はじめに T.Y
二十一世紀は、どんな時代なのか。それはだれにも予測がつかない。二十世紀は戦争の時代であったと言われる。
一九四五年に至るわずか十数年ほどの期間に世界で、何千万という人たちが理由なく殺され、それをはるかに上回る人々が傷つけられ、
家庭も、健康的な生活も生涯にわたって破壊された。
過ぎ去った世紀を見つめるとき、そこからは無数の人たちの悲しみや苦しみ、叫びが聞こえてくるようである。
しかし、その前の十九世紀もまた、数多くの戦争があった。日本も明治維新後三十年も経たないうちに日清戦争を始めたが、
ヨーロッパに目を転じても、ナポレオンの関わるイギリスやロシア、ドイツなどとの戦争、その後にもフランスとプロイセン、
あるいはオーストリアとプロイセンとの戦争(普墺戦争 ふおうせんそう)、さらには、アメリカとイギリス、南北戦争などなど戦争は絶えることがなかった。
いつの時代にも、こうした戦争という悪魔の起こしたような出来事があった。
二十一世紀にはどうだろう。私たちはそうした戦争へと結びつかないようにするためにも、現在の平和憲法の精神をあくまで守り続けるべきなのである。
それとともに、戦争の根源にあるのは、一人一人の心の奥深くにある罪であるのを知らされる。
真実な神に背を向けるという罪こそは、あらゆる紛糾やその拡大されたものである戦争などの源なのである。
その罪を滅ぼすためにこそ、キリストは来られたということの意味の重さを二十一世紀を前にして改めて思う。
この文集は、新しい二十一世紀の最初のものとなった。新しい世紀といっても本質的にはなにも新しくなったわけではない。
けれども、キリストにあっては、すべてが新しくなる。どんなに古びてしまって、弱りきっている魂も、もし、主がそこに宿られるならば、
私たちは日々新しくされる。
また、主にあっては、千年も一日のごとしと言われている。
長い時間も、主と結びついた心にとっては、短くなり、短い時間も、同様に永遠をしのばせるものとなる。
こうした永遠に変わることのない真理であるキリストにわが内にとどまっていただくこと、それこそがいかなる事態が生じようとも、私たちを守り、導くものとなるからである。内に住んで下さるキリストこそ、私たちにとって最大の希望である。
主こそは、私たちの岩、また砦であり、キリストこそ私たちの命であり、道であり、真理であるゆえに。
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トモギ村、今を訪ねる E.I
数年前の小春日和のある日、私は長崎県の西海岸に面した外海地方の出津の天主堂を訪ねました。
このあたりは、遠藤周作著「沈黙」のトモギ村の舞台になった所で、キリスト教を禁じた江戸時代は、小説に見られるように切支丹弾圧の凄まじい嵐が荒れ狂い、村人たちは次々と残酷な拷問のすえ、虫けらのように殺されていきました。
しかし、身内や知人に多くの殉教者を出しながらも、役人の目を逃れて密かに信仰の灯をともし続けた人々もいました。
現在のトモギ村はこうして命を賭けた信仰の礎となったのでしょう。キリスト教がしっかり根を下ろしているように見えました。
天主堂のある一部は「文化村」と呼ばれていてキリスト教関係の施設が点在し、まっ青な海を望む正面には「沈黙」の碑が建っています。
私はまず天主堂に入ろうとそっと扉を開けました。見ると祭壇の前に一人の青年が座ってお祈りをしていました。
じっと祭壇に向かっているだけでしたが、私はその真剣な後ろ姿にハッとしました。と同時に生半可な気持ちで堂内に入ろうとした自分を恥じ入りました。
そこで天主堂に隣接する「ド・ロ神父館」に入ることにしました。
ド・ロ神父は明治元年となった一八六八年に日本に来たフランスの貴族出身の神父です。
この頃でも切支丹弾圧は容赦なく続いていましたが長崎や横浜などに設けられた領事館に駐在する外国人のために神父の渡来は許されていました。
但し、日本人への布教活動は絶対してはならぬという条件つきでした。
因みに我が国がようやく禁教を解いたのは明治六年二月、アメリカとの条約改正上、キリスト教禁教が大きなネックとなったので、やむなく解禁に踏み切らざるを得なかったのです。
解れたとはいえ、明治政府からボロ布同然に捨てられた切支丹たちの暮らし向きは極貧そのものでした。神父は、生家で相続した財産のすべてをこの地に抛って人々の救済にあたったのです。
館内には神父の使っていた医療器具を始め、考案した農機具や作業服、あるいは天主堂の設計図など様々な道具が所狭しと並んでいました。
この時代の神父は、医療関係は勿論のこと農業や天主堂の設計に至るまで、あらゆることが出来たそうです。
展示品の中でも吃驚したのは明治二五年にフランスから取り寄せたというアンティークなオルガンで、今でもしっかり音がでます。
受付けの初老のシスターがよく知られている讃美歌を数曲弾いてくれました。
私は彼女の声に唱和しながら、当時の村人たちがこのお洒落な楽器に目を見張り、感慨無量で讃美歌を歌ったであろう光景を思わずにはいられませんでした。
再び天主堂に戻ったのですが、青年のお祈りはまだ続いていました。
あれから四・五十分は経っています。その間ずっと祈っていたのです。
私は青年の後ろ姿に、言いようのない羨ましさを覚えました。これ程長い時間祈り続けられる真剣さに打たれ、圧倒されたというのがその時の心情です。
以上は遠藤氏の切支丹文学に触発されて九州に出かけた時の体験の一端です。
今我が国に現存する夥しい宗教の中で、キリスト教程苛酷な暴圧を受けた宗教は他にないでしょう。
しかし厳しい禁制にもめげず絶滅したと考えられていた切支丹は、隠れ隠れて二百数十年も生きていたのです。
この隠れ切支丹の存在は、ヨーロッパに「信徒発見」と伝えられ、大変な奇蹟だとバチカンをわかせたといわれています。
聖書の勉強を始めてまもない私ですが、今聖書に触れてみると、この殉教の地で体験したさまざまが昨日のことのように甦り、当時以上の感動を味わっています。
又私がトモギ村で見聞きしたことは、すでに聖書の中で語られているということにも深い感慨を覚えます。
聖書は人生観を変えてくれました。ギリシャ語のメタノエオー(神へ方向転換)することです。心から感謝を捧げます。
(いけばな)
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二十一世紀を迎えて M.I
いよいよ、二十一世紀になります。しかし今の世、飢餓、環境汚染、そして国と国との戦いから始まって個人の間の争いと、ますます住みにくくなってゆきます。このままだと、二十一世紀は滅びの世の中となってしまいます。神様の御心の現れている自然を大切にするために、緑を守り、水を守る努力をすべきです。また、食べ物も農薬や化学肥料をなくし、安心して食べられる物を作るべきです。
もうけ主義だけの広い道ではなく、狭くて細い道ですけど、神様の御心に適った道を歩んで行けたらと思います。そのためにも、平和を願い、命を大切にする祈りと行動をひとりひとりする事が、永遠の命を得る道にも通じていると思います。
「狭い道から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし命に通じる門はなんと狭くその道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」マタイ七章十三ー十四
(福祉作業所運営)
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この一年を省みて S.I
「見よ、今は恵みの時、見よ、今は救いの日である。」(Uコリント六・2)
いつも熱いとりなしのお祈りを、ありがとうございます。
私は、ロボット
神から、新しい生命を頂いたロボット
身を神に任せ、大いなる
愛と恵みを頂き、ある時は
光と力を、時と場を頂き、
人生模様を、より豊かに、心安らかに
ほがらかに、生かされて
動かされている
私はロボット
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心を尽くして…(聖書の学びを通して教えられたこと) A.I
すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。
