聖書・箴言のことばから K.T
一、憐みと真実とを汝より離すことなかれ、これを汝の首に結び汝の心の碑にしるせ、さらば汝神と人との前に恵みと誉れとを得べし。汝の宝と汝がすべての産物(なりいでもの)の初生(ういなり)をもて主を崇めよ。我が子よ、汝主の懲らしめを軽んずることなかれ、その戒めを受くることを厭うことなかれ、それ、主はその愛する者を戒め給う、恰も父のその愛する子をいましむるが如し。
二、怠る者よ、蟻にゆき其なすところを観て知恵をえよ。主の憎み給うもの六つあり、否、その心に嫌い給うもの七つあり、即ち高ぶる目、偽りをいう舌、罪なき人の血を流す手、悪しき謀計(はかりごと)をめぐらす心、速やかに悪に走る足、詐偽を述ぶる証し人、および兄弟のうちに争いを起こす者なり。
三、知恵は呼ばはらざるか、聡明は声を出さざるか、主、いにしえ其御業をなしそめ給える前(さき)にその道の始めとして我を造り給いき、我はその傍らに在りて創造者となり・・・そは我を得る者は生命を得、主より恩寵を得ればなり。
四、主を畏れることは知恵の根本なり。
五、ゆきて人の善し悪しをいう者は秘密を洩らし、心の忠信なる者は事を隠す。ほどこし散らして返って増す者あり、与うべきを惜しみて返って貧しきに至る者あり。
六、義しき者はその友に道を示す、されど悪しき者は自ら道に迷う。
七、怒りを遅くする者は勇士に優り、己の心を治むる者は城を攻め取る者にまさる。
八、銀を試むる者は坩堝、金を試むる者は鑢
人の心を試むる者は主なり。
九、機に適いて語る言は銀の彫刻物(ほりもの)に金の林檎をはめたるが如し。汝の仇もし飢えなばこれに糧を食らわせ、もし渇かばこれに水を飲ませよ。汝斯するは火をこれが首に積むなり。
十、汝明日のことを誇るなかれ、そは一日の生ずるところの如何なるを知らざればなり。
十一、われ二つのことを汝に求めたり、我が死なざる先にこれを給へ。即ち虚と偽りとを我より離れしめ、我をして貧しからしめず、また富ましめず、唯なくてはならぬ糧を与え給え。そは我飽きて神を知らずといい、主は誰なりやといわんことを恐れ、また貧しくして盗みをなし、我が神の名を汚さんことを恐るればなり。
今回の「野の花」は、何を書こうかといろいろ考えたあげく、結局のところそれは私に箴言を読ませるよい機会となったのでした。やはり聖書はいつ読んでも初めて読むような新鮮な感じがするものであり、それでいてまたどこかなつかしい感じもします。
近頃の自分は神の御言葉に全く適しくない者になってしまっていたという後悔が心のどこかにありました。そして今は、信仰者は御言葉の凡てがただちに分かるというのではなく、分かるところにしっかりつかまって、分からないところも分からせて頂くまで心に留めて待つことでよい、と思うようになりました。何故なら、御言葉が一つでも分かると、いいようもない喜びが与えられるからです。
今回は箴言の中でも自分にぴったりだと思われる、つまり神が直接私に語り掛けて下さった御言葉を抜粋してみました。 (学生)
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神の御手に引かれて H.Y
私は無教会という存在を知りませんでした。
去年のことですが、私はちょうど長年行っていた教会を離れることになり、礼拝の糧を提供して下さるところを探していたのです。 それでクリスチャン情報誌を見ていたら、既成の教会が大半を占める中に、「○○集会、無教会」と、所々ある文字が私の目にとまり、どんな教会なのか知りたいと思い、戸をたたくことにしたのです。
岡山の香西先生に、大変お世話になり、伝道熱心で、とてもすばらしい先生をと、吉村先生を紹介して下さり、さっそく、吉村先生に連絡して、テープ、「いのちの水」誌などを送っていただくことになりました。
一人での礼拝が始まり、最初は気合を入れて調子よかったのですが、だんだんと自己中心的なものとなっていきました。 これではいけない、と示され、「二人、三人と集まるところにわたしも共にいる」とのみ言葉が迫ってきたのです。
「ああ、主よ… 共に礼拝する方を与えて下さい」と祈り続けて一年ほど経った頃、二人、三人と輪が広がっていったのです。
二、三人での礼拝は、「私も共にいる」という神の臨在があるからでしょうか、心から祈り、讃美し、心してみ言葉に耳を傾けて聴こうとするものがあるようです。そして、信仰の交わりを通して、励まし、励まされたりと、日々の生活への活性化にもつながっていて、集まり合うことの重要性を実感しています。
神様は、目には見えないけれど、生きて働いているのだなあと思います。これから先も、神の御手に引かれて、一歩一歩と歩んでいきたいと思います。 (理容師)
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力 H.T
心を尽くし、
思いを尽くし、
知性を尽くし、
力を尽くして
あなたの神である主を愛せよ。 (マルコ十二・30)
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千歳の岩よ F.M
千歳の岩よ わが身を囲め
裂かれし脇の 血しおと水に
罪もけがれも 洗いきよめよ。
讃美歌21 四四九番
二〇〇七年十月七日の主日礼拝は、出エジプト記第十七章「岩から溢れる水」と題する録音の講義でした。吉村孝雄兄は十月七日、八日の東京での全国集会に出席の為、お留守でした。 その日の講義もいつものように心に深く刻まれました。中でも、讃美歌「千歳の岩よ」について「最も古く今日まで多くの人に歌い継がれてきた讃美歌である」とのお話がありました。そのお話が、私の魂を根底から大きく揺り動かしたのでした。「そうだったのか。」とひとり心の中で叫びたい気持ちでした。自分自身でも説明のつかない不思議な思いでした。クリスチャンであった父と母の思いが、八十歳近くなった私の胸に迫ってくるようでした。父母から言えば、女ばかりの子供の一番末の娘が私でした。長姉光代(みつよ)は病床にあって、讃美歌「神のめぐみはいと高し」を歌ってほしいと言い、讃美歌に送られて、七歳で召されましたとのこと。次の姉は「千歳(ちとせ)」と言い、本人がときおり男の人に間違えられるよと申していました。「千歳の岩よ」を讃美している内に、姉の名前はこの讃美歌からいただいたのだとようやく気がついたのでした。ずい分と長い時間の経過に自分自身でも驚きましたが、おくればせながら気づかせて下さった事は本当に感謝でした。姉たちはみな父母の健在な内に、ローガン先生から洗礼を受けて、父母から新しい聖書と讃美歌を贈られていました。その後、父に続き、母も召され、キリスト教式の葬儀を通して、ようやく信仰へと歩み始めた私。あれから六十年近く。生まれてからだと八十年近く、すべては神様のお導きのたまものであることを覚えて感謝はつきません。 (主婦)
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子どもの信仰に支えられて Y.T
三十二歳の時、キリストに捉えられてから、四〇年以上が経ちました。『人生いろいろ』という唄が流行りましたが、この《いろいろ》という言葉の中に、どんなに様々な人生があることだろうかと思います。私も「いっそ主のみもとに召されたらどんなに楽か」と、何回思ったかわかりません。
四〇歳で受洗、その二年後に子ども達にも信仰が与えられ、三人揃って幼児洗礼を受けました。洗礼式の日、夫と共に子ども達の後ろに額ずいて『父と子と聖霊の御名により洗礼を授く』という牧師の声を聞いた途端、涙が込み上げてきて止まりませんでした。あんなに嬉しかったことは、これまでの人生で、後にも先にもありませんでした。何もかもが神様に祝福されて、平安のうちに過ぎて行くように見えました。
ところが試練は意外に早く訪れました。夫が保証人になっていた友人の会社が倒産し、その負債が夫の肩に掛かってきたのです。独立して、家を事務所に小さな事業を始めたばかりの夫は、元々お人好しで商才の無い人でしたから、ただオロオロするばかりで、結局私が矢面に立たされることになりました。日夜押し掛けて来る債権者の中には、いわゆるヤミ金というのでしょうか、強面(こわもて)の人もいて、怖くてこわくてたまりませんでした。ただ息をひそめて祈るばかりでした。
この地獄のような日々はどの位続いたでしょうか。詩篇の作者は「夜はよもすがら泣き悲しんでも、朝と共に喜びが来る。」(詩篇三〇・5口語訳)と歌っていますが、喜びどころか朝明けと同時に地獄が始まるのですから、「あヽ神様、どうか朝が来ませんように。このまヽずっと夜が続きますように」と願わずにはいられませんでした。そのうち祈る気力も無くなって「神様助けてください!」という言葉しか出て来なくなりました。
そんなある日、中学一年生の娘が息を切らしながら学校から帰ってきて、私の顔を見るなり「あヽよかったぁ」と言って畳の上に倒れる様に寝転んで泣いているのです。どうしたのかと聞いても「何でもない」と言うのですが、四日も五日も続くので気になっていました。そのあとの日曜日、この日はめずらしく借金取りが一人も来ず、静かな時間の中で、教会学校から帰ってきた娘と小学五年生の息子と三人で食事をしている時、なぜ走って帰って来るのかと尋ねてみました。すると「ママが自殺するんじゃないかと思って心配でたまらなくて」と答えました。友達にも事情を話して、毎朝礼拝のとき、お祈りしてもらっているとのこと。「神様、どうかまりちゃんのママが自殺しませんように」と祈ってくれているという娘の友人達。帰りも私達でやっとくから早くお帰りと、掃除当番も代わってくれているとか。駅から走って帰って来たら「ママが生きててくれたので、嬉しくて涙が出ちゃって・・・」と言われた時には、もう胸がいっぱいになりました。涙を流してまでも私が生きていることを神様に感謝してくれている娘。それなのに一刻も早く主のみもとに行ってしまいたい、なんて弱音を吐いたりしていた自分の不信仰が申し訳なくて、心の中で神様にも娘にも謝りました。
するとその時、これらの話を黙って聞いていた五年生の息子が、「ママは絶対に死なないと思うよ」と言い出したのです。なぜかというと、「試練というのは、神様がその人を強くするために特別に鍛えて下さっていることであるから、何か苦しいことがあったら、今、(神様が愛の特訓をして下さっている)のだと思って感謝しなさい、というのが今日の礼拝のメッセージだった。今うちで一番苦しんでいるのはママだから、ママが神様から一番強くされているはずだから死ぬわけがない。」というのです。いつの間にこのような信仰の導きがなされていたのかという驚きと同時に、これは神様が子どもを通して私に語って下さっているのだと、私の胸は感謝の思いで溢れました。
「恐れるな、わたしはあなたを贖った。
わたしはあなたの名を呼んだ。
あなたはわたしのものだ。」(イザヤ四三・1口語訳)
神様の特訓は今も続いています。でも私は一向に強くなれません。それでも信仰の火が消えてしまわないのは、私のこのような有るか無いかの如き信仰も、神様がみ心に留めて下さっているからだと思っています。
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音楽の楽しさ H.S
「いのちの水」誌二〇〇七年七月号に「真白き富士の根」とキリスト教讃美が掲載されました。 原曲や出典が分かりやすく書かれ、キリスト教迫害に苦しむ人たちの思いなど、訳を含めて良く分かりました。小学生のときの唱歌が讃美歌より引用されたりしていることを初めて知りました。
東京の音楽ホールによく出かけますが、演奏されるパイプオルガンの古典曲などでは、讃美歌の旋律を耳にして驚くことがあります。 主イエスの道を歩み始め、聞き流していたメロディーが生き生きとし、喜びを感じます。 四年前にオーストリアのウィーンでの、王宮教会ミサの合唱隊の讃美を今聞けば、きっと心に響いたと思われました。
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イエス様との出会い H.K
イエス様に会いたい。
他の人はイエス様に抱かれ抱きしめられている
イエス様の懐の外に私はいる。
なぜなんだろう。私は罪がおおすぎるのかしら・・・
絶望に負けてしまいそうな日々が続いた。
「イエス様。」 ある夜祈って眠ろうとしたとき、
イエス様が私の胸の中にきてくださった。
それは小さなイエス様。かいば桶のイエス様。
急いでイエス様を抱き締めた。
その時、イエス様の暖かい命が私に伝わり喜びにみたされた。
「感謝します。イエス様。」
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スズメウリ M.K
天宝堂集会は、私を元気づけてくれます。その集会で野草をもってきて下さる人がいて植物の学びがあります。植物の名前を覚えるのが難しい私ですが、十月の集会で心に残る野の花に出会いました。「スズメウリ」です。葉は細長いハートの形、茎は糸のよう。実を落とさずにいられるのが不思議な細さです。その細い茎から小さなまんまるい実がイヤリングのようにひとつずつちょこんとぶら下がっています。
聖書を学んだ後、頂きました。あまりに繊細なので、枯れるかもと思いましたが、翌朝小さな白い花びらつけて咲いていました。その姿がなんとも言えずけなげでかわいいのです。「スズメウリ」ぴったりの名前です。
純粋な小さなものへ出会う喜びを、神様は与えて下さいます。感謝です。
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初めての徳島訪問 M.M
今年の、猛暑の終わりに、はからずもN.M兄御夫妻のご好意で「徳島」行きが許され、「淡路島」を明石海峡・鳴門海峡の大橋を通り、ひとまたぎして、初めての四国訪問ができました。かねてより、「いのちの水」誌やキリスト教独立伝道会総会の講演会でお目にかかり、吉村孝雄先生の伝道の姿勢に敬服していましたので、徳島集会に接してみたいとの希望はありましたが、はや高齢になっていて、とても不可能だと考えている矢先の急な出来事に、夢見る思いで八月の最終土曜日、日曜日の集会に参加させていただきました。
先生はじめ奥様、教友の方々の出迎えを受け駐車場より、狭い路地に荷物を運んでいただいて到着しましたが、初対面の感じがなく皆さんとすぐ親しくなれて、主にある教友は感謝です。
先生の車で徳島医大病院のK兄を訪問させていただき、短い礼拝をしましたが、二〇年前に誤診で現状のようになられてしまわれたとのこと、徳島聖書キリスト集会の方々が月に一度出向いて集会をなさっているのを知りました。K兄は私の長男と同年配(誕生日も同じ)なのに、身体は全然動かず口へくわえた器具でパソコンに讃美歌や新聖歌などを入力し、個室での集会のときの伴奏もなさることを知り、文明の利器を上手にあやつっている事も驚きでしたが、イエス様を信じてとても明るい表情をなさっておられ、良き「信仰」の姿勢を教えられました。讃美歌「安かれわが心よ」を所望され皆で心より讃美しました。去りがたい思いで後にしたものです。
土曜日は、手話と聖書、そして植物の集会だとの事で十人ほどの集まりで、近隣の植物を通して神様の恵みを感謝する、今まで出会った事のない集会でした。
夕日の沈む直前の吉野川の雄大な景色をわざわざ案内していだだきました。信州の山峡(やまあい)に住んでいる私には珍しい風景で、あふれそうな川の流れに心が洗われそうでした。奥様の心づくしのおもてなしを受け西沢姉のお手伝いで、私は手ぬらさず手料理の会食。入浴、寝具も気持ちよく準備していただけていつも一人暮らしの私にはずんだ気持ちがなかなか治まらず徳島での夜を迎えました。
翌日曜日は特別集会、五〇名程の集会、狭い集会所満員(視覚、聴覚などの障害者も八人ほどおられて)の礼拝でした。手話讃美を初めて体験しました。同行した水渕姉に幾分教えていただいた事もありましたが、興味がなく覚えられないでいましたが、会衆一同の手話讃美には感動させられました。
吉村先生より「ヨハネ福音書一五章九~一二節」イエス様の愛と掟についての礼拝説教があり次にN兄が講話をなさいました。「ローマ書一二章一~八節」神の憐れみについて、「キリストにおける新しい生活」を教えられました。幾つもの聖歌、讃美歌やリビングプレイズより唱和して(こんなに讃美の多い礼拝も初めてでした。)特別に昼食をいただくことができました。
集会所には「讃美歌」「新聖歌」「讃美歌二一」「リビングプレイズ」「子どもさんびか」「友よ歌おう」などたくさん揃えて書架一杯に並べられていました。高い棚には古くからの点訳聖書や点訳された書物が満載されていて、視覚障害者の方の為にどれ程良く尽くされておられるか足跡を知りました。若い方も参加され、教友の方々のご協力と手作りを感じ、民家を改造された暖かくてこじんまりとした集会場に主の栄光が満ちあふれていて感謝、感激の二日間でした。ありがとうございました。
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わたしが生まれる前から M.T
今から二年ほど前、全身でもって讃美の想いを主にささげたくて、ろうあ教会の手話讃美グループに参加するようになった。この小さな手話讃美のグループを、「風の音(ね)」という。
手話なのに「音」というのは、聖霊の風の音は、耳が聞こえなくても感じることができるから。主イエスは言われた。「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」(ヨハネ三・8)わたしたちの手話讃美にもどこからともなく聖霊の風が吹き抜けていきますように、との願いをこめた名前なのである。
「風の音」の手話讃美で、東京基督教大学の同窓生六人による讃美グループ「Lyre(リラ)」を知った。リラのオリジナルソング「わたしが生まれる前から」では、「あなたの愛ばかり受けて返せるものさえなくて、何も持っていないけどわたしを用いてください、主よ」という歌詞にのせて手話讃美を教わった。
まったくそのとおりだ。主イエスに讃美をささげたくてわたしは手話を習い、ゴスペルを歌っているのに、いつもいつも、讃美を通して逆に慰められたり励まされたりする。与えられるばっかり。「わたしを用いてください」というとき、手話では大きく手を広げて、自らを差し出す形になる。 仲間たちのその手話を見たとき、その美しさに思わず涙がにじんだ。
二〇〇七年十月の無教会全国集会にて、徳島聖書キリスト集会のみなさんと「風の音」とで手話讃美の時を持ちましょう、というお話をいただいたときも、「風の音」からはリラの歌を提案した…というよりも、本当は、わたしが強く推したのである。
今回、徳島聖書キリスト集会から提案された「鹿のように」と「輝く日を仰ぐとき」の2曲に加えて、大好きな「わたしが生まれる前から」を、全国集会に集まったみなさんにご紹介できてよかった。
「風の音」の仲間たちは、教派の違ういろんな教会から集っている。彼らにとって「無教会」というのはまったく未知の人々、でありながら、徳島聖書キリスト集会のみなさんともすぐにうちとけ、また讃美を通じてのみなさんの証しに、心からうなずき共に主への讃美を分かち合った。
主イエスがわたしたちに何をしてくださったかを語りあい、讃美をささげる時、どこの教会に通っていようとも、何歳であろうとも、どんな環境の中に生きていても、クリスチャンにとって、そこにはなんの障壁もなく、深く通じ合えるのだ。そんなことをつくづく感じたひとときであった。
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近況報告から M.M
いつも変わらぬ手厚い暖かい祈りの結集された「祈の友」四国グループよりの封筒のお便り、心から感謝いたします。それなのに、いただくばかりで音信も感謝のお便りも差し上げず、恥ずかしい限りです。
どんな時にも、このように多くの友が祈っていて下さる、お互いに名前を呼び合って支えられて愛を交わすことを許されている―。こんな幸いはありません。皆様との出会いを許されて、その方々のお姿を思っています。
お一人一人の尊い御愛労、各集会やご様子を思い、時を惜しんで祈らせて頂きます。
神様が下さったすべてに対しても、ただただ悔い改めと感謝を捧げたく思うことしきりです。「祈の友」四国グループ集会の寄せ書きを聖書にはさんでいます。感謝。
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聖霊の火と愛の風と K.M
徳島聖書キリスト集会で教えて頂いた全国集会の手話賛美三曲を舞台の上の皆様を思い浮かべながら、賛美している時電話のベル。N兄からでした。
「全国集会の徳島のみなさんの、手話賛美も二人の歌も中川さんの証しもみな素晴らしかった!来年の全国集会は、五月で徳島に決まりましたよ。水渕さんも一緒に行きましょう!」
何時もより弾んだ声でした。神様のお守りと皆さんの熱心に感謝し賛美しました。私も幸せでした。
九月二十日から二十七日まで、一番お忙しい時期に一週間滞在させて頂いて大変お世話様になりました。何時でも何処でも温かく迎え入れて下さいました。徳島聖書キリスト集会の皆様の主に在るご愛を日が経つほどに深く感じます。本当に有難う御座いました。
「いのちの水」誌の裏表紙の「徳島聖書キリスト集会案内」を読む度に、その密度の濃さに感動しますが今回はこれを参考にして一週間を定めました。K姉が送って下さった、バス時刻表のお陰で、昼間に続いて夜のいのちのさとの集会に参加させて頂けました。金曜日は、待望の吉村先生のご自宅へ。以後水曜日までの集会に参加させて頂きました。K家、N家にも泊めて頂きました。T家、O家での火曜日の夜の移動集会には奥住姉が戸川家まで車を運転して迎えに来て下さり、胸が熱くなりました。帰りはN.H姉の車で…。 こうして二十七日に、徳島駅前から往路と同じく新神戸までバスで。予定通り元気に帰って来ました。
九月二四日の「祈の友」四国グループ集会で初めての方やI.U姉、S姉、いのちのさとの方達との出会い。K兄姉のお働き 殊にK兄のパソコンを自由自在に操られるのにはビックリ!
