今日のみことば


(2019年)

  (文、写真ともT.YOSHIMURA

今日のみ言葉 28「幸だ、見ずして信じる者」        2019.1.10

 

 あなたは私を見たので信じたのか。

幸なのは、見ずして信じる者。(ヨハネ2029より)

 

Because you have seen me, you have believed.

Blessed are those who have not seen and yet believe.

 

この聖句は、ヨハネ福音書の最後の部分にある。ほかの弟子たちが、復活したイエスに出会ったと証言しても、弟子トマスは、その手に触れてじっさいに十字架に付けられたイエスだと確認しないかぎり、復活など信じないと言い張っていた。 

そこにイエスが入ってこられて、手などに触れさせた。そして、イエスは言われた。「信じない者にならないで、信じる者になれ」と。

そのイエスに触れ、直接にイエスからの言葉をうけて、初めてトマスは、イエスは神だ、と大いなる霊的飛躍をして信じるに至った。 

そしてそのあとで、イエスが言われたのが、今日の御言葉である。

これは、昔の疑い深いトマスという弟子に言われた言葉だ、現代の私たちとは、復活のイエスの手に触れるなどないから関係がないと思いがちである。

しかし、ヨハネ福音書はとくに、当時のことを述べていても、それは じつは、それ以後の人間全体にあてはまることが言われているということが実に多い。

 

何か見える証拠を見てから、神にかかわることーイエスが神の子すなわち神の本質と同じ御方であること、復活や、神の愛、真理、神の正義、…等々を信じるのか、それとも、そうしたことの証拠を見ないで信じるのかが問われている。 

ヨハネ福音書の最後の部分にこのことがトマスを用いて強調されているが、それはそのまま現代の私たちへの強調の言葉となっている。

すでに、イエスよりも1700年ほども昔、アブラハムは、神からの呼びかけを受けて、遠い異国ーカナンの地へと行くように命じられた。それが神の言葉であり、必ず祝福の道だと信じてアブラハムは旅立った。 

目的地がたしかにすばらしいところだ、乳と蜜の流れる祝福地であるということの具体的な証拠を見たとか経験したとかいうのでなく、「見ないで信じた」のだった。

そのことから、世界に大いなる祝福の種が蒔かれることになった。 

まだ見ていないこと、 望んでいる事柄を確信すること、ーそれが信仰であると、ヘブル書11章の最初に書かれている。

自分は今後どうなるのか、死んだら消えてしまうのか、自分の犯してきた心の罪、言動の罪はどうなるのか、この世に深く巣くう悪はどうなるのか、この世界は最終的にどうなるのか、永遠の真理などあるのか…等々についてだれもまず証拠を見てから信じることはできない。

神の愛が万事をよくされる、ということを、見ないで信じるかどうかが問われている。  

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野草と樹木たち   クガイソウ           伊吹山      2017.8.28

クガイソウ     伊吹山     2017.8.28

クガイソウ (九蓋草、九階草) とは、輪生する葉が、 階層をなしているのでこの名が付いています。

伊吹山のものは、やや小型で、イブキクガイソウと言われることもあります。 

以前に、東北の鳥海山の中腹でも、見かけたことがあり、徳島県の剣山では、少しだけ変異のあるナンゴククガイソウ  (南国九蓋草) というのが、50年ほど前には、標高1700m付近に多く群生していて美しい光景でしたが、 その後は、鹿などに食べられてごくわずかになってしまって残念なことです。 

四国では、剣山以外の山々にも登りましたが、 出会うことがなかったものであり、初めて見たときの美しい光景は、いまも深く残っています。

高さは、1~1.5mほどになり、剣山においては、周囲の山々を見下ろす景観のよいところに、澄んだ青色の花を悠然と咲かせていたのを思いだします。

四国ではとても珍しい花でしたが、この伊吹山では夏のシーズンには、ルリトラノオ(瑠璃虎の尾) とともに多く、清々しい青い花がよく目立ちます。 

植物は身近な菜の花や、桜のような花の形を多く持つものが多いですが、他方で、このような長さが20センチほどにもなる長い穂のような花もあり、バラのように何層にも重なって咲くものもあり、リンドウのように筒状、あるいは鐘や鈴のような形の花もあり、その色や香りだけでなく、形にも実に多様性があります。 

こうした無限の多様性は、無限の英知を持っておられる神の創造物だからです。

  私たちも、またこうした自然に触れることによって、人間が造るものは画一的なのに対して、樹木や野草の花だけでなくその葉の一つ一つ、茎や幹、樹形等々、さらに、大空の雲や色形の様子等々の驚くべき多様な世界に触れることができ、そこから 神はあらゆるものを生み出し、愛されているゆえに、一つ一つが独自のものとして生み出されているのがわかります。  (写真、文ともにT.YOSHIMURA)