伝道について 2004/6
伝道というと、キリスト教伝道であって、キリスト以後のことと思われている。しかし、すでに旧約聖書の詩編においては多くの箇所で、神の真理を宣べ伝えようというあふれ出る心が記されている。
…地の果てまで
すべての人が主を認め、御もとに立ち帰り
国々の民が御前にひれ伏しますように。…
わが魂は必ず命を得
子孫は神に仕え
主のことを来るべき代に語り伝え
成し遂げてくださった恵みの御業を
民の末に告げ知らせる。(詩編二十二・28~32より)
ユダヤの小さな民族だけが唯一の神を知らされていた。しかしその真理を知らされた人はそれが現在の自分たちだけの狭いところにとどまるものでなく、世界の人々への普遍的な真理であることを知っていたのがこの詩によってもわかる。
…わたしの口は恵みの御業を
御救いを絶えることなく語り
なお、決して語り尽くすことはできない。
しかし主よ、わたしの主よ
わたしは力を奮い起こして進みいで
ひたすら恵みの御業を唱えよう。
神よ、わたしの若いときから
あなた御自身が常に教えてくださるので
今に至るまでわたしは
驚くべき御業を語り伝えて来た。
わたしが老いて白髪になっても
神よ、どうか捨て去らないでください。御腕の業を、力強い御業を
来るべき世代に語り伝えさせてください。(詩編七十一・15~18より)
旧約聖書は民族的で狭いと受け取られることが多いが、詩編やイザヤ書などには神の真理が世界に伝わることを確信して、そのことを願い、祈る心がはっきりと見られる。
それらの書は霊的なもので、直感的に神から啓示を与えられているものがしばしばあるゆえに、数百年という時間を超えて真理を知らされているのがうかがえる。
このように、神の真理を知らされた者は黙ってはいられない、内にうながすものによって語らずにはいられないというように働くのである。それがみ言葉の力であり、神のなされる働きだと言えよう。
このような内面から動かす力について、使徒パウロはつぎのように述べている。
もっとも、わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはならない
。そうせずにはいられないからである。福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸(*)なのです。(Ⅰコリント九・16)
(*)新共同訳では「不幸だ」と訳しているが、原語(ギリシャ語)は、「ウーアイ ouai」という語で、間投詞。英語ではよく似た woe(悲しむべきことだ!)をあてている。日本語でも言葉にならない、悲しみのとき「ああ!」と思わずうめくような声である。
パウロはキリストのことを深く直接に知らされた者として、黙ってはいられなかった。せずにはいられないのである。もしその内なるうながしに逆らっていくならそれこそ、悲しむべき事態となるというのをパウロははっきりとわかっていた。
このように、「せずにはいられない、キリストのことを語らずにはいられない」というように動かすのが、主イエスの霊であり、聖霊なのである。
新約聖書では福音書の次ぎに置かれている使徒言行録には聖霊がいかにキリスト者を動かしていったかが最もはっきりとしたかたちで記されている。
弟子たちはイエスの母マリアたちとともに、熱心に心を合わせて祈っていたとき、「炎のような、舌が一人一人の上にとどまった」という。
それは、聖霊の働きがとくにみ言葉の伝道ということに関係してどのような性質を持つかが示されている。それは、火のような力があり、燃えるような本質だということである。使徒パウロも、「霊の火を消してはいけない。」(Ⅰテサロニケ五・19)と言っている通りである。
霊の働きは、火のように燃え広がっていくものであり、また火が物を燃やしてまったく異なる灰にしてしまうように、聖霊も古い人間を燃やしてしまって、新しい人間にする働きがあるといえよう。
また、「舌が一人一人の上にとどまった」とは、聖霊が福音を語らせるものである、だまっていられないように、それぞれの言葉で語らせるという側面を表している。これは、使徒行伝の記述では、さまざまの国々の言葉で語りだしたということであり、それはキリストの福音が世界の国々に伝わっていくということを預言的に表すものとなっている。
そして個人においても、病気の人、健康な人、社会的に地位の高い人、あるいは貧しく地位もなにもないような人、それぞれが独自の言葉で語るようになるとの預言とみることができる。
事実、これ以後のキリスト教の進展は、あらゆる国へと広がっていったし、地位の高い人や低い人、病人、健康な者、障害者、大人や子供、老人などあらゆる階層の人を含むようになった。
