野草と樹木たちアルバムページ(1)
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今日は です。
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草花索引(こにはページでは、アケボノソウからシュウカイドウまでの100枚を収録)
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全てのアルバムページはこのページ操作に準じます。
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但し、徳島聖書キリスト集会代表者以外の撮影した写真には、
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アケボノソウ
サクラ
アカネ
アカネ
アキチョウジ
アケビ
アケビ2
アケボノソウ
アケボノソウ2
アマドコロ
イズセンリョウ
イチジク
イヌドクサ
イワタバコ
ウメ
#紅梅
#紅梅2
エビネ
オオキンケイギク
オカトラノオ
オカトラノオ2
オトギリソウ
オトコエシ
オニユリとナガサキアゲハ
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カエデ
ガクウツギ
ガクウツギ2
カジイチゴ
カラスウリ
カラスウリ2
カラタチ
カラタチバナ
カラタチバナ2
カワラナデシコ
カワラナデシコ2
カワラナデシコ3
キチジョウソウ
クサイチゴ
クサノオウ
クチナシ
ゲンノショウコ
ゲンノショウコ2
コウヤボウキ
コバノタツナミ
サクサイチゴ
シラヤマギク
シロツメグサ
スイカズラ
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スイカズラ2
スイセン
ススキとシオン
スズメウリ
セントウソウ
セントウソウ2
センニンソウ
センニンソウ2
センニンソウ3
ダイコン
ダイコンソウ
ダイコンソウ2
ドクダミ
ナガバモミジイチゴ
ナツズイセン
ナツミカン
ナツメ
ニリンソウ
ヌスビトハギ
ネジキ
ハンカイソウ
ハンゲショウ
ヒイラギ
ヒトリシズカ
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ヒトリシズカ2
ヒメコバンソウ
ヒメハギ
ヒヨドリジョウゴ
フキノトウ
フジ
フユイチゴ
フユイチゴ2
ホトトギス
ホトトギス2
ホトトギス3
マツヨイグサ
マントカラカサタケ
マンリョウ
ミゾソバ
ミツバアケビ
メハジキ
モミジイチゴ
リュウノウギク
リュウノウギク2
レブンウスユキソウ
レンゲ
水を飲むメジロたち
大里(おおさと)海岸
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←ウメ わが家にて
2005.1.27
ウメは古来から広く親しまれています。その花の姿や色、ほのかな香り、そして果実、それぞれが愛され、用いられてきました。他の草木がほとんど、まだ固い芽の状態で、花も咲かせることができない寒いただなかにこのような美しい花を咲かせることのなかに、自然の多様性を感じさせられます。この写真にあるように、梅の花の美しさは言うまでもないことですが、つぼみもまた独特の美しさがあります。
人間においても、神の霊を受け、いのちの水を受けるなら、次第に花を咲かせていくことができるのがわかります。しかし、まだ花を咲かせるに至らない、つぼみのようなキリスト者であっても、神はまたそれはそれでつぼみらとしての美しさを現して下さるのです。
ウメはその花を味わうと共に、クエン酸を多く含む栄養食品でもあり、またおにぎりという日本人に最も親しまれている食品の材料としても親しまれていることから、古代より現代に至るまで老若男女いずれの人たちにも親しまれ、重要視されています。
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聖書の書かれた地域では、やはり冬に、梅によく似た花を咲かせる樹木として、アーモンドがあります。私も以前にシナイ半島や、イスラエルを訪れたとき、その白い花のアーモンドの花を見たのを覚えています。聖書では、このアーモンドが、他の樹木がみんな眠っているようなときにはやくも目覚め、白い花を咲かせているので、その様子は、神がこの世を見張っていることを連想させ、この世を見つめる神の深いまなざしを象徴的に示しているとして取り上げられています。(エレミヤ書1:11-12)
私たちもまた、この世が正しい歩みをしているかどうか、神の言葉がいかになし遂げられているのかといったことについて、つねに心の目を開いているようにとうながされるのです。主イエスも、「目を覚ましていなさい!」と繰り返し強調されたのもこのような意味からです。
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アガパンサス→
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←アカネ
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アカネ→
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←ミツバアケビ 徳島県小松島市日の峰山 2003.4.17
アケビとは、「開(あ)け実」から来たとも言われています。
秋10月頃に、大きな、ほんのりうすい赤色になった実が、真ん中からぽっくり割れて、柔らかな実の内側から、種をたくさん持ったすがたを見せるようになります。
あまい果肉はわずかしかありませんが、その秋らしい姿、色合いなどとともに心ひかれるものです。
しかし、このアケビの花を知っている人はごく少ないと思われます。
つる植物では、フジとともに、5本の指に入る名花だと言われます。
たしかに初々しい新緑の葉とともに、ほかに類のないような形の花をたくさん咲かせる姿は心に残るものです。
新芽の出る少し前までは、ただ枯れたような、つるだけが見られたのに、春になるとたちまち新芽を出して、このような美しい花を咲かせます。
植物は最も身近にあるものですが、そのさざまの色や形の神秘を思うとき、こうした植物を創造した神の御手を思わずにはいられません。
なお、わが家は日の峰山を少し上ったところにあるので、遠くの山に行かなくともこうした自生の植物に出会うことができます。
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ミツバアケビ 徳島県小松島市日の峰山
2003.4.17→
アケビとは、「開(あ)け実」から来たとも言われています。
秋10月頃に、大きな、ほんのりうすい赤色になった実が、真ん中からぽっくり割れて、柔らかな実の内側から、種をたくさん持ったすがたを見せるようになります。
あまい果肉はわずかしかありませんが、その秋らしい姿、色合いなどとともに心ひかれるものです。
しかし、このアケビの花を知っている人はごく少ないと思われます。
つる植物では、フジとともに、5本の指に入る名花だと言われます。
たしかに初々しい新緑の葉とともに、ほかに類のないような形の花をたくさん咲かせる姿は心に残るものです。
新芽の出る少し前までは、ただ枯れたような、つるだけが見られたのに、春になるとたちまち新芽を出して、このような美しい花を咲かせます。
植物は最も身近にあるものですが、そのさざまの色や形の神秘を思うとき、こうした植物を創造した神の御手を思わずにはいられません。
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なお、わが家は日の峰山を少し上ったところにあるので、遠くの山に行かなくともこうした自生の植物に出会うことができます。
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←アケボノソウ リンドウ科 001.10 徳島県美馬郡
秋の山の野草のうちでも、とりわけ心に残るのがこのアケボノソウです。
センブリという有名な薬草を見たことのある人は、どこか似ていると感じるはずです。
この花はセンブリと近い種類だからです。
小さい花びらに繊細な模様がついています。
この斑点があけぼの(夜明け)の星に似ているとのことでこの名が付けられています。
どこにでもある花ではなく、現在では残念ながら減少していく一方のようです。
30年以上前に、標高800メールほどの山の谷間でひっそりと咲く姿に出会ったのが初めてでしたが、このごろはもう長い間出会う機会がなかった花です。
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アケボノソウ 徳島県海部郡
2002.10.22撮影→
山のやや日陰の谷川沿いなどにはえています。
今から30年ほど前は、比較的あちこちの山間で見られたものですが、最近では少なくなっているようです。
その花のすがたと、花びらの模様を見るとだれもが、心惹かれる思いになるような花です。
この写真は、県南の聖書の集会に行く途中の小さな谷間で見つけたものです。
アケボノソウ(曙草)は花の白い色が明け方の空をで、花びらに見られる小さな点を暁の星と見立ててつけられたと言われています。
小さな花びらに繊細な美しい模様がついていて、神の創造のわざに驚かされる花の一つです。
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←アケボノソウ リンドウ科 001.10 徳島県美馬郡
秋の山の野草のうちでも、とりわけ心に残るのがこのアケボノソウです。
センブリという有名な薬草を見たことのある人は、どこか似ていると感じるはずです。
この花はセンブリと近い種類だからです。
小さい花びらに繊細な模様がついています。
この斑点があけぼの(夜明け)の星に似ているとのことでこの名が付けられています。
どこにでもある花ではなく、現在では残念ながら減少していく一方のようです。
30年以上前に、標高800メールほどの山の谷間でひっそりと咲く姿に出会ったのが初めてでしたが、このごろはもう長い間出会う機会がなかった花です。
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アキチョウジ 徳島県剣山 2002年8月25日送付→
青紫の花は心がとくに惹かれるものが多い。
ウツボグサ、クガイソウ、リンドウ、タツナミソウ等などいずれも、多くの人々に愛されている。
こうした花の青い色は大空や海の青などと共に、澄んだ深みのあるなにものかを感じさせてくれる。
私たちは、だれでもそのような深さと澄み切ったものを魂の奥底では求めているのではないだろうか。
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←アマドコロ 2002.4.20 徳島県小松島市
緑と白の控えめなたたずまいの花は、だれもが心ひかれるような雰囲気をたたえています。
