2014年5月 |
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ことば
(361)絶えず祈る (Ⅰテサロニケ5の17) 絶えず祈る―これは、神に向って祈っている霊の姿勢である。上を仰いで祈り求めている姿勢がいつもなければならない。 この上を仰ぎ見る姿勢は、どんな仕事をしていても、またどこでも、会話のさなかでも、日常的な仕事を考えていてさえも、存在しうる。 (ブルームハルト(*)「悩める魂への慰め」31頁) (*)ヨハン・クリストフ・ブルームハルト (1805~1880年)ドイツの牧師、神学者。息子のブルームハルトもまた神学者として有名で父子は共に大きな影響を与えた。ヒルティとも同時代で、よく引用されている。
・苦しいとき、悲しみのとき、悪く言われるとき時も、常にこの主を見つめる姿勢があれば、私たちは立ち直ることができる。そして物事がうまくいっているとか、ほめられるときでも、傲慢にもならず、みずからのが主の御前にいかに小さきものであるか―心の貧しさにとどまることができる。 主は霊であるゆえに、私たちの心のどのような状態にあっても―部屋に鍵を閉めていた弟子たちのところにも入って来られたように―そこにともにいてくださる。 その主を仰ぎ、見つめて歩みたい。 (362) 忘れないうちに
今きいたこと 見たこと 心に感じたこと 忘れないうちに 消えない内に 主のうるわしいみわざを 賛美する詩をつくる (水野源三著「わが恵み汝に足れり」18頁) ・私たちの心はすぐに忘れていく。それゆえに、主日礼拝や家庭集会での講話、読んだ本、周囲の自然のたたずまい、新聞やテレビなどで知ったよき言葉…等々を書き留めておく。そしてそれらの一つでも他者にメールやはがきなどで送り、だれかと共有しようとする―そこに新たな祝福が生まれる。 水野源三の詩もみずからは寝たきりで言葉も出せない人だったが、そうして書き留められた詩の数々は、いまも讃美歌ともなり、歌われ、読まれて多くの人の心に御国の息吹をつたえている。 (363) 内面的進歩には、二つのもの、すなわち、われわれに語りかける声と、その声を聞くことのできる耳とが必要である。 (ヒルティ「眠れぬ夜のために上2月10日」) |