返舟だより 2004/4
○南アフリカに帰った、メギィ・マルレケさんから、メールが届きました。彼女は、お別れ会のときに、今後も私たち徳島聖書キリスト集会のことを覚えて祈りますと言われましたが、その後も私たちを覚え、祈りを続けておられることを書いてこられました。訳はなるべく日本語として普通の表現にしてあります。原文を添えてありますから、メギさんのニュアンスを汲み取ることができると思います。
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こんにちは、先生!
メギィです。私は、無事祖国に着き、私の家族たちも守られていてよき状態です。私は、先生と、奥さんと、集会全体のことを忘れてはいません。私はみなさん方の暖かい歓迎と、善意についてこちらで語ることを止めることができませんでした。
私は、私たちがどこかでなんらかの形で会うという感じがしています。でもそれがどこで、またどのようにしてなのかは分かりません。神だけが、私たちが再会するための適切な時をご存じです。
あなたの奥さんと集会の人たちに、よろしく伝えて下さい。そして、私が約束を今もなお守っていて、あなた方集会の人たちのために祈っていると伝えて下さい。
私はみなさんを愛しています。それは、みなさんが、私の皮膚の色に関わりなく、愛して下さったからです。
善き神が、あなた方と、あなた方の手のわざを豊かに祝福して下さいますように。そしてあなた方の健康を守って下さいますように。私はみなさんがとても私によくして下さったので、忘れることができません。言葉ではよく表せないのですが、あなた方は確かに私の人生にとってひとつの祝福となっています。
メギィ
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Hello Pastor!
Maggie desu, I arrived well and safely at home and my family is happy and fine. I
did not forget about you, your wife and the whole congregation. I could
not stop talking about your warm welcome and the goodness you showed us.
I still have the feeling that we will meet somewhere somehow but I do not
know where and how only God knows the right time for us.
Say hello to your wife and the church and tell them I am still keeping
the promise, I am praying for the church and I love them all for you have
shown your love regardless of my colour.
May the good God richly bless you, the works of your hands and keep you
in good health, I miss you people you have been so good to me I do not
know how to explain it but it is true you are really a blessing in my life.
Maggie
○つぎは関東地方の方から、インタ-ネットで寄せられた感想です。
聖書における「仕える」意味…「はこ舟」を1回目読んだときはまだよくわからなかったです。テープ(*)が送られてきて、コロサイ書の箇所を聴いていたところ、この「仕える」意味について講話の中で解き明かしがありました。これを聴いて理解することが出来ました。もう一度はこ舟に帰って読んでみたところ、今度はよくわかりました。
「仕える」とは、相手にとって最もよきものを提供する心。また憎しみの対象となってしまった人に対しても、その人に善きものが与えられるように祈ること。
ただ一時的な憎しみの対象に対してはすぐにこのような気持ちに切り替えることが出来るのですが、数十年の憎しみの対象に対してはなかなか簡単にはいきません。いくら頭でそう思おうとしても、心の隅に必ず黒い点があるのを私は否定することが出来ません。主よ、お赦し下さい。どうぞ少しずつでも結構ですから、私の中のこの黒い点を小さくして下さい。
聖書は自分勝手に解釈してはいけないことを痛感しました。また、はこ舟とその月の講話は密接につながっているのだということが今年の元日礼拝以後やっとわかりました。
(*)「テープ」とあるのは、私たちの日曜日の主日礼拝と火曜日夜の夕拝のテープを定期的に購入して聞いておられることを指しています。もう八年ほど前から、希望者には、日曜日と火曜日の礼拝テープを郵送しています。一カ月では、約8~10本となり、その他に、綱野
悦子さんが主として視覚障害者のために作成している毎月一回発行の「アシュレー」というテープも希望される方もおられます。費用はテープを聞いたあと返送する場合と、送られてくるテープを購入する場合とに分かれます。返送するときには、送料として一カ月五百円、テープを購入する場合は、テープ代金と送料共で一カ月千五百円程度です。
○最近の世界及び国内の動きに目を向けるとき、魂の救いの重要性と共に、救いにあずかった者として歴史に責任を負わされているという意識を強く持たされます。
その意味で、先月号の「日露戦争百年」と今月の「教育基本法改定のこと」というメッセージは深く考えさせられました。(中部地方の方)
○年を寄せて、あまり聖書も簡単に読めなくなりましたが、吉村様の文章で若い頃に読んでいた箇所が頭によみがえってきて、親しみを覚えています。
そして全文を読み終わって、「休憩室」のところへ来ると、花とか小鳥などの何気ないありさまが心に満ちてきて喜ばしくなって参ります。
近頃の私は、ほとんど聞こえなくなって、どこへ行っても耳が一番辛い不自由さに、時々やり場のないのをどうすることもありません。でも、耐えていきます。私のためにお祈りお願いします。(四国の方)
・この方は、耳がだんだんと聞こえなくなり、今では、ほとんど聞こえないために、人間の交わりのなかに入っていくことが苦痛となり、老齢とも重なって一人でいなければならない状況のようです。テレビやラジオ、美しい音楽など一切を味わうことができないため、また人間との会話もできないため、心が沈みがちとなっています。一般の人は、人生の途中で耳が聞こえなくなるということが、どんなことか、ほとんど考えたこともない人が多いと思います。盲人は出歩くことや室内での動作などきわめて不便、不自由になりますが、人のなかに入っていきますと、目が見えないことを忘れるほどに自由に心おきなく話ができます。しかし、聴覚障害者は、人の中に入っていくことが著しい苦痛となるのです。
こうした孤独な戦いを日々背負わされている人にとって、ただ神とキリストだけは、心おきなく語り合える相手だと言えます。
○十年の歩み
この四月で、私が教員を退職して、み言葉を伝えるための働きのための生活を始めてからちょうど十年になります。この間、とくに徳島聖書キリスト集会に集う人たちから絶えざる祈りと支えをいただき、また県外においても、集会の有志が「福音の種まき会」というかたちで支えて下さるということもあり、また、この「はこ舟」誌の読者の方々も私の働きを覚え、祈りやはこ舟協力費という形でともに歩んで下さったことを思います。
日曜日ごとの集会、ほかの日の各地での家庭集会、県外での集会などそうしたいろいろの場でみ言葉を語ることが継続できたのは、ひとえに神の導き、そしてそうした多くの方々の祈りと支えによるものでした。
今後とも、このキリスト教の真理が伝えられ、かつて私もそうであったように、真の光がわからずに苦しみのさなかにある人たち、病や孤独にある人たちのところに、神の言葉がとどくよう、そして罪の赦しを与えられ、救いを実感することができますようにと願っています。
そしてそのために、いままでもそうであったように、共に福音のために歩んで下さいますようにと祈り、願っています。