歌集より 2006/2
○谷川の うち出づる波も声立てつ うぐひす誘へ 春の山風 (藤原家隆 「新古今和歌集」)
(谷川の氷の間にほとばしり出る波も、春だと声を立てている。まだ古巣にこもっているウグイスを誘い出して鳴かせてほしい。梅の花の香を運ぶ山風よ。)
・この歌だけでは、氷が溶けつつある谷川とか梅の香りを運ぶというのは分からないが、この歌のもとになっている、二つの古今和歌集の歌(本歌)にそのような言葉がある。
まだ寒さ厳しい中であっても春の風となり、谷川の氷も溶けてそこから水は音を立てて流れていく。その水音も春の響きがする。 汚れなき谷川の水、少し前まで凍結していたほどで、まだ冷たいその流れは清いいのちを見るものに与え、春の山風にウグイスを誘ってきてほしいと春を切望する心がここにあり、まだ聞こえないウグイスのさえずりが山の風にのって聞こえてくるようである。
早春の清い世界が眼前に浮かんでくる歌であり、キリスト者にとってはいのちの水を思い、讃美をさそう聖霊の風を思い起こさせるものがある。
「祈の友」の詩から
○星月夜 悠久の空 前にして 大き御業に言ふこともなき (静岡 磯貝とみ子)
・病気の苦しみゆえに心はともすれば暗く、狭くなる。ひたすら自分の病の苦しみが少なくなるように、また家族のことをいっそう思いやる心となるがそれはまた狭いところに心が縛られていく思いともなる。そのようなとき、星空を見る。暗き自分の心と同様に暗い夜空、しかしそこには星あり、月の光あり、静かに思うとき、宇宙の永遠とそれを創造した神の力の無限へと心は誘われる。
○御摂理と 固く信じて今宵しも 心やすらに苦しみに耐う(長野 春山麗子)
・結核の苦しみ、それは孤独の苦しみであった。家族からも親族からも嫌われ、邪魔者扱いされる。いつ治るのかも分からず、次第に重くなっていく心身をかかえて人知れず孤独に悩まされる。しかし、そうした闇のなかでも、自分の今の状況をも深い神の御計画と信じることができるとき、そこに主は平安を与える。主の平和はそのような弱きところにこそ与えられる。
○春陽に輝く雲を貫きて わが師の祈り 胸にひびき来 (山梨 一瀬喜久江)
・空を仰げば、春の日差しを受けて、雲が美しく輝いている。その雄大な光景の背後から、魂の恩師の祈りが響いてくる。真実な祈りは、空間を越え、時間をも越えて伝わっていく。
太陽も星もまた山々の力強さと清らかさ、海の波の大いなる力、野草の美しさ等々、それらをも通して主イエスの祈りが伝わってくる。
○苦しみは とこしへならず 耐へしのび待たば つひには過ぎゆくものぞ(福岡 井上泰)
・この世のものはすべて過ぎ行く。この世に生きる身体の受ける苦しみもすぎていく。主を仰ぎつつ希望をもって耐えていくとき、必ず新しい天と地が訪れるのだから。
○窓の空 うち連れわたる 雁がねは 行き隠るまで わが見送りぬ(同)
・重い病のゆえに、暗い病室から自由に外に出ることもできない。その閉じられた世界から、窓の外に広がる自由で広大な空を見ていたとき、雁の群れが大空を飛んでいく姿が目に入った。それは不自由な自分とはまったく異なる自由な姿であり、自分が復活の暁にはあのように自由に飛びかけることができるのだ、その未来の姿を見せてくれたのだ、と感じ、主の愛の一端を感じたのである。
(「祈の友」の詩は、「真珠の歌」より。一九五一年 静岡三一書店発行。)