そのクチナシは、花屋さんなどには、八重咲きのものや小さい花のもの―いろいろありますが、私がかつて知ったどのクチナシの香りよりも、わが家のある日峰山での野生のクチナシは、とくに香りに気品あるものと感じています。
花開いた直後の純白そのものが心を惹きつけるものですが、その香りもまた魂に届くハーモニーとなっています。
キリストの香り―という言葉があります。私たちが祈りに心を注ぐとき、そのキリストの香りがほのかに感じられることがあり、また長く信仰に歩んで、晩年を迎えた信仰者からも、ほのかなキリストの香りがただよってくるような方もあります
神は、こうした自然のなかに驚くべき多様な花や香りを刻んでおられますが、今日の都会化した町々では、このような野生のクチナシ―はるか何万年も昔から続いてきたであろうその香りには接することができない状態です。
それゆえに、神はどのような状況におかれようとも、だれでも求めることによって与えられるキリストの香りを備えてくださったのだと言えます。
その香りはただ、神とキリストを信じるだけで、心の霊的嗅覚を敏感にすることによってこの世のさまざまの汚れた状況にあっても香ってくるようにしてくださっています。
キリストは、光であり、また力であり、命であり、そしてさらにいのちの水とともに、御国の香りをも二千年にわたって注ぎだしてきたのです。
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