集会でデジタル録音して、それをS兄に送って、CDの表面印刷をして、発送される由…伺いました。
家庭集会や他の集会でも常に吉村先生が語られる神様からのメッセージを一言も聴き逃がさないようにと真剣そのもの。その真ん中に主が在まして、聖霊の火と愛の風が吹いていました。特別礼拝と少しも変わりなく。「共に在て下さる主」を一層強く感じました。
奥様のE姉の「お守り下さい」の声(祈り)で徳島市の集会所を発車して、小松島市中田町の駐車場まで。桜井姉と三人で。山道の入り口からお家までの石段は趣きがあり嬉しくて這うようにしてすいすい?と登れました。執筆にお忙しい先生の筆を止めさせて恐縮でしたが、歓迎して下さり。オアシス水槽の金魚やガラス器に宿換えしたメダカにも会えました。中津峰山も望めました。大自然の中のお家は、祈りの家。私の心を虜にしました。私は身軽なしかも助っ人まで…。毎日この山道を重い荷物を双肩に、また両手に提げての行き来はどんなにか大変な事でしょうと思いました。反面、だから「いのちの水」や「今日のみ言葉」のような素晴らしい文章がみ言葉が書けるのだなあ… とも思いました。
山道を下る時、先生が「暗くなるから…」と懐中電灯で足元を照らして下さいました。感激すると同時に「あなたの御言葉は、わたしの道の光 歩みを照らす灯。」(詩篇一一九・105)の聖句を思いました。途中まで見送って下さり、先生はお家に帰られましたが、桜井姉を助っ人に呼んで下さったE姉のお心遣いとで滑りもせず元気を頂いて集会所に着きました。
N.H姉の事業所「ミルトス」(イザヤ五五・12~13 ゼカリヤ一・8~10)は、Y.E姉の「夕べにも光がある」(ゼカリヤ一四・7)の石段の道に並んで私の心の中の記念樹になりました。枯れない様に、いのちの水を注がれて生かされたいと思います。何時も新鮮なお野菜をたっぷり使って美味しいお手料理をご馳走になりました。今でも目の前に甦ります。 吉野川、勝浦川など大きく豊かな流れの川を眺めて来ますと、私の室の前の、丸子川は貧弱ですが、水嵩が浅いので川向こうの電柱の影が水面に「十字架」を映し出しているのです。びっくりしました。
神様は私に、徳島聖書キリスト集会で聖霊の火を燃やして下さり、その火を絶やす事無く次々に新しい火を燃やし続けさせようとして、皆様方にご迷惑をお掛けする事は解っているのに、徳島へと導き運んで下さったのだと思います。 (無職)
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最近考えている事と「無教会全国集会二〇〇七」に出席して学んだこと 十字架に対する二通りの在り方
M.H
地上の人間の現実は生まれながらに罪と悪の現実である。その滅びの現実から全地上全時代、全人類のすべての罪悪の現実を神の子にして人の子なるイエス・キリストが愛をもって、すべて引き受け、ご自身のものとしてくださった。そして、その結果がイエス・キリストの十字架という代刑代罰であったと聖書は教える。しかし私はすぐにその事がわからなかった。信じられなかった。みにくく、ひどく、恐ろしい十字架の事実、しかも私の罪悪の結果であるという。私は十字架を直視するに耐えなかった。ヘビににらまれたカエルのごとく、身動きができない状態であった。それは私自身が一方ではキリストの十字架という恐ろしい矛盾した真っ黒いかたまりから背を向けて逃れようとしながら一方では、十字架を信じたい、十字架に救われたい、そこ以外には救いはないと思いつつも信じ切れないでいた。人生の大半をそんな中途半端な躓(つまずき)きの中に過ごした私は、ある時決心した。私は今まで十字架から背を向けて逃れよう逃れようとしていた。しかし今からは逆に一八〇度方向転換して、十字架に向かって、十字架に真正面に対決し、十字架の中心を目指して進んだ。十字架の中心は神の愛であった。その時、意外な展開が開けた。そのイエス・キリストの十字架の上に父なる神の義なる聖なる怒りがあり、その怒りが人間のすべての罪を負ったキリストの上にストレートに下っているのであった。この時、十字架の矛盾は解かれ人間の罪はゆるされた。父なる神の怒りは晴れたのである。私は個となり個人として人間として立つことができているのであった。 (貸集会所 自営)
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「共鳴」について思ったこと Y.K
「いのちの水」誌のいつの号か忘れたが、共鳴のことが出ていた。空気を通して音又が共鳴することが、とても不思議だ。
K.Y氏によると人には、固有振動数がありそえればそえる程、介護する時、力がいらないと、又掘起し共鳴現象という見方があり、ある思想が他の文化圏に伝わった時、似た思想を掘起し違った思想が生まれるという、民主主義はデモクラシー(政治の制度)の共鳴現象と物体は皆振動しているのだから共鳴現象は、もっと広く深い、この世の基本なんだろうか。又ソクラテスとある声の話が書かれていた、ソクラテスは、法のために殉教したと思っていたが、その背後にある声があったようだ。わたしにはまだ聖霊の実体がよくわからないが、これらの現象と同じように思える。何かケタはずれの知的存在、意志の関与と思うのだが?
また、深く憐れむのギリシャ語は「内臓」を意味する語から来ているのを知り驚いた。
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ロマ書九章を学びて Y.T
今年の八月はじめから病のため起き上がれず、その間、集会の皆様の祈りに支えられて本当に感謝でした。二ヶ月半振りに出席させていただいた那須様宅での聖日礼拝には、吉村様がお越し下さり、ロマ書の九章を学びました。
御講解を聴きつつ聖霊のそそぎと御臨在を強く感じ、み言葉への感動と出席させていただけた喜びと感謝で心が一杯になりました。
ロマ書の九章は大変難しい所ですが、私にとっては大切な問題でありますので、その感想を記させていただきます。
パウロが愛して止まぬ肉による同胞ユダヤ民族は、律法による義を固執してキリストを拒否し、福音から落ちようとしていました。信仰による義、律法による義,律法からの解放を説くパウロは、彼らの救いを心から願い、彼らから迫害を受けながら、ローマの信徒に福音の本質を書いた手紙です。
私はこの事が遠い昔の出来事でなく、私が愛する家族や闇の中をさ迷う人々の救いを心から願う故に、パウロの心の痛み、愛がわがこととして強く感じられると共に、人間の罪、悪とは何かを深く考えさせられました。
パウロは九章2ー3で「わたしには深い悲しみがあり、わたしの心には絶え間ない痛みがあります。わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています」と述べています。吉村様も言われましたが、この言葉にわたしは迫害する者の為に心血をそそいで祈ってゆくパウロの主にある愛を強く感じ心打たれました。十字架上に「父よ、彼等を赦し給へ。その為す所を知らざればなり」(ルカ二三・34)と言われた主の愛に生きるパウロの姿が心に迫ってきました。彼等の罪の故に私達に救いがもたらされることになった故に、パウロはその救いを心から願ったのです。
九章6~18は神の選びについて、19~29は神の怒りと憐れみについて書かれています。神はモーセに「わたしは自分が憐れもうとおもう者を憐れみ、慈しもうと思うものを慈しむ」と言っておられます。この言葉は私達にもショックな言葉です。 カルバンは神の義の重要性の故と思うのですが、「世の中には二種類の人間が存在するのであって「ある者は永遠の生命に、ある者は永遠の断罪に定められている」といわゆる「二重予定説」を述べています。(註一これは第 二次世界大戦に於てナチスがユダヤ人の撲滅をはかるのに用いたと聞いております。)
神の選びの自由、神の絶対主権についてでありますが、勿論世の中には私達が理解しがたい出来事が多くあります。しかし私は神様のなさることは神の義と愛故に厳しさはありますが、差別ではなく、私達の計り知れぬ神の大きな御計画、愛があると思うのです。義は愛の中に含まれる。この事を私は私の歩みの中で覚えてきました。たとえアウシュビッツで一人が死に、一人が助かったとしても、その両方に私達の主は共にいまし、共に手をとり歩んで下さる方であると私は信じるのです。今、私に分かるのは、私がどのような苦しみ、悲しみの状態にあるとしても、その置かれた場所が神が与えられた場であることを思い、それを主にあって受けてゆくこと。その時生きる道が開け、祈りと共に主の憐れみを受けるのではないかということです。
人間は弱さの故に揺らぐ事は何度もあります。しかし人となりて来てくださった主は人間の弱さをもすべてご存知の主です。この主の十字架のもとに何度でも立ち帰り、主の赦しと力をいただいて歩みたい、と心から願いつつ主に感謝の歌を捧げる日々です。
吉村様が「神は本来滅びの器を、憐れみの器にかえてゆかれる」と、おっしゃいましたが私も、自分の中に怒りの器と憐れみの器の両方があることを思います。人間の本質というものは、いかに主を信じても常に赦しに満ち、愛に溢れたものである事は出来ません。ただその自分を知って、肉なる自分が出る度に主に立ち帰って主の憐れみによって生かされること、常に祈りの中に自分を知り神に赦され導かれることを願わずにいられません。
ロマ書一〇章3~4に「(彼らは)神の義を知らず、自分の義を求めようとして、神の義に従わなかったのです。」とあります。彼等の選民としての誇り、自己絶対化が己れを神としてゆく罪でした。しかし 「神はすべての人を不従順の状態に閉じ込められましたが、それは、すべての人を憐れむためだったのです。」( ロマ十一・32)とあり、パウロの熱い愛はロマ書の根底を貫き、十章、十一章最後の33~36の言葉となってゆきます。
「すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように」と。
パウロの願うイスラエルの再興の希望です。神のいかりと憐れみに関しては、「両者は全く同じ重さにおいて併存するのではなく、憐れみこそは神の本質であるが故に、滅びに定められた怒りの器すらも測りがたき寛容をもって、なおも担い抜こうとされるのであり、怒りは怒りとして発現しつつも、憐れみがこれを包み、その中に呑み込んでしまおうとするのである。」と、高橋三郎先生は書いておられます。
ただ私達にとってたいせつなことは自分の罪を知り、悔い改めて神に帰る事であると思います。自分の罪を知らず神に帰ることはできません。
神の救いを拒む人々の為にも、地の底まで行って下さった主の愛を信じて、執り成しの祈りを心こめて続けたいと願い祈っています。人間は遠くの人は愛し易く、近くの人は難しいのです。「己れを捨て己が十字架をおいて我に従え」(マタイ十六・24)、のみ言葉が、日々心に鳴り響いています。罪とそれにいや勝る神の愛を教えていただき、心から感謝しております。
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神様のご計画とは! Y.E
ラケルは死んで、エフラタ、すなわちベツレヘムへ向かう道の傍らに葬られた(創世記三十五・19)
以前からこの記事を拝読する時、幼いヨセフを残し、また生まれ来る赤子の顔も見ずに死んでいくラケルの心情を思い、また記されてはいないけれど、ヤコブの悲しみを思ったことでした。ラケルはヤコブの最愛の妻でした。かつて、ヤコブと母リベカ
は兄エサウを欺いて長子の権利を奪い、さらに父イサクをも欺いて祝福をも奪い取りました。ヤコブは激怒するエサウから逃れてリベカの兄ラバンのもとに身を寄せました。ラバンには二人の娘がいて、姉はレアといい、優しい目をしていました。(弱い目とも、訳されています。)妹はラケルといい、顔も美しく、容姿も優れていたとあります。ヤコブはラケルを愛して結婚するために七年間ラバンに仕えましたが、彼女を愛していたので「それはほんの数日のように思われた。」と記しています。けれどもラバンは姉より先に妹を嫁がせることはしないのだと言って、ラケルを娶るためにさらに七年働かせました。
ヤコブに疎んじられたレアには次々に子供が生れましたが、ラケルには生れませんでした。レアとラケルは自分達につけられていた召使をヤコブの側女に差し出しました。彼女たちにも子供が生れましたが、ラケルには生れませんでした。レアには六人の男子と一人の女子がうまれました。側女たちにもそれぞれ二人ずつ男子が生れました。ここにきて漸く神はラケルも御心に留め、彼女の願いを聞き入れその胎を開かれたので、ラケルも男の子を生み、ヨセフと名付けました。。ヨセフについては詳しく記されています。(二十七章~五十章)ヤコブの年寄り子だったヨセフは可愛がられ、特別の扱いをうけていました。それだけでも兄たちには苦々しいことだったのに、悪気はなかったものの兄たちには聞き捨てならない夢の話などを語り、一層兄たちの怒りをかい、穴に投げ込まれました。そこに商人たちが通りかかって穴から引き上げ、イシュマエル人(メダン人とも)に売り最後には、エジプトのファラオの宮廷の役人で、侍従長であったポティファルのものとなりました。エジプトでもいろいろな故なき苦しみに出会い、苦しみを通してヨセフは一層神に信頼し、心も清められ高められていったことでしょう。ヤコブたちの住んでいたカナンの地に飢饉が襲ってきましたので、ヨセフの兄たちはエジプトに食糧を買いに出かけていき、死んだと思っていたヨセフと遭遇するのでした。なんと不思議な神様の導きでしょう!ヨセフはヤコブの家族をエジプトに呼び寄せました。総数七十名だったと記しています。(四十六章27)それから四百三十年、イスラエルの人々がレビ族の子孫モーゼに率いられてエジプトの国を出た翌年の戸籍登録では「兵役に就くことのできる二十歳以上の総計六十万三千五百五十人であった。」(民数記一・45、46)と書かれています。こうしてラケルの子ヨセフによってイスラエル民族は滅びから救われたのでした。
一方レアの子供たちは投げ込んだ穴にヨセフがいなくてどんなにか後悔したことでしょう。悲しむ父ヤコブや兄弟と住むのが耐えがたかったのでしょうか、ユダは一人、兄弟と離れて住みました。そこでカナン人の娘と結婚し、三人の男の子供をもうけ長男にタマルという嫁を迎えます。ユダとタマルのことは三十八章に詳しく書かれています。ユダはタマルとのことで、本心に立ち返ったと思われます。
ヤコブはかつて兄のエサウを欺いて長男の権利をとった過去がありました。ルベンに代えてヨセフを跡取りにとは考えなかったと思いますが、長男ルベンはビルハのことで父を裏切りました。ヨセフが幼くして別れた弟ベニヤミンをエジプトに連れてくるようにと言った時、ヤコブは猛反対しますが、ユダは真心込めて父を説得しました。(四十三・2~10)全責任を負い、弟ベニヤミンを連れ帰らないならヤコブに対して生涯罪を負い続けますと。ヤコブはこのユダの真実な心を信じました。
四十九章にはヤコブの祝福が書いてあります。ユダについては8~12節にわたって。10節に
王笏はユダから離れず
統治の杖は足の間から離れない。
ついにシロが来て、諸国の民は彼に従う。
歴史はこの言葉のようになりました。ユダとタマルの子孫からイエス、キリストが誕生したのです。(マタイ一・3)
何故愛するラケルの子供からではなく、疎んじたレアの生んだユダの子孫からキリストが御生れになったのか?これはずっと疑問に思っていたことでした。実はこれは小さな小さな疑問だったのです。神様のなさることは人間的な秤では決して測ることが出来ないということなのだと思います。神様がかつてアブラハムに誓われたことが成就するために、ヨセフもモーセもおこされました。更にユダヤの国にとどまらず全世界に救いと祝福をもたらすためにユダを通してイエス様をこの世に送られたのだと思います。 (主婦)
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三つのこと Y.Z
先日、日和佐教会で北陸のO.Y先生が話しておられたことで心に残ったことを一言書きます。
信仰は食物と同じで信仰があるからといって安心していたら、腐敗してしまうから絶えず次の三つのことを守りましょう。
(一)聖書を読むこと。
(二)祈ること。
(三)伝道をすること。
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神の霊はいつも満ちている I.E
二〇〇七年の春、東京国立博物館でルネサンスの巨匠レオナルド、ダ、ヴィンチ展が開かれました。なかでも日本初公開となる「受胎告知」に人気が集中、連日長蛇の列だったとか…。
日本では、「受胎告知」と言えば聖書よりも絵を思い浮かべる人の方が多いかもしれませんが、ルネサンス期の画家はこぞって聖書を題材にしました。当時はまだ多くの人が字がよめず、絵は鑑賞よりも聖書を理解するための情報源だったようで、そのために聖書のなかの様々な場面が描かれたのでした。「受胎告知」だけを見ても相当数の作品が残されていますが、聖書でその箇所に触れているのはマタイ伝ルカ伝だけで、詳しい方のルカ伝でも天使とマリアのやりとりは一章26~38までの僅かです。
私は時々、当時の画家たちが新約聖書の黎明となるミステックなこの瞬間を、どんな思いで描こうとしたのかと考えることがあります。聖書や教会が一般の生活と不可分だった社会に於いては、聖書は人々の支えであり喜びであった筈で、とりわけイエス様の誕生は、神様の限りない愛の御しるしとして人々の心に沁み込んでいたと思われます。
ところで、このテーマで私のなかに浮かぶのはフラ・アンジェリコの描いた「受胎告知」です。こう申し上げると頷いてくれる人も多いと思いますが、私を惹き付けたのは、飾り気のない素朴な画面に漂う透き通るような清らかさです。この絵には聖画を描く際の伝統的な約束事(天使は純潔を象徴する白百合を、マリアは聖書を持つ)が省略されているのですが、それが却って聖書の記述の場面をより鮮明に伝えているように思われます。マリアの表情は驚きでやや硬くなりながらも、聖告を受ける敬虚な姿は美しい純真無垢で、絵の核心を強めています。
フラ・アンジェリコは十五世紀前期のフレンチェの人でドメニコ会の司祭でした。フラ・アンジェリコとは「天使のような画僧」という意味だそうですが、他にも、神に祝福されたという意の「ベアト・アンジェリコ」とも呼ばれたようです。この呼び名が示すように、画僧は非常に謙虚で慎み深く無私無欲の清貧のなかで生涯を送りました。絵の制作にかかる時は神に祈り「キリストにまつわる出来事を描くならいつもキリストの近くに居なくてはならない」と常に憂いのない感謝に満たされた、願わくば天使のような日々であることを信条としていたと言われています。十六世紀の美術史家で知られるヴァザーリはこの画僧のことを「十字架のキリストを描く時は常に、彼の両頬に涙が伝わった。又その信仰篤き誠実なる魂の善性は、彼の描く人物の表情や身振りに見出されよう」と記しています。天の国を見て来たようなと評された汚れのない絵は、天使のような清らかな日々のなかで受けた神様からの啓示だったと思わずにはいられません。この時期フィレンツェはメディチ家が権勢を握っていたので、教会関係の仕事は大変忙しかったようですが、画僧は仕事をこなしつつも俗世の雑念に惑わされず絵筆を握っていたようです。それは真の富は神から与えられるということを信じて、作品の代価を受け取らなかったと言われていることからも察せられます。
私が初めてこの絵を見たのは絵葉書でした。古本屋で求めた本からぱらりと落ちたのがそれで、かなり黄ばんだ色褪せたものでしたがさらっとした水彩画のような画面が大変清潔に見えました。今思えば聖書のこともフラ・アンジェリコの名前も知らない時でしたが、神様はこの絵を用いて私の心を揺さぶってくださったのでしょう。
数ある「受胎告知」の名画のなかでも特に素朴で清楚なこの絵が多くの人を惹き付けるのは、画面に漂う神秘的な深い精神性だと思います。神様は、聖書を伝説だとしか思わない人にも一人ひとりの心を開いて気付かせてくださいます。これからもこの絵は信仰のあるなしにかかわらず、多くの人に霊的な感動を与え続けていくことでしょう。
このように神様の霊はさわやかな風のように漂いながら、私たちの感性を霊的雰囲気に目覚めさす機会を備えて下さっています。
「口を広く開けよ、わたしはそれを満たそう」(詩八十一・11)
いつも満たそう満たそうとして下さる神様の愛。どんな雑事に追われていても心を澄ませていたいものです。
「神よ、わたしの内に清い心を創造し新しく確かな霊を授けてください。」(詩五十一・12)
日々感謝です (茶の湯)
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神様の贈り物 I.M
若い頃いろいろな矛盾を感じて虚しさのうちに大阪より徳島に帰り、O会社に入社する。
山が好きだったので休みに、よく一人で日帰りまたは一泊で
近くの山にハイキングに行く。 山に登ると季節にあった草花、木の実、小鳥のさえずりと季節の移り変わりの不思議さ、美しさ、神秘さが心を落ち着かせ和んでくる。山の頂に着くと、空、雲を眺めながらリュックから横笛(みさと笛)を取り出し、童謡、唱歌を吹いたり、口ずさんだ。( 聞いている小鳥や草花は迷惑そうにしていたが…。)
今は歌は少しはましになったが笛は全然鳴らなくなってしまった。いつもその時、心の安らぎを覚えたものである。
振り返って思うと山、空、雲、花、鳥とこの素晴らしい自然は全て神様の御手、御業が現れ、それらを通じて私たちに働き、語りかけて下さっていたと感じられずにはいられません。
その自然に心をなかなか留められない私達。そしてその奥で常に私達に働きかけて下さっている神様を見失い忘れがちになる私達。毎日の生活の中でこそ常に心に留め歩んで行きたいと思います。
○道せばめ這い出て乱る葛の花 ○藍色をつらねて染まる露の草
○山路ゆく名もなき千草彩りて ○草深く蟲の音こもる山の夕
○牧ひろく野花なびかせ山下る ○暮色濃くすすき浮かびし野を急ぐ
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私に出来ること K.M
森が燃えていました。森の生きもの達はわれ先にと逃げていきました。でもクリキンディという名のハチドリだけはいったりきたり。クチバシで水のしずくを一滴ずつ運んでは火の上に落としていきます。動物達はそれを見て「そんなことをして一体何になるんだ。」と言って笑います。クリキンディはこう答えました。「私は私に出来ることをしているだけ。」
