2008年4

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本文

282)あなたは出会う人ごとに、何か善いことがあるようにと願っているか。...
(ヒルティ著 「眠られぬ夜のために」第二部 65日)

・聖書は人間の深い罪の本性を随所で指摘しているとともに、そのような弱い人間がどこまで心が清められ、高く引き上げられるかを示している。主イエスの隣人を愛せよということも、だれでも好きになれ、というようなことでなく、ここでヒルティが言っているような意味で言われている。
また、使徒パウロが「絶えず祈れ」と書いていることも、同様で、究極的な祈りの人とはこのような願いの心を持って日々歩んでいる状態を指すと言えるだろう。 私たちの自分中心性が根底から打ち砕かれて初めてこのような生へと導かれる。それは私たちの努力でなく聖なる霊の力によらねば到底あり得ないことだと言えよう。