自衛隊の多国籍軍への参加 2004/6
これは、憲法第九条をさらに骨抜きにするまちがった決定である。このような重要な問題を国会でも議論せず、また国民全体に直接に説明をしようともせずまず、与党にすら先立って、アメリカの大統領にまず、参加を表明したという。
しかも、日本が独自の指揮権を持つことができるという、了解を米英政府からとったというが、それはたんに、在米、在英大使館の各公使による口頭での確認にすぎなかったという。
そして通常国会が終わるという国会での議論の余地もない時期に決めてしまった。こうしたあまりにも拙速なやり方は、首相の目が国民でなく、アメリカにばかりむけられているのがはっきりとしている。イラクの捕虜虐待のような世界の世論が厳しい批判を浴びせているときであっても、日本の首相はアメリカに対してはっきりとした批判もしようとしなかった。
多国籍軍といえば、十数年前の湾岸戦争のことを思い出す人も多いだろう。一九九一年一月、アメリカ軍中心の多国籍軍は60万人に達していたが、それが砂漠の嵐作戦を開始した。アメリカ軍戦闘機部隊及び艦船からの巡航ミサイルが首都バグダッドの他イラク全土の拠点を空爆し全面戦争状態に突入したのであった。それ以外にもソマリア、ルアンダ、アフガニスタンなどにも多国籍軍が派遣された。こうした軍事行動は当然、次のような憲法第九条の精神とは全く相いれない。
「日本国民は、…国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」
それゆえ、従来の日本政府も一九九〇年十月に当時の中山太郎外相は国会での答弁で、「多国籍軍への参加は憲法上許されない」とした。
それを人道支援に限るとして、突然参加を表明した。日本がすでに単なる人道支援にとどまっていないで、アメリカ兵の輸送を支援しているのであって、それは間接的ではあっても、すでに軍事行動の一貫をなしているのである。
こうした方向の行き着く先は何であるのか、首相や与党はまるで見ようとしない。アメリカに追随しなければ日本の経済が立ち行かないといった恐れから何でもアメリカのいう通りに従っていくような方針は大きな災いを将来に残すことになる。
日本はその豊かな経済力を用いて、あくまで軍事力を行使しない支援活動をイラクだけでなく、世界の貧しい国々や問題をかかえている国々に行なうべきであって、それこそが将来的に最も国際的に信頼されることになる。