神の人モーセ 2006/2
世界史の中で、モーセは最も重要な人物の一人である。彼がいなかったらイスラエル民族はエジプトで滅ぼされていたであろうし、イスラエル民族の中から、キリストやパウロが現れて、キリストの福音を全世界に伝えることもなかったからである。そしてその福音によって世界の無数の人々の人生が根本から変えられ、人々の集りである国家にも絶大な影響を及ぼすことにもならなかったであろう。
そのモーセの記述は何から始まっているであろうか。
…エジプト人はそこで、イスラエルの人々の上に強制労働の監督を置き、重労働を課して虐待した。 …エジプト人はますますイスラエルの人々を酷使し、あらゆる重労働によって彼らの生活を脅かした。彼らが従事した労働はいずれも過酷を極めていた。(出エジプト記一・13~14)
このように、モーセの属するイスラエルの人たちは、エジプトにおいて厳しい労働を課せられ、苦しめられていた。
…エジプト王は二人のヘブライ人の助産婦に命じた。一人はシフラといい、もう一人はプアといった。
「お前たちがヘブライ人の女の出産を助けるときには、子供の性別を確かめ、男の子ならば殺し、女の子ならば生かしておけ。」
助産婦はいずれも神を畏れていたので、エジプト王が命じたとおりにはせず、男の子も生かしておいた。(出エジプト記一・15~17)
このような命令は、イスラエル民族の絶滅をはかる目的であったが、このような王に命令されても、二人の助産婦はその命令に従わないほどの強い信仰があった。エジプト王には、名前を記さず、二人の助産婦にはとくに名前が記されているのも、出エジプト記の著者がこのことを特に強調しているのがわかる。
民族の危機的状況にあってその滅亡を救う大きな助けとなったのが、社会的な地位が低い、弱い立場の助産婦であったということを示すことで、神はそのわざをなすときには、しばしばこのような弱いとされている者、誰も予想していないような人を用いられるということを表そうとしているのである。
このことは、さらに意外な人物がイスラエルの人たちの救いに用いられることにつながっていく。
…エジプト王 ファラオは全国民に命じた。「生まれた男の子は、一人残らずナイル川にほうり込め。女の子は皆、生かしておけ。」
レビの部族に属するある人が同じレビ人の娘と結婚した。彼女は男の子を産んだが三か月の間隠しておいた。
しかし、もはや隠しきれなくなったので、パピルスの籠を用意し、防水し、その中に男の子を入れ、ナイル河畔の葦の茂みの間に置いた。
その子の姉が遠くに立って、どうなることかと様子を見ていると、そこへ、ファラオの王女が水浴びをしようと川に下りて来た。王女は、葦の茂みの間に籠を見つけたので、仕え女をやって取って来させた。
開けてみると赤ん坊がおり、しかも男の子で、泣いていた。王女はふびんに思い、「これは、きっと、ヘブライ人の子です」と言った。
そのとき、その子の姉がファラオの王女に申し出た。「この子に乳を飲ませるヘブライ人の乳母を呼んで参りましょうか。」
「そうしておくれ」と、王女が頼んだので、娘は早速その子の母を連れて来た。
王女が、「この子を連れて行って、わたしに代わって乳を飲ませておやり。手当てはわたしが出しますから」と言ったので、母親はその子を引き取って乳を飲ませ、
その子が大きくなると、王女のもとへ連れて行った。その子はこうして、王女の子となった。(出エジプト記一・22~二・10より)
このように、モーセが生れた時代は、イスラエル民族が、絶滅の危機に瀕している時であった。 そのような状況になるまで、神の民は追い詰められていた。世界のすべての民族の中で、この宇宙を創造したのは唯一の神であり、それは正義と真実な神であるということを啓示されたのはただひとつイスラエル民族であった。それは特に選ばれた民族であった。選ばれるということは、特別扱いされるということで、この世では特別な栄誉や豊かさを与えられることを連想する。
しかし、聖書においては、選ばれたがゆえに安楽やこの世の名声を与えられたということでなく、そのために特別な苦しみや困難がつきまとったということが多く記されている。
神の力が働くのは、はるか千数百年後に、キリストの使徒パウロが述べたように、「弱いところにこそ、神の力が働く」
ということがこのモーセの現れたことについても言える。
これは、主イエスが生れたときにも、ヘロデ王というひどい悪事で知られていた王の時代であり、イエスの誕生によって自分の王位が危なくなる可能性があると邪推して、イエスを殺そうとし、逃げられたと分かったときには、付近の幼児を皆殺しにしたという悪魔的なことをするに至ったと記されている。
ここにも、このような闇の力を象徴するような時代のただなかにイエスは生れたということであって、その闇を照らすべく遣わされたのであった。
そのことはヨハネ福音書の冒頭に、次のように記されている。
「光であるキリストは闇の中で輝いている。闇は光に打ち勝たなかった。イエスは光であり、すべての人を照らすのである。」(ヨハネ福音書一・5~9より)
モーセもまたイスラエル民族を包む深い闇のなかに光として遣わされたのであった。そのモーセの記述の冒頭には、「レビ部族の出身であり、レビ族の女性と結婚した」と記されている。ここに、モーセがいかなる人物となっていくかが、暗示されている。レビ部族とは、イスラエルの十二部族のうちで、とくに祭司となるように召された部族であった。そして祭司とは、その字の通り、「祭を司る人」、すなわち宗教的儀式をする人であるが、その儀式の目的とは神と人とを結びつける人である。人間はあるべき姿からはるかに遠く離れた罪深い存在であるゆえに、そのままでは神との結びつきができない。それゆえに、その人間と神とを橋渡しするのが祭司の役割である。(*)
