(238)神と正しい関係にある人にとっては、結局、敵というものはもはや存在しないのである。すべてのものが神のしもべにすぎない。(ヒルティ著 眠られぬ夜のために下
七月二十二日の項より)
・…Der mit Gott ganz richtig steht, gibt es uberhaupt schliesslich keine Feinde mehr;es sind alles nur Knecht Gottes.
神は、万物を支配しておられるゆえに、敵対する人をすら神がその御計画のために用いられる。神は、敵だけでなく、すべてを最終的にはよきに転じることができる。このことを、使徒パウロは、「神を愛する者たちには、万事が益となるように共に働く」(ローマの信徒への手紙八・28)と言った。私たちが神にしっかりと結びついているならば、生じる様々のことがすべて益となるように働くのなら、このような実感を深く持つときには、そのように感じさせてくれる神への感謝と讃美が生れるだろう。そしてこれこそ、「常に喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝する」(Tテサロニケ五・16)ことができる境地であり、そのようなところへと私たちは招かれていると言えよう。
(239)神の純粋な精神は、人間の生命の中よりも、自然のなかにこそ、より純粋に、より明確に現れている。いや、単にそれだけでない。人間は、自然のなかに純粋に現れているこの神の精神のなかにこそ、人間の本質や品位や高貴さを、鏡に映して見るように、まったく明瞭に、かつ純粋に、また全く根源的な姿において、観るのである。
…自然のあらゆる事物のなかで、草や木、ないし植物、とくに樹木ほど、その沈黙の思慮深さと、その内的生命の明瞭な表現とのゆえに、真実で、明瞭で、かつ完全で、しかも単純な現れ方をするものは他にない。(「人間の教育」上巻
二一三〜二一四P フレーベル著 岩波文庫)
・神の純粋な精神、すなわち清さ、力、無限の多様性、雄大さ、美しさ等々は、たしかに人間よりも自然の世界がずっと豊かにもっている。樹木、とくに大木のもっている沈黙の力、その姿は、それに触れるものにふしぎな感動を与える。他の動物にない、人間の最も霊的ないとなみは、目に見えない神を仰ぐことであり、祈りであるが、樹木の姿はその沈黙の姿が祈りを象徴していると言えよう。
・フレーベルは、一七八二年ドイツ生れ。父親は牧師。ペスタロッチの深い影響も受けた。生後九か月で母をなくしたこともあって幼児教育の重要性に目覚め、Kindergarten (キンダーガルテン)という名称の施設を作ったことで有名。なお、「幼稚園」はその訳語で「子ども達の庭」を意味する。植物に水や肥料をやり、育つのを助けるように、幼児に対しても自然的な成長、発育を助けるべきことを説いた。
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