野の花
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20021月号 最新版)

(第一部)

セントウソウの写真

セントウソウ

 

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は じ め に

 神の御手

徳島聖書キリスト集会 代表者 T.Y

 私たちは神の御手が存在するとか、この世に働いているなどと、ほとんど考えない。人間の手しかない、 あるいは偶然とか運命といったいわば未知の手が働いているといった程度にしか考えていない。

 しかし、神の御手はたしかにあるし、現に働いている。

 かつて私が、深い闇のなかにあったとき、じっさいに神の御手が私にはたらいてそこから救い出してくださった。それは忘れることのできない出来事であり、私の現在までの生活の原点となっている。

 そして今日までのさまざまの出来事のただなかで、たしかに神の御手がはたらいて、予想もしなかった助けを与えられ、また新しい出会いを与えられ、あたらしく神を信じる人たちが与えられてきた。

 ひとたび神の御手がはたらくとき、どんな困難も霊のつばさを与えられて、乗り越えることができるし、 それまで考えたこともなかった道が開かれることもある。

 二〇〇二年の新しい年も、どうか神の御手が私たちキリストを信じる人たちにのぞんで、いっそうの力を与えられ、 また困難にある人たちに救いの御手が差し伸べられ、また神の愛と導きを信じ切れないでいる人たちの心に触れて、神への確信が生まれるように、そして日本や世界においても、神の御手が伸ばされて、 各地で神との平和が告げ知らされ、 そこから真の平和が生まれるようにと願ってやまない。

 


    内容・もくじ  第一部               内容・もくじ  第二部


第一部(第一ページ)

第二部(第二ページ)

リストボタンはじめに(上記)

T.Y

リストボタンアーメンやぞ

M.K  

リストボタンターニング・ポイント

E.I

リストボタン一年を振り返って

Y.S 

リストボタンケアハウス・オクトで学んだ事

S.I

リストボタン心に残った聖句

H.S 

リストボタン私の音楽日記から

E.I

リストボタン主による恵み (ヨハネ福音書の学びを通して)

M.S 

リストボタンどこから来て、どこへ行くのか

U.I

リストボタン感謝して近況を

H.S 

リストボタン臨床で思うこと

M.I

リストボタン印象に残っていること

Y.T 

リストボタン短歌

M.I

リストボタン神のわざ

N.T 

リストボタン今年の作業所

M.I

リストボタン「俗」と「聖」の交差点で

H.T

リストボタン人はどこへ行くのかな

M.I

リストボタン選んだ御言葉

S.N 

リストボタンエス様の激語について思う

S.U

リストボタンただじとこと

E.T

リストボタン聖書の学びの会

M.O

リストボタン手話の学びに行って

Y.T 

リストボタン庭集会のこと

M.K

リストボタン葛藤

K.Y 

リストボタンこの一年をふりかえって

M.K

リストボタン今年一年のこと

H.N 

リストボタン振り返って

K.K

リストボタン心に残っている聖書の箇所から

H.N 

リストボタンクリスマス通信

Y.K

リストボタン詩編暗唱の恵みを感謝して

S.N

リストボタン二〇〇一年のこと

Y.K

リストボタンイエスのキス

T.N

リストボタン今年の海南・讃美堂集会で、特に印象深かったことか

K.S

リストボタン韓国からの通信

B.W 

リストボタン全国集会に参加して

I.K

リストボタンマザー・テレサの愛の言

T.H 

リストボタンこの一年をふりかえって

T.K

リストボタン今年の事を感謝

Y.M

リストボタン天に一人を増しぬ

M.K

リストボタン十二月

S.M

リストボタントンネルからの脱出

M.M

リストボタン内村鑑三の言葉から

T.Y

リストボタン昔の「はこ舟」より

Z.Y

リストボタンあとがき


(第一部) 本文


ターニングポイント   E.I

 前の文集にもちょっと書かせて頂き、重なるのですが、その辺が自分でも一番わかりやすい神様へのターニングポイントだったと思います。つまり、あるとき何か、いきなり向かい合って両手をとって友達がお祈りしてくれたんです。 神様に…。何といって祈ったか覚えていないのですが、「この姉妹に目を止めて下さい、 そしてお救い下さい」 とか何とか…

 最初はちょっと「ウ…」と思いました。その時は別に神様に救って欲しいとも何とも思ってなかったのですから。 所は県外のある宿泊所かホテルかどっちか忘れましたが、夜になっていました。

 何でそこに行ったかということもちょっと関係しているのです。友達はその頃、私の所にやって来ることになっていたのですが、急に来られなくなった。彼女の友達が癌で、どうしてもしようとしなかった手術をする事になったので、 一晩つき添ってやりたいということでした。もう一つは、彼女があるところに「証し」 を書いているのを送ってくれたのですが、それを読んで少なからずショックを受けていました。二十年も前から知っていたのに、そんな苦しい思いをしたことがあったのを全く知らなかったからです。

 自分はなんて不甲斐ない友達だったかと、ちょっと自分を責めるようなところもありました。それでこちらから出かけて行こうと思い立ったのです、同時に、理由は私の方にもありました、そのころ母が倒れ、ずっと世話をしていかなければいけなくなっていました。それが私一人の肩にかかっていましたので、精神的にも肉体的にも参った状態でした。 それに加えて、親の老いをまざまざと見ることで、「死」ということをかなり切迫して感じていました。「空の空なるかな すべて空なり」という、コヘレトの言葉があります。人間が生まれて死ぬ。以前から知っていた言葉ですが、まったくその通りだと思えました。

