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今日のみことば(印刷用ページPDF)

現在、ハマゴウからカラマツまでの12枚を収録しています。


今日は です。
更新は です。

ハマゴウ

ガマズミ

タカサゴユリ

ハマナス

ヤマユリ_(山百合)

シロツメクサとベニシジミ

マルバアオダモ

タチツボスミレ

トサミズキ

ヤマガラ

ウメ

カツラ(桂)


ハマゴウ

ハマゴウ           鳥取砂丘にて  2008.11.20
 
11月下旬、晩秋の鳥取砂丘を歩く機会が与えられました。学生時代に大山から蒜山への登山からの帰途に立ち寄って以来、40数年ぶりになります。鳥取で、言葉の学びの集まりがなされた場所は砂丘を目の前にするところでした。前日に、雪が降り、砂丘にも白い衣で覆われ、美しい雪の砂丘となっていました。翌朝には、それまでの雲におおわれた空が、晴れ渡り澄みきった青空と真っ白の雲が浮かぶようになりました。 その明るい大自然の砂の丘では、前日の雪のためか、朝は一人も砂丘を歩く人の姿もなく、広々とした日本では他に見られない砂の丘が眼前に与えられたのです。 神の創造の御手による、壮大な砂の芸術がそこにありました。人間の造るものがいかに小さいものでしかないか、私に迫ってくる自然の姿全体がそれを語っていたのです。 そのような砂ばかりのところにたくましくも育ち、根を広げ、花を咲かせて実を付けているのが、ハマゴウという植物です。これは海岸植物の中でも代表的なものの一つで、この植物全体にある香りと花のゆえに、私にとってずっと以前から印象的な植物でした。 この砂丘では、砂ばかりの土、海岸からの強い北風を受け、雪や砂に吹きつけられ、直射日光で夏は砂が暑くなり50度にもなるような厳しい状況のなかで、このように育っています。  この植物は、花は薄紫の美しいもので、全草に香りがあり、その黒い果実が薬用になる薬草として知られています。その名前ハマゴウとは、浜辺の香(ハマのコウ、香り)に由来ししいます。 ずっと以前、ハマゴウは、わが家のある日峰山の北側の海岸でかなり多く自生していて、近くの民家の庭でその果実をたくさん乾燥させていたのを覚えています。  神の言葉を特に選ばれて与えられた旧約聖書の民は、奴隷状態であったエジプトからモーセによって導き出され、40年という長期にわたって砂漠のような厳しい地域に導かれてて歩みました。そしてそこで枯れてしまうことなく、その荒野のただ中で多くの試練と苦しみに遭遇しつつ、その信仰の芽は失われることなく育っていったのです。 久しぶりにハマゴウを砂丘のなかで見出して、冷たい風にあたりつつ、聖書にある砂漠での神の導きのことに思いを馳せるひとときを与えられました。 (写真、文ともに T.YOSHIMURA


ガマズミの実

ガマズミの実    徳島県海陽町    2005.11.8
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秋になると、木々はさまざまの実をつけます。ぶどうや柿、栗といったものは生活にも身近で重要なものですが、自然の山野にて見て美しく、食べるによいものはごく少ないものです。この写真にあるガマズミは、数年前に撮影したもので、徳島県南部の山中のものです。この植物は、春には白い花がたくさん咲いてよく目立つものですが、その実もまたこのように赤く色づいて美しいもので、周囲の木々の葉が黄色や褐色になってくる晩秋に赤く実って食べられるようになります。野山で樹木の実はコナラ、アラカシなどドングリと言われているようなものも含めて多く見つかりますが、そのままで食べられるものはごく一部です。これは甘酸っぱいもので、いかにも自然の中で実ったものという感じがします。 このような植物の実りは、太陽の光と地中からの水や養分があればできます。しかし、人間においては、いくら太陽の光を浴びて元気に生活していても、また十分な食物を食べていても、実りはできないのです。それはみ言葉にあるように、人間を超えたお方(神、キリスト)と結びつき、上よりの力と祝福を受けることによってそれが可能になるのだといえます。 (写真、文ともに T.YOSHIMURA


