詩文集 「風のメロディ」 第14集 2012年 今日はです。更新はです。 |
風の中に歌がある
十字架から血を流し あなたを赦し あなたを生かすと語られる 全地に響くキリストの声 風の中に歌がある
あの 美しいやまなみの稜線に 音符をおいたら どんなメロディになるだろう
この さわやかな風に 音符を飛ばしてみたら どんな讃美になるだろう
神様が その大きな手のひらの上に わたしたちを乗せてくださっているから いろんなことはあるけれど 思い切って安らかに生きていこう
支え合って 支え合って 生きていこうよ この地球の上で 誰だってみんな弱さをもっている 失敗だらけで、へこんでばかり だから ひとりじゃ生きていけない
助け合って 助け合って 生きていこうよ おかれたところで
誰だってすぐに間違えることがある 自分のことはなかなかわからない けれど ひとりじゃ生きていけない
ゆるし合って ゆるし合って 生きていこうよ そのままで
主イエスは わたしたちをゆるすために 命を捨ててくださった だから 愛し合って 愛し合って 生きていこうよ この 遠い道を
車の行き交う国道の 走る車のあいだに 桜の花びらが舞う 人はあくせくと しかめ面で車を飛ばす 粉じんと排気ガスの中で 清らかに踊る 桜の花びら 天使の舞
ただ 名前を呼び続けるだけで 心に光を灯してくださる方 ただ まっすぐに見つめるだけで 胸に光を 注ぎ続けてくださる方
きよらかに 太陽のひかりを映して輝く 明け方の金星が かならず夜明けは来るのだと 苦しむものに告げて輝く
すぐに挫折する 簡単に落ち込む だめだな、と思う でもあきらめない ここは決して終点ではない 立ち止まり 祈りを捧げるその場所に いつでも新しく 白いスタートラインがひかれている
きょうは嫌な日だった 感情の波にのまれ 悪い言葉を語った それは 御心にかなわないことだった ああ ここが分かれ道なのだ サタンは笑い 主はわたしを見ておられる なりふりかまわず すぐに祈ろう 主よ おゆるし下さい ゆるしてくださるまで祈ります どうかわたしを清めてください きょうは嫌な日だった 感情に負けてしまった日だった しかし主よ 感謝します この あふれるような赦し 罪を示され キリストの十字架なしでは生きていけないことを 知らされるとき わたしの心は安らぎと喜びで満たされる
きょうは、いい日になった
この重い十字架を 悲しみではなく ただ あなたからのものと信じて 負う この苦しい出来事を ただ 十字架を信じて 負う
そしてわたしは あなたにほほえむ
命日は嘆く日ではない 愛するその人が いちばん喜ぶように生き 愛するその人の 命を生きていく 命日は その思いを 再び心に刻む日
太陽は金星に言いました わたしが沈んで見えなくなって 夜が来ても わたしは存在し 再び昇ることを しっかりと人に知らせてください
頼まれた金星は 力の限りに輝いて 命がけで 光の存在を告げている
突然の大雨 窓も屋根も畑も どかどかと雨に打たれる 主よこれほどに 聖霊を注いで下さい
雨上がり 野原をわたり風が吹く 主よこのように 聖霊を注いでください
小さな事で心が騒ぎ これはひとこと言っておかなければ! 相手のためにも!! と、正義感を振りかざして 実はちょっと怒っている。 ふと カレンダーに目がとまる 今月ももう終わりだ 新しい月がはじまったと思えば すぐに中旬 そして、また新しい月に移る
この 驚くような時の流れの速さ あっという間に月日は過ぎ去る そして死んで 主イエスの前に立つのだ
ああ どうでもいいことに力を注ぐのはやめよう 神様は愛 大切なことだけを見つめていよう
そう思うと 腹を立てていたことは 本当につまらないことだったとよくわかる
