靖国神社の問題点について(その2) 2005/6
首相の靖国神社参拝のために、中国や韓国との関係が悪くなっているため、さまざまの方面から中止するようにと働きかけが生じている。首相経験者たちが、そろって小泉首相の靖国神社参拝を中止するようにと呼びかけたという前例のないようなことも生じている。
自分の個人的な気持とアジアにおける日本はいかにあるべきかという大きな視野とを混同してしまって、いっそうアジアの国々との関係を悪化させ、戦後六〇年を経ても、なおアジアから親しみと尊敬などを得られない日本の状況が今回の問題でいっそう明らかになっている。
靖国神社の歴史とか問題点については、本誌の二〇〇四年十二月号に書いたが、さらに前回のものを補う目的でいくつかの点を書いておく。
靖国神社は、もとをたどっていくと、徳川幕府と尊皇攘夷派との抗争が激しくなっていた頃にその源流がある。その頃、幕府の井伊直弼が、反対派を弾圧し、多くの尊皇攘夷派の指導者たちを処刑した。それが大きなきっかけとなって、幕府打倒の動きが激化していった。そうした状況のもと、尊皇攘夷派は、自分たちの同志の名誉回復のために動きだした。
それが、一八六二年に、孝明天皇が、尊皇攘夷派の志士たちの霊魂を招いて、祭をし、子孫にも祭らせるという布告をだし、その年末に実際に京都東山で、初めての全国的な招魂祭が行われた。
明治維新になる前から、すでにこのような天皇側につくものを特別に祭るということが行われるようになっていたのである。
その後、徳川幕府が倒れ、天皇制の新政府がまず手がけたことの中につぎのようなことがある。
それは、祭政一致である。政治と天皇を現人神とする宗教が一つであるとし、神祇官(じんぎかん)という官庁を特設し、神々を祭ることを政治の中枢においたのである。これは神道を国教とする方針を明確に示したものであった。そこから、続いて江戸幕府の厳しいキリスト教禁制をそのまま踏襲し、キリスト教を厳しく禁じる政策を継続することにした。
このように、江戸時代から新しい明治の時代になったのであるが、その本質は、ただの人間である天皇を現人神とし、古代の神々を重んじ、キリスト教の真理を全面否定するというおよそ誤ったものであった。
キリスト教は、ヨーロッパの歴史を支え、弱者を重視し福祉の源流となり、また、敵をも愛するという人間関係の究極的なあり方を示し、真理探求の精神を大学という形で世界に広めていくことにもつながったものであり、愛や真実、清さという人間の最も根源的な要求を満たしてきたものであったにもかかわらず、その真理をまったく認めることができなかったという、極めて狭い認識から出発していた。
これが誤ったことであったのは、その後六年ほども経って、諸外国の激しい抗議によってようやくキリスト教禁止という方針を撤回したのであったが、祭政一致という誤りはその後もずっと受け継いでいった。そしてそれが太平洋戦争において、日本人だけで二五〇万人(*)、中国やアジアの人については、二〇〇〇万とも言われる膨大な命を奪うような悲劇を起こしたのであった。
局地的な紛争が暴走してあのような大戦争ともなっていったのは、天皇を現人神だとして、その命令を絶対視させていくことと深く結びついていた。現人神なる天皇が戦争を開始決定し、戦争へと駆り立てていくはたらきをしたのである。
(*)日本人だけでも、15年間で二五〇万人もが死んだということは、平均すると毎年十七万人近くとなり、毎月一万四〇〇〇人ほどものひとたちの命が十五年間も続けて失われていったことになる。アメリカで、航空機が乗っ取られて、高層ビルに激突され数千人の命が失われて、世界に衝撃を与え、現在もその影響が続いているが、それと比べてもいかに戦争の犠牲が途方もなく大きいものであるかがうかがえる。
このことは、一九三七年五月に文部省から発行された「国体の本義」という本にも書かれている。この頃はすでに中国との戦争を始めており、太平洋戦争へと徐々に向かっている時代であった。そのようなときに政府がどのような考えを国民に押しつけようとしていたかが分かる。
この本に次のようなことが記されている。
…祭祀(さいし)(*)と政治と教育とが根源において一致するわが国の特色をよく明らかにしている。わが国は現人神(あらひとがみ)にまします天皇の統治したまう神国である。天皇は、神をまつり給うことによって天つ神と御一体となり、ますます現人神としての御徳を明らかにし給うのである。」(「国体の本義102頁、ここでは現代表記にしてある」)
(*)祭祀(さいし)とは、神や祖先を祭ること。
このように、次第に戦争が激しくなりつつあるときに、政治と、天皇を現人神とする宗教、そして教育が根源において一致するというような本を政府が出すというところに、中国戦争、太平洋戦争といった戦争がこのような発想が根底にあって押し進められたということが分かる。
そしてこうした一連の動きを助け、強化するために靖国神社も大いに用いられたのであった。
一般の神社は、内務省が管轄するにもかかわらず、靖国神社だけは一八八七年から、内務省から離れて、陸・海軍省の管轄となったことを見ても分かるように、本質的にこの神社は軍事的な目的にそっていたのである。
それは、この神社はもとは東京招魂社と言われていたのを、靖国神社という名前に変えたがその名前そのものが国家的、軍事的な意味合いを持っている。招魂社という名前は、文字通り、すでに死んだ人間の魂を呼び戻して、それを祭るというものであった。そこでは国家的な色彩はまだ希薄であったといえる。すでに述べたように、招魂社というもののもとは、孝明天皇が尊皇攘夷派のゆえに命を失った者たちの名誉を回復させるという党派的な発想から生れたのである。