聖霊を受けたということが、福音伝道の出発点となった。単に主イエスの教えを聞いたり、共に生活したり、さまざまの奇跡を見たりしただけでは、福音伝道の力を与えられなかった。主イエスが地上に生活していたときには、イエスから直接に送り出されたことがあった。しかしそれはまだ、聖霊を受けたのではなかった。聖霊とは、キリストの復活以降に与えられるようになった霊である。イエスに命じられて、一時的に悪霊を追い出したり、病人をいやしたり、神のわざをなすこともできた。
そのようなわざを一時的にできたとしても、永続的に続けていくことはできなかった。それをなさしめたのが、聖霊である。
ペテロたちは、イエスを殺すことすらしたユダヤ人たちのただなかで、イエスの復活を宣べ伝えはじめた。これはとても危険なことであった。うっかりすれば自分たちもキリストと同様にとらえられるかもしれないからである。
しかし、そのような恐れをも超えてペテロはキリストの復活を証しした。それは自分の内から出てくる人間的な意志ではなかった。人間的な考えでは到底イエスに従っていくことはできない、かえって裏切ってしまったという苦い経験がペテロの心のなかには常にあったであろう。
ペテロをうながしたのは自分の考えや他人からのうながしや勧めでもなければ誰かの強制でもなかった。ただ聖霊のみが臆病になっていたペテロを押し出したのである。
そして神殿といえば地方からでも多くの人たちが集まってくるところであり、人々の注目するところであった。そのような場所で、少し前に重大犯罪人として処刑された人のことを宣べ伝えるということは当然危険が伴うのが予想される。しかしペテロはそのような危険や困難を思って恐れるのでなく、聖霊のうながしのままに語った。このようなペテロの姿を見て、いかに聖霊が人間のあらゆる思いを超えて働くかがうかがえる。
神の言葉を語らせるのも、また聖霊である。つぎのような聖句はそのことをはっきりと表している。
…祈りが終わると、一同の集まっていた場所が揺れ動き、皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだした。(使徒四・31)
また、パウロがヨーロッパ(マケドニアやギリシャ)に伝道をしようと思ったのでなく、トルコ半島で伝道を続けようと思っていたのに、聖霊、イエスの霊がそれを許さなかったと記されている。(使徒言行録十六・6~7)
危険を犯してエルサレムへ献金を届けるために出発するときも、「霊にうながされて行く」(同二〇・22)とある。
パウロの伝道の根本にあったのは、未信仰の人への愛であった。神を知らず、苦しみと闇のなかにある人への深い悲しみであったし、キリストを知らされたらいかに生活が変るかを自分自身で知っているだけに、その変換をなすことのできない人への深い悲しみがそこにあった。
…だから私が三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。… (同二〇・31)
このような、愛があるだろうか。自分の党派を拡大したりするのが秘かな目的であったりすることがあまりにも多い。
しかし、パウロは彼らが神を知らなかったら思い知らされるであろう苦しみやなやみ、暗い状況、そして最終的に受ける裁きのことを思って涙が自然に出てくるのであった。
信仰と希望と愛、そして主イエスも一番大切なことは、神を愛し、人を愛することだといわれた。
伝道の基本もここにある。
私においても、キリスト教に対して自分で入りたいと思ったこともなく、宗教全般を無視していたし、何ら心惹くものも感じていなかった。私には、子供のときから大学四年の六月にキリスト教に出会うまで、宇宙を支配したり、創造したり、人間を愛をもって導くような存在のことなど全く頭に浮かんだことすらなかったし、そのような話は学校教育では全く耳にしたことがなかった。
そのような私を駆り立てたのは、まさしく聖霊であり、生きて働くキリストであった。そうした自分自身の経験から、伝道とは聖霊が、またキリストが直接に人間に働きかけてなされることだと分かる。
神の言葉が伝わっていくのは、聖なる霊の働きによる。聖霊とは、またキリストの霊であり、神の霊でもある。(*)それゆえ、神の霊が導き、力を与え、福音をうける人をも備えられるのである。
パウロはキリスト教がヨーロッパの宗教となるにあたって、最も大きな働きをした人物と言える。そのパウロが出発するときは彼自身がそのように伝道に行きたいと思って計画を立てて実行したのでなく、意外なことに、聖霊が祈っている人々に告げたと記されている。
…彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。「さあ、バルナバとサウロ(パウロ)をわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた(み言葉を伝えるという)仕事に当たらせるために。」
そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた。(使徒言行録十三・2~3)
