返舟だより 2004/12
○二ヶ月に一度、(偶数月に金~月の三日間)阪神方面にてみ言葉を語る機会が与えられています。今回もいつものように、神戸市、大阪狭山市、大阪府の高槻市、泉南市、奈良市などで、集会を持つことが出来ました。四、五名から十数名の小集会ですが、毎回どこかの集まりで新しい人や、久しぶりの人、また問題をもった人、あるいは以前の問題が信仰によって良き方向に向かっているという方などもいて、主の背後の導きを感じます。
高槻市では以前は佐々木宅で集会がなされていましたが、高齢のために難しくなり、今回からは地域の小規模の公民館を借りて集まることができて感謝。また難病で若くして召された京都のBさんのお母様もずっと集会への参加を続けられて、召されたBさんの信仰を受け継いでおられるのも主の導きと感じます。奈良市では、老齢と病気のために参加が危ぶまれていたNさんも当日は守られて参加でき、「祈の友」でもあるので、ともに祈りを合わせることができたのも感謝でした。
私たちがなすことは本当に小さなことですが、その小さなことを主が用いて、主ご自身が働いて下さるようにと祈るばかりです。
また、十二月十七日には岩手県盛岡市のスコーレ高校でのクリスマス礼拝の聖書講話ということでお話しさせていただきました。
この高校では毎週二回、五五〇人の生徒に対して全校礼拝として聖書講話がなされているということです。このようなかたちで礼拝がなされているのは、現在ではごく一部の高校だと思われますが、それを継続していく困難さもまた思わされたことです。
主がそうした困難さにもかかわらず、教職員の方々の熱意を用いて、祝福して若い魂が永遠の真理にと導かれますようにと祈り願いました。
○今年の十二月のクリスマス特別集会は十九日(日)に行なわれました。以前から祈って備えることで、主がその祈りを祝福して下さり、いつも参加できない方々、一年ぶりの方、また初参加の方、あるいは予想してなかった突然の参加者もあり、祈りを主が聞いて下さっていろいろの人たちを導いて下さったことを感じます。ふだんの日曜日の主日礼拝にはその祝福があり、一年に一度の特別集会にはまたふだんにはない祝福があります。参加した八〇名あまりの人たちの上に注がれた祝福が、いろいろの事情で参加できなかった人たちの上にも同じように注がれ、ともに御国へと歩んで行けますように。
・今月は返信のなかに、讃美や音楽に関しての内容のものが多くありました。そのなかからあげてみます。
○「恵みの高き嶺」の入った聖歌のテープ、聞かせていただきました。歌詞を見ながら聞いていると、なんだか青空の中へ吸い込まれていくような、心洗われるような感じでした。
涙が出てきて何とも感激でした。
私の父は、数年前に召されましたが、父の持っていた聖歌の五八九番「恵みの高き嶺」にも赤鉛筆で○印がついていました。
改めて歌詞を見ながら聞くと、心の奥深くまでしみ込んでくるような、イエス様が手を握って「大丈夫だよ」と言って微笑んでくれているような気持にもなりました。…」(関東地方の男性)
・一つの讃美がこのように心を動かすことは、不思議なほどです。よい讃美は、神の言葉とメロディー、そしてそれを歌う人間の心とが溶け合って、時として大きな力を与えることがあります。
○次は十一月号に同封してあった、北田 康弘さんのCDの紹介に関しての来信です。
「はこ舟」、まくらもとのテーブルにいつでも置いてあって、繰り返し読ませていただいて感謝です。…このたびは北田 康弘さんのCD紹介などの印刷物をお送りくださって感激しています。さっそくお店に注文しましてCDが今週届きました。心を熱くして一気に聴きました。感動しました。私の日々のさまざまの思い煩いもなくなったように、喜びが心に満ちました。神様からのプレゼントだと今思っています。昔若いころ、点字をならって点訳のお手伝いをしたこと、いまも全盲の方との関わりがあることなどを思うとき、決して偶然ではない、天から見守り導いて下さっているお方の御愛があたたかく心にしみ入ります。…CDを聴かせていただいて、自分にばかりとらわれている心がどんどん開放されてイエス様の方へ引き寄せられていきました。(中部地方の方)
休憩室 2004/12
スイセン
冬の花のうち、最も愛されてきた花の一つはスイセンだと思われます。その清楚な花の姿と香りは誰にでも愛されるものです。よき香りを周囲に放つ花というのは、幾千とある野草のうちでも少ししかありません。
スイセンはほとんど野生状態で増えていくので、栽培にとくに手間も要らず、花の少ない冬にいのちに満ちた葉と花を見せてくれます。
夏の間は、草が生い茂っていたところは今は冬枯れとなり、代わってそこにスイセンがたくましく緑の葉を伸ばして次々と花を咲かせています。
スイセンの花とその姿、香りも私たちに、聖書にあるメッセージを思い起こさせてくれます。
聖書のなかで、香りに関して印象的な箇所があります。
…わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りであり、救われる者には命から命に至らせる香りである。
(Ⅱコリント二・14~16より)
使徒パウロはこのようにのべて、キリスト者は良き香りを放つ存在であって、その香りを感じた者は救いへと招かれる、そのゆえに、命から命へ至らせる香りなのだといっています。たしかに私たちはだれかの祈りによって救いへと導かれたということがいえます。書物によってまた人によってキリスト者となりますが、その本を書いた人も生きているキリスト者も絶えず他者のために祈り続けるようになっているのであり、その祈りによって本も生み出され、またほかの人への働きかけもなされるからです。
聖書からは豊かな神の香りが永遠に周囲に出されています。聖書を心して読む者にはその香りが伝わり、その人からも、本人はそれに気付かなくとも、神の国の香りが放たれるようになるわけです。
スイセンが常に良き香りを周囲に放っているように、いまも生きて働くキリストは良き香りを世界に漂わせており、心を開くものにはその香りを実感できるようになっています。
スイセンの心を清めてくれる香り、それは神の国からのものであり、私たちの魂にたくわえられるような感じがします。
天の国の花園には、すでに召された信仰の勇者たち、愛と信仰に生き抜いた無数の良き香りのする花々が咲いているといえます。
私たちも心を高くあげて天の国の香り、キリストの香りを日々に受けて、よき香りある花のようにならせていただきたいものです。
お知らせ 2004/12
○今年のキリスト教 四国集会(無教会)は、五月十四日(土)~十五日(日)の二日間、徳島市で開催予定です。
○十一月号で紹介した北田康弘さんのCDを購入ご希望の方は、左の徳島聖書キリスト集会の郵便振替番号を用いて三千円送金して頂くとお送りします。(送料は当方で負担)