ことば 2004/11
(198)私が固く信じていることは、神はあらゆる人々に日々ご自身を啓示しておられるということである。
しかし、私たちはその「静かな細い声」(*)に自分たちの耳を閉じており、目の前にある「火の柱」(**)にその目を閉じているのである。(ガンジー著 「若きインド」一九二五年五月二五日(***))
My firm belief is that He reveals Himself daily to every human being but
we shut our ears to the 'still small voice.' We shut our eyes to the Pillar
of Fire in front of us.(Young India )
(*)今月号の「はこ舟」でも触れた、列王記上一九・12に見られる言葉。
(**)主は彼らの前に行かれ、昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照し、昼も夜も彼らを進み行かせられた。(出エジプト記一三・21)
(**)インドの政治家・思想家。(一八六九~一九四八) イギリスに学び、弁護士を開業。初め南アフリカでインド人に対する人種差別政策の撤廃運動に従事。一九一五年インドに戻り、非暴力・不服従主義によりインド民族運動を指導。イスラム教徒とヒンドゥー教徒の融和に腐心したが、インド独立後まもなく狂信的ヒンドゥー教徒に射殺された。アメリカのキング牧師は、ガンジーの非暴力の精神に深く影響されて、黒人差別撤廃運動にその精神を取り入れた。
○今月号で述べたように神の愛は太陽の光あるいは、雨のように万人に注がれているゆえに、万人に語りかけておられると言える。そうした神ご自身に私たちがいつも接しているために、私たちは「目覚めていなさい」、と主イエスからも繰り返し教えられている。(マタイ福音書二四・42、二五・13)
(199)もしあなたが、誠実であろうとするならば、だれがあなたにそれを許さないだろうか。…人間は誠実(*)のために生れてきたのであって、それを覆す者は、人間固有のものを覆すのである。(エピクテートス「語録」第二巻二、四章より)
(*)「誠実のために」pros pistin 。誠実と訳された pistis は真実、信仰とも訳される語。地位を高めるということ、財産家になるとか有名になることは、無数の妨げがある。何かの事故や病気となっても直ちにそれはかなえられなくなる。しかし、私たちが真実なものになろうとすることは、たしかにどのようなものも妨げることはできないはずのものである。不正を受けても相手のために良きことがあるようにと祈る心は真実な心であるが、そうした心の方向は私たち自身が決めることができるし、力足らなければ神に求めていくことができるようになっている。人間とは単に享楽や飲食などのために造られたのでなく、「真実」というものに向けて創造されたというのは動物との根本的な違いの一つといえる。
私たちが本当に真実であり得るのは、不信実な本質たる罪赦され、完全に真実なお方である神にたえず導かれるときである。
(200)伝道は忍耐のわざである。福音の種を蒔いてその生育を待つことである。雄弁でもなく、交際でも、なく、学識でもない。忍耐であり、忍耐をもって待つことである。
すべての才能において欠けることがないほどであっても、忍耐という一つのことにおいて欠けているものは、この聖なる働きに入ることはできない。(内村鑑三「聖書之研究」一九〇五年一〇月)