「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、 彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、
また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。(ルカ十・二五ー二九)
心を尽くして…主の定めを守り、尋ね求め、呼ぶなら何を見いだすのでしょうか「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」この言葉は難しく感じます。
愛さなけれはならない、守らなければならない、人を救わなければならない、というような姿勢に立つなら、疲れてしまい、私にはとても出来そうにないとあきらめてしまうのです。
聖書に書かれている神は私達に出来ない事を要求されるのしょうか。神を愛することは、まず神から愛が与えられ、その愛を受け取る事から始まります。
そしてこのような弱く心変わりの多い自分をなぜこんなに変わることのない愛で愛されるのかを知りたくて聖書の学びを始める時、聖書の中からイエス・キリストの愛と、赦しと、心の底にまで届く慈しみに満ちた神の計画を教えられるのです。
又、神に祈る事を通して、神と私との深い相好関係の中で生きている事が分かってくるのです。
そして、心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、神が私を、あなたを、愛されている事を知るようになるのです。
「私たちが愛するのは、神がまず私達を愛して下さったからです」(ヨハネの手紙四・一九)
神に、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして」愛されている事を 知り、深く理解する時、初めて自分を愛する事が出来るのです。
これは子供が産まれ三歳位まで成長してゆくまでは母親はまさに「心を尽くし、精神を 尽くし、力を尽くし、思いを尽くして」幼児の世話をします。
それによってどんな時にも母親に愛されている事を子供は知り学習するのです。
価値判断も肩書きや名誉職によってではなく神に「こんなに愛されている自分」に価値を見いだす時、自分を愛する事が出来るのです。
そして、神によって自分がいかに大切にされ、価値のある者とされている事を身体一杯に受ける時、人を自分のように愛する事が出来るのではないでしょうか。
(会社員)
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神への畏れと背き S.U
「いかに幸いなことか、主を畏れ、主の道を歩む人よ。」これは詩編一二八編のみ言葉であるが、旧約全編を通して、その根底に一貫して流れるのは、神を畏れるという信仰である。
その旧約の中でも、神への畏れを端的に示している中の一つに「ヨブ記」がある。
ヨブは突然の予期せぬ神のみ声を聞いて、これまで自己の義を、神に訴え続けていた。
不謹慎な自らの言葉を顧みて言った。「わたしには理解できず、わたしの知識を超えた御業をあげつらっておりました。・・・。
しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。それゆえ、わたしは星と天の上に伏し、自分を退け悔い改めます。」(ヨブ記四二:三ー五)と。
ヨブは聖なる神のみ前に只ただ畏れかしこみ、自らの無知と卑小とを自覚するのみであった。
「大いなる畏るべき神だからである。」(申命記七:二一)
話は少しそれるが、私は今は高齢で物故された方の作られた、記念メダルを持っている。
小銭入れの財布に付けていつも所持している。それには「吾ただ足るを知る。」との文字が彫られてある。
日々の生活の中で、常に天を畏れ神を畏れる人の幸せのほどがうかがえる言葉である。
ある聖書解説書は、神と人との正しい関係は、神を畏れることにあると。むべなるかなと思う。
高慢や不遜は、いつの間にか神への畏れをなくし、自ら不幸な道を歩むことになる。
サウルはイスラエルの王として、神に油注がれて最初の王となったが神への畏れをおろそかにして、遂に王位を失った人である。
「サムエル記上」は十三章と十五章で、その詳細を明らかにしている。とりわけ十三章の八〜一五節の出来事は事柄の軽重はあれ、私たちキリスト者の日常においてもよく遭遇する事柄である。
サウルは自分の安全を願うあまり、神の御命令と自分の判断とを混同し、してはならぬ行為をあえて行い、神の戒めを守らなかった。
それは、神の人の為すべき、焼き尽くす献げ物を捧げる行為を、サウル自ら代わって行ったことであった。
サウルはその事についてのサムエルの問いに対して「わたしから離れ去って行くのが目に見えているのに、あなたは約束の日に来て下さらない。…それなのにわたしは未だ主に嘆願していないと思ったので、わたしはあえて焼き尽くす献げ物を捧げました。」と。サウルは急場に望んで神の戒めを軽視し、自分の義を求めて神の義に従わなかったのである。
愚かともいうべき愚かな行いに走った彼は、遂に王位を失ってしまった。
しかし、それこそは正に、人の生まれながらの罪のなせる業ではないか。
幸いにもわたし達は、彼と同じ罪人でありながら、主イエス・キリストの十字架の赦しに与り、主に在りて神の恵みを戴いている。
わたしはこのところで、信仰に生きる者として改めて思いを深めざるを得なかった。
神の戒めを守らず自分の義を求めたサウロの心には、もはや神を畏れるという慎みを無くしていた。
・それは十五章において、明らかに神の御命令に背く行為となって現れた。
神はわたし達の信仰を練り清めるために、わたし達の心を試される。
「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えて下さいます。」(コリント一:一〇ー一三)と。
キリスト者にとって試練は、信仰の糧であり神の恵みである。
信仰のあるキリスト者が、何時の間にか主の道から離れていることを時に耳にする。
何故、そうなったのかと思う。本当に神への畏れを知り、キリストの愛のもとに生かされていることを知ったならあり得ないはずなのだが。
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このごろ思うこと E.I
聖書に辿り着いてまだ日が浅いのですが、今思っていることを文集にどう書こうかと考えていたとき、ちょうどそれをよく言い表してくれているような文章に出会いました。
「聖書の研究なり、其批評的研究に非ず、又感情的探究にあらず、聖霊に依り常識を以てする深き静かなる研究なり、宇宙と人生とを支配する神の聖意の探究なり、聖書の研究はすべての研究の中に最も広くして最も深き研究なり、実在の中心に達せんとすることなり、愛を以て万有を解せんとすることなり。(「聖書の研究」『内村鑑三全集・十四』岩波書店)
これを読んだとき研究、研究と繰り返されていることにかすかな疑問を感じましたが、初心者の私にはかえって無理なく、直に受け止められたのだと思います、とくに「深き静かなる研究、実在の中心に達せんとすること、を以て万有を解せんとすることなり」などの言葉にひかれました。
心底納得することができ、長い間さがしていたものはこれ!と改めて思いわせられました。
「聖書」の巨大な、人知を超えた力、それを受け止めるには余りにも私の霊は弱々しくこういう仲介が必要だったと思えます。
ことに「愛を以て万有を解せんとする」の(愛を以て)については大きな驚きでした。
このことだけでも、すべてが解決できるのではないかと思えるほどです。
これまで殺伐として空虚だった宇宙を満たしてくれるもの、それが「愛」だったというふうに考えられること、これを「福音」と言うのでしょうか。
聖書との出会いを決定的にさせてくれたのは、二十年前からの友人であった二宮千恵子さんでした。
互いに転勤族で入れ違いのようにあっちへ行ったりこっちへ行ったり。それが何十年後にこういうかたちで復活するとは知りませんでした。
「すべてに時がある」という聖書の言葉と重なります。神様の愛が千恵子さんを通して、私にまで届いてくれたとしか思えません。
