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○四国集会
第三七回 キリスト教四国集会(無教会)は、五月十五日(土)〜十六日(日)の二日間、徳島市のセンチュリープラザホテルにて開催されました。今回のテーマは、「主を仰ぐキリスト者の交わり」ということで、主を仰ぐこと、キリストの十字架を仰ぐことの重要性、そしてそこから生まれるキリスト者の交わりということでした。
そしてこのことを単に聖書で学ぶだけでなく、実際に、少しでも、二日間の集会を通して主にある交流を深めて、今後の互いの祈りを交わし、励まし合う一助となればと願って開催されました。
今回の四国集会は、徳島以外の四国の三県からは、香川は四名、愛媛は六名、高知から二名の参加でしたが、四国外から多くの方々が参加されました。北海道、山形、千葉、東京、静岡、大阪、兵庫、和歌山、岡山、鳥取、島根、広島、大分、沖縄といった都府県からも参加者があり、また、病気の状態であるにもかかわらず、主の不思議な力によって引き寄せられるように参加された方々もありました。
そのうち、鳥取や島根からは今回初めての参加でした。
また、全体の参加者は、インターネットによる大学病院に入院中の方の参加者一名を含めて百十八名で、そのうち視覚障がい者十二名(内全盲の方八名、弱視四名)、手話を要する聴覚障がいの方は三名、肢体障がいの方二名、(車いす、歩行器)、知的、あるいは精神の障がいの方々も複数名と、何らかの障がいを持つ方々も多く参加され、九十歳近い老齢の方から小、中、高校生といった若い世代の人も加わり、み言葉を学び、賛美、祈りをともにすることができたのは大きな恵みでした。
インターネットの無料音声通話ソフト(スカイプ)を用いて、徳島大学病院に入院中の勝浦良明さんも二日間参加できたことも感謝でした。 発病以来三〇年ほども寝たきりで入院している勝浦さんは、二年前の徳島での無教会全国集会には介護の方々とともに、酸素も持ち込んでの参加でしたが、今年はからだの具合がそうした参加に耐えられないということで、参加できなかったのでしたが、スカイプを用いて、病院での映像も全体会場に映され、四国集会の聖書講話やキリスト者の証言などだいたいのプログラムに参加できたこと、そして直接に会場の参加者も彼の肉声を聞いてともに礼拝と学びをすることができました。
今回は、一日目、二日目、それぞれに旧約聖書と新約聖書から、主を仰ぐことの重要性とそこから生まれる交流について二名ずつ,合わせて四名が語りました。
第一日は、旧約聖書の詩篇一三〇、一三三篇から愛媛県の冨永尚兄(松山聖書集会代表)が、続いてローマの信徒への手紙の十五〜十六章によって、大分県の渡辺信雄兄(別府聖書研究会代表)が語られました。そして二日目の主日礼拝には、徳島の吉村孝雄がとくにイザヤ書四五の二二節により、次いで埼玉県の関根義夫兄(浦和キリスト集会代表)が新約聖書のヨハネ十三章などから「昨日も今日も永遠に変わらないお方」と題して語られました。
それぞれ、三十分という短い時間でしたが、それくらいの時間がかえって聞いている人においても緊張が持続してよいと考えられます。
また、今回は、主を仰ぎつつ交流するということが少しでも実際にできるように、早朝祈祷やグループ集会ではメンバーが異なるように組み、さらに二日目の昼食時は、地元徳島からの参加者と県外の参加者とができるだけよく交わることができるようにと、地元徳島の人をバランスよくそれぞれの机に配置し、県内外の六人が机に向かい合わせて食事をし、そのあとも一時間ほど自由な語らいを県内と県外の方々でする時間としました。 これも県内や他県の人たちがせっかくの機会に同じ人たちとだけ交流することなく、多様な方々との交流ができるためでした。
これによって視覚障がい者、聴覚障がい者といった自分からはコミューニケーションがとりにくい方々もいままでよりも効果的にいろいろな人たちと語り合うことができたようです。
また、参加者は一〇〇人を越えていましたが、持ち時間一分で自己紹介をする(賛美や演奏でもよい)時間も持ちましたが、これは顔や名簿が見えない視覚障がい者に声によって参加者のことを少しでも知ってもらうためであると共に、も互いをよりよく知って交流を深めるためです。東京での全国集会などでは、だれが、どんな気持ちで参加しているのか、分科会で一緒になった人以外は全く分からないままになるということがほとんどです。目が不自由な人たちは、名簿もなく、姿も見えないのでは、壇上に立つ人しかわからないことになりますが、こうした全体の自己紹介によってどんな方々が参加しているか、がわかるのです。
キリスト者の証言としては、島根県の養鶏・農業の方(宇田川光好兄)、沖縄西表島での友和村での経験(石原つや子姉)、中途失聴の聴覚障がい者(桜井保子姉)、高校教員(那須 容平兄)、信仰を与えられた若者として(楢崎 聖子姉)、中途失明の闇からの導き(大塚 寿雄兄)の六名が十五〜二十分語られました。 今回語っていただいたのは、二十歳台の方が男女一人ずつ、後の方々は、五〇歳台から七〇歳前後までの方々でした。
グループ集会は、八つに分かれて今回の四国集会で印象に残ったこと、学んだこと、またそれと関連して思いだす聖句なども出し合ってより今回の四国集会が印象に残るようにという目的でなされました。
全国集会や、従来の四国集会では、教育や伝道、医療、憲法、温暖化など環境問題等々の分科会に分かれての話し合いでしたが、そこでは知識や議論にたけた一部の人たちが議論をして、救いを求めて苦しみや暗い心を抱いて参加人たちには、パンの代わりに石を与えるようなことになったということがしばしばありました。
社会問題は、新聞やテレビ、インターネットなどを開けば洪水のようにさまざまの意見や知識などがあふれていますので、今回の四国集会では、そうしたマスコミなどが取り上げようとしないみ言葉の学びやみ言葉をもとにした交流を目指したのです。社会的なあらゆる問題も実は、真理そのものの飢饉、み言葉の飢饉のゆえだと考えられます。議論でなく、み言葉そのものが参加者に留まりますようにと願っての企画でした。
土曜日夜の青年・若者の会は、一〇人ほどの集まりとなり、若い世代だけで信仰にかかわることを話し合うという機会が与えられて、少しでも、そうした人たちにみ言葉が留まり、相互に覚えあって歩むことができるようにと願ったことです。

聖霊の風
今回の四国集会では、いままで参加したことのなかった心身に何らかの痛みを持っておられる県外の方が直前まで参加可能かどうか迷っておられたけれども、参加できたという方々がありました。そして参加してよかったと、言われていたのは主の導きと感謝です。
また、日頃の集会には参加していなかった人が、うながされて参加したという方々もいます。こうしたことは、このような特別集会がなかったら経験できなかったことで、ここにも普段は吹いていない聖霊の風を感じたことです。
どんなに学んでも、人生長く生きてきても、私たちの罪深い性質はなかなか変わらないものですが、聖なる霊を受けるときには、いつもと違った心となり、力が与えられます。
そのような聖なる霊こそは、あらゆる人が待ち望んでいるものと言えます。

録音(MP3)・録画(DVD)など
今回の四国集会の聖書講話、キリスト者の証言、賛美タイムなどの録音を希望される方は申込み下さい。
・二日間の主要なプログラムの録音をおさめたCD(MP3版)
・二日間の主要なプログラムの音声と映像をおさめたDVD
いずれも送料共で五百円です。
来年は、高知県で、高知聖書集会の主催で行われることになりました。

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