茎から下に垂れた、白くて細長い花の先に緑色がぼかしのように入っている様は日本で自生している花としては珍しいかたちのものです。
20~30年ほど以前には、我が家のある日峰山の谷筋にこの花がいくつか自生しているのや、尾根筋にもだれにも気付かれないようなところにひっそりと咲いていたのを見たことがあります。
しかし、最近はもう見かけなくなってしまいました。
この仲間には、ナルコユリや、ホウチャクソウなどがありますが、私は前者は長野県でたくさん自生しているのを見たことがありますが、徳島県内ではまだ見かけたことはありません。
ホウチャクソウは徳島市周辺の山にも時折みられます。
アマドコロという名前はトコロ(ヤマノイモに似た、オニドコロという植物)に似た地下茎が少し甘味を帯びていることから。
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ダイコン→
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←ダイコンソウ (バラ科)
徳島県小松島市日峰山 2004.7.20
この花は、初夏から7月も終わりに近づいた現在に至るまでずっと咲き続けています。
山道などで時折出会うことがあります。
もうずっと前からわが家の周辺で自然なかたちで咲いているものです。
鮮やかな黄色のこの花は、私たちをじっと見つめているかのようです。
こうした植物の花や、樹木のたたずまい、あるいは大空の空や星、夕日に輝く雲、山々の動じることなき姿…などなど、自然の事物は、神の直接の被造物なので、神の清さや雄大さ、力など、そのお心の一部がそのまま現れているように感じます。
私たちが神に真実な心をもって向けるとき、しばしば神もまた私たちを見つめていて下さるように感じますが、同様に、自然の星や植物なども、私たちが心を注ぐとき、それらも私たちを見つめているかのように思えてくるものです。
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なお、この植物の名は、下部の葉が大根の葉に似ているということで、このような名となっています。
(この写真は上部なのでわかりません。)
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ダイコンソウ→
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←ドクダミ 2001.6.1撮影 徳島県小松島市にて。
この花は、白い十字架の形をしていますので、
ヨーロッパでは教会の庭に飢えるところもあるということです。
葉は最も有名な薬草の一つとして広く知られています。
この葉が独特のにおいを持っているために、この白い美しい花まで関心を持たない人が多いようです。
しかしこの花は、じっと見つめていると、だんだんその良さがわかってきます
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エビネ→
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←フキノトウ 2003.2.27 我が家にて
白と黄緑色の控えめな花のすがたですが、まだ寒いうちからこのように花茎を立てて春を告げるため、花としても好まれることの多いものです。
ウメやスイセンも同様で、寒さ厳しいなかに咲く花というのは、私たちの心にも、あるメッセージを伝えてくれるものです。
人間においても、きびしい環境におかれているのに、霊的に目覚めていて、花を咲かせる姿は心惹かれるものがあります。
上の写真にみられる、フキの若い花茎(かけい)をフキノトウといい、葉柄とともに食用、薬用に用いられます。
若いフキノトウはみそ汁などに入れると独特の春の野の香りと味わいがあって、好む人も多いようです。
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フユイチゴ→
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←フユイチゴ
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フジ
徳島県名西郡神山にて 2004.4.29→
このフジの見事な花は、徳島市から30キロほど西の山深いところに、谷の向こう側に咲いていたものです。
撮ったところからはかなり距離があったのですが、拡大して写したものです。
私たちが県内で見るフジはノダフジが多いようです。
香川県と徳島県の県境付近の山では、ヤマフジが多いのを見ています。
ノダフジは、つるは右巻きで、花の房が長く、30センチから長いものでは90センチにもなるのがあります。
また、花は上の方から順次咲いていきます。
ヤマフジの方は、花の房が10~20センチと、ずっと短く、つるも左巻きで、集まっている花の一つ一つはヤマフジのほうが大分大きく、花もほぼ同時に咲き始めるといった違いがあります。
ふつうは私たちはあまりこのように観察していないので、どれでも同じものだと思ってしまうのですが、よく似たものでも、このようなはっきりとした違いがあり、それぞれに個性が与えられています。
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フジは、多くの人名にも使われています。
藤原、藤川、藤山、藤田…。 こうしたことからも日本人にフジが愛好されていたあとがうかがえます。
その姿、かたち、そして色も美しく、山野のみどりあふれるただなかに静かにその美しい花を咲かせているすがたは、日本的なよさを感じさせます。
あちこちのフジ園で見かけるのは、ノダフジが多いようです。
これは、日本原産です。
なお、ヨーロッパにはフジはなく、日本のフジとよく似た中国のフジが、1816年に紹介されたと、アメリカの植物図鑑に記されていることをみると、ヨーロッパの人たちはこの美しい植物は200年ほど前にようやく知ったということになります。
私の手元にある、ヨーロッパの植物図鑑には、このフジの説明文を a noble climber(気高い つる植物)
という言葉から始めていることからも、フジの気品ある姿が西欧の人の心にも印象的であったのがうかがえるのです。
植物は時として、ブナやトチノキ、マツ、スギの大木のように、見るものの心に強い印象を残すような力を与えてくれるものがあり、また、いっせいに芽吹く春の新緑は神のいのちを感じさせ、またこのフジのようにある種の気品を伝え、また天国の香りをたたえたもの、神の世界にある美をほうふつとさせるものなど、人間に精神的なさまざまのものを与えてくれるものとなっており、まさに「聖なる書」だと言えます。
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←ガクウツギ 徳島県海部郡 2003.5.5
この花は、山のやや日陰になるところに今頃の季節には、よく見かけます。
簡素で単純なたたずまいの花、真っ白いこの花びらは、じっと見るものに、何か神の国の清い雰囲気を感じさせてくれます。
「真っ白い衣を着て、手にナツメヤシの枝を持って、大声で叫んでいる人たち、彼らは大きな苦難を通って、小羊(キリスト)の血で洗って白くされた」とあります。(黙示録7:9~14参照)
この花は、そのような清い白を連想させてくれます。
私たちの心がこのように、かぎりなく清められ、白くされるとき、それは地上においてはできないことで、私たちが地上を去るときに、与えられることなのでありましょう。
「主の栄光のからだと同じように変えられる」(ピリピ書3:21)との約束に従って・・・、」
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ガクウツギ 徳島県海部郡
2005.5.10 →
この花は、やや日陰のしめったところに咲いていることが多いので、この花の純白がとくに目立ちます。
この花は、すぐわかるように、アジサイの仲間です。
白い花びらは持った花は装飾花で、雌しべや雄しべが退化して種ができないものです。
そばにある小さい花が、雌しべと雄しべを持った両性花です。
その装飾花が、額のように囲んでいるガクアジサイと似た花なので、ガクウツギという名になっています。
(なお、この花は、ウツギという名がついていますが、ゆきのした科 アジサイ属であって、5月の花として有名なウツギ(卯の花)は、同じ科のウツギ属です。)
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この花は、そのすがたとその白い花びらが、私たちへのメッセージを感じさせてくれます。
この花は、花屋によくみられる色鮮やかなセイヨウアジサイと違って、とても静かで、素朴なものを見るものに与えてくれます。
サクラやウメ、ジンチョウゲなどのように、一般の人々の話題になることもなく、ほとんど知られていないのですが、それだけに少し日陰の山間にこの真っ白い花が咲いているのを見るのは山間の自然に清められたなにか感じさせてくれます。(文・写真ともに、T.YOSHIMURA)
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←ゲンノショウコ 徳島県小松島市 2002.10.1
これは、我が家のものです。
ゲンノショウコは、古来有名な薬草で、「現の証拠」とかきます。
これを煎じて飲むと、すぐにその効果(なおった証拠)が現れる、というので、この名があります。
詳しい薬草の書物によれば、つぎのように説明されています。
「古来下痢止めの妙薬として広く応用されているもので、その効果は実に理想的といっても過言ではないくらいである。
腹痛、胃痛、赤痢、疫痢に、おどろくような効用があり、常に胃の弱い人はそれを常用すると最も適当なものとされている。
その他、煎じて服用すると魚肉の中毒、心臓病、風邪などにも、奇効がある。
また、これを濃く煎じた液を切り傷、腫れ物に用いると切り傷などはその痕を残さないほどに効果がある。」(薬用植物事典168P 福村書店刊による)
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このような多くの効果がある薬草ということですが、その花も、白いものと赤紫色のものがあり、可憐な美しさを持っています。
このなかまのうち、四国の高山地帯(例えば剣山周辺の大体標高1500メートル以上の山地)には、シコクフウロという花があり、夏には、美しい薄紫のやや大きい花をたくさん咲かせて目をひきます。
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ゲンノショウコ 徳島県小松島市 2004.9.24
後ろの黄色の花はダイコンソウ。→
これは数多い薬草の中でも、最もよく一般の人にも知られ、用いられてきたものと言われています。
実物が咲いているのを見たことがない人でも、名前は聞いたことがあるという人は多いはずです。
薬用植物辞典によれば、「古来、整腸剤としてその効果は実に理想的といっても過言でない。