この話は『ハチドリのひとしずく』という南米に伝わる民話で辻信一氏の手によって本になり日本でも有名になりました。これは大きな環境問題など目の前にすると自分の無力さを感じることがありますが、ハチドリの話を知ることで小さなことでも自分に出来ることがあるという勇気や励ましを与えてくれます。
私達が生きていく上で大きな悩みや苦しみにあったときとか、何かを成就させなければならない時も希望を与えてくれる言葉です。解決法が十分でなかったり成果が上がらなかったりするとき、自分に押しつぶされそうになります。そんなとき、神様から与えられている自分の置かれた場所で身の丈にあった「私に出来ることをする」ことで後は神様のご計画に沿って開かれることを信じ、祈っていければと思います。
どの民もおのおの自分の神の名によって歩む
我々はとこしえに我らの神、主の御名によって歩む
(ミカ書 四・5)
(いのちのさと職員)
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わたしは道であり、真理であり、命である。 (ヨハネ十四・6 ) I.E
今年の四国集会のテーマは「一人も滅びないで」でした。そのときの講話の中で、滅びとは何か、について考えさせられるお話しがありました。それを聞きながら、神を知る前の自分は、すでに滅んでいたのではなかろうか、と思えることがあり、それがだんだんはっきりしてくるようでした。
いま振り返ると、神様を知らない時は自分が深い混沌の中にいたことがわかります。ダンテの「神曲」の中ではそれを「深い眠りの中にいた」と、またそこは「かつて生きて出られたためしのない森」ともありました。神様を知る前は、つねに言いようのない大きな欠乏を抱えているようでした。胸のなかにブラックホール…留め金が外れたら、暗く果てしない深淵にまっ逆さまに墜落していく。または、そこにアッという間に吸い込まれていくのではないかと、そんな感じでした。でも普段はごく普通に世間並に生きようとしていて、またそうしないといけないと思い込んでいて、神様をないがしろにするという罪を犯しても気づきもしませんでした。またそれを罪とも思いませんでした。ただ、そんな自分が、また自分が住んでいるその世界が漠然とですが、とてもいやになって来ていました。そして心がとても渇いていました。そんな世界からどうやって抜け出せたか、あるいは掬い出されたのかは、いまだに謎です。
「聖書」によってこの「道」について学べるようになったことは、今あらためて思い起こしてみても全く不思議な出来事でした。そしてそのあとも、幾つか、この世では否定され、問題にもされなかったようなこと、それがこの新しい世界では「真理」だと言われている。以前住んでいた世界とは全く逆!今まで否定されていた部分が、ここでは肯定されている、それも神さまによって…何というおどろき。なぜか思わず万歳!ととび上がったほどです。
それくらいわけもわからず鬱屈していたのかも知れません。同時にそのころ何かふしぎな方法で、わたしは神様に捉えられたと思いました。こんなことを言うと怪しまれるかもしれませんが、生け捕り、そんな感じでした。この新しい世界に、まだよく納得もできず、なにやらその大きな力に抵抗もしましたが、もう自分には他に行く道がないこともよくわかっていました。大きな人生の転換点がありました。
どんなに肉の命があっても以前のような状態では本当に生きているとは言えません。ほんとうに生きているという実感がないのです。神様は強情なわたしにはこんなところまで忍耐されて、もうどこへも行けない状況を創っておかれて、無理なく生け捕りに?されたのではないかという気もします。それから今に至るまで、それが長かったのか短かったのかわかりませんが、 同じ生きるのでも神がともに生きてくださるのは、生きる命の質がちがうことを思わされます。「神はすべての人を不従順の状態に閉じ込められましたが、それは、すべての人を憐れむためだったのです」(ローマ十一・32)とありますが、神を知ると知らないでは、命かそれとも滅びかの違いがあります。また聖霊によらなければ喜びをよろこびとして感じられないと言われていることは本当だと思いました。以前にくらべて、聖霊に導かれて生きることの豊かさ。そして「飢え渇く者は幸だ」…これもまた何という不思議! 聖書にあるカナの婚礼のように、味気のないただの、飲んでも飲んでも渇くこの世の水が葡萄酒に変る。何という不思議。これは実生活のうえにイエス様が起こす奇跡です。こうして、人の心の空洞を埋められるのは、創造主の他には不可能だ、ということも思わされます。夜のしじまのなかで、胸に手を当てると、規則正しく打つ鼓動。これは他のどこからでもなくひたすら神様の御許から送られてくる命、神様からの愛に他なりません。わたしたちすべての人のなかにこの鼓動が聞こえている。もしそれが私たちの耳に聞こえるとしたら命の大合唱です。神を讃えよ、讃えよ、と人間のいやすべての生けるものの心臓は歌っているのかも知れません。
今、日本では自殺者が三万数千人、自殺志願から立ち直ったある女性は「そのころは誰も助けてくれなかった。弱ってしまっていた」と言っていました。
でも、助けてくださるかたがおられます。
消えかかっている灯心をもう一度燃え立たせることができるお方がいます。
一人でも、どうか、わたしたちの創り主がそこに立ち返るのを待ち、あふれるほどの恵を与えようとしておられることを知ることができますように。 (主婦)
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入信のころ I.K
もともと私は身体が弱く,小さい時から虚弱体質と言われて来ました。自分でもそれを自覚し常に何か目標を持ってそれに向かって努力すれば人並みの生活を送ることができると思い、当地での有数の進学校に入り大学受験を目指しました。最初から将来何になりたいなどと考えて居りませんでしたので、いざ合格してしまうと目標を失ってしまいました。
当時私が通っていた大学の経済学部はマルクス経済学が全盛期で多くの学生がマルクス経済学のゼミに参加しておりました。しかし、大学二年後期頃から就職問題が多くの学生達の主要関心事となり、いかにして大企業に就職するか、その為の点取り虫競争に夢中になりました。
矢内原先生が『人生の選択』の中で資本主義社会の矛盾を盛んに論じてきた学生が、いざ就職の段になって競ってその資本主義社会に頼ろうとすることに矛盾を感じないのだろうかと書いておられます。私の場合それほど深く考えたわけではないのですが、完全に人生の目標を失ってしまいました。
その時に偶々本屋の本棚に『マルクス主義とキリスト教』(角川文庫)という小冊子を見つけ、それを読んだのがキリスト教を見なおすきっかけとなったのです。その後いろいろないきさつを経てキリスト信仰を持つようになりました。(仙台市)
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内村鑑三のことばより I.S
キリストにおける信仰は私を罪から救うものであるけれども信仰もまた神の賜物でる。
私は信じて救われるのみならず、また信じさせられて救われるものである。ここに至って私は全身を救う力のないものであることを悟った。それでは、私は何をなそうか。私は私の信仰を神から求めるのみ、キリスト信徒は絶え間なく祈るべきである。彼はなお信仰が足りなければ信徒は絶え間なく祈るべきである。まことに彼の生命は彼はなお不完全ならば祈るべきである。彼はなお信仰が足りなければ祈るべきである。恵まれても祈るべし。呪われても祈るべし。天の高きに上げられても陰府の低きに下げられても私は祈ろう。力なき私。私のできることは祈ることのみ。
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明けの明星を見上げて I.U
十月十八日午前五時、肌寒いので、上着を肩に掛けそっと、外に出てみました。未だ、夜明け前の空は、暗く、小さな星々が遙か遠くに見えました。その星々を守るかのように、大きな星が燦然と輝いておりました。
「ア 金星だ!」
八十七年間も生きてきて、初めて見上げる金星でした。「いのちの水」十月号の明けの明星の記事を読みまして、今夜こそと祈っておりました。
「わたしイエスは輝く明けの明星である。」とイエス様が仰せになったとヨハネ黙示録に書かれています。すると、周りの小さな星々は、天に昇られたキリスト者の方々でしょうか。
そしていつか、私も、あの小さな星々のようにイエス様のおそばに行けるのかしら。
身体が弱り、孤独になるという老いも、身体は弱りますが、孤独ではありません。あの小さな星々の所に行ける日が近づきつつあるのですから。
強い感激のひとときでした。
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キリストの光に歩みて U.S
「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」 (ローマ八・28)
私は一九二一年生まれ、八十六才になります。若年の頃から肺結核病を患い、余り丈夫な方ではなくいろいろ持病をもっております。しかし、よく考えてみると、現在の私の健康はこれまでの病気などの苦汁が、今日の私の健康の基礎になっていることを知ります。
私のようなひとりよがりの横着者が、信仰に入る端緒となったのは病苦でした。長い闘病生活は、窓越しの雲の去来に心ゆすられ、樹木の枝葉に移り変わる四季を感じて、あたら青春の命の哀れをかこつ日々でしたが。 その頃です、信仰の西も東もわからぬ私が、自給伝道者井上徹郎先生に拾い上げられ、キリストに導かれたのは。
「まことに不思議といえば不思議で、どんなに思いめぐらしても問い返しても分かりません。」(*)
私などの思い及ばぬ神の深い恵とあわれみの賜物です。
私は五十五才で公務員生活からリタイアし、再就職して六十五才まで会社勤めをしました。ところが再就職一年後に、ベーチェツト病という難病にかかり、市内の病院に入院するというはめになりました。この病気にはこれといって効果的な治療法はないらしく、ただ抗ガン剤の投与だけでした。
この時にも、私の病気のことを聞かれた井上徹郎先生は大変心配して下さり、私どもの信仰仲間であるO医師に相談され、千葉県木更津市に名医があるということで、小倉眼科病院を紹介していただきました。この先生は千葉医大を出られた方ですが、自分が病気をされ、独自に漢方医学を研究し学ばれた方でした。「玄米菜食一日一食」これは今も私の手許にある本の題名です。その先生の治療法はまことに徹底したもので、食生活と鍛錬(運動)を二本柱とした生活改善であります。しかも自ら、日々実践されているのですから驚きです。そのような先生ですから、患者に対しても決して遠慮せず、不断の姿勢でも宜しく、私なども腰を下ろして足を組んでいるところを見つけられ注意を受けたことがあります。まことに有難いことに、私の病状は余り進行していないということで、通院可能という診察をいただき、仕事は休む必要はないから、勤めはこれまで通り続けてよろしいとの診断でした。
皆さん方はベーチェツト病のことについて、ほとんどご存知ないと思います。眼中に炎症をおこし失明に至る病気で、未だ原因が分からず手当のしようがないらしいです。起死回生とはこのような状態をいうのでしょうか…。先生の診断結果を聞いたとき、本当に天にも昇るような感謝の気持ちと喜びで溢れました。わが身の幸運、神の豊かなあわれみにより救われたわが身の恵みに、ひたすらアーメンと祈るのみでした。
神様のとこしえのご栄光とみ力を賛美申し上げます。アーメン
こうして私の通院治療は、快癒の宣告を受けるまで六ヶ月間余り、新幹線を乗り継いで木更津まで通うことになったのであります。その都度二週間分ほどの漢法薬をいただき、玄米菜食と早朝ジョギング、そして通常の会社勤務を消化するというのが私の日課でした。その間、玄米菜食一日一食は約二ヶ月間で終わり、その後は一日二食に戻し、治療後は菜食主義も解消しましたが、玄米食だけは今日まで続けています。
「神の思召しによって召された者たちには、善いことも悪いことも、すべてのことが救いとなって、共に働いて下さいます。」との冒頭のみ言葉は真実であります。私は当時、不治の病といわれた肺結核を患ったことによって、信仰という隠されていた天の宝物を与えられ、またべーチェット病という難病を病んで、食養生と運動という健康法を学ぶことができました。私の今日ある健康の秘訣は、私の弱いながらも不等な強さは、全く、主イエス・キリストに支えられた、食養生を基調とする日々の信仰生活に帰するものであります(*)炙魚通信百三号二頁上段の引用文
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短歌 A.S
コスモスの乱れ咲く丘 蝶群れて
主の創造の わざほめたたえ
生かされし今は 一日の恵みなり
コスモスの中 うたい(讃美)つつゆく
十字架を仰ぎ ひたすら生きんとす
わが祈りあり コスモスの丘
主のいのち ここに 息づく花園の
倒れしコスモス 空見上げ咲く
はるかなる 天空をこえ主の来るを
思いめぐらし みことば思う
澄み渡る空を仰ぎ見し 小さきわれ
悔いの涙に 主の赦し受け (主婦)
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キリストの影 O.T
「いったい律法にはやがて来る良いことの影があるばかりで、 そのものの実体はありません。従って、律法は年ごとに絶えず献げられる同じいけにえによって、神に近づく人たちを完全な者にすることはできません。」 (ヘブル一〇・1)
今年の九月にレビ記の最終章(二七章)の講話を終えた。二〇〇五年四月に第一章をスタートして、三十ヶ月目でした。
毎月一章づつ丹念に読み進めてきたが、途中で体調を崩して入院したりで、期間が延びた。 律法の書を読む手がかりとして、新約聖書、なかでもヘブル書は重要でした。レビ記を終えるにあたり、強く心に響いた御言葉がヘブル十章一節でした。幕屋の祭壇で献げられた、夥しい数の動物(牛や羊など)とその血…。罪の清めなくして、真の神の礼拝はできない。
儀式をとりおこなう大祭司に、神に献げられる犠牲の動物に来るべきキリストを重ね合わせて予型としている。私は、ヘブル書にある「影としてのキリスト」の言葉によって、「予型」よりハッキリとした旧約に描かれている歴史の初めから歩まれているキリストを見た思い でした。
北海道の地平線を見渡せる平原を思いおこしていました。遥か彼方に太陽を背にしたキリストがこちらに向かって歩まれていて、その影が私の方に長く伸びて、しだいにその影が濃くなり歩み来るキリストの姿がハッキリとしてきます。旧約聖書はキリストは来られる。新約聖書はキリストは再び来られる。私達は歴史を通して二千年前に来られたキリストを知っている。
私達の目の前に、ハッキリと姿を現して十字架につけられ、死んで黄泉に下って、三日目に蘇って私達に蘇りの姿を現し、み国にのぼられたイエス・キリストを知っています。
そして、キリストが再び来られることを待っています。このことが、私たちの真の歴史です。
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思い出 K.T
東城に新しい教会ができました。古い教会は川辺にあり、大正頃、アライアンスの宣教師によって出来、まだその時の信者の方が教会の役員に残っておられました。戦後でありこれからはアメリカの時代だと多くの青年たちが教会を訪れていました。牧師さんの言では、三〇名くらいの人が一時来たとのことです。その青年たちが太鼓をたたき、「ただ信じよう。」と歌いながら伝道会の知らせで町を練り歩いた。私はただ驚きながら女学校の講堂に行った。太田牧師であった。二〇〇人以上は入っていた。最後に手を挙げたのは三〇人ほどであった。明日、教会で集会があるので来て下さい、とのことで翌日訪れる。教会に来たのはその内、三、四名であった。私は教会に通った。神とキリストがよく分からなかった。それでも、熱心に見えたのか役員にされていた。祈らなければ神はわからないと言われ、集会で祈る事にした。人目には熱心と見えていたのか聖書を本気で学びたいと思うようになっていた。内村鑑三の伝道誌で「聖書之研究」が牧師の書棚に百冊くらいあったと思う。それを借りて読むと信仰の真ん中にいる気がしていた。大阪で記念講演会がある事を知り、何年か出席した。岡山に十時着、始発までホームで待つ朝、大阪の地に早く着きたいと心がはやる。帰りは少しも記憶にない。信仰に燃え上がっていた。一度だけ大阪五時着、友人が迎えに来ることになっていたが一時間待ってもホームに来ないので暗くなるので大阪駅に出るとばったり友に会い、感謝。
建堂の年のクリスマス十名くらいの青年で劇をすることになった。
アルタパンの劇である。台本ができ、役も決まった。
アルタパンの役は私になってしまう。その劇はエルサレムのイエスの生誕に東方の学者が訪れる。ところが三人の学者の他にもう一人の学者の物語である。途中旅人が強盗に遭って穴に落とされていて、それを助け宿屋に連れて行き、看病した為に一日遅れてしまい、また、エルサレムの途中自分も強盗に遭い身ひとつになってしまう。三日も遅れてしまう。エルサレムに着くもイエスに会えず、路上の人となってしまう。イエスの噂が流れるとあっちに行き、こちらへと動く。とうとう会えない。生涯を送る時にイエスが捕らわれたと聞き驚く。身はぼろをまとい路上の者となるがそれでも心には明星を求めた。あの時は輝いていた。いつかキリストに会える。望みを抱いていた。ゴルゴタへの道、彼はすでに病におかされ途中の道端で息を引き取ってしまう。その時、十字架にあげられたゴルゴタの丘では空が暗くなり雷鳴が響いた。「あなたは今わたしと共にパラダイスにある」アルタパンは主の声を聞く。「私はいつあなたに会いましたか」「あなたがあの旅人にした事はわたしにした事です。」
この劇はとうとう出来ませんでしたが、今でも思い出として私の心に残っています。孫たちに紙芝居にして見せたりしました。悲しく美しく天のパラダイス信仰の夢は私の心で燃えています。
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真の幸い O.Y
イエスは言われた。
「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。」
(ルカ十一・15)
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希望と力 O.E
「それゆえ代々にわたって次のことを心に留めよ。
神に希望をおく者は決して力を失うことはないと。 (Ⅰマカバイ記二・61)
月に一度、北島夕拝に参加していた時の学びで旧約の続編の箇所でした。マカバイ記は私 が使っている聖書などには載ってなく、学ぶのも読むのも初めてでした。手話で解き明かしをしてくださいましたが、難しいのと充分聞き取れなかった(難聴のため)ところもありましたが印象に残った学びでした。
どこに希望をおくか?周りの人は偶然的で目的のないものや時、出会いという曖昧なものに希望をおく。また、健康や能力を求め失っていくものに希望をおいているから力がなく弱くなる。私 自身も神に希望をおいてないから弱い者であると、この学びを通して知らされ感謝でした。
「主に望みを置く人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」
(イザヤ書四十・31)
どこに希望をおくか?希望をおく場所によって力が与えられる。このイザヤ書のみ言葉のとおり神に希望をおいたら弱ることなく力が与えられる。希望と力とは関係があると教わったので、これから神に希望をおき力をいただき歩みたいと思っています。
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詩編一〇八編の学びから「たらい」 K.K
家庭集会で詩編一〇八編を学んで驚きました。悪の力、神様に敵対する力がいろいろあるけれど、それが神様からみたら、まるで「たらい」みたいなものだと書かれていたのです。
こんなことが書かれているとは知らなかったし、「たらい」というのが不思議でもあり印象的でした(たらいって漢字変換したら「盥」でした。なるほど。
「神は聖所から宣言された。『わたしは喜び勇んでシケムを分配しよう。スコトの野を測量しよう。ギレアドはわたしのもの。マナセもわたしのもの。エフライムはわたしの頭の兜。ユダはわたしの采配。モアブはわたしのたらい。エドムにわたしの履物を投げ、ペリシテにわたしの叫びを響かせよう。』
(詩編一〇八・8~10)
ここに並ぶ地名は、襲いかかる敵の地一帯を示しています。もうだめかも知れない、と逃れようのない苦しみ、恐れがありました。しかし、必死で神様に叫ぶとき、神様は答えられました。そのような敵の地一帯は、神の力の前には何の力も持ってはいないのだと。すべて神様の支配下にあるものであり、まるで「たらい」であったり「靴を投げる所」であったりすると書かれています。神を信じる者に立ちはだかる、さまざまな力は、全能の神にとっては「たらい」や「靴を投げるところ」でしかないのだと知らされました。夜勤続きで疲れ気味、心まで暗くなっていたわたしに神様が光を注いでくださいました。
精神科病棟に異動になり七ヶ月。突発的に緊張を要する出来事が多く、特に夜勤はまだ不安です。わたしはこの部署で、今まで知り得なかった、想像もつかない患者さんたちの重荷、苦しみを知らされました。「死にたい」「殺される」そのような心に寄り添おうとするとき、わたしも一緒に苦しくなってしまう思いもしていました。疲れると、わたしを神様から引き離そうとする力が働いているように感じます。罪は心を曇らせ、体が疲れると心は弱り、人間関係でも自分の弱さを嫌と言うほど知らされていました。
しかし、どんなに人を苦しめ、弱らせる力が迫ってきたとしても、神様から見ればそれは「たらい」のようなものと思うとき、ふと重荷が軽く感じられました。神様の力にすがろう。お風呂場のたらいをひょいと運ぶように神様は、時が来れば、苦しめるものを、疲れを、心の罪を取りのけてくださる。また、さまざまな重荷、苦しみを負わされている人たちも、いつかきっと、真実の神、全能の神が、その苦しみを取り除いて下さる。今はわからなくても、神様は必ず見ていてくださる。神の御手が短いだろうか。病気で苦しんだラザロは天で宴席についたと書かれていることを思いました。
最近は、患者さんのことを、以前よりもっと祈るようになりました。特に症状の重い方の苦しみを目の当たりにするとき、癒しと救いを祈らずにはいられません。そしてそのような祈りはわたしを支えてくれます。夜、暗くして祈るとき、主がそば近く感じられ、心に安らぎが与えられ、疲れも悲しみも、主への感謝に変えられていく。不思議な力の前にひれ伏す思いがします。
