真理を押し流そうとするもの 1999年8月
現在では私たちは一九三一年から始まる日中戦争、そこからつながっていった太平洋戦争というものが明かな侵略戦争であり、膨大な人命を奪い、施設や自然を破壊した巨大な悪であったことを知っている。
しかし、いまから六〇年ほど前に出された、つぎの文書を見るとき、キリスト教会がいかに大きい過ちを犯したかをも知らされる。
皇紀二千六百年奉祝(一九四〇年) キリスト教信徒大会宣言
神武天皇国を肇め給ひしより、ここに二六〇〇年、皇統連綿としていよいよ光を宇内(うだい・世界のこと・)に放つ、この栄ある歴史を思ふて我ら転た(うたた)感激にたへざるものあり。
本日全国にあるキリスト教信徒相会し、つつしんで天皇の万歳を寿(ことほ)ぎ奉る。思ふに、現下の世界情勢はきわめて波乱多く、一刻の偸安(とうあん・目前の安楽を求めること・)を許さざるものあり。
西に欧州の戦禍あり、東ち支那事変ありて未だその終結を見ず。
この渦中にありてわが国はよくその針路を誤ることなく、国運国力の進展を見つつあり。これ誠に、天佑(てんゆう・天の助け・)の然らしむる所にして一君万民尊厳無比なるわが国体に基づくものと信じて疑わず。
今や、この世界の変局に処し、国歌は大勢を新たにし、大東亜新秩序の建設に邁進(まいしん)しつつあり。我らキリスト信徒もまた、これに即応し、教会教派の別を捨て、合同一致以て国民精神指導の大業に参加し、進んで大政を翼賛し奉り、尽忠報国の誠を致さんとす。
昭和十五年十月十七日
皇紀二千六百年奉祝全国キリスト教信徒大会
(右に引用した文章は、表現のわかりにくさを避けるため、一部漢字を使わず、カタカナ表記に代えてひらかなを用いた)
この宣言の問題点は、すでに十年近くも行われていた中国に対する侵略戦争を「わが国は針路を誤ることなく、国運、国力の進展を見つつある」としている点である。日中戦争がどんなに正義に反するか、また戦争がどんなに悲惨なものかに対しての認識は全く見られない。
さらにそうした侵略戦争における勝利をば、「天佑による」としていることである。天佑とは天の助けという意味であり、しかも、それが天皇制のおかげだと言っているのである。絶対的な権力を持っていた天皇を現人神とする天皇制こそあの侵略戦争を実行していった背後の力なのであった。数千万に及ぶという死者を出したあの戦争を支えていた天皇制を批判することが全くなく、それをむしろ世界の誇りとしており、その天皇制に支えられた戦争をも正しい戦争としていたその判断に驚かされるのである。
この教会合同宣言によって、無教会主義の集会とカトリック教会を除くプロテスタントの全教派は合同して、日本基督(キリスト)教団となった。この宣言の出された翌年にその創立総会が開かれたが、そのときに行われた宣誓はつぎのようなものであった。
われらキリスト教信者であると同時に日本臣民であり、皇国に忠誠を尽くすをもって第一とす。
ここでわかるのは、キリスト者とは、目に見えない神の国のために忠誠を尽くすのを第一とするのであるが、この宣誓では、皇国(天皇の国)に忠誠を尽くすことを第一にすると言っている。それは、国の命じること、天皇の命じることならなんでもそれを第一にして従うという宣誓であって、戦争という名の殺戮であっても侵略であっても行うという方針を明確にしたものであった。
また、日本基督教団戦時布教指針では、つぎのような綱領がある。
一、国体の本義に徹し、大東亜戦争の目的完遂に邁進すべし
二、本教団の総力を結集し率先垂範宗教報国のまことをいたすべし
三、日本キリスト教の確立をはかり、本教団の使命達成に努むべし
このように、日本のキリスト教の合同教会であって、キリストの福音こそ一番大切であるにもかかわらず、侵略戦争たる太平洋戦争の目的を遂げることを第一に置いているのに驚かされる。
