神への讃美(詩編第百編) 1999/11
全地よ、主にむかって喜ばしき声をあげよ。
喜びをもって主に仕えよ。歌いつつ、そのみ前にきたれ。
主こそ神であることを知れ。
われらを造られたものは主であって、われらは主のものである。
われらはその民、その牧場の羊である。
感謝しつつ、その門に入り、ほめたたえつつ、その大庭に入れ。
主に感謝し、そのみ名をほめよ。
主は恵みふかく、そのいつくしみはかぎりなく、その真実は永遠に続くからである。
この詩は、神への礼拝の源泉はどこにあるのかを教えてくれます。喜びの声をあげよとありますが、私たちは喜びの声など到底あげることはできないという状況にしばしば直面します。ことに自分の病気が苦しいとき、また家族に大きい問題が生じたとき、あるいは、職業上での悩み、人間関係で苦しんでいるとき、いったいどうして喜びの声などあげることができるでしょうか。
私たちが目にする喜びの叫びのようなものは、テレビとか新聞などで、プロ野球で○○が優勝したとか、人気歌手が来たときなどに、ファンが熱狂的な声をあげるとき、あるいは難関の大学入試に合格した時などのような場合が思い出されます。
こんな一時的な喜びは、ただちに冷えて後には何も残りません。その人の本質は何も変わらないわけです。
普通の人の毎日の生活において、声をあげるほどの喜びというのは、だんだん年齢がかさんでくると、病気や、将来の心配、家族の病気とか老齢のための介助などで、喜びどころか心が重く、暗くなることが多いのです。
この詩を作った人の時代は、どうだったのか考えてみます。
旧約聖書の時代には、どの時代をとっても、のんびりした、何も波乱のない時代というのは少なく、たいてい周囲の国々との戦争や、内乱が起きていて、国が責められたり、家が焼かれたり、あるいは、外国に捕囚となって連れて行かれたり・・と平和とはほどとおい状態が多くありました。そのたびに戦いにかり出され、その結果、死んだり負傷したりすると、残った家族は、喜びなどにはずっと見放されてしまうのです。
しかし、旧約聖書の多くの讃美の詩は、そうした時代のただなかで生まれ、愛されてきたのです。
このように考えると、いったい、この詩の作者は、どこにその喜びの源泉を得ていたのだろうかということが疑問として浮かび上がってきます。
それこそこの詩が言おうとしていることです。それは、神が何にもまして善きお方であり、その真実といつくしみとは、永遠に変わることがないということを知ったときに、外部の事情はどうであれ、私たちの魂の奥からある喜びが湧き出てくるということです。そうした経験を与えられた人がこの詩の作者だけでなく、無数に現れてきたのです。
人間どうしの関わりにおいても、最もいやな思いをさせられるのは、相手の不信実であり、裏切り行為です。ということは、言い換えると私たちが最も喜びを感じるのは、相手の真実さに触れたときです。しかもその真実が変わることがなく、いつくしみに満ちたものであれば、私たちにはそれ以上の喜びはありません。
人間であっても、そうなのだから、相手が宇宙を創造した神であり、そのような大きいお方が私たちに対して変わることなき真実といつくしみを示して下さったのがわかるなら、なおさら私たちには喜びが感じられるはずです。この詩の喜びに満ちた雰囲気はそのような背景を考えるとよくわかります。
この短い詩では、ことに讃美の重要性が感じられます。
ある有名なドイツの注解者が言っているように、讃美とは、たんに感情の表現だけでは決してなく、讃美によって私たちは神がすぐそばにいて下さることをありありと実感するようになるし、そこからよりはっきりと神の本質が直感的に示される機会となるのです。 適切な讃美は、讃美する人々のところに神を呼び寄せ、讃美のつばさは私たち自身を神へと近づけるものとなるのです。
旧約聖書の動乱の時代にかくも多くの喜びの讃美が書き記されてきたのは、いかにそうした人たちが自らの魂の奥深くに神を保ち、そこから喜びの深い泉を持っていたかをうかがわせるのです。
また、この詩には、私たちが神のものであり、神によって養われる羊というべき存在であることが示されています。私たちはだれかに持たれています。子供は親に持たれ、その親はまた勤務先の会社に持たれ、また夫婦は互いに持たれ、持っているとも言われます。また、国民は国家に持たれているといえます。
しかし、そのようなものに持たれていても、いつ捨てられるか、あるいは持ち主がいなくなることもあります。それだけでなく、あやしげな宗教団体に持たれてしまうと、何もかも奪われてしまうことすらあります。
しかし、神に持たれているなら、私たちは神の持ち物なのであり、どんなことがあっても捨てられることはないのです。それはその神がとこしえに真実であり、いつくしみを持ったお方であるからであり、それゆえに、私たちは安心していることができます。
神によって魂に生み出された喜びは、神へと帰っていきます。人間に向かって自分の感情を訴えたり、自分の歌を聞いてもらったりしようという思いでなく、主なる神に讃美が向かうのであり、これこそこの詩の冒頭で、
主にむかって喜ばしき声をあげよ!
