野の花
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この世の状況は、さまざまの先の見えない困難が横たわっている。そして私たち一人一人の現実も、深い苦しみ、悲しみ、重荷を感じつつ歩んでおられる方々も多い。
自分には、何も悩みも苦しいこともない、幸せだ、と言っている人も、そのうちにまったく予期しなかった困難が降りかかるといったことはいくらでもある。
そのような状況は、すでに聖書にはその巻頭の言葉、「闇と混沌に満ちていた」で預言的に記されている。
それはまた現状だけでなく、過去を振り返ってもすぐにわかることは、長い人間の歴史はつねに、そうした闇―貧困、差別、災害、病気や事故、憎しみ、孤独、人間同士の個人的な争いから部族や国家同士の大規模な戦争、…等々、つねに闇と混沌―空虚と荒廃はあった。
それは、外なる世界だけでなく、それぞれの人間の心の中にそうした闇がたちこめている。
そしてこれからも、社会状況を深く知れば知るほど、そうした状況が撤廃さるということが予測できないのが見えてくるであろう。
しかし、それらすべてを見抜いたうえで、そこに「義の太陽」が昇るという聖書のメッセージが、旧約聖書の最後の部分に記されている。そこでは、どこまでも続くと思われている悪の力が最終的に滅ぼされることが記され、それに加えて次の希望に満ちた約束が記されている
…しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには、義の太陽が昇る。(マラキ書3の20)
ほかにどのようなものがこのような希望と確信に満ちた言葉を持っているだろうか。
神の名を敬うとは、神ご自身の力とすべてを見抜き、愛と正義を行なわれる神を信じて敬うということである。ただ信じるだけで救われるという後の新約聖書で中心となるメッセージがすでにここにある。
神からの聖なる霊を注がれ、私たちもこの闇迫る現状において、つねに「義の太陽」が昇りつつあるのを仰ぎ見て進ませていただきたいと願うものである。(YT.Y)
N.S
十五節
まことに、イスラエルの聖なる方
わが主なる神は、こう言われた。
「お前たちは、立ち帰って
静かにしているならば救われる。
安らかに信頼していることにこそ力がある」と。
しかし、お前たちはそれを望まなかった。
十八節
それゆえ、主は恵みを与えようとして
あなたたちを待ち
それゆえ、主は憐みを与えようとして
立ち上がられる。
まことに、主は正義の神。
なんと幸いなことか、すべて主を待ち望む人は。
聖書の御言葉は本当に生きて働いてくださることを信じます。私も心が沈む時、自分ではどうにもできないことが起きた時、この御言葉によって度々救われました。これからも一日一日を無限の愛の主に縋って生きさせていただきたいと思います。主の御名をほめたたえ賛美します。
徳島市
N.M
かねてから一度訪問したいと思っていた北の大地・北海道に立つことができた。今回の滞在は、計5日間、内4日間をせたな町、1日重なり2日間を札幌市で過ごした。
私と関聡様は、独立伝道会会員の野中正孝兄が経営する「野中牧場」に4日間お世話になった。せたなの町は日本海に接し、海岸線からなだらかな丘陵地帯が広がる「海と丘の町」である。酪農が盛んなせたなの丘は牧草に覆われ、緑のジュータンが敷かれたようであった。滞在中、天候は快晴とまでは言えないものの、時折太陽がのぞく中、海から流れる風が丘を駆け上がり、牧草は太陽の光を受け、気持ちよさそうに優しく輝きながら揺れていた。
そんな中、私は早速「野中牧場」周辺の道を散歩した。放牧された牛を見つけ、そっと近づけば、私の気配を感じた数頭の牛が振り向いた。それに反応した牛達は草を食べるのを中断し、次々に頭を上げてのお出迎えとなった。イエスが若かりし頃過ごされたナザレの村も、きっと、今、私の目の前に広がる緑豊かなせたなの丘に似ていたであろうと想像しながら、「緑も深き 若葉の里 ナザレの村よ 汝がちまたを‥‥」(新聖歌98)を自己流のメロディーで自由気ままに歌いながら足を進めた。ひょっとして弟子を引き連れたイエスにお目に掛かるのでは‥‥と、さらに想像が膨らみ、散歩の時間を楽しく過ごすことができた。
集会は、多くが家族単位で参加。子供も含まれた名簿には60名の名前が記されてあった。このような家族単位の参加の形、参加者数の多さは、瀬棚聖書集会の特徴である。また、酪農家ならではの、1日3回牛舎に帰って牛に餌を与える世話は、待ったなしの最優先の作業であり、集会の日程に間に合わない人もいた。私も牛舎に入り、間近に野中正孝兄や3男・正道兄の世話を拝見し、また二人の作業をまねして餌を運んだり、背中をなでたりしていたので、牛の世話の大切さが私なりに理解できた。生活を営む中で聖書集会に参加することも瀬棚の特徴である。
3日目の夜、感話会が持たれた。ある若い姉妹が、今回のテーマ「赦し」について吉村孝雄氏の講話をお聞きし、自身の最近の言動を振り返って所感を語ってくれた。姉妹の身近な人に対する一言が、どんなに罪深かったか、その過ちを感じ、自身を責め続ける赤裸々な言葉が会場全体に響き、多くの兄弟姉妹の心を揺すった。姉妹の話をお聞きし、私自身、慢性化した隣人への配慮のない態度に気づかされた。姉妹の純粋な清い心がまぶしくてならなかった。豊かで広大な自然環境が、姉妹の心を優しく、また、感性豊かに育むのだろう。これも瀬棚の特徴であるように思う。
最後の2日間、札幌の地で過ごした。数年前から徳島市で開催の四国集会、千葉県市川市で開催の全国集会でお目にかかった大塚ご夫妻にお会いしたく参加させてもらった。交流会会場には、いくつもの花瓶が置かれてあり、その数の多さ、会場の華やいだ雰囲気に驚いた。高齢の方が多く見受けられたが、皆さんが協力し合い他集会の人を丁寧に迎えられる心からの“おもてなし”に、深く感動した。落ち着いた品のある集会に久しぶりに参加でき、はじめてお目にかかる兄弟姉妹との語らいも自然と深まり、天国を目指すキリスト者の神への深い信頼を心地良く感じることができた。参加前は5日目の最終日は、きっと疲れが出るだろうと心配した。しかし実際は、疲れを感じるどころか、兄弟姉妹との新たな交流に参加できた喜びに感謝が溢れた。
北の大地・北海道の自然と人の心は、共に清く広く美しかった。縮こまっていた私の心身は、いつの間にか伸びやかになった。いつかまた訪れたい、そう思いながら機内の小さな窓を覗き込み、後方へと流れていく風景がいとおしく、いつまでも眺め続け大地との別れを惜しんだ。
皆さんも、是非一度、瀬棚、札幌の地を訪ねてください。きっと青年のように新鮮な感覚が蘇り、多くの感動に出会える、このことを自信を持ってお勧めします。 (静岡県清水市)
N.N
朝、戸を開けると、
庭一面湿っている。
草木の葉は内側から
水を滲ませているようだ。
朝露だ!雨上がりではない。
「光の露」だ!(イザヤ26・19)
昨日まで靄がかかっていたわたしの目。
露は、主の光。光はわたしの目を開かせてくれた。
主は生きておられる。
今日も励もう、主に守られ。
「夜は夜もすがら泣き悲しんでも
朝と共に喜びが来る。」(詩篇30・6)
その一
「神様の話を聞きたい」と友がいう。
聖書・いのちの水誌、マザー・テレサ、渡辺和子、河野進、レーナ・マリヤ、等々の書物から、友は、神の言葉を聴いた。
真直ぐに神の言葉を聴いた。
真直ぐな心に神が入った。
「苦しみは神の訓練だった」「神は一番良いことをしてくださっている」
感謝です。感謝です、と祈る友。
自分を悩ませ苦しめてきた人のために祈るようになった友。
「人はパンだけで生きるのではなく、神の言葉で生きる」
聖書は読めないが、祈りで神の声を聴く友。
信仰は、学問・豊富な知識から得られない。求める者に聖霊を無償で分け隔てなく与えられる神。これは確実な真理。
「神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、
力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。
------だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。
(Ⅰコリ1・27~29)
その二
「あなたの信仰があなたを救った。」
長年心身の病を負っている友の慰められているみ言葉という。
「味わい、見よ、主の恵み深さを。
いかに幸いなことか、御みもとに見を寄せる人は。」
(詩篇34・9)
三度目の手術後に与えれたみ言葉という。
「身体は主に守られ平安にあってありがたいです。癌治療は毎月行います。御霊の導きありますので心配ないです」
神様と共に歩んでいる友。神様に絶対信頼を置いている友。
「彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、毛を切る者の前に黙っている羊のように口を開かなかった。(イザヤ53・7)
この一年、常に祈りの中にある二人の友から、学ぶこと多く、励まされてきました。
八王子市
N.T
主は人の一歩一歩を定め
御旨にかなう道を備えてくださる。no-2015-a.html#綱野さんとイスラエルに行ってきました へのリンク
吉野川市
N.Y
礼拝に参加する、ということの背景には自分の思いと神様の御意志とがあって、自分は礼拝に集うことを許されている、呼ばれてこの場にいる、という自覚が必要だということを先日学びました。また、ある方の感話の中から、礼拝に行って最初に祈ることが大切なのは、自分は自分の都合だけで行っているのではなく呼ばれたものの責務、仕事をするという意味で大切なのだと、新たに気づかされました。 オーストラリア
N.H
今年五月、歌手の森 祐理さんの企画で「イスラエル歌の旅」といういツアーに集会のE.Tさんと参加する事ができました。
「イスラエルに行く」と周囲の人に言うと、紛争があり危険なのでよした方が良いとたいていの人に心配されました。今まで長年イスラエルツアーを企画してきた旅行会社の責任者から「皆さんイスラエルはテロ等で危険であると思っていますが、観光地では、紛争など見ようと思っても見ることができない程安全です」と説明があり、私達二人は安心して出発しました。 パレスチナ自治区内にある主イエスの生誕地ナザレでは国境の検閲所には制服姿の兵士が数人いましたが、検閲を受ける事もなく用意していたパスポートの提示も求められず、バスで無事通過する事ができました。ツアーの中で一番危険なパレスチナ自治区だけは、さすが皆が緊張しましたが、それ以外は他の旅行と変わらず聖書にゆかりのあるスポットに気持ちを集中して回る事ができました。
ガイドの女性は日本人でイスラエル人と結婚し四〇年間イスラエルに住んでいる方でした。周りに日本人は居ないという事でしたが、夫と一緒にプライベートであちこち行くと、イスラエル人は日本人を一種の憧れで見ており日本人と言うだけで大切にされているとの事でした。現地の小学生や中学生の団体に道で2、3回会いましたが、日本人だと分かると満面の笑みで皆が挨拶してくれました。ガイド曰く、「あんな風に子供達も日本が大好きなのです。憧れの眼差しでしょう。」との事、この友好関係がずっと壊れず続きますようにと願いました。
今年で六回目という森 祐理さんのイスラエル企画、視覚障害者が参加したのは初めてとの事で、すぐに皆と慣れて途中から積極的に一つのルート丸々手引きを引き受けて下さったり、プチ誘導やプチ介助をしてくださり交流の輪が生まれました。森 祐理さんの企画は祐理さんの信仰に裏打ちされた明るく細やかな心使いがあり、誰一人取り残されたり寂しい思いをしないように配慮が行き届いていました。ガイドやチャプレンを含めスタッフ5名がそれぞれにキリスト者としてお世話下さり、心身の養いを受ける事ができました。
この毎年のツアーには、「今年で6回目(それって全部じゃない)」だとか、「3回目」だとか複数回参加している人が多くびっくりしました。一度参加したら、やみつきになり、もっとイスラエルの事を知りたい、一度ではとても分からない歴史的な事や,み言葉との関連を知りたいという思いが起こり聖書を理解する上で何度でも参加したくなるとの事でした。私も同じように次ぎの機会にはまた参加したいと思いました。
けれども、帰ってきて一ヶ月後位から急に中東情勢が怪しくなり、エルサレムでも空襲警報が鳴り人々が避難する様子等がニュースでも流れるようになり、とても危険で近づけない場所になっている事を思うと私達が参加できたのが奇蹟のような尊い時間だったと気がつきました。
そのイスラエルでは、心に残る体験がありました。
私はよく眠れる体質なのですが、時々不眠に陥る事があり、今回の旅行でも不眠になったら心身の消耗が激しいので、なるべく快適に過ごしたいという思いで内科で眠剤を出して貰って行きました。
普段は眠剤等は飲みませんが、その夜は夜中の3時が来ても眠くならないので、せっかく持ってきた眠剤を飲んでみようと思い立ち、飲みました。それから朝の6時半までぐっすり眠れたように思ったのですが、起きてみると、吐き気と頭痛でとても活動できる状態でない事が分かりました。「困った、今日は行程の中では一番強行なスケジュールで坂道等を相当距離歩く場所だと説明されていたのに」と、服薬した事を後悔しました。
綱野さんが私の苦しい様子を見て、「祈ろう」と言ってくれました。祈って朝食を欠席する電話を責任者にして出発まで部屋で寝ていました。出発の時間が来たので、とりあえず集合場所に行くと、何かザワザワ。何と、今日行く予定の場所が昨夜大雨が降り、洪水で通行止めになったとの事。四〇年、現地に住んでいるガイドさんも乾期にこんな雨が降った事は一度も無いとびっくり。ヘリコプターが出て、水難者を救出させているとの情報も入った。中止になったお陰で、ホテルで急遽森 祐理コンサートが開かれ、私は後部座席で横になり毛布をかけてもらい、ツアー客の医師が優しく診て下さいました。「薬がここでは効きすぎるので 薬が残っているだけなので心配ないから」と言って下さり、気分が悪い中すぐ眠りに陥ってしまいました。通行止めが解除されたという事で目が覚めると、症状が消え元気になっていました。みんなで、良かったとバスに乗り、その日の行程を何事も無かったように元気に回る事ができました。その水害のマサダという場所を通る時、「わじ」と言う普段は水が全く流れていない川に多量の水が流れていたので、普段の現地を知るガイドさんは、昨夜の雨がいかに珍しいかを説明してくださいました。
先日10月末のスカイプ集会でイザヤ書27章を学びました。一九節の「光の露」という説明を吉村 孝雄さんがして下さいました。「パレスチナなどの乾燥地帯では4月から10月までは全く雨が降らない。昼と夜との温度差が激しいので空気が冷やされると水蒸気は気体でいられなくなり水滴となり滴り落ちる。この露が作物を育てる重要な水分である。私たちの心にも、光の水滴がどこからともなく降りてきて魂に注がれる。」と。
「露」がどれ程のものか、エルサレムのホテルで泊まった朝経験しました。エルサレムは乾燥地でお天気は雨の心配などない快晴。2晩も同じホテルなので初めて洗濯をしようと、綱野さんが衣類の洗濯をし、室内と中庭に続く屋根付きのデッキに分けて干しました。中庭は芝生で、大きな木が繁っていて 空には星座が輝いていました。隣りの部屋から星の好きなご夫妻が出てきて星の説明をして下さいました。日本では屋根付きベランダ等に洗濯物を干すと、日中のお天気で乾いて朝まで干しても大丈夫です。ところが、綱野さんの洗濯物は室内のは乾いていましたが、屋根の下でお天気に二日間も干していたのに、干した時よりずぶ濡れで、水滴がしたたり落ちます。デッキは乾いており、どうみても雨が降っていないのに、洗濯物はびしょびしょです。芝生と木は濡れていました。綱野さんと考えてもこの水がどこから来たのか解りませんでした。今回、露の事を学んだ時、あれはイスラエルの「露」であったのが分かり謎が解けました。「この水どこから来たんで」の二人の疑問に見事に答えてくださり、どこからともなく降りてくる水のように「光の露」が心に注がれる事も分かりました。
イスラエルでは、溢れる恵みをいただきました。死海、ガリラヤ湖、ピーターズフィッシュや聖書にまつわる各教会、バスの中での証し等書ききれません。このような体験をさせて下さった神様に感謝です。
吉野川
N.K
この夏、「アンクルトムの小屋」を再読した。ずいぶん前に読んだが今回もう一度読んで改めて多くの示唆、力と励ましを受けた。トムが幾多の差別と困難の中で最後に到達した信仰の境地に深く感慨を覚えた。
いよいよむち打たれこの世の命を奪われようとしている時、彼はどのように思ったか・・・。
「茨の冠をかぶり、身を打たれ、血を流している人のお姿が目の前に現れた。彼の魂は目覚めた。」
「『苦悩に打ち勝つ者は、わが玉座われとともに座す。われ勝利を得たるとき、わが父の玉座に父とともに座すがごとく・・・』(黙示録3-21)のみ言葉が浮かんだ。」
「魂の奥底で、彼はこの世のあらゆる望みを絶ち、わが意志を無限の神へひたすらにいけにえとして捧げた。トムは、静かに輝く永遠の星を見上げた。・・・夜の静寂が讃美歌の勝利をたたえることばで鳴り響いた。それはトムがもっと幸せな日々によく歌った讃美だった。しかしそれを今のような気持ちで歌ったことはただの一度もなかった。」
「地は雪のごとくとけ、太陽の輝きは消えん。
されど、われを、この世に呼び給いし
神は、永遠にわがものなるべし。…」
星のきらめく漆黒の夜の静寂、しかし光り輝く深遠な情景が目に浮かんでくる。「今のような気持ちで歌ったことはなかった。」の言葉でわたしは愕然とした。
一体この希望は何なのだろうか。
私は本を読み進めているとき、人の感情としては、幸せだった前の主人のもとにトムを返してほしいと思いながら読んでいた。これだけ苦しんだのだから… それが願いを聞き入れられる神の義だと思いたかった。しかし神の意志はそうではなかった。主イエス様はそれ以上の永遠の国を彼に与えられた。
それはトムの心に生まれた「讃美を今のような気持ちで歌ったことは一度もなかった。」という言葉からもわかる。
「トムにとって、この世での自分の悲しみは過ぎ去ってしまったかのようで、神から与えられた安息と歓喜のふしぎな宝庫から、他の仲間たちの苦しみを救うために、なにかをわかち与えたい気持ちだった。」
「全能の神、永遠の愛を信じる彼の強い信仰は、今踏みしめて歩く地面よりももっと固かった。」「トムの心は永遠の岩にしっかりとつかまっていた。」「おら、心からみんなを許すだ」
トムにはいつも深い祈りと他者への祝福だけを思う心があった。ガラテヤ人への手紙の講話の中で主の平安を勝ち得たとき、究極的な魂の静けさを与えられるというお話しが芭蕉の句(静けさや岩にしみ入る蝉の声)を引用された。
心の中から一切の煩いが無くなった時、主が入ってこられる。トムはまさにそうした主の平安と喜びを勝ち得ていたのだ。神はどんな時代でも絶望した者の魂を慰め,傷ついた者に本当の自由を与えてくださる。