なぜそうなったか、そのいきさつについても魂をグッとつかまれるような、幾つかの不思議なものを感じます。
千恵子さんが何故キリスト教に関するパンフレットなどを最近になって送って下さるようになったかその前後ははっきり覚えていませんが、『はこ舟』がその中にあり、ある日何気なく読み始めて、これは何か!すべて自分に必要なことが書かれてあるではないか、と感じました。
「自然」の描写や神との結びつき、それへの洞察の深さに眼を洗われ、一方で「ヒルティ」を知り、「聖書」へと導かれました。
不思議とすんなり…、もっと早い時期に知ることができたら、とも思いますが、すべてに時がある、それでよかったと思います。
学生時代、寮で同室だった友人が「今日、洗礼を受けてきたの」とニコニコしながら話してくれたのを妙にはっきり思い出します。
そのとき彼女が、「神様って、私にとっては燦然と輝いている存在、燦然と…」と、ジェスチャー入りで二度まで、も繰り返して言った言葉。
そのとき私は「ついて行けないわ」。と思いました。が、今は彼女の気持ちか少しわかるような気がしています。
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主の恵み U.I
「神はその独子をお与えになったほどに、世を愛された。独子を信じる者が一人も滅びないで永遠のいのちを得るためである。」
(ヨハネ福音書三章十六節)
私は若い時は信仰はなく、苦難の時「私だけがどうして」と神様を恨む思いの時があった。
徳島聖書キリスト集会に導いて戴いて二十年やがて此の世の旅路も終わり近くなる今神様の大きな御愛が、みわざがわかるようになった。
長いと思った苦難の時も今になってみると私の人生のほんのひとときであったように思われる。
その苦難も弱い私を鍛錬して下さった神様の御愛であった。
そしてその時がなければ神様に導かれることもなく主の恵みも知らなかったであろう。
主にある兄弟姉妹との交わりもなく孤独な老いを生きていたかも知れない。
のぞみも消えゆくまでに世の嵐になやむとき、
かぞえて見よ主の恵み、なが心はやすきを得ん。
かぞえよ主の恵み、かぞえよ主の恵み、
かぞえよ、ひとつずつ、 かぞえて見よ主の恵み
(聖歌六〇四番)
指折りかぞえて見るとかぞえきれないほどの恵みを戴いている。主の恵みでないものは何一つ無い。
全ては主のみわざである。偉大な方の大きな御愛によって守られ導かれている幸は何にも勝る幸である。
そして此のお方イエスキリスト様を天のお父様と申し上げることの出来る幸を感謝します。
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御国があるから… T.O
十九才か二十才のころ、人の死について、少しだけ深く考え込んだ時がありました。
私もやがて死んでいく。私の身体は消えてなくなってしまう。でも私の今嬉しいとか悲しいとか感じる心は何処へ行くんだろう。
そんなことを考えて、怖くて怖くて震えながら眠れない夜を幾日も幾日も過ごしました。
あの時は本当に怖かった。怖いと口に出すのも怖かった。でもそんな怖さも時が経つにつれて薄れていきました。
そうして、何年か経って、そんな思いがあったことも忘れかけていたころに、私は神様と出会いました。
聖書を読み、御国があることを知りました。私は今、死にたいとは思いません。
今この時を精いっぱい生きて、神様が出会わせてくれた人を、神様が私を愛してくださるように、愛していきたいと思っています。
神様は、私のように障害を持つ者も、持たない者も、すべての人を平等に愛してくださる。そんな神様が私は大好きです。
御国に行ったら、神様が人の姿を変えてくださると聞きました。
私はどんな姿に変えてくださるのか、とても楽しみだけど、私がいつも座っている車いすはとても座り心地がいいので、御国に行っても、車いすに座っていたいと思います。
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新しい年への思い M.O
とても大げさなことですが、新しい千年を迎えるにあたり、人生を振り返ってみると、最もよかったことも、最も悪かったことも、ただ一瞬のように思われます。
五十歳を過ぎた頃から、心のなかにある点や線が、新しい出会いと共につながり、広がり、型を作っていくのを見ることは、とても楽しく、五感を大切にし、今を受け入れ、安らぎとともにありたいと祈っています。
二千年十二月二十日
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導き M.I
時には魅惑的だけど底知れない
黒の世界
清すぎてまぶしすぎて遠すぎる
白の世界
どちらにも行けず
ふたつの世界が重なったシルエットの中でゆれている
不安と安心
絶望と希望のはざまを
行ったり来たりしている。
神様を見上げると
不安定な心を深くわかって下さり
白い世界へと手招きして下さる。
大きな赦しと
大きな恵みをもって
(団体職員)
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キリストを知って T.O
一年間「はこ舟」を送っていただき、どれだけ真実を知り得たか思い返しております。
先日、俳句会に出席しました。その時、老人ばかりですが、私が一番若いのです。
話が政治から道徳へとなり、「教育勅語」のどこが悪いのか、と言うことになり、私は「それは教育勅語によって天皇中心を教え込み、戦争にまでなってしまったことが悪いのであって、父母を敬愛し隣人を尊び、又、国を愛する事自体が悪いのではない。」と言ったのです。
ややもすれば、今、年寄りは昔、先輩や親から教えられた道徳と、戦後の教育との違いに惑い、戦前の軍国思想の間違いを見失いかねない。
戦後の教育によって、平等という意味が浅く受け取られ、目上の人への礼を失うこととなった。
親への服従があたかも悪でさえあるかの如く言われてきた。私利のみが優先し道徳が軽視されてきた。
親から子に伝える事は無いのか。人は生まれて一年、ひとりでは生きられない。
乳もおむつも親の手を借りねば生きられない。愛だけでは育たない。
生活費も稼がねばならず、我が家では、お母さんが手伝いに行くのでお祖母さんが子守となる。この子で四人目である。
息子達が戦後の教育で親への礼を欠くことがある。親の言葉より、自分が中心である。
小学校から平等教育であり父への尊敬など少しもない。それでも親ともなれば子ども達には父親の尊厳を見せようとしている。
話をキリスト教に戻したい。今、創世記のテープが来ています。世の始まりから人が創られ、初めの人が罪を犯し、また、カインがアベルを殺し、姦淫があり、イスラエルの民の神への裏切りもあり、聖書には聖なる事だけが書かれてなく、神の前に全てが載っている。
神の御意志や言葉も読み取れて、キリストへの導きが中心である。セツからノアへ、アブラハム、モーセの出エジプト、中期になって、ヨブ、イザヤ、ダビデ、ソロモン、数々の王と預言者全てがキリストへの導きであり、ナザレのイエスキリストがお生まれになり、神の救いが完成され、私もキリストを知る者となった。
キリストを知ることが出来、自らの罪を知る者ともなり、七十歳の年まで生かされている。自らの内に、罪を見出し、創世記の人類に罪が入ってきたことが事実であることを知る。
創世記十八章アブラハムの祈りを知る者となる。
十九章、「正義と公道」主の道、神の祝福、「ソドムとゴモラの叫びは大きく、またその罪は非常に重いので、わたしは今下って、わたしに届いた叫びの通りに全て彼らが行っているかどうかを見て、それを知ろう。」アブラハムは正しい人が五十人から十人まで減したがその人が居なかった。ソドムとゴモラは硫黄の火によって滅ぼされた。
私は、十六才でキリスト教会の門をくぐった。そして新しく生まれ変わるようにと祈り、若いときにはキリストを夢に見、重き荷を負うキリストの十字架を幻に見た。赤い血までも見たものである。
それでも、今、なお原罪を身に持つものである。ただただ、キリストの救いと己が罪にうち負かされる。
「そこで、この事をしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪である。」(ロマ書七章十七節)
