2014年10月 |
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ことば
(373)小さきを思うこと 私という存在が小さいものにすぎないことに注意をこらすこと。―ただし、自己嫌悪の念からわが身に鞭打つためでなく、またその卑小さを認めていることを自慢するためでもなく― ただ、もし私がそのことから目をそらせば、たちまち私の行動の誠実さを脅かすものとなるものとして、注意を怠ってはならないのである。 (ダグ・ハマーショルド「道しるべ」みすず書房145頁(*)) Not to brood over my pettiness with masochistic self disgust,nor to take a pride in admitting it - but to recoganize it as a threat to my integrity of action, the moment I felt it out of my sight. (「Markings」150頁 NewYork:Alfred・A・Knopf 1964年 ) disgust 嫌悪 brood over じっと考える, 考え込む, くよくよと気に病む pettiness ささいな, 取るに足らない, つまらない. integrity 誠実、高潔さ、品位 masochistic 自虐的な ・これは、私たちが自分がいつも正しい道からはずれてしまう弱い存在であることを、念頭においていないとき、ただちに傲慢という罪に陥り、他者をさばいてしまうこと、そして愛という主の御心から離れてしまうことを思い起こさせる。 主の祈りにおいても、私たちが他者の罪を赦すことと、自分の罪を深く知った上で、それを赦してくださいと祈ることが結びついている。 みずからの小さきことを絶えず思い起こしつつ、知った上で、主を仰ぐ。そこに新たな力を受けていきたい。 (*)ハマーショルド(1905~1961) スウェーデンの政治家・経済学者。国連事務総長(在職1953~1961)として国際紛争の解決に尽力。1960年、ベルギーの植民地から独立を果たしたコンゴは、激化する内乱(コンゴ動乱)の沈静化のため国連に援助を求めた。ハマーショルドは4度にわたりコンゴを訪問したが、コンゴ動乱の停戦の調停に赴く途上、飛行機が墜落して事故死。祈りを重んじて、国連の中に、「祈りの部屋」(黙想室)を設けていたほどであった。 スエズ動乱、ハンガリー動乱、そしてコンゴ動乱など、重大な事態が次々と彼の事務総長のときに生じたが、その激務のただなかに深い祈りを持ちつつ、全力で対処した。 私(吉村)は彼の活動していたとき、中学生であったが、新聞紙上に動乱の大きい活字とともにしばしばハマーショルドという名前を見て、その働きの大きさを知らされていた。 彼の母方は、学者や聖職者でありそこから、「福音書の最も根本的な意味において、すべての人は神の子として平等に造られており、したがって、われわれは、たがいに人々を主人として遇しなければならない、という信仰を受け継いだ」と言っている。(「道しるべ」9頁) 彼が事故死したときに持っていた唯一の書物は、トマス・ア・ケンピスの著と伝えられる「キリストにならいて」であった。 (374)主よ、来たりたまえ 主よ、来たりたまえ 主よ 来たりたまえ 澄み渡った空に もみじうるわしい朝 竹の葉につもった 雪が光る朝 思いがけない時 来られてもよいように 主にお会いする 備えをさせたまえ
主よ 来たりたまえ 主よ 来たりたまえ 尊き姿を 心にしのぶ朝 たしかな御約束 成ることを待つ朝に 思いがけない時 来られてもよいように 主に喜ばれる 者にさせたまえ (水野源三「わが恵み汝に足れり」25頁) ・主の祈り―御国を来らせたまえ…その祈りは、ここに歌われた「主よ来てください」に通じる祈りである。 聖書の最後の黙示録に言われていること―主イエスよ、来てください!(黙示録22の20) 主が来てくださること、この混沌とした人間、社会のただなかにあって、これこそは、その究極的解決である。 それゆえに、これは、私たちの日々の願いであり、祈りである。 |