2012年7月 |
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ことば (358)私は目が見えなくなっていくことは、打ち消しがたい悲しみであった。しかし、ようやくそのことについて平安を得ることができるようになった。 それは、「わが恵み なんじに足れり」というささやきを聞いたからである。… 世間の人のようによく見える目より私の目のほうがはるかによい働きを私に対してなしてくれた。 なぜかといえば、この眼のゆえに、いっそう真剣に祈ることができ、いよいよ深い思いやりを盲人のために寄せることがてき…日の光を恵まれない人たちのために、霊の光を与えるべく招かれる御声を、私は明らかに聴くのである。(「主はわが光」好本督著210頁 ) ・好本督は、日本の盲人世界に著しい働きをした。今月号にその一部に触れたが、その大きな働きの根本となったのは、みずからが視覚障がい者であり、徐々に見えなくなり、ついに失明に至るという悲しみと苦しみであった。 神は大きな働きをまかせようとするときには、こうした苦難や悲哀を与えるということが彼の場合にも明らかに示されている。 (359)祈り―その中心は「主の祈り」である―は、隣り人との交わりの中で、その衝動を覚えるのである。 祈りにおいていかに低き者であっても、そこでキリストの働きにあずかるこの上なき特権を与えられる。(同19頁) ・好本督の祈りは、具体的であった。たえず隣人との関わりのなかで―彼の場合は、とくに視覚障がい者との交わりのなかから常に新たな祈りが湧いてきた。盲人ゆえの悲しみや絶望に、関われとの御声をはっきりと聞き取り続けたのであった。 |