「神よ、わたしの心は確かです。わたしは賛美の歌をうたいます。」この詩編の初めのことばです。神様によって救われるとき、わたしたちの心に讃美が湧きあふれてきます。
どうか神様、人の苦しみを讃美に変えてください。わたしたちの心を、重荷を負う人々の心を、あなたへの讃美であふれさせてください。
願い
神様、わたしは願っています。
神様、心病む人のために病院を建てて下さい。
春に花咲き、秋には実のなる木が茂り
梢をわたる風の音がやさしく響き小枝で小鳥が歌っている。
芝生の上で寝転がり、空を流れる雲をみて
それから、ベンチで誰かと語り合う。
外には出られない人であっても
部屋には柔らかな陽の光がはいり高い窓から緑の風が通る。
祈りの部屋で、誰もが主に叫ぶことができ
そして、誰もがともに祈ることができる
朝、祈りで始まる一日にみ言葉が語られる。
夜、祈りで終わる一日に感謝と願いが捧げられる。
きょうの眠りが守られますように。
病が癒されますように。
幻聴、幻覚、妄想、不安、死にたいという思い
人間の、脳、心、魂という深みの中に来てくださり
どうか、主が癒して下さいますように
テレビの騒音ではなく讃美歌が流れ
喧噪ではなく静けさがあり
病んだ心が、静かに治療されていく
苦しかった心に主が宿ってくださり
闇の深さの中に光が射しこころが安らぎで満たされる。
主への感謝と讃美があふれて泉のようにまわりに流れ
同じ苦しみの人の光となる
そんな、心を病む人のための病院を主よ、建てて下さい。
「わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」
(ヨハネ十四・13~14)
「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。」 (ヨハネ十五・7) (看護師)
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高槻より K.T
二度目の秋を高槻で迎えました。お陰様で多少の不自由を残しながら、ほぼ恢復しております。加えて那須宅における集会に招かれて、恵まれた日々を過ごしています。このことをはじめに、感謝をもってご報告いたします
きょうも、N.Yさんの車で迎えられて集会に出ることができました。秋冷えを覚える清澄な朝、神の御国に在る実感の裡にみことばを聞き、祈りを共にすることができました。
いつの頃からか、「お前はゴミか」という疑念を抱くようになり、体の回復とはうらはらに心の萎えるのを覚えていましたが、そんな明け暮れのある日、集会のご案内をいただき、送迎まで受けるようになりました。
まるで蘇生したよう、今はふるさとに帰ったようなわたしの居場所を感じています。いつの間にか疑念も消えていきました。きょうも、吉村さんのご講話(CDへのMP3録音)を伺いながら「今や恵みの時、今こそ、救いの日」(Ⅱコリント六・2)のみことばに、心からアーメンと和したことでした。
ところで今日、十月二十一日は、Sさん、Mさんの記念会が徳島で行われる日。けれども参加できません。ほんとうに申し訳なく、せめて追想を記すことで、その場に連なることを許して頂けたらと思います。
杣友さんには長いお交わりを頂きましたが、今思い出すのは、出会いと別れのこと。
一九四九年五月、徳島の無教会が徳島聖書研究会として旗揚げした日でした。場所は憲法記念館二階、二十人程の集まりがありました。讃美歌や主催者のお話は覚えていません。
会が済むと、ひとりひとりの氏名と住所を聞きながらノートに記している人がいました。なぜかその光景は今でも鮮明なのです。その方が杣友さんで、言葉を交えた最初。自分の名前を告げることが出会いだったのです。
これからおよそ、半世紀にかけてのお交わりをいただくことになります。
当時わたしは二十三才で迷いの唯中に喘いでおりました。敗戦で何も誰も信じられなくなっていました。貧困と飢餓と、肉親の病、兄二人との死別。非情や空しさという闇に翻弄されていました。そういう中で何かを求め続けていました。不変不動のものがあるなら縋りつきたい、空しさを埋めてくれるものがあるなら手に入れたい。
そのころすすめてくれる人があって、矢内原先生のイエス伝を購読しましたが、私には難しすぎました。もっと手近なものはないものかと求めていた矢さき、徳島新聞の片隅にキリスト教集会の小さな案内をみつけ、不思議に心が動いたのでした。
集会の二回目はM先生の「ルッターの信仰」というテーマの特別講演。このあと市内に足場を置いて月一回の定例集会が開かれるようになり、今日の徳島聖書キリスト集会の源泉となりました。三人四人が集まる細々した集会と見えた時もありましたが、神様はしっかりと慈雨を注いでくださっていたのです。このことは私個人についても言えることで、祈ることもできない私をお捨てにならず愛を注ぎ続けてくださいました。
「はこ舟」の最初の編者のO.Yさんは一九六二年ごろ帰天、継承された杣友さんは百歳で記念講演をされる程、伝道に燃えられましたが、一九九七年十一月五日、信仰第一、伝道一筋の天寿を全うされました。その死は悲しみというよりは勇者の凱旋さながら、きっとその凱旋は天に響いたのではないでしょうか。
そのお別れは死の直前、二日前でした。丁度お見舞いをしていた私には、杣友さんが小康を取り戻しているように見えました。「ご気分はいかがですか。ご不安はありませんか」と、不躾な、場にふさわしくない問いかけをしてしまいました。「私には永遠の命があります」ときっぱり、一言が返って来ました。はっとして「私も後から参ります」と言ってしまいました。何と思い上がった言葉であったかと悔やまれましたが…。
信仰の養い親とも言える杣友さんとのお別れの小さなやりとりは、実は重く心を占めて来ました。
名を告げてからおよそ五十年、天に戸籍を書き込んで頂いた絆は長い日々に生きた支えをいただき、別れの言葉は未来に直結していて現在の私の望みとなっています。
私の若い日の求めは、O.Yさん、S.Tさんを引き継がれた吉村孝雄さんと、三代にわたるお導きで遂に不変のまこと、義と愛、十字架の贖いによるみ救い、永遠の命へと満たされようとしています。五十年の歳月、荒波もすべてみ心の裡にあり、なにひとつ無駄はなかったとこのごろつくづく思います。
神様のご計画と愛にただただアーメンあるばかりです。
余命を数えるようになったこの時に、全く図らずも高槻という地で若く瑞々しい信仰に囲まれ、新しく生かされ支えていただいているよろこびも、神の前に二心ないエクレシアとしての賜物に外ならないと思い、感謝です。
ここで讃美歌五一一を、心をこめて歌い感謝を捧げます。
離れていましても、ぶどうの枝につながる者の一体感をもって、ご平安を祈ります。
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神様に感謝 K.M
今年一年は私にとって大きな神様からの恵みと祝福がありました。
十月二十二日、藍住ルカ集会に、高松に住んでいる次男夫婦と二ヶ月の彩音(あのん)ちゃんが、参加し、吉村さんから祝祷をしていただきました。
初めて聖書を学ぶ二人のために、マタイ五章を選んでくださいました。
3 心の貧しい人々は幸いである。
天の国はその人たちのものである。
4 悲しむ人々は幸いである。
その人たちは慰められる。
この深い意味を理解できるのに長い年月が過ぎました。家族一人一人にとって色々な試練もありましたが、背後で兄弟姉妹が祈って下さり、支えて下さったこと、今日、学んだみ言葉が感謝の思いでいっぱいになりました。
礼拝が終わって、彩音ちゃんの祝祷をしてくださり、み言葉はヨハネ十五章、一~九を選んでくださいました。
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れてはあなたがたは何もできないからである。」(ヨハネ十五・5)
彩音ちゃんが神様につながっていてほしいと思いました。
新聖歌五〇五番、「主われを愛す」を讃美の曲に選んでくださいました。
この讃美には幼児祝福と書かれていますが、人生のすべてに当てはまる導きと祝福が歌の内容に込められているそうです。
皆様と共に歌いました。とても心に残りました。
一 主われを愛す 主は強ければ
われ弱くとも 恐れはあらじ
(折り返し) わが主 イエス わが主 イエス
わが主 イエス われを愛す
二 わが罪のため、栄えを捨てて
天より降り 十字架につけり
三 御国の門を開きてわれを
招き給えり 勇みて 昇らん
四 わが君イエスよ われをきよめて
良き働きを なさしめ給え
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いつまでですか、神様 K.Y
俺はいつまで生きるのだろう。五二年間生きて来て、その内の三二年は身体障害者としてだ。二三年前からは人工呼吸器と共に過ごして来た。その障害者としての生活では、多くの大きな出来事もあった。もう前を見て生きて行けないと思ったこともあった。しかしここまで生きられたのは大きな存在に生かされたと言えるだろう。そしてこれからも、そのように生かされて行くのだろう。ベッドの上で寝ているだけの生活は正直なところ、しんどい時もあるし、逃げたいことも頻繁だし、大声を出したい時だってある。でも俺にはそれは許されてはいない。これからも今までのように生きて行くだけだ。今まで生かされたということは、これからも同じように生かされると信じて生きる。
「ベトザタ」に横たわっていた重い肢体障害者は三八年もの間、希望もなく静かに寝ているだけだった。だが、イエス様に出会って信じただけで癒され、救われた。俺も同じような状況の中で、俺も信じることのみによって救われることだけを思って、これからも歩んで行く。奇蹟が起こるとは限らない。しかし救われることは可能だ。もう俺は信じているのだから、救われていると大手を振って言い切れる。「ベトザタ」の彼と同じく俺は救われ赦されたのだ。後はクリスチャンとして旗を立てて証をして進むだけだ。
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聖書の学びから K.H
「主に望みをおく人は新たな力を得
鷲のように翼を張って上がる
走っても弱ることなく歩いても疲れない」(イザヤ四十・31)
日常生活の中で、人の言葉やさまざまなできごとなどでともすると心は揺れ動き、神様を信じていると言っても信じきれていないことを気づかされ、また同時に自分の罪深さ、愛のなさをも思わされます。
そのような中、主に望みをおく人は新たな力を得、走っても弱ることなく歩いても疲れない、と言われ、主に望みをおく大切さを思わされました。
またいろいろあったけれど主を信じてこられてよかった、と感謝と喜びで満たされる思いでした。
これからも御国にゆくまで信じてゆけますように。
主は「天地は滅んでもわたしの言葉は滅びない」と言われました。御言葉を信じ聞き従う者となれますように、また共に祈り、支え、助け合って行けますように祈る心をお与えください。
聖書の学びを感謝します。 (主婦)
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生活の中から K.S
北海道の冬も間近に迫り、毎年の事ながら御歳暮用の準備そして冬までに片付けなくてはならない仕事が山積みで文字通り心を滅ぼしてしまいそうになっています。
そんな中、娘が「主の祈りがいい」と言うので、我が家では食事の前に主の祈りをするのですが、祈る度まず我々が求めるのは神の国であり「自分の命の事で思いわずらうな」との御言葉に立ち返らされます。
ヨハネ福音書四章二〇節で、サマリアの女との会話の中で、どこで礼拝すべきなのかに関して「霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る」と主がお答えになられた事を思い、日々の仕事の中にあっても霊とまこととをもって主を心にお迎えしたいと願っています。
日曜日は何週か遅れでルカによる福音書を徳島聖書キリスト集会のCDで学んでおります。いつも大きな発見があり、喜びがあります。クリスチャンホームに生まれ育った私でしたが、聖書が道徳の書ではなく、実生活の混沌の中の光であり、混乱の中の道である事が実感されたのは驚きでした。二千年もの間、無数の人々がこの発見に驚き喜びを見い出し続けてきたからこそ「福音」というのだとはじめて理解できました。このいのちの水がこれからも多くの人に流れ続けますようお祈りいたします。
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明けの明星を見つめて K.M
朝の楽しみとなった「明けの明星」との出会いは、「いのちの水」誌に紹介下さった事に始まる。「宵の明星」は一番星として小さい頃から馴染みであったが、朝の暗闇にひときわ輝くイエス様の星と出会った時の感動は、一種の驚きであった。午前4時頃の星空は天気さえよければ、視力がやや衰えてきている私ですら、オリオン、牡牛やプレアデス、冬の大三角形などが見られ、もう冬の星座が勢ぞろいしていて嬉しいひと時である。
その中で、東の空に、チカチカとあたたかな光を他の一等星と群を抜いて明るく照らしている金星は、そろそろ寒くなってきた冷気の中でも、じっと見つめていたいのである。このイエス様の星を見つめているうち、病弱なAさん、精神を病むBさん、家族関係に悩むCさんなど苦しみ、悩み、悲しみの中にあるお顔が浮かぶ。このあたたかな光に包まれて今日も御平安でいらっしゃいますように。と祈る。
一日の始まりが、イエス様の星「わたしはダビデのひこばえ、その一族、輝く明けの明星である」(ヨハネ黙示録二二・16)との出会いとはなんと嬉しいしあわせな事かと感謝は尽きない。
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信頼に値するかた K.R
あなたの歩むべき道と
あなたの心を痛めることを
あの方の御手に委ねなさい
天を導き、最も信頼に値するあの方の御手に。
雲と空気と風に
道と軌道とを与える方は、
あなたの足が歩むべき道も
見つけてくださることでしょう。
(バッハ《マタイ受難曲》合唱部分より)
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カナダからの便り K.M
二〇〇七年四月から〇八年三月までの予定でカナダのバンクーバーにあるブリテッシュ・コロンビア大学に客員として来ている。様々なものを見たり聞いたりしたのであるが、そのうちの一つをお知らせしたい。
最近、日本において、ある落語家が手話通訳者に対し「目障りである」と言ったということが話題になっているとか。私がバンクーバーで見たことは、この落語家の意識とは全く正反対に、社会が障害者を分け隔てなく受け容れている姿である。
バンクーバーの路線バスは車椅子で乗れるようになっており、付き添いなしで電動式車椅子の障害者がバスに乗って来る。車椅子の客を乗せる場合は、バスは乗車口である前の部分を歩道側に油圧で低く沈ませるのである。つまり、ステップを低くする。このようなバスを「ひざまずくバス」Kneeling Busと呼んでおり、これが主流となっている。十分にバスがひざまずいた(Knee Down)後、運転席からの操作で乗り口からスロープ板が自動的に外に出て来る。その角度は十分に緩やかであり、電動式車椅子が独力で乗り込める。
運転席の後ろに車椅子用のスペースが左右に一対あり、運転手が車椅子を固定する場合もあれば、固定しない場合もある。そのスペースは三個ほどイスがあるのだが、車椅子が乗ってきたときには、そこに座っている客は席を立ち、イスを上に折りたたんでスペースを作るようになっている。
杖をついた老人がバスに乗るときも、乳母車(バギー)が乗るときもバスはひざまずく。日本ではバギーはたたんで赤ちゃんは抱いてバスに乗ることになっている。電車でも同じであるが、カナダでは赤ちゃんを乗せたままバギーごとバスに乗せている。バギーは車椅子の位置に止めることになっている。
バスその他、スカイトレイン(Sky Train)と呼ばれている高架式の市内電車も同様に、車椅子の人は介護者なしに一人で利用している。このように、障害者は自由に外を往来している。
白い杖を持った視覚障害者が一人でバスに乗ってきたこともあった。乗るときに運転手に何処で降りるのかを告げる。その場所が来たら運転手がその視覚障害者に知らせる、という具合である。一般にこちらのバスには停留所はアナウンスされることはない。
日本にも、障害者が自由に公共交通機関を利用できるような環境を整備するための法律があり、これまで対処がなされてきた。電車などでは車椅子で乗っている人を見かけることはある。しかし、バスについては、現状を見るとかなり不十分である。ノンステップバスと言いながら車内に階段が増えて事故の危険が増している。ノンステップ、つまり車体を低くするためにタイヤハウス(前輪の収納部分)がバスの床から高くなり、そのため座席が高くなって転落事故を起す危険性が増えている、などと言われている。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
しかし、現実に私が見たバンクーバーのバスは車内に階段がない。これは、車体が「ひざまずく」というところが重要なポイントであろうか。また、前輪の真上の盛り上がったところには座席は設けられていない。そこは乗客の大きな荷物を置く為の場所となっている。さらに、車椅子の固定が簡単にできる様になっている。私の街、兵庫県三田市にも車椅子が乗れるバスが走っており、車椅子が乗ってくるのを一度だけ見た。そのときは、介護者がついており、また、運転手は車椅子を固定するのにかなりの長時間かかっていた。この辺り、障害者のバスに関する技術は日本はバンクーバーに比べてかなり遅れているように感じた。
さらに、技術面ではなく人々の心理面に関することであるが、障害者はもちろんのこと、老人に対しても優しい配慮がなされている。バスの中に老人のための優先席はもちろんのこと、そこ以外でも、老人あるいは中年以上の女性が近くに来たら席を譲ってくれる。私の若い家内も席を譲られた。
このような社会的弱者に対する道徳が何人(なにじん)においても受け継がれている。バンクーバーの住人のうち、英語を母国語とする人は50%を切っているそうである。顔かたちがそれぞれ違っていても、話す言葉は違っていても、老人に席を譲るという礼儀作法は様々な人に受け継がれている。
老人・障害者に対する優しさは社会の成熟度を示すものである。社会の豊かさはカネのみでは測ることはできない。カネがあっても互いにいがみ合い、精力を消耗する社会は貧しい。カネがなくても暖かく互いを受け容れあう社会は、物質的には貧しくても幸福感を感じることができ、真の豊かさがある。 (大学教員)
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学びの中から K.M
(一)この世には、消えることなき道がある。
その道を歩むためには、人間のもろさ・弱さ、それにも関わらず主イエスは守ってくださっていると信じること。
(二)いのちの水を汲み取る
小さな弱い者でありながら、神の力を受けるとき、無理解と冷遇の中、あるいは困難な病気の中にあっても、神の国のいのちの水を汲み取ることができる。
どんなことがあっても主イエスを仰ぐこと、重い荷物を背負わされても、主イエスから頼まれたと喜ぶ力を持つことが大事。
(三)神曲のこと
「いのちの水」誌十月号に書かれてあった煉獄篇第五歌の箇所を読んでから、仕事が忙しいとき、「Have mercy on me !」に代わって、「ミセレーレ、ミセレーレ」(憐れみたまえ!の意)と唱えています。
また忙しいときは、それにつられて気持ちも焦り、動きも速まってしまう傾向があります。だから「ミセレーレ、ミセレーレ」と祈りつつ、動作も意図的にゆっくり、ゆったりするようにしています。
(四)真理とは何か
真理とは闇に輝く光である。
神と無関係に知識を得ていくなら、それは死に至る。
知識の実だけを食べていくと死んでしまう。
アーメンというよく使われる言葉はヘブル語で、それはアーマンという語に由来していて、その語は「堅固にする」という意味を持っている。 神こそは最も揺るがない存在であり、その本質である愛や真実というものは変わることがないことを意味している。 神の本質である、慈しみとまこと(真実)について。
慈しみとは、ヘブル語では、ヘセドといって、英語で言えば、 love , kindness , unfailing love
エメス:faithfulness , truth
信仰…神に対して真実な気持ちを持つ。
希望…いつまでも変わらない希望は、神が変わらずに真実なお方であるからこそ、変わることなき希望を持つことができる。
愛…いつまでも変わらない愛とは神の愛で、それは心を変えることがないという真実が背後にある。
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近況報告として K.K
私は個人病院の事務をしておりますが、今年は紙で提出していた請求書(レセプト)をFD化し、十一月からは県(政府)の指導により医薬分業ということで 当院も院外処方箋方式となりその準備等で忙しくしております。
また家庭でも 家族が入退院を繰り返すようになり、なかなか精神的に落ち着くことができません。大切な友達も病気をしたり、子供達への心配もつきることがなく、余裕の無い日々を反省するばかりです。
朝と夜 ほんとうに短い祈りをしているのですが、それが生きる支えとなっています。
こんな日々なので、ずっと何かを忘れているような感じは抜けません。今までずっと、私の前にいるイエス様に向かって祈っていたのですが少し前から後ろからイエス様が見ていてくださるような感じがあります。
後ろから包み込んでくれるような感じでしょうか。やはりいつも見ていてくださり覚えていてくださるという安心感はありがたいものです。
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小さな祈り K.I
講師として行っている盲学校で、一時間だけ男性二人の授業があります。この時間は、座学なので話の下手なぼくがしゃべらなくてはなりません。
この二人は、男性でもあり口数が少ないので、今までのクラスとちがって、半年も過ぎたのにコミュニケーションがじゅうぶんとれないままです。必然的に、授業もぼくが一方的に話をすることがほとんどでした。話をするだけでも授業はできますが、このままでは、二人のことを把握し知ることもできないまま終わってしまいますし、せっかく与えてくれた時間もむだになってしまいます。
