2008年11月 |
本文 |
(299)どんな人間でも、どんな状態でも、 人は神さまに必要とされている、大事にされている。 聖書を読んでそう気づかされたとき、 「生きていてほんとうによかった!」と思いました。 (「ことばの雫」星野富弘著100頁 いのちのことば社) (300)私も若いときには、外来診療や患者の回診や注射、多くの検査などと忙しい業務で走り回っていた自分を反省する。忙しいから患者さんとの会話が短いのもやむを得ないと割り切って考えていた。 ところが、医師としての経験を積むにつれ、患者さんや家族との会話こそは、患者さんや家族にとっての一番大切な薬だということを次第に強く学ばされるようになった。 (「出会いに学び、老いに成長する」150頁 日野原重明著 講談社) ・人間は互いに心の交わりを求める。愛のこもった会話は魂にとっての大切な薬となるというのは、医者や患者に限らず、すべての人間にあてはまるだろう。 忙しい医者にこうしたよき会話を期待することは難しい。しかし私たちには魂の医者というべき愛の神、キリストがいて下さる。私たちが主と結びついていようとするなら、神もキリストも私たちの内に留まって下さるという約束がある。(ヨハネ十四・23) 私たちはそのうちなる神に語りかけ、神からの語りかけを受けるとき、最もよい薬をいただくことになる。 神との魂の語り合いを十分に持てないときでも、神の創造された夜空の星や青い空や雲、そして身の回りのささやかな植物たちを見つめるときにもそこから私たちに語りかけるものを感じることで、それもよき薬になる。 (301)主よ、彼らをいやしたのは、 薬草や塗り薬ではなく、 すべてをいやすあなたの言葉であった。 (旧約聖書続編・知恵の書十六・12) ・病気の苦しみや痛みにさいなまれるとき、何とかして少しでもこの苦しみを和らげる薬を、治療をと願うのはだれにとっても同じである。そしてそのいやしが与えられたときには大きな喜びがある。しかしなお、その後にも依然として残るのは、心の問題、悩みであって、それはどんな薬も治療もどうすることもできない。そのような最も奥深い心の苦しみをいやすのが、神の言葉であり、その背後にある神の愛である。 |