「・・・・かわいそうな奴だなどと、呼ばねえでくだせえまし!これまではそうでしたが、今はすっかりそうでなくなりましただよ。おらは、栄光の戸口にいますだよ。ああ、ジョージぼっちゃま!ほら天国が来ました。おらは勝利を得ましただぞ!―イエス様がおらに下さっただ!主の御名に栄光あれ!」
私はここにいたって信仰とは何という人の想像を超えたところの深いものか…と驚愕した。
この間、私は近畿集会の今年のテーマ「神を神として生きる」がずっと心にあった。そういう時、トムのこの信仰が深く心に焼き付けられた。ヨブもそうであったように、苦しみがすべて神のご意志だと受け止め信じられたとき、魂は平安に満たされるに違いないのだと思った。本当に主の御心を知り、平安を勝ち得たとき、この世的な価値の逆転がある。これまでの多くの殉教者たちもそうだった。
私たちはとことん「自分」があるから苦しむ。こうありたいという人としての願望があるから苦しむ。トムにとっては、もはやすべてをとられたこと、体の痛みさえ苦しみではなかった。
「幸いなるかな、悲しみを知る者、彼らは慰めらるればなり。」マタイ五・4
私たちはトムのように神様だけを仰ぎ見、信じられる信仰をなかなか持つことはできない。しかしトムのように永遠の愛を信じ、天国を待ち望む信仰こそ本物だと、信じ願うことはできる。そのことに感謝して日々を祈り歩みたいと思う。
高槻市
N.Y
北海道の瀬棚町は、日本海の奥尻島の対岸にある、海と丘に囲まれた美しい町です。丘に立って海を眺めると、大きな綺麗な崖が見えて、風力発電の風車が立っており、さわやかな風が吹いています。その町に五〇年前、独立学園出身の生出さんや西川さんが入植され、牧場を始められました。そして野中正孝さんのお母さんが、孫の代以降まで信仰を継承させたいという強い願いをもって、瀬棚聖書集会が始まりました。今回7~8家族くらいの方々が中心に集まり、現在は30後半~40代のお孫さんの代の方々が中心に会を運営されています。その方々の小中学生等のお子さん方も参加され、本当に野中さんのお母さんの祈りの通り、人間の力を超えて神様によってこの地区の信仰生活が継承されていることを、目の当たりにすることができました。普段は子供さんのために土曜学校もされているそうで、また、月1回は集まって、徳島集会の録音を聞きながら家庭集会を持ったり、利別教会で役員をしながら礼拝を守っておられる方もいます。私は9年ほど前に瀬棚聖書集会に一度参加しましたが、その時はまだクリスチャンでなかった方もいらっしゃいましたが、今回は皆さんがクリスチャンになられ、それもお一人お一人が熱心に信仰を持っておられる姿に感動しました。吉村さんがこの集会に心をこめて長年伝道されて来られたことを思いました。独立伝道会から参加されていた西澤さんや関さんも、このような集会は珍しいと言われ、厳しい自然の中で数世代に渡って生活しながら信仰を守っておられる姿にとても感動されていました。私と桜井さんは、野中信成さん麗さんご夫妻のお宅でお世話になりました。牧場を経営されている大変お忙しい中、ご家族の皆様が暖かく歓迎してくださり、交流させていただくことができて嬉しかったです。耳の聞こえない桜井さんが参加されたことで、皆さんが自分の名前を手話で覚えたり、手話讃美を覚えたりされ、より交流を深めることができました。他県から参加された菊池さんや島崎さん、小野寺さんなど、皆さんがそれぞれの事情にぴったりとあった家庭にファームステイさせていただいたと知り、人間の思いを超えた神様の采配は素晴らしいと感動しました。瀬棚聖書集会でのテーマは「赦し」で、この集会に参加していた間も、帰って来てからも「赦し」というテーマが、私の心の中にずっとあります。吉村さんのお話から、「人間はみな間違ったところがある者だから、関わりの中で必ず赦し、赦されなれないといけないことも起こる。けれど、人は赦されることがないと人を赦せない。聖書には求めるものには必ず与えられるという約束がある。人が赦せないのは本気で赦す力を神様に求めていないからである。」ということがとても心に残りました。そのことを帰ってからもずっと考えていると、自分が様々な人に赦されてきたことを思うことができるようになりました。そして、赦すためには、神様や人に赦されていることを知らなければいけないということが、分かってきました。
札幌での集会も、参加者のお一人お一人が本当に優しく迎えて下さり、「実際に会う前から集会の冊子や録音で知っていた」と言っていただき感動しました。北海道は九州と四国を合わせたよりまだ大きく、こうして北海道の様々な場所から集まって来られる機会は少ないようです。札幌集会の方々は会場のホテルの食堂で毎週礼拝を持っておられますが、釧路や旭川といった所では参加者が高齢化したり、講話をする人がおられなくなったりして、集会が持ちにくくなり、各家族で礼拝を守っておられる所もあります。参加されている方たちは皆、本当に表情がやわらかで優しく、感話などでも苦しむ人のことを思っては涙を流す方もおられて、そのお心に感動しました。瀬棚でも、札幌でも、クリスチャンの交流は本当にいいなぁと思わされました。どうしてこんなにクリスチャンの交流がいいのか考えると、やはり、一人一人が人間としてのお互いを直接見るのではなく、間に神様を置いて、自分と神様との関係をしっかり持っているからではないかと思いました。私も手話がほとんどできないにも関わらず、桜井さんに赦していただきながら旅を終えることができました。素晴らしい体験をすることができ、お祈りをしてくださった集会の皆様にも、心から感謝です。ありがとうございました。
徳島県吉野川市 (ケアマネジャー)
F.F
東日本大震災、原発事故による放射能汚染による多くの被災者問題、広島土石流大災害、御嶽山大噴火の災害、多くの困難な病苦に苦しんでいる方々など、どうして、このような苦難があるのか、これに対して主を信じる私どもは、このことは神様の大きなご計画のもとにあり、私どもは、ただ信じることで神様の救いを得るようになる。このことを内村鑑三著書、一日一生。十月三十一日の全文を紹介します。
神は、わたしたちを怒りにあわせるように定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによって救いを得るように定められたのである。キリストがわたしたちのために死なれたのは、さめていても眠っていても、わたしたちが主と共に生きるためである。 (テサロニケ第一書五章九~一O節)
キリストはわれらの義であり、聖であり、贖(あがない)である。わが道徳であり、宗教あり、救いである。キリストにありて、神に対してわがなすべきことはすべてなされたのである。われらはわが不義のこのまま、キリストを信じて、神の義(ただ)しき者として、彼の前に立つことができるのである。われはわが汚(けが)れのこのまま、キリストを信じて、神の聖き者として彼の前に立つことができるのである。われはいまだ救われたる者にあらずといえども、キリストを信じて、すでに救われたる者として神に取りあつかわるるものである。完全なる救いは神より出でて、信仰によりてわがものとなるのである。これユダヤ人にはつまずくもの、ギリシャ人には愚かなるものである。されども召されたる者には最大の真理、最高の哲学である。
どのような苦難にも主イエス‘キリストを信じて歩んでいきたいと思います。
吉野川市
F.S
今秋も徳島の吉村孝雄氏が遠路お出でくださり、上よりの大きな力を頂きました。マルコ5章の「ヤイロの娘とイエスの服に触れる女」をもとに、「信仰による救い」の主題でのお話でした。特に心に触れたこと、考えたことを記して感謝します。
先生は、会堂長ヤイロがイエスの「足もとに」「ひれ伏して」―“必死になって”瀕死の娘の回復を懇願している姿を、まず思い浮かべることが一番大事だと言われました。地位・立場を忘れ、人目もはばからずイエスに迫っているその心情、いやその信仰の姿を。長血の病とその事による差別に苦しんできた女性が、イエスのことを聞きつけ、触れると汚れると見なしていた人々の中に紛れ込み、「この方の服にでも触れればいやしていただける」と信じて為した姿・信仰も、同様です。二人のその姿に、私たちはまず「驚かねばならない」と教わりました。他人はいざ知らず、自分は驚いているだろうか、今も。反省させられました。
ところで、二人のひたすらな信仰とは、どんな信仰だったのでしょうか。それはヤイロの場合で言うと、「イエスが手を置いただけで、死の力から回復できるんだ、イエスは死を越えた力を持っているんだ」という信仰でした。イエスはヤイロの家へ向かう途中で、彼の娘がすでに死んだと告げられた時、ヤイロに対し「恐れるな、ただ信じなさい」と励まされました。ヤイロは、イエスの力で「死んでも生きる」ことを信じたのだとしか考えられません。女性の場合も「この方しか絶望から救ってくださる方はいない。この方にはその力がある」というイエスへの全面的信頼の信仰でした。「あなたの信仰があなたを救った」とイエスが言われたその信仰とはこの信仰だと教えられました。
「タリタ、クム(タリタ、クミ)」―「娘よ、起きなさい」が何故わざわざ原語で残されているかということも教えてくださいました。イエスさまの十字架上での「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ」と同様、聞いていた人々に強い深い印象を与えたからに外ならないと。それと同時に、この言葉は今の私たち一人一人に向けられている言葉だと教えられました。衝撃的でした。どういうことだろうと思っていると、先生は、私たちがエペソ書2章1節や4,5節の「罪のために死んでいたが、愛なる神がキリストと共に生かしてくださった」存在であることを引用して、「あなた、死んでいないで生きなさい」と言われているのだと解説されました。胸に深く刻まれました。私は「目を覚ましていなさい」と言われても眠ってしまう存在ですが、その底に罪の問題が潜んでいることを感じました。しかし、絶えず神様の側から門をたたかれているんだなあとも思わされました。
後半は、このようなイエスの力・神の力を絶対信頼する信仰は、旧新約聖書を一貫して流れてきており、その源はアブラハムの信仰であるとパウロは説いていると指摘されました。パウロの「信仰による義」の基になっている所、それは創世記十五章の「あなたの子孫はこのようになる」との神の言葉を、人間的にはあきらめていた彼が文字通り素直に信じた―それを神が義とされた所だと。
パウロはロマ書四章十七節その他で「死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じた」と述べ、アブラハムが無から有を生み出す神を信じて、それが彼の義と認められたのだ、行いによってではないと熱く語っています。更に24、25節で「…わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と認められる」「イエスは、わたしたちの罪のために死んで、わたしたちが義とされるために復活された」と、はっきりとイエスの復活を信じることが、アブラハム同様神に義とされる道だと締めくくっています。イエスの十字架によるあがないを信じても、彼の復活を信じなければ空しいと、改めて教えられました。
先生は最後に、今日の私たちはこのような全能の神を信じることが困難な時代であるが、それだからこそそれを信じて歩むことが問われていると結ばれました。主の熱い愛を感じました。
時代がどのように推移しても神の全能を信じ、イエスの十字架、復活、再臨を信じ従っていくことができますように。
(鹿児島県霧島市)
F.M
「主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。」
エフェソの信徒への手紙六章一○節
お祈りありがとうございます。お陰様で大分元気になって感謝しております。
皆々様のお祈り感謝で一杯です。
日々神様の偉大な力に、依り頼んで希望をもって歩んでいきたいと思います。
吉野川市
F.H
私には若い友人がいます。年齢は40歳、統合失調症の病気を持っています。友人の娘でありますが、なんやら、かんやらで、友人の一人として、付き合っています。
ももちゃんと付き合うようになって、自分の優越性、頑固さ、エゴが浮き彫りに、なっています。初めは意気込み、要求されたことは、無理をしてやって来ましたが、そのうちどんどんしんどくなって、そんなこと親がすればいい(お母さんは亡くなりお父さんは再婚)そんなこんなでした。ももちゃんにしんどくなっているのではなく、自分に向き合ってしんどくなっていることに気付きました。連絡が途絶えると、入院しているのではと、気になったり、機嫌よくやっている時は、音信不通であったり、病気の特徴を学び、何を意気込んでいたのかと、自分でおかしくなり肩の力が抜けてきました。それでも出来ることはしたいという自分の思いは、大切にしたいです。やれることには、限界があります。NOとハッキリと言う。こうして押したり突いたり、バトルになったり、そんな関係が続いています。
昨年の10月に、39歳のももちゃんが、脳血栓で倒れました。2日後ヘルパーさんに発見され、長い手術をしましたが、左半身に麻痺が残りました。今はリハビリテーションの施設に入所しています。感情にムラがあるのでリハビリは順調にいきませんが、彼女のメール攻勢にあっていますが、対応にも慣れて楽しくやっています。彼女の現実の大きさに打ちのめされますが、人が生かせれること。共に歩むとは。自分の生き方。などなど多くのことに気付かされ日々です。90Kgの人懐っこく、明るい彼女の顔を見ると、「おっとっと」ながら、お互いに生かされている事を思い神さまに感謝です。 兵庫
M.K
神は愛なり
M.D
自分が悲しみに塞ぎこむ時、自分の罪の深さに悩むとき、神様の存在に疑問を抱く時、その時こそ神様が自分にもたらした大きな業を思い出そう。あなたは悲しむが、息をし、嘆くが、その涙を拭く手ぬぐいを持っている。悩んで見上げる夜空には星が輝き、一人で眠る時の屋根を与え、悩むが世界は続いており、今日も明日も全ては存在し、全てが動いている。われわれは、なぜ自分の足りないものばかりを見て、自分に与えられているものを見ないのか?
「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」(ヨブ記一・21)私がいる、それは、「わたしは主によって創られ、生きるために必要な全てのものが与えられ、日々の生活が支えられ、日々生かされている」ということである。そして、わたしが悲しむときは、「主が与えてくださったものを主が取られる」ときなのである。その取られたものの悲しみが多ければ多いほど、主の与えてくださった恵みは大きかったのである。しかし、それは主が取られて初めて主によって気付かされたことである。
主は「与える神様」であられる。主は、より大いなるものを我々に与えるために、今我々の持っているものを取られるのである。主は創ったゆえに、支え、運び、そして救われる。自分の悲しみと自分の足りないものに嘆くのではなく、主によって与えられた全てのことに感謝しよう。そして、その悲しみをも感謝出来るように…。信仰とは、自分のすべてを振り絞って神様を信じることではなく、全知全能の愛の神様にすべての信頼を置くことである。
神様は、我々が願い求めるものを与えられる。しかし、しばしばそれは我々が思い描いていたものとはまったく同じではない。だが、主の与えてくださるものは我々の求めていたものを十二分に満足させるものであり、確実にそれ以上のものである。ある人は言った、「もし、あなたが全世界を変えたいのであれば、まず自分自身の世界観を変えなければならない。」自分を見ず、常に神様を見よ!そうすれば世界は変わる!主こそわが力。アーメン。
(香川県高松市)
M.M
関根義夫先生からの「パラクレートス」十月に『大いなる沈黙へ』のドキュメンタリーの事が乗っていた。 (少し略して記す)
「風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が起こった。しかし火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた。」(列王記上十九・11~12)
このドキュメンタリーの最初と最後に掲げられてこの映画の思想的、あるいはもっと深く信仰的な基礎としてこの列王記の言葉があるということなのだ。と、「大風や、地震や火の中に主はおられず、それらが去った後に、『静かな、やさしいさざめき』があった、とこの「静かな、やさしいさざめき」(と画面で訳されていたと。)こそ、主なる神の顕現を証する言葉なのだ。
フランスアルプス山脈に建つグランド・シャトルーズ修道院の修道士たちは、毎日を祈りに捧げ、一生を清貧に生きる、自給自足、藁のベッドとストーブのある小さな房で毎日を過ごし、小さなブリキの箱が唯一の持ちもの、会話は日曜の昼食後、散歩の時間にだけ許され、俗世間から完全に隔絶された孤独のなか、何世紀にもわたって変わらない決められた生活を送る―一〇八四年に設立されて以来内部が明らかにされたことはなかった。構想から二十一年の歳月を費やして制作され、日本では九年の歳月を経て公開されたという異色のドキュメンタリーである。これを不思議なように「写真と解釈・感想」の小冊子も娘が置いて行ってくれたのだ。何も云わず。
× × ×
現代の社会は、文明利器があふれ、騒音が満ち、物質が有り余る。こんな中で神様の『静かにささやく声。さざめき。』など拝聴出来る訳がないのだ。修道士には到底及ばなくとも、物質文明より隔離され、内面的に向上させられるせめて沈黙の世界へ少しでも入れて頂いて、『自分の魂の一番深い所にある聖なる所で啓示される、父なる神様のみ声を聞かせて頂ける。』歩みをおそまき乍ら、単純に私なりに教えられ、日々イエス様の足跡にならい、十字架を見上げて、残る少ない年月を導いて頂き度く祈るのみです。
長野県
M.Y
夏の雲サタンに慣れし街の音
母近くなり遠くなる秋の枇杷
友夢にくれしセロフアンの虹色
秋の朝花弁の開くやうにくる
賛美せば天国遥か連なれり
扉に光溜めて主は朝に満ちぬ
理由てふわびしきものや柿たわわ
風吹かば内側にある秋のくずれる
運命を愛して草のやはらかき
裸木や命は銀に磨がれたり
異形なるえのころ草に愛のあり
もし真理ならずともよしイエスやさし
底の底なを底欲す愁思一つ
ただ祈らん悲しみ高き梢になる
わが罪を掘る真昼の陽に焙られつ
野茨も洗はれてゆくや呻きつつ
神の国鳥の澄み渡る声は
冬の雲聖霊のぶあつきぬくもり
長かり憂鬱すらも愛なりき
木へゆかん夕暮れ匂ひたちくれば
欠けたればこそ憐れまれ草息
野へ続くやうな夕日や詩へ潜る
神様と秋日浴びたり鳥になって
人知れず冠は十字架やまぼうし
悲の種を特権にして立ち葵
偽りを置くべからず初夏聖し
孤独なる種の白さや月皓々
かく生きむありのままにて百合白き
闇あらば光のあらん潜りゆく
夜優し光の器となるあした
秋といる電気も点けず神といる
虫の音に浸されつするけふの祈り
神の前偽れぬこの安堵かな
神と見る夢無垢ならむブルースター
(東京都)
あなたは「死ぬのが楽しみ」ですか?
それとも「怖い」ですか?