以下のくだりは私達をなぐさめてくれる、さらに肉に従う者にならず、霊に従いなさいと八章へと続く死人から蘇られしイエスを信じ、頼り、生きる、生かされるのである。しかし、人は弱いから、あまりいばっては居れない。
聖書は頭だけで学ぶものではなく、信じ行って体験的に知り取るものである。
第一コリント十二章三節に「聖霊によらなければイエスを主と呼べない。」とあり、我らは日々イエスの霊によって新たにされ生かされていなくてはならない。
また、愛する兄弟姉妹と会える事、祈っています。
(陶工 …中国山地より)
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人間の心の中を E,O
ある時のことです。「部屋にこんなのあれば欲しい。」という思いをずっと持っていたところ、安値でそれが買い与えられました。
この嬉しさから、次々と物に欲望を持ち続けるようになりました。そしたら、それもふさわしいもので買い与えられました。
わたしの欲望をひとつひとつご存じで、それも全部与えられるので、不思議で不思議でたまりませんでした。
なぜだろう、どうしてだろう。けれども、わたしの心は欲望が満たされた嬉しさで満足した時を過ごしておりました。
そのうちに、あまりにも喜びばかりで恐くなり、不安をいだき考えさせられました。この時、浮かんできた御言葉があります。
「イエスは、何が人間の心の中にあるかよく知っておられたのである。」(ヨハネ二章二五節)
イエス様は、人間の心の奥まで見抜くお方だったので、神様から離れ、祈りもせず、感謝の祈りも足りず、
自分中心的な行いをしていたのを全部ご存じで、罪に気付かせるためだったと思いました。
それなのに私は、ずっと罪に気付かず無視した歩みをしておりましたのに、神様は忍耐して多くのお恵みをお与え下さいまして、また罪も赦して下さって本当に感謝です。やっと、自分の罪が知れ、不安も解消でき、恐れから喜びに変えられ感謝です。
これからの時、自分の罪に気付くのは難しいときもやはりありますが、神様を求め、神様を仰いでゆける歩みをしたいです。
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二千年の一番大きな出来事 H.K
今年(二千年)の一月に胆のう摘出手術を受けましたが、直後に心臓停止が起こりました。
その時に臨死体験をしました。
目の前一面がオレンジ色の光に包まれ、自分の体が雲の上に乗っているようで、フワフワとして非常に楽なのです。
そして普段全身麻痺の私の体が動くのです。なぜか幸せで幸せで何とも表現しようのないほどの嬉しさなのです。
それはこの世で味わったことのないハッピーな気持ちでした。あのオレンジ色の発光体はキリストご自身であったと今でも信じています。
天の御国は確かに存在すると思っています。私はこの世に戻ってきましたが、あの時天国に残っていても良かったという気もしています。
(徳島大学医学部付属病院整形外科・東病棟八階入院中)
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罪と悔い改め M/K
小さい罪、大きい罪、自分には気付かない罪、相手のことを思ってしたのにと思う罪、自分が一番正しいと思う罪。
困難からはい上がるときも、自分が生きるため大きな罪をおかしてきた。しかたがない。
自分が悪いのでもない、誰も助けてくれないから。自分の罪を認めようとしなかった私。
聖書を学ぶようになって、初めて自分の罪を思うようになった。
人間の反省や思いだけでは、悩み苦しむことはあっても解決することは出来ない。
間違った行動や背後にはいつも罪がある。神様が私の目を開き、心の中にいて下さらなければ、その罪も気付くことが出来ない。
でも現実には試練があり、良きと思ってしたことでも人を傷つけてしまう。
人間を導いて下さる神様に信頼し、日々おかすこのような罪も、神様に向かって心から悔い改め赦しを乞うときには、赦しが与えられる。
神様が平安を与えて下さる。神様に感謝です。
私自身に起きた問題について、兄弟姉妹の力ある祈りに支えられた。
また、すぐにその祈りが聞かれ驚いた。神様が一番良いように導いて下さったのを感じる。
最後まで信じて歩んでいくことが出来ますように。これからも主よ導いて下さい。
(美容師)
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この頃、思うこと M.I
わたしはあと数年で五十歳になる予定です。
何故予定と言うのかと言えば、それは、息子の教えてくれた、「もし、生きることを与えて下さるのでしたら。」と言う意味が含まれています。
そして、このところわたしは、わたしより年上の人の生き方に興味を抱いています。
人は、それぞれ、その道を極めた人、と言うのがいて、感心させられます。努力の結果、あるいは病気の結果に、その生き方を極めた人もおられます。そして、聖書の知恵を受け入れ、目標を目指して、真っ直ぐに歩む人もおられます。
わたしは毎日、自然の中に行き恩恵に浸っています。
空の青さに心が晴れ、風の音、山の風景に驚いたり、又、川や海辺の美しさにたたずむこともあります。
身近な花の美しさに見入っては、偶然に咲くはずはない、と思わされます。
しかし、心が鈍くなると発見はなくなります。高齢になり、なおも発見し、感動し、感謝の気持ちで輝いている人がいます。
わたしもなりたいです。(保母)
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私は世の光である H.K
私に従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。ヨハネによる福音書八章一二節
私は四国集会から帰って来て、二〜三日してから急に足が痛くて、なかなか歩けなくなった。
病院でみてもらうと、椎間板ヘルニヤということで、すぐ入院ということだった。
六月二日に入院し、手術が必要だと言われた。ずいぶん迷ったが六月十六日にすることにした。
手術は三時間くらいだったと思うけど、「主よ、あなたの御手にゆだねます。」と、祈ってから手術に臨んだ。
術後の経過もよかった。同じ病名の人の中で手術前は一番症状が重かったのが、手術後は治りが早く、七月十三日に退院し、自転車に乗れるほどになっていた。痺れはとれていたが、まだ足は重く、腰も痛かった。
入院中、難しい問題が起きましたがすぐたち返る事が出来、心に平安が与えられ、それによって、心が動揺することもあまりおきませんでした。
その陰には吉村先生や綱野姉はじめ多くの兄弟姉妹の祈りによって支えられていたのを思います。
また励ましの手紙もいただき、ありがとうございました。皆様に深く感謝しています。
八月二十日から仕事に行きだし、休まず仕事に行くことが出来て感謝です。
手術から五ヶ月経ち、だいぶ身体も楽になってきました。
入院している時は、また仕事ができるようになるとは思っていませんでした。
歩けることがこんなに嬉しく思ったことはありませんでした。
今年は市民クリスマス会にも行けて、新垣牧師のすばらしい歌声に感動しました。
話もナンバーワンでなく、オンリーワンだというのがよかった。
私もずっとイエス様に従ってゆきたいと、またあらためて思わされました。
(会社員)
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小さなものに惹かれる心 M.K
これは「はこ舟」一九九八年十月号「小さきもの」、同二○○○年八月号「小さきもの」、および、二○○○年八月十二日の神戸のキリスト教夢野聖書集会(S.Uさん宅)におけるYさんの聖書講話(マタイ十八章一から十四節)を聞いて心に感じたことを文章にしたものである。
ヒルティ著、「眠られぬ夜のために(第一部)」の(十一月十五日)のなかに、『この世の小さなものに対する関心と特別の愛をもつようになると、現代の病気であるペシミズムに永久にかからなくなる。
…小さな高山植物は、派手なチューリップやモダンな観葉植物よりもはるかに美しい。人間の場合もその通りである。』(*)と書かれている。小さなものを愛する心とは何であろうか。
また、人々が大きなものを求める心理とは何であろうか。大きなものを求める心は安心感を求める心に通じる。