 けれどその頃は聖書の言葉とは知らずにいました。変ですが…。それを、いずれ読む時が来ると思い敬遠しながらも持ち続けていた古い聖書の中に、集会に通うようになってから見つけ、びっくりしました。そしてそれもちょうどその頃、眠る直前になると、底なしの暗闇にサーッと落ちていくような悪寒もして、このままではどうにかなっていくんじゃないか、とゾッとしました、これを更年期の症状と言ってくれる人もいましたが、 どうもそればかりでもなさそうでした。親の老いに接し、自分の一生というものも、少し離れたところから考えてみざるを得ませんでした。それに、これまで、自分でもおかしいな、何か不快だなと思いながらも何となく世に流されて来たようなことが積もり積もって、どうしようもなく、心の自由を束縛されているように思えました。 この、 束縛されている感じも、非常に息苦しく、厭でした。そんなやこんなが重なり (あぶく) のような自分は一度死ぬ必要があるのではないか、そして別の価値観で生き直すことができないだろうか、 と加賀乙彦の『宣告 (死刑)』など読みながら、漠然と感じていました。それで少し日常を離れ、 ぼんやりと何かを考えてみる必要があったのです。あとから思ってみると、こういった偶然の重なりのような成り行きがすべて、神様へと引き寄せられていく過程でした。けれど神様は決して無理はなさらず、徐々にすべてを納得させながら、四方八方から、しかもとても優しい方法で道を狭めて行かれたのでした。

 本当に驚きです。

 友達が祈ってくれている時、何か「不思議な感じ」が流れ込んで来るのを覚えました。ふと見るとなぜか彼女の目から涙が流れていました。自分も同じようであったでしょう。
 その涙の目から狭い針の穴?ほどの門が見えたのかも知れません。あとで気がついたのですが、あのとき流れ込んで来たのは神様からの 「新しい生命」であったと思っています。
 集会に通い始め、Yさんの聖書の解きあかしに接してからは、もっと、驚きの連続でした。でも初めのころはまだ、 神の存在を信じていたわけではありませんでした。半信半疑というのが正直なところです。ところがある時、大げさではなく、天の端から端へ雷鳴が轟いたように思えたことがありました。

 それは「我は有りて在る者なり」「わたしは在る (存在する) という者だ」の言葉でした。これは神がモーセに言われたのですが、私は自分の半信半疑が見透かされ、この言葉が天から自分の頭上に降って来たかに思えました。ドヒャーという言葉が適当かどうかわかりませんが、そんな感じ。このころから自分の姿勢が定まりました。

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リストボタンケアハウス・オクトでの集会で学んだ事  S.I

  「老年期の生活目標は実を結ぶことであって休息することではない。」 (ヒルティ)

 老年の喜びと青年の喜びは同じ様に魅力的で他人に伝染する力をもっている。老いをいやすものは興味と熱心と仕事にあり、さまざまなことに興味をもつことは心身の源泉です。楽しさが沸いてきます。

1、 隠退をしない
2、 毎日楽しい事を学ぶ 
3、 毎日だれかに親切にするように
4、 消極的にならないこと
5、 毎日自分の回りに何か感謝すべきものを探す。
6、六十歳以上の人々は国民の能力と精力 (エネルギー) の最上の貯蔵タンクである
7、 今の一年が常に自分の人生の中で最上の一年である。


 私たちは皆他の人々の生活を豊かにし人に分け与えられる何かを持っている。老境に近づくにつれ真実の友情は輝きを増してくる。

 しらがは光栄の冠

 年老いてしらがになっていても

 神よ、 私を捨てないでください

 私はなおもあなたの力を次の世代に

 あなたの大能のわざを

 後に来るすべての者に告げ知らせます。(
詩編七十一編)


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リストボタン私の音楽日記から    E.I

 大バッハと呼ばれているJ・S・バッハは、六五年の生涯に作品番号がついているものだけでも千八十曲もの作品を残し、なかでも《マタイ受難曲》はクラシックの枠に止まらず様々な分野で最高の評価を受けている。 音楽家の故武満徹氏は、作曲に取り掛かる時には禊みそぎとして必ずマタイを聞くといっておられたが、 《マタイ受難曲》は音楽にあまり関心がない人にも崇高さを感じさせる不思議な力を宿している。

 バッハは福音書すべてを作曲したがマルコとルカは未完に終わった。完成した《マタイ受難曲》と《ヨハネ受難曲》はバッハの教会音楽の頂点をなすばかりでなく、世界の音楽史上不朽の名曲となったのである。因みに二〇〇〇年はバッハ没後二五〇年だったことから世界各地で様々なイベントが行われ、ドイツのシュットガルト・バッハ・アカデミーが現代作曲家四人に福音の受難曲を依頼し、その初演は日本でも放送された。ワーグナーはバッハを「あらゆる音楽の中で最も驚くべき奇跡」と賞しているが、バッハの死後、彼の作品は、ほとんど忘れられてしまったという。

 今日では考えられないことだが、メンデルスゾーンによってバッハ復活がなされるまで、バッハは葬り去られていたのである。

 一般の音楽史ではバロック時代を一六〇〇年からバッハの亡くなった一七五〇年までとし、それ以降の音楽の流れは古典派への影響を強めたため、バッハの作品は埋もれてしまったということになっている。バッハの作品がようやく日の目を見たのは十九世紀のこと、ロマン派の台頭でバッハ復活の動きが現れ、フォルケルの《バッハ伝》に続くメンデルスゾーンの《マタイ受難曲》の演奏においてである。特に後者は、当時の人々にバッハの宗教性に目を開かせるという意味で、キリスト教的にも大きな功績になったに違いない。

 バッハは、これによって後世の人々に大きな影響を及ぼすことになる。リストの曲に《十字架への道行き》という三十分あまりの合唱曲があるが、この曲の中程に《マタイ受難曲》のレシタティーヴォの旋律がそっくり使われている。 グレオリコ聖歌のようなおおらかな序奏で始まるこの曲を聴いていると、キリストの復活を讃美する作曲家の深い信仰を感じずにはいられない。私は、リストが謡るぎない信仰に強く引かれ、自作の受難曲には《マタイ受難曲》のレシタティーヴォを挿入することでしか完成させることはできないと考えたのではないかと思う。

 バッハ復活の貢献者となったメンデルスゾーンはユダヤ教からキリスト教に改宗した両親の許で敬虔なクリスチャンとして成長した。彼のバッハへの情熱は、自身をバッハが信仰していたプロテスタントへ向かわせ、 さらにルター派の教会員にもなっている。「たとえ人生が私から希望と信仰を取り去っても、唯一この合唱曲がすべて元に戻してくれる」。彼は《マタイ受難曲》をこの様に評して、この世で最も偉大なキリスト教音楽であると賞賛を惜しまなかったと伝えられている。