腹痛、胃痛、急性腸炎などに効果あり、胃の弱い人にも常用すると最も適当」などと記されています。
効果がすぐに「証拠として現われる」ことから、ゲン(現)ノ ショウコという名がついているし、「医者いらず」という別名もあるほどです。
なお、この植物の学名に、Geranium (ゲラニウム)という語が含まれています。
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(*)これはギリシャ語で、ゲラノス geranos
と書き、「鶴」という意味で、花の終わったあとの実が、鶴のくちばしのような形だからです。
花屋さんでたいてい見られるし多くの家庭でもジェラニウムとして知られている花はこれと同じ仲間です。
この植物は野生でかなり高い山から平地にも見られます。わが家には野生化してずっと以前から咲いています。
剣山付近の赤い花のゲンノショウコや印象的で、神戸の六甲山でもやはりその赤い花が美しい姿をみせているのに出会ったことがあります。
そしてこの仲間は、これより花も大きくて、美しいものもあります。
徳島県の山好きな人ならたいてい知っているのは、四国第二の高峰である、剣山付近の高山によく見られる、シコクフウロです。
7月~8月に剣山に登ると、標高1500メートル以上の付近ではシコクフウロが多く見られ、サラシナショウマやオタカラコウ、レイジンソウなどと共に、剣山のお花畑でよく目立つものです。
植物はその花が美しく、またケヤキやスギ、マツなど大木となると、樹木の形自体が力強く美しいのもあり、また食べて食物となり、また香りもあったり、葉の色も心を安らわせ、酸素を生み出し、さらにしばしばこのゲンノショウコのように薬用にもなります。
そのうえ、強い風のときには、心を引き締めるような重厚な音楽を奏でてくれます。
先日の台風のときに裏山に登ったとき、山全体の木々が壮大な音楽を奏でて圧倒的な力で私に迫ってきて、神の力の果てしないことを実感させてくれました。
植物は沈黙を保ちつつもこのように実に多様な働きをもっているのは、神の手作りの作品で、そこに無限の内容がこめられているからです。
(*)学名とは、ラテン語を主として用いたもので、世界共通の名で、属名と種小名、命名者からなっています。ゲンノショウコの学名は、Geranium thunbergii SIEB.et.ZUCC
で、Geranium が属名です。なお、ゲンノショウコというのは、学名でなく、標準和名といいます。
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←ハンゲショウ 徳島県小松島市(わが家の庭) 2004.7.05
この植物の名前は、夏至(げし)から11日目の7月2日ごろ、梅雨明けの時期を半夏生(はんげしょう)というので、その頃に咲くからという説明と、上部の葉が半分化粧しているようになっているからとも言われたりします。
これは薬草として有名なドクダミのなかまであると言われるとその葉や花の形がどこか似ていると感じるはずです。
いずれも花びら(花弁)も、ガクもない花です。
ドクダミは白い花びらのようなものがありますが、植物学的には花びらではありません。
ハンゲショウの花は花びらもないめしべとおしべだけの地味なものですが、葉が上部のところには白くなるという珍しいものです。
それによって白い花のような雰囲気をたたえています。
緑と白の組み合わせは、落ち着いた静けさを感じさせてくれます。
花の地味なすがたを葉が白くなることによって補い、独特の美しさを表しているもので、このような植物に接すると、このように創造された御方(神)の私たちへの心を感じさせてくれる花です。
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ハンゲショウ→
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←ハンカイソウ
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ヒイラギ モクセイ科 徳島県小松島市 01.11.10→
11月の中頃に上のような芳香のある花を咲かせます。
この写真のヒイラギはほとんど葉に鋸歯(きょし・ギザギザのこと)がありません。わずかにごく一部の葉にあるだけです。
若い木には葉に、鋭い鋸歯(トゲ)がありますが、歳月を経たヒイラギは次第にその鋸歯がなくなり、このようになめらかな葉となります。
ヒイラギというと、あの鋭いトゲを思い出す人がほとんどで、純白の芳香ある花が咲くということも知られていないようです。
夜の寒気のなかを、このヒイラギの花が咲いている側を通って帰途につくとき、心の中まで香りが流れてくるようです。
なお、クリスマスに使われるヒイラギと言われる植物はセイヨウヒイラギで、赤い実がついていますが、あれはモチノキ科で、このヒイラギは黒い実をつけ、これとは植物学的には、科も違う、別の植物です。
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←ヒメハギ
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ヒメコバンソウ 01.5.12 →
実が小判のような形をしているのでこの名があります。
これよりだいぶ大きいものがコバンソウです。
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←ヒトリシズカ
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ヒトリシズカ→
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←ヒヨドリジョウゴ
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ホトトギス→
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←ホトトギス
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ホトトギス わが家の庭にて
2004.10.15 →
この花は、わが家の庭にて半野生状態となってもう長年咲き続けているものです。このように、石の間から自然に生えてきて 美しい花を咲かせています。
この花の名前は、ホトトギスという鳥の名をもらっています。
鳥のなかでも、とりわけ印象的な声で鳴く、ホトトギスの胸毛のまだら模様と似ているためです。
ホトトギスはわが家でも6月ころにその特徴的な強い声で、何かを呼び覚まそうとするような、強い意志を感じさせる声で鳴きますのでその声が聞こえてくると聞き入るものです。
ホトトギスという名前のついた野草は、徳島県の山地では、ヤマジノホトトギスというのが比較的よく見られます。
これは秋のさわやかな山路を歩いていて、ふと見かけることがあると、心がなごみます。
そしてその素朴な美しさ、沈黙のゆえにかえって多くのことを語りかけるその姿にしばし見入ったことがしばしばありました。
最近はもう山に歩く機会がなくなっているのですが、かつて見かけたその姿は今も心に刻まれていて、秋の頃になり、わが家でこのホトトギスがみられる頃になると、誰一人いない山道で見かけたヤマジノホトトギスのことや、学生の頃に、由良川源流地帯に数日かかって京都から入ったところで見かけた野生のリンドウたちのすがたを思い出します。
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こうした清い美しさは、人間が造り出すことはできないものであって、人が見ていようといまいと関係なく、咲いていて神を讃美しているそのすがたに出会うとき、私たちの心に特別な印象を残すものです。
なお、ホトトギスの仲間は、ここに触れたもの以外にヤマホトトギス、キバナノホトトギスなど10数種があります。
(文・写真とも T.YOSHIMURA)
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←イヌドクサ
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イチジク→
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←イワタバコ 徳島県 中津峰山にて
この花は、野草らしい自然な美しさをたたえていて、夏の暑いときにしめった岩かげに咲くこの花を見いだすと、だれでも、まず驚き、そしてほっとするような気持ちになるのではないかと思われます。
徳島市郊外の五滝という、小さな滝が5つほど連続して見られるところがありますが、その滝のかかる岩肌に水しぶきを受けながら咲いているのを30年以上も前に初めて見たのが今も印象に残っています。
イワタバコという名前は、岩壁にはえ葉がタバコに似ているからです。なお、この柔らかい葉は胃腸薬になり,また食用にもなるということです。
夏の山は木陰であっても、歩くだけでも暑く疲れます。しかし谷間にあって、渓谷の流れの清さと水音の響くなかで、この花は天来の水を飲むような心地にさせてくれたのです。
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(なお、中津峰山は、標高約 773mの山で、かつてまだ時間の余裕があったときに、一人で、また生徒たちとともによく登った山で、我が家から10キロほど隔てて、正面にいつも見えている山です。)
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イズセンリョウ 徳島県小松島市日峰山 2001.12..20→
谷間の日があまりあたらないところで、ひっそりと咲き、実をつけるのが、このイズセンリョウです。
センリョウは、正月などによく飾られる赤い実で知られていますし、他にも赤い実を冬に見せてくれるのは、多くあります。
マンリョウ、カラタチバナ、ヤブコウジ、ノイバラ、アオキ、サルトリイバラ…などなど。
しかし、このように白い実をつける植物も少数ですが、見られます
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←カエデ’(大分県にて)
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カラスウリ (我が家にて)→
いつのころからか、我が家の前のあたりにてこのようなカラスウリが見られるようになった。
花は、白いレース編みのような珍しい花であるが、実もまた赤いよく目立つ色で晩秋を彩る植物と言えるだろう。
自然のなかには、こうした色彩の変化をあざやかに示すのもかなりある。
こうした多様なすがたによって、私たちが、それらすべての創造者である、神とキリストに向かうようにと勧めているようである
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←カラスウリ 徳島県小松島市 我が家にて 2003.11.05
