2014年7月
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(364)より高きへと導くもの

…天使は火焔の外なる岸の上に立ち、「ああ、幸いだ、心の清き者は!」

と歌った。そのさわやかさ、心地よさは、我ら人間の声をはるかに越えていた。

そして私たちが近づくと言った。

「聖き魂よ、この火に噛まれないうちは、先に行くことはできない。この中に入れ。かなたより響きわたる歌声に耳を傾けよ。」

…私が火の内に入ると、その熱さは非常なものだった…

かなたから聞こえてくる歌声が、常に私たちを導いた。    その声にのみ心をとめて行くと、いつしか私たちは、登りの始まる地点へと出た。…   (ダンテ「神曲・煉獄篇第27歌より」)

 

・神曲の煉獄篇の終りに近い部分で、この登りを終えて、地上楽園という命の水の流れ、花々の咲くうるわしい場所に到達する。だが、そこに至るまでに、炎の中を通り抜けていくという厳しい試練が待っていた。耐えがたいような熱さだった。

 彼がその中に入る前には、ダンテを導いてきたウェルギリウスが、ただ信ぜよ、かなたの賛美の声に聞き入れ、恐れを捨てて、火の中に入れ、と励ました。ダンテはそれによってヴェルギリウスに続いて火の中に入った。そのダンテを導いたのは、理性でも経験的知識でもまた、勇気でもなかった。

 それは、意外にもかなたから響く賛美の歌なのであった。

 私たちもこの世にて出逢うさまざまの困難に直面して、その苦しみを通って御国へと導かれるために、私たちも愛の神を信じ続け、御国から響いてくる清いハーモニーあるいは、歌声のようなものを聞き続けていくことが必要とされる。そして、これは個人においてと同様に、日曜日ごとの礼拝や、その他の集会においても言えることである。そこで歌われる賛美、それは私たちを全体として御国へと導く大切な役割をもっている。 

(365)つぎの世

 ほんとうに つぎの世があるのなら

あらゆるものを 捨てましょう

ほんとうに この世きりであるのなら

ああ どうしょう

わたしは 生きがいがわからない  (八木重吉「花と空と祈り」)

 

・死によってすべてが消えていくのなら、何故に正義や愛を追求する必要があるだろう。それならよいことも悪いこともみな死によって消えてしまうのである。そのような考え方でどうして生き生きとしたものを感じつつ生きていけるだろうか。

 聖書に記されてた神の言葉は、こうした空しい考えを根源から打ち砕くものである。復活、そして新しい天と地―がそれである。