これが、使徒パウロが初めて本格的な伝道に出発するときの状況であった。このように、パウロ自身の気持ちでも計画でもなかったのであって、人々が真剣に祈っているときにその人々に聖霊が告げ、人々は祈ってパウロたちを送り出したのが伝道の出発点であった。
ここにも伝道というのが、一人がするものでなく、キリスト者の共同のはたらきの内になされるものだということが示されている。
また、第二回目に再びパウロは伝道の旅に出発するが、それは第一回の伝道の旅のときに訪問した町へもう一度行き、キリスト者となった人たちを励まし、信仰のすすめをするというのがパウロの目的であって、パウロはその他の地域には行くつもりはなかった。
しかし、その伝道の途中で、パウロが目的としていた小アジア(現在のトルコ地方)地方をさらに訪問しようとしていたとき、意外にも聖霊がパウロたちの行動を禁じるということが起こった。これはパウロが初めてヨーロッパ伝道へと赴くきっかけがなんであったかを示す重要な出来事であった。
…さて、彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられた…。ビテニア州(小アジアのある地方)に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった。
それでトロアスに下った。その夜パウロは幻を見た。そのなかで一人のマケドニア人が立って「マケドニアに渡ってきて私たちを助けて下さい」と言ってパウロに懇願した。パウロがこの幻を見たとき、私たちはすぐに
マケドニアに向かって出発することにした。マケドニア人に福音を宣べ伝えるために神が私たちを呼ばれたのだと、確信したからである。 (使徒言行録十六・6~10より)
そして初めてキリスト教がヨーロッパに渡ることになり、それはマケドニア(現在のギリシャ)のフィリピであった。
現在ではキリスト教はヨーロッパの宗教だと思われているが、たしかにヨーロッパに伝わってから全世界に伝わることになった。日本にもヨーロッパに伝わったキリスト教の伝道者が、遠くアフリカやインドをまわって日本に達して初めて日本にキリスト教を伝えた。そしてそのカトリックのキリスト教が迫害されてごく少数となっていた江戸時代の末期に、ヨーロッパからアメリカ大陸に伝わったキリスト教がアメリカの宣教師によって伝えられることになった。
このように、キリスト教は現在のイスラエル地方において生れたのちに、西方に伝わって全世界へ広がったのであって、東あるいは北にあるロシアやイラン、イラク地方やインド方面へとはわずかしか伝わっていかなかったのである。(*)
(*)東方にはキリスト教の一派であるネストリウス派が伝わった。それはイラン、インド、中国へと伝わり、中国では景教として知られている。しかし、14世紀後半に起こった明の時代になって厳禁されて後を断つに至った。
このような、キリスト教のヨーロッパへの広がりはとくにパウロの働きによってなされたが、それはすでに見てきたように、パウロ自身の計画とか周囲の人たちの派遣といったものではなく、直接に神からの啓示によってうながされたのであった。
このようにキリスト教伝道をなさしめる原動力は聖霊であったが、それは神の霊であり、キリストの霊であり、生けるキリストのことなのである。(*)
(*)それは次のような箇所をみればわかる。
…神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいる。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していない。
キリストがあなたがたの内におられるならば、…。もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら…
(ローマ八・9~11より)
このように、キリスト教の広がっていく原動力となったのは、人間の計画や意図ではなく、そうしたあらゆる人間の思惑を超えた神の御計画と神の力が注がれてなされていったことなのである。
そのような神の計画を担うのは人間であって、特定の人間だけでなく、複数の人間の共同の働きとして行なわれていく。
すでに主イエスは自分単独でなく、十二人の弟子たちとともに行動され、また女性たちも加わっていたことが聖書には記されている。
パウロも最初の伝道の旅には、バルナバと共に行動し、第二回目の伝道にはシラスや医者であったルカという人物をも同行した。ルカは三回目の伝道の旅にも同行したことが、使徒言行録によって知ることができる。
伝道に同行するというだけでなく、パウロの伝道によってキリスト者となったフィリピの信徒たちはパウロに対して同じ主にある深い共感と祈りをもって霊的な戦いを共にしつつ、パウロの伝道を助けたのである。
キリスト者となるということは、目に見えない悪との戦いに入ることであった。
そしてその戦いとは特定の人間とか組織への戦いでなく、それらを動かす悪の霊との戦いであるなら、キリスト者の戦いはいつも共同の戦いとなる。