M.K
「死ぬのが楽しみ」と言っているのは、阪神エクレシアのTさんです。彼は病気や高齢で死が迫っている方ではありません。主日礼拝で言われたことです。聖書講話の後、一人一人の感話の時にTさんが「自分は死ぬのが楽しみや」と言いました。
決して早く死にたい、と言う事ではありません。Tさんはまだ50歳を過ぎたぐらいで、仕事、スポーツ、音楽、農園、と多くの趣味を持ち、お孫さんに囲まれた充実した生活をされています。私はこれを聞いた時「負けた」と一瞬感じました。一廻り年上の私にも、これほどの信仰がありません。「負けた」「負けた」。
他方、「死ぬのが怖い」と言っているのは、ある医大生です。朝日新聞be紙の5月頃「悩みのるつぼ」に投稿があり、評論家が回答していました。医大生は「いつか自分の体が骨となり意識もなくなると想像すると、恐怖で叫び出したくなるほどです」とありました。医大生は死ぬ時の肉体的な苦痛が怖い、と言っているのではなく、この世で自分の存在が無くなることへ、恐怖を感じているようです。
それに対する評論家の回答は、「死が怖い」のはあなたの個性の一部です。「個性」なんだから治そうとか、乗り越えようとしてもムダ。宗教や哲学も、たぶん助けにならないと思います、とありました。
残念ながら日本では、知識人の評論家でさえキリスト教については、まったくと言っていいほど知られていません。多分、聖書は読んでいるかもしれませんが、知識や教養あるいは道徳の一つになっているに過ぎないのでしょう。
死が怖いのは決して「個性」なんかではありません。多かれ少なかれ、誰しも不安な気持ちがあるのではないでしょうか。その不安を取り除いて下さったのがイエス様です。キリスト教は、罪のないイエス様が十字架に架けられた、と言う事は誰でも知っています。その後、三日後に霊の体で復活され、私達キリスト者はイエス様を信じるだけで罪が赦され、イエス様は今も生きて聖霊となって私達と共にいて下さる。
キリスト者はこの世のご用が終わるとイエス様の御側に移され、私達信者もイエス様と同じ霊の体と神の国での永遠の命を約束されている事。やはり、ここまで知らされ信じるには、その人に上からの啓示がなければ、経験や教養、学問をいくら積んでも、このことは解らないのだと思いました。
自分の力で勝ち取る事が出来るものではない。本当にありがたい。私は家族にも友人にも、周りに誰もキリスト者がいないのに、神様がこの私を選んで下さったのである。
黙示録の二十一章3、4節に「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人が神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐい取って下さる。もはや、死も無く、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」とあり。死は決して終わりではない、もっと素晴らしい第二の人生の始まりである。不思議と怖くありません。
キリスト教が他の宗教と違うのは、罪の赦しとここではないでしょうか? 私は、キリスト教は一般に言われるような宗教だ、と思っていません。この世で人間が生きるべき本来の姿が示されているのではないでしょうか。この世は旅をするようなものである、本当の家をイエス様は用意して下さっている。ただ、この主イエスを見つめて生きていきたいと思います。
(兵庫県)
M.K
ふと、主人の机にある読みかけの本に目が止まりました。内容を読み進めていくと、疑問に思っていたことが分かりやすく書かれてあり、心に残りましたので少し紹介させていただきます。
「この世的幸福は、人を信仰から離す重大なる力である。苦しい時には人は自然神を求め神に頼る。しかるに一旦幸福に見舞わるる時は、心は自然神を離れて自己の中に安住する。人間の魂にとりて最も危険なのは、その幸福無事の時である。われらに時々大きい不幸が見舞って来、しかも往往にして不幸は連続的に襲い来てわれらを苦しめるのは、実はわれらの魂を救わんがための神の愛の警鐘である。」
「艱難が多く襲って来たら、神は自分をいよいよ深く愛し給う証拠である。故に感謝しなければならぬ。艱難が少なく平穏無事であったら、神が御手を放してわれらを試み給う証拠である。故に警戒しなければならぬ。
艱難の中にあって聖書を読む時、聖書が一言一言われらの心にひびき何ものかをわれらに与える。艱難は最良の註解書であり、神の言の解釈者である。」
「*何故人間は死ぬのがいやなのか。恐らくそれは永遠の火の池に投げ入れられることの予感であろう。*神はかかる予感を人間に与えて、人間を警戒し、永遠の死を免れる途を求めさせようとするのであろう。*何故に肉親の死は逝くものにも残る者にもつらいのであろうか。これは神が、それらの者に永遠に偕におることができる世界を求めさせようとする愛の御言葉であろう。*永遠の生命を与えられた者にとっては、自分の肉体の死は自己の滅亡ではなく霊の体への復活の前提である。本質的の苦痛と悲しみはこの永遠の希望によって打ち勝たれてしまう。*肉親との死別のつらさは純真な自然の感情であるが、これはただそのまま「人情」と称して当然のことと思ってしまってはならない。この苦痛はわれらすべての人間を「死もなく、かなしみも、さけびも、苦痛もなき」(黙示録21・4)国に遂いこもうとする神の愛の鞭である。*神は人間にかかる苦痛を与え、これに耐え難く感ずるところの本能を与え給うた。これは神の愛の計画である。もし、この苦痛がないならば、人間は決して神の国を求めないだろう。この意味で人間は、すべての人間に死別の悲哀を与え給うた神の愛を空しくしてはならない。*それ故にイエス・キリストに救われ神の子とされた者の間には、死は全く恐るべきことでも悲しむべきことでもない。これは勝利への門出であり、永遠の栄光への飛躍である。ただ人間の肉体に固有している本能的苦痛と悲哀とがキリスト者にもなおその余力を残しているだけのことである。」
ああ、そうなんだ。と思うことばかりでした。この世で不幸や艱難や悲しみがあるのは、神様が自分を深く愛して下さっているからであり、感謝すべきことなんだ。この世的幸福は、自分の魂に一番危険であるんだと書かれていて、本当にそうだと納得してしまいました。つらい時、悲しい時でないと神様から離れてしまう自分があり、それを神様はよくご存じだから私に艱難を下さっていると思うと、艱難が有難くなりました。
また、神様を信じていても死んだら、永遠の火の池に投げ入れられるかもしれないと言う心配を自分も含めて家族がしていたので、死ぬまで信じる力をいただきたいと思いました。そして、最終的に「イエス・キリストに救われ神の子とされた者の間には、死は恐るべきことでも悲しむべきことでもない。」と言うことは、なんと心強い、信頼できる言葉ではないでしょうか。
今、与えて下さっている悲しみを心から感謝して、日々イエス・キリストを仰ぎ、祈ることができたらと願うばかりです。
(愛媛県)
Y.T
「こんなことを言って、今わたしは人に取り入ろうとしているのでしょうか。それとも、神に取り入ろうとしているのでしょうか。あるいは、何とかして人の気に入ろうとあくせくしているのでしょうか。もし、今なお人の気に入ろうとしているなら、わたしはキリストの僕ではありません。」
(ガラテヤ書一・10)
人生で大切な岐路に立ち、決定せねばならぬ時、私はいつもこの御言葉に支えられ、祈って歩ませていただいて来ました。それはⅡコリント五章に書かれているイエス様の愛を受けている感謝からであります。
「すなわち、一人の方がすべての人のために死んで下さった以上、すべての人も死んだことになります。その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活して下さった方のために生きることなのです。」 (Ⅱコリント五・15)
この世には多くの苦難、苦しみがあります。神様からの語りかけに耳をかたむけようとせず、自分中心に物事を判断し、損得の関係ですべても決定して行く人間の罪の姿がみられることも多くあります。ヒルティは「眠られぬ夜のために」の中で、「これは何もそう悪いことではない。世間一般の慣わしであり、だからこれ位のことをしたからと言って善い人間でなくなるわけではない。と言って自分を言いくるめるのです。」と言っています。
神の前に罪のない人は一人もありません。それを知り、神のみ言葉に従って歩んでいても思いがけぬ闇にとり囲まれる事もありますし、又、人間の弱さの故にヒルティの言う如く、悪に入り込む人もあります。しかしナオミやルツの信仰は、神が神である故に従ったのであって、この世の繁栄に左右されるものではありませんでした。
ナオミは飢饉をさけて夫と二人の息子を連れ、ユダからモアブに移りすみました。その地で十年、ナオミは夫と二人の息子を失うのです。ナオミは二人の嫁に里に帰るよう勧めます。その言葉にもナオミの信仰と愛が満ちています。
しかしルツはナオミと行動を共にすることを誓い、共にベツレヘムへ戻ります。その時 ルツは、「わたしはあなたの行かれる所に行き、お泊りになる所に泊まります。あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神。あなたの亡くなる所でわたしも死に、そこに葬られたいのです。」と答えるのです。
ベツレヘムに着きナオミは町の人々に「どうかナオミ(快い)などと呼ばないでマラ(苦い)と呼んで下さい。全能者がわたしをひどい目に遭わせたのです。!」と言うほど辛い状態でした。しかしルツはナオミと共に生活し、そしてナオミの信じるイスラエルの神は真の神であるとの信仰に導かれてゆくのです。
そして、その系図は、後にイエス・キリストの生誕へとつながっていきます。宮武先生は「神が神であるから信じるのです。これがルツの信仰であり、この為にナオミの生活と生涯が用いられているのです。そこに見るのは一方的な神の憐みであり恵みなのです。」と書いておられます。
そして「ルツの日常生活の基調は、自分が置かれた生活の場で義務を忠実に果たし続けてゆくものなのだ 」と。この現実のただ中で、ルツの神の御計画はルツを通して、そして私たちを通してすら実現されてゆくのです。又、ルツの信仰の決断は日常生活の中で実を結びます。その根底に生ける神に対する信仰がある故に、意味深い営みとして全力を注いで悔いのないものとして受けとめられているのです。(註1)
私は 今、身近に、神を信じ真心をこめて人に仕え、マイナスをも黙って引き受けて生きて来た人が、人生の不条理に遭っているのを見、心を痛め、祈ってきました。
今年の第十四回近畿地区無教会キリスト集会で吉村孝雄様がM・L,・キング牧師の言葉“We shall overcome someday.”を力強く述べて下さり、心から感動しました。神の義と愛は、必ず成ることを心から信じ、希望を強くしました。
様々なことがこの世にはあります。
最近、「み赦しあらずば」(讃美歌511番)の歌詞をよく思います。
…み恵み受くべき身にしあらねども
ただ御名のために救いたまえ(3節)
イエスきみよ このままに
我をこのままに救いたまえ
み業を世になす力ある者と
我が身も心もならせ給え。(4節)
闇の多いこの世の中を、ナオミやルツの如く、神を信じ、真実をもって生き抜きたい。神に祈り、主の助けをいただいて、と切に思わされ祈る日々です。
今、苦しんでいる方々に、また、病の方に、前途に輝く神の愛と希望をお伝えしたく、筆をとりました。皆様の上に神のご祝福と平安を心よりお祈り申し上げます。いつもお祈りを感謝いたします。
註1 宮村武夫著「愛の業としての説教」ルツの神より。
高槻市
Y.T
私たちは、誰でも清い心を持ちたいとその程度はあれ、願っているだろう。
主イエスは、「ああ幸いだ。心の清い者は。その人たちは神を見る」と言われた。(マタイ福音書5の8)
神を見るとは、たんに風景を見るように見るというのでなく、神は霊であり、それゆえに神を見るとは、神と直接的な深い霊的交流が与えられること、生ける神の実感であり、そのみ声が聞き取れるほどになることを指し示している。
どのようにしたらその心の清さを与えられるのか、それはこの言葉の少し前にある言葉、
「ああ幸いだ、心の貧しき者は! 神の国はその人たちのものである。」(同右5の3)
といわれていることと深く関わっている。
心貧しいとは、聖書においては、人間が自分の心の汚れ―愛や真実、あるいは正義への勇気などが存在しないことを深く知った状態である。それが、福音書において、本当の幸いとは何であるかを語る最初に置かれているのは、その重要性からである。そのような心は、別の聖書の箇所では、砕かれた心、とも記されている。
しかし、そのような心だけでは幸いでない。主イエスが言われたのは、そこから主を幼な子のように仰ぐことによって、神の国(主が持っておられる豊かな励ましや力、平安…等々)が与えられるからである。神が持っておられる最もよきものがそこに注がれるからである。
そのような神からの賜物によって私たちは心が清められる。 自己嫌悪、あるいは憎しみや傲慢、妬みやさまざまの欲望といった汚れた感情が洗い流される。その賜物を受けなかったら、そうした汚れが普通の状態となってしまう。
そして、この人間世界には、人間のさまざまのよくない言葉で満たされているように、神の国には、神の言葉で満ちているとも言えよう。
主イエスが、「わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である」(ヨハネ6の63)と言われたように、神の言葉は霊であるゆえ、霊的な国である神の国には霊なる神の言葉で満ちているのである。それは、愛であり、清きもの、力そのもので満ちている。
私たちは神を信じて歩むときには、日々、そうした神の言葉のしずくともいうべきものを受けることが与えられている。それが私たちを清める。
…わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。(ヨハネ 15の3)
人間の言葉―単なる娯楽、映像や印刷物にはんらんする売り上げや視聴率を上げるための饒舌、ドラマなどで反乱している偽りや本能的な欲望や悪しき感情等のからまった言葉…それらは私たちを清めることはない。
そこから離れて、神の言葉、生けるキリストの言葉、あるいはその神の創造された自然のたたずまい―等々こそが私たちを清める。
言葉は心から出る。神のお心は最も清いのであり、そのお心から出される神の言葉は最も清いものだからである。一人一人の祈りのなかで、また聖書に親しむことにより、礼拝や家庭集会などで共同での祈りにより、そして身近な神の言葉の現れとも言える「自然」の世界によって私たちはたえず神の言葉に触れ、清めを受け、はじめに書いた意味での「神を見る」日々へと導かれていきたいと思う。 (徳島県)
Y.M
最近のことです。以前に頂いた年賀状のファイルをめくっていたら、その中に、わたしが中学3年生の時、担任だった宮沢望先生の2001年の年賀状がありました。
その年賀状の最初に、先生の自筆で「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。(旧約聖書イザヤ2・4)」と聖書の御言葉がコピーで記されています。その次に、やはり手書きのコピーで記された文面がこう書かれています。
「一九四七年に、日本国憲法の草案を初めて読んだとき、いちばん心を打たれたのは、前文と戦争放棄を宣言した第9条でした。そのときの感動は、今も消えていません。しばらく経って、この不戦の思想が、何と紀元前8世紀の南王国ユダの預言者イザヤのことばに源があることを知りました。このことによって、草案を見たときの感動は、いよいよ私の心にしっかりと根づきました。七十四歳と六か月の今も、生きつづけています。
キリスト紀元2001年の一月 宮沢 望 」
宮沢先生はわたしが中学卒業後も年賀状を送って下さっていましたし、私も毎年、先生が天に召された2010年まで年賀状をお送りしていました。けれども2001年の年賀状に、日本国憲法の前文や第九条は旧約聖書イザヤ書がバックボーンになっていたというのは、初めて知ったことで、年賀状を頂いたとき自分がどう思ったのか、全然記憶がありません。うかつでした。しかし、遅ればせながら、この発見は、今の自分にとってとても嬉しく、勇気を与えられる事実です。
昨今の安倍内閣は、詩編第2篇にある「なにゆえ、国々は騒ぎ立ち、人々はむなしく声をあげるのか。なにゆえ、地上の王は構え、支配者は結束して主に逆らい、主の油注がれた方に逆らうのか『我らは、枷をはずし 縄を切って投げ捨てよう』と。」との御言葉そのものの有様を呈しています。国民が何を言っても、決して耳を傾けそうにはありません。しかし、歴史を支配し、御自身の力ある、摂理の御手をもって、悪の業を挫き、最善にこの国を導かれる主に信頼して、平和を祈り求めて行きたいと思います。
「いのちの水」「野の花」「祈りの風」等の信仰的読み物をお送りいただき、日々、繰り返し読ませていただいています。同時にまた、スカイプにより、聖書講話・感話・讃美・祈りがどれほど、この困難な時代の中で私たち夫婦の生きる力となっているか、貴いご奉仕に、本当に感謝しています。そして、毎週、主の日の礼拝に加わり、主の御言葉を聴き、ともに祈ることは、平和を実現することに深く結びついているのではないかと思っています。
「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。 (マタイによる福音書5章9節)
(埼玉県)
わたしたちが ねているあいだ
お月さま、お星さまをとおして
ずっとみまもってくださり
ありがとうございます。
かみさま、わたしたちに 夜明けを
つれてきてくださる あなたに かんしゃします。
かみさま だいちを与えてくださり
たべもので からだを そだて
うつくしい 自然で
こころを ささえてくださり
ありがとうございます。
このせかいには、にくしみや せんそうがありますが
かみさま 平和のために はたらく ゆうきある人たちを
あたえてくださり、かんしゃします。
わたしたちは、いつか あなたに めされて
天の国にいきます。
そのときまで、おまもりください。
久しぶりに、キリスト教書店に行きましたとき、一部だけ残っていたこの本(*)に出会うことができました。その表紙の絵を一目みて、心ひかれました。
何冊か欲しいとおもいましたが、「それが最後の一冊です」とのことでした。
何度も読み返してきた本です。ここに引用したのは、その中の一部です。
ぱらぱらと開いて、その各ページに描かれた自然と動物、子どもたちの溶け合った絵を眺めるだけで、心が満たされるようにおもいます。
アッシジのフランシスコが神さまのお造りになったすべてのものを愛し、すべてに感謝し、1224年、自然を通して、神さまをほめたたえる歌を書きました。
「太陽の賛歌」として伝えられているこの歌を、現代の児童文学作家と、切り絵作家が愛を込めて作ったすばらしい絵と、やさしいことばで子どもにもわかるよう、一冊の本にしました。
読みたくなったとき、見たくなるとき、初めて開くような心持ちで飽きもせずにその絵を眺め、読んでいます。私にとっての宝となっている本です。 (徳島県小松島市)
(*)キャサリン・パターソン 文、パメラ・ドルトン 絵。2011年度 ニューヨークタイムズ ベスト児童絵本賞 受賞作品 (日本基督教団出版局発行)
A.S
「それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。」(第一コリント十二・22)
ニュースや新聞を見ていても、スポーツですごい業績を残した人や、勉学の方面ですごい業績を残した人が大きく取り扱われているように思います。自分の経験でも、中学や高校で表彰されていた人は、スポーツや勉学などで業績を出した優秀な人でした。
しかし、聖書を学んでいまして、優秀な人をほめるような箇所に出会った事がありません、反対に弱い人を大切にする箇所によく出会います。以下、印象に強く残っている箇所を書きます。
弱者を憐れむ人は主に貸す人。
その行いは必ず報いられる。(箴言十九・17)
わたしの選ぶ断食とはこれではないか。悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。
更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与えさまよう貧しい人を家に招き入れ裸の人に会えば衣を着せかけ同胞に助けを惜しまないこと。
そうすれば、あなたの光は曙のように射し出であなたの傷は速やかにいやされる。(イザヤ五十八・6~8より)
信仰を与えられる前の自分は、自分の進歩や利益ばかりを考えていたように思います。苦しんでいる人の気持ちを考えるなど、ほとんどなかったと思います。
豊かな社会というのは、弱者が踏みにじられない社会、失敗を犯した人が、はじき出されないでやり直せる社会、困った人がいたら助けてくれる人が現れる社会なのではないかと最近考えております。
イエス様は、目の見えない人や耳の聴こえない人を聴こえるようにし、罪人とご飯をともにし、石打ちの刑にさせられそうな女性を救って下さったお方で、いまも働いて、いきておられると私は信じています。弱い立場の人のことなど、すこしも見えていなかった自分の目を、開いて下さりました。
今日までの道のりを守って下さり、さまざまな恵みを与えて下さっている神様に感謝をしております。
(神奈川県)
I.M
秋空や広く続くもみ手の中
青き空小鳥さえずり主のみ声
神の愛色づく山にうろこ雲
コスモスや風嬉しくて主を賛美
賛美歌を唄う冬の夜闇照らす
山里の光あつめて柿たわわ
風呼んでコスモスの花笑みこぼす
曼珠沙華天へつきぬけ赤く染む
露草を踏みし細道青く染む
鈴虫の音色透けたる野の小径 (いのちのさと作業所 責任者)
I.E
ーだが、わたしには四人の者が自由に歩いているのが見える。そして何の害も受けていない。それに四人目の者は神の子のような姿をしている(ダニエル書3章)ー
バビロン王ネブカドネツァルが造った金の像を拝することを拒否した三人の少年が、縛られたまま火の中に投げ込まれた。投げ込まれたのは三人だったのに「四人目の者」が見えた、とある。
今年、生まれて初めての手術を体験した。突然のことであり、丁度重なる家庭の事情もあったので、あれこれ考える暇もなく、慌ただしくその時が過ぎ、はや何か月かが過ぎた。自分のことでありながら、どこか他人事のようでもあり、また避けて通れない道筋のようでもあった。前もって告げられていたほど大事には至らなかったけれど、大事に至ったかもしれなかった。それがどこでどう分かれたのだろうか。
そのときのことを思いかえすとき、ダニエル書のこの所を思う。火の中に投げ込まれた三人の少年のほかにもう一人の姿…日常でも、何か事あるごとにこの存在を、そこはかとなく感じることがある。
突然のように思えた五時間ほどの手術は、火をくぐる儀式のように思われた。どうやってそこを超えられたのだろう。麻酔中は人工呼吸器に助けられていたらしい。死んだようになっていた間も不思議な祈りによって、心身ともに、ふわりと支えられていたようだった。
思いがけず、自分の死に向き合うことになった。それでかどうか、様々なことを以前よりま近に感じるように思う。
神曲の煉獄篇にも火の中をくぐるところがあった。めざす煉獄の山の頂上に行くには、避けて通れぬ所がある。そこを通ってダンテは新しい一歩を踏み出したことが書かれていた。
いろいろなことを通して導き、最善のことを成してくださっている父なる神さまに感謝。いつか人の体は滅びるけれど、それは新たな始まりでもあることを思わされる。聖書に書かれている復活や、永遠の命。初めは本当に驚きであったが、次第にあらたな世界も広がりつつあるように思う。
この世で通過しなければならない火は、霊的に見れば孤独や困難や苦難の形をしているのかも知れない。そのようなときも、もう一人の魂の助け手が共にいてくださることを信じられれば、こんな感謝なことはありません。
ーわたしにとって生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。けれども肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべきか、わたしにはわかりません。このふたつの間で、板挟みの状態です。一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており… (ピりピ書 一章21~22)
出航
夕暮れの空に
雲の羊が
一匹 二匹 三匹
一列になって
帆を上げた真っ白い船に乗る
四匹 五匹 六匹
羊の綿毛が風になびく
合図の風笛が鳴る
無限の英知の世界に分け入る船が
間もなく出航です
1 徳島市
I.M
神様は創造主
この私、自然、生物
この世の全てを造られた
目に見えるもの、目に見えないもの
私達の頭では到底図りしれないし
知ることもできない
私たちを生かされるのも主
この場に置かれるのも主
全てのものに神さまの御手が表れ
全てのものに神さまは身を留めて下さる
主よ、御業はいかにおびただしいことか。
…
地はお造りになったものに満ちている。