 メンデルスゾーンといえば、《バイオリン協奏曲》があまりにも有名だが、絶対見落としてはならないのが数々の協会音楽だ。オラトリオ《聖パウロ》や《エリア》等、数え上げればきりがないが、惜しまれるのは、 三八歳という夭折で未完となったオラトリオ《キリスト》である。未完であっても三十数分もの作品で、途中に《マタイ受難曲》のコラールが使われている。バッハに傾倒したメンデルスゾーンの精魂込めた作品といえる。

 キリスト教を主題にした作品は名曲とされているものでも数え上げればきりがない。おそらく人間が生存する限り聖書を題材にした作品は延々と生み出されていくに違いない。

(
いけばな)

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リストボタンどこから来て、 どこへ行くのか    U.I

 創世記十六章アブラムの妻サライの奴隷ハガルが、サライのいじめから逃れ荒野をさまよっていた時、主のみ使いから声をかけられた。今の私たちも「どこから来て、どこへ行くのだろう。」み使いはハガルに「女主人のもとに帰り従順に仕えなさい。」と言われた。

 女主人のもとに帰り従順に仕えるということは苦しみを耐え忍びなさいということだ。このハガルの苦しみは、 ハガルが女主人サライを軽んじたことから始まる。アダムとイブの子カインとアベルから今の時代まで争いは絶えたことがない。人間の争いはアダムとイブが神にそむいた時から始まる。人は神が創られたもの、 ほんの少しこの地上に生き、やがては神のみもとに帰るものである。この世にある少しの時、争いのない平和な時であって欲しい。しかし詩編二十三編では「あなたが私と共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖それが私を力づける。」と。

 神様は鞭で私たちを鍛錬してくださるお方でもある。神は愛の杖で導いてくださるけれど鞭もいただかなければいけない。ヨブ記では「神から幸福もいただいたのだから不幸もいただこうではないか。」とヨブは言っている。

 
「女主人のもとに帰り、従順に仕えなさい。」このみ使いの言ったことは今の私にとっては「神のもとに帰り神に従順に仕えなさい。」ということだ。そうすればやがて創り主のもとへ帰りいつまでも神のみもとで懐かしい人々と共に安らうことが出来るだろう。私もそういう者になりたい。

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リストボタン臨床で思うこと    M.I

 僕は今、高等学校衛生看護科に通っています。十一月に戴帽式を終え十二月十一日より徳島赤十字病院での看護臨床実習に臨んでいます。毎朝申し送りから始まり夕方終わるまでその一瞬一瞬が常に緊張の連続であり、 またそれが臨床という場では常に必要です。刻々と変化していく患者様の状態を見逃すことなく観察することは大変なことで看護婦・士としての高度な知識と技術が必要とされます。臨床という場はドラマなどとは全くことなった本当に命の現場そのものだということを痛感する毎日です。僕たち看護学生が目指している看護婦・士という仕事には許されない失敗や取り返しのつかない失敗があります。なぜか、それは僕たちが相手にする人間は疾病をもった患者様だからです。

 しかし「他には誰一人として存在しえないその患者様」に対し一人一人の患者様が求めている看護をするのは大変難しい事だと思うし経験がないとなかなか出来ません。そんな所に難しさを感じながらも逆になんて看護というものは奥深いものだろうと感じながら悪戦苦闘している毎日です。

 
病院に入り白衣に着替えれば僕たちはもう高校生ではなく看護学生として病棟へ行くことになります。 患者様から見ればきっと高校生としては見られないでしょう。その目からは看護学・医学を学んだ知識と技術のある看護学生として映っているはずです。病棟に出ればまだまだ看護婦さんの足下にも及ばない僕たちですが学生だからこそ患者様にしてさしあげられる看護があるはずです。本当に患者様に満足していただける看護を実践いていくためには学習は絶対不可欠です。僕は常に学習を怠らず常に「その患者様にとって必要な看護は何か」や患者様の安全と安楽を考えながらこれから来年の九月までに配属になる各病棟でこれらのことを実践していきたいと思っています。  

 
「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。マタイによる福音書二十五・」主にありて。 

 (
看護学生 十六歳)

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リストボタン短 歌  M.I

一瞬で同時多発テロ世の中は愚かな歴史また繰り返す

愛もちて平和を叫ぶ声消され戦争参加は大きな輪となる

肩書きの多きその人主を知らずまことの幸を教えたきなり

義人など一人もいない我々を赦し愛してくださるお方

神さまは高価で尊い者としてひとりひとりを生かして下さる

背負いたるさだめ殊更重たくて丸き背となる看病の日々

(
団体職員

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リストボタン今年の作業所    M.I

 神様を中心とした障害者自立の作業所を目指して今年も一年が瞬く間に過ぎてしまいました。人間関係にしても仕事にしても相変わらずドタバタの毎日ですが、今年は少しずつ違った展開がありました。販売用のお菓子づくり、宿泊者の食事作りをしてくださるボランティアの人が与えられました。また、徳島聖書キリスト集会につながっている人も二人新しく作業所に加えられ、宿泊の人も一人増えました。

 物心両面で支えてくださった方も沢山おられ貧しい運営ながらも恵みの一年でした。日々の作業が精一杯で月二回の家庭集会が神様の前で正座する唯一のひとときです。これからは少しずつ、みことばが生かされ与えられる作業所になって行ければと思います。

あなたがたは恵みゆえに信仰によって救われたのです。それは自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。 (エペソ書二・8)

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リストボタン人はどこに行くのかな    M.I

 人は悩みの時、苦しみの時、 どこに行こうとしているのか?人は時に悩みにぶつかる。ある人は入試、ある人は就職、又職場の中で悩む。結婚、子育て、病気、障害、老い、死んだ後どこへ行くのか? 次々と悩みはやって来る。 一つ一つが解決された時、悩むことはなくなるのか? どうもそうではないらしい。