こちらから話題を出したり、質問をしても返事も少なく、解決法も浮かばず日は過ぎていきました。そんなとき、ふと神様に祈ることをしていないことに気付かされました。
こんな小さなことでも神様に祈ってゆだねていこうと授業の前に祈りました。その日もぼくだけの話で終わってもよいつもりで話を進めたところ、今までなかった質問も出され、話のやりとりも時間いっぱいすることができました。
神様が、ぼくの困っていることを直ちに聞き入れてくださったことに、感謝しました。 神様を思い起こさない自分に原因があることも思わされました。 (鍼灸師)
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星を見て K.T
「わたし、イエスは使いを遣わし、諸教会のために以上のことをあなたがたに証しした。わたしは、ダビデのひこばえ、その一族、輝く明けの明星である。」(ヨハネ黙示録二二・16)
今年の残暑は厳しく、寝苦しい夜が多かったように思います。朝の三時半頃に、目を覚ました時、東の窓からすごい光が目に飛び込んできたので、びっくりして起きあがり、窓から顔をだし、空を見ると輝いた星でした。すごい光なので双眼鏡を持って来てじっくりと見たところ、またまた感動やらびっくり、光がすごかったです。次の日も、同じ時間ぐらいに目を覚まし、以前教えてもらった、明けの明星なんだと思いました。周りにも沢山の星も輝いていました。しばらくベランダで空を見上げていました。私は視覚障害(弱視)者です。
私の故郷は田舎です。小学生のころ、家で無数の星を見ていたのが、目に焼き付いています。神様に出会ってから、T.Y兄から度々、星の名前を教わっていましたが、今年の九月に見た星はすごい感動を覚えました。それは、一つは六月に白内障の手術を受け、目の濁りが取れ、明るくなったこと、もう一つは自分のなにかもやもやしたものがあったこと。
でも神様は混沌としたところに光を下さいました。神様はいつも見ていてくださり、私たちに輝きの光を今も放ってくださっていること、何もなく過ごしている時には、気づかなかったりします。星は無数の真理を放っている事を覚え、導かれて行きたいと思います。
追記、目が悪いのに星が見えるのは、不思議に思われますが、私の目は、視力が少ないので光がなく、形としては見えませんが、暗闇の中での輝き等は分かります。 (主婦)
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母へ K.A
たくさんのものありがとう。毎日の生活のいろんな所で母を思い出します。きっと一生忘れることはないと思います。
母のおかげで、私のまわりの大切な物に気付きました。目には見えないものばかりでした。そしてあたたかいものでした。会えないのは寂しいけど、前を見て歩いていきます。見守っていてください。 (高校生)
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八木重吉の詩から K.T
イエスの名を呼ぶこと
イエスの像を心に描くこと
イエスについて人に述べること
出来るかぎり人をゆるし人にやさしくし
素直な瞳をもちつづけること
そういふことを趣味にしたい
結局いつもそこへ考へが落ちてゆくようにしたい
ものの尺度がそこへ落ちてゆくようにしたい
イエスに近づく為めに
最后の一銭を支払うことが出来るようになりたい (八木重吉全集 第二巻) (元教員)
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神に導かれて K.T
十月六日(土)、翌日からは無教会全国集会が東京青山学院で実施されるため、色々用意してもう明日八時四十分岡山発の新幹線に乗車すればよい状態だった。
しかし夫(民雄)は、一週間前から、「階段を二階までのぼるのもえらい」「夕方のウォーキングも時々立ち止まって休まないとえらい」という状態だった。本人は、「次第によくなった。」と言いつつも上京の前に、かかりつけの医師に診察してもらった方が安全だと思い、やっと重い腰をあげて医院に出向いたのが六日だった。
医師に心電図を撮ってもらった所、すぐ国立病院に行くように指示された。国立病院の医師の診察の結果「御入院」とあれよあれよと考えるひまもなく夫は病室の人となった。
二人で健康なうちは無教会集会に参加しようと話し合い、今日まで祈って来たが、一瞬のうちに参加出来なくなり、唖然としたが神様の御心に従うことにした。
さいわい心臓疾患のためペースメーカーを植え込む手術をしていただき二十日間余りの入院で命を救っていただいた。三ヶ月もすれば運動も出来るとのこと、十月下旬無事退院することが出来た。
ふり返って見ると、全国集会に出発する前日に病院に行き病気が発見されたことは、まことに神様の導きであったと思う。日頃からどんなことが起こっても、祈って神様に従うということを頭で考えていたが、現実に突然このような場面に追いこまれたが、あわてることなく従ったことは、神様の愛であったとつくづく体感した。
ペースメーカーを体にうめ込んだため、常にペースメーカー手帳を持ち歩くようになったが、これも神様が「八十歳近くなったので常に気を付けよ。」との御心と思いこれもまた感謝である。
来年は徳島で全国集会が催されるとのことを知り、健康に注意しつつ参加できるように今から祈っています。 (元教員)
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祖母の召されたことに思う K.K
死の陰の谷を行くときもわたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。 (詩篇二十三・4)
神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたみは知っています。 (ローマ信徒への手紙八・28)
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。 (Ⅰテサロニケ五・16~18)
十月十日に祖母を肝不全で亡くした。大変な痛みと苦しみの中、「家族と一緒にいたい」という本人の希望で「麻薬で眠る」ことを拒否した。こんな小さな身体でなぜここまで頑張れるのだろう。肺は水だらけで呼吸ができず心臓は張りさけんばかりに鼓動していた。苦しみのあまり祖母は声を出せなかったが言いたいことは充分感じとれ家族全員で身体に触れ祖母への感謝と再会を交わし看取った。
神様、どうか先に天国に旅立った淋しがりやの祖父と頑張りやの祖母の面倒を私が天に召されるときまで宜しくお願いいたします。
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♪サレナム、サレナム、サレナム♪ K.M
去年、Y兄の吹かれたハーモニカの音色が忘れられず、今年の二月頃からハーモニカを吹く身となりました。愛媛、高知、徳島での四国集会に用いられた讃美歌集や、京都桂坂での近畿集会の讃美歌の五線譜の下に、ハーモニカの数字譜を付記して、たどたどながら無心に吹いております。
時々二階から「そのラッパやめ!」と雷が落ちますがパッカー奏法から、やっとタンブロックが出来るようになりつつあります。
「讃美歌を吹きたい」は建前で、本音は老齢の口元の縦皺(たてじわ)改善、認知症予防、表情筋を鍛えよう、など下心大有りです。
最初「えっ!タンブロック!舌が何で言う事聞きますかいな~」五穴くわえて目的の一音を吹く、その一音が全然出ず、唇の端から「ふわ~ん」とか「す~」とか儘ならぬ音色。思いなおしてまともに銜え、一音めがけて唇を絞って吹くと、出ました!いさぎよい音。でも何故か単調、素っ気無い。鏡を面前に立てパッカー奏法を見てやれば、何と哀れや~思いとは全く逆の口元に縦皺をいっぱい集め鼻を埋めて皺くちゃ婆さんが喘いでいる。目が合ってびっくり~でも「辞~めた~」と言わずハーモニカ続けています。心地よく♪サレナム、サレナム、サレナム♪と吹いています。「驚くばかりの恵みなりき~」「天の神祈ります~」「慈しみ深き~」「人生の海の嵐に~」プリントをめくっては数字譜を書き入れながら、
「うわっ、これは難しい~」とかです。脈拍もきちんと打ってこそ正常、安定、安心ですが、私のメロデーは不整脈で、いつ止まるか不安がつのり、いらいら心配で聞いてられないらしい。
それは解っていますが、讃美歌を練習曲にするのはもっての他でしょうが、「上手になってから吹く」のでは時間が無い、待ってられない。そんな訳で本人は至って大真面目、癒されながら吹いております。
新聖歌 三十九番 三節
栄えの主なる光りの光りよ
われらの口と心を開きて
祈りとほめ歌ささげしめ給え
(主婦)
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入院して感じたこと S.A
軽い手術のため、九月に入院しました。手術自体は簡単なものでしたが、麻酔の方法が初めてで不安があり、部屋待ちをしていた一ヶ月余りの間、集会の兄弟姉妹の前で大騒ぎしていました。イエスさまに身をゆだねて祈り、静かに時を待つことが全然出来ませんでした。
手術中は脊椎麻酔のため意識もはっきりしていたので、新聖歌五〇五「主われを愛す」を頭の中で繰り返し歌っていました。そして手術中から退院までずっと安静だったので「イエスさま、弱い私に力を与えてください。癒しの御手を差し伸べてください。」と祈っていました。持病により低蛋白で免疫力がなく副作用が強く出たので、不安でいつまで入院だろうと暗くなっていました。
結局五日間で退院できたのですが、本当に心は弱いものです。しかしここ数ヶ月間食事療法が出来ていなかったので、治療の重要性・心構えを再認識できました。どんな症状や傷でも早く治るためには少しでも栄養値が高い方が良いので、これからも「霊肉共に強めてください。意志が弱い私に力を与えてください。」と祈りたいと思います。
十年前に入院した時も、じっくり病気のこと及び治療法を見直す時が与えられ、その時主治医の紹介で初めて婦人科も受診出来ました。それまでの自分勝手な判断でなく妊娠出産の可能性などの話を聞くことが出来、正しい判断で結婚など人生の事を考え直すきっかけになりました。(当時二五歳の若い主治医のおかげで持病に関する資料も増え、充分病気のことも分かりました…。)
入院は嫌なものですし、その後も新たな病名・症状が増え「何故治らないのだろう?増えてばっかり。」と思ってました。
今はイエスさまに導かれ、「考えても一生治らない病気ばかりなので、症状が悪くなったらそれに応じて治療すれば良い。」と持病に対して前向きになれました。感謝です。体調が守られている時は、思いっきり笑って、免疫力を上げてます。
いろんなことを考えるきっかけをその時々で下さり、良い方へ導いてくださる主に感謝です。
入院中から集会に復帰するまで、兄弟姉妹の祈りを込めたメールからたくさん愛や力を頂きました。祈り および 霊の糧・肉の糧が、いかに重要かを再認識できました。感謝です。
いつも学びの報告メールを読んでくださる姉妹に感謝します。返信の中の褒めてくださる言葉に愛を感じます。
日常のちょっとした事で家族とぶつかる時、愛がないなあと思います。イエスさまや兄弟姉妹からいただいた愛を、周りに返せるようになりたいです。
集会に続けて参加できるように、健康が守られていることに感謝します。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」(Ⅰテサロニケ五・16~18) (主婦)
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私が生まれる前から S.Y
私が生まれる前から 私を愛してくれた
私が生まれる前から そばにいてくれた
私が悲しむ時は 私を慰め励まして
私が苦しむ時は 助けてくれた
あなたの愛ばかり受けて 返せるものさえなくて
なにも持っていないけれど私を用いて下さい 主よ
この讃美は全国集会で、手話讃美をするために覚えた讃美ですが、私の心にピッタリ合う讃美です。私が生まれる前からとは、天地が造られる前からと聞いて驚きました。
人知をはるかに超えた、神様の大きなご計画の中に入れて下さっていることを思います。
「あなたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたを選んだ…」 (ヨハネ十五・16)
私の小さな経験からも、悲しいとき苦しいとき、神様は慰め助けて下さった。神様が愛だから愛し続けて下さる。
神様の愛ばかり受けて、返せるものはなにもないけれど、弱い所に神様の力が働いて、用いて下さいますようにと、祈り願います。
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聖書の言葉から S.S
あなたの行くところ
どこにおいても、主を認めよ。
そうすれば、
主は、あなたの道を
まっすぐにされる。(箴言三・6)
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思い出の賛美 S.Y
私は賛美歌五百二十番「静けき川の岸辺を」を賛美すると思い出すことがあります。
それは今からずいぶん前、娘がまだ小さかった頃のことです。公園で遊んでいるとき、ふと気がつくと「こころ安し、神によりて安し」と口ずさんでいました。そのとき、心の中になんともなつかしい思いが溢れてきたことを思い出すのです。
学生の頃に歌った賛美歌が心に残っていたのでしょう。このようなことは、わたしだけでなくてよくあるのではないでしょうか。娘の学校でも卒業生だったお母さんが、娘さんが母校に入学し久しぶりに賛美歌を歌って涙がこぼれたということを聞きました。
私は自分が学生の頃に聞いた聖書のお話はほとんど覚えていませんが(先生には申し訳ないですが)賛美は心に残りました。残念ながら、ミッションスクールを卒業して信仰をもつ人はたくさんいるとは思えませんが、神様はひとりひとりが神様とつながる道を備えてくださっているように思います。
それは私のように賛美であったり、ある人には聖書のみ言葉であったりするでしょう。実際に、担任の先生が「ローマ信徒への手紙八の二八」のみ言葉をノートに書いてくださったことで、ずっと後になって困難にあった時そのみ言葉を思い出して深く励まされたといったことを聞きました。
こうした学生時代にみ言葉にふれたことや、幼い頃に教会学校で経験したことがずっと後になって、神様と再び出会うきっかけになることはよくあることで、とても幸いなことだと思います。そこには神様の深いご愛と忍耐があり、み言葉に力がある証でもあると思います。
しかし、こうした神様からの呼びかけや時々送られるサインにどう応答するのかは、受けた側に自由があり責任があると思うと目を覚ましていなければ!と思うのです。 (高槻聖書キリスト集会)
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恩恵 S.R
私は生来、人と話すこと、文章を書くことが苦手で、劣等感で恐怖さえする者であります。現在もその性質は続いて居ります。小学校時代の通告表は学業成績最下位、末欄に体格丙、腺病質と言う校医により記載があった。長じて青年期の徴兵検査も丙種であった。時あたかも太平洋戦争が始まり、同僚の大半は招集され戦地に赴き大陸に海洋に空に特攻隊として非業の死を遂げた。私は脆弱の故か戦争まで兵役に服することはなかった。然し、家業(菓子店)は企業整備令により廃業され、理研電化工業(航空機製作)の製図(トレース工)として就職、三菱重工名古屋工場に出張中肺炎にかかり帰宅したが四十度余りの高熱続きて生死の境に空襲は激しく治療薬も乏しい中で、母親の帯も解かない必死の看病でどうやら命だけは取りとめた。
やがて敗戦を迎え家業も再開されたが、今度は肺結核の発病、宮地照彦医師(クリスチャン)よりパス注射を二ヵ年通院受けて治癒することができた。痩身者に多い内臓下垂症で通常のように働くことが出来ない、特に腎臓下垂は重症で肋骨に縛り付ける手術を全身麻酔で(左右)二十年間入院を二回経験、その次母と弟がインマヌエル教会に属し、弟が嘉信(矢内原忠雄)の読者となった。私も勧められて嘉信集会(加藤美代姉宅)に出席するようになった。企誌掲載「生くるはキリストであり、死ぬこと利益なのです」ピリピ壱、二十一の講師により目が開かれた。
「生くるはキリスト」、前述のように主イエスの愛に支えられた半生であった。静岡聖書集会、「いのちの水」誌、午後三時の祈り、友の聖徒との交わりの生活であった。
「死ぬことは利益なのです」会う人は私をお若いと言われる。九十一歳余りの年齢、肉体の衰えは否めないが、死の影居をまたいで、主共に在す聖国の約束で物質権力にとらわれない平安が原因であると思う。両親もキリスト教会で葬儀を行い、長男(六十歳)は登戸学寮で三ヵ年の通学、娘長女(六十二歳)「いのちの水」購読。三女は英和女学院卒日本キリスト教会の会員であります。
「あなたがわたしを選んだのではない、私があなたを選んだのである」
主イエスの賛美の余生を祈り希望するものです。
(静岡聖書集会)
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神の豊かな恵みによって S.M
今から十数年も前に、ある信仰の集まりがあって、その時講師をして下さった方が、八十半ばを過ぎた牧師さんでした。その当時、奥様を亡くされ、難病の子供さんと二人きりで寂しい境遇に置かれている方と聞いていました。しかし壇上に上がられた途端、大声で「恵みと慈しみは、私が逃げても逃げても追いかけてくるんですよ」と言われて、とても驚いたことがあります。私は、いつになったらこんな信仰を持つことができるのだろうかと気が遠くなるような思いをしたことを覚えています。
最近、詩篇二十三編を学んだ時「苦しい時にも主を求め続けていれば、誰でもこのような高い境地へと招いていただけます」と教えられ、「誰でも」というところに希望があると力づけられました。高らかに「恵みが私を追う」と宣言されたその方も、大きな苦しみを通して、それでもなお主を求め続けられたからこそ、高く魂が引き上げられ、普通の人から見れば不幸だと思われる中にあっても、神様の豊かさに満たされておられたのだなとやっと理解できました。
神様の恵みによって信仰が与えられていながら、絶えず不安や恐れが私に押し寄せ、絶望的になってしまうことがあります。でも神様を尋ね求め、心を神様に向ける時には、必ず、御言葉によって力づけられ、その豊かさの中で弱い魂も、少しずつ引き上げていただけるという喜びに満たされました。
「わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。」(ヨハネ一・16)
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ヨハネ福音書十章三十節から四十二節について S.K
ユダヤ人イエスを拒絶するの小題。この章はヨハネの中心的課題「イエスを救い主と信じて、信じたものが全て救われる。」の中核であり、主題イエスは「よい羊飼い」からそれらの証「善いわざ」の数々の実現の直ぐ後に配置されていることも重要な意味を知らされる。
ユダヤ人「被造物」は、全てイエス様が「善いわざ」を行っているとを「認めている」ことも印象的で、「神に対し、あなたは人であるのに…神を冒涜している」と最も重い罪状を、最も罪ないはずの方に対し、もくろんでいるところが光と闇の対比として如実に感じられる。
愛…いのち…水…エデン…真理…愛を信じる…知っているということ…聞くということ…求めるということ。赦すということ「欲に対し、希望」が完結して最終的には神様の契約が成就されること。神様の御心が叶うという「はじめと最後」。
「幼子」のような心でなければイエス様の御声は聞き取れないこと、真理は誰もたやすく、知ったり、賛同すらできないこと、聖霊を与えるという約束、共に(内に)いてくださる。
なお、いざとなれば「裏切る」という弱さ。「仰ぎ見る」「礼拝する」ことの重要性と方向、創世記二章五節の人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。は文字通り、神に対し罪のない状態を思わされますが、このときもすでに「守ってくださっている。赦されている。状態をまず感じ取ることが最初だと思います。だからイエス様の内で「幼子のような」、「雪のように白く」、「子羊のように白く」して下さるのだと知らされる。
赦されていることを知るにも本当はもっと深く広いものがあると思いますが、「与えられているもので」本当は十分なはずです。ここにおいても「神を正しいとせず、自己主張(愛を離れる)、与えるのではなく奪う」ことの現実を「欲と希望の方向性の違いを知らせれる思いです。ここで「神を第一義とせよ」との主の御言葉が、また「主の下着までくじを引いて分け合った。」との聖句が思われました。イエス様は嘆きを感謝に変えてくださったと、ただ赦されたことを知る「喜び」は常に「ある」といい続けたいと思います。 (針灸師)
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いま私が支えられているみ言葉 S.H
「恐れるな 私はあなたと共にいる。」(イザヤ四十三・5)
いつも、状況を否定的に考え、人の言葉に振り回されがちな私に、細くて小さな御声ですが、上に書いた御言葉がはっきりと聞こえます。
それなので、私も毎日何度も何度も、そのみ言葉を自分に言い聞かせています。
(これは、九月二十四日、四国グループ祈の友会に参加した折、いただいた栞に書かれていたみ言葉です。) (三療師)
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「主に望みをおく者」の一人として S.Y
いま浦和の集会では礼拝の時に、「第二イザヤ」の言葉から、神様のメッセージを聴いています。
これまでずっと新約と旧約とを交互にして学んできました。エゼキエル書を終わり、エフェソの信徒の手紙を終えて、いつものように旧約に戻って、と考えていたのです。その時、どうしてかイザヤ書、しかも第一イザヤではなく、第二イザヤにものすごい郷愁のようなものを感じて、この十月、四十章から始めました。
そしたらどうでしょう、もう毎回、礼拝が本当に楽しみになりました。神様が、わたしたちに直接語りかけてくださる言葉に毎聖日ごとに触れることが出来るのでした。もうその最初から「慰めよ、わたしの民を慰めよ、とあなたたちの神は言われる」という、あの良く知っている言葉が語られているのですから。