カネは多ければ多い程、安心である。貧乏の恐怖は昔ほどではないにせよ、今の世にも存在する。国防に関しては、他国よりも大きな軍隊を持つことによってその国からの侵略を思い止まらせることができるという安心感からだろう。
すべて、将来のために十分に準備することによって安全を確保できると考えるのであろう。
しかし、究極の安心感は大きくなることによって得られるものではない。
まず、相手側、つまり、ライバルの反応がある。商売の世界でも競争相手の商店が大きくなれば、安心できず、こちらは不安が増す。
大きな軍隊を持つことによってその国の国民は少しは安心感を持つことになるかも知れないが、しかし、隣国は不安を増すだけである。
国防は純粋防衛のためだと本気で思っていても、外国には決してプラスの感情を与えるものではない。
大きなライオンを見て、すばらしいなどと思う小動物はいないだろう。社会の不安を取り除くのは難しい。
しかし、小さなままに安心して咲いている花の美しさは全くその逆である。
だから、その小さな花の生き方は人間社会の生き方とは全く別であり、特別なものであり、人間に安心感を与える。
大輪の花を咲かせてその美しさを競うのでもない。まったく自然な、小さな花を咲かしている。自分の力に頼って自分を保持しようとしているのではない。力で他者に対抗しようとしているのでもない。小さなまま、それに満足して安心している姿である。
それは神に頼る信仰に通じる。
信仰者は、それぞれの問題を自分の力で解決しようとするのではなく、神にゆだねる。
そこには、キリストを先頭にした整然たる秩序をイメージとして思い起こさせる。
小さな花が野辺に咲いているのを見るときに、神の秩序に従順に従う信仰心を感じさせるのである。
それ故に見る人は安心感を得るのであろう。
私は、研究者を志した後、先生から次の高田保馬(**)の歌を知らされた。
「小さきは小さきなりに花咲きぬ 野辺の小草の安けきを見よ」
その先生も、この歌を座右の銘としていると言われた。
先生が私たち学生にこの歌を知らせたのは、それぞれの心に平安をもって欲しいということと共に、怠りの糧を食するな、という戒めであったのだと最近になってしみじみと思う。
おそらく、自分が大きなものであると思っている人は、この世の中において、ほとんど例外的な人だけであろう。
神の秩序に従いつつ、それぞれ神から与えられた仕事を忠実に果たして行くときに、為し得た仕事は人の目には小さなものであっても、大きな満足感を得させてもらえることを願う。
ある数学者は、「小さいものであるが、我がものである」(ドイツ語ではklein aber
mein)という言葉をモットーとしていた。
つまり、彼の為した研究は小さいものであるが、この自分の力で為し得たものである、という意味である。
しかし、彼は後に「小さいものであるが神のもの」(klein aber
dein)というようになった。
とにかく、小さいなりに花を咲かせるために怠ってはならない。それが神からの使命を果たすことと思う。
(大学教員)
注* 岩波文庫本では三一三から三一四ページ。
注**高田保馬(一八八三―一九七二、社会学者、経済学者)
六六九―一三三七 兵庫県三田市学園六―十二―十三
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パソコンと私 T,K
私は今年七十歳になった。
この年で今更パソコンなんて、と思っていましたが、去年十月に東京の後楽園で行われた無教会全国集会に参加したとき、会場のホテル内で徳島のYさんのお部屋でパソコンの画面一杯に広がった聖書を見せていただいた。
つづいて英語訳と日本語訳二種類、計四種類の聖書を一つの画面に示して下さった。
もちろんギリシャ語もヘブル語の聖書も見せていただいた。
このとき私は、聖書の勉強には、パソコンが強力な武器であると思った。
昼の休みに家内と後楽園を散歩しておるとき、Kさんと出会った。話は自然に今日Yさんのお部屋で私が見たパソコンの話に及んだ。
Kさんもパソコンを使って伝道しておられることを知った。そのときから、私はパソコンに挑戦する決定的決心がついた。
岡山に帰って、早速パソコンを購入し、聖書のギリシャ語CD-ROM、ヘブル語CD-ROMを買った。
我が家にパソコンが入って、Yさんとメールがつながったとき、また、苦労して「はこ舟」のホームページを開くことができたときの感激は忘れられない。「はこ舟」のホームページを開くと 讃美歌がなり始め、今日の聖書が現れ、私も徳島の集会に参加させていただくことができるようになった。
毎日集会に参加させていただくことは喜びである。
K貝出さんは、「タリタ・クミ」通信をパソコンで美しい写真をつけて、送ってくださる。我々夫婦は、プリントアウトして、楽しんでいる。
福音伝道の新しい方法としてパソコンがこんなにもすばらしいとは、驚きである。
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Thanks
my God (神への感謝) E.K
イエスキリストを信じてからもう二年になりました。私がキリストを信じるようになったのはそれなりの理由があったのです。
大学の四年生の時、私は自分の進路、生き方等の人生の価値観を巡ってすごく悩んでいました。
一体私はどんなに生きて行くべきか、私が生きている目的は何かという問題を持って私は教会に足を運んだのです。
何かの答えを探したかったんです。教会に行って最初に感じたのは教会という所は愛の溢れた所であるというものでした。
でも残念ながら初めは神様のみことばを物語のように考えたし、何も信じることはできなかったです。
でも、私はここには何かがあると信じ、何かを求めるために毎週教会に行くのを堅持し、聖書を読み始めました。
一体私は何のために生きているのかをはっきりしたかったです。
もちろん人間たちはこの世の中に来る時はだれでも理由無しに来られたのです。
しかし、この何の理由もなく世の中に来られた、人間たちは何かの目的のために生きているのです。
そして何かの目的を持って生きて行くべきです。そうしたらそのなかでの一人の私は何のために生きているのか。
幸福な家庭の中で育てられた私は幸せな環境に恵まれて今までずっと楽しみばかりの生活を過ごしたです。
大学の四年生になってから自分の進路を巡って、初めて「人生」というものについて考えるようになったんです。
私は一体どんな仕事をすべきか、私は一体何が好きなのか、何のために生きているのか、ということについて考え始めました。
そして、今まで自分自身もよく分からない道を歩いていたことに私は驚きながら発見しました。
今まではただ大学に入るために生きて行ったのです。有名な大学に入るのが今までの私の唯一な目的でした。
もちろん将来いい仕事を探し、たくさんのお金を貰い、両親を幸せにし、自分も幸せにするのが私のもっとも根本的な目的でした。
いくら考えても私の理想はこれだけだったんです。ここまで考えた私は凄く悲しくなりました。生まれてから初めての人生の悩みでした。
そして生まれて初めて"死"ということを考えたんです。一回うまれて一回死ぬのは人間としてはだれも免れない自然的なことです。
そしたら人間が生きているのはある意味では死ぬためです。だから、この死ぬための人生にならないためには何かを求めるべきです。
つでも変わらない永遠のものを求めるべきです。何かはっきりしたものを探すべきです。こういう目的で私は聖書を読み始めました。
昔の言葉で書かれた韓国の聖書は本当に難しい言葉ばかりで何回読んでも意味が分からない部分がいっぱいでした。
でも、だからこそ私は聖書が好きかもしれないんです。一遍一遍読みながら何かが求められるような聖書は本当に魅力的なものです。
まだ意味深い聖書の全部の中身はよくわからないが、今まで読んだことで私は聖書はある意味では教育の書、また愛の書でもあると考えるようになりました。
こればかりではなく、ここにはわたしたちが求めている何かの約束があります。
神様の御子イエス様を信じることにより、わたしたちは永遠の命を得るし、罪から救われるのです。
イエス様は罪ばかりの人間を永世の神様のところに渡せる役割を果たす橋のようにも考えられる。
人間はだれも罪ばかりなのでそんなに簡単には神様の所に渡されないです。
