詩と讃美歌について
およそ、世界の数千年の歴史において、最も深遠な、そして広大な視野をたたえた詩は、旧約聖書のイザヤ書に含まれた詩と詩篇であるといえよう。それは神が直接的に作らせたと言えるからこそ、神の言葉としての聖書に収められているのである。
私は、歴史を超えて伝わってきた詩歌(日本の和歌、俳句なども含め)こそは、人間の精神世界のエッセンスが表現されていると感じてきたので、40年以上前から古代中国のさまざまの詩集―詩経国風、文選、唐の詩、ギリシャのホメロス、さらにダンテ、ゲーテ、シェークスピア、ワーズワース、テニソン、ホイットマン、日本の万葉集や古今集、新古今集、さらに芭蕉などの俳句、そして現代の日本の宮沢賢治や石川啄木、北原白秋等々…そうしたものを買い求めて、少しずつではあるが折々に触れてきた。とくにダンテの神曲には時間をかけて学んできた。
私が実際に触れたのは、そうした世界の詩のうちのごく一部であり、理解するところも一部にすぎないが、それらから伝わって来る世界と、イザヤ書に含まれる詩、そして詩篇の内容とくらべるならば、その内容の真実性、高さ、壮大さや深遠さというのは、比較にならないと感じざるを得ない。
そして、私たちが苦しみや悲しみにあるときに励まし、語りかけてくれること、そこに秘められた大いなる希望、未来への確たる預言、数千年を経ても変ることのない永遠的真理をたたえていること、それゆえに世界のあらゆる人々に浸透していった等々は、ほかの詩集には見られない。
聖書以外の詩は、天才的と称される詩人たちのものであっても、常に人間を感じる。ある種の狭さ、低さ、限界がある。
しかし、聖書の詩にはつねに神を感じさせるものがあり、無限の奥行きと深さをたたえている。
それは、芸術家の作品と、神ご自身の作品たる、大自然の山々の連なりや大海原の波濤や繊細な野草の美しさなどとくらべるときと似たものがある。いかに、天才画家の絵画や音楽がよいといっても、大空全体にくりひろげられる夕焼けや星空、高い山々において接する広大で、厳しく力に満ちていて、かつかぎりなく清い景観、渓谷の純粋さ、海の壮大な広がりや大波や大風の生み出す重々しい音楽は、人間のつくった絵画や造形物とは到底比較にならない。
その内容の高さという点で、ほかの詩と比べて群を抜いていると感じるのはダンテの詩(神曲)であるけれども、それでも、ダンテの詩にしばしば見られる、現代の人間とは関係のない多くの地名や人名、当時の歴史的出来事や宇宙に関する古い記述などが違和感をもたらし、私たちの精神との距離を感じさせることも多い。
詩篇とイザヤ書は、私たちのキリスト集会でも多くの時間をかけて学んできた。日曜日の主日礼拝と各地の家庭集会の双方において、これらの書の学びは繰り返しなされ、この20年ほどをとっても、とくに詩篇は絶えずどこかの家庭集会で学ばれてきた。そしてずっと以前には感じなかった奥ゆきの深さ、内容の広さを感じ取るようになった。
詩篇はもともと祈りであり、神にうながされた感動であり、賛美であった。それが重要であるからメロディーが付けられて歌となった。それは神が背後にあって書かせたと考えられるゆえに霊的であり、時間や場所を超えて伝わっていく風のような本質を持っている。
現代では、通用しない地名、また、敵を滅ぼしてください、といった新約聖書から見ると違和感のある表現もいろいろある。しかし、そうした言葉も新約聖書の精神に照らし、具体的な敵でなく、霊的なもの、サタンを滅ぼしてください、という祈りを指し示すものとして受け取るときに、よりいっそう詩篇を生きたものとして受け取ることができるようになる。
詩と歌とは深く結びついている。詩の内容がよいからそれにメロディーを添えて繰り返しその言葉を心に保とうとする、それが歌である。
メロディーが最初にあってそれに適切な言葉を配するということももちろん見られる。それは、例えばルターの作った讃美歌は、しばしば当時の民衆が歌いついできた民謡をもとにして、そこに聖書の言葉を配したものもあった。