(詩篇一〇四・24)
徳島市
「友よ」 I.T
イエスは、「友よしようとしていることをするが良い」と言われた。すると人々は進み寄り、イエスに手をかけて捕らえた。
(マタイ二十六・50)
ユダは、祭司長や民の長老たちの遣わした大勢の群衆に、「わたしが接吻するのがその人だ。それを捕まえろ」と前もって合図を決めていた。
ユダはすぐイエスに近寄り、「先生こんばんは」と言って接吻した。
私はイエスさまが誰に向かって「友よ」と言われたのかと、何度も、何度も読み返した。イエスさまを捕らえようと集まった群衆に向かって言われたと知った時、私は息が詰まりました。自分を捕らえ辱め、苦しめ、殺そうとしている人々に対して「友よ」と。
イエスさまのお心には敵はいなかったのです。人は皆神に背を向ける者ばかりですのに。だから十字架の上で父なる神に「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカ二十三・34)と祈れたのだな、と深い感動でした。そしてそのあと、ゆっくりと、少しずつみ言葉が開かれていきました。
「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」(マタイ五・44)「友のために自分の命を捨てること、これより以上に大きな愛はない。」(ヨハネ十五・13)
イエスさまはご自分が言われたことをその通りに生きられたのだ。そして友というと人間の考え(私だけかもしれませんが) 仲の良い人と思っていたのではなく、敵対する人々のために命を捨ててくださった。何という大きな愛なのかと心がふるえました。
イザヤが「天が地を高く超えているように、わたしの思いは、あなたたちの思いを高く超えている。」(五十五・9)
神さまと人の思いは全くちがうということをはっきり教えていただきました。
神はただ愛 なんですね。
「神には闇が全くない」(Ⅰヨハネ1・5)のみ言葉に心から納得し、御名を崇めたことです。そして、エペソ人への手紙でパウロが祈っています。「キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。(3・19)
人の理解を超えるキリストの愛をわからせていただいた感謝と共にその愛に満たされたいと祈る私です。今あるは神の恵みです。感謝。 (神奈川県)
O.S
少年が、野原で凧揚げをしている。通りがかりの人が少年に「坊や、何をしているの…」と聴くと、少年は「凧を揚げているのサ」 と答えました。
「通りがかりの人は「だって、何も見えないじゃないか」と再び問いかけると、少年は「だけど、僕が握っている糸の先に凧がついていることを一番良く知っているよ」と応えた。
ビリーグラハムの「神との平和」という本の冒頭に書かれている記事です。
聖書を読み始め、神を求めた頃に読んだ本です。
もう、それから五十年以上も年を重ねたのですが、この「少年の確信」が思い出されます。今も私の魂に深く刻み込まれている確信です。
札幌市
O.T
「モナ・リザ」
レオナルド・ダ・ビンチの亡くなったとき、名作「モナ・リザ」が、傍らにあった。モデルの婦人は彼がお世話になった絹豪商家の婦人らしい。若い時代から描きはじめて以来、レオナルドは終生どこへゆくにも常に持ち歩き、絶えず筆を加えていたという。美術評論家によると、作品には人物「モナ・リザ」にではなく背景の山の部分に未完成部があるとか。最近の研究では、技法も分かってきた。おびただしい点描が下塗りにあり、複雑な細い線がその上に交差しているらしい。終生にわたって厭きなく、加筆を続けたレオナルド・ダ・ビンチ自身の心の中には豪商家夫人の面影が厳然として存在していたに違いない。
「エル」
我が家の愛犬エルが死んだ。十四歳だった。二三日前から、大好物だった牛乳を突然飲まなくなったので、異変は感じてはいた。そして、倒れた。動物病院に行くと、点滴と三本の注射を受けた。翌朝、下血をした。あわてて病院に行くと、前日と同じ治療を受け帰された。その日の午後、吐血、下血を繰り返し、夕方召された。 あっけない死だったが、以来、私は一週間下痢が続いた。ペットレスの症状に違いない。絵も描く気力が湧いてこない。食欲もわいてこない。そんな日が二十日間ほど続いた。思えば、朝は四時半になると、私のベットにきて時間を知らせにくる。製作中は私の膝の上か安楽椅子に顎を乗せて、私を見ている。散歩には必ずついてくる。おやつの時間には私の足元に正座している。夜眠くなると、抱いてくれ、と要求する。十四年間、朝から晩まで一緒だった。急に家の中がさびしくなった。夫婦ふたりに占めるエルの存在の大きさが、今更のように分った。私が死んだら、天国の門の前で待っていてくれるだろうか。
「青と黄」
フェルメールの画集を見ると「青」が印象的である。当時、発見、製造されだしたラピスラズリという絵の具で、インド産の貴重な鉱物を原料にしている。 マッチ箱大で家が一軒建つくらい高価であったとか。現代でも宝石としても扱われているようである。それから数百年、近代の画材は飛躍的に進歩し、あらゆる原料を駆使し、多様な絵の具を生産している。なかには、カドミウムイエローという「黄」の絵の具がある。発色が鮮明で描きやすく、よく使う色であるが危険な色でもある。ある日本画家は絵を描くとき、筆を舐めるくせがあったため、絵の具の毒で早死にした、という話を聞いたことがある。そのため、私は制作の合間の休憩時には必ず手を洗うことにしている。
「カラバッジオ」
イタリヤの画家、カラバッジオは数々の聖画を描いている。「巡礼者の聖母」「聖マタイのお召し」「キリストの埋葬」などの傑作作品がある。彼は三九歳で亡くなったが、生前は流行作家として権力者の援助と庇護を受けたらしい。そのためか、奇行をくりかえし、放蕩三味であったらしい。そんな生涯のなかでも、若い男とテニスの試合をし、賭けに負けたことから、決闘にまで発展した。ところが、倒れ傷ついて勝負のついた相手を、卑怯にもなおも襲って殺害し、遂電したという。彼はモデルを使って描いたらしく、人物の表現には生々とした迫力がある。カラバッジオはレンブランドやルーベンスにも伍する画家であると思うが、しかし、殺人を犯した画家と知って、改めて作品を鑑賞してみると、一抹のわだかまりは残るが、傑作は傑作である。彼は偉大な芸術家であった。そして、罪ある人間の一人でもあった。
「修復」
スペインの小さな村の教会の壁画をめぐって騒動がおこっている。修復を依頼された画家が、とんでもない修復をおこなったからである。近代の修復作業は作品のオリジナリティを重視するため、画面の汚れを落とし、最低限の補修を行い、描いた時の状態に戻すのが主流らしい。ところが、ヒメネス女史はイエスの顔を思いもよらない顔に描き替えてしまったのだ。史上最悪の修復とまで酷評されている。ところが、このイエスの顔を見るため、世界中から観光客が小さな村に押し寄せたのである。一人一ユーロの入場料は村にとって、莫大な利益をもたらしたとか。そのため、村と原作遺族とヒメネス女史の三者で、利益の分配に関して協議をはじめたらしい。なんというあさましいことでしょうか。キリストへの信仰はどうなったのでしょうか。
「先生」
無教会の信徒は伝道者のことを「さん」付けで呼ぶ人が多いようである。これは、マタイ二三章八節以下の記事を字句通りに読んで、実践しているからではないかと思う。無教会らしいと言えば、言えるが、私はあえて、そうはしていない。聖書の大意は「先生」と呼ばれることを好んではならないこと。師はキリストだけで、父は神だけであるから、信徒同志はへりくだって互いに仕える人になるように、ということではないかと理解している。最近は医師、教師、芸術家、宗教家にも「先生」と心からの敬意を持ってお呼びできる人物が少なくなってしまったのも、事実である。しかし、心から尊敬できるお方に邂逅できた時には、臆することなく「先生」と呼ばせていただき、謙虚に学ばせていただくことにしている。
北海道釧
O.E
♪ 主イエスの深い愛にふれて
私にも愛がうまれた
主イエスを信じたときから
私に歌がうまれた
いつまでも歌いつづけよう
主の愛の広さ深さを
十字架に命を捨てた
その愛の大きさを
この賛美はゴスペルフォーク・ヒット集、「友よ歌おう」の28番1節で今年の市民クリスマス手話賛美曲の1曲です。私は難聴ですが、パソコンから音楽DVDから流れてくる曲のリズムがかすかに聴こえ、何か心に沁みて心動かされ感動した賛美です。聖書に触れ、み言葉を学んで教わってもなかなか主の愛がわからなかったけど、み言葉を聞き続けていくうちにいイエス様がいつも私たちを一方的愛して下さっていることを知り、信じられるようになった今、私も少しずつ賛美出来るようになったと気づかされ感謝しています。主の愛の大きさ、深さ、広さをいつまでも忘れずに覚えて歩んでゆきたいと思っています。後期高齢者でありますが人生最後まで「わたしにつながっていなさい」と言ってくださっている主イエスさまにつながって導かれてゆきたいと願っています。
板野郡
O.T
私が今回瀬棚での聖書集会(7月17日~20日)に参加して、最も心に残ったことは、経験からくる言葉を聴けたことでした。内村鑑三は、聖書を読むときは「足で読め」ということを語っていたそうですが、瀬棚ではまさに足で読む聖書の読み方に出会えたような気がしています。
吉村先生のお話からは、ご自分の人生の中でイエス様に出会ったという経験に基づく、確信に満ちた力強い言葉を感じさせられました。また、瀬棚の人たちも、実生活と結びつけて感想を語っていらっしゃり、聖書の言葉とその人の人生とが、しっかりと結び付けられていることを感じました。また、ある方が現在抱えている具体的な悩みを共同体の中で打ち明け、それを周りの人たちがきちんと受け止めていた光景も心に深く残っています。聖書と労働とを通して心を耕された方々の築く、深い信頼関係のある共同体の姿を垣間見た思いがしました。
また、瀬棚の農家の皆さんの哲学に触れられたことも印象深かったです。ある方から、「農業の方法はマニュアルによるのではなく、その人の農業の哲学に基づくものであるべきだから、人によってやり方が変わるのだ」と伺いました。
その言葉通り、農家の皆さんのお話を聴いていると、それぞれの人に哲学があるように感じました。「人間が食べられない牧草を飲める牛乳に変えるのが酪農の良さなのだから、できるだけ穀物を減らしたい」、「機械化をすすめて一軒だけで農業をするより、小さな農家がたくさん集まって助け合う方が豊かだと思うから、小規模経営でいきたい」「日本の主食は米なのだから、自分は米を作りたい」など、それぞれの方が自分の信念に適う形で農業をしていらっしゃるように思いました。
このように、瀬棚においては日々の生活の中で自分の在り方を模索し、自分の信じることを実践している人たちに出会うことができました。私も、実生活の中において聖書を読み、自分なりの哲学を模索しながら実践していきたいと思わされました。このような旅を支えて下さった方々―徳島聖書キリスト集会の皆さまや、受け入れて下さった瀬棚の皆様と参加者の皆さまに心から感謝いたします。
東京都
K.K
転んで痛かったとき
幼子は、母親に走って飛び込んでいく
痛かったんだねえと撫でてくれる
母親を信じて疑わない
何度転んでも
何度も走っていく
びっくりするものを見つけたとき
幼子は、母親に向って走っていく
あら、すごいねえと喜んでくれる
母親を信じて疑わない
何度見つけても
何度も走っていく
「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」(マルコ十・14、15)
そうなんだな。幼子のように主イエスに向って飛び込んでいけばいいんだなと思う。
「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」(フィリピ人への手紙四・6)
そうなんだな。うれしいときも、苦しいときも、素直に主イエスに話せばいいんだなと思う。そして、神様は母親の思いを越えて、命をかけてわたしたちを愛してくださる。
「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようともわたしがあなたを忘れることは決してない。」
(イザヤ四九・15)
主イエスこそ、わたしたちの神。
「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」 (マタイ二八・20)
この方に叫び、この方を信じ、この方と共に生きていく。
徳島市
今日まで守られ K.M
神様に感謝します。
「美容サロン・ルカ」が開業して二十年を迎えることができました。健康も守ってくださり、数えきれない恵みの日々でした。大好きな仕事を与えられ、神様のご計画に従って生かされ、今日まで守られたのは本当に感謝です。
お客様とは三十年以上のつながりの方も多く、二十周年を迎えたことを共に喜んでくださいました。
お客様を美しくするだけでなく、心も軽く、長時間をくつろいでいただける「美容サロン・ルカ」でありますように。一日でも長く働くことができますように神様にお委ねします。
信仰の兄弟姉妹、私の家族が記念会を開いてくれました。新聖歌一七一番「今日まで守られ」を賛美しました。この賛美は今の私にぴったりです。
聖霊に満たされ、共にいてくださる神様に感謝する記念会でした。私の心の中に深く残りました。
今日まで守られ 新聖歌 一七一
1 今日まで守られ 来たりしわが身
つゆだに憂えじゆく末などは
いかなるおりにも愛なる神は
すべてのことをば 善きにし給わん
2 か弱き者をも 顧み給う
わが主の恵みは この身に足れり
賑おう里にも寂しき野にも
主の手にすがりて 喜び進まん
板野郡
K.Y
私は病気をして大きなものを得ました。それは勿論イエス・キリスト様です。
私は入院して30年になりますが、その前半は暗闇の中にいました。朝起きても眼の前が真っ暗なのです。からだは動かない、声は出ないから誰ともコミニュケーションが取れない、つまり人として見てもらえない、人工呼吸器につながれている、身動きは出来ないから身の回りのことは全て両親に頼らなければならない、みじめでした。
生産性のない人間は生きていてはならないという考えを持っていました。ましてや呼吸も出来ない者は人間ではない。ネガティブなマイナス思考でした。考えること全部が暗かったのです。それをポジティブに変えて下さったのがイエス様でした。
イエス様が「お前は生きていても良いんだぞ、尊い人間なんだよ。」と言ってくれました。見事に暗い人生からUターンしました。そして死のうとしたことも含めて、証しが出来るようになりました。それが私の役目だと思えました。誰だって考え方は刻々と変わります。明るい気持ちの時をどうやって持続させるか?です。それはイエス様にお委せするのと、自分自身の努力も要ると思うのですがどうでしょうか。私も患ってから心の動きがありました。次のとおりです。
「発病」→「悲しみ」→「病気進行」→「誤診判明」→「ショック・憎しみ」→「忍耐」→「無関心」→「赦す」→「愛する」
ポジで生きなければ、自分の人生が不幸になると思います。そして自分が前向きだったら回りの人たちもポジになると私は信じています。そこから証しが産まれるのです。私の役割です。
私には一つ課題がのこっています。それは「赦す」ところまでは行っていますが、最後の「彼らを愛する」には至っていません。これは祈ることでその内解決するのだと思っています。それは委ねることです。
「思い煩うな」
徳島
K.H
主はあなたをまもるかた 右の手をおおうかげ
日も月もあなたを 打つことはない
主はあなたをまもるかた すべてのわざわいから
いまよりとこしえに まもってくださる
目をあげ山をみよ 助けはどこから
天地をつくられた 主からくる
今年もはや十一月、なんと日のたつのが早いものか、と思ってしまう。
主日礼拝に導かれ参加したとき、F姉妹から最近主日礼拝に参加されていないので祈っていたのよ、と声をかけられ思わず涙が溢れてきました。本当に有難うございました。
痛んでいた心がその言葉によって、癒やされ、喜びにみたされました。兄弟姉妹と共に、御言葉を聞き、賛美礼拝できて感謝でした。その日はモズもひときわ長く鳴いて、共に神様を賛美しているように思えました。
いつも覚えて祈ってくださってありがとうございます。私も一人でも多くの方を祈って行けますようにと祈っています。
(徳島県鳴門市)
K.A
私が小さい頃、『世界名作劇場』というシリーズで、毎年いろんな西洋の児童文学がアニメ化され放映されていました。その中に『わたしのアンネット』というスイスの山村が舞台の作品がありました。何分、小さい頃に見たのでうろ覚えでしかなかったのですが、なんとなく幼心にもその作品にはキリスト教的なテーマや雰囲気があった記憶があり、今年の春頃、ふと三十年ぶりに思い出し原作を探して読んでみました。(原作は、パトリシア・M・セントジョン著/松代恵美訳『雪のたから』(いのちのことば社))
主人公の少女・アンネットは、弟のダニーを崖から突き落として一生歩けなくなる怪我を負わせた幼馴染の少年・ルシエンをどうしても赦すことができず、自分も苦しみながらも、仲直りしたいと願うルシエンを無視し続け、ルシエンが自分の罪を悔いてせっかくダニーのために彫ったノアの箱舟の木彫りを壊したりします。そうした物語のあらすじは覚えていたのですが、全く記憶になかった聖書の言葉が作中に出てきて、それに深く感動しました。
それは、一緒に暮らすクロードおばあさんが、ある時にアンネットに言った「ヨハネの黙示録」の第三章二十節の言葉です。
「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」(新共同訳)
作品の中で、この言葉はとても大事な鍵となり、長く時間はかかったものの、アンネットはルシエンを赦し、仲直りすることができました。アニメ版を見直してみると、原作と同様に確かにこの聖書の言葉がきちんと登場する箇所がありました。なので、小さい頃に聞いたはずだったのですが、全然この聖句のことは覚えていませんでした。
しかし、この聖句をこの原作を通じて読んだ時に、本当に小さい時から、いろんなところで、主は私の心の戸口に立って戸を叩き続けていてくださったのだと、感慨深いものがありました。
私の場合、キリスト教とは縁遠い家に生まれ育ち、幼稚園も仏教系でした。中学高校の時に人生に悩みがあり、たまたま家にあった聖書を読んだことがあり、山上の垂訓などにとても感動したことがありました。しかし、どうしてもイエスが神だということがよくわからず、西洋文化に対する反発もあり、その時は信仰を持つには至らず、その後は聖書を読むこともなく二十年近く経ちました。
しかし、昨年、再び通して聖書を読み、福岡の集会に参加するようになり、振り返れば、若くして亡くなった伯母が同志社に行っていたこともあり、その伯母にクリスチャンの友人がいたこともあって、わが家に以前から聖書があったのだと気づきました。なかなか主の愛や導きに気づかなかったものの、本当は人生のさまざまなところで、常に主は心の戸口に立って戸を叩き続け、手をさしのべてくださっていたのだと思います。
ヨハネ黙示録のこの言葉は全然記憶になく、聖書を読んでもあまり注意を払わず読み過ごしてしまっていたところを、この作品のおかげで深く味わい、自分にとってかけがえのない言葉とすることができました。主はさまざまな手段を通じて、より深く、さまざまな角度から、聖書の言葉を味わい理解するように導いてくださっているのだと思います。
この作品の中には、他にもクロードおばあさんが「日が暮れたあとまで怒りの心を持っていてはいけません」と言う箇所がありました。「エフェソの信徒への手紙」第四章二十六節が出典であることに今は気づきます。このことを人生の上で全然実行できていないことが多いので、これからは少しでも心がけたいと思います。
クロードおばあさんがルシエンに対し、「ヨハネの手紙一」第四章十八節の「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。」という箇所を教えてあげるシーンもありました。後日、ルシエンはこの言葉を思い出し、吹雪の中を突き進んで、隣町をたまたま訪れていて明日には帰るという名医のもとを訪ね、ダニーの足が治るきっかけをつくりました。この言葉も、聖書本文で読んだはずなのに全然覚えていなかったのですが、この作品のおかげで深く心に残りました。
大切なことを聞きながら、なんとうっかり心にとめずに忘れてしまっていることが多いか、反省しきりです。アニメ版の歌には、「友だちは神様の贈りもの、私たち神様の宝もの」という歌詞がありました。その歌と歌詞は覚えていたのですが、この心を忘れて生きてきたことに反省しきりです。そんな私を、主は常に「宝の民」(申命記第七章六節)として、心の戸口に立って戸を叩き、働きかけてきてくださいました。気づかずに遠回りしましたが、これからは少しでも「贈りもの」を大切にし、自他の命を「宝もの」と思って、主の呼びかけに応じて生きていきたいと思います。
福岡県
K.N
先日「石井のお父さん、ありがとう」というDVDを知人から借りて久し振りに観ました。この映画は十年程前に作られたもので、その時も大きな感動を持って観たことを思い出します。
明治時代、まだ福祉という言葉もなかった時、三千人近い孤児を救った福祉の父とも呼ばれた石井十次の話です。
石井は一八六五年に宮崎県で生まれ、岡山の医学校で学んだのですが、孤児救済に一生を捧げる決心をすると同時に退学、生涯を岡山と宮崎で孤児院を開き、四十八歳の若さで召されました。彼の言葉です。
「親のない孤児よりも、もっと不幸なのは心の迷い子精神の孤児なのです」
「魂の孤児になることが一番、可哀想」
聖書を通しみ言葉をそして祈りを通して、知的障害児であれ病弱児であれ、来る者を拒まず受け入れた彼の働きの中に神のみ力と導きを見ます。神の臨在なくして人間の幸せ、そして心の豊かさはないのです。
石井の凄まじい祈りが苦難の歩みを支え、神の業へと導かれたのでしょう。彼自身の血の滴るような祈りはその仕事を通して無償の愛を生かしたのです。
石井十次の働きは素晴らしく、そして偉大です。でも彼も神の僕にすぎず、働かせ給うたのは神であり彼の働きを通して主の聖名がほめたたえられたのです。
彼を祈らしめ、家族が、そして関わった多くの人達の愛と祈りが神に届き彼を働かせたのでありましょう。
祈りはすべてを変える力、愛の源です。人間にだけ与えられた神さまとの交わりであり私の隠れ家そして呼吸なのです。神から与えられた最高の恵み、神は常に語りかけてくださいます。
「たえず祈れ、常に祈れ、たゆまず祈れ」、いつも祈りの中に住まわせていただきたいと思います。
「神は最後に一番善い仕事を残してくれるそれは祈りだ
手は何もできないけれど最後まで合掌できる
愛するすべての人の上に
神の恵みを求めるために!」
(ヘルマン・ホイヴェルの詩より)
いつも祈れる者でありたいと思います。祈りの中に神様はいつも一緒に居てくださいます。喜びと感謝と希望です。
主の聖名の崇められますように。 (阪神エクレシア)
(神戸市)
私はぶどうの木、あなた方はその枝 K.I
「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」 (ヨハネ福音書十五章4、5)
神様と出会う前は、この世は一人で人生を歩まなければいけないと思っていました。しかし、その力が無いことを感じ自信がなくなって迷っていました。
神様と出会って、一人で歩まなくてもよいことを教えてもらって、気持ちが楽になり心の重荷が取り去られました。
また、イエス様が共にいて、一緒に歩んでいただかなくては、正しい歩みができないことも教えていただきました。今は、一人で歩もうとしている自分がいますが、その歩みの危うさを思います。
イエス様に、しっかりとつながるように祈っていきたいと思います。
徳島市
K.H
キリスト教式の葬儀に参列したことは初めてではない。しかし、自分が歳をとったせいか、あるいは故人がごく親しい方(親友のご主人)で、朝目覚めないまま突然永遠の眠りにつかれたためか、この度ほどいろいろと心に残ったことはなかった。
そのプログラムの中で司式の牧師から「誰にでも死は必ず訪れます。その準備はできていますか」という問いかけと神様を信じることのすすめがあった。
そのとき「わたしにむかって主よ、主よと言う者が皆天国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである」(マタイ七章二十一節)のみことばが思い出された。そして今の自分は「あなたのことは全然知らない」と裁かれてしまうのではないかと。
「人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている」(ヘブル人への手紙九章二十七節)とのみことばにしても、そのことはよくわかっているつもりでも、それが今日、明日とは思わず、まだその「時」ではないかのように、政治、経済や健康その他のもろもろのこの世のことなどに思い案じをしている自分。ああ、神様を信じていても私にはまだその準備は出来ていない。