第二イザヤは、いまから二五〇〇年も前に、バビロンに連れて行かれ、慣れない異境の地で、希望もなく、喜びもない毎日を送ることを余儀なくされたイスラエルの人たちに語られた言葉ですけれども、本当に不思議なくらい、いまこの言葉を目にしている、わたしに対して神様が語ってくださっているような思いに駆られてしまいます。
思いも掛けない苦境に陥ったり、とてつもない悲しみに出合ったりしたときに、どうしても自分を責め、後悔し、自暴自棄になってしまうのですが、もしかしたら、あの時のイスラエルの人たちもきっとそういう気持ちでいたに違いありません。
自分たちはもう神に捨てられたのかもしれない、神はわたしのことなどどうでも良いのかもしれない、と心底から思いこんでしまいそうな人たちに対して、第二イザヤはそんなことはない、「草は枯れ、花はしぼむ。しかしわたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。」たとえ現実がどのように、真っ暗で、何の希望も見えないときですらも、神の言葉は生きて働いている、主はとこしえにいます神なのだ。と力強く語りかけてくれます。
あなた方は聞いたことがないのか、いやそんなことはない、確かにあなた達はその事を知っているはずだ。主なる神は、すべてのものの創造主で、決して倦み疲れるようなことのない方だということを、あなた方は聞いているはずだ、このお方のなさることは人の知恵には測りがたいということも。
そして預言者は「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」とわたしに語りかけてくれます。
新共同訳では主に「望みをおく人」と訳されていますが、もとの協会訳では「主を待ち望む者」とあります。どちらもすばらしい訳です。
第二イザヤの言葉は、わたしたち自身が「主に望みをおく者」であり「主を待ち望む者」であることをしみじみと思い出させてくれました。その、「主に望みをおく者」「主を待ち望む者」の群れであるわたしたちに向かって、主なる神様は第二イザヤを通じて次々と、圧倒するような、慰めと深い愛の言葉を語ってくださいます。それも単なる愛だけでなく、自分たちの創造主であるご自分に対して、頑なに心を閉ざす我が民に対して、神がどんなに苦悶する思いで語りかけておられるか、ということも、今回章を読み進むに従い、少しく知ることが出来、感謝は溢れています。このような、魂の奥底にまでしみとおる深い、命の言葉にしっかりと耳を傾け心を向けて、これからもずっと聴き続けて行きたいと思っています。 (精神科医・浦和キリスト集会)
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失うこと T.Y
私を最初にイエスキリストへと導いてくれた伯父が尊敬申し上げておりました、森本慶三先生(内村鑑三初期の弟子の一人)はあるとき伯父に次のようなことを話して下さったそうです。
「人は聖書に従って上へ昇っていくものと思っている。が、実のところは下へ下へ下がっていくものだ。大きく大きくなる事じゃなくて、〝小さく小さく蟻さんになぁれ〟ということだよ。聖書を読んで教えられる事は、たくさんのものを得ることではなくて、失うこと。イエスは下へ下へ降りていったといっておられます。ずいぶんたくさんの涙もながさなくちゃなりません。いや、いまではその涙さえも思い上がりであるように思われます」
捨てないかぎりは?「学問、憧れ、自尊心、偏見等々といったガラクタを捨てないかぎりは、ここからなかへ入っちゃいけないぞ、というところのあることが、その森本の言葉で初めてわかった」と伯父は言っております。(稲垣真実著 朝日選書 内村鑑三の末裔たちより)
罪びとである私を愛し、魂の救いのためにキリストをこの世にお遣わし下さった神の愛とキリストの真実ををひたすら感謝して頂くためには自分の持っている余計なものを早く捨てなさいと今は天に帰った伯父が語りかけているようです。
私の所属する多摩集会では今、徳島聖書キリスト集会のヨハネ伝をCDによって学ばせて頂いております。十三章、十四章でイエス様には自分の力、勇気や決断でついていくことは出来ない。自我中心の自己を砕かれ潔められて主のもとに行くことが出来る。聖霊を頂くとは古い自分が砕かれる事でもあると学びました。このことに関連して私の心に深く残っている言葉を記しました。 (主婦・多摩集会)
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お導きへの感謝 T.H
イエス・キリストの父なる神様を見上げて日々生きること、いつも共にいて下さる主イエスさま、いつでもどこでも祈ることが出来ること、私達の生かされている全地は創造主なる神さまのご配慮が充ちていること、小さな存在までその御心は届いていること、主に在る方々への祈りは午前二時頃に(新聞配達に出る時刻に)、午後三時には子供会や愛真高校その他日頃出会う方々への祈りを、ただお名前を呼んで神さまにお一人おひとりのお守りお導きを感謝しています。確かに祈りはお聞き下さっていることを感謝しています。
現実は失敗あり、妻や息子に叱られることの多い毎日ですが、このように導いて下さったことを深く感謝しています。 (ピアノ調律師)
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命について T.Y
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」 (イザヤ四十三・4)
すべての人の命は、神様のものであると思う。
いじめ・自殺・虐待等のニュースを聞く度に、本当の命の所有者のことを分かっていないと思う。ひとりひとり神様に愛された大切な命である。
昨年私達夫婦に息子が生まれました。息子を叱っている時に、まるで自分の所有物のような錯覚を起こすときがあります。しかし、子供の命は親のものではありません。
「私達の子供であり、神様からお預かりしている大切な命である。」ということを忘れず、これからも子育てしていこうと思います。 (主婦)
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今年を振り返って T.Y
二〇〇七年を振り返ってみると、食の安全の問題を考えさせられるようなニュースが、多く報道されていました。食品メーカーによる、消費期限・賞味期限の改ざんが問題になったもので、最悪な状況になっていました。また、十月にも、老舗の和菓子メーカーによる、食品の偽装が話題になったもので、連日のように報道されていました。いずれの問題も、食品メーカーによる、組織的なもので、利益を優先したことによる可能性もあります。
聖書にも、出エジプト記の、十戒を見るとわかるように、二十章の、二十六節に、「隣人に関して偽証してはならない。」という有名な言葉もあります。今回の問題だけは、決して他人事とは思わないでもらいたいものです。これ以上、拡大することのないように願いたいものです。
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気付いてください T.H
①『ほほえみ マザーテレサのことば』より
貧困をつくるのは神ではなくて
私たち人間です
私たちが分かち合わないからです
② キリスト教宣教師ボブ・ピアス氏の言葉
すべての人々に何もかもはできなくとも
誰かに何かはできる
(会社員)
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神は愛なり T.R
娘の愛子が誕生して早くも一年がきます。愛子と書いて「みこと」という名の由来は「神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。」(ヨハネの手紙四・16)「神は愛なり」(ヨハネ一・16)から、すなわち神様イコール愛であり、その御子であるイエス様は神様と同一。「愛」は神様「子」はイエス様、そして「みこと」は「私が命のパンである」(ヨハネ六・35)から命(いのち)という文字のもう一つの読み方で命(みこと)という言葉をいただきました。
この名前は珍しく、愛子と書いて「みこと」とは読みませんが、私達両親の信仰の印であると、娘にも分かってもらえたらと思います。
正直な話ですが、私の「ルツ子」という名前は珍しいので、私自身、名前で苦労をしたこともありますから、子供には決して珍しい名前は付けたくないと思っていたのに、主人が、この名前を提案した時、心にスーッと入ってきて、深い主の愛を感じ、この愛というものが何ものにも勝る永遠のものだと確信しました。愛子の名前を聞いて、「読まないよね」とよく言われます。ノンクリスチャンの方なら仕方ありませんが、クリスチャンの方に言われると、ちょっと悲しくなるのが本音です。
子育ても十一ヶ月がきて。子も親も月齢十一ヶ月。まだまだ格闘の日々で、お祈りをして平安をいただいた直後に、感情的になり、弱くなる自分がいます。そんな時、いつも目につく所に貼った救いのみことば。
「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。」(コリント一・13~14)
永遠に変わることのない神様の愛にただただ、感謝と讃美があふれるばかりです。 (主婦)
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映画「バベル」を観て思ったこと T.T
少し前になりますが、劇場で公開されていた「バベル」という映画を観ました。
旧約聖書の創世記に書かれている、バベルの言語混乱を土台としたストーリーで、人間の「バラバラになった心」を描いた作品でした。
登場人物の中に、日本人で聾唖の少女が出てきます。この少女は物質的には恵まれていましたが、様々な理由から心に深い孤独を抱えていて、愛に非常に飢えていました。そのためなのか、少女は突拍子もない方法で人からの感心を集めようとしたり、ぬくもりや愛を得ようと必死でその姿は痛ましいほどでした。映画を観ながら、この日本には一体どれだけの人が、この少女のように本当の孤独を抱えて、愛を求めて生きているのだろうかと思いました。
かつての私も、人に愛を求めては、結局、自分も相手も傷つけてしまうということを繰り返していました。罪を罪だとも思わずに歩んでいった先には、深い傷だけが心に残りました。けれど、イエス・キリストとの出会いは、その十字架上の出来事は、絶対に変わらない愛と、信じられる存在がこの世界にはあるのだという喜びを教えてくれました。その時から、私の世界はまさに一変しました。「見よ、すべてが新しくなったのである。」(第二コリント五・17)の聖書の言葉の通りとなりました。変わらない愛は、今でも絶えることなく私に注がれ続けています。
私の周りにはイエス様をまだ知らない人が沢山います。神様は、何の差別もなさらずに、全ての人が救われる事を望んでいらっしゃる。顔で笑って心で泣き叫んでいる人の存在も神様はご存知だ。聖書を読むと、それが分かります。
「私の所に来なさい。私のもとで安心してお休みなさい。こっちへおいで」とイエス様は優しく招いておられる。
先に救われている者として、私も祈り、示され、導かれる方法でイエス様を、福音を紹介してゆきたい。
「わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、私の声に聞き従うであろう」(ヨハネ十・16)
(サービス業)
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「カラマーゾフの兄弟」に再会して T.T
私はある病気の合併症により数年前から目が見えにくくなることが折々にあり、眼科でレーザー治療を受けています。そのため、昨年はほとんど霧の中で生活しているようでした。入院したときも本は読めずにおりました。
神様はそれでも新たに讃美歌を聴く喜びを与えてくださり恵みに感謝しておりました。以前であれば一週間か十日で回復したものが、半年以上見えにくいままでしたのでこのまま見えなくなっていくと思っていたあるときの集会で、集会の方のお顔がいつもよりよく見える気がいたしました。眼科で見ていただくとずっと覆っていたものが吸収されたのか斑点になっていました。五十年近く当たり前のように思っていたこの見えるという恵みが、神様から新しく頂いたもののようでありました。たとえわずかの期間であっても御言葉を蓄え神様の備えてくださる神様のときに用いていただきたいと感謝と共に願い祈っております。
昨年には見えなかった新聞も見えるようになり、偶然目にしたのが、カラマーゾフの兄弟の新訳が、三十年ぶりに出たという記事でした。二十数年前同様、神様が出会わせてくださったような気がして購入しました。以前のは、上中下の三冊でしたが、今回は、五巻でした。去年の九月に一巻が出て今年の七月に五巻で完訳しました。これまでに累計が五十万部になり、一大現象といわれるほどだそうです。
文学の最高傑作の一つといわれ、深い心理描写や、重厚な思索、神学的要素や、作者ドストエフスキーの自伝的要素が、多くの人に論評されています。私には、その十分な理解はできていないと思いますが、それでも読み通すことができましたのは、私にとっては、聖書を抜きには語れないキリストの勝利の物語に思えたからです。全ての民族、時代背景、社会状況を超えた聖書の中にある救い、人間の罪の深さ、脆さ、うつろいやすさ、キリストの約束による希望、復活…全てのことが描かれていると思いました。
一八八〇年十一月ドストエフスキーは、この作品を完結しました。この直後の手紙で「…ロシアの民族性が全てキリスト教に根ざしていること…自分も民衆と共にあることを選びます…」と、彼自身の信仰告白をしています。カラマーゾフの兄弟の全体を貫く精神であると思います。一八八一年一月一八五〇年にシベリアの流刑地に赴く途中贈られた聖書を傍らに帰らざる人となりました。
農奴解放後の変わり行くロシアで書かれ、一九一七年レーニンによるロシア革命を経て私が読んだ一九八〇年頃は、社会主義国家の大国として冷戦の中にありました。その後、ペレストロイカ、そして思いもかけず一九九一年ソビエト連邦は崩壊しました。
私自身のことを思い起こすと、二十二歳の頃、今のような病もなく健康で若い、なにもかも与えられているような中で道に迷い死にいたる病とも言える絶望を感じ身動きが取れなくなっておりました。そのような時聖書をはじめさまざまな書物をとおしてイエス様に出会わせていただきました。この本も聖書の神様の導きを感じて手にしたものでした。聖書に出会ったことで価値観が変わり人生が変わったというくらいキリストのくださる約束、希望のなかで生きるものに変えられました。
一九九三年イエス様が地上の命を終えられたと同じ三三歳のとき思いもかけず死と隣り合わせのような病になりました。病であっても神様の愛の御業としていただく良き物ととらえられる信仰は弱い時こそ強いという言葉と共に真の力をあたえるものであります。聖書は、常に傍らにあり、今またカラマーゾフの兄弟を読めたことは恵みでありました。私の稚拙な文章では、伝えられないものでありますが、心に残った言葉や場面を紹介することを、お許しください。
主人公アリョーシャの師であるゾシマ長老の言葉「人間の誰もが、全ての点で全てに対して、全ての人に罪がある」ゾシマの兄が若くして死んでいく時小鳥にまで赦しを求めた場面での言葉です。
「傲慢を捨て赦しの中で天国を感じるとき救いを得る。」「人は誰の裁き手にもなりえないということである。」という言葉も心に残りました。
そのゾシマ長老の死後の状態に動揺したアリョーシャの心に起こった完全なものを得た時の描写の場面「…彼の頭上に静かに輝く星たちをいっぱいに満たした天が果てしなく広がっていた。彼は全ての人々を赦し、赦しを乞いたかった。…彼は地面に倒れたときにはひ弱な青年であったが、立ち上がったときには生涯変わることのない確固とした戦士にうまれかわっていた。」
「あの時、誰かが僕の魂を訪れてきたのです。」
エピローグの中のイリューシャ少年の葬儀でカラマーゾフ万歳を唱和する少年たちの言葉「ぼくたちは皆死からよみがえって命を得て、お互いにまたみんなイリューシャに会えるとキリスト教は教えていますが本当でしょうか」
「きっとぼくらはよみがえりますよ」
「永遠に、死ぬまで、こうして手を取り合っていきていきましょう。」
キリストの復活にあずかる希望を示唆する言葉をとして心に残った終わり方でありました。
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四国集会に参加して T.Y
今年は、四国集会が高知で開かれました。一泊とまりの集会に初めて参加するので、行く前からワクワク、ドキドキしていました。集会ってどんなんだろうとか、朝のお祈りができるかなあとか、誰かと話ができるだろうか不安と期待でいっぱいでした。
一日目は、無我夢中でおわりました。でも夜は、徳島の姉妹と一緒でゆっくり話しをしながら、窓からの高知の夜景を楽しみました。
二日目は、手話賛美をみんなでして、感動し喜びでいっぱいになりました。みんなと一緒に手話をするとき「神様見てください。神様の栄光をみんなでたたえています」と、叫びたくなりました。これからもずっと手話を続けていきたいと、いつも心の中で思っています。
来年は、徳島で全国集会が開かれるので、手話賛美で神様の栄光を表すことができたらいいなと思います。 (主婦)
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祈りに支えられて T.E
今年の無教会全国集会で讃美の依頼があったとき、「神様、どうしてわたしなのですか?」と主に尋ね求めました。
「どうして?」と訴え祈っても頭のなかでぐるぐるまわるだけです。そんな祈りのなかで、私でなければできない証と讃美をということに、「これは主から来たのだ。」と迫られ、「主がお要りようなのです」との御声に、この重い荷を負わなければならないと示されました。
最近集会でデュエットで讃美している中川 陽子さんにお手伝いをお願いしました。歌が上手ではない私たち、神様のことでなければとても引き受けることはないのにと、この重い荷をともに負っていこうと言ってくれました。
神様がきっと何かを与えようとこのことを計画されたのだと信じて、少しでも主の栄光をあらわすことができますようにイエス様の霊によって導かれ、讃美できますようにと当日までの日々を主に祈っていこうと練習を始めることにしました。
その準備に入ろうとしたとき、母が転んで腰椎の圧迫骨折で動けなくなり入院となりました。
こんなことが起こるとは予想もしないことです。「これも神様のお導きなのですか?はい、わかりました。」と、とにかく自分のできる母のケアーをしようと決めました。日々の生活が大きく変わりました。
三週間後、まだ動けないままで退院の指示が出て、母は自宅養生となりました。高齢の父と私が中心の介護なので充分なことはできませんが、私にとっては始めてのこと、仕事をしながらも精一杯そのことのために時間を使いました。
誰もが介護をしていて経験することを私もほんの少し味わうことができました。「イエス様、ちょっとしんどいです」とイエス様に言うのが私の祈りになっていました。讃美のことがいつも心にありましたが、なかなか集中する時間はとれませんでした。それでもいろいろなことで守られていたのは周りの援助や友の祈り、そして背後のイエス様のとりなしの祈りに支えられていたのだと気がつきました。
八月も終わりになってようやく母が自分のことが少しずつできるようになり、私は讃美のことに時間を使い、心を集中できるようになりました。
でも、練習すればするほど声がでなくなっていきました。この苦しみは神様への讃美なのに、人に聞いてもらうということへの自我の罪からきていることも知らされます。どうかこの罪を赦してください。主にすべてをゆだねて讃美できますようにと祈り続けました。それでも当日に声がでなかったらどうしようというところにまで追いつめられ、集会の人たちに祈ってくださいとお願いしました。
十月七日に苦しい苦しいと思いながら、全国集会の会場の青山学院に着きました。時間が早かったので構内を歩き始めたら急にスーっときんもくせいの香りです。なんてさわやかな香り。心のなかを通り抜けるように香ってきます。重い心が軽くされていきます。主の霊がこんなふうに私の讃美に働いてくださったらとふと思いました。
その夜と朝、手話讃美の人たちとともにリハーサルをしてくださいました。ピアノ伴奏の佐々木洋子さんと始めてあわせてもらうので心配でしたが、礼拝堂の舞台に立って歌いだすと気持ちが軽くなってきて讃美の声がでます。これが本番だったらもう終わって楽になっているのにと思いました。
朝九時からが本番です。朝は声がでないのが私の悩みでした。
本番の直前に最後に陽子さんと姉妹たちと祈りをあわせました。自我の罪をくだいてくださり、すべてを主にゆだねることができますように、主の霊が注がれますように、御名があがめられますようにと。
当日は、やはりリハーサルより緊張していましたが声がでました。何より陽子さんとの讃美でこんなに心が一つになったことはありません。不思議なことが起こりました。私のうちによろこびがありました。主がともにいてくださり、讃美を終えたとき、神様はなんてすばらしいと感動しました。
前奏で間違えて歌い始めてしまった私ですが、ヒルティの本にある「一滴の苦み」としてこのことも祝福でした。
讃美を通してこの三ヶ月あまり、罪や弱さや貧しさがいっぱい迫ってきたけど、最後に主の霊で支えてくださり、多くの人の祈りを集めてきてくださいました。
重い荷物を負って苦しんできた私にこのような恵みと讃美の大切さを知らされ、多くの人のお祈りに支えられて、小さいロバとして精一杯讃美できたことを心から主に感謝しています。
(鍼治療院)
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賛美 T.M
何げなく普段の生活の中で讃美歌に出会っている。それも知らないうちに…。その多くが曲に会っているのだが。教科書とかテレビから流れる曲であったり映画の挿入歌etc。
最近私の心に残っている曲は、新聖歌五一〇「主よ御許に」です。この曲はフランダースの犬で最後にネロとパトラッシュが天の国へ行く場面で流れます。まさに主の御許にのぼって行く場面です。
一、主よ御許に 近づかん
昇る道は 十字架に
ありともなど 悲しむべき
主よ 御許に 近づかん
感涙!!