カラスウリは、晩秋から初冬にかけて、このように、緑のただなかに、その緑が冬の寒さにおおかた消えてしまったのちも、その鮮やかな朱色の実をとどめて、見る者の目を楽しませてくれます。
緑のなかの赤、それはとてもよく目立つものです。
この実を見つけても高いところや、草木の生い茂るところにあってなかなか採れないことが多いのです。
目で見て、味わってくださいとでもいいたげな様子です。
この実のなかにある種は、かまきりの顔によく似ていて、私も小さい子どものころから、友人たちとこの種を集めてあそんだりしたことを思い出します。
そのころは、この実の色の美しさなどはまるで感じていませんでしたが、いまでは、神の御手による立体的な絵画のような感じを受けます。
この我が家のカラスウリは、だいぶ以前に種を植えてあったらこのように、大きくそだって実をつけるようになったものです。
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雑草のただなかから、春に芽を出して、ほかの雑草や木が繁ってくるまえに、懸命にツルを伸ばしてそれらの草木の上部へとめざましく成長し、太陽を光を受けてこのような実を付けるのです。
人間も力を尽くして、天を仰ぎ、神の光を受けることによって、成長し、実を付けることができるのを思わされたことです。
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カラタチ (唐橘) わが家にて 2006.4.20 →
この植物の名前は広く知られていますが、実際の花を知っている人はとても少ないようです。この名前が有名なのは、次の北原白秋の詩が広く歌われたからです。私自身も父がカラタチを数十年も昔に植えていたので知っていますが、それよりずっと以前の子ども時代から、カラタチの名前は実物でなくこの歌によって心に残っていたのです。
からたちの花が咲いたよ
白い白い花が咲いたよ
からたちのとげはいたいよ
青い青い針のとげだよ
からたちは畑(はた)の垣根よ
いつもいつもとおる道だよ
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この歌にあるように、カラタチは、鋭いとげを持っていますが、花は純白で、控え目な咲き方でそっと語りかけるような花です。カラタチという名前は、唐橘(からたちばな)の略で、これは、中国大陸中部の原産で日本には古代に朝鮮半島を経て渡来したということです。タチバナというのは、食用柑橘(かんきつ)類の総称で、万葉集にも出てきます。
大多数の人はカラタチの花を見たことがないと思われますが、この歌によって日本人の心にカラタチという名前が刻まれ、その白い花を心に咲かせるはたらきをしてきたのは歌の不思議な力によるものです。
そして作詞者の心に忘れられない印象を残したのは、この花の清い白さと、その花の素朴な姿だと思われます。その感動がこの詩となり、数知れない人たちの心にも波のように伝わっていったのでした。
白い花、そしてその咲いている姿も好ましいとき、私たちの汚れた心への天からの水のように感じます。そしてこの花自体が、創造主への讃美をしずかに歌っているように感じられるのです。
歌はこのように、単なる文だけではできない働きをすることがあります。キリスト教における讃美歌も同様で、聖書の言葉が讃美歌や聖歌となって歌われるとき、国を越え、時を越えて多くの人たちの心に刻まれていきます。
(文、写真 ともT.YOSHIMURA)
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←カラタチバナ
冬に赤い美しい実をつける低木には、いくつかあります。
高さの順にマンリョウ、センリョウ、カラタチバナ、ヤブコウジなどです。
これらのうち、最も多く見かけるのがマンリョウです。
実は葉の下に控えめにつけるので、そこに謙遜のすがたを感じる人もいます。
こうした赤い実は花のほとんど咲かない冬の自然にいろどりを与えています。
そして昆虫や、花の少ない季節なので、小鳥たちを支える食料でもあります。
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カラタチバナ→わが家(徳島県小松島市) 2004年1月10日
このカラタチバナという、小さな木は、もう20年ほども以前に、低い山で野生を見つけて、その種を採取して蒔いておいたら、このような株となって、毎年実をつけています。
私がこの植物を野生状態で見つけたのは、わずかにこの一度だけです。石川県などでは、群生しているところがあり、その写真も見たことがありますが、徳島県ではそのようなところはないようです。
センリョウや、マンリョウは有名ですが、このカラタチバナはほとんど知られていないものです。
しかし、晩秋から冬の花のほとんど見られない時期にこのように、冬中赤い実をつけて私たちの目を楽しませてくれます。
実をつけるというのは、なにか心なごむものがあります。
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その植物が成長し、花をつけ、そして結実するまでに場合によっては長い年月を要するものもあります。
実をつけはじめると毎年実を結び続けます。そしてその実がまた新しい植物となって増えていきます。
人間もこうしたよき実を結ぶことができるということが、聖書に記されています。
よくよくあなたがたに言っておく。
一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。
しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。(新約聖書 ヨハネ福音書12:24)
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←カワラナデシコ 徳島県小松島市 2006.8.1→
このカワラナデシコの花のつくりや色調、そのたたずまいは特別です。夏の山を歩いていて、最も美しい花の一つはこのカワラナデシコです。ピンクの花びらの中程から先が装飾のためのように、切れ込み、しかもその先端は上に少しカールしているようになっています。
もう三五年ほども昔、徳島に帰ってきて時間を見付けてはあちこちの山々を歩いていたとき、標高600メートルほどのほとんど人も歩いていない山道にて、予期してはいなかったこの花を見出したときの印象が今もなお残っています。緑一色、そして夏ともなれば四国の山では草木は山道の両側に繁茂してきます。そうしたなかで、すらりと伸びた茎の上に風に揺られながらしずかに咲いていたのです。この花を初めて見出したのは、一般的なルートでなく、山をよく歩いている人でないとたどれないようなコースであり、しかも夏の草深い山は暑くて歩く人はごく少なく、それだけに抜き取られたりすることもなく、自然そのままのすがたを保っていたわけです。
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これが日本では古代から野生で見られるので、ヤマトナデシコと言われます。中国からのナデシコをカラナデシコ(または石竹)、アメリカからのは、アメリカナデシコと言われます。ナデシコの仲間はいろいろありますが、やはり山の自然のなかで咲いているこのカワラナデシコが最も美しいものです。
日本女性のことを、ヤマトナデシコと言ったりするのは、この花のようであって欲しいという願いが込められています。
標準和名のカワラナデシコという名は、河原にも見られるということからですが、私は河原にて見たことはなく、ある地域の大きい川の土手に見られるくらいです。山地でも見かけることは次第に稀になってきています。
なお、この花の学名は、Dianthus superbus
…(ディアントゥス スペルブス)ですが、学名の最初の部分である属名には、(dianthus)
という言葉が含まれています。これは、ギリシャ語のディーオス(dios)と
アントス(anthos)という言葉に由来するもので、dios とは、「神のごとき(divine)、卓越した(excellent)、高貴な(noble)」といった意味を持つ言葉です。また、アントスとは、ギリシャ語の「花」の意ですから、ディアントスとは、「神のごとき花、高貴な花」という意味なのです。
さらに、学名には、superbus という言葉を含んでいます。この語は、日本語にもなっている、スーパーマンとか、スーパースターといった言葉でわかるように、「卓越した」という意味を持つのです。
こうした学名に含まれる意味からしても、この学名を付けた植物学者も、この花をとくに神聖な花、卓越した花として受けとっていたのが分かりますし、ヨーロッパでは実際に重んじられてきたのです。
この花は、神の国の美と清さとを指し示しているようです。(写真、文ともにT.YOSHIMURA)
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カワラナデシコ 徳島県名西郡神山町
2005.7.7→
夏の野山は、緑の深い海のようである。山々は緑、緑、緑であり、そのいのちがあふれるばかりである。そうした緑一色のただなかに、このような美しい色合いの花が咲いていた。これは徳島市から数十㎞離れた山間部での家庭集会に出向く途中に見出したもので、おもわず立ち止まりたいような美しさを持っている。
今回はいつも通っている国道が通行止めであったために、長く通ったことのない、昔からの山道を通ったゆえにこの野草に随分久しぶりに出会うことができた。
柔らかなピンクの花びらがその先ではいくつかに切れ込みが入り、見えざる御手によって天然のはさみが入れられたようである。花びらにこのような切れ込みがなくてもこの植物は何の不自由なく生きていける。それなのになぜ、このような特別な切れ込みが入り、花の姿や色あいがこのように美しくできているのだろうか。
こうした植物を創造された神は、人がその花の美しさに触れることによって、人間の心にもその美しさが伝わり、そこから神の創造の力や究極的な美しさ、清さを見出すようにとの御計画をもっておられるように思われる。
その素朴な美しさのゆえに、この花は日本でも古く、出雲風土記という紀元733年のころにできた書物に記されているというし、万葉集の山上憶良の「秋の七草」の歌にも出てくる。
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ナデシコ(撫子)という名は、その可憐な美しさのゆえに、愛する子供を撫でるような気持で接したくなるということから付けられたという。
中国からきたナデシコをカラナデシコ(唐撫子)または、石竹といい、ヨーロッパ原産のものを、アメリカナデシコというのに対し、この花はわが国に昔からあるので、ヤマトナデシコ(大和撫子)とも言われ、その控え目で清楚な美しさに満ちた花の名が、日本女性を意味する言葉としても用いられてきた。
しかし、この花のもっているような美しさは、日本女性だけをあらわすのでなく、神の国の美しさをあらわそうとして神が創造されたものであり、その美しさは、神と結びつくならば、どこの国の人であっても、だれにでもその魂に与えられるのだと言えよう。