しかし「罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、私たちの主イエス・キリストによる永遠の命なのです」とパウロを通じて約束されている。神を信じる者は死ぬことは益でさえあり神の恵みとして与えられる。
そこで神の前に立つため、この世にある間この世に妥協することなく、上にあるものを求めて、その日を待ち望む者として懸命に生きるべきことをも改めて示されたと感じた。
また、故人の元同僚と思しき方に「このプログラムにある“遺影や遺体を拝まないでください”というのはどういうことですか。キリスト教ではあの世はあるのですか。彼はどうなるのですか」と話しかけられたことをみても、参列者二五〇人を超すなかには同じ思いの未信者も多くおられたと察し、この葬儀が伝道の場として用いられたことを感謝した次第である。
悲しみの中でも「私より先に夫は神様の用意されたすまいで安らかにしているでしょう」と信じ、明るく突然の別れを受け止めていた夫人の姿が印象的であった。
(祈り)
たとい私は死の陰の谷を歩むとも、災いを恐れません。
あなたが私とともにおられるからです。
あなたのむちとあなたのつえは私を慰めます。
主よ、わが終わりと、わが日の数のどれほどであるかを知らせ、わが命のいかにはかないかをしらせてください。(詩編より)
(千葉市)
K.T
『いのちの水』誌「道」を読んで、この世は、荒れ野で、清い水の流れが少ない。悪が多く、困難や苦しみ悲しみ、もって生まれた障害、途中からの障害等、我が家に来られる患者さんの子供、孫さんにも障害がある方もおられる。災害や病気で一瞬の間に喜びがから悲しみの試練に、いつ合うかもしれない今、私は神様に出会い、罪もあがなって下さり、道も示してくださる聖書の学び、どれほど神様の愛と恵みを受けているだろうかと思います。
聖書や各種の賛美集には、力強いみ言葉や賛美が沢山あります。現実は、これからも厳しい状況に立たされることがあるかと思われますが、自分がそのような試練に置かれたとき、とまどわないように神様に、委ねて歩めるように願っています。
はじめにおられた神のみ言葉
1 初めにおられた 神のみことば
星と月と日を つくられた主よ
あなたの御声は 全地をたもつ
空と海と地は 喜び歌う
(折り返し)
イエスは救いぬし 世の造りぬし
御声は全地にひびく
2 失われた者 救いだすため
天の御座をおり 人となられた
御手を差し伸べて 人を助けた
けれども十字架は 耐え忍ばれた
この賛美も神様の力強いみ言葉です。
以前に近畿集会でハレルヤコーラスで歌っていたことを思い出していたのですが、今年、手話賛美で沢山賛美し力強い賛美です。
呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え
わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。
(イザヤ四十章3節)
命がけで神の道を示し、語り続けた人たちがいたこと、そして後に洗礼のヨハネが、キリストのために道を備え召されたと書いてありました。御国への道を開いて下さったこと、賛美が思い出されます。
御国への道 歩むとき
1 御国への道 歩むとき
主は共にいまし 御言葉により導き給う
日々主 共にいます
(折り返し)
主は共に主は共に 主は共にいまし
御国への道 歩むとき
主は導き給う
2 御国への道 歩むとき
主は道を照らし 光の内に導き給う
暗きも恐れなし
3 御国への道 歩むとき
主は平安与え 祈るわれらを導き給う
主はわが全てなり
我は道なり 真理なり 命なり
一人でも多くの人が聖書によって救われ、道が開かれますように。
私も道を示して下さっていることを感謝しています。
徳島市
K.S
九月から岡山聖書集会の礼拝で聖書のはなしをしています。ヨハネによる福音書によるみ言葉を集会員の皆さんと共に聴いて、多くの恵みを与えられています。
二章まで読み進めていますが、その中で一章でバプテスマのヨハネがイエスさまのことを聖霊によって洗礼を授けられる方とはっきり証していることがこころに響いています。
教会で聖礼典として行われている洗礼には大きく二つの意味があります。ひとつは教会員になる際に教会つまり神さまの共同体のメンバーとして契約を取り交わすことです。もう一つが罪からの清めです。私はこの洗礼によって罪が清められることについてお話ししたいと思います。
聖霊による洗礼とはなんでしょうか?それは自分の罪を聖霊さまに明らかにしていただき、悔い改めて、罪を清めていただくことであると思います。ヨハネによる福音書でイエスさまは罪とは、私たちが神さまを信じないことであるとはっきり語られています。つまり神さまの方に向いていないことが罪の中身なのです。
自分の今まで犯してきた罪を自分でひとつひとつ思い出して神さまに打ち明けて、神さま罪深いわたしを赦してくださいとお祈りすることはわたしたちの大切なお祈りです。けれどもわたしたちは自分の罪をすべて覚えているのでしょうか。わたしたちは過去に犯した自分の罪を数え上げるときにそこに洩れはないでしょうか?さらに言えばこれから犯す可能性がある罪について懺悔することができるのでしょうか?そこにわたしたちの限界があります。パウロが言うようにわたしたちは罪に対して弱く、まったく無力であるのです。また自分の罪についていくら考えてもそこには暗闇があるだけです。罪の本当の姿はわかりません。ヨハネ十六章八節にははっきりと「その方が来れば、罪について、義について、また裁きについて世の誤りを明らかにする。」とわたしたちが罪について本当にわかるのは聖霊さまの働きによるのだということが語られています。聖霊さまが注がれることによって光が射し暗闇が照らされる。つまり罪の本当の姿が明らかになるのです。そこから悔い改めつまり神さまの方に向き直る祈りが与えられます。悔い改めのない救いは、救いではありません。すべての人が救われるといういわゆる万人救済は終わりの日の希望なのです。わたしたちはその希望の方に向かって歩むものですが、その希望の本当の恵みは悔い改めないとわかりません。
悔い改めることによってわたしたちは神さまの方に向き直ります。そしてわたしたちを本当に生かしてくださるいのちのみ言葉が与えられます。ヨハネ福音書一章の冒頭にあるように世界はことばによって創られています。ことばとはイエスさまであってイエスさまは神さまと共にあって天地を創造されました。ですから世界のひとつひとつひとつは神さまによって深い意味を与えられています。隠されているそれらの意味を聖霊さまによって開いていただく。明らかにしていただくことによってわたしたちは生きる希望が与えられます。そのことが罪の清め、つまり聖霊による洗礼の持つ大事な意味だと思います。 (岡山市)
K.E
「ハレルヤ。私のたましいよ。 主をほめたたえよ。
私の生きているかぎり、主をほめたたえよう。
いのちのあるかぎり、私の神にほめ歌を歌おう」
詩篇 146の1、2
主を賛美することの恵みを毎日感じて感謝しています。できるだけ賛美を覚えて、いつも歌えるようにしたいと思っています。
賛美を覚えられるように 家事や散歩をしながら 忘れていたら見ながら覚えるのがとても楽しくて、最後まで覚えられたら翌日からは歌詞を見ないで歌えるようにしています。
いつも賛美していると、聖霊様に満たされて平安が与えられて、悪しき思いが入らないようにしてくださるように思います。賛美を覚えて、いつも見なくても賛美できることで、散歩や家事や車を運転しながらいろいろな賛美ができて、主の導きをいただけて、恵みに満たされます。眠るときも賛美しながら眠るとすっと平安に眠れて感謝です。
礼拝の時には歌詞を見ないで目をつぶり、祈りながら賛美できることは本当に恵みです。いつも祈っては賛美し 感謝して 喜びに満たされます。繰り返し歌うことで、その都度導きが違っていたり、み言葉を噛み砕いたように教えてくださったり、主が働いてくださっていることを感じて感謝しています。
徳島県
K.N
今年から毎朝詩篇を吉村先生のテープで学んでいます、やっと64篇まで来ました。
64篇4節 「彼らは舌を鋭い剣とし 毒を含む言葉を矢としてつがえ」
詩人は毒を含む言葉のことを鋭い剣と表現しています。今、日本ではインターネットのサイトやライン、メールでのいじめが問題になっています。最近も友人からのラインのメッセージに腹を
立てたことが原因で殺人がおこりました。
この詩人は言葉の持つ悪い力を実感していたのです。中傷や批判、悪意のある噂は矢のように人の心に突き刺さり、人が立ち上がれなくする力があると言っているのです。
人間関係が壊れていくのも、言わなくていいことを言ってしまったり、腹立ちをぶつけたり、何気ない一言が原因ということもあります。
64篇を学んで改めて、どれほど言葉の力について知っていただろうか?考えたことが無かったと目を開かれました。
聖書の冒頭「創世記」1章に「神は言われた。光あれこうして光があった」と書かれています。
聖書は神様の言葉の圧倒的な力を一貫して語っていると思います。
ルカ福音書二十四章三十二節
「二人は道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださった時、私達の心は燃えていたではないかと語り合った」
と書いてあります。
私の魂も主イエス様の御言葉により暗闇から奪還され、朝ごとにこの世を歩んで行く力を受けています。 (福岡県)
S.H
「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイ十八・20)
主にある兄弟姉妹との交わりのあいだに、イエスさまがいてくださっていることを思います。お逢いしたことがない兄弟姉妹に電話をはじめておかけする時は「うまく話せるかな」とすごく緊張します。しかしそれは電話がつながるまでであり、話しはじめたら不思議と落ち着いてきます。同じキリスト者としてイエスさまが結びつけてくださっているのだと感じます。
信仰の友とは、年に一~二回しかお逢いしない人、電話でしかお話ししない人、ブログを読んでコメントをくださっている人などいろいろですが、その交わりの中心には神さまがいて、イエスさまがいて、旧知の仲のようにスッと交わりの時に移ることができます。近畿集会や全国集会など県外に出掛けて行くことは難しくても、いろんな形で遠く離れたところの兄弟姉妹とも交流ができることを感謝しています。父がいれば日本各地に出張で行っていたので、距離や地形など地図を片手に教えてくれたと思います。
直接お逢いできないので持病のこともじゅうぶん説明ができないのですが、いつもお祈りを感謝します。
毎週のアルブミン点滴とカートの利用で、手足の浮腫が悪化することなく守られています。長時間文字を書くのは苦手ですが、パソコン操作は二十数年の慣れもあり、休憩も忘れて何時間もしてしまいます。
咳喘息のときは約一ヶ月かかりますが、症状のないときは『ほんとに病人?』と思えるほど、集会と通院で週に四~五日は出かけています。母の霊肉も守られているからこそ出かけられるのだと思い、感謝です。
今春から主日礼拝にも参加できるようになったことに感謝です。朝が苦手でいつも時間ギリギリになるので、二〇一五年からはもっと早起きをして落ち着いて礼拝に参加したいと思います。食事療法は脱落しがちですが、北島集会にお弁当を持参できていたり、主日礼拝につづけて参加できていることを、共に喜んでくださる姉妹の言葉に励まされ、これからも続けたいと思います。
学校ではイジメなどもあり、休んだあとは行きづらくて、登校拒否みたいにズルズルと休んでいました。しかし集会への参加は体調不良で休みが続くと、早く治らないかと焦ってしまい、ストレスが溜まっていきます。学生時代は「暗い、影」の部分が多かったですが、いまは「明るい、光」の部分に満たされています。兄弟姉妹との交わりもそうですが、神さまが私に必要なものを与えてくださっていることを思います。聖書講話は理解できなくても、イエスさまを信じるだけで救われる世界を知ることができ感謝です。
「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ローマ八・28)
徳島市
S.Y
八年ほど前に、北海道の瀬棚の聖書集会に行って見たいと思ったことがありました。でも私は中途失聴者なので、不安があり、手話通訳が必要なこともあり、一人では到底無理なので断ってきましたが、今年は中川陽子さんが参加するのでどうですか?と言って下さり、思い切って参加しました。吉村さん、陽子さんが沢山手話通訳をして下さり参加出来て感謝でした。瀬棚以外からは他に、東京二人、静岡一人、長野一人、愛媛一人の方々が参加しました。
朝六時に家を出て、飛行機、JR特急、バス、タクシーを乗り継いで、北海道の瀬棚に着いたのは、夕方の五時前でした。とっても遠い所ですが、同行者の陽子さんが、乗継の時間を詳しく調べて下さっていたのでスムーズに行くことが出来ました。
七月一七日~一九日までは第四一回瀬棚集会に参加しました。瀬棚は山々と海に囲まれた自然が豊かな所です。梅雨もなく、空気が澄んでいてさわやかな風が吹いていて涼しく、心が清められるようなとっても良い所です。瀬棚集会の皆さん、やさしくおおらかであたたかく、大きな一つの家族のような雰囲気があり、お互いに大きな愛で受け止め合い、支え合っておられる集会と感じました。四一年も集会が続けられ、親から子へ孫へと信仰が受け継がれています。様々なご苦労があったと思いますが、神様に祝福され導かれていることを感じました。ほとんどの人は酪農で牛を飼って生活されていますが、一家族だけ農業をされている人もいました。自然によって生活が左右される厳しい環境ですが、皆さん心から仕事を愛して誇りをもって一生懸命されています。三日間陽子さんと私がお世話になった、野中信成さんのご家族は奥さんと中学一年、小学六年の息子さんの四人家族で、あたたかく迎えてくださいました。酪農の仕事が忙しいので家族が助け合ってしていました。集会場から車で三十分ぐらいの一番遠い家で送迎も大変だったと思いますが、よくして下さり感謝でした。
今回のテーマは「赦し」についてでした。(創世記五〇・17~21)(詩篇三二篇)などから。吉村さんの講話で心に残ったのは、十字架によってすべての罪が赦されている。神様の愛は変わらない。日々罪を犯すが悔いるだけではなく、日々新しくしていただくことが大切。求めたら与えられる。人の罪を赦すことの難しさ、人には出来ないが神には出来る、聖霊を与えられたら赦せる、憎しみが消える、何をしていても常に神を仰ぎ聖霊を祈り求めていくことが大切。たえず求めていきたいと思いました。
利別教会の石橋牧師の講話(私が聴覚障害者なので事前に要約を下さいました)では、何のために赦しを受け、何のために赦すのか?目的がある。御国へ入るため、聖霊によって赦す者へと変えられて行くことが心に残りました。
二〇日(日曜日)は瀬棚集会の方々と共に利別教会の礼拝に参加しました。講話は吉村さん「見よ、万物を新しくする」(黙示録二一・5)からでした。
二一日は札幌集会での交流会に参加しました。札幌でも皆さんやさしくあたたかく迎えて下さり、主にあるお交わりが出来て感謝でした。講話は吉村さんで「みことばは わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯」(詩篇一一九・105)からでした。みことばは光、心に残りました。
それぞれの集会で吉村さんが、私が中途失聴者なので、聞こえないことはどういうことか?どうしたらわかりやすく話すことが出来るかを皆さんに話して下さり、徳島集会では、手話で賛美をしていることを話して、吉村さん、陽子さん、私の三人で手話賛美をしました。参加者の方々も皆さん一緒にして下さりとってもうれしかったです。手話も何人かの人が覚えて下さり、覚えた手話を使って下さったリ、手のひらに書いてくださったリ、筆談して下さったり、どの集会も皆さんとあたたかくお交わりが出来て感謝でした。神様が共にいて守り導いて下さったことを実感しました。良い経験が出来、思いをはるかに越えて恵みを与えられました。皆さんのお祈りに感謝します。ありがとうございました。
徳島市
S.M
常に神さまにたより、
神さまに祈り、
日々を過ごせることが感謝です。
(徳島市)
S.Z
晴天の日の夕焼けは殊更に美しい。
赤、ピンク、白、水色、そして頭上は果てしない青空が広がる。よくもこんなに美しい彩を造られたものだと、今更ながら感心して魅入ってしまう。
夕焼けに映し出された尾根は一際浮き上りこちらに迫って来るようにさえ見える。
大空と映し出された山は、その境界線がはっきりしているからこそ際立って美しいのだと思った。人は被造物。創造主の領域に入り込まず。その立場をキチンと守り境界線を保って居れば、この夕映えのように美しく、暖かく、包み込むようなホッコリ感があったのではないかと思いを巡らせた。
境界線をしっかり保てない私。主と共に居りたいと願いつつも、気付けばスンナリと、自己中心になっており、その度に主に「すみません。」と謝ってはいるけれど…。
二千年も昔に神の子イエス・キリストがこの地上においで下さった事は全くの奇蹟である。私は罪人である事を知らされた。神を知らず、信じなく、混沌の闇夜を歩いているような生活は、神様から離れた生活をしていたからだと示された。混沌の生活はイエス様を信じてからも続いた。知らずに身に着けていた。神様の前にふさわしくない飾り物は、苦労、悩み、忍耐を繰り返す中で一つ一つはがされていった。長年暢気な生活をして来た者にとっては、本当に限界の試練が続いた。けれど時を経た今は、それ等の試練がすべて感謝に変えられている事に気付く。 困れば神様に助けを求める。その細い細い信仰の糸でも神様からの命の息はずっと流され続けていて下さったのだ。すべての事を感謝出来るとはこんなに平安で有り難い事はない。私の努力や忍耐、頑張りでは到底成し得ない事である。
全く神業なのである。何時、如何なる状態にあっても、イエス様が示して下さった天地創造の神、全知全能の神、とりわけ迷っている私達に犠牲となって真実の生き方を開いて下さったイエス様、神様を信じて頼って行くならば、こちらが分からなくても裏切らないお方。その人にとって一番幸なものを下さる事を感謝しています。
徳島県
S.E
実は私、十月十日から禁煙しています。自分の力ではどうしようもないので、神様にお任せしています。禁煙しようと思ったのは無教会の方に喫煙者がほとんどいないこと以外にも理由があります。
日課に讃美を取り入れてみることにしたのです。歌を歌うのにタバコはのどに悪いですよね。一週間に一つ、同じ讃美歌や聖歌などを繰り返して大きな声で歌うのです。1年間だと52曲にもなるんですよ。讃美歌には讃美歌21、聖歌には新聖歌のようにメロディーを変えずに現代の分かりやすい言葉に置き換えた歌もありますよね。1曲で2度おいしいですよ。
さらなる恵みは讃美歌(聖歌)について聖書の参照箇所が右下のほうに書いてありますよね。これを声に出して読んでみるのです。立って、手足を動かしながら、歌詞の意味をじっくりと味わいながら神様を讃美すると、今も生きて働かれるイエス・キリスト様、聖霊の火を燃やし続けることにつながるのではないかと思います。おっと、ドアはきっちり閉めて下さいね。くれぐれも迷惑にならないように。
北のエルサレム―瀬棚聖書集会での印象
2014年夏、初めて北海道せたな町での聖書集会に参加する恵みを与えられました。札幌からバスで4時間。瀬棚は奥尻島の対岸の日本海に面した町です。地元から参加される方々は酪農や米作や養豚をされていて寸暇を惜しんでの部分参加の方が多いのですが、若い世代が中心となっているせいか、皆さん、とても明るかったですね。
希望を持って毎日の仕事に励み、またここが大切なのですが、生活(労働)と信仰が一致している生き方をしているなあという印象を強く受けました。どんな職業をしているか、ではなく、どういう生き方をしているか、がここでは問われていますね。
爽やかな風の音、本州では見られない草花や樹木、奥尻島を遠望できる日本海の美しいこと、こぼれ落ちてきそうな満天の夜の星空、自然の中での聖書集会に吉村さんの聖書講話にも熱が入りますよ~。
「土曜学校」では小学生を相手に吉村センセイがちょっとした実験を取り入れてお話しした。世界一受けたい理科(宗教?)の授業でした。
最後の夜の「感話会&交流会」では吉村さん・中川陽子さん・桜井保子さんの手話賛美や独立学園卒業生たちの男性コーラスや、野中正孝さんのギター演奏など、とても素晴らしい思い出を与えてくれたのです。
ファームステイは3泊させていただきましたが受け入れ先の家族は全然堅苦しくなくって主にあって聖霊の交わりができたように感じました。いいですよ、ファームステイ。
ちょうど職場が変わって3ヶ月、精神的に少しまいっていた時であっただけに恵みをより多くより深く感じたのでした。普段は触れ合うことのない乳牛を中心に鶏や犬猫まで…
お世話を少しだけお手伝いさせていただくと爽やかな汗が流れて心の中のもやもやなんて消えてしまいます。今回はおそらく吉村さんに勧められて参加した?人も多かったと思いますが、北海道外の方々の参加が8名あり、にぎやかな集会になりました。
この集会がもう41年も続いているというのはまさに神様のなさる業としか思えませんね。みなさん、来夏も、せたな、一緒に行ってみませんか?行ってみなければ得られないことってたくさんありますよ。
(愛媛県)
S.Y
今年も慌ただしく一年が過ぎてしまいました。それでも折々に、主が共にいてくださる。そう感じることが何度もあり、主の哀れみと深い愛に感謝するばかりです。中でも一月に父が亡くなった時には深い慰めをいただきました。
父は二年前から介護施設でお世話になっていましたが、夜中に転倒してから寝付くようになり、回復には至りませんでした。まだ意識もあり会話もできる状況で、今日明日のような事にはならないと思っていたその日は、うつらうつらしている父に、明日また来るからね。イエス様が一緒にいてくださるから大丈夫よ。と声をかけるとしっかり頷きました。そして次の日、施設に向かっている途中に施設からの電話で亡くなったことを知りました。その瞬間私は電車の中で、これは神様の最善だと思えるように少し無理をして祈っていました。でも本当は父と一緒に昨日祈らなかったことを後悔していました。まだ間に合うと思っていたのに…
心の中でいろいろなことを思い巡らしながら、1時間ほどしてようやく父の顔を見たとき、父はとても穏やかな平安に満ちた顔をしていました。その後に施設の牧師から、少し前に父と一緒にお祈りをしたばかりで、まさかこんなに早く召されるとは驚いたと言われました。神様は私の思いを知っていてくださり、召される前に施設の方々が祈ってくださっていたのです。
父とは一緒に聖書を読んだり、私が祈るのをじっと聞いていたりとイエス様を伝えるにはほんのわずかな時間でした。それでも神様はそのことを覚えてくださり、哀れんでくださったと信じ感謝します。 高槻聖書キリスト集会
S.K
私はかつて、いろいろな問題を自己流の考えで解決しようとし何れもうまくいきませんでした。
ある時、「汝の重荷を主に委ねよ」(詩篇55の22)のみことばに出会い嘘のように救われた経験があります、以来、何事もそのみことばに立ち返って生きております。 (徳島市)
S.T
八月下旬に胃の不調でクリニックを訪ねた。薬が全く効かず、薬の切れた二週間後に再訪すると、腹を触診していた医者が腹にあるしこりに気づいた。前回訪問した時にもあったのだが、胃の入りロあたりにあったそれはニセンチくらいの大きさで、医者は気づかなかった。前回訪問時の前夜、しゃっくりが一晩中おさまらずに、そのしゃっくりがしこりを作っていると思った私は、しこりを医者に言わなかった。ところが、そのしこりが次第に大きくなってきていて、二週間後には右に広がって五、六センチになっていた。医者は肝臓がんを疑って、市立病院に依頼してCTスキャンを受けることになった。画像をクリニックの医者に届けた私は、その翌日医者から呼び出された。
見せられたCTスキャンの画像は全体的に暗くて、臓器がどこにあるかもわからないが、医者は上方部ニヵ所を指して、ここに影がある、悪性腫瘍です、という。
私には何も見えない。胃がんであるか肝臓がんであるかも医者は言わない。悪性腫瘍と言われた段階で、私の頭は真っ白になって、勝手に胃がんと決めつけていた。
還暦になるまで病知らずであったのに、還暦を過ぎたら、ドンドンドンと大きな病気にかかり、三つめがガンだった。
肝臓がんの疑い、さらに悪性腫瘍、と言われて、かなり慌て、落ち込んだが、まだ結果が出たわけじゃない、と周りから慰められる。
CTスキャンの画像と紹介状をもって県立がんセンターに行った。呼ばれて部屋に入ると、医者は、家族の方がいるなら一緒に部屋に入ってください、と言う。その瞬間、病状はかなり深刻なのだ、とわかり、付き添ってくれていた姉を招き入れた。
二人を前に、医者の診断の第一声は、「手術不可です」だった。私の脳裏に、人生の舞台の最終幕がいきなり開いていくのが見えた。胃がんではなく、その裏側にある膵臓がんが疑われる。リンパ腫もあり、腹水も溜まっている、と画像を見ながら説明する。リンパ腫だって? それって血液のガンだろう。体全体に広がって行くんだろう。完全にアウトじゃないか!