 私は今年の始め、予期せぬ入院、退院後のリハビリを体験した。しかし、九ヶ月後の今、デイケアとデイサービスの職場が与えられ勤務している。毎日、老人と接していると、実に多くの環境や背景を持っていることを知らされる。加齢と共に、体力が落ち、店めぐりは過去の事となっている。酒に酔う人もあれば、性に走る人もいる。 宗教を渡り歩く人もいれば、詩歌を唄う人もいる。老人になれば賢く、心身ともに平和な生活が出来るのだろうか。どうもそうではないらしい。近い将来の事で悩み、心身穏やかではない人もいる。人の言葉に恐れるのも、また人である。

「あなたがたの父である神は喜んであなたがたに御国をお与えになるからです」新約聖書ルカ福音書十二・

 今の職場に就職した初日に、次の様な言葉を聞いた。「極楽とか天国とかの言葉は、ここでは禁句です」 と。 しかし 「生きていても天国、あちらに行っても天国」とつい口に出てしまう。神様が、今日も共にいて下さると信じる人にとっては天国そのもの。お任せして、委ねきっている老人に出会う事もすばらしい発見である。

 
「人はどこに向かって生きて行くのか?」と考える事があれば思い出して下さい。

  「わたしが道であり、真理であり、命なのです」(ヨハネ福音書十四・6) と言う言葉を。

 むしろ、 あなたがたはこう言うべきです。「主の御心なら、私達は生きていて、このことを、または、 あのこともしよう」と。 (ヤコブ書四・)

(
施設職員)

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リストボタンイエス様の激語について思う    S.U

 イエス様が頑なな聖書学者やパリサイ人に対して、その教条主義を非難し、形式主義を指摘し詰問されている箇所は共観福音書を通して随所に見られるが、とりわけイエス様が激語をもって、サタンに対処している場面が二ヶ所ある。

 
その一つはイエス様が荒野で遭遇されたサタンの誘惑であり、他の一つは人の心情を駆使利用して、その目的を達成しようとするサタンの暗躍であった。前者は肉のかたちをとられたイエス様は、その弱さにより、 サタンの誘惑を受けられるようになったが、その企みを見抜かれたイエス様はサタンに乗ずるすきを与えなかった。

 手段に窮したサタンは最後に世界中の国と栄華とを見せて『あれを皆あげよう。もしひれ伏して、わたしをおがむなら。』 (マタイ四・9) といった。しかしイエス様は『ひっこんでろ、サタン』 (マタイ四・) と激しく鋭い語気をもって退去を命じられた。

 イエス様はこのサタンとの対決で、終始神のみ言葉で対応され、神の御子としての権威と力を示されて、サタンを屈伏退去せしめた。それはサタンに対する私たち信仰者の師表として、生きて仰ぐ神のみ言葉を如実に示されたことであった。

 また、長期間にわたる荒野の断食により、飢餓の極みにあったイエス様をそそのかし陥れようとしたサタンも、 まったく動じないイエス様の権威の前になすすべもなく引き退ったのであった。欲心は人の本性であり肉と表裏をなすものである。十二使徒の一人であるユダに対して、欲心は彼の理性を失わしめた。コロサイ書には 『貪欲を捨て去りなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。』 (三・5) とある。またテモテ書では 『私たちは、 何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができないからです。食べるもの着るものがあれば、 わたしたちはそれで満足すべきです。』 (一、 六・7-8) といわれている。

 後者はイエス様のただならぬ決意にイエス様の身を案じるあまりの進言であった。イエス様にペテロのその気持ちが解らぬわけではなかった。否、解っているからこそなおそこに見え隠れしているサタンを意識しての発言であった。神のご計画に従うイエス様の決意を阻止し神から人を引き離そうと企む者、そこに神の敵対者サタンを見たのであった。

 私たち信仰者の日常においても、サタンが自らサタンと名乗って信仰の邪魔をすることは先ずありえない。 しかし人が意識すると否にかかわらず。神から人を引き離そうとするもの、言葉たくみに神から離反をそそのかすもの、そこにイエス様は暗躍するサタンの影を認めたのであった。

 信仰とは見方によってはサタンとの戦いでもある。聖書は、常に目を覚まして祈ることを説かれているが、 それは事あれかしと窺うサタンに対する、わたしたち信仰者の心構えでもある。

 (
註 マタイ伝の引用は「福音書」 塚本 虎二訳を用いた。)


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リストボタン聖書の学びの会    K.O

 一人一人の心の中に神の苗木が植えられ、幹が育ち、それぞれの枝が伸び、個性的な葉を広げ、植えられた環境の中でさまざまな事を学び、アクオーの会の聖書の学びも今年十二月十二日で一七六回、根を張る事が出来ました。

 何も知らず軽い気持ちで、どのような事になっているのか分らないままスタート、現在まで導いていただき有難うございます。神様、全てに対し心から感謝しております。

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リストボタン家庭集会のこと    M.K

 第二月曜日と第四月曜日に、私の家で集会が与えられる様になり、Yさんが来てくださっています。

 Hさん、私と、三人でこの集会で始まりました。その頃の、讃美は、私たちの声が小さくYさんがいつも、 大きな声で讃美をして下さっていました。 神様が共にいてくださる、この時間は、とても緊張もありましたが、清らかで、平安があり、自分自身がとても素直になれる場所でした。このお話を沢山の人に聞いてもらいたいと私は思っていました。Hさんのお友達のTさんが来るようになり、少しずつ、讃美する声も大きくなりました。もう五年を迎える事が出来ました。 それぞれが、重荷を持っていますが、少しずつ、神様によって、 軽くされ、失敗の繰り返し、反省ばかりですが、集会につながることによって、新しくされています。Kさん、Hさん、Eさんと、神様からの、導きにより良い交わりを持て、楽しい集会になっています。

 一人、 一人、個性があり、悩みも違います。それぞれの悩みも、共に苦しみ、思い、共に祈り合うこと、 この世の集まりの中では、自分をよく見せようとして、本音で話をすることが出来ませんが、ここに来ると 「何でも話をしてしまう」と参加されている方がいいました。本当にそうだと思います。素晴らしいことだと思います。