タカサゴユリ

タカサゴユリ 徳島県小松島市日峰山にて 2008.8.18
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この百合は、書物には関東以西の地方に分布すると書かれてありましたが、最近は東北地方にまで広がっています。今年7月に福島県を訪れた際に、自生しているのを見出したことがあります。私たちの地域では白いユリの仲間では最もひろく見られます。8月はじめに近畿の集会からの帰途、淡路島から鳴門大橋に近いところの平地にたくさん群生していたのを目にしました。さまざまの夏の生い茂る草にもまけず、また切り崩しのやせた土地でもたくましく育つユリです。花の長さは2030センチほどになります。域によっては香りのないのもありますが、わが家の近くに自生しているものはよい香りがあります。この写真は雨上がりのときであったので水粒を付けて、いっそうその生き生きといた美しさが感じられます。このタカサゴユリというユリの名前は、台湾が原産地だからです。台湾のことを昔の日本人が高砂国といい、そこに住む人々を高砂族といっていたのでそこの原産のユリをタカサゴユリというようになったので、その意味は「台湾百合」ということになります。これは、テッポウユリと比べると、花の筒の部分に淡紫色の筋が入ることや、葉が細いこと、種で増えることなどが違っています。種を実らせないときには、球根ができて多年草となるが、種を実らせると、球根は消えて1年草となるという変わった特徴ももっています。 これと似たテッポウユリは日本の南部の島々、沖縄や種子島、屋久島などが原産地で、その地域には自然に海岸の崖などにも生えているとのことですが、ほかの地域では野生化することはないようです。 白い百合はその純白の気品ある姿や香りのよさのゆえに、キリスト教では復活の象徴としてよく用いられます。この写真のタカサゴユリは、樹木やほかの草が茂るなかでも成長して美しく花を咲かせていました。復活ということは私たちの最終的な希望ですが、その最も重要なメッセージを花の純白に託して私たちに送り続けています。(写真、文ともに T.YOSHIMURA


ハマナス

ハマナス           北海道にて    2008.7.17
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夏の北海道など北国ではよく見られるバラのなかまで、野ばらのうちではとくに美しいものだと言えます。 今年の夏に、小樽から日本海側の道を通って、南部にある瀬棚方面に向かう道で出会ったものです。紅紫色の花の大きさは10センチほどもあり、実は赤く食べられるものです。ハマナスというのは、この実の形がナス、あるいはナシに似ているということでハマナス、またはハマナシという名になったと説明されています。バラというと普通は園芸種の大きな花を思いだして、実が食べられるといったことは思わないのですが、バラ科の植物には食べられるものが多くあります。キイチゴの仲間は、よく知られているモミジイチゴのほかにもたくさんありますが、これもバラ科、梅やサクランボ、リンゴなどもバラ科です。私がまだ大学二年のころの夏休み、北海道のほとんど山ばかりを歩いたときに、礼文島にも立ち寄ったときに親切に宿泊を提供して下さったKさんが、数年前に、ご自分の家のすぐ裏に自生しているハマナスをわざわざおくってくださったのですが、それが今年は花を咲かせ、実もなって、徳島の真夏の暑さにも耐えて最北端の島からのメッセージを送ってくれたのです。 この世のさまざまの混乱した状況にあって、こうした自然の純粋な美しさは私たちの心に天からの水を流してくれるような気がします。(写真、文ともに T.YOSHIMURA