でもこういう人間を救うために私たちの主イエス様は十字架で血を流し、人間を罪から救うために、死ぬべき人間の変わりに死んだんです。
だから人間としてするべきことなら感謝の心で私たちの主イエス様を賛美し、イエスを信じることです。
イエス様が私たちの罪を救ってくださったから、わたしたちの命はただ自分だけに属する命ではありません。
ただ自分のために生きているのでもありません。自分を罪から救って下さったひとのために生きて行くべきです。
ここまで何回も人間の罪を繰り返して語っていましたが、そうしたら一体罪というものは何か。
世の中で大勢の人は自分は罪のない人だと思っています。こういう考えを持っているのは実は一体何が罪なのかがよく分からないからです。
だが、聖書を読んだらはっきりとわかります。聖書の中で“罪というものは人間の心の姿勢である”と指摘してあります。
普通私たちがよく知っている殺人、法律違反などばかりが罪ではありません。
私たちはある時は人を嫉妬したり、財産のために兄弟の間で紛争を起こしたり、人間としての欲求が強くなったり、いつも自己中心的に問題を考えたり、…実は、これは全部罪です。だから、人間として罪のない人はないし、罪から救われるために頑張るべきです。だが、救われたとして罪が無くなったということではないし、いつまでも悔い改めるべきです。
イエス様を信じてから私は自分が本当に変わったと思います。何よりも人生の目的がはっきりしたのが一番幸せなことです。
そしていつまでも自分を反省しながら生きて行くようになったのが本当に嬉しいです。
文章がちょっと長くなりましたが、ここで母の話をちょっとしたいです。正直に言って私は小さい時からあんまり母が好きではありませんでした。
男っぽい性格を持っている母は女らしい柔らかさが無くて、自分の子どもについてもあんまり愛をうまく表せなかった。
こんな母を私はどうしても理解する事ができなかったし、なお、小さい時は私が本当に母の実の娘であろうか、ということまで思ったのです。
でも、教会に行き始めて、教会の人と付き合いながら、そして聖書を読みながら私は愛というものを勉強しました。
そしてこんなばかなことを思った自分がとても恥ずかしかったです。
いまは母も私も変わったんです。昨日も母に電話をしました「ママ、昨日の夢でママに会いました、私本当に嬉しかったです。
この間、ずっとママに会いたかったでした。ママ、だんだん寒くなりましたが体に気を付けながらお元気にしてくださいよ。ママ、そして私の幸せのためにわたしは頑張っていますよ、ママの良い娘になるために私はいつまでもがんばります。」
いつの間に自分がそんなに柔らかくなったのかは自分自身も信じられないことです。
でも、すごく自然的な愛の表しで何も恥ずかしいことはなかったです。
ママも変わったです。
「E、あなたはいつもあなたの神様がいるんだから何も心配することはないよ、あなたはきっと成功するよ、頑張ってよ。」そんなふうに昔よりだいぶ柔らかくなった母、そしてそんなに私を理解してくれることが本当にありがたいことでした。
もう一回神様に感謝します。私たちが信じている神様はこんなに偉い方です。人を変わらせてくれる神様です。
自分は罪ばかりの人間であるということを認めながら、いつも神様に祈りながら、自分を反省しながら、毎日新しい自分を見つけていく、んな生活、こんな生き方が私は本当に好きです。罪から救われたという気持ちはどんなにいいだろうか。
神様はご自分の形のように人間を創られたし、人間がご自分のようになるのを望まれています。私は神様の見た目にいい娘になりたいです。
神様と人間の間には「求めよ、されば与えられる」という約束がありますから、私はこれを信じて一生懸命に求め、祈りたいです。
もう一回、心を持って神様を賛美し、神様を感謝します。
十二月十二日(中国からの留学生・大学院生)
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死ぬっていう仕事 M.I
「朝起きたら、今日は私の命日になるかも知れない。
人間が死ぬもんですから、人間は死ぬもんだっていうことをしっかり覚えておきたい…。
それが最後の人間の義務っていうかな、正しいつとめっていう。
だからもう、年とって何もすることがなくなったんじゃなくて「死ぬ」っていう仕事があるんだなっていう緊張感もありますね。
この世を造った神様を信じて生きていただきたいな。と、申し上げたいと思います。
太陽はいつも雲の上で輝いているっていう言葉が好きです。」
この言葉は、僕の大好きな三浦綾子さんが言った言葉です。
三浦綾子さんの小説を読んで、得たものは多い。皆様も一度読まれてみてはどうでしょうか。
おすすめは、「塩狩峠」「銃口」「氷点」「道ありき」「愛すること信ずること」です。主にありて。
(看護学生 十五歳)
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雲海 K.K
十一月三日の早朝。東京で行われる無教会の全国集会に行くために久しぶりに飛行機に乗った。
大空に飛び立つと、眼下に雲海が広がった。
どこまでも広がる、大雪原のような白い雲海。その雲の切れ目から、青い海が見える。雲の上に、太陽の光がそそがれて、祝福の讃美が聞こえてくる。美しい、白い光の世界。雲の下は下界。人間たちが右往左往しながら、今日をあくせく生きているのだろう。
空を覆う雲がひろがり、地上は今、どんよりと曇っているのかも知れない。
しかし、地の上がどのように暗い雲に覆われようとも、天上には、いつも確かにこの光があるんだ。
覚えておこう、この雲の輝き。そして、雨雲の広がる時にはこのことを思い出そう。
わたしの心にも時折、黒い雨雲が広がってくる。罪に、弱さに、失敗に心が捕らわれ、光を見失ってしまうことがある。
光が見えなくなれば、生きていくのが苦しい。黒い雲に覆われて、もうだめだ、とうずくまってしまう。
しかし、見えなくても光はあるのだ。罪はすでに赦されており、悪の力は滅ぼされている。
雲の向こうのまぶしいばかりの主の光。イエス様は必ず光を下さる。
雲海の上のこの光は雲間から地上に射し人の心を必ず照らして下さる。
「なぜ、疑うのか」と、御手を伸ばし、罪を赦して再び立ち上がらせて下さるイエス様。
「あなたはわたしのしもべ、わたしは、あなたを選び決して見捨てない。」と守って下さるイエス様。
白い雲の輝きに似たイエス様の光。イエス様は信じる者に必ず、光を下さる。
雲海の上を通って飛行機は飛び、東京に着いた。大都会の空に雲は広がる。
目を閉じれば、その雲の上の輝く光が見えてくる。
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道 K.K
三年前、わたしは道に迷っていた。深い森の中に迷い込んだ。迷い込んだのではなくずっと森の中を歩き続けていたのかも知れない。
ただ、迷っていることに気がついていなかったのだ。深い森は昼間でも暗い。
何とか抜け出なければと、音のする方に、明かりの見える方に、進んで行った。でも出口がわからない。
三年前、わたしは道に迷い、のどが渇いて水を探した。しかし、わたしが飲んだ水はもっとのどが渇いた。
どうしようもなかった。誰かに助けて欲しかった。神様に叫んだ。しかし、その時はまったく答えはないと思った。
何とかしなければ、とはじめたのが手話だった。まさかここから、光の出口につながっているとは、いったい誰が思えただろう。
ただ、手話を学びに来たその場所がキリストのおられる礼拝の場所であったとは。
集会に導かれ、わたしは救われた。不安と迷いの暗い道から、光の道に移された。それは、一方的な神様の導きだった。
渇いたのどに、いのちの水が注がれた。死んでいたのに、生き返ったと思った。何という世界だろう。
この道は、狭くて、疲れることも苦しいことも多い。しかし、三年前の滅びの苦しみではない。
主が共にいて下さる。弱ったときには主はより近くにいて下さる。苦しいと叫べば主は側に来て下さる。
心傷つき痛手を受けても、足を踏み外し道間違えても、「助けて下さい、ごめんなさい。」と真実に叫べば、必ず助けて下さる。
「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。
だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで、自分の弱さを誇りましょう。」第二コリント十二章九節
三年間、主はいつも、共にいて下さった。苦しいことも恵みだった。倒れたことも恵みだった。
恵みの上にさらに恵みを与えて下さるイエス様。価なきものに注がれる、はかりしれないこの恵み。
この道はこれからどこを通っていくのだろう。何が起こり、何が壊れ、誰と出会い、誰と別れていくのだろう。
喜びの丘、悲しみの谷、苦痛の崖、平安の岸。どんな道であったとしても、主が共にいて下さることだけがわたしの道。
主の導かれるままに通っていこう。道の終わりには主イエスが、御手を広げて迎えて下さる。そしてそこから、本当の永遠の道が始まる。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」
ヨハネによる福音書三章十六節
(看護婦)
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日和佐集会に参加して T.K
私は一九九九年十月より、月一回の日和佐集会に集い始めた者です。
信仰の勉強をするには難しい環境といえる、病院の入院生活をしていますが、動機は実家に近い海南集会のH.Sさんを通してY先生のご訪問を長く受けていたことです。
私は二十年あまり以前、北海道で他宗派の女性宣教師として働いていた経験もありながら発病をきっかけにキリスト教から全く離れほとんど忘れていました
。でも、今、新たな気持ちで、まるで初めて学ぶような感覚で参加させていただいております。
創世記にもありますように確かに神の言葉は動かす力があります。御言葉に触れるたび感動を覚えます。
私のような障害者も神様が意味を持って、意図を持って、存在させられているのだと思うと慰められます。
イエス様のことをどれだけ心でわかるか、日々感じて生活するか課題ですが、皆様の信仰に刺激を受けながら月一回の集会に臨んでおります。
罪の自覚を感じたり、聖霊の導きも求める時もあります。
病院生活でありながらも学ぶことの出来る状態であることを感謝しております。
神の言葉は人の心を燃やすものがある、と教えられました。それもバロメーターあろうと自分なりに日々聖書の言葉と触れております。
自分の心の健康を求めるためにも神の言葉は必要だと思います。
迷い、心配、先の不安、様々な気持ち、葛藤が私の心にも迫りくる時がありますが、学びは多く助けてくれます。
とかく自分中心の祈りになりがちですが、祈りの基本を学んだり、皆さんの祈りの模範に感謝を覚えつついます。
自分だけの力は弱いですが、聖霊の助けによって集会へ参加できますことを感謝いたします。
全て神様の御心と委ねていけたらと思います。
日々、団体生活の中で清い思いでおれるよう人間関係も主に委ね、時々、実家にも帰っているので家庭や社会にあっても自分が頑張るのでなく主に委ねながら、また、神様の御言葉を多く思い願いつついます。
本当に祈ってくださる方々、御言葉を教えてくださる方々、伝えてくださる方々、学びの場所を与えてくださる方々、主の導きに感謝しております。
ひとりひとりに主の守りと導きがございますようにと祈りつつ。
「あなた自身の井戸から水を汲み、あなた自身の泉から湧く水を飲め。」箴言五章十五節
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いろいろ感謝です M.K
「数えよ、ひとつずつ、数えてみよ、主の恵み。」
T姉妹と私は声を合わせて主を讃美した。それは、移動夕拝に向かう車中のこと。
「ほんまやなー、帯状疱疹、あの時は痛うて死ぬかと思った。
次が足首の捻挫。これはまだ痛い。三年はかかるそうやって。
次がストーブの角に顔面激突、あれは首が飛んだと思った。あれも痛かったなー。
次に追突されてのムチ打ち症、これも現在進行形やで。次が脳内に動脈瘤ありで、入退院、あれもつらかったなー。」
でも、そのたびに気がつくと、光の主が心の中にいて下さった。兄弟姉妹の励ましや祈りをいただく。望みも消えゆくまでに、世の嵐に悩むとき、
数えて見よ、主の恵み、汝が心は安きを得ん。
数えよ、主の恵み。数えよ、主の恵み。
数えよ、ひとつずつ。数えて見よ主の恵み。(聖歌六〇四)
大きな声で合唱しながら走った。
「わたし、イエス様ありがとうノート書くわ!」と、彼女に言った。(心の中のイエス様にも。)
自分の不摂生や不注意による病気や怪我は納得出来るが、あの追突事故だけはちょっと変だ、納得がいかない。
いや、サタンと思えば納得がいく。
私が初めて家族以外に「イエス様を信じる。」と書きあらわし、イエス様をお伝えしよう、と、癌で生還出来ない息子の嫁の父親と、
付き添いの母親宛に「はこ舟」とか、K姉妹に戴いた本とか、讃美歌、等を荷物にして車に積み、宅急便に届ける途中の出来事。
渋滞最後尾の私の車にドーンときた車、あれはやっぱり、サタンの業だ。
「警察には言うな、点数が無い、仕事が出来なくなる、金は無い、保険掛けて無い、これは他人の車。」風下の私に酒臭い息がくる。
ウワアッ飲酒運転だ。一刻も早くこの場を逃げ去りたいだろう相手。私はその相手が恐かった。
その大男は太い金鎖を腕に二重に巻き、小指には武器ともなりうるような大きな四角い金の指輪。なす術を知らず頭マッシロ。
「うんうん」こくこくして別れた私。私も罪人。小心者。
悪を悪として正されるイエス様の勇気。十字架のイエス様を仰ぎ、こんな愚かな私をも生かして下さっていることを感謝します。
追突されて悲しいのに、一つうれしかったのは、私の散乱した車の中から、家中探して見つけられなかったT姉の編集している伝道テープ「アシュレー」一〇〇号が出て来たこと。「守られた」と思った。
このカセットが一緒に車にいてくれたこと。荷造りされた「はこ舟」や、イエス様を讃える本が車の中にあったこと。
イエス様が助けて下さったのだと思う。
事故証明が無く、掛けていた私の保険も勿論出ない。自分で車購入して、医療費を払い、めまい、吐き気の後遺症に苦しむ時、相手を思い出す。世の中嘘でかためて生きている人は苦しいだろうなーと思う。
心に平安がないだろうなーと、そこまでは思うがその人の為に時々は祈ったけど、まだ真剣には祈ってはいない。
でも、あんまり腹は立たない。
「次から次へと、お前よーそれで笑っておられるのー。神さんおるんやったら連れて来てくれ、わし逢いたいわ。」言ってた夫が今年六月、左右硬膜下血腫で入院手術。「このまま覚醒しないかも、意識がもどっても言語に障害が残るかも、手足に麻痺が残るかも。」
医師に言われて心細く、酸素吸入の音だけ高く、こんこんと眠る夫に付き添っていたとき、ドアが開き、K姉の訪れ。
意識の無い夫の手を握り真剣に祈って下さる姿。私は一瞬カメラに収めた。もし、もし意識が戻ったとき私の口から話すより確たる証拠にと。
案の定、退院後写真を見て「これ誰ぞー。」「K姉です。」「ふーーーむ。」が長かった。
自分が知らない間にこんなに真剣に手をとって祈っていてくれたのか・・と、口には出さないが驚きと感謝は目が点になっているので解る。
常々家で居る時「お前ところの人種や来て貰いとーない。」言っていた夫が自分から出向いて(?)の入院生活、付き添いの私が所用で外出中、N姉妹やT姉妹三人が来院されていた。私が病室へ戻ると三人の姉妹と談笑している夫。意外な光景に私は驚いた。
病室だと居留守も使われず、たったひとりの時、と言うのが神様の妙。御計らいだと思う。
私が居れば寝たふり、狸寝入りをやりかねない。
神様って、その時、その時、何とタイミングのいい時を得させて下さるものかと感謝感激。(聖歌五九〇番の二節)
坂道に強き、御手をさしのべ、試みの時は恵みを給う。
弱きわが霊(たま)の渇く折しも、目の前の岩は割けて水湧く、目の前の岩は、割けて水湧く。
今までに、そして今年に賜った数々の主の御恵み、兄弟姉妹の次から次へのお祈り、ありがとうございました。
讃美歌を歌いながら運転すると確かに心が温和になり、本線に入りたい車にも「いいですよ、どーぞ。」となっている私。
それとまた、なんとすばらしいこと。この私が心の底から主を讃美。郷土文化会館のステージで人々の前で兄弟姉妹と手話讃美が出来るなんて。(六十八才)
散歩の時、夫の背中に向かって大きな声で讃美歌を歌いながらついて行きます。