それゆえ、今月号の「一つになる目的」の文でも引用したように、フィリピの信徒への手紙においても、パウロは信徒たちが自分の戦いと同じ戦いを戦っていると述べているのであるし、また次ぎのように信徒に自分を祈りをもって支えてくれるようにと願っているのである。
…兄弟たち、わたしたちのために祈ってください。主の言葉が、あなたがたのところでそうであったように、速やかに宣べ伝えられ、あがめられるように、
また、わたしたちが道に外れた悪人どもから逃れられるように、と祈ってください。(テサロニケ信徒への第二の手紙三・1~2より)
パウロの伝道がこうした信仰を与えられて間もない人たちによって、その未熟な信仰からくる祈りによっても支えられていたのがうかがえる。そしてそれは祈りだけでなく、パウロが困難な状況に置かれたとき、とくにフィリピの信徒たちは具体的な援助、すなわちお金や生活を支える物をもってパウロを助けたことが記されている。
…フィリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、わたしが福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、もののやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした。
また、テサロニケにいたときにも、あなたがたはわたしの窮乏を救おうとして、何度も物を送ってくれました。
(フィリピ信徒への手紙四・15~16より)
このようにパウロはキリストの福音を人々に伝えたが、そこでキリストを信じた人は、パウロを祈りと献金などによってたえず支えていったのがうかがえる。こうして神はキリストの福音がさまざまの人たちの共同の働きとして伝わっていくようになされたのである。
またパウロはエルサレムにいるキリスト者たちを助けるために、わざわざ献金を集めるという働きもした。それは遠い地域にあっても、互いに祈り会い、助け合うことが不可欠であったからである。このような具体的なことも新約聖書には記されている。
パウロはまた、み言葉を伝えるためには何でもすると言っている。
…わたしは、すべての人に対して自由であるが、できるだけ多くの人を得るために、…ユダヤ人には、ユダヤ人のようになった。ユダヤ人を得るためである。律法の下にある人には、わたし自身は律法の下にはないが、律法の下にある者のようになった。律法の下にある人を得るためである。
律法のない人には律法のない人のようになった。律法のない人を得るためである。
弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。なんとかして幾人かを救うためである。
…福音のために、わたしはどんな事でもする。わたしも共に福音にあずかるためである。
(Ⅰコリント九・19~23より)
現代の私たちにとっても、キリストの福音を伝えるためにどんなことでもするという人は少ないだろう。しかし、一度キリストの福音が魂に根ざすとき、その福音のために何かをしたいという気持ちになっていく。それは貧しい人たち、病気の人たちへの何らかの配慮や奉仕となったり、献金や捧げ物となったり、あるいは讃美を歌うことであったり、福祉的な仕事であったりする。
私たちができること、それは各人にとっていろいろである。職業を持っている人なら、その職場においてキリスト者であることを周囲の人たちに告げておくだけでも伝道になるし、キリストに従う者としての心をもって職業にかかわることで、周囲の人たちにもキリストを指し示すことになる。また、必要なときにキリスト教の印刷物や書物を紹介したり、集会の案内をしたりできる。
そして自宅や病院にて過ごす人であっても、自分の友人や知人などに印刷物や手紙、メールなどによって知らせることが可能となる。
そうしたことが十分にできないという人は、祈りができる。一人一人名を思い起こして祈ることが相手の人に神からの祝福を近づける働きにつながっていく。
キリストのことを伝えるのが伝道であるが、牧師でなければできないとか、聖書の詳しい知識がないといけない、信仰生活の経験がないとできない…などという先入観を持っている人もいる。
しかし、新約聖書において、キリストのことを伝えた人はだれであったか。キリストがとくに選んだ十二人のうちで、最も重んじられたのは、ペテロ、ヤコブ、ヨハネたちであったが、彼らはいずれも漁師であって、学問的な知識など一切なかった。宗教的な経験を積んだということでもなかった。ただ、主イエスに呼び出されたということだけであった。そしてキリスト者とはキリストに呼び出された人たちである。それゆえに、キリスト者となったらだれでもキリストのことを伝えることができるようになっている。