ヤマユリ

ヤマユリ (山百合) 山形市から鶴岡市への山道にて 2008.7.25
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夏の、東北の高速道路の左右の山沿いなどに多くのヤマユリが咲いていて目を楽しませてくれます。しかし、高速道路上ではゆっくり鑑賞はできなくて、写真も撮ることもできないのですが、これは、山形市から100キロ近く北西に位置する鶴岡市に向かう一般の山道で見かけたものです。夏草の生い茂るなかに、目を覚まさせるような大きな、美しい野生のユリが咲いているのを間近に見るのは初めての経験でした。植物園などで見られるものとちがって、この自然のなかでこのような見事な花を見るのは喜びでした。花の直径は2030センチほどにもなり、香りも強く、草丈も大きく1~2m、花は白い花びらの中央に黄色いすじが入り、花びらには赤みを帯びた斑点が散りばめられています。ユリの女王とも言われるのもうなずけるものがあり、このユリが、江戸時代末期に日本に来たヨーロッパの人たちによってほかのカノコユリやテッポウユリ、ササユリなどとともにとくに強い印象を与え、彼らが持ち帰ってさまざまのユリを作り出したと言われています。その一つが、有名なカサブランカというユリです。しかし、人工的に作り出されたユリにはない深みのある味わいがこうした野生のユリには感じられます。なお、英語名は、Golden-Rayed Lily of Japan と言います。これは、金色の放射条のすじの入ったユリ という意味で、とくに花びらの中央に入っている黄色いすじも印象的であったのがうかがえます。 このユリは、カノコユリやテッポウユリなどと共に世界で最も美しいユリとされていて、このようなユリがほかの夏草とともに自然に生えている姿はとても印象的でした。このようなさまざまの点で心を引く植物を創造される神は、正義や憐れみといった点だけでなく、かぎりない美をも持っておられるお方なのだと感じます。 (写真、文ともに T.YOSHIMURA


シロツメクサとベニシジミ

シロツメクサとベニシジミ 

  徳島県小松島市 勝浦川岸 2008.6.1
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このシロツメクサという野草は最も広く知られている野草の一つと思われます。時々みられる四葉のクローバーも愛好されることもあり、子供たちにも親しい植物です。シロツメクサとは、白い詰め草 の意味で、江戸時代の後期にオランダ国王か徳川の将軍に贈られたガラス器のまわりに、この牧草の乾燥したものがクッション材として詰められていたことで、その後も壊れやすいものを守るための材料として用いられたということです。 昔ガラス製品とても貴重なものであったし、長期の船旅での破損を防ぐための材料として日本に入り、後になってアカツメクサとともに牧草としても輸入されて各地に広まったと言われています。  アカツメクサのほうは、シロツメクサよりも大きく、徳島県など暖かい地方では、野生のものはわずかしかみられませんが、シロツメクサはよくみられます。アカツメクサは、北海道などの寒いところではたくさん道路際にも見られます。 どこにでも見られる野草なので、とくに愛好するという人は少ないと思われますが、この地味な庶民的な花に、よき香りがあるので心を惹くものがあります。  人間は、老年になると外見はたいてい美しさが衰えてきます。しかし、そこに どこかキリストの香りを持ったといえるような人がいます。そのような人たちはただ存在するだけで、周囲によきものを静かに提供していると思われます。 シロツメクサの蜜を吸うためにきたこのチョウはシジミチョウの仲間で、地味な色のものが多いなかでとくに目立つ種類です。私が小学校のころは、たくさん周囲にシジミチョウがいて、いろいろな種類を昆虫採集のときに標本にしたことを思いだします。このベニシジミも当時から私に親しいものでしたが、最近はわが家の周囲で少なくなっています。
 
蝶の仲間は、世界で2万種類近くいて、そのうちシジミチョウの仲間は、その4割ほどにもなるほど種類が多いということです。 チョウも花のように美しい色合いを持つのが多く、創造のわざの不思議さを感じさせてくれるものです。 しかし、その幼虫はこのチョウとは全く別の生物かと思われるほどにちがったもので、毛虫やワラジムシのような気持のよいものではない姿を持っています。このように全く異なる美しい姿に変容するゆえに、ハンセン病で長期にわたる苦しみののちに、身体を大きく損なわれた人が、復活後の自分がチョウのように美しくされ、自由にとびまわる姿を思い描いて俳句にしたのを印象深く読んだことがあります。
 
