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イエスが来て真ん中に立ち、
「あなた方に平安があるように」と言われた。
(ヨハネ20の19)
不安にうち勝つ力
福島原発による放射能のため、200キロほども離れた千葉県柏市などで高い放射能レベルを観測した。住民の不安は高まり、とくに幼児がいる家庭では、食事、遊びなどに日々心を配らねばならないようになっている。
こうした不安は、政府とか学者の一部がいくら安全だと言っても信頼できないゆえに、消えることがない。
不安―平安でいられないということのなかにある方々は今後も増大し続けるであろう。放射能は消すことができないし、自然ゆたかな山野にかえって放射能が高い。家でいるとき、道路を通学などで歩くとき、戸外での活動、何をとってもこの不安がつきまとう。
そして遠くに避難しても不安は消えない。こんどは、避難した親族や地域との関わり、あるいは避難先での費用がかさむこと、仕事などでの新たな悩み…等々、どこまでいっても心からの安心を持つことが難しい。
そうした不安になるのが当然の状況にあっても、なお安心を与えるものは、政府発表や科学者のコメント、あるいは測定器の精度といったものでもない。
真の平安―不安克服の道は、そうした人間からでなく、神から来る。
きびしい迫害を受けている時代にあって、キリスト者たちは、つぎの主イエスの言葉によって支えられていた。
…あなた方はこの世では苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私は世に勝利しているのだから。(ヨハネ16の33)
この主イエスの言葉は、「この世で生きるかぎり、決して苦難そのものをなくすることができない。しかし、そうした苦難にうち勝つ力が与えられる」ということなのである。主イエスがいっさいの悪しき力に勝利されているのなら、そのイエスに結びつく者もまた、この世にうち勝つ力を与えられるということである。言い換えると、不安にうち勝つ力が与えられる。
さまざまの困難に直面し、人生の岐路に立っている方々も多数おられる。
そうしていかにすべきか判断に迷い、苦しんでいる方もおられるだろう。
そうしたすべての方々が、たとえ現状を変えられなくとも、自分の魂の世界に、そうした現状に負けないでうち勝つ道を知ることがとても重要なことになる。
そのような力を与えられてはじめて、直面する困難に冷静に、しかも希望をもって対することができる。
このことは、原発や災害の苦しみに遭っていない人たちの苦しみにある人たちにもあてはまる。
今、どのように平和な生活を送っている人であっても必ず襲ってくる不安、それは老年になり、死が近づいてくるときの不安である。そして死そのものは決して変えることはできない。
けれども、こうした死への不安、それ以前の病気やその他の問題への不安にうち勝つ道もまた主イエスによって与えられる。
「私の平安をあなた方に残していく」(ヨハネ14の27)
この言葉は真実であり、生きて働く主ご自身から私たちは平和を与えられることを信じ、また祈り願いつつ歩みたい。