こうした日本の教会全体の動きを見るとき、無教会主義に立ったキリスト者、矢内原忠雄は当時の動きの本質を鋭く見抜き、日中戦争が侵略戦争であることを知っていたのは驚くべきことであった。。一九三三年におこなった講演会で、矢内原はつぎのように指摘している。(矢内原忠雄はキリスト信仰を内村鑑三に学んだキリスト者である。)
国際連盟において日本を支持した国は一つもありませんでした。日本は全く孤立しました。まことに非常な出来事であります。・・ほんとうの非常時はそんなところ(貧乏)にはありません。経済問題は忍ぶことができますが、忍ぶことのできないのは、国民の道徳の低下、良心の破滅、罪の上に罪を重ねることであります。
なぜ、日本は孤立したのですか。日本は約束を守らないと諸外国は言うのであります。それはほんとうのことであろうか。そういうほうがまちがっているか、あるいは言われるほうに落ち度があるのか。これは日本の興亡にとってまことに大問題であります。・・我々の国は嘘つきだと世界中から言われているのであります。
もしそのことが少しでも本当であるならば、誠にわが国にとりまして重大問題であります。・・一昨年(一九三一年)九月一八日における満鉄路線爆破事件は、日本側ではあれは支那(中国)兵がやったのだと言います。支那側では自分たちがやったのではないと言います。
そして(国際連盟の)リットン調査団は両国の言い分を並べて日本軍の行動は自衛権ではないと断じました。・・しかし、事実は一つしかないはずです。この混沌ななかにあり、もし本当の事実を知っている人があれば、その人は悲哀の人たらざるを得ないでしょう。
このように述べて、矢内原は事実は日本が嘘を言っているのだ、と直感していたことを示している。日本の国家が嘘つきだとして世界から言われる事態はまさに重大事態であり、罪の上に罪を重ねている状態であり、それこそ非常事態であると知っていたゆえに、自分は哀しみの人とならざるを得ないと言おうとしているのがわかる。
このように時代の流れを正しく認識して鋭く時局を批判したがゆえに、この講演の四年後には、東京帝国大学教授の地位を追われることになった。
また、内村鑑三に学んだやはり無教会の政池 仁(まさいけ じん)は、一九二八年に(二七歳)、(旧制)静岡高校の化学の教授として赴任したが、それからわずか四年後、満州事変の批判を学生たちにしたことや、山形の山間部にての平和発言が問題とされ、平和主義を撤回するか、それとも平和主義に固執して教授の地位を失うかのいずれかを選ぶことを余儀なくされ、祈りと熟慮のすえに、「まず神の国と神の義を求めよ」の聖句の通り、聖書に基づく平和主義をとって、職を辞したのであった。
日本キリスト教団は、日本の全プロテスタントキリスト教の合同教会であり、多種多様なキリスト者たちの集団であり、専門の聖書学者も多く擁していたにもかかわらず、当時の時代の根本的にまちがった流れを見抜くことができずに、かえってその流れを支持し、支援する団体となってしまったのである。
そして日本が中国相手に始めた侵略戦争を、正しい戦争とする時代の流れに押し流されていった。
このような歴史の事実を見るとき、キリストを信じているといっても、真理をしっかりと見据える目がなければ、世の大波に飲み込まれていくのだとわかる。無教会の指導者たちの多くがその大波に飲み込まれなかったのは、内村鑑三以来の聖書による非戦論に堅く立っていたからであり、預言者の生き方に深く学んでいたからでもあった。
最近の日本の状況を見ると、戦前に日本を覆い尽くした、真理に反する流れがあちこちに見られるようになった。こうした時代にあって、私たちはマスコミや評論家たちの意見に押し流されないよう、主イエスとの結びつきを強め、聖書の真理をいっそう正しく学ぶ必要が感じられる。