人の意見と神の意見 2006/2
人にはさまざまの意見がある。 私たちはどんなことでも、それぞれの分野での専門家に尋ねようとする。多くの経験を経て、その見識が認められている人の意見は重んじられる。その方面に初めて仕事で加わったときには、できるだけ権威ある人、業績をあげている人の意見が重んじられるのは当然である。
それは医者について特に言えることである。素人の意見は問題にされないで、医者の意見が重んじられるし、さらに手術例の多いところは技術的にもすぐれているとみなされるので、多くの人たちが行くことになる。
これは経済にしても、科学技術に関することもみな同様である。
しかし、そうした専門家よりはるかにすぐれていて、いかなるその道の権威も比較にならない特別な権威者がいるのに、全く尋ねようとしない人が大多数を占めているのは不思議なことである。
その最大の権威者とは、キリストである。
何かの問題が生じたら、私たちはまず最高の権威者である、神とキリストに尋ねようとするのが筋なのである。
いろいろな著作家、学者、あるいは経験豊かな老齢の方、芸術家、さらに信仰深い人等々私たちが学ぶと益を受ける人たちは数知れずいる。カウンセリングの専門の人は、また黙して語らなくなってしまった人、心の重荷をかかえる人に対しても適切に心を引き出すことができる場合がある。
けれども、最大のカウンセラーはキリストである。かつて地上に存在した最も英知ある人はイエスであった。
聖書においても、キリストこそ、霊的なカウンセラーであると記されている。
And I will ask the Father, and he will give you another Counselor to be
with you forever. (New International Version 。なお、アメリカ改定標準訳 RSVも同様に訳している。ヨハネ福音書十四・16)
私は父に願おう。そうすれば父は、別の「カウンセラー」をあなた方に与えて、永遠にあなた方と共にいるようにされる。
この永遠に私たちと共にいて下さるカウンセラーとは、復活したキリストであり、聖霊のことである。ギリシャ語では、パラクレートスという。これは、「弁護者、慰め主、助け主などいろいろに訳されている。」
何が最も大切なのか、それに関して、キリストのように深く、広くそして鋭く真理を示した人は後にも先にもいない。
だからこそ、キリストの意見は二千年経っても古びることがなく、今もそのままの形で、それに耳を傾けるならば、万人を導くのである。そしてそのゆえにこそ、全世界で最も広く伝わり、その言葉に耳を傾ける人が絶えたことがない。
しかもキリストの意見を聞くためには、何の費用も必要でなく、だれにでも与えられている「心」をもって神を信じ、キリストを受け入れて、心を尽くして聴こうとするだけでよいのである。
新聞やテレビ、雑誌などさまざまのマス・メディアが洪水のようにあふれている。それらのまちがった情報や知識、考え方に引き込まれていく人たちも次々と生じている。
個人的な問題、教育や政治、そして国際的な問題、さらに死後のことや、なにが最も価値あるものなのかなど、あらゆる領域における問題について、人間にかかわる最高の意見を持っておられるキリストに尋ねることが究極的な解決を指し示してくれる。
科学技術などキリストと何の関係もないと思っている人が多い。しかし、キリストの他者を愛する心、隣人への愛を持たず、虚栄心や憎しみなど自分中心の考えから科学技術を用いるときには、最近韓国の大学や日本の東京大学も生じたような、偽りの成果を発表するとか、科学技術を戦争などに用いるという大変な間違いを犯していく。
経済活動もまた、人間が中心であり、その人間の心や考え方が間違っていくなら、ライブドア事件で明らかになったように、多くの偽りによって社会が害悪を受けるし、そうした金中心の考えに人々が誘惑されるようになっていく。
世界を不安に陥れるテロの問題も、悪に対するに憎しみをもってせず、祈りをもってせよ、というキリストの意見に従うときにはそのような問題の根本が解決されていく。
世の中の問題は実に複雑で、どうしたらよいのか分からないという状況がたくさんあるが、それらは結局はみな、かかわる人間の問題であり、一人一人の人間がキリストの意見に聞くときに、根本的な解決の道を示される。キリストの意見とは、すなわち神の意見であり、永遠に真実な神のご意志にほかならないからである。