(201)泉のような祈り
彼は全く打ちのめされたのではなかった。
彼の堅固な心が彼を支えた。
そして絶えることのない祈りが
彼の魂をいのちあるものとした。
その祈りは、心の内部の
いのちの源から湧きだしてくるものであったし、
さらにそれは辛い世の中をも
つらぬき溢れてやまない祈りであった。
それは、あたかも海のただ中に湧き出る
真清水の泉のようであった。(「イノック・アーデン」795~800行 テニソン作)
He was not all unhappy.
His resolve
Upbore him,and firm faith, and evermore
Prayer from a living source within the will,
And beating up thro' all the bitter world,
Like fountains of sweet water in the see,
Kept him a living soul.
・この詩は、イギリスの代表的詩人の一人であるテニソンの900行を越える長編詩の一部。私は中学一年ころにこの詩を少年向きにわかりやすく訳したものを読んで、強い印象を受けて心に残っている。
祈りはこの詩にあるように、魂の最も深いところからあふれてくるもの。そしてこの世の厳しさ、荒涼とした現実のただなかにあって、魂にそれをいやす泉のごとく働くのである。祈りなき魂は、深く傷ついたときにはいやされることができない。それゆえ私たちの魂の深みからいつも祈りが湧き出てくるような状態でありたいと思う。
(202)「主はその愛する者に、眠っている時でも、なくてならぬものを与えられる。」(詩編一二七・2)
神およびキリストとともに生きることは、この世で最も容易な生き方である。それは、一種の気軽さをさえ生み出す。
そしてこのような気軽さは、この世のどんな享楽にもまして人間の生活を喜ばしいものにすることができる。
しかもそうするためにお金はほとんど、いや、むしろ全然いらない。そのような生活に必要なものは、ただ神とのゆるぎない交わりだけである。
このような生活は、苦しみ悩める人びとにとってまことの救いである。実際、彼らがこのような救いを知って、それを求めるならば、必ずそれは与えられるからである。(ヒルティ著
眠られぬ夜のために上 十二月五日の項より)
・幼な子のような心で神を信頼し委ねていく者には、本当になくてならぬものが与えられる。どんな状況にあっても、どんな人にでも与えられる。不平等に満ちていると見えるこの世に、このようなある種の平等性があるのは驚くべきことである。
(203)あの青い空へ
あの碧蒼な空へ
帰れるのだと思ったら
今日もほんとうに
いい一日だった
私から何もかも
取り上げてしまわれた
神様はいい方
神様ご自身を下さった!
もうすぐ
あの雲のように
自由になれるのね
ああ お父様
ありがとう!
(「祈の友」信仰詩集 180Pより 野村伊都子の詩 一九五四年静岡市 三一書店刊)
・青い空、白い雲、それはこのような死が近いと思われるほどの苦しみの中にある者にも、神の国へと魂を引き寄せるものとなる。そのような青い空や雲こそは神の心を表しているものであるから。
・この詩の著者である、野村伊都子は、若くして腎臓結核となり、苦しみにさいなまれたが、そこから生み出された詩、文は結核などで苦しむ人たちを力づけた。作家の三浦綾子もその一人で、次のように書いている。
「世には血のしたたるような本がある。私が十三年の療養中によんだ『静かなる焔』はそのような本であった。言語に絶する腎臓結核の苦しみ、その苦しみと戦うキリスト者野村伊都子さんの生々しい記録―。当時、この一冊に奮い立たされた療養者のいかに多かったことか。」