リストボタンことば 2005/6


210)愛によってのみ「見える」ものが世の中にある。だから私たちは聖書のなかに出てくる盲人と同じく、「主よ、見えるようにして下さい。」と祈らなければならないのだ。日常生活の随所にいらっしゃる主のお姿に気づくように。(「愛をつかむ」渡辺和子著)

この世では逆に「愛は盲目」であるという。それはこの世の人間的な愛、自分中心の愛はまさにそうである。ふつうの男女の愛というのはたしかにほかのことが分からなくなるようになってしまうことが多いし、親子の愛なども同様にほかの子供は見向きもしないで、ただ自分の子供だけが成績がよかったらいいなどと願う、狭いものである。
しかし、神からの愛を受けるとき、それはすべてを見通す神に由来する愛であるから、そのような愛を受けるほど、燃えるような心であると共に理性的となり、また相手の心を理解し、あるいは見抜き、本当に大切なことが見えてくる。また周囲から無視されているような人や敵対するような人間の中にすら、そこに大切なものが神のお心を通して見えてくる。
たしかに学問などを通しても、また経験を通しても見えてくるものがあるであろうし、それは数々の自然現象を科学的に説明できるようになったことでも分かる。
しかし、病気や障害のために弱い人、老齢のため死が間近にせまっている人や、苦しみや悲しみにうちひしがれている人、あるいは敵対する人、さらには自分自身にふりかかってくるさまざまの苦難のなかに大切なものが見えてくるというようなことは、学問をいくらしても、経験がいくら豊かであってもそれだけでは決してできないことである。
それはただ神の愛によってのみ可能となってくる。

211)モーツァルトへの感謝の心は、次のことにつきる。彼の音楽を聴くとき私はいつも、夜であっても昼であっても日の光を受けているときも、嵐のときも、いつでも、善にして秩序ある世界の入り口に立たしめられる。そして聴くたびに、勇気を与えられ、純粋さと平和を贈られるのを実感する。(「モーツァルト」カール・バルト(*)著16頁 新教出版社 )

*)バルトは、宗教改革を導いたルター,カルヴァン以来最大のプロテスタント神学者といわれ,その影響力は世界の教会に及んでいる。

・音楽のよさは、バルトが述べているように、この世のよごれたところから別の世界へと導いてくれるところにある。キリスト者とは聖霊によって導かれる者だと言えるが、キリスト教をその源泉として持っている古典音楽もまた、私たちの心を引き上げ、導いてくれるものとなる。


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吉村(孝)は、七月十五日(金)~七月十八日(月)まで、北海道の瀬棚郡にて、去年と同様に聖書講話を担当します。
今回は、「平和」と「信仰の継承」がテーマ。社会的な平和と、主イエスが約束された、神から与えられる霊的平和があります。 また、信仰の継承ということにも、家族への継承と、周囲の未信仰の人たちへの信仰の継承(伝道)という意味があります。
帰途は、七月十九日(火)は札幌にて集会があり、二十日(水)の夜は、山形で小集会、二十一日は昼前から午後にかけて、東京八王子市にてやはり小集会の予定です。こうした各集会についての問い合わせは吉村(孝)まで。


著者・発行人 吉村孝雄 〒七七三ー〇〇一五 小松島市中田町字西山九一の一四
電話 050-1376-3017 「いのちの水」協力費 一年 五百円(但し負担随意) 
郵便振替口座 〇一六七〇ー六ー五六五九〇 加入者名 徳島聖書キリスト集会
 協力費は、郵便振替口座か定額小為替、または普通為替で編集者あてに送って下さい。
(これらは、いずれも郵便局で扱っています。)
E-mail:pistis7ty@ybb.ne.jp
 http://pistis.jp FAX 08853-2-3017


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