 み言葉を聞いているとき、感話を聞いているとき、讃美をしているときいろんな涙があります。皆の話を聞いて共に祈り合ったり、心が一つになるときに、神様がここにいて下さると感じます。そして今は大きな声で讃美をしています。みんなに支えられていること恵みです。新しい方が導かれますように。

 藍住集会の中でも、何人かの人が、Yさんから、パソコンを教わっています。私もその中の一人です。とても勇気がいりました 初めから時間をかけて、教えてくださるYさんに感謝しております。

 少ししか前に進みませんが、私にとっては大進歩です。後ろへ下がらないように前に進んでいきたいと思います。神様の祝福に感謝致します。              (
美容師)

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リストボタンこの一年をふりかえって    M.K

 これまで続けてきた反タバコ運動は今年ひとつの節目を迎えた。というのは、順番が回ってきて、私は職場の組合の執行委員となり、組合としてタバコ問題を取り上げてもらったからである。まず全組合員を対象としてアンケート調査をし、大多数がタバコ対策を求めているということを確認した。建物内禁煙、歩行喫煙禁止を大多数の人が求めている。その結果にもとづいて理事会に対する要求案を作成した。この要求案は、各職場分会、常任委員会、総会で承認された。団交の席上で、要求理由を次の通り説明した。 

 職場での喫煙の害から解放して欲しいということは、アンケート調査の結果からも明らかなように、労働者の総意として要求する。 これは労働環境の問題であり、労働組合が取り組むべき重要な課題である。厚生労働省をはじめ、 各自治体もこの問題に乗り出している。

 和歌山県は小中高の公立学校では全面禁煙とする方針を打ち出している。伊丹市も喫煙率0%を目標に掲げている。大学においても、同志社、龍谷、青山学院、上智、東北学院など、多くの大学が熱心にタバコ対策を進めている。 我が大学においても、 一層のタバコ対策を講じていただきたい。 

 二〇〇一年四月から徐々に教室の入っている建物内の灰皿が撤去され、分煙が進んでいるが、しかし、教室の入っていない厚生棟などのロビーには灰皿が残っている。また、喫煙場所が建物入り口付近にあり、 どうしても煙の中を通過しなければその建物に入れず、喫煙場所として不適当である。さらに、歩行喫煙は迷惑である。 タバコ弱者に迷惑のかからないように対策を講じて頂きたい。 

 また、 喫煙者本人にも配慮するべきである。喫煙者を迫害するのではなく、社会として暖かい手を差し伸べるべきであり、その効果的な方法として、喫煙可能な場所を縮小していくことによって彼らを禁煙に導く、 ということが多くのタバコ問題の専門家たちによって提言されている。(注1

 この我々の職場においても、在職中に心臓病、肺がん、咽頭がんなどのタバコ病を発症する例は多いはずである。○○教授は心臓病で亡くなられた。 記念会では奥様はタバコをやめてくれるようにと何度も夫婦喧嘩したと言われていた。職場がきちんとタバコ対策を講じておれば、喫煙者は禁煙の努力をし、救われた命もあるはずだ。受動喫煙者の害は言を待たない。 

 また、タバコ対策について、他大学の様子を見てから、という意見がある。それは間違いであり、人間愛、 隣人愛に基づいて率先して行うべきである。 我々の関西学院は、他の学校に先駆けて盲人を受け入れてきた学校である。世界に伝道した盲人の熊谷牧師が神学部を卒業したのが一九一二年、そのほか、岩橋武夫、本間一夫をはじめ、幾多の盲人を受け入れて世に送り出した。他の大学が盲人を受け入れ始めたのは、 戦後の学制改革の後であり、 一九四八年以降である。それまでは関学が受け入れなかったら盲人は大学教育を受けることができなかった。このように、さきがけとなることには大きな意味がある。(注2)関西学院百年史には、 このことについて、「学院が誇るべきものであり、大切な伝統として継承しなければならない」 と書かれている。 どうか、タバコについても、これは命の問題であるから、この隣人愛の伝統に基づいて行動していただきたい。 

注1) その他、カウンセリング、あるいはニコチンパッチなどの薬もある。ルールで締め付けるだけではなく教育も必要であるし様々なサポート体制が必要である。

注2) 関西学院百年史 (通史編) 三九八頁参照

その他の参考文献:

  「はこ舟」 二〇〇一年十月号四八九号、「見えること、見えないこと」本間一夫著、「指と耳で読む」、 岩波新書 岩橋武 夫著、「宗教と路頭」、キリスト教青年、第二巻三月号一九三 六年三月一日        (
大学教員)


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リストボタン振り返って    K.K

 集会に導かれて四年。 この一年も、 いろいろなことがあった。 めまぐるしく、 さまざまな、 本当にさまざまな出来事があった。 目を閉じて思い返せば、 不思議と、 楽しかったことよりも、 苦しかったときのことのほうが、 なつかしいように思えてくる。 それは、 主に支えられたからだ。 苦しかったときに、 必ず主は共にいて下さった。 間違って失敗してしまったときも、 疲れ果てた時も、 恐かったときも、 辛かったときも、 叫んで、 叫んで、 叫び続けると主は来てくださった。 状況が変えられなくても、 不思議な平安でわたしを支えてくださった。 しかし、 主に背いてしまったときには、 その平安は奪われる。 祈っても、 平安が与えられない。 自分の間違いを知らされて、 苦しくて、 ごめんなさいと心の底から言えるまで、 平安は与えられない。 贖われても、 なお、 どうしようもないわたしがいる。 きっと、 死ぬまでこんな自分と戦い続けるのだろう。 でも、 「わたしはあなたを決して離れず、 また捨てない」 と約束してくださるイエス様。 「わたしはすでに、 世に勝っている」 と示してくださるイエス様。 わたしの状態がどんなであっても、 十字架の力に、 ただただすがっていくしか、 道はない。