(文・写真ともに、T.YOSHIMURA)
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←カワラナデシコ
2002.07.07 徳島県麻植郡
これは、数多いナデシコのなかまでは、とくに心を惹くものです。
実際の山を歩いているときに、時折見つけることがあります。
それは自然の野草の美しさの典型的なものと言えます。
草が茂っているところにすっとその茎を立てて、この写真にあるような美しい花を咲かせているのに出会うとその場所とともに記憶に留まっていきます。
これは日本にあるナデシコの代表的なものなので、ヤマトナデシコとも言われます。
中国原産のナデシコをセキチクといい、ヨーロッパ原産のものはアメリカナデシコといいます。
この野草の全体的に質素なすがたと花の美しさが相まって、日本女性の美称となっています。
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ヨメナ→
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←カジイチゴ
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キチジョウソウ(吉祥草) 徳島県小松島市 日峰山 2005.11.12→
この花が咲くと、よいこと(吉事)がある、という言い伝えから、吉祥草 という名があります。たしかに、この植物のわが家のある日峰山の谷筋にずっと以前から自生していたのですが、今まで一度も花がさいているのを見たことがなかったのです。
それで、本当に花が咲くのかどうかと実験してみようと、もう何年も前にいくつかの株を、わが家の庭に移植しておいたのですが、今年初めて上のような花が咲いたのです。そして、本来自生していたところには、花は全く咲いていないのです。
の高さは20センチ内外、花はその中にひっそりと控え目に咲いていて、湿った日のあまりあたらない所に育っています。
つぼみのときには、深みのある赤紫で、花が咲くと白い花びらが開きます。
昔は、天災にも備えができず、社会生活も差別に満ちていて、病気になっても医者にもかかれず、しばしば飢饉となり、食べ物にも事欠くといった状況が多かったために、何かよいことを待ち望む心が強かったと思われます。それで、なかなか花が咲かない植物が、花を咲かせると、人々のそうした願いと結びついてこのような名がついたのであろうと思われます。
けれども、「何かよいこと」が生じるのは、珍しい特定の花が咲くとか、流れ星を見るとか、まれな出来事によって生じるのでなく、だれにでもできる単純なこと、すなわち聖書に記されている神とキリストを受け入れて、そのご意志に従っていくことにあると気づかされます。
(文・写真とも T.YOSHIMURA)
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←
コバノタツナミ (小葉の立浪)徳島県小松島市日峰山 2004.4.20
これは、波が寄せてくるさまに似ているところと、タツナミソウよりも葉がやや小さいためにこの名があります。
山道にて見出すことがありますが、実際にはそう多くは出会わないものです。
上の写真のものは、いつの頃からか、わが家の近くの山道に自然に見られるようになったものです。
草丈はこの写真の群生のものでは5~10センチ程度で、写真のものは赤色ですが、青い花のものが多く、小さな波の寄せるような姿には、心ひかれるものがあります。
この写真の花は私たちに呼びかけているような感じがあり、春の山で出会う野草として印象に残る花の一つです。
このような花は、天の国の小窓のようなものなので、心して見つめているとこの花を創造された神のこと、そしてそこから奥のほうにある天の国が少しは見えるような気がします。
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紅梅 Ⅱ
わが家にて 2004.2.10↑→
この紅梅は数十年前に、父が植えておいたもので、父が召されたあともこのように毎年、白梅とともに花を咲かせ続けています。
きびしい冬の寒さのただなかで、こうした美しい花を咲かせ、ほのかな香りを周囲に漂わせていること、それは、人間にもあることだとわかります。
神への信仰にかたく立ち、重いからだの障害や病気、あるいは当時の社会のおそろしい迫害にもかかわらず、信仰ゆえのうるわしい心を与えられた人たちを私たちは書物などによって知らされています。
そのような魂は、寒さきびしいなかに咲く梅のようなものです。
この紅梅のような樹木も、神へのまなざしをもって見るとき、ひとつの泉となってくれます。
人間は心のなかにしばしば純粋ではない心が生じるものですが、こうした自然の草木はいっさいの汚れを感じさせないものがあります。それは神の心そのものを映し出しているようです。
こうした自然からもあふれてくる清いものを感じるとき、私たちは神のうちにあらたな泉を見いだしたという実感を与えられるのです。
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←紅梅 わが家にて
2006.2.24 ↑
これは、紅い花のウメを大写しにしたものですが、ふだんはウメを見かけても、樹木であるためにこのように間近に見ることはできないのでこの写真にあるような多くの雄しべを見つめることもない人が大多数と思います。
ウメは、サクラやモモなどの広く親しまれている花などとともにバラ科で、それらに共通の多数の雄しべがありますが、それらを見ているとこの一つ一つが丹精込めて創造されていると感じます。芸術家が何らかの作品を作るとき、その一つ一つに情熱と愛を注いで造り出すと思われますが、まさにこのウメの花の創造主がそのような愛を込めているのが感じられます。
万葉集には、ウメをうたった歌が118首もあり、サクラは44首で、大きな差があります。また、花鳥図ではウメが最も多く取り上げられていると言われています。また、古今、新古今などの歌集にも梅を歌ったものは多く見られます。
このように、古い時代に中国から伝わった樹木ですが、古代から日本人に特別に愛されてきた樹木の花だといえます。
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梅が枝に
鳴きてうつろふ鶯の はね白妙に淡雪ぞ降る (読み人しらず「新古今和歌集春歌上より」)
(梅の枝をさえずりながら飛び移るウグイスの羽を白く見せるほどに早春の溶けやすい雪が降りかかっている)
この歌では、梅、ウグイス、雪、という三つのものが溶け合って私たちに早春の自然がやってくるようです。
このように多くの日本人の心を引きつけてきたのは、やはり寒さ厳しいただなかに次々と咲き続けるその姿、純白のウメにはとくに、世の中の汚れに染まない清い花として多くの人の心に訴えてきたものと思われますし、上の写真のような紅梅にはまた白梅と異なる温かみを持っています。
さらに、ウメには、ほのかな香りがあり、それは心に伝わる音楽のようなもので、目によく、心にもよいものと言えます。そしてウメの実がまた、薬用にもなり、日々の食事をも助けるものにもなるため、人々の生活にも深く関わっていると言えます。このように、芸術的にもまた精神的にも、さらに庶民の生活のなかにも溶け込んできたのがウメであったのです。(文・写真とも T.YOSHIMURA)
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コウヤボウキ 徳島県小松島市 2002.10.20→
植物はたしかに私たちに、「主の平和」のようなものを感じさせてくれます。
その色調やたたずまいはどこか御国のおもかげを漂わせ、私たちが不安や心配で動揺するときに、地上から御国へと引き上げてくれることがあります。
低山にも見られるこのコウヤボウキは地味な花ですが、近寄って見るとその繊細なつくりと色に驚かされます。
和名は高野山でこの枝を束にしてほうきをつくることから作られたといいます。
現代の私たちはほうきはほとんど使いませんが、この白い花によって心のよごれを掃き清めてもらいたいものです。
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←クサイチゴ バラ科 徳島県小松島市日峰山 2001.5.10
これは、クサイチゴとありますが、草ではなく、木です。
せいぜい50cm程度にしかならないものですが、実は赤くなって食べられるものです。
野山にある木のイチゴは30種類ほどもあります。
上にあげたほかに、私の家のある山のあたりで、割合身近にみられるものには、カジイチゴ、モミジイチゴ、フユイチゴなどがあります。
これらはたいてい白い花を咲かせ、赤い実がなります。
ふつう木イチゴと言われているのは、モミジイチゴを指す場合が多いようです。
こうした木イチゴの仲間は、むかしはこどもたちの遊びとともに数少ない自然の食べ物ともなり、心身が自然と親しみつつ育まれたことと思われますが、現代では都会地方なら見かけることもないかと思われます。
白い花びらの清楚なすがたは、私たちになにかを語りかけているようです。
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クサノオウ→
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←クチナシ 徳島県小松島市 日峰山 2005.6.8
クチナシ、それは香りの点でも、花の姿、その純白の花と大きな黄色の雌しべ(*)がよく目立つ花です。やや日陰のところでも育ってこのような香り高く、また静けさにみちた花を咲かせます。
(*)この花の中央のよく目立つのは雌しべのうちの、花柱(かちゅう)という部分です。めしべは、子房、花柱、柱頭の三つの部分から構成されています。
クチナシは花が愛好されますが、その実も、食品に黄色の色を付けるために用いられ、また消炎、止血(しけつ)、解熱など薬用にもされています。
花の香りはさまざまですが、このクチナシの花の香りは、それらのうちで最も心ひくものの一つといえます。この写真は、野生のもので、わが家の裏山には数十年前には多くの野生のクチナシがあったのですが、現在では少なくなっています。子供のころからその花にはなじみがあり、それをとってかざぐるまのようにして遊んだものです。
しかし、大人になってからはその濃い緑の葉を背景にして浮かび上がる純白の花のすがたと、その何にもかえがたい香りによって、とくに心惹かれる花になっています。園芸店で見かける八重咲きのものにはない素朴な自然の香りがこの野生のものにはあります。
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この花の香りは天の国の香りといえるほどです。香りというのは、心に響く音楽のなようなはたらきを持っています。言葉では言い表せないあるものを私たちの心に運んでくれるからです。
「わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。」(Ⅱコリント2:15)という言葉がありますが、キリストに清められて私たちもいくらかでも良き香りを持ったものにしていただきたいと願っています。
(文・写真ともに、T.YOSHIMURA)
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マンリョウ 2002.12.30 我が家にて→
マンリョウの赤い実は、冬場に大きな木の実がなくなる頃に、小鳥たちの餌となっています。
山野の林下にはえ,観賞用として栽植される常緑低木。高さ30~60cmになります。
山を歩いているとところどころにこの赤い実がなっているのが見付かります。
花のない冬の寒いときに、山のところどころを彩る植物です。
花は地味な小さいものですが、実となるとこのように目立つようになります。
葉の端部は波打っていて他の多くの葉にない特徴があります。
そんな小さな植物の一つ一つにも神のわざが感じられます。
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←マントカラカサタケ 徳島県小松島市日峰山 2004.8.20
これは、わが家の裏山にある小さい谷に沿った道で見られたものです。
竹林が隣接しているので、その葉があたかも敷きつめたように道を覆っています。
その中からこのような興味深い姿をしたキノコが生えていました。
このキノコはカラカサタケに似ていて、柄の上部には、写真でもわかるように、目立ったつばがあり、マントのようだということで、このキノコの名前になっています。
傘の大きさは15センチ内外、柄の高さは15~30センチの大型のキノコです。(なお、これはカラカサタケとごく近い種類で食用と書いてある書物と不明と書いてあるのがあります。)
キノコの類は、椎茸などの店で売っているもの以外では、野生のキノコについては、毒キノコがあるからというので触れたこともない、観察したこともないという人が多いようです。
しかし、キノコ類は、その外観、色、香り、そして味や、毒性なども独特なものが多く、ふつうの植物とちがっていて興味深いものです。
そのため、昔からいろいろの民族で注目を浴びてきたし、食用ともなったりするので、普通の植物とまたちがった印象を与えてきました。
土の中の養分を取り入れて、このような特異なすがたを現すキノコは、神の創造のわざのふしぎを感じさせるものです
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マツヨイグサ→
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←メハジキ シソ科 2001.7.5 徳島県小松島市勝浦川にて
子供がこの茎を使ってまぶたに張って目を開かせて遊んだからメハジキという。
乾燥したものは、産後の止血、鎮静剤、利尿剤として用いるので、生薬名は益母草(やくもそう)。
朝鮮では、葉は食用にも用いている。
独特の葉の形と花の付き方が印象にのこる野草です。
もう何年も見たことがなかったのですが、最近ある大きい川のほとりで見つけたものです。
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水を飲むメジロたち 我が家の庭にて撮影 2004.2.27→
私が机をおいている窓際から見られる金魚のいる大型水槽に最近は、しばしばいろいろな小鳥たちがやってきて水を飲み、また、一番下のメジロのように、中に入って水浴びして羽をふるわして水を落としているのもあります。
このように同時に4つものメジロが来て水飲みのためにやってくることは珍しいことです。
植物とちがってたえず動き、カメラを向けたとたんに飛び去るのも多いため、小鳥を写真にとるのはとても難しいのですが、これはちょうど仲良しの小鳥たちがともに水を見つけて喜んでいるような感じで、
うまく撮れたものでした。小鳥たちのすがたは、そのさえずりの清いひびきとともに私たちの心をさわやかにし、人間世界の複雑さ、みにくさとはまったく違った世界を感じさせてくれるものです。
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←ミツバアケビ
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サクラ→
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←ミゾソバ 徳島県小松島市日峰山 2005.10.19
食用のソバと同じタデ科で、ソバの花や実と似ているし、花もほぼ同じころに咲きます。高さ5-~70cmほど。野山の湿ったところ、川岸などに生えるので、溝ソバという名がついています。わが家の裏山の谷沿いに、ほとんど人の通らないところでひっそりと咲いています。ソバの花は白ですが、このミゾソバは、つぼみや花びらの上の部分だけが、うす紅色をしており、あたかもより美しさを感じさせるように、ちょっと色を付けたように見える可憐な美しさを持っています。
タデの仲間で、道端によく見られるのはイヌタデです。昔はその花をとって、赤飯だとして遊んだ記憶があります。この花は、別名アカノマンマともいいますが、これは小さな紅い花を赤飯にたとえた名であり、このような名前が広く知られているということは、全国的にこうした遊びがなされていたことが推測されます。
またイヌタデと花はよく似ているアイ(藍)は、いうまでもなく、古代から有名な藍染めに使われる植物です。 アイは非常に注目されてきた植物ですが、このミゾソバは一つ一つを近くで見ると実に美しい花であっても、何の実用にもならないため、ほとんどだれも心に留めることもないような花です。こうした花にも、心惹く美しさを与えている創造主のお心を感じますが、神はたしかに人間においても一人一人をほかに比べることのできない独自の存在として価値を与えておられると感じるのです。
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モミジイチゴ→
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←ナガバモミジイチゴ(長葉紅葉苺) 徳島県小松島市日峰山 2005.4.5
春先にこのような、純白の美しい花を咲かせる木いちごの仲間は他にもいろいろありますが、このモミジイチゴの仲間はとくによく知られています。
それは、花も美しく、初夏に黄色い実をつけ、それは木いちごのなかまでも美味だからでもあります。
名前については、東日本にはこれより葉が丸みがかったのがあり、それをモミジイチゴといい、ここであげたモミジイチゴは、西日本にみられ、葉が長いので、この名があります。
このキイチゴは、花は多く咲いても、実は少ししかできないので、割合多く見られるキイチゴの仲間ですが、その実を山で実際に味わったことのある人はごく少ないようです。
私はもう四十年以上も昔に、山で初めてこの実を見付けたとき、まずその色合いが、やや赤味がかった黄色の美しいものであったので、こんなきれいな実が自然にあるのかと驚いたものです。そして食べてみたときの味わいもとてもよいものであったので、ずっと記憶に残っています。
中国や朝鮮半島ではキイチゴのある種類を薬用としても利用するとのことで、花は目と心にもよいし、実もよく、また薬用と、多方面に用いられているのが分かります。
日本のキイチゴの仲間は、ほかに、カジイチゴ、クサイチゴ、フユイチゴ、バライチゴ、ナワシロイチゴなど、30種類以上あると言われています。
キイチゴの学名は、rubus palmatus (ルブス パルマートゥス)といいます。
ルブスは「赤い」(*)、パルマートゥス は「手のひらの形をした」 という意味ですが、これは、キイチゴの仲間は実が赤いのが多く、葉が手のひら状をしているからです。(ただし、このモミジイチゴは実は黄色です。)
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これは、ラテン語の ruber (ルベル 赤い)という言葉に由来します。
(*)なお、このラテン語から、ルビー(紅玉)という宝石の名前も派生しています。
この写真は、わが家の近くの山間の谷間にひっそりと咲いていたもので、ほとんど誰も見るものもいないところで、このような美しい花を見出すと、天来の贈り物という気がします。
このような自然の清さに触れるとき、人間の持つ清らかさというのは、まるで色あせてくるように思われます。
それは、当然のことで、この自然の白い花は、神ご自身の清さを直接的に映し出しているからです。
神の国とはどのようなところなのか、そうした一端をかいま見させてくれるものとなっています。(文・写真ともに、T.YOSHIMURA)
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ナツメ→
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←ナツミカン
みかんと言えば、食べることしか浮かんでこないという人も多いようです。
ナツミカンの花は美しい白色で、しかも花の頃には、あたり一面に香りが漂ってきます。
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ナツズイセン 徳島県海部郡海陽町
2006.8→
海陽町とは、徳島市から80キロほど南、高知県に近いところです。
市街地から遠いために、自然が豊かに残された地方です。田園地帯の道のかたわらに、このナツズイセンが咲いていました。この花は、外見からも分かりますが、ヒガンバナの仲間です。
なお、冬に咲くスイセンもヒガンバナ科です。
最近では、この花の仲間の美しさに注目して、いろいろな園芸品種が作られていますが、素朴な美しさは、やはり野生のものには及びません。
夏の暑いときは、草花や樹木も多くは花がなく、緑一色ですが、そうした中に、ただ一つこのように、淡い赤紫色の花をつけているのは、目立つものです。
ヒガンバナは、花が終わったあとに、葉を出しますが、このナツズイセンは、逆に春に出た葉が枯れたあとに、このような 50~70cmの長い花茎(かけい)を出して花をつけます。
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←ネジキ 徳島県小松島市 日峰山
2006.6.10
この、白い鈴が10個ほども横に並んで咲く花は、ネジキという木の花です。下に向きに咲くすがたは、地味ですが、清い美しさのある花です。私は子どもの頃から山にあるこの白い花が初夏に咲きますが、印象的で、この木の名前は何というのだろう、と思っていました。それが、ネジキという名前であるとわかったのは、かなり後になります。
それは、この木は自然に少しねじれたようになるからです。
樹木としてはあまり大きくならず、せいぜい3~5m程度です。