しかし、メロディーを残したいというのでなく、神の言葉、あるいは神から啓示された確信を伝えたい、共有したいがゆえに、それを適切にあらわすメロディーを探し求めた、それは自分に示されたメロディーもあれば、古くから伝わってきたメロディー、誰かが作った場合もある。いずれにしても、まず神の言葉が讃美歌の中心にある。
キリスト教音楽の最高峰とも言われる、バッハのマタイ受難曲を貫く旋律とも言えるのが、讃美歌「血しおしたたる」(136番)(*)として収められている曲である。
この曲は、キリストの受難を象徴的に浮かびあがらせ、私たちの魂に迫ってくるものであるが、作曲者はバッハでなく、彼より百年余り前の作曲家 ハンス・レオ・ハスラー(**)のものであり、しかもそれはキリスト教曲でなく、一般のひとが歌うこの世の歌であった。
しかし、そのメロディーをキリストの受難という深い内容を表すように編曲して、彼の大作マタイ受難曲のテーマ音楽のように取り入れた。(***)
(*)1、血潮したたる主のみかしら とげに刺されし主のみかしら 悩みと恥にやつれし主の 痛ましきさまだれのためぞ。
2、主の苦しみは わがためなり われこそ罪に 死すべきなり。 かかるわが身に 代わりましし
主の憐れみは いととうとし。
(**)1562〜1612年 ドイツの作曲家。一般向けの音楽以外に、詩篇とキリスト教聖歌集なども多く作曲。
(***)讃美歌136番で訳されている内容以外にも、次のような箇所にもバッハはこのメロディーを取り入れている。
・erkennen mich mein Huter.
Mein Hirte,nimm mich an !
Von dir Quwell aller Guter.
Ist mir viel Gut's getan. …
(訳文「私を覚えて下さい。わが守りてよ。わが牧者(キリスト)よ、私を受けいれて下さい!すべての良きことの源であるあなたによって、私は多くの良きものを受けたのです。…」これは、マタイ受難曲のはじめの部分にある「オリーブ山にて」に含まれるコラール。次のは、この少し後に続くもの。)
・Ich will hier bei dir
stehn;
Verachte mich nicht!
Von dir will ich nicht gehen,
Wenn dir dein Herze bricht.…
(私はここにてあなたの元に留まります。私を退けないで下さい。あなたのもとから私は去ることはしません。あなたの心が傷つき壊れるとき。…)これは、イエスがまもなく捕らえられ弟子たちはみな逃げていくことを予告したときの場面で歌われる。
どんなことがあってもイエスのもとで留まりますと決意を述べた弟子たちの気持ちが表されている。 そして、十字架にかけられてしまうイエスのもとにも留まり続け、イエスの死のからだをも腕を広げて受け取りたい…というマグダラのマリアなどの女性たちの思いもこれに続く部分に込められているコラールである。
それは、バッハがまずキリストの受難ということ、それに関する神の言葉(福音書に記されている)に惹きつけられ、それを浮かびあがらせ、人々の魂に刻み込むためのメロディーを求めた結果、自分自身が作曲もできたはずであるが、すでに別の讃美歌にも取り入れられていたこのハスラーの曲こそが、ふさわしいと確信したゆえであっただろう。
そして、実際に彼の直感は正しく、今日に至るまでマタイ受難曲と言えば、そのメロディーを思いだすほどであるし、讃美歌としても定着している。
神の言葉、あるいはそれに準じる言葉、さらに神の言葉によって動かされて作られた詩は、その適切な表現をメロディーに求める。それが一致したときには、ずっと人々の心に残っていく。