それなのに意外と冷静に受け止めているな、と感じながら、画像をぼんやりと見ていた。クリニックで見た画像と同じなのに、こちらの方は明るく鮮明だな。クリニックの医者が指し示した影があるという上部を見るが、影は見当たらない。
余命三ケ月くらいなのかな、と思う。しかし、それを訊く勇気がなかった。
病院からの帰り道、聖書の勉強をもっとしたかったなあ、が私の最初に思ったことだった。人生なんてこんなに簡単に終わってしまうのだ、と驚いた。ままならない人生だったが、最後までままならず、中途半端な人生になってしまった。だれの役にも立たない人生だった、と寂しく悲しくなった。
その翌日、聖書の勉強をもっとしたいと思ったけど、わからなかったことは神の御許に行けばすべてわかるのだ、回答がそこにあるのだ、喜ばしいことじやないか、と慰めた。だが、もっと勉強したいという思いは、聖書から得た啓示を集会の皆と分かち合い、喜び合いたい、というところに根差していることに思い至った。
人は神の用事がすむまで死なない、と信じていた私は、私のこの世での用事はすんだということか、とも思った。神の道具としての働きはあまりしなかったなあ、と神にすまなく思った。
がんセンターで行った検査の結果が出た。ガンは胃でも膵臓でも肝臓でもない。どこから来ているのかわからない。胃が苦しいのは腹水が押しているからだろう、という。ガンは悪性であり、手術はできないと改めて言われ、もう一度検査することになった。
やはり余命三ケ月くらいないのか、と思ってしまう。思い切って訊いてみた。すると、余命幾らかは言わない。余命なんてはっきりしたものではない、といわれる。
腹のしこりは急速に大きくなっていて、この頃は手の平サイズになっていた。時折強い痛みに襲われて横になっていなければならないこともあった。食欲は全くなかった。ガンでは、しこりを感じて、痛みが出てきたらおしまい、との言い伝えが心によみがえる。
やせ細り、顔は青白く、肌はかさついて、顔から表情が消えていた。すべてが悲観的な方向に向かっていた。それでも、食べなければ死んでしまう、と言い聞かせて、無理に食事を詰め込んでいた。食事が苦行だった。
姪がインターネットで調べて、胃の外にできた手術不可能なガンに対する薬もあるよ、と教えてくれる。治療法が全くないわけではないと分かり、かすかな希望となる。
検査結果の出る前日、聖書通読で読んだ部分は、イザヤ書三八章から四〇章とローマの信徒への手紙一四章だった。ヒゼキヤ王が死の病にかかり、預言者イザヤより遺言の準備をするように告げられた王は、まことを尽くし、ひたむきな心で神の前を歩み、神の目にかなうことをしてきたことを思い出してください、と神に折った。するとヒゼキヤの命は十五年延ばされた。
私はヒゼキヤが羨ましかった。私にはヒゼキヤのように神の前に誇れるものは何もなかった。延命を望む折りはできなかった。
ロマ書では、「わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです」を示され、ただ主に頼り、主にすべてをゆだねるしかないのだ、と再確認した。
その翌日の検査結果は、胃からくる悪性リンパ腫、だった。悪性リンパ腫と聞いた瞬間、その前日に見た映画で、主人公の妻が悪性リンパ腫で亡くなっているのを思い出した。医者は、日本人に一番多い病気で、胃がんよりもやさしい病気で、九○%の人に治療効果が出ているといい、どんなに治療法が確立されているかを説明する。
それでも、悪性リンパ腫イコール死の考えを刷り込まれている私は、映画のことが頭を離れず、それを言うと、医者は苦笑した。付き添っていた姉が、あれは物語だから、と私をたしなめた。
説明を終えた医者が、軽く声をあげて笑った。説明終了直後に、私は思わず安堵の息を大きく漏らしていたのだ。それに気づいて、私は照れ隠しの笑い声をあげていた。全く久しぶりに無心に笑っていた。
治療法に望みがあると示され、ヒゼキヤに起こった奇跡が私にも起こったと思った。神の恵み、憐みが、何の功(いさお)もない私に神から一方的に与えられたのを実感した。
そして、イザヤ書四〇章三一節に、「主に望みをおく人は、新たな力を得]とあるように、新たな力を与えられ、その数日後の一〇月四目には、ほとんど出席を諦めていた市川での無教会全国集会に参加できたのだった。
集会で歌われた讃美歌二九の一節、
…主にまかせよ、汝が身を、
主はよろこび、たすけまさん…
あらしにも、やみにも、
ただまかせよ、汝が身を。
そして二節の歌詞にも、まことにその通り、と胸がつまり歌えなくなった。
讃美歌ニ八〇番、五一四番もまたしかり。涙があふれて歌えなかった。
讃美歌がいかに慰めとなるか、力を与えられるか、福音そのものであるか、改めて教えられた。
病によってより神に近づけられ、病もまた恵みなり、を実感している。 千葉県
S.M
「はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」(マルコ十・15)
十一月九日、主日礼拝の学びの中で心に残ったみことばです。素直に真っ直ぐに神様を受け入れることが祝福に繋がっていくことを心に刻みました。難しい問題に直面した時、突然試練に見舞われた時、神様を信じ祈り求めていきたいと思いました。一年一年体力や気力は衰えていきます。イエス様から聖なる霊を日々注いでいただかなければこの世のものにまどわされたり罪誘惑に負けて、幼子のように神様を見つめる心は与えられません。内なる人に霊を注いで頂き、どんな時でも全能の神様の力を素直に信じる心を与えられるように、祈りつつ歩んで行きます。 (鍼師)
徳島市
S.H
ダニエル書、3章16~18より
シャドラク、メシャク、アベドーネゴはネブカドネツァル王に答えた。
「このお定めにつきましてお答えする必要はございません。私たちのお仕えする神はこの燃え盛る炉や王様の手から私たちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。
たとえ そうでなくとも ご承知ください。
私たちは王様の神々に使えることもお建てになった金の像を拝むことも決していたしません。」
半年前から海陽集会ではダニエル書を学んでいますが、ダニエル3章の1~30節は私には特に印象的で中でも、上の言葉は心に残り、噛みしめています。
また、この18節から題名が取られた安 利淑アン イスク著 「たといそうでなくても」(以前にも読んだけれど)をもう一度ゆっくり読み込もうと思い読み始めています。
(徳島県)
S.M
今年は一月には神奈川県で、また七月北海道の瀬棚と札幌の兄弟姉妹たちを訪問し、八月には山中湖、九月には徳島へ、十一月には鹿児島で兄弟姉妹とお会いし交わりの時をもつことができました。このことは数年前には考えもしないことでした。自分であれこれ計画したことではありませんが結果的に各地を回り、交流することがゆるされたことを神に感謝します。
主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きないさい。・・・・」アブラムは主の言葉に従って旅立った。 (創世記十二・1~4)
父の家を離れてわたしが示す地に行きなさいとありますが、「離れて」の語はイエス様が十字架上で叫ばれた詩編二十二・1「なぜわたしをお見捨てになるのか。」の「見捨てる」と同じヘブライ語が使われているそうです。「父の家を見捨てて」とも訳すことができるそうです。父の家を見捨ててわたしが示す地に行きなさい、とも訳すことができるそうです。
イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。
(マタイによる福音書 四・18~22)
そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。…彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。 (ルカによる福音書 五・1~5)
その後、イエスは出て行って、レビという徴税人が収税所に座っているのを見て、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った。
(ルカによる福音書五・27~28)
まず最初にイエス様から語りかけられた。イエス様の言葉を信じて行動してみた時に人生に転機が訪れたことが記されています。自分たちが想像した思いを越えておびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。4人の弟子は網を捨てて従った。ルカの福音書では「網を捨てて」ではなく、「すべてを捨ててイエスに従った。」と書いてあります。その時まで自分が持っていたものをすべて捨てて神に従うということができるかどうか。自分の力で従うことのできる人はまずいないと思います。アブラムにしても、弟子たちにしても何もなかったようにすんなりとただ「従った」と書いてあります。実に不思議です。小説にあるように悩んだり、苦悩したりしたような様子は書いてありません。
願わくば歴代の聖徒たちにお与えくださったものと同じ霊を我等にもお与え下さり、ただ単純に従う心を与えてくださらんことを祈ります。387-0015 長野県千曲市鋳物師屋 62の3
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詩編四十八編
大いなる主、限りなく賛美される主。
私たちの神の都にある聖なる山は
高く美しく、全地の喜び。
北の果ての山、それはシオンの山、力ある王の都。
1.瀬棚四十一回聖書集会
二〇一四年七月一七~七月二十日の午前まで、北海道の瀬棚の四十一回目の聖書集会へ主にある兄弟姉妹七名で参加させていただきました。瀬棚のこの集まりの最初の人、生出正実氏のお話によると、入植して今年で五十年になるとのことです。
一九四五年、戦後の瀬棚は、満州から追われ日本へ帰って入植された人々も多いと聞きます。ちょうどそれから二十年ほど経って一九六四年、東京オリンピックがあった年、生出氏が瀬棚へ入植されました。一九六〇年代は都市部での経済成長の誘いなどにより農業(酪農など)を諦め、離農する人々も多い中での入植であったと予想されます。入植された場所は全くの荒れ地であったそうで、何も無いところから始められました。その後、神様の導きによっておこされた人が、一人また一人と集められて、後に集会のできる場所が与えられ、今回の四一回目の集会まで守られてきました。
五十年の歳月の神様の導きの中で、喜びや困難は私は知るよしもありませんが、瀬棚の利別教会の方々の祈りと隠れた実際の助けを通して、また生出氏に続いてその後入植された人々に連なる人々の祈りと実際の隠れた助けを通して、ここまで導き守られて来られことを宿泊先の野中正孝、明子夫妻のお話や皆さんの感話を通して知ることができました。
昨年まで、四十年もの長い間、生出氏の奥様の真知子姉が夏の聖書集会の来客者の宿泊のお世話をしてくださったとのことですが、昨年来、高齢化のため、また体調の状態もありお世話が困難となられたそうです。が、思いがけなく道が与えられ、こうして私たちも各農場への宿泊が与えられたことは感謝です。
ここでの集会は驚いたことに、おもに酪農(養豚や米作の方もおられるようですが)を主体とされている方々の集まりですが、まさに「老若男女」の集まりです。お母さん(お父さん)におんぶに抱っこの幼い子どもたちもいれば、小学校の児童や祖父母の方もおられます。今回の集会の取りまとめをされて来られた野中信成様も、ご自分で「継承」ということを強調されておられましたが、三世代が一緒に参加しておられました。申命記六・6~の聖書の言葉そのものがあります。神様の不思議な業を感じました。まさにアブラハム、イサク、ヤコブに対して与えられると誓われた土地に、神様イエス様がその中心で働いておられることを感じることができました。神様から導かれキリストにあって体が共に立て上げられ神様に感謝と賛美を捧げる実際そのものがありました。
家に帰って妻に瀬棚の人々のそんな様子を伝え、「私達の子供をその農場で働かせてもらえたらいいね。給料無しでいいから。」と話しました。また無教会の集会、教会が一緒に集まる点も素晴らしいことと感じました。
・・講話内容・・
四十一回目の今回のテーマは「赦し」というテーマでした。徳島聖書キリスト集会代表の吉村孝雄氏が一回目から三回目まで話され、利別教会の石橋隆広牧師が四回目をお話されました。
1.講話「旧約聖書における罪の赦し」
旧約聖書では創世記の最初から一貫して罪の問題と罪の赦しについて記されている。創世記一章1~2では混沌とした真っ暗闇(罪)と、聖なる(風)霊と光(赦し)。創世記二章三章では地上が乾いていた。命がなかったが、(罪)。水を与えられた。(赦し)。創世記三章14~15はイエスがサタンを打ち砕き罪を赦され力を与えられる。創世記四章でカインは弟アベルを殺したが、神はそのカインを守られた。(赦されている創世記四・15~16)。ヤコブの兄たちも弟ヨセフに対して悪を企み罪を犯したが神様に赦された。兄たちが罪を悔い改めたことで、それを聞いたヨセフも涙を流してよろこんだ。(創世記五〇・17~21)これが神様のお心。
2.講話「詩編における罪の赦し」
詩編は人間が書いたものではあるが、人を通して語られた神の言葉である。神様の「お心」がそのまま詰まった生きた化石。(詩編三十二編1~2)。「いかに幸いなことか、罪赦された人」とある。
「幸い」はスポーツやオリンピックで一番になる幸い、有名人になる幸いなどは、ごく一部の人しかなれない。誰でもなれるものではない。病の人はなれない。さらに、このような幸いは一時的であり、永遠に残る幸ではない。神様から与えられた罪の赦しが永遠の幸いである。
詩編の作者はこの幸いを詩にした。現在の我等も全く同じように感じる。この幸せは天の星のように揺るぎなく輝いている。この幸いを他者に伝えて行きたい。
3.講話
「赦され、赦す 福音書とパウロ書簡による赦しと愛」
マタイ十八・21~35、自分の膨大な借金(罪を)を帳消しにしてもらった(赦された)者であっても、身の回りの人に対して罪を赦すことができないものだが、主に在って祈り求めることはできる。赦すことができるように祈ることができる。祈り求めれば与えられる。(マタイ七・7、マタイ五・3)・幸いだ霊において貧な人。罪が赦され、新しい力が与えられる。(エフェソ二・1)。罪のために死んでいた。みんな病んでいた。死んでいた。自分がわからない者であった。みんな自分自分の世界の中に死んでいたが、罪を赦され、キリストと共に復活し生かされたものとなった。(ルカ二十二・54~62)。ペトロは三度イエスを知らないと言ってイエスを裏切ったが、イエスはペトロを振り向いて見つめられた。その時ペトロが自分が本当に罪深い者であり、正しいことが出来ない者であることに気が付いて、悔い改めて泣いた。古い罪の自分に死に赦されて、イエスと共に復活の命にあずかることによってほんとうに人を赦すことができる。
4.講話「赦し」利別教会 石橋隆広牧師
私たちの最終到達点は神様の御国の完成が最終ゴール
(Ⅰヨハネ手紙一・5~10)
1.明確な信仰
信仰には段階がある。足首まで浸した信仰から、水の中にしっかり入り泳いでゆく信仰の段階に入り、経験して行く。
2.確信を得る方法
罪を公けに言い表わすならば、自分の内の罪と不信仰の罪を言い表すならば、自分がからっぽになり、十字架の血によって自分の空っぽにになった魂に命を与えられ罪を赦され救いの確認を得て光の中を歩むことができる。
3.救いの確信の結果
マタイ五章の主の祈りにもありますが、その信仰によって人を赦すことができる。人を赦せないという悩みもあり自分を責め、そういう自分もまた赦されて、愛する心が与えられる。
4.罪の清め
罪を浄化していただき、聖別していただき、主に住んでいただき、また自分を明け渡して、主を主として聖霊に住んでいただくことができる。具体的な取り組みが必要。実際に本当にひざまずいて、頭を床に擦り付けて祈ると、何かが変わる。変えられて行く自分に気が付く。
5.赦しの最終目的 ゴール
ただ人間関係が良くなるため、あるいは 人生が祝福されるための赦しでとどまるのではなく、神様の御国の完成が最終ゴール。いろいろとこの世の中、ニュースなどで問題が報道されますが希望をもって神のみ国の完成に向けて進みたい。
・・フリータイム・・
三日目の午後のフリータイム、私たちは米作を中心としておられる横山兄に、瀬棚港と立象山、ご自宅の農園を案内していただきました。農薬を使わない米作の水田を見せていただき、自宅に面したブルーベリー園で、枝から直に摘み取り、たくさんいただきました。
・・主日礼拝・・
瀬棚での最終日七月一九日(日)の午前は、利別教会での主日の礼拝で、その説教として吉村氏が、語られました。
黙示録二十一・5「見よ、わたしは万物を新しくする」の箇所。この言葉はこの世の様々な問題をも包含する大きな意味を持っている。全ての目に見えるものは死に向かって行く。古びて行き、やがては朽ちる。人間も同じ。太陽でさえも同じで長い目で見たら衰えて行き老化し光を失う。その中にあって、「万物を新しくする」という言葉を与えられた。赦しもこの新しきものの中に含まれる。
私たちが赦されると万物が全く新しくさる。永遠に新しいもの。これはイエス様、聖霊様が確かに入ってくることだ。外なる人は古びて行くが、内なる人は日々新しくされる。新しく生まれると、天で大きな喜びがある。光があれば、新しいものが見えてくる。聖なる霊の風が吹けば、今までの汚れたものが吹き飛ばされて、見えなかったものが見えるようになる。新しいものがみんな見えてくる。イエス様を受け入れ、十字架の贖いを信じて復活の力を知らされてから何か新しくなった。
イザヤ三十五・1~2、荒れ野よ、荒れ地よ喜べ 砂漠よ、喜び花を咲かせよ。全く何もないところから花を咲かせる。五節、見えない人の目が、見えるようになり、耳の聞こえない人が聞こえるようになる。あたらしくされたら新しい目と耳が与えられた。
エゼキエル三十七・4。「枯れた骨よ、主の言葉を聞け」私たちもみな枯れた骨のようなものであった。「お前たちの中に霊を吹き込む。」神様から聖なる霊が吹き込まれたら死んでいたものが生き返って全く新しくされる。
復活。パウロはその書簡の中で私達はイエス様と同じような栄光の姿に変えられると言っている。ハンセン病の方も然り。愛は全てのものを新しくする。私も(吉村氏のこと)神様の愛で新しくされた。永遠の新しいものは神様からキリストからくる。いかなる状況になっても新しくする力を持っている。
黙示録二十一・5この箇所は宇宙全体が全く新しい天と地になることを含んでいる。イエスは、わたしは復活であり命であると言われた。信じる者は既に永遠の命を与えられている。
2.札幌交流集会
利別教会会堂の近くのバス停でバスに乗り、長万部で鉄道へ乗り継ぎ、引き続き二十日夕刻~二十一日午前、兄弟姉妹五名で札幌の合同集会へ参加させていただきました。二十日夜、北海道の方々が夕食会を準備して下さり、歓迎していただきました。
二十一日のこの札幌交流集会は北海道にある札幌聖書集会、札幌独立キリスト教会、インマヌエル札幌キリスト教会、また旭川、釧路からも集められた合同の集会です。私たち五名で加わり一緒に感謝と賛美み言葉の学びができました。各テーブルに置かれた、たくさんの美しい花に迎えられ、釧路から来られた岡田利彦兄の絵画も会場に展示してくださり、落ち着いた雰囲気でした。またM兄が90歳を超える年齢にも関わらず一緒に手話による賛美をされたことは印象に残りました。