と言われていることです。神から与えられた喜びであるがゆえに、神に向かってその喜びを表すのです。そして神から生まれた喜びは、個人的なものではなく、それが全世界のあらゆる人々にも生まれるものだとこの詩人には、神からの啓示としてわかっていたゆえに、この詩は、まず「全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ」ということができたのです。
(参考)この詩は、キリスト教の讃美歌としても取り入れられ、長い間親しまれてきました。今使われている讃美歌にも収められています。(讃美歌第四番)
一 よろずの国びと、わが主に向かいて
こころの限りに 喜びたたえよ
二 主こそは神なれ 主はわが飼い主
われらはその民 み牧の羊ぞ
三 もろ声合わせて 大御名ほめつつ
みかどに入りゆき、み前に近づかん
四 めぐみ豊かに 憐れみ尽きせず
こよなきまことは ときわにかわらじ
・この讃美歌は、OLD HUNDREDTH (オールド・ハンドレッドス)という曲名が付けられています。
この意味は、「古い訳(オールド・バージョン)の詩編歌集」に含まれている第百編(ハンドレッドス・HUNDREDTH)の曲という意味です。これは、宗教改革者カルヴァンの協力者であったルイ・ブルジョワという人が一五五一年に作曲したものです。讃美歌の作曲者名は、楽譜の右上の曲名の下に書かれてあります。
曲名といっても我々日本人にはわかりにくいのですが、讃美歌そのものには名前がなく、讃美歌三一二番といったように番号で呼ぶのに、曲には名前があるのです。それは、ある曲を別の歌詞につけて歌うことがあるから曲にも名前がある方が便利なのです。(例えば、讃美歌三一二番の曲名は、WHAT A FRIEND です)
それぞれの讃美歌の楽譜の右上の英語大文字で書いてあるのが曲名です。
この讃美歌は、日本で讃美歌が明治の初めに入ってきたとき、最初に作られた讃美歌集である「教えのうた」(一八七四年出版)の第一番目に掲載されていました。そして一般の教会では、讃美歌五三九の頌栄(しょうえい)として、礼拝のたびに歌われる重要な讃美にも用いられています。
ある讃美歌学者がこの讃美歌をつぎのように言っています。
「讃美歌のうちで、優秀な作品として、今日に至るまで、重んぜられて来ている。・・第百編の歌詞にふさわしい単純な旋律の進行のうちに、力強さと明るさとを感じせしめる立派な歌曲である。」
このように、数千年も昔に作られた詩がすでに旧約聖書時代に曲をつけて歌われ、それがキリスト教にも入ってこの讃美歌四番のように、世界中ですでに四百年以上も歌われ、日本でも、百三十年近くもの間歌われ続けてきたのがわかります。
このように寿命が長く、かつ世界的にも歌い続けられている歌は、キリスト教の讃美以外では、ありえないことです。
こうした永遠的に続くのは、この詩がたたえている真理のゆえであるのです。真理こそは、とこしえに続くものだからです。