こうした無数の讃美歌、聖歌を生み出す根源は、神の言葉である。そして詩篇こそはその無数の讃美歌、聖歌の中心にあり、それが歌われて受け継がれていった。そしてその詩篇が、ルターやカルヴァンにも大きな影響を与えて、彼らの讃美歌重視の姿勢につながった。
ルターの代表的な讃美歌の一つ、「深き悩みより」(讃美歌258、讃美歌21の160)は、彼の作詞、作曲になるものであるが、これは詩篇130篇の内容を讃美歌としたものである。
また、プロテスタントのキリスト教讃美歌の代表的なものの一つとされる、「神はわが砦」(讃美歌21の377 讃美歌267)は、詩篇46篇をもとにしたものであって、彼の讃美歌が詩篇にうながされて作られたものだということがわかる。
そして、彼がキリスト教賛美において新たな道を開いてから、たくさんの讃美歌が生まれるようになり、キリスト教音楽が花開き、バッハのようなプロテスタント・キリスト教の大作曲家が生まれることにつながったのである。
もう一人の宗教改革の大いなる人物であるカルヴァンもまた、詩篇を重んじそれから讃美歌を作ることに力を注ぎ、協力者を得て、詩篇全体150篇に曲を付けて歌えるようにしたのである。
讃美歌21には、詩篇歌が60曲ほど収録されているが、これもみ言葉そのものを歌うことの重要性を主張したカルヴァンの影響によると言えよう。
カルヴァンはメロディーの美しさに惹かれて、肝心の神の言葉の真理を歌うということが二義的になることを戒めたが、キリスト教信仰における賛美の重要性、神の言葉を歌うことの深い意義をとらえていたという点では、ルターと共通したものがあった。
このように、宗教改革の代表的人物に賛美の重要性を知るため霊感を与えたのが詩篇という神の言葉であり、そのエネルギーの大きさがうかがえる。
こうした讃美歌の重要性は、現代に至るまで、ずっと続いている。
例えば、水野源三という詩人(1937〜1984年)は、全身が動かず、言葉も出せず、数十年も寝たきりという特別な境遇であったが、そこから生まれた神への信仰による詩は人々の心を動かし、それに曲が付けられて歌われるようになった。
詩集として書かれただけでは、広く伝わらなかったものが、適切なメロディーが付されて歌われるようになって詩がさらに翼を持ち、遠くへとまた詩だけでは心にそれほど入らなかった人たちの魂にも入っていくようになったということがある。
例えば、最近の来信には、次のように書かれている。
…水野源三さんの詩集は2冊ほど持っており、彼の境遇の厳しい中に主が御手をのべられ、救いにあずかった魂の感謝の表現を読んでおりましたが、歌として今回耳にして、改めて心を揺さぶられる思いで拝聴しました。
声で伝わってくる讃美の響きは、文字から伝わるものを超える力があると感じました。
ガリラヤ湖畔の山辺にひびいた主イエス・キリストの御声に、即、神の国に招かれた人々の感謝の応答のように、水野源三さんの声も讃美となってささげられたものと思いおります。(関東地方在住の方)
文字からだけでは伝わらないものを、メロディーが翼に乗せて運ぶからである。
しかし、他方では、一種のメロディーといえるものだけでも、神の言葉を含んでいることもある。それが自然の中で生み出されるメロディー、すなわち、小鳥のさえずり、谷川のせせらぎや滝など大水の音、風の音、海の波音等々である。
それらは、主イエスが野の花を見よ、といわれ、そこに神の深い配慮、ご意志を読みとられたように、自然の音やその姿そのものからも私たちは神の言葉を聞き取ることができる。
それは言葉にならない言葉―パウロは第三の天に引き上げられて語ってはならない言葉を聞いたというが、自然は、私たちが主に結びついているときには、いっそう言葉に表現できない平安や美しさ、あるいは清さや力を語りかけてくることがある。
詩篇の作者のなかには、宇宙に響く神の声を聞き取ったあとが記されている。
…この日は言葉をかの日につたえ、この夜は知識をかの夜につげる。
