2001年6月
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ことば

聖霊は自分一人がそれ楽しみのために用いるためならば与えられない。
聖霊はその力を用いて神の事業をなすために私たちに注がれるのである。
聖霊に接して、何らかの行動へと向かおうとしない者は、聖霊の火を消す者である。
神の恵みを拒む者である。
 私は恐れる、聖霊がついに自分を離れ去って、
私が再び聖霊の賜物を受けられなくなる時が来るのではないかと。

(内村鑑三所感集より)

2001年4月
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ことば

109)霊は言葉がなくとも祈ることができます。主を見上げるまなざしは、言葉がなくとも祈りを運んでいきます。言葉で言い表されない、人知れぬ思いは、主を仰ぐまなざしを伴っているときには祈りと、他者のための祈りを含むことができるのです。(ブルームハルト著「悩める魂への慰め」より)

ブルームハルトは、一八〇五年生まれ。ドイツの宗教家、牧師。病気をいやす賜物を与えられていた。

 私たちは具体的に名をあげて祈ることができるのはある程度限られた人です。もし、一人一人名をあげていくと限りなく時間を要することになります。しかし、ここでブルームハルトが述べているように、神への真実な心をこめた眼差しと祈りの心があればそうした多くの人たちのための祈りを同時に含むことができるというのです。そのような祈りは霊的なものとなり、神がその祈りを霊でもって広げていくからだと思われます。

2001年3月
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ことば

(108)人が自分でも、または他人についてでもただす力を持たないような欠点は、神がなされるまで忍耐強く待たねばならない。

中ヲもし、一度か二度忠告しても聞き入れられないときは、その人と言い争わずに、全てを神に委ねよ。神は悪を善に変える道をよく知っておられるのだから。
 他人の短所や弱点についても忍耐強くあるように努めよ。なぜなら、あなたもまた他人から当然忍んでもらわねばならぬたくさんの短所を持っているのだから。(「キリストにならいて」一・16より)