子どもたちと接する時、教材を考えるとき、聖書はどう言っているのだろうか、イエスは何を語ろうとされているのだろうか、伝えようとしているのだろうかと、示されたいと祈ります。
この聖霊の注ぎがあったからこそ続けてこられたのだろうと思います。
さて、東日本の未曾有(みぞう)の大災害、今も尚苦しみの中にいる人々のことがいつも心の中にあります。多くのもの(家族、家、仕事、生活、大切な命、愛する人…)が一瞬にして失われてしまいました。そして尚続く原発の緊張感。
豊かな生活を追い続けてきた私たちの罪への罰を代わりに担ってくれたようにも思います。失われた多くの命がどうか天において引き上げられ神様のもとに抱かれますようにと祈る毎日です。このことを通して神様は何を知らされようとしたのか、示されようとしたのか。
神の御手がふりおろされた時は、私たちが大切にしていると思っているものは一瞬にして取り去られてしまうことがあるという事実です。目に見える大切だと思っているものは、一瞬にして消えてしまうものでもあること崩れ去るものでもあること、「砂上の楼閣」のようなものでもあるということです。このことは東日本の方たちだけのことではなく私たちのことなのです。
主は言われた。
「行け、この民に言うがよい よく聞け、しかし理解するな よく見よ、しかし悟るな、と。この民の心をかたくなにし耳を鈍く、目を暗くせよ。目で見ることなく、耳で聴くことなく その心で理解することなく 悔い改めていやされることのないために。」
わたしは言った。「主よ、いつまでしょうか。」主は答えられた。「町々が崩れ去って、住む者もなく家々には人影もなく大地が荒廃して崩れ去るときまで。」イザヤ書6の9〜11
では私たちの本当の救い、平安はどこにあるのでしょうか。
この二、三年、ヘブライ書の学びをしてきましたが、いつも心を惹きつけてやまないみ言葉があります。
「信仰によってアブラハムは…受け継ぐことになる土地に出ていくようにと召し出され、行き先も知らずに出発した。」 へブル11の8
「信仰によってモーセは、はかない罪の楽しみにふけるよりも神の民と共に虐待される方を選び、キリストのゆえに受けるあざけりを、エジプトの財宝よりまさる富と考えた。」11の25
「信仰によって他の人たちは更にまさったよみがえりに達するために釈放を拒み、拷問にかけられた。…世は彼らにふさわしくなかったのです。」11の33
この彼らの信仰に魂がふるえるような感動を覚えます。私たちは知らないところ、いまだ踏み出す勇気のもてないところに行けと言われていけるでしょうか。すべてを捨てられるでしょうか。拷問にかけられても捨てない信仰をもちえているでしょうか。
私たちは何かを捨てなければならない、この世のことも信仰もどちらもよいものとして受けようとしている。必要な時だけ神様を中心に置いていないか、都合よくイエス様に祈っていないか、主イエスだけを仰ぎ見る生活、なかなかこのようにできない。
だからイエス様が神の子として現れ、人として生きられ、こともあろうに最も低いところに降りられ、十字架にかかってくださった。このイエス様をどれだけ実感できるか、生活の中で愛に触れることができるか…。「生きるとはキリスト」というパウロのことばを思い起こします。見返りを求めず、キリストに捧げつくして働いている方々がおられる、そうした証人を私たちは知っている。このような信仰を神様はみておられてかろうじて私たちに恵みをもたらせてくださっているように思うことがあります。
少なくとも今思うこと、大切にしたいと思っていることは、
1、 礼拝を守ること。2、毎日聖書を読むこと。3、祈ること。です。
今日のこの会場の真ん中にイエス様がおられる、そのように神様を中心にすえる生活となりますように、どのようなことがあっても神様は最善の道を用意されると信じていきたいと祈ります。