目の前に 小さな草 目を上げると 優しい木 また目を上げると 遠くに山 目を上げると 深い空 また目を上げると そこにキリスト
この世の 思い煩い 心配 不安 それから 楽しみ 愛しさ よろこび 疲れ 倦怠 悲しみ 感謝
水面に映る葉陰のように 揺れ動く さまざまな感情を すべて身にまといながら そのままで 主の十字架の前に ひざまずく 行き着くところ
押さえられないほどの 悲しみや苦しみにさいなまれていても 時の川はその上を流れていく
飛び上がりたいほどの 喜びと感動に包まれても 時の川はその上を流れていく
黒い絵の具も赤い絵の具も 川に流せば流れの中で消えていく
刻々と変りながら 人も世界も流れてゆき いつか ひとつのところに行く
礼拝という港で あたらしい心をいただいて 船は錨をあげる 出て行く海は荒海 波も高くて風も強い しかし 出て行く船を じっと見守る方がいてくださる
心の荷物をカバンに入れて 重いけれど そのまま背負って 主の前に出る 礼拝の中で 祈りの中で 主によって 重荷は解かれる 空になったカバンの中に 主は何を入れてくださるだろう
仕事に行くとき 土手から国道に出る道はよく混んで 信号を何回か待つ 立ち止まった車から見える 鮎喰川の優しい景色 土手の野草は風に揺れ 川は朝日に光っている ああ、きれいだな 生かされて さあ きょうも仕事、がんばろう! 鮎喰川に見送られて 出勤 国道に出る
真実に生きられない だから赦しが必要なんだ 弱さは決して悪いことではない そこから 主イエスが見あげられるから
愛することも 赦し合うことも 口で言うほど簡単ではない だから 助けていただくんだ
弱さを正直に告白して そこに 主イエスがきてくださるから
土手の道ばたのチガヤの白い穂が 初夏の風にいっせいに吹かれて 風のピアノを弾いている
新緑の山をじっと見つめていると 山は両手を伸ばして 包み込みにきてくれる
近くは緑 遠くは青 それから 山の青は空に溶ける
土手の道を車で走る 仕事の帰り道 右側には夕焼けの空 左側には鮎喰川 行く手には青い山々 この美しい世界を まっすぐに走る この道は 罪赦された 喜びの道
土手の道に カラスムギ ヒメジョオン 一列に いろいろな野草が並ぶ 車が通るたびに いっせいにふわっと揺れる 野草たちは 揺れるたびに うれしそうに笑い転げている
こわい 不安 眠れない 悪口が聞こえる イライラする 苦しい どうしたらいいかわからない 死にたい 帰りたい 帰りたくない 助けて 毎日 毎日 さまざまな訴えを聞く精神科病棟 そのすべての苦しみを 目には見えない主の祭壇に捧げます どうか この苦しみを顧みて 喜びの歌声に変えてください
夕べは眠れた ごはんをたべた 久しぶりにテレビを見ている 朝から新聞読んでいる ああ きょうは「ありがとう」って言ってくれた 患者さんたちが良くなって 当たり前の生活ができるようになることがうれしい どうか早く元気になって バスにも乗って スーパーにも行って 大変だけど 社会の中で生きていくことができますように 神様は じっと見守っていてくださるから
病気の苦しみは 昼も夜も関係ないから 看護師は昼も夜も寄り添って ナースコールひとつで とんでいく 感謝されたり ときにはののしられたり たまに理不尽な要求 それでも患者さんのそばに行く 日勤、夜勤と引き継ぎながら 台風の日はハラハラ運転 少々の不調は無理をしてでも とにかく出勤 夜勤はきつい ふらふらのぼろぼろ でも 患者さんは待っている ナースコールの嵐の中 患者さんの命を守り 元気な笑顔を取り戻すために 看護師はきょうもみんなで 力を合わせて戦っている
水田に稲の苗が植えられた 五月の田は 地の上が 一面に美しい湖
喜びの歌にも聞こえる 悲しみの歌にも聞こえる 懸命に歌う 田んぼのカエルたち 生きて 生きて とにかく与えられた 命の限り鳴いている