しかし、それでは政府の都合のよいように用いるためには不十分だということで、陸軍省で議論が始まり、その結果、中国の歴史書「春秋」の中から、「国を靖(やす)んじる」という言葉を選んで採用し、一八七九年に靖国神社となった。靖国という用語は日本では大体において使われていなかったのであり、この意味には、「安国」という言葉があった。「立正安国論」という日蓮の一二六○年の著にある通りである。
あえて、そうした日本の言葉を使わずに、中国の言葉を持ち込んだのは、「安国」というのが、仏教でよく用いられていたからだという。
このように、国を靖んじるという目的を鮮明に打ち出して、いっそう、軍事目的にかなった神社としての様相を呈していった。
尊皇攘夷派の志士たちの名誉復帰のためといった、党派的な目的から、大きく変質して国を動かすいわば道具、手段として存在し始めたのである。そのためには、内容を選ばない。それゆえに、戦争で死んだ者だけを特別にして、それを神々として祭り、際限なく増やしていくという、世界にも前例のない宗教施設となっていった。
戦争の犠牲者全体を記念するのでなく、軍人を圧倒的に重視し、それを神としてあがめるということ、それは戦争を押し進めようとする発想から出ているというのはすぐに分かることである。
また、一八八二年に靖国神社境内に遊就館というのをつくり、そこに刀剣や軍人らの遺品などが置かれ、日本最大の刀剣の陳列場となり、国民に軍国主義を鼓舞する施設となった。
現代ではその遊就館はどうか。やはりその性格は変わっていないといえる。そこには、まず玄関ホールには零式艦上戦闘機ゼロ戦を展示し、大展示室では、艦上爆撃機「彗星」、人間魚雷「回天」、ロケット特攻機「桜花」、九七式中戦車などの大型兵器が置かれてある。
神社にこのような巨大な戦争用の兵器が陳列されているということからも、この靖国神社が平和を祈念するというのでなく、戦争を肯定して美化する方向を持っているのがうかがえるのである。
首相は、平和を祈るために靖国神社に参拝するというが、靖国神社の歴史とどんな目的でそれが作られ維持され、用いられてきたかを知れば、そのような首相の言葉がいかに無意味であるかが浮かびあがってくる。
首相の靖国神社参拝が、現在のように大きな政治、経済問題になっていても、それでもなお参拝を支持する国民が多いのは、中国や韓国の強い姿勢に反発するといった表面的な理由によることが多いと考えられる。
また靖国神社は、太平洋戦争が中国などへの侵略戦争であったことすら認めようとせず、 次のような驚くべき見解をもっている。
「大東亜戦争(太平洋戦争、日中戦争)は、日本の自衛のために行われたのであり、東アジアを自由で平等な世界を達成するためのものであった。 日本は中国・韓国に対して謝罪するべきではない。」
もし、ここに述べたような事実や、去年の本誌十二月号に述べたような靖国神社の本質を知っていたら、真の平和を願い、かつての戦争の悲劇を深く知るほど、そもそも靖国神社に参拝するということ自体、考えられなくなるであろう。
それは政治や経済問題以前の問題なのである。
戦争で捕虜に対して死に至るような拷問をやり、一般の女子や子供を襲ったり、どんな残虐なことをした兵士も、死んだらみんな同じように「神」となって、尊敬し拝む対象になるということは、理性的な判断では到底受け入れられないことである。
そもそも二四七万人にも及ぶ、正体不明のどんな善人か悪人かもわからない人たちをみんな同様に扱って、これら膨大な人間を神としているのである。
そしてそれらのうちの二百十三万に及ぶような「神々」が、六〇年あまり前の太平洋戦争での死者であり、その圧倒的多数が軍人なのである。
こうした混乱はそのもとをつきつめると、人間を簡単に神々とする発想にある。人間がいかに醜く、また弱いものであるかは、日常的に自分自身や他人で明白だと言えよう。しかしそうした事実にもかかわらず、人間を神々として崇拝するというようなことが、日本の代表者である首相や多くの国会議員たちによって行われているほどに、日本においては、目には見えない問題に対しては真理が見えていないのである。
聖書においては、驚くべきことに、すでに三〇〇〇年以上も昔から、人間やほかの者を神々として崇拝することは、明白な悪として記されているのと大きな違いである。
ただ、神だけを崇拝すべきこと、そしてその神の御性質がだれにもはっきりと分かるように、神はキリストを送られ、キリストの言動を見れば、私たちが崇拝すべき神とはどんな御方であるかが明らかになるようにして下さった。
しばしば宗教の名において、まちがったこともなされてきた。しかしそれらはどこがまちがっているのか、人間の狭い視野からの議論でなく、キリストの言動に照らしてみる時明白である。
現在の靖国神社参拝問題も、来年九月に首相の任期が終われば、次の首相になる人によってはすぐに参拝中止するであろう。しかし、そうなっても、問題の根本は少しも変わらない。
私たちが真に重んじ、礼拝する対象は人間でなく、唯一の神であり、キリストによって表された愛と真実をもった神であるということであり、それが受け入れられないかぎり、いつまでも日本と中国や韓国の問題は続くし、霊的な意味において、日本人の前途にも暗雲が常に垂れ込めていることになるだろう。