・交流集会での聖書講話
「道の光としてのみ言葉」吉村孝雄
(詩編百十九・105~112)
日本の社会では人間の言葉はインターネット、テレビ、新聞あらゆるところで溢れているが、神の言葉があまりにも語られない。神の言葉があることすら知らされていない。また神の言葉を知らされながら、途中で人間の言葉や意見などに引っ張られて行く人もたくさんいる。私達の間であっても神の言葉より人間の意見思想を優先するようになる危険性がある。だんだんと反れて行く危険性がある。人間の思想は本当に苦しむ者に対しては助けにならない。役に立たない。人間の言葉ではなく神の言葉があるということをしっかりと心に刻んでおく必要がある。私達は人をみるのではなく「大祭司なるキリストを思い見よ。」と言われている救い主なるイエス様を見る必要がある。(文語訳聖書ヘブル三・1 大祭司なるイエスを思い見よ!)。我々人間(のことば)は、神の言葉の前では太陽の前のホタルの如し。
神の言葉、み言葉の重要性について一番徹底的に詳しく広く書いてあるところが詩編百十九編。「神の言葉」は詩篇では、戒め、掟、律法、定め、み教えなどいろいろに訳される。 105節、み言葉は私の道の光。光には暖かさと情熱を含む。またエネルギーがある。イエス様の愛(暖かみ)をその光とともに感じる。
書かれた言葉だけでなく、生けるキリストから直接語られる、聖霊によるみ言葉を聞いて行く。自分(吉村氏のこと)が研究者になる道から伝道者へと方向を決めた時、人間と相談したのではない。誰ひとり人とは相談しなかった。生きて働くキリスト様からのみ言葉によって決断した。夜間の定時制へ行こうと決断した時も、多数のの本を研究しても与えられない霊的収穫を得た。み言葉に従って決断した時、定時制高校で起こった部落差別と関わる困難な暴力事件が解決していった。
単純なことーイエス様をしっかり見つめたら、イエス様「どうしたらいいんですか。」と叫べばみ言葉を語りかけてくださる。それが道の光であり、愛である。107節に命を与えて下さいとある。これを完全に成就されたお方がイエス様。み言葉の完全な結晶体だ。109節でみ言葉の正体であるイエス・キリストはどんなことがあってもわたしたちを忘れない。他のことでどんなことがあっても優先させたりしない。神様は今もみ言葉を注ごうとして、一所懸命に語りかけられている。人間はみな神の言葉には聾であり、み前に立って歩けない者であり、盲目だと。
イエス・キリスト様によって初めて目が開かれ、そして聞こえるようになってくる。うっかりしていたら反れてしまう。目を覚ましていなさいと言われた。うっかりしたらまた閉じられてしまう。また目が見えなくなる。そして有名人とか、この世の地位肩書そういうものに目が行ってしまう。イエス様はそれらの全てのものをかなぐり捨てて人間の中身を見ぬいた。私達もそういう目をいただかねばならない。113節、119節、127節に「み言葉を愛する」という言葉が短い文の中で三回も出てくる。神様を愛するのと神様のみ言葉を愛するのと同じだ。130節で、み言葉が開かれたら、光が指す。とある。最後のところ172節、175節では賛美が自然と出てくる。自然と賛美が出てくる。み言葉の偉大さと自分の弱さを知って、僕を探して下さいと言っている。
私たちも、聖書のみ言葉を学ぶ必要がある。そして直接イエス様のみ言葉を聞いて従うことができるように願う。
3.おわりに
瀬棚と札幌の集会に参加して北海道の地では、神様を賛美礼拝する兄弟姉妹がおられ、神様の導きにより守られ、育まれていることを感じました。神様がアブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、ダビデに約束されたことは、確かに現在の私たちにも約束されており、神様が守り導かれていることだと確信し、瀬棚と札幌の方々の存在自体、私たちのあるべき姿であり力づけられて帰って来ました。
最初の詩編四十八編にもどります。
大いなる主、限りなく賛美される主。
私たちの神の都にある聖なる山は
高く美しく、全地の喜び。
北の果ての山、それはシオンの山、力ある王の都。
ダビデがイスラエルの王となり、ダビデの町(エルサレム、王の都、神の都と同じ意味)で神の箱を前にして、主をたたえて感謝と賛美を捧げた記事が、歴代誌上十六章にありますが、その時の感謝と賛美の内容はこの詩編の内容と似ています。歴代誌十六・23「全地よ、主に向かって歌え。」十六・24「国々に主の栄光を語り伝えよ」十六・25「大いなる主、大いに賛美される主」とあります。
ダビデ王の後のソロモン王の時代もエルサレムに神殿が建てられてから、きっと神様への同じ賛美が何回も何回もずーと繰り返されて来たと思います。また神様の恵みによってバビロン捕囚から帰還できてから、神殿を再建し、神に感謝と賛美がささげられて来たと思います。目に見えるエルサレムの神殿は何回も破壊されましたが、私たちは永遠に神の宮に住みます。
パウロは私達自身が神の住まい、神殿であると言っています。(Ⅰコリント三・16)自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。(Ⅱコリント六・16)。また、キリストに於いて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。(エフェソ二・21~22)人々の内にキリストの霊、神様の命が住まわれてキリストの体となると言っています。黙示録二十一・2では「新しいエルサレム」が神のもとを離れ、天から下って来ると言っています。私たちも集まりの中でこの幸いを感謝し賛美し、また周りの人にもこの神様の永遠のご計画を証しし伝えて行きたいと願います。
エレミヤ書を通して教えられたこと S.Y
浦和キリスト集会では、礼拝の時に、エレミヤ書を取り上げて読み続けています。これまで、新約と旧約を交互に取り上げて来ましたが、ここ1、2年、ルカによる福音書、ローマの信徒への手紙、ペテロの手紙、ヨハネの手紙、とずっと新約が続き、やはり旧約をしっかり読まなければ、ということで、半年ほど前からエレミヤ書を読み始めました。現在全52章のうち、約半分まで読み進んできてようやく、少し落ち着いてきました。
聖書を読みながら、「ようやく落ち着いてきました」というのも、大変おかしいことですが、これにはわけがありました。 旧約の預言書ですから、きっと大変だろう、あるいは難しいだろう、と予想して、それなりの覚悟はしてきましたが、一番困ったのは、その多くの章で、エレミヤを通して語られる神様の、ユダの民に対する、実に厳しい裁きと亡国を告げる言葉であることでした。
このような厳しい神の裁きの言葉の中から、一体どのようにして、福音の喜びと、主イエスにある平安を語ったらよいのか、と毎回四苦八苦でした。でもその毎回の四苦八苦の中での「神様、あなたご自身が語ってくださいますように」という祈りの中から、神様は、一回一回、思いを超えて、語るべき言葉を与えてくださいました。これは本当に不思議な、しかし深い経験でした。
こういう中で、エレミヤ書について、次のようなことを考えさせられ、教えられました。
第一に、なぜ神は、ユダの国を滅ぼしてまで、神の言葉を聴き、律法を守り、神の遣わしたもう預言者の言葉に耳を傾けることの大切さを、繰り返し繰り返し語り続けなさったのか、その理由が少しく示されたように思った事です。
それは、人間にとって、神の言葉を聴き、神の律法を守ることが、何にもまして重要なことであり、どんな理由があったとしてもこれを軽んじてはならない、ということでした。これがその根本においておろそかにされる時に民は堕落し、結局は国が滅ぶ、ということでした。
第二に、国が滅亡に瀕した時に、エレミヤがユダの民に、迫りくるバビロンに対して、抵抗しないで降伏し、捕囚を受け入れよ、と語り続けたことの意味でした。それは、圧倒的に優位な力を持ってユダを囲むバビロンは、神の僕である、という霊的直観でした。神がバビロンをユダに遣わしたのは、ユダの宗教的堕落に対する裁きでした。その神の裁きの手段として遣わされたバビロンに対して、どこまでも抵抗するということは、神に対して自分の罪を認めないということでもありました。だからエレミヤが、バビロンに降伏せよ、ということは、ユダの民よ、汝の罪を認めて、神の前に悔い改めよ、という預言者の判断だったということです。しかし、エレミヤがこれを直言すればするほど、ユダの指導者たちはますます意固地になって、果ては、エレミヤの命さへ脅かそうとしたのでした。そういう中で、ユダの国は滅んで行ったのです。
そして第三に、旧約も新約と同様に、しっかり読まなくてはいけないという自戒にも似た気持ちを新たにしたことでした。かつてある方が、「聖書は新約だけでよい」というようなことを言われ、それを文書で書かれたことがありました。でもこれは間違いだということです。
確かにわたしたちが一番大事にしている神の子キリストによる罪の贖いの福音、そして復活の信仰は、新約の、特にパウロの福音理解に教えられるところが大であり、これがキリストの福音の命であるのは事実です。でも、その福音の中心である、神の子が十字架で死なれたのは何故かを考える時に、神が、いかに「人の義」と同じように、「ご自分の義」を大事にされたか、ということに思い当たるのです。「神は、このキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、・・・神の義をお示しになるためです。このように神は、今この時に義を示されたのは、ご自分が正(義)しい方であることを明らかにし、かつイエスを信じる者を義となさるためです。」(ローマの信徒への手紙3・26)とあるとおりです。それをエレミヤ書はわたしに教えてくれました。
エレミヤはこのことを自分のすべてをかけて、生涯語り続けたのでした。この厳しい律法に対して無力な人間をどこまでも憐れみ、神様は罪のない神の子キリストをわたしたちに下さって、律法の呪縛からわたしたちを解放してくださり、確かな救いの道を開いて下さいました。しかしその律法は、だからと言って、どこまでもゆるがせにされてはならないのです。それは人間にとっての命であることには変わりないのです。だからキリストの十字架の尊さがますます明らかになるのです。
そういうわけで、たしかに難しいエレミヤ書ですが、これからも神様に励まされ、エレミヤに勇気づけられ、続けて読んで行きたいと思っております。 浦和キリスト集会
さいたま市
S.M
神様に立ち返って生活するようになってから、自分の中に巣くっている罪が、如何に根深いものなのかを感じるようになりました。というよりは、今まで如何に罪に対して鈍感に暮らしてきたのかが悔やまれます。
「わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意思はありますが、それを実行できないからです。」(ロマ書7章18節)とパウロも嘆いていますが、日々このような気持ちの繰り返しで、自分の努力で自分の言葉や行いをコントロールする事は到底不可能です。
そして、五体の内にある罪の法則に嘆いているだけでは、苦しくてしかたがありません。でも、私の根深い罪を担って十字架についてくださったイエス様が私の内にいてくださるので、その日の罪をその日のうちに赦していただけます。
Amazing grace!
ヨハネによる福音書の「姦通の女」のお話で、「罪を犯したことのない者がまず、この女に石をなげなさい。」とのイエスの言葉に、周りの者が皆立ち去った記事があります。イエス様は、表面に顕わにならなくても、心の中にある罪を問われます。イエス様の前では正直にならざるを得ません。
弱き肉体を持った者ですから、私はこれからも罪を犯してしまうと思います。でも、神様の前で正直に生き、罪については敏感に反応し、心から赦しを乞い、願わくば、神様に自分の五体を献げて生きられる者となれるように、日々祈っていきたいです。 長野県
T.Y
2014年を振り返ってみると、火山の噴火、台風と、災害が多かったように思います。特に、8月から9月までに、4回の台風があったもので、今までに、経験したことのないような大雨に発展しました。
今回の大雨では、避難情報のメールを受信するという、初の体験があったもので、通常の着信音とは違う音でした。幸いなことに、市内の周辺では、大きな被害もなかったものの、県南の地域では、壊滅的被害となってしまいました。
8月の大雨だけは、音による恐怖感もあったもので、マタイ福音書の、嵐を鎮める場面を思い起こしつつ、天候の回復を待っていました。1日も早い復興を祈りたいものです。以下に、聖書箇所を入れておきます。
…イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。
そのとき、湖に激しい嵐が起こり、舟は波にのまれそうになった。イエスは眠っておられた。
弟子たちは近寄って起こし、「主よ、助けてください。おぼれそうです」と言った。
イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」そして、起き上がって風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。
人々は驚いて、「いったい、この方はどういう方なのだろう。風や湖さえも従うではないか」と言った。 (徳島市)
T.N
二○一四年九月一四日の岡山聖書集会は感動的な集会でした。
〇香西民雄氏後を引き継いで、今回から香西信氏が聖書の話を担当されました。ヨハネ福音書一の一~一の五「初めに言があった。」でした。この箇所はこの福音書の土台となるところですが、これからの岡山集会の礎ともなるのだとの思いを深くしました。信さんの決意を感じました。
〇七月に病(脳出血)で倒れたTさんが、出席されました。しかも娘さん、孫さんと一緒にです。娘さんの話「三十年前にはこの集会に両親連れられて来ていました。今度、母が倒れ、母にとって一番大事にしていた事は何か、と考えた時、朝夕聖書をいつも読んでいた事を思い、読み聞かせようと詩編を読みました。そして目が覚めた思いがしました。私もこれから聖書を学んでみたいと出席しました。」
〇広島から信さんの若い友人も出席されて、クリスチャンの両親を尊敬されている様子が伝わってきました。
若い人々に身近の御両親を通して、信仰の道が伝わっていることを実感した集会でした。そして、四年前、徳島聖書キリスト集会の吉村さんが岡山での集会で「刈り入れ人が足りない」と話されていた事が、こんな形で実現するとは思いませんでした。祈りの大切さ(特に若い人への)を実感した集会でした。
「神様のなさる事は計り難い」と思いました。(岡山市)
T.K
先日、友人の教会で“ピエトロ・ガルネリが奏でるツゴイネルワイゼンをあなたに!”
というタイトルで賛美演奏がありました。
題にある高価なバイオリンのことも、ツゴイネルワイゼンという曲(みんな聞いたことがある曲でした。が)のこともよくわからないで、ただ、ユーオーディアのバイオリニストとピアノの美しい音色が聞きたくて行きました。
とても、美し調べとバイオリン奏者の蜷川(ニナガワ)いづみさんの証しに、とても心を洗われました。
その、最後に“主の祈り”A.H.マロッテの曲を演奏してくださって、いつくしみ深きをみんなで一緒に賛美して、終わりました。それから、暫く後の、スカイプで参加した、徳島での移動夕拝でも最後に「主の祈り」の賛美(新聖歌54)で終わりました。
その賛美は、最近聞いたばかりの曲ですが、その歌の終りの部分「国と力と栄はとこしえに」のフレーズが、耳にはっきりと響いて来ました。感謝でした。その友人のお母様はそれから間もなく10月29日の朝方天に召されました。
以前、送っていただいた近畿地区無教会 キリスト教集会の録音CDの中に歌がありました。
弱い事って素敵だよ!
優しい心が生まれるよ。
弱い事って素敵だよ!
温かい思いが育ってくるよ。…
豊かな心が育ってくるよ。
苦しみ悲しむ人たちを優しく包む愛。
どんなに小さな命でも愛おしく抱きしめる優しい愛うまれるよ。
イエス様は簡単に誰にでも解ることを用いて真理を教えられました。
私たちも本当に見えないものを見る、聞こえないものを聞く、素直な優しい信仰や心を持たなければ神様に出会えないことを、その時、改めて教えられました。
イエス様は悲しむものの隣で、共に今の病の人の苦しみ、悲しみ、共感してくださると信じています。貧しい人、弱い人を愛してくださいます。死に打ち勝つ永遠の命を与えてくださります。(Ⅰコリント15の26)
そしてただ、イエス様を信じて、見上げたいと思うと、手を取って、神様という非常に高い霊的なところに導いてくれると信じています。そして、最後にはたましいを身許においてくださることを心から感謝して、信頼していかせていただけますように!
わたしの家のカレンダーの十一月のものに
“悲しみは笑いよりまさっています。
悲しみは私たちの心から不純物を取り除く効果があるからです。” (リビングバイブル)
とあります。
また、以前父が私に、教えてくれた好きな箇所があります。
“神は苦しむものをその苦しみによって救い
彼らの耳を逆境によって開かれる。”ヨブ記三六の5
十月は、日々のことで体力的にも精神的にも疲れてしまった時に、眠られぬ夜のために(二部)ヒルティ著十月十九日
われわれが、もうとっくに克服してしまったと思っていた内的、外的の試練や誘惑がより高い人生の段階において繰り返すことがよくある。そうしたことが、起こってもあまり驚かないが良い。
これまで神は同じような場合にいつも助けてくださった。今度もまた助けてくださるに違いない。・・・だからしばらくのあいだ、なお辛抱して信頼を失わないことが何よりも大切である。そうすれば、全てを勝ち取ることができる。
これとほぼ、時期を同じにして、スポルジョンの「朝ごと」にで、
「神よ、私に清い心を造り 揺るがない霊を私のうちに新しくしてください。詩篇五十一の10
クリスチャンよ、あなたの弱いことを神に熱心に助けを求める理由とせよ。多く祈れ、神の言葉に生きよ。あなたから主を追い出した肉欲を殺せ。罪が再び頭をもたげない様に警戒せよ。主はご自身の定められた方法を用意される。「主よ、揺るがない霊を私のうちに新しくしてください」と叫ぶのをやめてはならない。
とありました。ずっと前から心に残っている矢内原忠雄の日々の糧の中にルカ十四.26、十字架を負うというところで、もし人が私に従ってくるなら、どうしても十字架を負わされますから、各自の十字架を黙って背負ってついて来なさいとイエスは教えられた。各自が自分の十字架を背負って一人ずつ超えなければならない狭い道です。ふところに手を入れたり、他人に背負われたりしては絶対に通過できない神の国に入るための難所です。
この夏、宮城県女川町(おながわ)でおこなわれた、小出裕章さんの未来を考える講演会に根本泉さんに娘と連れて行って頂きました。車中で、キング牧師の話になり、インターネットで最後の演説を見るといいですよ!と娘に教えて頂きました。
インターネットで検索しました。勝利を望みの讃美歌が印象的でした。演説も、とても良かったです。良いものを教えて頂き、本当に感謝でした。
そのあと暫くして、近畿集会のCDで、吉村先生が「神を神として生きる」というお話のなかで、キリストの内に留まる。み言葉をためていつも思うこと。神を神として生きる。その最後にキング牧師のあの演説がお話に入っていました。
「どんなことがあろうとも必ず勝利することを深く信じる!道徳の孤は正義というところにとどいている。」
すべてが神の栄光につながりますように!