(会社員)
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「受難の予告第一」から T.M
「(この時から)イエスは『人の子(わたし)は多くの苦しみを受け、長老、大祭司連、聖書学者たちから排斥され、殺され、そして三日の後に復活せねばならない。(神はこうお決めになっている)』と弟子たちに教え始められた。」(マルコ八・31 塚本虎二訳 岩波文庫 ( )内敷衍)
イエスは共観福音書のなかで受難予告を三回なさっているが、特にその第一回に於いては「ねばならない」という強い表現が使われている。この個所は新共同訳では「三日目に復活することになっている」、口語訳では「三日目によみがえるべきことを」と訳されているが、単なる未来の意味ではなく、原語「ディ」(非人称動詞)の意味の第一は「(避け得ない必然・運命・神の定め)-----ねばならない、せざるを得ない。する事になって(定められて)いる」という意である(岩隅直著 新約ギリシャ語辞典)。すなわち聖なる神の御意志(お心)を示すことばであり、塚本訳では(神はこうお決めになっている)と敷衍されている。この受難予告の後、
「するとペテロはイエスをわきへ引っ張っていって『主よ、とんでもない。そんなことは絶対にいけません!』と言って忠告を始めた。(救世主キリストが死ぬなどとは考えられなかったのである)イエスは振り返ってペテロに言われた、「引っ込んでろ、悪魔(サタン)、この邪魔者!お前は神様のことを考えずに、人間のことを考えている!」(マルコ八・31~33)。
神の「ねばならない」は、人間の思いとは天と地のごとく開いており、ほんの少し前に「あなたは救世主キリストであります!」(マルコ八・29)と告白したペテロにも、イエスのことばの意味がまったくわからなかった。師を思い遣ったペテロの行為は、イエスを神の御意志から引き離すサタンの業であり、「荒野の誘惑」(マタイ四・10)の時のように、「退(ど)け、悪魔(サタン)!」とイエスから突き飛ばされてしまった。
また、十字架を目前にしたゲッセマネに於いて、イエスは 「ペテロとヤコブとヨハネ(だけ)を連れて(奥の方へ)ゆかれると、(急に)おびえ出し、おののきながら彼らに言われる、『〝心がめいって、〟〝死にたいくらいだ。〟ここをはなれずに、目を覚ましていてくれ。』そしてなお少し(奥に)進んでいって、地にひれ伏し、出来ることなら、この時が自分の前を通り過ぎるようにと祈って言われた、『アバ、お父様、あなたはなんでもお出来になります。どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心がなればよいのです』」(マルコ一四・33~36)
しかしペテロと二人の弟子たちはイエスのお気持ちがわからず、三度も、疲れて眠ってしまった、イエスは言われた、
「シモン、眠っているのか。たった一時間も目を覚ましておられないのか。あなた達、目を覚まして、誘惑に陥らないように祈っていなさい。心ははやっても体が弱いのだから。」(マルコ一四・37)
そしてついにゴルゴタで十字架に架けられたとき、 「三時に、イエスは大声を出して〝エロイ エロイ ラマ サバクタニ!〟と叫ばれた。訳すると、〝わたしの神様、わたしの神様、なぜ、わたしをお見捨てになりましたか!〟である。」(マルコ一五・34)
イエスはその地上の生涯を、あくまでも人間としての御自身の意志によらず、神の御意志(ねばならない)で最後まで貫かれた。
「蔑(さげす)まれ、世に捨てられ、病を知れる苦悩の人。
顔をおおって避けられる者のように蔑まれ、
われらも彼を顧みなかった。
げにわれらの病を彼は担い、
われらの苦悩を彼が背負った。
しかるにわれらは思った、彼は打たれる、
おのが罪科のために神に打たれる、と。
あに計らんや、彼はわれらの不義のゆえに刺され、
われらの罪科のために砕かれたのだ。
彼の懲罰はわれらの平安、
彼の傷痕(きずあと)はわれらの癒(いや)しのためであった。」
(イザヤ五三・3~5 中沢洽樹訳)
私たち人間には神の御意志(ねばならない)がどこにあるのか、自分の力ではわからない。しかし私たちが神に従って生きようと決心すると、いつか心の眼が開かれて転換の時が必ずやって来る。神はたといどんな動機からであっても、ペテロのようにキリストを主と告白すると、その人をクリスチャンとして、導き育てることをお始めになり、神御自身がその人の信仰を、しだいに正しいものへと置き代えて下さる。
私たちは神の御意志が不合理に感じられて、その意味がわからなくても、日々、「主の祈り」により、「神の御意志(お心)が成りますように」と祈りつつ、黙ってそれに従わんと願う者である。 (商業)
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短歌 N.S
明け残る東の空に星一つ金星光る主の愛告げて
主を慕い名を知るだけで名誉まで与えてくださる底知れぬ神
油断して戒め破り地に落ちて今立ち帰る十字架の下
思い出す罪赦されし喜びはあの喜びは日々に新らし
自力では手も足も出ぬ木偶の坊み霊に縋りて歩く不思議さ
わが恵み汝に足れりの一言を噛み砕くまでの長き道のり
何をして欲しいのかと主は問い給う信無き吾の罪を知りつつ
焼き尽くしてください主よ沁みついた不信の罪と愛なき汚れを
主は今日も気を落とさずに祈れよとみ言葉示して弱きを励ます
わが弱さ無知愚かさも執り成しの
邪魔にはならぬと胸なで下ろす
親も子も不信に沈むわが家をも見捨てず導く主の杖痛し
明星の光がまぶたに住みついて貧しき祈りを絶えずうながす。
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無教会全国集会 二〇〇七 に参加して N.N
私は、第二日目のみの参加でしたが、徳島の方々のご登壇は全国集会に相応しかったと思いました。
集会はT.,EさんとN.Yさんの讃美から始まりました。とても綺麗なハーモニーにすーっと心が洗われた感動を覚えました。
手話讃美では天に向かって体中で喜びの讃美を捧げていて、手話讃美に魅了させられました。曲目の紹介者が前に出て一言の証しがなされ、その情景が星の瞬きに見えました。県外の手話参加者も含めた皆さんと、県外のピアノ奏者のS.Yさんと障害のある方が一つになって讃美を奏でられたことに大きな意義があったと思いました。
発題「私にとっての信仰・私の意見」でN.Hさんは救いの喜びが得られるまで求め続けて、三浦綾子の「道ありき」ヘミングウエイの「陽もまた上る」等の書物との出会いの中で変えられ、内村鑑三の「キリスト信徒の慰め」で答えが得られ、その後も主の導きによって徳島の無教会の集会に参加する道が開かれ、終には家族までが信仰に導かれたとの証しが語られました。会場の質問者に答えて、中川さんが死ぬほど苦しんだことをまだ信仰をもたれなかったご主人にお話して理解が得られたこと、お子さんをご主人に預けて集会に出席し、帰宅後集会でのお話をされたということをお聴きして、真実に生きる信仰者の見本ではないか、全国集会のテーマである「真実の所在、良心に生きるとは」に答えてくださっていると思いました。
一度も原稿を見ることなく、必死で求めれば与えられた喜びと主のご臨在の喜びを語られた中川さんの瞳の輝きが星の輝きのようでした。伝道とは何かを考えていた私に、救われた喜びを語ることだと、示されました。Nさんと同じ発題の、 T.Yさんがとてもよいヒントを与えてくださいました。山形県小国町で開校八年目のキリスト教フリースクール・フォルケホイスコーレではひきこもりや不登校の青少年が定期的に参加、農作業などを体験する中で福音の喜びを伝えている武さんが、たった一回だけ参加する若者にどのように伝えたらよいか考えた時に、一回だけ聖書を読む、神は君を愛している、神は君を知っている、君は大事な人、生きている価値があると伝えるとのこと。そこにいてくれてありがとうといえる環境を作りたいとも言われ、武さんがいかに主にある喜びに生きている人であるかを知りました。
「一番大事なことは福音の喜びを分かりやすく生きた言葉で語る。主に出会ったことを語れば聖霊が働く」「ぼろを出してもいい。そのままで主にしたがう。」「無様でもいい。真実に生きる時福音は伝わる」「老齢化している無教会集会では若者が多い集会から学んだらよい。讃美をもっと取り入れたらよい。」武さんの生きた言葉が私の心に留まりました。
全国集会は、自分の信仰を確かめ合う機会である、と先達から聞き以前はよく参加してきましたが、難しい講義に分かった振りをして、感動も無く勉強に行ったようなものでした。
いつからか吉村さんが登壇されて、初めての人に分かるような話を、と提議され、代弁していただけたと思いました。その後も全国集会は余り変化が無く私の足は遠退きました。二〇〇五年の四国集会参加は目からうろこでした。これは全国集会の先駆けというべき集会ではないかと、思われたのです。
二年前、今年と同じ会場の青山ガウチャーホールに貝出さん、綱野さんが立たれ、終に神様が四国集会を用いられた感動で一杯でした。
全国集会のあり方には課題が多いかと思いますが、一生懸命準備し祈ってお話や役目を果たされる方に、私自身もっと謙虚になって臨もうと、今後もできるだけ参加したいと思いました。
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主よ! N.N
一、主よ、この件に関してゆるし得ない兄弟がいます。
ゆるしなさいといわれてもできないのです。
主は私に言われた。
ゆるすことに例外はない。
わたしはすでに全ての人の罪をゆるした。
自分の力の限界までゆるしてみよ。
七たびを七十倍にするまで無制限にゆるしてみよ。
主よ、
私はゆるす力もない無力なものであるのを悟りました。
主よ、私は主の力に依り頼みます。
主の愛にとどまることによって、兄弟を赦せますように。
二、主よ、この願いを早く聞き入れて欲しいのです。
主がかなえてくださるのを待つのにほとほと疲れました。
主は私に言われた。
わたしにはわたしの計画がある。
主よ、計画を変えてください。
求める者には何でもかなえてあげると
おっしゃったではありませんか。
主は私に言われた。
わたしの恵はあなたに対して十分である。
主よ、そうでした。
私は自分の主張ばかり述べていました。
主のみこころをたずねることをしませんでした。
主よ、不信仰をおゆるし下さい。
主よ、待ちます。あなたの「時」を。
三、主よ、来てください、今すぐに。私は苦しいのです。
主は沈黙された。沈黙は長かった。
主よ、主よ、どうして来てくださらないのですか。
その時、友人が訪ねてきた。
クリスチャンでないその友と、神の話をした。
クリスチャンでないその友は、
心の中に神を受け入れていた。
クリスチャンでないその友と、神に感謝して別れた。
不思議な出来事だった。私の問題はどうでもよくなった。
主が来てくださったから。 (多摩集会・主婦)
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み言葉 N.S
あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。 (Ⅰテサロニケ一・3)
(病院職員)
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全国集会に参加して N.H
今年の全国集会に参加できた恵みを感謝致します。
手話讃美が今年初めて東京の全国集会で行われる事になり吉村さんの指導のもと、東京の方と一緒に讃美することができました。東京から送られてきたビデオを見て「私が生まれる前から」の曲を何度も練習しました。また、「輝く日を仰ぐとき」と「鹿のように」の手話は徳島から東京にビデオを送り、東京と徳島お互いに練習して前日に合わせましたが、予想以上によく合っていました。
徳島から九名が参加し全員手話讃美で舞台に立ち、また、綱野悦子さんと陽子の二人の讃美も、手話讃美も感動したという声をいただいて、練習を積んだという事もありますが、聖霊様が働いて下さったのだとただ主に感謝でした。
主は小さいものを用いて、みわざを現して下さり、そこに祝福を置いて下さる方であると聖書で学んだ通りの事をしてくださいました。
二日目の最後のプログラムで、私にも、神様が私にしてくださった事を個人的な視点から話す場が与えられました。
何を話せば良いのかわからず、心の中で主に問いかけましたが、主がはっきりと示して下さったので、私が救われた過程とその後の集会で受けた恵みを話すことにしました。
私の信仰の道筋をふり返ってみると、神様が付けて下さった恵みの足あとがくっきりと残されているのに気づきました。今まで私を導いて下さった神様、イエス様が生きて働いて下さった事がはっきり分かり、確かな導きがあるという事を確認できました。そして、これまで導いて下さった主はこれからも捨てるような事は決してないと確信が持て未来についても信じる事ができました。
全国集会の会場であった青山学院大学のガウチャーホールという礼拝堂は舞台の壁の中心に十字架があり、両端に大きなパイプオルガンがあり、舞台が高いように感じてとても緊張する雰囲気でした。小さな私ですが、大きな大きな主が私に目を留めてくださった事をどうか話せますようにと、そして、そこにどうか主の栄光があがりますようにと願い、また、一人でも多くの方がこの主に出会って欲しいと願い祈りつつ話しました。
イエス様、神様は小さな者に目を留めてくださること、これが福音である事がわかり全国集会から大きな恵みをいただき感謝でした。
全国集会の運営のために祈りと実務でたくさんの労力を捧げてくださった準備委員の方々にどうか主の豊かな恵みと祝福がありますように。
来年徳島で行われる全国集会もどうか、御心に叶ったものになりますように主がその会を主催してくださいますように。
(在宅支援ミルトス、ケアマネージャー)
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神の義を求めなさい N.Y
朝三時過ぎ、目が覚めて東の空を見ると、初めて美しい明けの明星(金星)を見ることができました。「これが明けの明星か。私もやっと見られて嬉しい!」と喜んで降りていき、ウッドデッキから本格的に夜空を眺めました。
暗い澄んだ夜空のあちこちにくっきりと星が散らばり、真上には月が明々として、羽衣のような薄い雲がその上にかかり、とても美しい夜空でした。何かを語りかけてくるような星々を見ながら、色々なことを考えました。
人間は行いによっては義とされない。ただ信仰によってのみ義とされるというローマ信徒への手紙のことを考えていると、今まで私が得たいと願ってきて、どうしても得られないと悲しんできた「漠然とした善いもの」が、実は「(行いによる)人の義」であったことに気付かされました。パウロが「では人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました。」(ローマ三・27)と書いていたことを思い出し、目が覚めたような気持ちがしました。漠然と「神の義」を求めてきたつもりが、いつの間にか「人の義」にすり替わっていて、自分でもびっくりしてしまいました。
そんなことを思いながら美しい夜空や輝く金星を見ていると、神様の創造や自然が、「神の義」の表れであると思えてきて、求めればすぐ側に与えられていたということに喜びが溢れてきました。どのような罪人にも同じように自然が与えられていることにも、神様の愛を感じ、感謝が溢れてきました。
「神の義」を漠然としてじゃなくて、本当に聖書からきちんと学んでいきたいなと思いました。
「世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。」(ローマ一・20)
(ケアマネジャー)
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あなたへのレクイエム N.M
いつの頃だったでしょうか
あなたと弾けるように笑いあった日々
いつのことでしょうか
笑顔で頑張るあなたを羨望の眼差しで見てた日々
あなたを思い浮かべるといつもあなたの明るい笑顔と笑い声が
私達をいっぱいに満たします
突然 笑顔と笑い声が聞けない日が訪れたことを
未だに受け入れることが出来ません
深い闇を見た時 忘れるために
私達は様々な方法を模索します
今も未だ……。
主をたたえよ。わが魂よ主をたたえよ。
わたしは生けるかぎりは主をほめたたえん
ながらえる間は神をほめうたおう
( 詩篇一四六・1~2)
あなたは吉村先生をはじめ徳島聖書キリスト集会の皆様に支えられ、主の祝福を受け神様の御許へと旅立って行きました。
たといわたしは死の陰の谷を歩むとも
わざわいを恐れません
あなたがわたしと共におられるからです
(詩篇二十三・4)
あなたの信仰は壮絶でした
病気の治療までも全て神様に信頼し委ねていましたね
あなたの信仰は希望でした
闇を光に変えられる方を信じ、見上げ、
闇の中で光を受けましたね
あなたの信仰は愛でした
あなたは私達に永遠の光を信じる希望を残してくれました
あなたの身体が衰弱していくにつれ
それに反するようにあなたの信仰は
強く確かなものへと変わっていきました
あなたを励まし 共に祈り
共に戦ってくださった兄弟姉妹に深く感謝いたします
あなたから片時も離れず 共にいてくださり
キリスト者としてこの世を旅立たせてくださった
主を讚美いたします。
主に栄光
主の時に
(徳島市在住)
(*) 筆者のNさんは、今年七月一七日に召された K.Yさんのお姉様です。(編者注)
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アッシジのフランシスコの平和の祈りより N.H
ああ主よわれをして 御身の平和の道具とならしめよ
われをして 憎しみのあるところへ愛をばもたらしめよ
争いのあるとこところに赦しをば
分裂のあるところに一致をもたらしめよ
(大工)
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聖句から N.K
思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。
神が、あなたがたのことを
心にかけていてくださるからです。(Ⅰペテロ五・7)
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ルカ伝の学びから N.K
毎日曜日、主日の礼拝でルカ伝を学んでいる。毎回、数節の御言葉に深い神様からのメッセージが語られ、励まされ慰められている。
主日の礼拝はイエス様の前に立ち、日ごとの罪の多い生活から再び新たにされ、霊的に浄められまた新しい力をいただく。本当は毎日の刻一刻が礼拝でないといけないのだがなかなかそうはならない。日々の営みの中ですぐに誘惑に遭いよくないことに惑わされてしまう弱い僕である。礼拝の中での祈りと讃美に心を清められる。何を一番としなければならないか、讃美の歌詞が大切なことにひきもどしてくれる。
ルカ伝十二章35節~48節 「目を覚まして」「多く与えられたものは」の学びは最近特に心に残った。
35節「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい…。」主人が帰ったときあわてて身づくろいをして火をつけるようなことをせず、いつでも心の目を覚まして待つこと、細くても消えることのない静かな信仰のともし火をいつもともしておくこと。イエス様をいつでも迎え入れることのできる砕かれた気もちをもっていることが問われた気がする。わたしたちは体調もよく物事がうまく行っていると、すぐにこの火を自らの手で消し「自分」という火をつけてしまう。赦されている、感謝だ、とただ喜んでしまい本当の恵みに鈍くなってしまう。だから神様は苦しみを与えて引き戻そうとしてくださる。人間的なところに浸ってしまわないように弱さを思い知らされる。自分はなにひとつよいものは持っていない、神様からどうぞ良きものをくださいと祈る信仰をもちたいと思った。
41節からの、忠実で賢い管理人の話も同じである。神様から与えられたタラントはひとりひとりにふさわしい形で与えられている。人をうらやましく思ったり妬んだりする必要はない、どの人にも公平なのだ。与えられた能力、ゆだねられたものを心から感謝し適切に使おうすることが大切だと言われる。
このメッセージを聴きながら、自分のことを思うと同時にふと、今目の前にいる学校の子どもたちのことを思った。どんな子どもでも、能力があろうとなかろうと身体的に障害があろうとなかろうと神様はそれぞれにふさわしくタラントを与えてくださっているのだと。つい、その能力の違いに目を留めてしまう。できないことをいさめてしまう。神様からみたら人間に与えられたタラントの差はとても小さなものでしかない。そう思ってみたら、一人ひとりの子どもたちはどの子もその子がいて互いに引き立っている。人間的な見栄えや注目を浴びることがいいのではない。礼拝でみ言葉に学びながらひしひしと子どもたちをいとおしく思った。どの子も大切にしたいと心から思った。周りからどんなに疎まれるような存在であっても、神様は等しくその憐れみの器の中で用いてくださっている。こうした神様の真実を一人でも多くの子どもたちが信じることができますように、ゆだねられたものに気がつき、適切にそのタラントを使うことができますように。わたしたちが祈ることは与えられたタラントに感謝し、心から「み国が来ますように。いつでも来てください。」と待ついのり。わたしたちの心にも必ず来てくださると信じて待つ祈り。
目を覚ましていること、与えられたタラントのメッセージはわたしの心に深く刻まれている。 (小学校教員)
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近況 N.Y
「最も苦しい事は書を作ることで、すなわち思想を出すことである。これに反して、最も楽しい事は書を読むことであって、すなわち思想を得ることである。しかしながら、この苦しみがあってこの楽しみがあるのであるから、われは忍んでこの苦しい業に当たるのである。」(内村鑑三 「聖書之研究」より)
今聖書が私に語る言葉は、
「わたしが来たのは、・・・剣をもたらすために来た。」
「あなたがたには世で苦難がある。」
である。今自分の周りに反対者がいない状況を私自身とてもおかしいと思う。そしてわたしの場合は言わなければならないことを言わず、しなけらばならないことを行っていないからそのような状況であることを知っている。反対者がいないはずなのに、苦しく感じる日々である。
Honesty, such a lonely word.(Billy Joel「Honesty」より)
「正直」はなんと孤独な言葉か。
だれがほんとを言うでしょう、わたしのことをわたしに。
(金子みすゞ 「金子みすゞの世界」より)
(高校講師・数学)
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小さいことからすべては始まる N.T
行く先々で愛を振りまきなさい。
まず自分の家から始め、
子供達に、伴侶に、そして隣人に愛を与えなさい。
あなたに会いに来る人を
幸せな気分にして帰しなさい。
神の優しさをあなたが身をもって示しなさい。
あなたの表情に、まなざしに、笑顔に、
心をこめたあいさつに
マザー・テレサ
(主婦)
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祈りについて N.T
御子、イエス・キリストの十字架の贖いの死と復活によって、私達に永遠の救いの道を開いて下さった神様に感謝を捧げながらこの文を記します。
私は聖書の通読を続けているうちに次の聖句に心を引かれて祈りを続けるようになりました。
「どのような時にも霊に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために絶えず、目を覚して根気よく祈り続けなさい。」(エフェソ六・18)
