(261)深山は学識ある人を養い、羊飼いの野小屋は哲人を養う。
(「ドン・キホーテ」セルバンテス著 筑摩書房版
三一三頁 世界文学体系10)
・ もし人が、心を神に向け、心を真理に向かって開いているならば、山々、森林、自然ゆたかな山小屋、そうしたものは、人間の魂を深め、真理への感受性を高める。そうした自然は、神の直接の被造物であるから、神ご自身のご意志がそのまま映し出されているからである。
しかし、実際には深山や野小屋にいることができない人が多数を占める。その場合でも、神とともに一人あるとき、それは深山や野の小屋にいるのに近いものとなり、神に養われる。主イエスもしばしば群衆を離れて一人山などに退いたとある。
(262)人の心を征服するものは、決して武力ではなく、愛と気高い心である。(スピノザ著 「エティカ」中央公論社版 世界の名著 三三四頁)
Die Gemuter werden jedoch nicht durch Waffen,sondern durch Liebe und Edelmut
besiegt.
・これは、新約聖書で言われている言葉に通じる内容である。 「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」 (ローマ書十二・20)
燃える炭火を敵対する者の上に積むとは、相手の頭(心)に巣くう悪の根源を焼いてよきものにするということである。なお、現代では炭火など、弱々しい火力としか思えないが、石油、電気など何もなかった時代では、炭に激しく空気を送り込み燃焼させることで、鉱石をも溶かす千数百度の高熱を得ることができたので、当時としては最も強力な火を意味している。
(263)ほんのわずかな嘘が入っていても、―例えば、虚栄心のかすかな現れ、印象をよくしよう、外観を有利にしようというような考えでも、―ただちによい働きを台なしにしてしまうものである。
ところが、真実を語れば、すべての自然と霊とが思いもかけぬほどに後押しをして助けてくれるのである。真実を語れば、生あるもの、理性を持たぬもの、すべてのものがこぞって証人となり、足もとの草の根すら実際に身動きし、証言してくれそうに思える。(「エマソン論文集」上 岩波書店 一五七頁)
・ここには、真実の強い力が現されている。何らかの虚偽は至るところでなされているだろう。最近の原発事故を隠していたこと、政治家の不正、保険会社の巨額の未払い保険金、プロ野球会で、新人選手を許されない方法で多額の契約金を用いて獲得していたで等々、新聞テレビのニュースには偽りが発覚したことをしばしば伝えている。不正は明るみに出されると大企業であってもたちまち崩れていくほどで、不正というものが本質的にものごとを支える力がないことを示している。
それに対して、真実は一見弱そうに見えても不思議な力を持っている。キリストの真実はいとも簡単に十字架で処刑されて滅ぼされたように見えたが、実はいかなるものよりも強力な力を長い歴史のなかで発揮してきた。それは、万能の神が背後で支えて助けるからである。
ここで地下の植物の根すらも真実を助けようとして動き出すように感じる、というのは、目には見えないようなものですらも真実には敏感に反応して助けようとすることを象徴的にのべている。
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