話すことなく、語ることなく、その声も聞えないのに、
その響きは全地にあまねく、その言葉は世界のはてにまで及ぶ。(詩篇19より)
詩篇の最後は、ハレルヤ!という壮大な呼びかけで満ちている。(特に146篇〜150篇)
ハレルヤとは、ヤ(ヤハウェの省略形)をハーレル(賛美せよ)ということで、神を信じる人々への呼びかけであるが、あらゆるこの世の混乱や闇、苦難や悲しみが満ちているこの世にあるにもかかわらず、このような世界全体に向けられた神への賛美の呼びかけは、世界のあらゆる詩集にも見られないものとなっている。
ここに聖書の詩と歌の独自性がある。悲しみや闇のただなかにあっても、なお、このように神に感謝し、たたえることのできる世界があることを指し示しているのである。
これは、また聖書全体の最後の書である黙示録にも、ローマ帝国の迫害というサタンの手が真実に生きようとするものたちを踏みつけ、のみこんでしまおうとする中にあって、天上で無数の清められた人たちの賛美が響く状況が示されているのも、共通したメッセージを私たちに与えている。(黙示録5章)
内村鑑三も詩と賛美の重要性を深く知っていた一人であった。
…人は彼の信じる真理と確信を感情に現わそうとする。
美とは真理が 感情に現はれたものであつて感情に包まれて真理は始めて具体的となる。
「歌は魂の声である」という。完全な歌は歌詞(ことば)と音楽とからできている。
歌詞(ことば)だけでは歌にならず、また音楽のみでも歌にならない。
「感ぜられたる真理」、これが歌である。
ゆえに歌とは浅はかなものではない。歌は哲理よりも深いものである。哲理の大部分は頭脳だけでも考えることはできるが、真理が歌となって現れるまでには全心全体の賛同を得なければならない。
歌は実に真理の粋(すい)(*)である。
始めに科学あり次に哲理あり、最後に詩歌があるのである。
ゆえに未来の天国においては、真理はみな歌であるといふのは単に大声をあげて歌をうたうということでなく、理想の国においては真理はすでに思索をめぐらすという状態を超えて、詩歌といふ真理の本質(エッセンス)のみがあるということである。
それゆえに、歌のないところには理想はない。科学ばかりでは歌は出ない。歌とならない哲学は偽りの哲学である。
(*)粋(すい)→ すぐれたもの
国民の歌う歌によってその文明の程度はよくわかる。
その国民は、理想の民であるか、あるいは、悪しき欲望を持つ民であるか。これは国家の軍艦、軍隊、貴族や博士、豪商などを見ては分らない。その国民の常に歌う歌がその道徳の指標である。
ああ、我が日本国よ、汝はいかなる歌を歌ひつつあるか。
歌は国民理想の表示である。それと同時に、歌は国民に理想を提供するものである。
この世において、そうした理想ほどに波及していくものはない。哲学者が大部の書を著はして百年かかつてもなすことの出来ない事を詩人は一篇の歌を作つて一瞬になすことができる。…
「私に一つの小さな歌を作らしめよ、そうすれば、私は全国民を動かそう」とは欧米人のことわざである。
実に 国民の理想を表はす一つの小さき歌を作る者は、その国の大恩人であつて、大軍人や大政治家に勝る力を持つ者である。 (「内村鑑三全集」第10巻394頁
1902年11月)
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新約聖書によく知られている言葉、「いつも喜べ、絶えず祈れ、どんなことにも感謝せよ」(Tテサロニケ5の16)これは、私たちの魂がどのような方向を目指すべきか、私たちの目標はどのようなところにあるかを指し示す言葉である。
そして、この言葉が示すのは、詩篇の最後に、ハレルヤ! ―主を賛美せよ―という詩が多く配置されていることと同じ意味を持っている。
現実のこの世がいかに困難であろうとも、主によって、主の力、聖なる霊によってこのようなところへと導かれていきたいと願うものである。