  溺れる者

 わたしにはどうしようもなかった日々がある。 生きている意味も目的もわからずに、 神様の裁きだけが遠くに見えるような気がしていた。 それは恐ろしいことなので、 何とか忘れようともがいた。 登ろうとすれば落ちていく、 砂の坂道を上っているようだった。 溺れる者のようだった。 しかし、 この日々が、 あったからこそ、 今の恵みがよくわかる。 過ぎ去ったこの日々達は、 今なおわたしにいろいろなことを語りかける。 心のすきまに忍び寄って、 私を引き落としに来るときもある。 サタンの声にわたしはいとも簡単に動揺する。 しかし、 そこに、 再び主が来てくださる。 わたしがいったい何を誇れるのか。 思い上がろうとするときに、 この日々たちが、 わたしを砕いてくれる。 こんな所に主は来てくださったのだ。 来てくださらなければ、 今頃どうなっていたことか。 「溺れる者は、 わらをもつかむ。」 と言われるとおり、 そのときに目の前にあったものをわたしはつかんでいただろう。 「わら」 をつかんでいたら、 溺れてしまって、 死んでいたかも知れない。

 だから、 何があってもイエス様から、 離されたくない。 主よ、 どうぞおわりまでお守りください。 「求めなさい、 そうすれば、 与えられる。」 と約束して下さる主よ。 どうか聖霊をください。 導いてください。 信仰がなくならないように、 と、 イエス様がペテロに祈られたように、 どうぞわたしも主よとりなしてください。

 心に灯された、 尊い小さなともしびが、 おわりの日まで消えませんように。

(
看護婦)

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リストボタンクリスマス通信    T.K

 いと高きところには栄光、 神にあれ、

  地には平和、 御心に適う人にあれ。

 クリスマス おめでとうございます。

 十二月十六日には、矢内原忠雄四十周年記念講演会に参加されました由、きっと霊と祝福に満ちた集いであったことでしょう。 私もよろこびを分けて頂きました。 今年はそのような記念すべきクリスマスであることに深く思いを致しつつ、赤茶けた「嘉信」の綴りを取り出しました。「最終228号」これを開きますと当時のことが昨日のように思われます。

 暮れが迫るにつれて、先生の御容態の重さがわかり合う方から伝わっておりましたところ、十二月二十六日の朝、勤め先で紙上の訃報に接しました。落胆、悲しみ、遂にお見舞いできなかった悔い、それらの交錯に呆然としていたことと共に、少し遅れて届いた「嘉信」の記事は忘れることが出来ません。奥様の手記になる 「終刊のご挨拶」 がそれで、深く心を打つものでした。万々ご存知と知りつつ、改めて写させて頂きます。

 
「…人には霊と肉との戦い、悪魔と罪との闘争がありました。それは病気の苦痛にくらべられない何倍かでございました。 …あの何者にも負けない勇者の主人が泣いておりました。かけ布団で顔をおおって泣きました。 ほんとうにこれ程迄に自分の罪を神の前にさらけ出して赦しを求めた人がありましたでしょうか。 …幾日か経ったある日、主人は私に申しました。『僕の罪は赦された。僕は神様のみもとに行くというお示しを受けた。』 …

 省みますとあの時の戦いはこの世と天国、神と悪魔、生と死との戦いでございました。 

 ああ、神様は主人に勝利の旗を完全にあげて下さいました。」

 同号、巻頭の「クリスマス」と題する先生の口述紀も併記します。 

 
「…自分でペンを持つことが出来ない。いつまで神がこの試練に遇わせ給うのか。ただ忍耐と祈祷と苦痛の日々を繰り返すのみである…。

 しかしこのクリスマスほど感謝に満ちて迎えることもない。第一は神は我が罪を明らかに示し、これを赦し、 新しいものとして生まれかわらしめ給うからである。イエス・キリストの誕生がなければ、この大きな恵はとうてい受けることができない…。

 その感謝のクリスマスの午後、 一九六一年十二月二十五日、先生の盃は溢れ全きみゆるしのうちに神のふところにかえられました。 イエス・キリストの旗手としてご自分の馳せ場を走り貫き、凱旋されたのでした。天にもまたハレルヤの声が満ちあふれたのではないでしょうか。まことに、天に宝を積み重ねられた厳しいご生涯でもございました。」

 この五年前の一九五六年四月号にあった記事を紹介いたします。「死後の生伝」と題して次のように書かれています。

 
「…愛するものを天国に送った時ほど、その者がわれわれに近く生きていることはない。その時ほど私が彼を愛することもなく、また彼が私を愛する時もない。愛においては死は別離でなく結合である。彼は天よりの祈りを以って地上におけるわれわれを慰め、励まし、われわれの思いを天に引き上げる。」

 この記事の二年ほど前、九州で先生は激しい胃痛にあわせられ、七転八倒し、回復に時がかかったと聞いていました。先生はご自分の死をみつめられていたのでしょうか。

 死別というご自分の実体験のうえに、残る者への愛を注がれています。七十半を越えた私にいつ何が起きても不思議ではありません。イエスの十字架による赦しに導かれた者にとって、死は滅びではないのです。 でも私には永生への確信にはまだ望みの段階にあります。こういう現状にあって天よりの祈りが届けられること、 イエスの降誕と重なって新しいいのちにあずかれることは大きな励ましの力であり恵でございます。

 沖縄から帰りの船中で矢内原先生の思い出を語り合うことから旧知のような交わりを頂いてまいりましたが、 この夜のご消息で、改めて先生を近々と感じることになり、不思議な導きを覚えます。仰せの通り「我が恵、 汝に足れり」まことにその通りで、おかげで元気も回復し感謝いっぱいのクリスマスを迎えようとしています。

 
「嘉信」の引き写しのような手紙になりましたが、これも聖霊の導き、天からのメッセージとお受けとめ頂ければ幸いです。

 あなたのクリスマスにどうか豊かな祝福を。

   二〇〇一年十二月二〇日         主にありて

   
S子様 〒七七〇-八〇八四 徳島市八万町法花谷二六八-四 




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リストボタン二〇〇一年のこと   Y.K

 二〇〇一年を振り返ってみて、おもに三つのことを思い出します。

 
一つは、五月から十月まで、私の主たる介護者であるSさんにいろんなアクシデントが重なって、介護の態勢が不安定だったことです。別の介護の人に依頼したのですが、不慣れなために生活が普段通りにいきませんでした。それでも特定の人に任せられたのは大きな感謝でした。これからもこういうことがあるかも知れないと考えておく必要性をつくづく感じました。 そういった中でも、十二回の 「つゆくさ集会」が守られたのは幸せでした。