振り返った人「足もと気ーつけて歩け、又転ぶな!」ああ、この身近な隣り人と共に主を讃美し、共に御言葉の学びが出来ますように。
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立ち止まって I.K
毎日、朝夕、犬と散歩をしていると、気温の変化や草花や木々の緑などの景色の移り変わりで季節を感じることができます。
自宅で仕事をしているので、散歩をしないと、家の中にいるだけではわからないとを感じることができます。
引っ越してきた十年前くらいは、周辺に田んぼもたくさんあり、遠くの山々が眺められる広々とした場所もありました。
田植えが始まり遠くの山々が緑に変わったとき、稲が刈り取られて何も無くなったときなど、いろいろな風景を楽しむことができます。
ここから見える眉山は、家からでは一部しか見えないものと違い、形も違って見えるので好きな場所です。
でも、最近は家が増えてきて遠くが眺められなくなりつつあります。
ここへ来て立ち止まって深呼吸をして遠くを眺めると心が静かになり落ち着きます。
自然をながめると、神様を知らない人でも心落ち着きますが、聖書をとおして山や植物など自然の物が神様が造られていること、神様を讃美していること、そして神様がすべてを支配してくださっていることを思い出しながら眺めると、さらに平安を感じ、神様からの恵みを受けていることを感謝します。 真上を向くと青空の中に雲があり、神様のおられる天の国を想像したり、上からいつも見守っていただけることを思ったり、山の緑や道ばたの草花は神様が働かれていることを思うと暗い気持ちの時でも慰められます。
一人で歩くときは、犬がまっすぐ歩くようにひもを一生懸命引っ張ったり、自動車や足もとに集中してケガをしないように気をつけていると周りの景色が見えません。
そんなときは、散歩の気持ちよさを味わえないまま家にたどりついてしまうことがあります。
このように、生活の中でも自分の狭い考えだけで歩むのでなく、立ち止まりながらでも、神様のことを思い出すことの大切さを思いました。
(はり師)
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今年の事 K.S
今年は父が倒れたり、孫が入院したりで後半の「つゆくさ集会」を休むことがありました。
私も血圧が上がり、薬を飲むようになり、健康に一抹の不安があります。
でもクリスマスに徳島聖書キリスト集会の有志の皆さんが、私と勝浦さんがいる病室までキャロリングに来て下さり、敵な讃美歌を聴くことができて、素晴らしい年末となりました。
来年は神様に体が癒されますように…。皆様にとって幸福な一年でありますよう祈ります。
(つゆ草集会とは、大学付属病院にて、Kさんが入院している個室で毎月一度行われている聖書を学ぶ集会のことです。
Sさんは、その部屋でKさんのお世話をされています。)
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神様の導き Y.S
人生には思いがけないことが、いろいろ起こるけれど、それも一つ一つ神様が導いて下さっている事を思います。
私は自分が転居するとは、思ってもいなかったのですが、一ヶ月ほど前に急に必要に迫られて、家探しを始めました。
私も娘もこれから仕事が忙しくなるので、思うように休めないので早く決めたいと思っていました。
住宅情報誌で調べて五ヶ所ぐらい見てみたいところがあったので、日曜日の礼拝の後で案内してもらうことになっていました。
その日の礼拝のメッセージで、ヨハネ福音書三章十七節「天から与えられなければ、人は何も受けることができない。」が心に残りました。
あせっていたのですが神様がよいと思ったら導いてくださると思いました。
そして不思議と次に道が開かれて希望していた二階に入居することが出来ました。
荷物の整理などをしていて、押入れの奥から二十年以上も前からの手紙がたくさん出てきて、思わず開けていたら、今はもう天に帰られた方々など、いろいろな方々から、折にふれ励ましのお手紙を頂いて、祈ってくださっていたことを思い感謝でいっぱいになりました。
何もよい働きは出来ず、かえって罪ばかり犯してしまう私ですが、許して下さり、礼拝に参加させて頂いている恵みを感謝しています。
多くの方々の祈りによって支えられていることを思います。私も出来ることをしていかなければと思っています。
(会社員)
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二十一世紀の平和 K.N
「その家に入ったら『平和があるように』と挨拶しなさい。
家の人々がそれを受けるにふさわしければ、あなたがたの願う平和は彼らに与えられる。」(マタイによる福音書十章十二節〜十三節)
二十世紀も後わずかですが、二十世紀には大きな戦争が世界でありました。
たくさんの人の生命が、戦争で失われ、罪のない子供までも数多く犠牲になった。
二十一世紀は、ただ平和な世紀であるように祈りたいと思います。
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バンコクにて Y.S
二〇〇〇年も主の守りのうちにおかれたことを心から感謝します。
今年は私にとって二回目の、海外転居という機会があたえられました。
一足はやくバンコクへ出発した夫のもとへ、子供と向かったのは四月一日のことです。
転勤が決まったとき、七八歳になる父をひとり残すことや高校二年の娘の学校のことなど思い悩みましたが、私たちは、できるだけ家族いっしょに暮らしたいという願いがありましたので、主に祈りつつ準備をしてその日を迎えました。
神様は私たちの思い煩いをすべて解決してくださり、バンコクでの生活をスタートさせてくださいました。
教会生活においても、バンコク日本人教会があり、毎週子供と一緒に礼拝を守る恵みにあずかっています。
その中で、教会はキリストの体であるというおはなしを聞いたとき、私はまたひとつ自分の高慢さをしめされました。
それは、教会に連なるひとりひとりがはみだした部分をけずりながら、ひとつの教会の体となるということでした。
私は慣れない教会生活に少し違和感を覚えて、交わりをおっくうに感じていたのです。
神様は、人を見るのではなく主をあおぎみて、互いに寛容で、謙遜をもって交わることをおしえてくださいました。
今は、教会学校の奉仕を通して、祝福された教会生活を送らせていただきたいと願っています。
バンコクは朝夕は少し涼しいものの、日中は三〇度になる暑さですが、こうして主の恵みのうちにことしも終えられることを感謝します。
(大阪狭山聖書集会所属) バンコク在住
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本当に必要なもの H.S
今年を振り返り、日々の生活の中でもっとも深く心に残った御言葉はつぎのものです。
「神は独り子を世にお遣わしになりました。その方によって私たちが生きるようになるためです。
ここに神の愛が私たちの内に示されました。
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛して私たちの罪を償う生け贄として御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。(ヨハネの手紙第一四章九節〜十節)
神様の愛の本体は独り子イエス様を私たちに与えてくださったこと。
私たちの罪を贖う生け贄としてイエス様をこの世に遣わしてくださり、この方を通して私たちが生きるものとされたこと。
それでもなお こんな大きな愛を忘れて健康や能力や安定した生活などなどの付録として与えられる恵みに心が魅かれる時、本当に必要なのはそれらの恵みではなく、神様への素直な信頼と神様との豊かな交流「祈り」であることを深く受け止めることのできた年でした。
(海南讃美堂集会 療法師)
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野の花20011月第14号 後半部へ進む。
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