このことは、新約聖書の他の箇所を見てもうかがえる。キリストの誕生のとき、当時の宗教家とか社会的指導者とか知識人とかでなく、無学な羊飼いにまず知らされた。そして羊飼いたちは自分達が知らされたイエスの誕生のことを、黙っていることはせず、すぐに「羊飼いたちはこの幼な子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。」(ルカ福音書二・17)と記されている。
また、当時差別されていたサマリア地方の女が水汲みに来ていたが、その井戸のところで主イエスに出会った。そしてイエスによって自分の過去のことを見抜かれ、またかつて経験のない権威を持っていること、また直接にメシアだと言われて、水汲みの仕事をおいてすぐに町に帰っていき、人々にイエスのことを伝えた。それによって人々はイエスのもとに来て、多くの人々がイエスの言葉を聞いて信じた。(ヨハネ福音書四・28~41より)
このようにして、福音のために何かできることを各人がなしていく時、それによって真理が伝わっていく。しかし、一度聞いて信じたとしても、それを持続していかねば意味がない。聖書の神を信じるということは、永遠の真理を信じるということであり、最も純粋な愛や正しさ、清さといったものが、決して壊されることなく存在しているということを信じることである。神とはそのようなものをすべて完全に持っておられる方だからである。
このような究極的に良いものの存在を信じることは、周囲と対立していくこともある。そうした対立に負けないで、あくまで真実な神を信じ続け、キリストによる罪の赦しを常にうけつつ歩むことは、自分一人だけでは難しいことがしばしばである。
だからこそ、聖書でも、すでに述べたようにつねに共同の働きのなかで生きていくことがすすめられている。信じる者たちとは、本来は兄弟姉妹であるならば、当然ともに支えあうことが重要となってくる。
ここから日頃の集会、共同の礼拝がいかに大切かが浮かび上がってくる。
集会を持たなければ、聖書の真理を伝えること、伝道は難しい。それは継続ができないからである。一度あるときに神を信じたといっても、それを継続するためにはたえず新しく聖霊やみ言葉を受ける必要がある。
それについて最も重要なのはやはり日頃からの日曜日ごとの礼拝であり、またその他になされる聖書の学びの集会である。
聖書という書物は数千年も昔に書かれたものであるから、まず、聖書が書かれた原語がまったく日本語とは異なるために日本語の意味がすべてだと思って読んでいると実は原語の意味やニュアンスがかなり違っていたということもある。
また、自分だけで読んでいたのでは、本質的な意味を取り違えることもしばしばあること、また重要でないと思って軽く見過ごしている言葉のなかにも重要な意味があることもしばしばである。私自身、初めて大学四年のときに京都の無教会のキリスト教集会に参加したとき、創世記の一頁ほどを一時間以上もかけて説明されたのに驚いたのである。聖書とはこんなに意味が深いのかとその時初めて知らされた。
また、集会によって信徒相互の交わりが与えられる。これは特に重要なことである。ヨハネ福音書でまず、言われているのは、信徒たちが互いに愛し合うということである。それによって私たちは神を無視するこの世の流れに押し流されずに、兄弟姉妹たちによって支えられて、信仰の道を歩んでいくことができるようになる。
またそのことによって周囲の人たちにも私たちがキリストに従っているものであることを示すことになり、それがキリストを伝えることにつながるといえよう。
…あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。
(ヨハネ福音書十三・34~35)
そして集会に継続して参加することによって、信仰を持っている人たちの歩み方、苦しみや困難にも打ち負かされないで生きていくのを見て、そこにも神の導きと見えざる神の御手の働きを知らされるのである。
キリストを信じる人たちは、キリストのからだである、と言われている。それほどまでにキリスト者は一つなのである。
このように一つのからだとしてキリスト者たちは歩んでいくのがあるべき姿なのであり、み言葉を伝えるという働きもそのなかでなされていく。
御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えよ。(テモテへの第二の手紙四・2)
どのように人々がかたくなに見えても、一度キリストの言葉を本当に受けたものは、それを伝えずにはいられなくなる。相手がそれを受け入れないことはよくある。しかし、相手の受け入れがよいとか悪いとかに関係なく、究極的な真理はいつも前進していく。世の終わりまで。
主イエスの種まきのたとえにあるように、キリストの福音という種を蒔き続けると、ときには荒野に落ち、藪や岩石などの上に落ちたり、鳥が来て食べてしまうことがある。
しかし、そうした状況においても、良き地に落ちて豊かに実を結ぶのも必ずある。福音が全世界に宣べ伝えられることは、神ご自身の計画だからである。