私たちもたしかに、汚れた土の器ですが、復活のときには、主イエスのような栄光のすがたに変えていただけるという大きな希望を与えられています。昆虫の変容もそうしたことの象徴的なこととして感じます。使徒パウロも、「蒔かれるときには、卑しいものでも、輝かしいものに復活し…」(Ⅰコリント1543)と言っているとおりです。(文、写真ともT.YOSHIMURA


マルバウツギ

マルバウツギ            徳島県小松島市日峰山        2008.5.6
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この花は、写真のように、木々や野草の繁った谷筋で咲いていたものです。日もあまり当たらないところですが、それでもこのような純白の美しい花をたくさん咲かせて、星のような美しさをもって見るものに語りかけてきます。 ウツギのなかまはいろいろありますが、これ高さ2メートルにもならないほどの木で花は、1センチほどの大きさのものです。 このウツギは空木と書きますが、茎の中が中空だからです。別名は卯の花というのは、旧暦の卯月(4月)に咲くからで、これは太陽暦では5月となります。
 
本来のウツギ香りないのですが、♪~うのはなの匂う垣根に~♪ と歌われてきたので、香りがあると間違って思われている場合が多いようです。この歌において、「匂う」とは、古くから用いられてきた意味で、香りがあるという意味ではありません。この場合の語の意味は、広辞苑などでは、「色が目立つ、生き生きとした美しさなどが溢れる。」といった意味があてはまります。 樹木が繁るなかで、ぱっと目に入る白い花、まさに活き活きとした美しさにあふれています。
 
野生の樹木の花というのは、ほかの時期はごく地味な樹木であるのに、ある時期だけこのように目を引きつけるような花を咲かせるのがしばしば見られます。  人間もこの世に生まれ出たのは、それぞれが何らかの花を咲かせるためであり、 神あるいはイエスの証しとなること、真理の証しとなることこそ花を開くことと言えます。(文、写真とも T.YOSHIMURA


マルバアオダモ

マルバアオダモ          徳島県小松島市日峰山        2008.5.2
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この花は、私たちのふつうの生活で取り上げられることは少ないようです。白く小さな羽のような花びらであり、木々の中でとくに光が射しているところなどでは、静かに白く輝いているように見えるものです。 子供のころから近くの山で見かけていても、だれも名前を知らず、花瓶にさしてあるということもなく、花が咲く期間は短いし、咲いていても、幹の上のほうで花の形もよくわからず、枝を折り取ることもしにくいからです。平地では庭などでも見かけたことはありません。白い花びらは細く、長さは6~7ミリ程度のものです。   高さは5~15メートル程度となります。 アオダモという木の名前は枝を切って水につけておくと水が青くなるからです。このアオダモのなかまは、トネリコと言われ、このマルバアオダモも、別名トサトネリコともいいます。ヨーロッパのトネリコの仲間では巨木になるため、北欧の神話にも登場し有名なものです。トネリコという変わった名前は、トヌリキ(戸を塗る木)よりきたと言われます。この木に寄生する虫により分泌した白蝋(はくろう)をトネリといい戸滑りに用いたということです。(牧野富太郎植物図鑑より)。この木の材質は粘りがあり優れているため、各種建築、器具材として用いられ、野球のバットなどに特に用いられ、野球のイチロー選手のバットをこれでつくっているという記事を見たことがあります。  さらに昔から刈り取った稲を干すための木としてとくに植栽してきたということで、さまざまのところに用いられてきた木です。 樹木はこのように実用的な目的から宗教的な意味をも感じ取ったりされてきましたが、この花はそうしたすべてと関わりなく、山の木々間でひっそりと咲いていて、近づくものに静かで清い雰囲気をなげかけている花です。  (文、写真とも.YOSHIMURA