これはツツジのなかまです。 ツツジというと、ほとんどの人が思い浮かべると思われるのは、サツキや道路際に多く植栽されているヒラドツツジのように大きいはなびらで、朱色(赤)や、赤紫、白などなどいろいろのものがあるタイプだと思われます。しかし、ツツジには写真のような、釣り鐘状のものも多くあります。アセビやドウダンツツジもこれに似たかたちを持っています。
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この真っ白な花を咲かせるネジキですが、冬になると、枝先のほうの枝が光沢のある鮮やかな赤色となって美しく、ほかの樹木には見られないもので、これも私が子どものときから注目していたものでした。植物にはこのように、花や葉、また幹、枝のつき方、木の全体としての姿(樹形)など実にさまざまの多様性が見られます。それらが、人間にたえず語りかけていると感じられてきます。人間の世界のこまごました問題ばかりを見つめていると心が狭くなってきますが、植物の世界のさまざまの多様性を見つめ、その他の自然の限りなく変化に富んだゆたかな姿を見ていると、万物を創造された神ご自身の無限の能力がそこに映し出されているのが感じられ、心を広くしてくれます。
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ニリンソウ→
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ヌスビトハギ 徳島県小松島市日の峰山にて 8.28→
朝夕が秋らしくなってきて、咲き始め、山の野草らしい素朴な花をつける。
この名前は、花の終わった後に足跡のような実をつけ、
それがヌスビト(盗人)の足跡のように見えるため。
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←オカトラノオ
2003.6.25 我が家にて
6月頃に咲く野草として、好まれることの多い花です。
山間の道でときどき出会いますが、この頃は梅雨時なので、山を歩くことは少なく、以前から咲いているところに出会ったのは、そう多くは思い出せません。
この花は、野生の花としては、目立つものの一つで、その素朴な美しさには、心惹かれるものがあります。
かなり、以前に、鳴門市の島の山道で出会ったときのことを思い出します。
樹木や緑の草のみが生えている変化のない道で、突然このオカトラノオの一群が眼前に姿を表したときの驚きはいまも覚えています。
野草はその創造されたときのままの、はるかな遠い昔の面影をそのままに保っていて、そこに刻まれた創造主である神のお心が感じられるものです。
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オカトラノオ→
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←オニユリとナガサキアゲハ 我が家にて 2002.7.12
オニユリは、たくましいユリです。
堤防などにほかのくさんの雑草のなかからでもぐんぐんと伸びてその野性的な花を咲かせます。
こうした点は、同じユリでもテッポウユリなどとは大きく違っています。
ほかの雑草と言われる花は花びらすらないのがたくさんあります。
それに対してこのユリはひときわ目立つものです。
神は自然のなかにこうした驚くべき多様な姿を持つ草花を創造されています。
オリユリは、球根(鱗茎)を食用として栽培する多年草。
もとは中国原産で古い時代に伝来したものが栽培中に逸出して野生化したと言われています。
ナガサキアゲハは美しいチョウですが、最近はとても少なくなっています。
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オオキンケイギク→
最近とくに、多く見られるようになった大型のキクのなかまです。
高速道路の側などにも大群生が見られます。
黄色いコスモスのように、痩せ地であっても見事な花を咲かせています。
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←大里(おおさと)海岸 徳島県海部郡海陽町
この海岸の近くの道に、上のナツズイセンが見られたのです。この海岸は、「日本の 白砂 青松(はくしゃ せいしょう) 百選」 の 一 つ に 選ばれて
いる との こと ですが、ゴミもなく、美しい海岸が、3キロほども続いているという貴重なものです。
遠浅でないために、水泳は禁止となっているので、それが自然のままに保存され、汚されることなく、長大でかつ、美しい海岸となっているのだと思われます。
自然の光景は、人間が造り出すことができないし、人間が存在するはるか以前からあったもので、そのゆえにそれは神の直接の創造であり、神のお心を表したものと言えます。
草花は沈黙を保ち、動くこともしないのですが、そこに清さと美しさをたたえています。それと対照的なのが、この海岸に打ち寄せる大波で、そこには力強さと重々しい音楽があり、絶えず変化してやまない躍動性があります。
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このように、野草も、海も、その現れ方は大きく異なるのですが、それらはいずれも
自然の世界に現れた神の栄光を豊かに感じさせてくれるものとなっています。この海岸での波音は、無数の砂や小石と水との一大交響楽であり、重々しさと、清い響きが同時に心の奥まで伝わってきました。それは神の国からの絶えることなき、メッセージとして感じられたのです。
(写真、文ともに .YOSHIMURA)
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オトギリソウ 島県海部郡にて
2003.8.26 →
夏から秋にかけて、花の少ないときにおいて、この野草の花はとくに心に残るものの一つです。
緑一色になった野山、その小さな山道に静かに語りかけるように咲いているのを見つけるときに、私たちもまたこの花に語りかけたくなります。
これは、県南での聖書集会の帰り道、山間の国道から少し入った細い山道沿いにわずかに一つ二つと咲いていたものです。
なお、この花の仲間である、タカネオトギリ(高嶺弟切)は、徳島県では、剣山(1955m)の頂上近いあたりによく見かけるものです。
この可憐な花を持つ植物は、昔から薬草として知られ、切り傷や虫刺され、止血、はれものや打撲に効能があるとされています。
この植物の葉の揉汁は、小鳥のいろいろの病気に効くことで知られています。
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この植物の名前(弟切草)の由来は、平安時代に鷹匠(たかじょう)の兄が、けがをした鷹の薬として愛用していて、だれにも教えず秘密にしていたのに、その弟がもらしたために,兄が弟を切ってしまったという伝説に由来しています
。
このような伝説が生れるほどに、効能があったのだと思われます。
しかし、現代ではさまざまの優れた傷薬があり、この野草をそうした目的に使うことはほとんどないとおもわれますが、野山でふと出会ったこの野草の素朴な美しさは、心の傷をいやしてくれるものと言えそうです。
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←オトコエシ 海部郡海南町 この花は、秋の山にて、
その白い花のゆえによく目にとまる花です。
これと似たものは、黄色の花を咲かせるオミナエシですが、これは昔から歌にも詠まれて有名なものです。
しかしオミナエシは、最近とみに少なくなって私たちの地方では、野生のものはほとんど目にとまることがありません。
もう20年ほども前になるでしょうか、剣山(1955m)への途中、山の斜面にて咲いていたオミナエシがいまも浮かんできます。
黄色の小さい花が、風に揺られて咲いている姿は、心のなかに、山の澄んだ空気と秋を運んでくれるものでした。
ここであげたオトコエシは、低山でもよく見かけることができます。やはり白い花を持っているヒヨドリバナや、野菊のなかまである、
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ノコンギク(野紺菊)、ヤマシロギクなどとともに秋らしい雰囲気をたたえて咲いています。
野生の花は小さいものが多く、離れてみるとその美しさは分からないけれども、近寄って見るとき、さらに、ルーペなどでみると、見落としていたその自然な美しさに驚かされることが多いのです。
このオトコエシも、離れて見るよりも、この写真のように近づいて見るとき、その純白の美しさに心惹かれるものがあります。
人が見るかどうかには関わりなく、このように美しく咲いている姿は、人間がともすれば他者に見せるためにきれいにしようとする傾向と対照的で、そのゆえに自然は、私たちの心の安らぎの場となってくれるのです。
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レブンウスユキソウ 北海道礼文島にて
2003.7.22→
今年の7月に北海道の第30回瀬棚聖書集会に参加したとき、40年近くまえに礼文島で、お世話になった方を訪ねる機会が与えられました。
そのとき、その方の家族の方が車で案内して下さり、この貴重な植物の群生地を見ることができました。
これは、有名なエーデルワイスととてもよく似た種類のものです。 エーデルワイスは、「アルプスの星」とも言われて、ヨーロッパアルプスを象徴する花だと言われています。
エーデル edel とは、ドイツ語で「高貴な」という意味です。
ワイス weissとは、英語のwhiteにあたる言葉で、ドイツ語ではヴァイスと発音し、「白」のこと、それでエーデルワイスという花の名は、「高貴な白」という意味です。
この種類は、日本では、ミヤマウスユキソウ、ハヤチネウスユキソウなどがあり、いずれもよく似ています。
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中部地方の高山の一部、東北や北海道の高山に生えるもので、関西に住む人にはなかなか見ることができないものです。
高い山にわずかしか見られないこと、しかもその厳しい寒さに耐えて、純白のすがたを現していることが、多くの人の心をひく野草となっているようです。
私たちの心は、やはり、大気の清澄な高きところや、白で象徴される清められた状態にと向かうものだからです。
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←レンゲ
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リュウノウギク 愛媛県佐多岬半島にて 2003.11.14 →
この花は、いわゆる野菊と総称される野生の菊のなかでは花も大きいほうで、葉には、独特の芳香があります。 徳島では、秋の山にて、時折見つけることができるのですが、決して多くはありません。 しかし、聖書講話のため、九州に渡る途中の愛媛県佐多岬半島においては、今回もこの花がたくさん群生しているのに出会いました。
