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ことば 2001/9
戦闘の止むとき
勝つことは必ずしも勝つのでない。負けることは必ずしも負けることでない。
愛すること、これが勝つことであり、憎むこと、これが負けることなのである。愛をもって勝つことだけが、永久の勝利だ。愛は妬まず、誇らず、高ぶらず、永久に忍ぶ。そして永久に勝って、永久の平和をもたらす。世に戦闘の止むときは、愛が勝利を占めたときだけなのである。(内村鑑三・「聖書の研究」一九〇四年五月号 日露戦争はこの年の二月に始まっている)
ただキリストに聴く
トルストイ一人はロシアの一億三千万の民より大である。キリスト一人は世界の十三億の人よりも大である。アメリカのルーズベルトとイギリスのチェンバレンとは戦争の益を説くが、我らは彼らに聴く必要はない。全世界の新聞記者は筆をそろえて殺すこと(戦争)に賛成しようとも、我らは彼らに従う必要はない。
我らはただ、主イエス・キリストの言に聴けば足りる。世がこぞって戦争を賛美するときに、我らは天より下って来られた神の子の声に聴いて我らの心を静めるべきなのである。(同右・九月号)
・トルストイのことに特に触れているのは、本文にあげた彼の聖書に基づく徹底した、非戦論に内村が深く共感していたからである。
わが救いの神によって
私たちの近くに現在起こっている地上の強国間の争乱については、私たちはだれもそのために心を乱されることなく、これらすべての動乱も決して動かすことのできない、岩の砦(神、キリスト)に身を寄せ、また不滅の力である神に常に信頼するように望んでいる。・中ヲ真理に対して真実な心を持ち、心のなかに真理に従って生きることを待ち望んでいる人々は、困難な状況あっても喜ぶであろうし、つぎのような経験をすることになるだろう。
「いちじくの木は花咲かず、ぶどうの木は実らず、オリブの木の産はむなしくなり、田畑は食物を生ぜず、おりには羊が絶え、牛舎には牛がいなくなる。
しかし、わたしは主によって楽しみ、わが救の神によって喜ぶ。(旧約聖書・ハバクク書三章より)」 (「ウールマンの日記」聖文舎刊46〜47P)
・ウールマン(一七二〇年生〜一七七二年)はクェーカーのキリスト者。クェーカーは奴隷制度に最もはやくから反対していたキリスト教の教派であり、またいかなる戦争にも反対したことで知られている。
あなたの敵を愛せよ
「敵を愛し、迫害する者のために祈れ。」
おそらくイエスのいましめのなかでこの命令に従う以上に難しいことはないであろう。ある人々はそれを実行することはできないと、感じてきた。・中ヲこのイエスの言葉に対してそんなことは実行できないという強い反対にもかかわらず、このイエスの命令は、新しい緊迫さをもって我々に挑戦してくる。動乱につぐ動乱は、近代人が憎しみという道を旅しており、破壊と滅亡へ我々を導く旅路にあることを思い出させてきた。敵を愛せよという命令は、ユートピア的夢想家の敬虔な指図であるどころか、我々の生存のために絶対に必要なものである。敵をすら愛するということは、我々の世界の諸問題を解くかぎである。(「汝の敵を愛せよ」マルチン・ルーサー・キング著 新教出版社刊 66P)
・キング牧師は、非暴力による戦いを徹底して実行し、黒人差別と戦った。一九六四年、ノーベル平和章受賞。
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