(*)ラテン語の祭司という意味の言葉は、pontifex であるが、これは、pons (橋)という語と、facio (作る)という語からできた言葉で、「橋を作る」という意味を持っている。
このように、モーセがレビ部族の出身であることが、モーセの記述の最初にあるのは、モーセが神と人との橋渡しをする存在となることを暗示しているのである。
モーセが誕生した時に、エジプト王は生れたイスラエルの男子をみんなナイル川に投げ込めという命令を出していたが、モーセの母親は三カ月隠しておいた。自分の子どもをナイル川に投げ込むことなど忍びがたいものがあったからであろう。そしていよいよ隠せなくなったときにわが子をナイル川に入れようとするが、その時に母親は最後まであきらめず、生れた赤子を葦で編んだ籠に入れ、防水をして流したのであった。
そしてその娘もまたそれがどこへ流れていくかをずっと見守っていた。
こうした状況で流された赤子は、そのまま流れていけばミルクもないのでまもなく死んでしまっただろう。その時誰一人予想していなかったことが生じた。それはちょうどエジプトの王女が水浴びをしていたときであり、その赤子がちょうどそこに流れてきたからである。少しでもこの時間が遅かったり、早かったらこのように赤子を見付けることはできなかった。籠に寝かせられた赤子はそのまま死んでしまったはずである。
しかし、神がその御計画をなそうとするときには、こうした全く思いがけない機会や人を用いられる。
先に述べたように、権力も武力、あるいは金の力もない、弱い立場の助産婦が王の命令に抵抗して民族の絶滅しないように行動したのもだれも予想できないことであったが、
赤子たちをナイル川に投げ込めと命じた王のその娘によって、赤子のモーセは救い出されたのである。命を奪ってしまおうとする敵の愛する娘がモーセを救い出した。
人間の予想や人の力といったものは実に狭い。そして未来を見抜くことができない。私たちも困難に直面したとき、なんとか道はないものかとあらゆることを考える。しかし、どうしても解決の道がないこともある。また、ようやくひとつの方法を取ってみようと決断することがある。しかし、それはしばしば予想したようにはならない。生じてほしいと思ったことがそうならない。けれどもまた、もう道がないと思われたまさにそのときに、思いがけない人が現れ、また状況が変えられて道が開けることがある。それは真剣に神に求めるものには、神がいわば無から有を造り出されるからである。
このことは、私たちへの励ましとなる。どんなに人間的に考えて道がないようであっても、神を信じて歩むときにだれも予想してなかった道を神が開いて下さると信じることができるからである。
聖書のなかで次にモーセが現れるとき、モーセはすでに成人している。生後三カ月の時から、成人するまでのことは全く記されていない。王が憎み、抹殺しようとして男子をすべてナイル川に投げ込めと命じたその王のもと、王女にいかにして成人するまで育てられたのか、また自分がエジプト人でなく、殺されているはずであったイスラエル民族の子どもであることは周囲には知られなかったのであろうか、いつモーセは、自分がイスラエル人(ヘブライ人(*))と分かったのか、等々不思議なことは多くある。
(*)「ヘブライ人」、またはヘブル人という言葉は、「イスラエル」より古い起源を持つ。創世記に、「逃げ延びた一人の男がヘブライ人アブラム(アブラハムの以前の名前)のもとに来て、そのことを知らせた」(十四章・13)とあるのが、最初の記述である。イスラエルというのは、アブラハムの孫であるヤコブの別名として神から与えられた名前で、固有名詞であったが、民族全体の名となり、さらに国家の名ともなっている。
モーセが成人になったときの最初の場面は、イスラエルの民が苦しめられているところであり、モーセは自分がヘブライ人であることを知っていた。それゆえに、同胞がエジプト人から暴力を受けて苦しめられているのを見て、「辺りを見回し、誰も見ていないのを確かめ」、そのエジプト人を打ち殺した。
その翌日、またヘブライ人が働いているところで、今度はヘブライ人同士がなぐりあい、争っていた。それをなだめて争いを止めさせようとしたとき、ヘブライ人は、モーセに食ってかかり、「誰がお前を我々の監督にしたのか、お前はあのエジプト人を殺したように、私をも殺すつもりか」と言い返した。それによって、モーセは秘かに行なった殺害がはやくも周囲に知らされていることを悟った。
エジプト王はモーセを殺そうとして、追手を差し向けた。モーセはすべてを捨てて、シナイ半島の砂漠地帯を数百キロも越えて遠いミデアンという地方へと命からがら逃げていった。
この長い距離、それはその付近一帯を支配していたエジプトの領域から逃れるためであったが、そこに至ることはきわめて困難であったはずで、その長い逃避行の間も特別に神によって守られ、導かれたのがうかがえる。
このようにして、モーセは、命をかけて重要なことを学んだのである。
それは、自分の力や、決断、勇気、あるいは地位や名誉をすら、人のために捨てるほどの勇気があっても、なお、それは実に弱いものでしかなく、何ら実を結ばないということである。王子という地位にあったモーセはそのすべてを捨てなければならない可能性があったにもかかわらず、同胞のヘブライ人を助けようとした。しかし、結果は彼らを助けるどころか、自分が窮地に陥り、ほとんど命を失うほどの危険ななかをはるか遠くまで逃げていくことでしかなかった。