祈りを続けることによって自分が変えられることを経験して、祈りを止められなくなっております。或る人に長い間偏見を抱いていた心が、その人を愛する心に変えられ、とげとげしい心が軟かい心に変えられ、愛を以て全ての人を理解することの大切さを、深く感じるようになりました。
祈りは国内だけではなく戦時中兵士として駐留していたアンダマン群島の沿岸の人達が、スマトラ沖で発生した大地震による津波の大被害を受けたことを知って、彼の地の人達のために祈る心にも拡がりました。
今は南の沖縄から北の北海道に至る信仰の師、友人方の為に祈る祈りを毎日続けるようになりました。そして沢山の人と祈りの中でお会い出来る楽しみ、喜びの中で祈りを続けております。これは神様から頂いた私への大きな恩恵だと思って祈りを続けております。 (無職)
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むだにならない道 S.H
私は何年か前に洗礼を受けていたのですが、教会に数回行っただけで、キリスト信仰者が偽善者のように思えてつまづき、すぐにやめてしまいました。何年かすぎて、精神の病になり、病気がなかなか治らず家庭がめちゃくちゃになってしまっていました。そのところに教会の姉妹が訪ねて下さり、再び教会に行くことできるようになりました。
しかしその後、苦しい戦いがあり、また精神の病気にかかり、苦しみました。今思うとその苦しさは、神から出たものであり、私に必要であったということを知ることができます。私は病気がだんだんなおっていくと同時にあの苦しかったことなどを思いだし、いろいろな信仰的な疑問を感じたりしていたことを聖書や本を読んで必死で探し求めました。そんなことをさせる神は本当にすばらしいと思います。み言葉が深くわかるためには、苦しみ、悲しみも体験させて神は教えるのです。
ほんとに私が通った道はすべてむだではないということをだんだんと自分で聖書を学んでいくうちに感じてくるのです。
そして一番の慰めと心の平安はイエス・キリストが私の罪のために十字架にかかり、死んで下さったことです。
病気の苦しみ、その他いろいろな苦しみも、自分はいらないと思っても、キリストに従って負っていく重荷は無理やり負わされるようなものだと思います。 神の御計画は私には計り知ることができません。でも神様は、すべてのことを最もよくして下さると約束して下さっているのです。
私は神様からこの地上のこの家庭に、この生きている生活すべての中に召し出し遣わされたものだと思います。
聖書の集会で、またあらゆる所で、キリストの十字架の赦し、義と認められた掬いのことを何度も大胆に語り続けることができるように、心から願うものです。
私たちは、まず律法によって罪を知らされますが、そこで終わることなく、十字架によって赦され、愛されていることをかたく信じることが大事と思います。 すべてのことが、ただキリストの栄光となりますように。最後に私が精神の病のときに救われたみ言葉を述べます。「私は、私を強くして下さる方によって、どんなことでもできるのです。」(ピリピ書四・13)
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星の光 O.M
ものみな眠る暗き夜に星はまたたいて居ります。美しい星の光が私の心のうちに宿りますように祈ります。星の絵はがき(伊丹悦子 詩)の詩はたいへんすばらしいですが、絵(写真)もなかなかすてきです。この世ならぬ清らかさ、神秘でおごそかな感じがいたします。
今朝早く、明けの明星を見ました。今までも何度か金星を見ていますが、ひときわ明るく強く輝く明星は見るたびに感動いたします。
寝ねがたき 一夜過ぎたり 病む夫と
東天に仰ぎ見る明けの明星
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近況報告 M.O
こちらでは、日々濁流に飲まれそうな毎日を送っています。しかし、主が働いてくださり、「為すべきこと」を為してくださっています。感謝です。しかし、こちらと日本との二重の生活を続けるのが長くなるにつれ、少しずつその二重性に疲れを感じてきました。何よりも主と供に在ることができますように。今まで以上に、僕は「主と共に常に在りたい」と強く感じています。
また、母は最近新しいアレルギーとリュウマチ専門の医者に通っており、少しずつ病状が明らかになっていっているようですが、身体に合う薬がなかなか見つからないようです。母の病の苦しみと、父の心と身体の重荷が大変なのを感じます。
病も無く、苦しみも無く、痛みも無く、悲しみも無く、憤りも無く、呻きや、憎しみ、怒りや、戦争や、争い、欲望や、孤独の無い世界があればと心の底から思います。
ですから、我々がこの人生を乗り越えるには、主イエス・キリストの愛と助けが必要であり、むしろ、この「愛なる力」なしでは、到底この人生を渡り抜けることは出来ないでしょう。
主に在って。
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最近、寮長の仕事も忙しく、卒業の準備もあって、何かと慌しい日々が続いていました。論文の準備やら、リサーチやらで、大変で、日々は光のように走り去って行きます。また、インターンもこなして、それから、大学院試験も控えています。
それにも増して、自分自身への疑問や、悩み、また、誘惑や欲求に押し流されそうな日々が続いていました。こちらの社会や主義主張などに捕らわれて、大学での教授の講義にまで、疑問を抱いている日々が続いていました。…
けれどもまた、旅先で新しい友が与えられ、古い友とも再開し、主が彼らを通してわたしを励ましてくださっていることを、感謝しています。
皆様からのメールの励まし、感謝です。今、わたしは苦しい時期にいますが、それはわたしだけではないはずです、世界中にはわたしよりも苦しむ人たちがいて、主の御手を望んでいます。
乱文乱筆で、自分のことしか語っていません、いや、自分のことすらきちんと語れていないと思いますが、どうか、この気持ちが皆様に届きますように。愛をこめて。主の御名を讃美して。 (在 アメリカ)
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苦しみの中の導き K.S
私は一度病気の為に死ぬと思った日がありました。自称クリスチャンで一生懸命頑張っていたのに、何故こんな耐え難い苦しみの中で死ななければならないのか、神様に聞かずには死ねない思いで、「どうしてですか、何故ですか!」と叫んでいました。すぐに走馬灯のように私の罪が浮かび、その瞬間神様のお裁きは正しい、私は死罪で当然と死を覚悟しました。
その時イエスさまが「恐れないで信じていなさい」と御声をかけてくださったのです。
それから入院を勧められていた病院に行きましたが、三人の子供達のことも自分の命も主にお任せして平安の中、主のものとされる事だけを願いました。
その後、「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(黙示録三・20)の御言葉と共に信仰が与えられて、心の中にイエスさまをお迎えしました。
その頃は脈が24時間(検査時には一分間に一六〇)早打ちし、苦しい日々を過ごしていましたので、私が喜びに溢れると真っ暗だった家族にも笑い声が戻り、私は「イエスさまがここに居られます!」と証せずにおれなくなりました。
けれど私の有様が外面、内面共におかしいということで、集会(無教会とは異なる集まり)では殆どの年月を一人で過ごすことになりました。交わりはメッセージテープや本だけでしたし、「皆の中に入れない河津姉妹のような人」というレッテルをどうすることもできませんでした。
けれど辛い出来事が多かった中で、すぐに人を求める私は恥を見るしかなく、神様だけを求め信頼するように導かれていたのだと感謝です。
主人も私の病気が治らないというので冷淡になり、「病人が嫌い、クリスチャンが嫌い」と言うようになり、母子家庭のような生活の中で、主人の母の葬儀で私達が拝む事ができなかったことや、息子が難病に罹った時は信仰のせいだと主人が激怒し、信仰を捨てるように迫ってくるので、私は離婚も覚悟していたのですが、神様は私が助けを叫んだ時に、何度も主人を通して助けてくださり、荷物のような存在の私を家族を通して真綿で包むように大切に運んでくださいました。
バスで集会に集っていた頃は、「今日はお母さん行けそうにない」と苦しくてバス停で泣く私に「お母さんはイエスさまの所に行ったら元気になるから行こう」と手をひいてくれた子供達。「もう、集会には行きたくない」と泣いた時には「お母さんは人の所に行きよっちゃなかろう。イエスさまの所に行こう、お母さんはイエスさまの所に行ったら元気になるから行こう」と、いつも一番に手を引いてくれた小学生だった末娘。
集会のキャンプに行く時もパニックを起こす私の為に、免許取立ての長女がパーキングの一つ一つに止まってくれて、末娘は御心を求める私の為に御言葉を読んでくれました。どんなに大変だったかと子供達の心労を思います。今、イエスさまから離れている長男もいつも一緒で、私が倒れると頭は長女、足は長男が持って車に運んでくれ、その手際の良さに感心し、心強い助け手だったことを思い出します。
いつも一緒でいつもイエスさまに向かっていた子供達との年月を神様に感謝致します。
主人も今は私をとても大切にしてくれます。未だに頑なに救いを拒否する主人を、お赦しください、お救いくださいと祈る毎日です。
また、救われた時には何一つ良い事のない、悪しかない私が救われた!と、ただただ有り難く感謝しても、ただで救われたような錯覚をしていました。
それが、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」(マタイ二七・36)というイエスさまの叫びが、私の叫んだ叫びと重なって、わたしの罪の為とわかり、イエスさまのいのちと引き換えに与えられた救いだったのだと知りました。
神は彼をあわれんで仰せられる。「彼を救って、よみの穴に下って行かないようにせよ。わたしは身代金を得た。」(ヨブ三・24)
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ三・16)
今、元の集会の兄弟姉妹達への思いが初めの日のように変えられて感謝致します。どうかイエスさまが私の心の中に入ってきてくださいますように。自分で自分を何とかすることができないのに、なんとかしようとしてしまう私の心を御支配ください。肉に従った生活からお救い下さい。神様を愛し、兄弟姉妹を愛する私の命となってください。
イエスさまのお名前で祈ります。アーメン。
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サムエル記の学びを通して K.Y
わが家での月一回の家庭集会で、今、徳島からの吉村兄により、サムエル記下を学んでいる。聖日には、善通寺市にある教会に行っているが、その教会でも今年の四月から牧師の公開説教としてサムエル記上が始まった。
毎週一章ずつの学びが十一月には上巻が終了するところまできた。
教会でのサムエル記は私にとって二度目の学びになる。「偶然にも」と言いたいところだが、再度の学びで偶然というのは一つもなく、それはすべて神の深い御計画やご配慮によるものだということを知らされた。
二度の学びが、信仰の甘い私に対する神の御配慮によるものと受け取って学びを通して深く思わされたことなどを書いてみようと思った。
サウルとダビデ。イスラエルの初めての王と次の王である。神によって選ばれた二人だがその信仰姿勢の違いが、神の祝福の違いとなって、それぞれの生き方を大きく分けることとなった。神が選んだイスラエル。その王たる者に要求されることの第一は、徹底的に神に従うことである。それができない王は神のさばきを受けるほどに、神への信頼を問われ続けるのだ。
サウルの信仰は神に選ばれた王なのに、神の言葉も自分にとって都合のよいことだけを聞いて、都合の悪いことは退けるという身勝手なものだったため、しまいには神からも預言者サムエルからも見捨てられてしまう。
サウルは、神の命令に背き続けたため、神の霊はサウルから離れ去り、かわりに悪霊を送り込まれ、その結果いつも気が滅入り、ダビデに対して嫉妬し、殺そうとまで考えるようになる。それは王としての自分に最も必要でありながら持ち得ない神の臨在が欲しいのなら方法はただ一つ。主の前にへりくだることだが、サウルにはそれがわからず、神に頼るのではなく、権力にしがみついていた。神はサウルが不服従のゆえに、新しい王を選ばれたのだ。一方ダビデの信仰は、神に徹底的に従い神の愛に応えたいというものだった。
ダビデはどんなマイナスの状況にあっても神の導きこそが絶対安全、神の導きに従いたいと、神の命令に従った。神はそんなダビデと共におられ、ダビデの盾となって勝利を与え続けられたのだ。
ダビデになんとしても王位を渡したくないサウルは、ダビデを殺そうと東へ西へと追いかけまわす。そんな中でダビデがサウルを殺す機会が二度もあったが、ダビデは神の主権への服従から、それは神様がなさること、と二度とも手を下さなかった。サウルに欠けていたものは神への信頼であり、彼にとっては自分がすべてであった。神はどんな捧げ物よりも、み言葉に耳を傾け、ご自分に従う者を喜ばれるということを学んだ。我々も神の前にへりくだり、神に喜ばれる生き方を目指したいものだ。
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人の声に従うか、神の声に従うか T.K
先日は二〇年ぶりにお会い出来て本当に懐かしさとうれしさ、神様からの贈り物だと思います。あなたは遠くへは出られない体になり、私もとても行けないと思っていたのですが、Sさん夫婦が乗せて行って下さり感謝でした。
あなたの希望だった田舎での生活は快適なようですね。私も家に入って、とても懐かしく、ホッとしました。私が産まれて育ったのと同じ、土間があって、上がりがまちがあり、障子戸の引き戸があり、田の字の部屋。土間にあった古木の夫婦松を椅子にしてあったのはとても風流で、あの場所にぴったりですね。
でもその後にお話ししたことのなかで、気がかりなことがあったので、キリストを信じる者としてはっきりさせておきたいのです。
聖書を読んでいて、「人の声に従うか、神の声に従うか。」とあるのです。私は人の声に従おうとしていたのです。なぜ? そんな解りきった事をと考えるに、神様に全てを委ねきっていなかった事を思わされました。私が体の不自由な夫を残して先に天に召されようと、夫が先に召されようと、神様のなさる事なのです。(夫を残して…)と思うのは私の思い上がりなのです。
聖書を学びキリストに従っていてもこのような惑わされたり、罪を犯したり、人を裁いたり多々あります。こんな弱い者でも、神様の下に立ち帰るときには、新しく力を得る事が出来ます。
お寺で産まれ育ったあなたは、キリスト教も一宗教としか見ていないようですね。一宗教なんて小さいものではないのです。全ての根元はキリストにあるのですよ。
二〇代の時には、仕事の事や周りの保護者の事で、夜遅くまで語ったものでしたが、今あんな時間が持てたら、一杯いっぱい、神様の事を話聞かせたいですね。
「ではまたね」と言って別れ難かったのは、歳のせいなのか、あなたの病のせいなのか。一抹の寂しさを憶えますが、
私の信じている神様に祈っています。あなたが共に御国への道を歩む事が出来ますようにと。
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ある科学者の無神論について N.H
ある無神論の自然科学者が、書いた本がある。 私は、神は実在しておられると思うし、彼のたわごとから、神が存在しないということが証明できているとは思わない。しかし、宗教というものが、人間に悪用された場合、例えば、オーム真理教のようなものを見れば、どれ程ひどい状態をもたらし得るかはよくわかるし、宗教からの決別を言う彼の気持には同情したくなるところもある。以下に項目別に私の考えをまとめた。
(1) 彼は原理主義による世界歴史上の惨状を列挙している。9.11テロ、アイルランド紛争、パレスチナ問題…あげればきりがない。原理主義は相手を認めないし、自分たちとは異なる考えを滅ぼしてしまうという考え方だから非常に危険だと私も思う。
(2) アメリカでは無宗教ということを公言するのは非常に危険なこととされる。形だけでもなんらかの宗教を持っているのが、いや、どこかの宗教団体に属しているのが当然とされる。
所属した上で、自分は信じられないとか、信仰がないとか言うのは誰でもそうなのだからと許されるようだ。このような現状を知らなければ、なぜ彼がそれ程までに宗教を目の敵にするのか理解できない。アメリカという多数決の国で少数派は苦しいと思う。少数派は嘘でも何でもつき通してマスコミを動員して多数派になるというのがアメリカの政治・社会だと思われている。 このようなアメリカで、形だけの信者に対して彼が科学的真理を楯に立ち向かうというのはシンドイ話だろう。純粋な信仰をもっている人は、多分、彼のような人を攻撃しないし、100匹の羊の中の迷える1匹の羊のような彼が本当の信仰を見つけるために祈るだろうと思う。彼が攻撃して例にあげているのは本当の信仰者ではない。しかし、本当の信仰をもち続けている人は、アメリカでなくても、わずかなのだろうと思う。人間はだれでも罪の赦しを神の前に願わなくてはならない。その意識もない人が多いのではないかと思う。
(3)この本を読んで私は一般的な欧米人、いやむしろある分野では知的な人々がどのような宗教観、どの程度のキリスト教の知識を持っているのかがわかったような気がする。
聖書を信仰無しに読むことは難しい。危険でさえありうると思う。疑問があるときは自分勝手に解釈しないでよくわかっている人に尋ねてみる事が必要だ。それでも納得がいかない場合もあるかもしれないけれども。彼が旧約聖書の神から残酷、恐ろしいという面を取り出して、そのような神はいらないと言うのと、そのようなひどいと見えることを、なぜ神は預言者を通して語られたのかを聖書全体から知りたいと思う態度とどちらが有益だろうか。聖書をいくら読んでもわかりにくいことは出てくるだろうと思う。聖霊と啓示のおかげがあったとしても、すべて辻褄があってシンプルに一つの結論になってくるようなものではないかもしれない。
(4) 彼は死後の世界を信じられないようだ。神と宗教を全否定するとそうなるのかもしれない。霊魂という今の科学では解析できていない存在は信じられないのだろう。霊魂の存在というような真実は、現在のところは、ある一部の人にしか示されないのだろう。肉体が死ねばすべてが無になると考えるなら死は恐ろしいものだろう。死んだらわかるものだから、今、何を言っても無駄だと無責任なことを言う人がいるが、霊魂の存在を信じられない人と、存在すると確信を持っている人との間においてはこの地上での生き方については違ってくるのではないだろうか。
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いつまでも続けられること Y.T
私たちは皆、それぞれに何かをしている。それがよいものであるほど、ずっと続けたいと思う。それでは、どこまでも続けることができるものは何だろうか。
スポーツや旅行、娯楽といった多くの人々がしていることから、学問や研究、演奏などの芸術や市民活動、会社などの事業等々とじつにさまざまの領域がある。
これらはある期間しかできないのがほとんどである。病気になってそれが重くなればとたんに旅行、娯楽、スポーツはすべてできなくなるし、学問、研究、仕事なども同様である。
しかし、そうしたことをするのが難しくなってもできること、しばしばそのように病気など困難な事態になってはじめて真剣になされるようになることがある。それが祈りである。
祈りというのは、言わば神の国からの一つの種であり、その祈りの種が蒔かれるとき、元気なときも、仕事のとき、あるいは車の運転といったほかには何もできないようなときでも、その祈りの種は発芽する。歩いているときも、同様である。
そしてそれは、恵まれたときにも、また、見下されたり、敵意を受けたりするような状況となっても、かえっていっそうその祈りの種は発芽して成長していくことができる。旧約聖書の詩編というのは、そのような祈りの集大成であり、これほど深く、また広い精神領域を含む詩集はほかには到底見当たらないと思われる。
聖書はその最初から、祈りの精神で始まっている。祈りが、最も真剣になり、必死になるのは、闇と混乱にあるときであり、それは心の叫びとなる。
聖書の巻頭において、底知れない闇と深淵そして混沌のなかに、神が「光あれ!」とのみ言葉を下された、そして光が存在を始めた。このことは、まさに祈りの世界の核心にあることを述べているのである。
かつて光を知らず、どのような方向にこの世界が向かっているのか分からず、それは滅びなのか、との深い懐疑と、自分自身の抱えていた問題の重荷のために闇と混沌にあったとき、神はまさしく光を注いで下さった。それが私の精神的な革命となった。
さらに、そうした光を与えられたのちにも、寝ても覚めても神への叫びにも似た切実な語りかけを止めることができないような、そのような追い詰められた状況、それは闇の力が押し迫ってくる状況にも遭遇した。そしてその魂の危険な細い道をその祈りに応えて主は導いて下さったことを思う。
祈りとは最も個人的なことのように見える。しかし、それは聖書の最初からはじまって、さまざまの国々の登場する聖書全体に及んでいる。そして聖書の時代を越えて、すでに二〇〇〇年という歳月を、この祈りは世界の人々の心の中心を流れ続けている。
このように、人間の長い歴史を通して祈りの心は世界の地下水のように流れ続けてきたのであり、世界の人々に及んでいったという意味できわめて社会的な活動でもあり続けてきたのである。
ここから汲み取る者は、自らは力づけられ、またその祈りは主の御手によって各地へと届けられていく。主にあってなされた祈りは決して消えることなく、神が最善に用いて下さると信じることができる。
内容・もくじ
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あとがき
今回の「野の花」は、名前の「は」行の人から配列してあります。野山では自然なかたちでいろいろな植物が見られるように、この文集も、どこを開いてもさまざまの人たちの聖句引用や生活からの経験、証し、あるいは聖書や書物からの学びなどが見られるようにと、内容や主題別には配列をしていないのです。
野に咲く花も、大小さまざまの大きさあり、また地味なものから、華やかなもの、いろいろとあります。そしてそれらは皆、神の愛による創造物です。
ここに掲載されたさまざまの文も、主がそれらを用いて、御国のための素材としてそこから新たなものを創造して下さることでしょう。
今回も、インターネットで送られてきた原稿も多いのですが、原稿用紙とか紙片に書かれたもの、いろいろあり、それらを入力、校正、編集、レイアウトと多くの人たちの手によってこの「野の花」文集が作成されました。
また、県外の方々による文もあり、この小冊子によって霊的な交流がなされ、この「野の花」がすでにキリスト者となっている人たちの横のつながりを深めるとともに、まだ福音を知らない方々のところにも流れていきますよう、そしてそのところでふさわしく用いられますようにと願っています。(T・Y)
我(イエス)はダビデのひこばえ、輝ける明けの明星なり。
渇くものは来たれ。
望む者は価なくしていのちの水を受けよ。
主イエスよ、来たりたまへ。
(黙示録二二章より)
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○裏表紙の言葉
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