純白の大きめの花をたくさん咲かせている姿は、秋の山地を車で走っていてもよく目立ちました。秋の山に咲く野菊のなかまは、ほかに、ヤマシロギク、シラヤマギク、ノコンギクなどいろいろありますが、いずれも、秋らしいさわやかな雰囲気をかもしだして、秋を語りかけてくれます。 春の山は、まだ寒くて野草なども花は少ないのですが、秋には、野菊のなかまが、このように多く咲くので、山道を歩くのが、快いものとなります。
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木々の葉は紅葉し、また黄色や褐色となり、木の実も赤や黒、青色などいろいろのものが見られます。 芽を出してからの新緑、春の花、夏にたくましく茂り、秋にはそれぞれの花や実をつけ、葉もいろいろと美しく色合いを変えていく植物は、神の国の無限の多様性を暗示しているようです。
なお、竜脳菊(りゅうのうぎく)という名前は、茎や葉に含まれる揮発油の香りが竜脳に似ていることに基づきますが、竜脳とは、植物の名前で、ボルネオなどにある50mにもなる大木で、それから芳香ある物質が採取でき、それも竜脳といいます。
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←リュウノウギク
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センニンソウ 徳島県小松島市日峰山 2004.9.15→
これは、夏に緑一色の山にときどき真っ白い花がみえますがそれがこのセンニンソウです。
つる性植物なので、草や樹木に巻きついて登っていくので、木々の上のほうでこの白い花が遠くからもみえることがあります。
この「今日のみ言葉」を書いている日に撮影したものです。
白い十字架状の花が、印象的です。
センニンソウは、学名を クレマチス テルニフローラ Clematis terniflora といいます。
この名前でわかりますが、クレマチスといわれるものの仲間です。
クレマチスという属名(*)は、ギリシャ語のクレーマ(klema)という言葉から作られていて、このクレーマとは、「枝、巻いたつる」という意味をもっています。
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主イエスが、「私はぶどうの木、あなた方はその枝である。私につながっていなさい。」(ヨハネ福音書15章)と言われた、その「枝」という原語は、このクレーマなのです。
そのため、このセンニンソウという野草は、キリストの清めの純白と、私たちを罪の力から解放して下さったキリストの十字架と、さらにイエスの有名な言葉をも思い起こさせるものとなっています。
(*)学名は、ラテン語で書かれており、属名と種小名の二つの部分から成っています。
前の方が属名で、この場合はクレマチスというのが属名です。なお、センニンソウのような図鑑に掲載されている名前を、学名と誤って思っている人があります。
これは、学名でなく、標準和名といってカナで書くようになっています。 (文・写真とも
T.YOSHIMURA)
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←センニンソウ
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センニンソウ 徳島県小松島市 2002.09.10→
白い十字架のようなこの花は、夏から秋にかけて、山野によく見られます。
つる性なので、ほかの木々の上に出て、この白十字架の花をたくさん咲かせるので、夏に山沿い地方を車で通るときなどに、目にとまる花です。
学名は、clematis terniflora といって、クレマチスの仲間であることがわかります。
十字架というと、キリストの血を流されたことから赤を連想しますが、白い十字架はキリストによる清めを思い出させてくれます。
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←セントウソウ セリ科( 徳島県小松島市日峰山 3.12)
この野草は、山野の林に生えて、小さい白い花が目を惹くものです。
早春の山道などでこちらでは2月下旬からもう咲き始めます。
わずか数ミリの小さい花で、花屋に並ぶこともなく、人の話題になることもほとんどないようですが、
それがいっそう自然のよさを感じさせてくれるものです。
この花が見られるようになると、春は近いと感じるもので、
その後は、つぎつぎとスミレの仲間などの野草が花開くようになり、
木々の新芽などもふくらんでいきます。
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セントウソウ→
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←シラヤマギク 2001.10 徳島県海部郡
秋の山野に咲く野菊は多くあります。
身近なヨメナ、ノコンギク、ヤマシロギク、そしてここにあげた、シラヤマギク、ヤクシソウ、リュウノウギク等々。
それらの内、シラヤマギクはやや個体数が少なく、時折しか見られません。
花びらが不揃いなところが、素朴な美しさをたたえていて、上部の葉と下部の葉の形はまるで違っています。
だれも見ていないところで、ひっそりと、静けさをたたえて咲くこうしたノギクたちは、秋のよさを私たちに強く語りかけているようです。
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スイカズラ→
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←シロツメグサ
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スイカズラ Lonicera
Japonica(学名) 2003.5.19 徳島県小松島市日の峰山にて撮影→
緑一色の木々の中から、純白の花びらとが目立つこのスイカズラは、香りも特に心惹くものです。
花の姿は私たちに創造の秘密を語りかけるような感があります。
この香りは、心をしずめ、うるおすような、sweet な香りです。あるアメリカの植物図鑑にも、Flowers very sweetly scented (花は、非常にスウィートに香る)と説明がされています。
英語名は、 honeysuckle(ハニーサックル)といい、「蜂蜜を吸う」という意味です。 この花びらのもとを吸うとほんのりと甘く、子供のときにも吸った記憶があります。
原産地は、日本や韓国、中国で、ヨーロッパには1806年に伝えられ、アメリカにも早くから持ち込まれて、アメリカ東部では、野生化して、森林や低木にからみいて、その香り高い花を咲かせているということです。
草木は数千もあっても、このような香りのよいものは、少数です。
聖書には、「キリストを知る知識の香り」という言葉があります。(Ⅱコリント2:14) それは宣べ伝える人によって、世界の各地にもたらされていったのです。
キリストご自身が最高の霊的な香りだと言えるでしょう。そこから、あらゆる善きものがつぎつぎと生み出されていったからです。
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←スイセン わが家の近くの山の斜面にて 2006.1.24
冬の花として水仙は、おそらくだれにとっても愛すべき花の代表的なものの一つだと思われます。その香りのゆえに、またその清楚な気品ある姿に、さらに真冬の寒さのただなかに咲くという精神的な目覚め
もしくは寒さに打ち勝つ力を象徴する姿のゆえです。
この写真の水仙は、数年前から、わが家の少し下のほうに次第に増えてきたもので、夏はいろいろな草が生い茂るし、土地も小石の多いところであり、およそ草花には不適だと思われるようなところですが、この水仙はたくましくそれらに負けないで、年々増えていくようです。
周囲の雑草とか雑木の類はみんな枯れたようになっているのに、この水仙だけはこのように生き生きとした緑の葉を伸ばし、多くの香り高い花を次々と咲かせています。
このスイセンは、日本水仙とも言われ、房咲水仙(ふさざきすいせん)と言われる仲間に属します。 水仙はイベリア半島,地中海沿岸,北アフリカが原産地と言われ、房咲水仙の他、ラッパズイセンなど、約30種がありますが、日本水仙と言われるものは、もとはヨーロッパを経て、古い時代に中国にわたり、それから日本にも渡来してきて、野生化したと考えられています。
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アフリカ北西部にあるカナリー諸島が原産地と記してある植物事典もあります。(「植物の事典」1957年 東京堂刊) このように、可憐な花を咲かせる水仙には、はるかな遠い古代に遠く地中海あるいはアフリカ北部地方から地球を大きく旅をして日本に伝わったという壮大な旅の歴史がその背後にあるのです。
わが家の近くの山の斜面に、生い茂る雑草に負けずにたくましく野生化している水仙、そこにはそのような旅を経てきたゆえの強靱さを示しているようです。
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ススキとシオン→
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←スズメウリ
山の谷間の一角にひっそりと白い実をつけています。
はじめは緑の可憐な玉ですが、だんだん秋の深まりとともに白い玉になっていきます。
秋に熟する実で白くなるのは少ないので、目立ちます。カラスウリの赤い実とは対照的な実です。
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シュウカイドウ (秋海棠) わが家の庭にて→
夏の終りから咲き始めるこの花は、ややうつむきかげんに咲き、淡紅色の花びらが印象的でどこか静かなたたずまいがあります。先日、県南の山間部の日陰のしめった急な斜面にて、この花が、群生しているのに出会って驚かされたものです。ほとんどだれにも気づかれずにひっそりと咲いているを目にしたとき、どのようにしてこのような山間の崖のようなところに咲くに至ったのか不思議に思うととにも、雑草や木々のただなかでこのような美しい花が咲いていた姿がことに心に残っています。
もう40年近く昔、京都の山で、やはりしめった木陰で群生しているこの花を見付けたときの情景が浮かんできたものです。
植物は、沈黙のまま、ただ咲いているだけで、私たちの心に何かを残す働きを持っています。
天つ真清水 受けずして
罪に枯れたる ひと草の
さかえの花はいかで咲くべき
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注げ、いのちの真清水を
(讃美歌217番3節)
私たちも、この讃美歌のように、神からいのちの水を受けて、花を咲かせるものとしていただきたいものです。 (文・写真ともに、.YOSHIMURA
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