ただいま! この世の思いに 心を奪われ 右往左往していても ひざまずいて祈れば 主は近づいてきてくださり わたしは 神の御手の中に また帰る ただいま! ここがわたしの本当の家
「神様」と 祈ればすうっと 心に優しい光が流れてくるのは
いつも いつでも
扉の外で 神様は待っていてくださるからなんだな
ひとつの祈りで 心が解放されるとき わたしの心も体も キリストに結びついていなければ 何の力もないということを また知らされる
日曜日 主よ 世界中の祈りに応え この丸い地球全体を 聖霊で包んでください どこかの星でみている誰かが きょうの地球は特別輝いているねと 驚くほどに そして 誰も知らないところで苦しむ人たちが 聖霊によって 喜びの歌を歌えますように 世界中の祈りに応え この痛む地球を憐れんでください
何もできなくてもいい なしてくださるのは神 わたしはただ 心を天に向け この どうしようもない手と心を 十字架に差し出せば あとは、主がなしてくださる
心が壊れそうになった 試練の日 わたしは光を見失い じたばたと焦って 祈った 叫んだ 心は静まらず 主よいつまでですかと 叫び続けた日々 ああ みことばの力よ 状況はまったく変らないその中で 突然に わたしの心は癒される
月と金星と木星が 三つ並んで讃美する 特別な夜 ソプラノは誰? 夜風がタクトを振ると 美しいコーラス 天に響く
患者さんに 通りすがりに手を振ると 元気になった患者さんが 笑って手を振ってくれた
風のような一瞬のとき でも ああ 生きていてよかった! といえるほどの喜び
わたしは 落ち込みながら 国道を車で走っていた 赤信号で止まった キリストの名前を 声に出して呼んでみた そして 思いを全て差し出した なんということだろう キリストの御手が触れ 安らぎの中で 発進した 青信号
みことばが 夜空におかれて 星になった
聖書という 紙とインクでできた この本が 人を変え 世界を変え 生きている 神のことばのふしぎさ
レントゲン写真をとるときに 撮影の位置を決めるために 十字のラインの影が 患者さんの体に映る 身代わりに 苦しみを負って下さる 患者さんの 十字架を思う
こんな小さな事で疲れたり嘆いたりして 本当にお前はどうしたことだろう 必要を全て与え 愛する者で取り囲み 先に後ろに守り導き 危険から何度助けたことか わたしは命をかけて お前を愛しているというのに どうしてこちらを見ないで あえて小さなことを 目をこらして見つめるのか どうでもいいことを お前の必要のために与えた ささやかな訓練でさえ 文句を言っては背を向ける 十字架で苦しみ抜いて命を捨てたのは お前のゆるしがたい罪を 全てゆるすためだった それほどに お前を愛しているというのに ほんとうにお前は どうしたことだろう
「かたくななこの心を常に砕き 主よ 憐れんでください」
二〇一一年十一月神戸で行われた阪神アシュラムに参加しました。 二〇十二年一月琵琶湖畔で行われた年頭アシュラムに参加しました。 以下四編はそのときに書いたものです。 (一部アシュラム誌に阪神アシュラム感想として掲載された詩も含みます)
わたしはどこに行っていたのだろう わたしは誰に出会ってきたのだろう 不思議な三日間だった 聖別された、空間 そこは地上であって地上ではないような 天上の清らかな白い雲の上にあった気がする 「母の家ベテル」という家 近鉄神戸線のすぐ横で電車の走り抜ける音が響く それは、天使の讃美 電車までが母の家に祝福を送っている そこで働くシスターとよばれる人たちのまなざしは 懐かしい湖のような深さと清さ そこにいるだけで聖なる風が吹く キリストの香りとは ああ、こういうことを言うのだ 百合の花のような清さを放つ人たち その中で祈り待ち望むとき 神はふしぎな語りかけをくださった 祈りを確立しなさいと そして自分の平和ではなく 他者の平和を祈りなさいと 風が吹くように示された 神様はこれから始まる小さな祈りを きっと祝福してくださる 御言葉と祈りが与えられ 主に少し近づくことがゆるされた ここは天の扉