 
二つめは、十一年以上続いてきた医療過誤裁判が終わったことです。結果は一審のままの決定で、不満の残る判決でしたが、私の勝利でした。 裁判を闘うというのは並大抵のことではありません。使うエネルギーは普通ではないし、相当の精神力が要ります。口頭弁論が開かれる度に一喜一憂しなければなりません。私のように小心者にとってはかなり厳しい十一年間でした。医療過誤事件は最近増えているし、今後も多くなると予想できるので、私のような悔しさを他の人には味わって欲しくないという思いが強くありました。もし提訴をあきらめていれば、悔やまれてもっと辛い人生が待っていたと思えば、これで良かったと考えています。 今やっと平安な気持ちでいられます。「祈りの友会」に入っていながら、自分のことに精一杯で、身近な人や病気の方達や祈りを本当に必要としてる方のための祈りがおろそかになってしまったことを、お詫びしなければなりません。

 
もう一つは、今まで続けてきた徳島聖書キリスト集会で用いられている讃美歌集のコンピュータ入力が全部終わったことです。Sさんが私の病室を訪ねて下さるようになった九六年五月に始めたので、五年半ほどかかったことになります。でも、この役目を与えて下さり、完成させて下さった主イエスさまに深く感謝しなければなりません。完成といっても、まだデータの修正を残しているので、本当の出来上がりは春頃になる予定でいます。 なお、 コンピュータを使っておられる方でデータを集会や家庭で利用して下さる方がありましたら、 ご連絡下さい。 データは次の通りです。讃美歌、讃美歌第二編、讃美歌、聖歌、プレイズ&ワーシップ、リビングプレイズ、友よ歌おう。

 
二〇〇一年も本当にお世話になりました。次の年もよろしくお願い致します。

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リストボタン今年の海南・讃美堂集会で、 特に印象深かったことから    K.S

 海南・讃美堂集会で、今年一年間、絶えず守られ、常に恵まれつつ、参加が許されてきたことを感謝、讃美いたします。アーメン。

 現在も海南・讃美堂集会では詩篇を学ばせて頂いておりますが、特に感慨深く、ハッキリと印象付けられたものから抜粋したいと思います。

一、 祈り「主よ、憐れんでください。」との祈り。

二、 主に望みをおいていた。 (おいている) ・・・主に望みを おく。

三、 ヘセッド (慈しみ)、ハーナン (憐れむ)、その他、聖書の原語から学んだこと。

四、 今年の課題聖句から

五、 自然の恵みから

六、 まとめ

一、 から、 

  祈りについては、多くの意見があるようですが 「主よ、憐れんでください」という叫びにも感じられる祈りが、基点であることを今年、特にハッキリと教わりました。

  儀式的な形式、慣習や身分などに一切、捉われない「主と個人の深い関係の内から得られる信頼関係があって、初めて出来る行為である」 ことを知りました。

二、 から

  主に望みをおく…数々の言語的意義も多く、教わりましたが、「おいている…おいていた…おき続ける」 この永続的で 不可能と思えることが主を望むことによってのみ可能になることを知らされます。暗黒と思えるこの世、しかし「独り子をお与えになったほどにこの世を愛された。」

  私の落胆は「主に望みを置かなくなった時、主から離れてしまった時」のみ起こることだと先人から聞かされます。主を信頼していれば「神 () 様のこと、神の全能を知らされるのだ」と確信します。

三、 から

  これらの原語については私たちが学生のころから先生から教えられていたことでしたがそのときは、聖書の原語の意味などを知ることには、あまり関心が持てなくて、聖書の言葉が持っている霊的エッセンスという事柄には目をとめることが出来てはいなかったので「知りたい人」は知ればよいという思いしかなかったのですが、最近になってその重要性を知らされています。

四、 兄弟が共に座っている詩篇一三三・1

  [新共同訳] 見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。

  [新改訳見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。

       How wonderful it is, how pleasant, for   God's people to live together in harmony!

五、 から

 今年も先生から沢山の路傍の草花 (野草) や木々の花を届けていただきました。マツカゼソウ、ウノハナ、 リュウノウギク、テリハノイバラ、ヤブレガサ、キンミズヒキなど・・・、匂いのよいものは集会内でも特に覚えられていっているようです。

 今、思えるのはこれらの草花は、日常の生活に追われて気にもかけられない人々がいかに多いことだろうか、また、美しいと思う人は一般でしょうが、「草花の存在意義」を見る人は少なかろうと思われます。この小さな草木、雑草に至るまでも「神の御業」が秘められているということをまた、喜びを教えられます。私は草花のすがたはもとより、 一つ一つの性質、また、環境の激変、悪化などで多くの「種が滅んでしまった」 とは思われますが最後まで残され、人々が食料と呼べる「食べ物」のこれをおいてないと思います。

 ハーブといえば、昨今では薬用、食用でもよく取り上げられていますが、主の御声が発せられるまで人知れずじっと全てを耐え忍んでいる姿に大切なメッセージを聞かされます。キリスト者もそのようでありたいと思わされます。

六、 主よ、 憐れんで下さい。 「私は既に世に勝っている。」「私を愛しているか…」という主の御声のする方向が私の選び取るべき道であると確信します。また、世は神に敵対する声は激しいと思います。しかし、 この暗黒とも思える力が無かったら私は主に耳も目も傾けることも、振り返ることも決してしなかったと思います。

 苦しいとき、不安なとき、迷ったとき、主に信頼するか、俗世間的な選択をするかが主に選ばれたものの為すべき行為であると思います。この霊的戦いをしないなら私は主に何を望んだのでしょうか、「主よ、共におるようにしてください。」主がいかに「愛し続けておられるか」を証し出来ますように、来るべき兄弟姉妹の手に直接手渡すことが一刻も早く、喜び集えますように。讃美できますようにしてください。 アーメン。

