はこ舟 2004年1月 第516
内容・もくじ
心を与える神
雪のように白く
愛と悲しみ
苦しみを通って
憎しみが消える道
休憩室
ことば
返舟だより


リストボタン心を与える神    2004/1

人間は心を与えることはできるだろうか。金は与えることはできる。地位も与えることもできる。技術も与えることができよう。しかし、心は与えることはできない。清い心や真実な心あるいは正義に従う勇気などを与えようと思っても、自分の最も身近な家族にも与えられないのに気付かされる。
それは当然だろう。もともと私たちはそうした本当によいものを持ってはいないのだから。私たちは自分自身にすら、清い心を造り出したりできないのである。
しかし、神はできる。神こそは、私たちにそのような心を与えて下さるお方である。

わたしは彼らに一つの心、一つの道を与えて常にわたしに従わせる。それが、彼ら自身とその子孫にとって幸いとなる。
わたしは、彼らと永遠の契約を結び、彼らの子孫に恵みを与えてやまない。またわたしに従う心を彼らに与え、わたしから離れることのないようにする。(エレミヤ書三十二・3940

わたしは彼らに一つの心を与え、彼らの中に新しい霊を授ける。わたしは彼らの肉から石の心を除き、肉の心を与える。(エゼキエル十一・19

ここに引用したエレミヤ書、エゼキエル書はともにいまから二千五百年以上も昔の預言者である。このような古い時代から、神は私たちの生まれつきの心を鍛えるとか成長させるというのでなく、新しい心を新たに与えて下さるということが記されている。これは驚くべき深い見方である。
自分という人間そのものと分かちがたく結びついている心、それと全くことなる神の国のものといえる清い心を与えていただけるというのである。
そしてこうした預言の言葉のとおりにそれから五百年以上のちになって、心を与え、新しい霊を与えて下さるお方が現れた。それが主イエスであった。
心が壊れてしまったとか、心が汚れてどうしようもないように感じる人、暗い心がどうしても変わらない人、あるいは生きる力が出てこない心をもてあましている人、そうした人は、まったく新しい心を共に神からいただこう。そうしたすべての人々に、主イエスは、「求めよ、そうすれば与えられる」と今日もうながしつづけておられる。
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