夜明け前の早天祈祷会 暗闇の中で目を閉じて祈る。 小鳥の声が聞こえ始める 祈り終えて目を上げると 夜は去り 朝の光がうっすらと差す 新しい光が 今、ここに与えられる
小さな祈り 神様はそれを大きく祝福してくださる 小さな祈りは 手のひらに乗るほどのもの 木の葉の上に乗るほどのもの もしかしたら スプーン一杯のものかもしれない
それでも この小さな祈りを 神様が祝福しようとしてくださっている からし種が大きくなって 小鳥が歌を歌いに来るほどに 五つのパンが増やされて 多くの人がお腹いっぱいになるほどに。
京都発十八時十分徳島行 アシュラムからの帰りのバス 八人ほどの少ない乗客 雨の降る夕暮れ 心はアシュラムの余韻に満たされ 徳島まで静かな時を過ごしたかった。 のに! かなり騒々しい乗客がわたしの後ろに座って とめどなくしゃべり続ける そのうえ大風で こわいほどにバスは揺れる ああそうだ わたしはすでに 騒がしい現実に帰っているのだ 静かでも穏やかでもない 現実の世界 ここでわたしは生かされていく 心を静め同乗者の祝福を祈る 主よわたしに あなたの道を歩ませてください
アシュラムとはインドの言葉で「退修」という意味でスタンレー・ジョーンズ博士によって日本に紹介されたもの。祈りの生活をもって御前に自らを整え、今日における主の御委託にこたえんというのがその願いです… (アシュラム誌に記載されている説明より) 日本では榎本保郎氏が広げられ、現在は榎本恵氏が主幹牧師となっています。聖書を黙して読み、御言葉に聴き、共に祈り合うという超教派の集まりです。
一日中遊んではしゃいで 子供はどろんこになるけれど お風呂に入って きれいにあらって それからゆっくりと眠る 大人も この世の波でこころがどろんこになって 疲れてしまうけれど 祈りのシャワーで 主にきれいにしていただいて それから ゆっくりと眠ろう
一日の疲れの中で ざわついた心のまま 湖面に浮かぶ キリストの舟に そっと乗る ゆうら ゆうらと主の舟に揺られ 心は静かに癒されていく
こころが キリストを求めて もがいている 自分のこころなのに 自分で捕らえられず 定まらないみじめな魂よ こんなときは ただ 待っていよう もがきながら 待っていよう キリストは 必ず来てくださる いやすでに 来てくださっているのだから
こころ うなだれて ふと 夜空を見あげると 金星が輝く
金星は笑っている
罪を見ないで赦しを見て 自分を見ないでキリストを見て そして 笑っていてと
金星が告げる
この 山積みの問題の中で
ほっとできる
キリストの霊の ふしぎさ やさしさ ありがたさ
どんなにもがいても 過去に戻ることはできず 過ぎ去った罪が 心を絶望に引き下ろす 救いのないわたしだった
このわたしの罪を 全て引き受けて 身代わりに罰を受け 十字架で苦しんで殺されたキリスト ただ キリストのあがないによってのみ 今 わたしは生かされている
いつか 主に会える そのときまで 歌い続けるメロディ 毎日は忙しくへとへとになり どうしようもない自分をもてあますけれど それでも どこからか聞こえてくる 優しい 風のメロディ
だから 主に会える日まで 歌い続ける
小さな詩集が十四集めになりました。 主の守りと導きを感謝します。 この詩集を手にしてくださり、ありがとうございます。 皆さまの上に神様の祝福が注がれますようにお祈りします。
二〇一二年八月一日 |