そして自分がそのような勇気と同胞愛をもって助けたヘブライ人が、今度は自分を危険に陥れようとしていること、ここにいかに人間が変わりやすく、頼りにならないものであるかを思い知らされたのである。
現代においても、私たちが神の国のために働くためにはこのような経験がたしかに必要とされる。いかによいことをしても、あるいは精一杯よきことのために働いてもほめられたり地位があがったりするのでなく、見下され、捨てられるような態度を示されるということである。
主イエスご自身、最善のことをして受けた報いは十字架であった。
モーセも自らの力に頼ることがどんなに空しいか、何にもならないかを思い知らされた。それは私たちは神の力を受けて、神の導きによってでなければよい結果をもたらすことができないということなのである。
新約聖書でイエスのめざましい力を見て、「私もあなたの行く所なら、どこへでも従っていきたい」と願い出た人に対して、「キツネには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし人の子(イエス)には枕するところもない」(マタイ福音書八・20)と言われたことがあった。自分の意志で何かをやろうとか、よいことをしようとしても、それだけでは決してできない。神からの呼び出しと導き、そこから神の力を受けていかなければいけないのである。
モーセは、命は辛うじて守られ、遠い異国にたどりつき、そこで羊飼いの男たちに水場から追われた女たちを助けてやった。その娘たちの父親は、ミデアンの祭司であった。
ここにも不思議な神の導きがあったのである。モーセは祭司職を受け継いでいるレビ部族に属していたが、遠くまで逃げ延びてきたときに出会った人もまた祭司であったのである。これもモーセの行くべき道が、神と人との橋渡しをする祭司となるべく召されたことを暗示するものであった。
そしてモーセはその娘の一人と結婚することになった。
彼はここで安住するつもりであっただろうか。彼の最初の子どもには、「ゲルショム」と名付けたが、その意味は、「(異国にいる)寄留者」という意味を持っている。モーセ自身の気持ちをこれによって表したのである。自分の本当の場所はここではない、いかに妻や子ども、あるいはよき義父も与えられて平和な家庭生活であっても、それが彼の目的ではなかった。あくまで自分のいる所は別にある、という気持ちであった。
それが自分の最初の重要な子の名を「寄留者」を意味するものにしたのであった。
このことから新約聖書においても、キリスト者というものは、「寄留者」だということが記されている。
…この人たちは皆、…自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表した。
このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのである。
もし出て来た土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれない。
ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していた。(ヘブル書十一・13~16より)
使徒パウロもまた、「わたしたちの本国は天にある」(ピリピ書 三・20)と言っているように、本国である天の国から、この地上にいわば派遣されてきたということも言える。
モーセにとっては、祖先が神から示されたカナン(現在パレスチナといわれている地方)の土地こそが自分の本来の土地であることを知っていたからこそ、ミデアンを一時的な所、仮の住まいとして受け止めていたのである。
このモーセの最初の記述は出エジプト記二章であるが、その最後には、つぎのような言葉が記されている。
神はその嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。
神はイスラエルの人々を顧み、御心に留められた。(出エジプト記二・24~25)
God heard their groaning, and God remembered his covenant with Abraham,
Isaac, and Jacob.
And God saw the people of Israel, and God knew their condition.
英語訳でわかるように、原文の表現は、神は、聞いた、思い起こした、見た、知った、という四つの動詞が重ねられている。苦しみ、滅びる寸前にある民に対して、神はその苦しみを聞き、かつての契約を思い起こし、人々の現状を見た、そして深く知った、というのである。知るというのは、深く知る意味を持つゆえ、ここでは、「御心に留めた」と訳されている。
人間は、簡単に忘れる。他者の苦しみに対して無関心であり、助けることもできない。またその実態を深く見て、その苦しみの現実を知ろうとはしない。しかし、神は異なる。
長い苦しみ、神がいないかのような苦しみの長い期間が続いても、なお民は神を信じ続け、神に向かって叫ぶことを止めなかったゆえに、時至って神の御手が強く臨むことになった。
私たちもまた苦しみのなかにあって、神が私たちの心の悲しみや重荷からの叫びを聞いて下さり、私たちを思い起こして下さり、そして私たちの現状を深く知って心に留めて下さることを祈り願うものである。