タチツボスミレ

タチツボスミレ      徳島県小松島市日峰      2008.3.29
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石ころばかりのような山の岩陰、小さな花びらを広げて語りかけるように咲いています。いつの頃からかこのように自然にこのスミレが咲き始めたのです。わずか5㎝程度の高さの小さい花ですが、その花びらは薄紫、真ん中の花びらは、美しい模様付きで、色合いもグラデーションがあり、うっすらと白いぼかしが入っているようになっています。この色彩の美しさをじっとみつめていると、この植物の背後にある存在の英知を深く感じずにはいられない思いです。 このような人間は到底創り出せない美しさ、それらを地上の至る所で、それぞれに変化のある色彩やかたちを生み出していく、その元の英知は計り知れない英知と力があり、清い美があると感じます。
 
このような野の花のすがたを見よ、と主イエスは言われました。人間がどんなに着飾っても野の花の一つに及ばないと。人間のどのような考え、芸術的才能も、野の花の無限の深さには到底及ばないのです。 神は、この写真のような石ころばかりの山道であってもこのように美しい花を咲かせることができるゆえに、人間においても、汚れや苦難、悲しみに取り囲まれていても、そのただ中にこの花のような心を与えることができるのです。  (文、写真とも.YOSHIMURA


トサミズキ

トサミズキ         わが家の庭にて          2008.3.8
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春の暖かい日がを浴びて、トサミズキが咲き始めました。この淡い黄緑色の花は、梅の花が終わるころにちょうどバトンタッチをするように、つぼみがふくらみ、次々と花を咲かせていきます。この色調は春のいのちを感じさせてくれるものです。この木は、高さは2~4メートル程度にしかならず、枝を次々と上下左右に伸ばし、また幹もわが家のものは芸術的な曲線を描いて独特の姿となっています。  色も花のすがたも、樹木の花としてだれもが親しみを感じるものだと思われます。 このトサミズキは、もともと高知県の石灰岩地などに自生していたということからその名前があります。日本の広い地域でわずかにこのところだけにしかなかったというのも、不思議です。なぜそこだけに生じたのか、といった理由はだれも分からないことです。現在は各地に植えられて春の訪れを告げるものとなっています。 この花は、梅やサクラなどと全く異なる花のつくりです。それぞれの花が独自の個性をもって私たちの前に示されます。 人間もそれぞれが独自の存在としてつくられ、それぞれに深い意味を与えられてこの世に生まれてきたのだと思われます。


ヤマガラ

ヤマガラ          わが家の庭にて               2008.3.7
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小鳥のうちでも、ヤマガラは、色調の美しい鳥で、しかも人懐っこいところがあり、数メートルのところに近寄ってもこのように逃げないで水を飲んでいることもあります。背と腹部赤みかった茶色です。ツツピー、ツツピーという独特の美しいさえずりをきかせてくれることがありますが、地鳴きは、ピィーピィーといった声で鳴き交わしているのが聞こえます。私の住む日峰山では、シジュウカラは見かけることが少ないのですが、このヤマガラは、毎日のように、この水槽に水を飲みに来たり、木々の枝にいるのが見られます。
 