私たちの思いをご存じであり、一人一人の手を取ってくださる全能の神様に感謝します!アーメン (仙台市)
T.S
人の思いも力もはるかに超えた形で願いを実現して下さったイエス様に感謝します。
それは、十一月十四日(金)の晩にかかってきた1本の電話からだった。
「土屋さんのお宅ですか?○○さんのことで電話しました。」
「はい、土屋です。○○さんとは、初任の頃からの親しい友達です。」
「実は、○○さんが今日の3時55分に亡くなりました。(「エーッ!!」)昨日、心臓発作で病院に入院したのですが、今日、息を引き取られました。告別式は17日午後1時から○○で行われます。よろしかったらご参加下さい。」との訃報だった。あんなに元気だったのに。あまりに急な知らせに「驚き」が大きすぎて、不思議と悲しみや寂しさの感情は湧いてこなかった。
電話を切った後、思い出した。17日の1時から・・・あ、その時間は、私が勤める特別支援学校中学部の「学習発表会」が始まる時間だ!告別式に参加してお別れがしたい!しかし、学習発表会も私が責任者としてやってきた授業。チーフの私が人任せではあまりに無責任ではないか。二つの大事なことが同じ日の同じ時間に全く重なって始まる!どちらにも参加したいし、捨てがたい。しかし、どちらかを選ばなくてはならない苦しい二者択一。(それでもその時の私は告別式に参加したい気持ちが勝っていた)。
学習発表会の場面を具体的に想像してみた。私はT君を担当している。T君は初めてのことや普段と違う場面が苦手である。今までの学習とは違う学習発表会という分からない状況だと不安が生じ、急に興奮して暴れるかも知れない!T君が気持ちよく学習発表会に参加でき、安心して発表ができるためには私がそばに居てあげた方が良い。他の職員もそれぞれ役割があり、代われる職員もいない。T君の気持ちを想像してみたときに自分の思いを捨て、迷いを振り払い、学習発表会に出よう!お悔やみは後日、お宅に伺ってしよう!と、決断できた。
決断して、1時間も経たないうちにまた、1本の電話がかかってきた。
「○○の息子です。告別式の時間が変更になったのでお知らせです。・・・・・」
それは告別式が午後から午前中に変更になったことを知らせる電話だった。私がどんなにがんばっても実現できなかった願いが、この電話で告別式が午前中なら参加できる、そして急いで学校に戻れば午後1時からの学習発表会にも間に合う!二つの願いが叶う形が示されたのだ。あまりにも不思議。思いもしなかったこと。
その時感じた。今も生きて働いていらっしゃるイエス様が、働いてくださった!と。自分の思いを捨てて、T君への思いを選んだ瞬間だった。イエス様が働いて下さったと私は感じるし、信じる。
そして私は親しかった友の告別式に、参加することができた。告別式参加中にわたしはイエス様に心の中で祈った。「友の告別式に参加できたことはイエス様のおかげです。心から感謝します」と。
千葉県
T.Y
「主の名を呼び求める者は誰でも救われる」(ローマ書十・13)
徳島県
T.E
「恵みがいっぱい落ちているからたくさん拾ってくださいね」と森 祐理さんが私たちにイスラエルでのバスの中で最初に言われました。恵みはたくさん落ちていたけど、どれくらい拾えたかな。その時はわからなかったけど、帰ってきてから恵みを数えてみたらいっぱいあった中から書いてみます。
二〇一四年五月六日から「森 祐理と行くイスラエル九日間の歌の旅」に参加することができた。
このツアーに集会の中川 春美さんが誘ってくれてそんなことが私に起きるのと驚いた。彼女の家族も私との同行を勧めてくれたよと言う。
イエス様の歩かれたところに行くことなど思いもよらないことだったから驚いた。申し込む前に高齢の両親の体調が十分でないからその間留守にできるか心配だった。母に中川 春美さんが外国に行かない?と誘ってくれているけどどうかな?と何気なく聞くと「聖地旅行なの?」と言った。私から何も言ってないのにどうしてそんな答えが返ってきたのか不思議で母に聞くと、「クリスチャンだからそうかなと思った」と言う。
行ってもいいかなと言うと「目が見えないのに連れていってあげるという人があることなんてないよ。行ってきたらいい」と言うからこれにも驚いた。
全盲でも受け入れてくれるかどうか尋ねてもらったら、介護がついていてくれるなら問題はないと答えがあったそうだ。これは春美さんを通して神様から来たのだと信じて申し込んでもらった。
具体的にスケジュールが送られてきた頃、私の体調が悪くなり、いろいろ調べてもらったが、自覚症状はとれてこない。その上、もう出発が一か月に近づいてきた時に、母が転んで左肩の筋肉が切れかかっていた。身の周りの介助をいろいろしなくては何もできなくなった。これで行けるだろうかと不安がいっぱいだった。身近な友人に祈ってもらっていたら一週間前には私の体調も快復してきて、母も身の周りのことができるようになった。神様、ありがとうございます。イスラエルに行けるのは神様からなのですね。
死海のホテルで泊まった次の日、夜中の大雨で洪水となり、道路が通行止めでコースを変更せざるをえなくなった。日程の変更の準備のために2時間ほどそこで待機することになった。出発を待つ間、急きょホテルのホールを使わせてもらって森 祐理さんが讃美とお話のひとときを持ってくれた。どんなときにも良いように変えられるのはすばらしい。実はその朝、春美さんの体調が急に悪くなったので、とてもすぐには動けない。私たちは、主よどうか癒してください、御心ならば予定が変わりますようにと必死に祈った。それがガイドさんが四十年いて、この時期にこんな大雨が降ったことはなかったという思いがけないことが起きたのです。私たちの自分中心の祈りで被害が出たかも知れないのに、祈りが聞かれたのです。ごめんなさい、でも、主よ感謝しますと祈りました。そして、本当はマサダに行くことになっていて、暑くて高いところに上っていかなくてはならなかったはずが、大雨で道路の通行止めで、急きょカイザリアに向かうことになった。ホテルで2時間ほどのひと時で春美さんの体調も少しよくなり、参加していた人たちの中で少しでも負担が軽くなるようにと視覚障害の人の手引きをしたことがある方がお手伝いさせてくださいと言って、さりげなく手引きを変わってくれたりしました。これも主がよきようにしてくださった恵みと感謝でした。
元気になってきた春美さんが建物や風景を説明しながら、触われるものを一生懸命さわらせてくれました。そんな中で視覚障害の私にだけ特別な恵みをいただいたのは、「パンと魚の奇跡の教会」に入った時でした。ガイドのクニコさんが高いところから全体の説明をしてくれていました。すると、そこのシスターが私が白い杖を持っていたので、「目が見えないのですか」と英語で近くの人に聞いてくれたのです。その方が「そうです」と答えると、私だけに直接中に入って案内をしてくれると言われました。ガイドの方も入ったことがないそうでした。「英語がわかりますか、話せますか」と聞かれたので、「ノー」と答えると、特別にガイドの方と一緒に下の台座のあるとこまで連れていってくれて、それを触らせてくれました。
その台座には周りに複雑な模様が刻み込まれていて、それを手で触われたのです。台座の下に置かれている大きな岩にも触らせてくれた。その岩の正面に大きく十字が彫りこまれていた。そして、台座のすぐ前の石の床に2匹の魚、そのすぐ横にカゴに入った五つのパンが彫られていてそれも手でさわれよくわかった。この私とガイドの方の説明を遠くからツアーの皆さんはイヤホンで聞いていて、「よかったね」と春美さんに涙ぐみながら言ってくれたそうです。五千人のパンの奇跡の行われた場所を記念して建てられた教会だそうだが、その祝福が今も私たちにまであふれている。あの台座の下の岩に彫られた十字に触れながら恵みと祝福がイエス様の十字架から流れているのだと思った。
ぺテロの召命の教会では野外礼拝が行われ、まず私たちの五感の中で目を閉じて残りの耳や肌で感じるものを受けてくださいと言われた。静かななかに風が流れ木々の葉が動く、遠くから近くから鳥たちの讃美はステキ、心地よい涼しさで風が吹いてくる。こんな中でイエス様は歩かれ弟子たちが従っていき、人々に福音を語られていたのだ。黙祷を終え、み言葉のメッセージをいただき、みんなで讃美とお祈り。その後、自由時間で、すぐ近くのガリラヤ湖に行き、その水を触ってみた。少しだけ冷たいが気持ちがいい。今日のガリラヤ湖はエメラルドグリーンだそうだ。その足元の石をおみやげにしようと拾っていると近くにいる人がこれきれいと何個か拾ってくれた。
イエス様が盲人の目にドロを塗り、シロアムの池で洗ってきなさいと言われて、そのようにして見えるようになったとあるが、私が手引きをしてもらいながらシロアムの池まで歩くのは足元が悪い下りだったので、ここを一人で歩いたのかな、それとも一緒に歩いて連れていってくれる人がいたのかな、もし一人ならその信仰に感動した。シロアムの池の水にも触ってみた。冷たくはなかった。
ディアドロローサ(悲しみの道)をゴルゴタの丘まで歩いて行って、すぐ両横にたくさんの店が並んでいて、にぎやかだった。今このようなにぎやかなお店が並んで、たくさんの人々の間を登っていきながら、当時のイエス様はこの同じ道を周りの人たちからあざけられ、卑しめられて十字架を背負って歩かれた。だからこそ悲しみの道なのだと心が重かった。ここでクレネ人シモンが代わりに十字架を負わされた。それはイエス様がかわいそうだからではなく、もっとむごい十字架の重罪にあわせるためだったと話されてその苦しみを思い知らされ、イザヤ書五十三章を思った。
鶏鳴教会ではペテロがイエス様を3度否んだところに教会が立っていた。入口の近くにイエス様とペテロが人物大に刻まれていた。イエス様が3本の指を出し、ペテロがそこに人差し指を伸ばしてイエス様の方にだしている。イエス様は3度いなんだことを言われているのだろうか、私を愛するかと3度言われたところなのかと思いめぐらした。
それぞれの人が祈っている。嘆きの壁ではたくさんの人が男女に別れて壁にもたれたり、抱えついたり、手をおいて祈っていたそうだ。私も手をおいて祈った。「目を癒してくださいと祈った?」と聞かれたが全くそれは思っていなかった。改めてそのことを考えていなかったことを話した。私が目が見えなくなるまでは傲慢でした。今もそれが時としてあります。だから、それを神様はご存じだから今のままにしてくれている。「私の恵みはあなたに十分だから」と言われている気がするから。
イスラエルの最後の日、予定にはなかったが、主日礼拝の時にエマオへの道のメッセージがあり、できればエマオへの道も行きたいねと言ったら、それを実行してくれた。夕方のエマオへの道をバスでたどった。交通渋滞に巻き込まれ、十一キロメートルと聖書にあったが、バスで時間がかかった。それでも途中でダビデとゴリアテが戦ったエラの谷にも寄ってくれて、そこでダビデが拾っただろうというところで石を拾った。アザミの花が残っていた。こちらよりもずいぶん大きかった。
パレスチナ自治区ではツアーのスタッフの方がここは危険と思うところは私たちの後ろから来てくれていて安心でした。このツアーが終わる時、私たちのグループの班長をしてくれていた女性が、「なぜ私の班に視覚障害の人が入っているんだろう」と困惑されたそうです。でも、こうして無事に旅行を終えることができて、視覚障害者の私が加わっていたからもらった恵みがあったと言われてうれしかった。私もみなさんの助けがなかったらとてもできなかったことが実現したことを共に神様に感謝した。
この旅行中、ガイドの方の説明をイヤホンで聞くようにしてくれていたけど、どうしてもみんなから遅れてしまうから電波が届かなくて聞こえないことが多かった。
だから私への説明のために、春美さんもガイドの方の本当の詳しい説明が聞けなくて申し訳ないことでした。
イスラエルに行って、改めて聖書をもっと読んで、その背後にある霊的なイエス様のことばを聞いていきたいと思った。
私たちのこのイスラエルの旅のために、毎日欠かさず祈り続けてくださった方々に、そしてすべての行程を持ち運んでくださった主イエス様に心から感謝します。 (天宝堂 鍼師)
徳島市
T.M
人生の暮れが近づいて「僕は『その主人よりえらくはない』と言ったわたしの言葉を忘れないように。」(ヨハネ十五・20)とのみ言葉を思うようになった。不幸が人生を襲って前が見えなくなり、このまま未解決の惨めな状態で終わるのではないだろうかと感ずる時、主イエスが十字架上で「大声を出して『エロイ エロイ ラマ サバクタニ!』と叫んで息を引き取られた」、主がそうであられたのならイエスに従わんとする自分も御心のままに倒れて本望ではないか。
「わたしが復活だ、命だ。わたしを信じている者は、死んでも生きている。」(ヨハネ十一・25)のみ言葉に寄りすがり、「お心が行われますように、天と同じに地の上にも。」と祈りつつ、エノクのように只主キリストの命に従って苦難に耐え、日々を静かに栄光の朝を待ち望んで歩みたいと願う。(商業)
松山市
T.K
第二ペテロ一章4節で、「神の本質にあずからせていただくようになる。」とある。この「あずかる」というのは、「コイノーニア」共有する意味だと学びました。神の持つ本質を共有する事が出来るのです。私が欲しいのは神の愛なのです。神の持つ愛をこの私が共に共有する事が出来るなんて夢のようです。夢ではないのです。神様は約束して下さっているのです。信じる者には、神の本質を共有させて下さり、永遠の御国へと入れて下さるのは神様の約束なのです。こんなに素晴らしい約束が与えられているのです。なんて喜ばしい事でしょう。
エペソ書三章一四~一九節より、これは近畿集会でのメッセージでした。(私は参加しなかったのですが録音で聞かせて頂きとても心に残りました。)
あなたがたの心の内にキリストを住まわせる。キリストが内に住んで下されば、神を一番として生きて行く事が出来る。自分の力では出来なくても、内に住んで下さっているキリストが力となり、励まし導いていって下さる。そして恵みも平安も与えて下さる。
ガラテヤ書二の20節に、生きているのはもはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。こんなに深く、深くキリストを迎えてはいない私ですが、庭先から玄関先へ、少しずつでも内へ内へ、招き入れられたら私の内に神様の愛が広がっていく事でしょう。
徳島県
H.G(福岡聖書研究会)
「一枚の絵を制作するとき、いつもどう描いたら良いのか、自問しながら苦闘するわけですが、その時に、自分の考えを、自分の業で表そうとするのではなく、自分を空っぽにして、ただ聖書のみ言葉が表れるように、神の栄光が指し示されるようにと、しばしば導かれるのです。そして、そのように導かれる時、実は「自分が」という、自分を縛っていたものから解放されて、思わぬ自由な表現や工夫が発揮され、それは逆説的ですが結局は自分らしさ、あるいは十人の作家がいれば十通りの個性が表に出る作品が生まれるようになるのだと思っています*」と言われる画家がおられます。クリスチャン画家として最近作品をよく見かける渡辺総一画伯です。
《竹 ― 自分を無にして》と題された作品(下図)は、キリスト教は(そしてキリスト教美術は)竹のように中を空っぽにして、そこに神の栄光を入れ、皆に届くようにするものだ、という彼の信仰の謙虚さを表わしています。
渡辺画伯は、1949年石巻生まれ。学生時代に、私の義妹たちもお世話になった宮田光雄先生の一麦学寮の一期生だったということを最近知りました。そこでイエス・キリストに出会われたのです。 会社勤務を辞めて美術学校に入り直し、宮田先生のご指導も受け続けられつつキリスト教美術のあり方を探求してこられ、半抽象で聖書を題材に印象的な作品を発表しておられます。そこに現れている暖かさはルオーの暖かさに通じると評されているようです。
《笑うようになる》(2011年、次頁)は、山上の垂訓の「泣いている人は幸いだ」がテーマですが、左右に東北大震災の津波がイメージされています。石巻出身の彼からの慰めが伝わってくるように感じます。
彼の作品の数々を見るにつけ、讃美歌と同じように讃美画も心に受け止めることを学びたいと思わされています。
*、『キリスト教文化研究所紀要』(東北学院大学キリスト教文化研究所、第32号、2014年6月、58ページ)
(参考)『共に歩むキリスト 渡辺総一いのりの造形』 新教出版社
『喜びも、悲しみも』(文)小島誠志(画)渡辺総一 教文館
“For the Least of These” OMSC出版局
ダビデの罪と贖い Y.S
ダビデの大罪
美しい婦人(バト・シェバ)の沐浴の現場を見て理性を失ってしまった結果、王の権力を悪用し、彼女の夫ウリヤの留守中に悪しき関係をもってしまう。そのことを隠すための策略に失敗すると、忠誠心の旺盛な兵士ウリヤを危険な前線に送り戦死させる。このことは一夫多妻が普通であり、絶対的権力を恣にできた王様と言えども、大罪である。「ダビデのしたことは主の御心に適わなかった。」(サム下11の27)と聖書も語る。
この後ダビデ王家は預言者ナタンの預言通りに乱れに乱れる。バト・シェバが生んだ子供の死、長男アムノンと異母妹との事件、三男アブサロムの反逆等々。外敵には連戦連勝で遂にイスラエル国家を樹立したダビデだったが、内なる敵に悩まされる。
神の選び
少年時代のダビデとは別に、成人してから、しかも王になってからのダビデの行動は人間としていかがなものかといぶかる様な所が少なくない。神様はかかる人間を何故にお選びになったのであろうか。その疑問に対する答は簡単である。
自分自身の事を思えば十分である。決して善人でもなく、優れた資質があるわけでもない自分に信仰を与えて下さった神様の愛を思うとき、その疑問は氷解する。神様は依怙贔屓(えこひいき)なさる方なのだろうか。然り、人の目から見た場合、神様の裁きは公平さを欠いているように見えることが多々ある。善人が苦難を受け、悪人が栄えると言った例は枚挙にいとまがない。
しかし神様はこれを善しとしているのではない。神様が本気になって裁きの剣を振るえば、すべての人間は滅ぼされてしまう事になるであろう。悪人と悪事とを見逃しているのは、裁きの事は御子に託されたのであり、それは神の愛の現れである。
主イエスは「善き方はお一人である」(マタ19の16~17)と言う。即ち全き善なる方は父なる神の他なしと言う。神様の目からご覧になれば、世の悪人も善人も五十歩百歩である。私たちは善行を積んだから救いに与ったのでない。神様から一方的な愛が臨み、導かれ選ばれたとしか思えない。
それは逆に私たちの信仰もいつ奪われるか判らないのである。その故に私たちの祈りは、まず信仰を与えられた事に対する感謝とそれが奪われないように祈る事でなければならないであろう。
父子聖霊・三位一体の神
「昼は昼に語り、夜は夜に知識を送る。話す事も語る事も無く、声は聞こえなくても、その響きは全地にその言葉は世界の果てに向かう。」(詩編19の4~5)壮大なスケールをもつ美しい詩である。行間に聖霊の働きが感じられる。
ダビデはこの詩の中で、岩のごとき絶対的な存在として神の御名を讃えている。ダビデの信仰が最高潮に達している感じである。しかしサムエル記で学んだように、ダビデは到底許されないような過ちを犯している。いずれにせよ人は誰でも他人に言えないような過ち、古傷を少なからず抱えているのではないだろうか。あるいは気づいていないかも知れない過ちが、きっとあるに違いない。
ダビデはその罪を人に話して許しを乞うて見ても、解決しないことを知っていた。ダビデの「主よ、私の購い主よ」(詩編19~15b)という呼びかけは、ダビデが犯した罪の悩みがいかに深刻なものであったか解る。人からではなく、神から許しの御言葉がなければ安心出来なかったであろう。その叫びはきっと創造の初めから父の懐にあったキリストにも届いていたに違いない。子なるキリストがナザレのイエスとして世に現れる以前から父と共にあったように、聖霊もきっと共にあったに違いない。
幸いにして私たちはキリストを知り、キリストの十字架の御業とその恩恵に与っているが、ダビデは未だ見ぬキリストの存在を聖霊により直感していたのではないかと想像する。その意味でダビデや旧約の人たちもわたしたち新約の人たちと同じように、キリストにより罪の贖いの恩恵に与っていたのではないだろうか。
ダビデの時代は言うまでもなく、聖書には三位一体という言葉は使われていない。しかし絶対的な義である神と贖い主としてのキリスト、そして助け主としての聖霊の香りが詩編から読み取ることができる。 (山梨県)
今年も、多くの方々からの投稿が与えられ、また校正や入力、またレイアウトにも集会の方々の御愛労がなされて、「野の花」ができたことを感謝です。
原稿に住所、連絡先など書かれてなかったのは、一部の例外を除いてそのまま表記せずにおいています。
内容において、聖句のみ、あるいは長文なものいろいろありますし、表記の仕方なども必ずしも統一してないですが、そうしたことを越えて、主が用いてくださると信じます。
なお、関 聡さんの「野の花」への投稿は、「従った人々」でした。 しかし、それとは別に夏の北海道の瀬棚聖書集会の報告として書かれたものが、早い段階から私に送付されていたものですが、多くの方々に瀬棚での酪農家が主体の集会というほかには見られない状況を少しでも知っていただくために、特別寄稿という形で掲載させていただきました。
今年の配列は、な行の方からです。(ただし、締切後、レイアウトも終了した後に届けられた原稿は最後に加えました。)
この「野の花」をさらに希望される方は、余分を印刷してありますので、一冊 300円(送料込)お届けできますので次の頁の宛先に申込してください。代金は、二百円以下の切手でお送りくださっても可です。 (T・Y)