(
はり師)

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リストボタン全国集会に参加して    I.K

 今年の全国集会は、 十月二七、 二八日に山形県で行われました。

 会場は、 一日目が小国町の松風館というホテルで、二日目が独立学園で行われました。周りが自然に囲まれた所なので、紅葉が美しい季節に合わせて開催日が決められたようです。その通り行きの列車からの小国駅までの山々には、赤や黄色に色付いた木々が見えてきました。

 集会は、講演、シンポジウム、礼拝、感話等と組まれていましたが、独立学園の地元と言うことで、準備や世話役の方々をも含めて学園に関係のある人たちが選ばれていました。

 準備には、相当時間をかけて用意されたことが感じられました。宿泊は参加者全員が一つの宿泊所に泊まれないために分宿しましたが、 それぞれに担当者が配置され、出迎えから案内まで細かく打ち合わせができているようで、 特に私たち障害者や高齢の人には、自家用車で来られた人を送迎役に配置してくださり、心配なく集会に参加できました。また、私たち夫婦は、申込書に拡大文字を用意してもらえるように書いてあったのですが、行ってみるとすべての資料を拡大して用意してくださっていました。感謝です。

 参加して感じたことは、独立学園を卒業した方々が東北を中心に、農業等を通して地元の人との交わりをしている人が多く、 独立学園も五十年経過してその信仰が地域に浸透しているように感じました。

 聖日礼拝の後には、数名の感話があり、とくに学園生の二人によって神様の存在や信仰に対する高校生らしい素直な思いが語られていたのが印象に残りました。また、学園生による讃美を聞かせてもらいました。今回のぼくの参加理由の一つに、一度は直接若々しい高校生の讃美を聞きたいという気持ちがありましたが、それがかなえられてよかったです。ただ、こんな讃美が歌い継がれてきた学園のもとで開かれた集会なのに、一つ一つのプログラムの進行の中には、讃美が少なかったことが残念に思いました。

 集会終了後には、F兄の計らいで、ブナ原生林の山一面の紅葉を満喫し、また、独立学園の牧場や農園を案内していただき、しかも牛やロバにも触れたりしぼりたての牛乳を飲ませていただけるというおまけまでつけてくださり、今回の日程をさらに印象に残る素晴らしいものにしてくださいました。

 独立学園は、山奥にあるというイメージで参加しましたが、近くにダムができるというので道路も広げられコスモス畑も作られ整地されて、 そういう感じではなくなりつつあるようでした。 しかし、 今回のような機会がなければ徳島からは行くことができない自然いっぱいの風景の中で集会に参加できて感謝しています。
(
はり師)

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リストボタンこの一年をふりかえって  H.N

 主に感謝します。日和佐の吉本さん宅で月一回集会を始めてから二年余りになります。続けられているのは、 主の導きとお守り、また、皆様のお祈りに助けられてと思っています。精神障害者として入院生活を送りながらもクリスチャンの方々とキリスト教に触れられることは感謝です。み言葉に助けられることも多くあります。月一回教えて頂いて、どれほど覚えているか疑問な点もありますが、少しでも心に聖霊の御力で留めておられるようにと願っております。

 昨年学ばせて頂いた中に、「どんな困難なことが起きても、主がともにおられる」 ということがあったのですが、心に留めて日々生活のなかで常に忘れずにいたいと思うものです。

 また、自分が獲得したようなものでも神様がして下さったと信じて、分かち合うことの重要性。

 奪い取るのが世の中のやり方であるなら、キリスト者は神の言葉を聴いてそして人と分かち合うことが大切だと新たに教えていただきました。

 また、ヨハネ福音書の中で、主にある平安が与えられること。主イエスは、人間関係での対立もない状態をもたらすために来たのではない。苦難の中でも平安があり得るという事。

 今、団体生活のなかでいろいろな人生があり、現在の病院生活においても苦しみのなかに主の平安をと心の中に思っています。 いかに厳しい状況でも神様は常に見守っていてくださるからです。

 私はまだまだクリスチャンらしい生活をしていませんが、教えて頂きながら勝手に自分の必要とする部分を取っているような気がします。

 昨年、十二月二十三日 () は霊的な断食ができませんでした。一年ぶりに帰省した潜水艦乗りの弟と弟家族達と母の三回忌の代わりをして、私を産んでくれた十二月二十三日に母の墓をみんなでまいったり、親類回りをしたり、私の誕生日を祝ってもらったりで、 キリスト集会でのクリスマス会に参加して、霊的な断食をすることができませんでした。

 私のほとんどの時間、病院生活 (いろんなレクリエーション、活動、個人的活動) と月一回、三~四日、家に帰ることで自分なりになかなかクリスチャン的とは言えないと思うことが多くありますが、教えて頂いたことは、 少しでも覚えていたいと心に願う次第です。

 いつも神様のことを思って天に宝を積むことはできていないかも知れませんが、今年は少しでも自分の心で天に宝を積むことができていると思えるよう念頭において祈ります。

 いつも祈りと励ましを下さいます無教会の友人の方々にお礼を申し上げます。主と聖霊のお働きが常にありますように。

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リストボタン見えること、見えないこと   はこ舟四百八十九号を読んで     H.K

 さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。

 弟子たちがイエスに尋ねた。「先生、この人が生まれつき目が見えないのは、だれか罪を犯したからですか。本人ですか、それとも、両親ですか。」イエスは答えられた。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。…わたしは世にいる間、世の光である。」(ヨハネ九・15

 この世にあっては、悩みや苦しみがたくさんおきてきます。次々と不幸がおそってくると、神様の御心がわからなくなってくると思います。他の人も、悪いことをしたから、罰があたったのだ、と言ったりします。神様を信じていない時でも、なんとなくそうは思えなかった。聖書を学ぶようになって、そして、この個所を読んで神の業が現れるためである、というのがわかりました。神様の御言葉を見続けてゆきたいと思いました。兄弟姉妹のお祈りありがとうございます。感謝です。


(会社員)

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