このような小鳥も、その姿、色また鳴き声や動き、そのひとつひとつが神のわざを示すものとなっています。 (文、写真とも.YOSHIMURA


ウメ

ウメ            2008.2.13
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冬の厳しい寒さのなか、ほかの樹木や野草たちはみな春を待って芽もまだ固い状態であるけれども、ウメだけは次々とその清楚な花を咲かせていきます。真冬に咲く花として印象的なものです。 スイセンも同様で、一年で最も寒いこの頃に花を見せてくれます。そして純白の花びらとともによき香りを持っているということも共通しています。 これらは、咲く季節の厳しさ、白い花、そして香りという組合せによって他の季節の花とはまた違った気品を感じさせる花です。 ウメとよく似て、2月ころに咲く純白の花である、野生のアーモンドの花、私は10数年ほど前の2月下旬、シナイ山のふもとの修道院の庭で咲いていたのを見る機会がありました。(なお、栽培種の花びらはやや赤みがかっています。)そのときの真っ白な花の印象が今も強く残っています。そしてすぐに神が預言者エレミヤに語られた言葉を思いだしたのです。真冬の寒さでほかのものが眠ったようになっている時期でも、花を開いて見守っているアーモンドの白い花、それは神の眠ることのないまなざしを、さらに、神が、神のことばが実現するのを見守っている象徴として用いられているのです。(旧約聖書 エレミヤ書1:1112 ウメの花の白さ、真冬に咲くこと、香り、このような組合せは、人間においても比喩的な意味で有りうることで、どのような厳しい状況にあっても、花を咲かせ続け、この世の汚れに染むことなく、神の国の香りを感じさせるということです。それは、完全なかたちとしてはキリストだけに見られることです。 私たちはそうしたよきものを本来持ち合わせていないものですが、キリストに結びつくときにはその度合いに応じて与えられるものだと言えます。 「心の貧しい人たちは幸いだ。天の国はあなた方のものである。」と言われています。心の貧しいとは、心に何等の高ぶり、傲慢を持たず、幼な子のような心です。そのような心で主を仰ぎ、人生の真冬にも花を咲かせていくことができるように導かれたいと願います。 (文、写真とも.YOSHIMURA


カツラ

カツラ(桂)         徳島県中津峰山               2007.11.3
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これは、桂の大木です。これは、中津峰山(標高773m)登山口の一つにある渓谷沿いにあります。この山は、西日本第二の高峰である剣山から延びる山なみの東端にある山で徳島県の東部地方一帯からよく見える山なので親しまれている山です。  この付近にはもうかなり長い間行くことのできなかったのですが、「いのちの水」誌に桂のことを書いたこともあり、また、その美しい黄葉に触れることと、独特の香りを持つ桂の葉を紹介したいとの思いもあって、妻とふたりで休日の午後訪れたときの写真で、桂の落葉を集めているところです。 ここには、数本の堂々たる桂の木が自然に生えています。桂はこうした渓谷沿いを好む樹木なのです。そして自然に一つの幹以外にこの写真のように何本もの幹が成長して独特の姿となります。巨木となれば30mもの高さにまで成長するということです。 この木に初めて出会ったのは、40年以上も前、私が高校一年のときのクラス遠足で初めてこの地域に行ったときです。その後大学を卒業して県内の山々を歩くことが多くあったのでここには一人で、または生徒たちを引率して何度となく訪れたところです。そしてここから頂上までの自然ゆたかな、それだけにほとんど人とは出会うことのない山道を登って行ったものです。 そのように繰り返しこの桂のある道を歩いて、いつも心になにかを語りかけるようなものを感じてきたのがこの桂の大木でした。 樹木、とくにこのような歳月を経た大木には、ほかには感じられない重々しさがあります。数知れない風雨を受け、それによって倒されることもなく、かえって力強く成長し、太陽の光を浴び、地中のさまざまの養分や水を得てこのような風格ある樹木となっているのを思うとき、はかることのできない思いがここに込められているように感じるのです。
 
一人で、こうした年月を経た樹木のそばにたたずむときに、人間からは与えられない平安、そして励ましを受けることがしばしばした。 かつて、県内の中央部の山深いところに目立ったピークをみせている高丸山(1438m)に登ったときに、他ではみたことのない、ブナの直立した大木が林立しているのに接したことがあります。そのときは単独の登山で、ほかには誰一人登る人もいないしずかな山でした。その樹木の群れは私に強い印象を与えたのです。その大木のそばで引き寄せられるようにしばしたたずんでいました。そこには、神の揺るがない力、すべてを受け入れ、どんなものによっても打ち倒されない力のこもった静けさを感じたのを今も思いだします。 聖書が書かれた地域では大木として知られていたのは、レバノン杉でした。「主の木々、主の植えられたレバノン杉は豊かに育ち…」(詩編10416)と記されているように、この詩の作者も、こうした特別に力を感じさせる大木には神ご自身が植えられたと実感させるものがあったのがうかがえます。  (文、写真とも.YOSHIMURA