風の道 2006/8
台風が四国沖を通過したとき、近くの小さい谷川を歩いた。そこには、風が止むことなく吹いていた。その谷川のところから、三つの方向に細い山道が続いていた。しかし、涼しい風がたえず吹き続けているのは、その一つの道だけだった。
その小道の両側は、樹木の繁った山が迫っており、またその風の吹いてくる方向は、二〇〇メートルほどの高さの山の稜線へと急な山道が続いている。
風が吹くにも樹木や前の山に妨げられて吹いて来ないようなところであった。
しかし、不思議なことに、その小道は、風の道でもあった。そしてかたわらには、小さな谷に水が流れていた。
三〇度を超える暑さに毎日閉口していたとき、思いがけないこの風の涼しげな道にしばしたたずんだ。
この小道と風は自然に祈りへと導いてくれるものであった。
低い山の登り口でほとんど平地の道で、このように真夏に涼しい風が、しかも何かがそれを引き寄せるように吹き続けるというのは、珍しいことであった。
真夏とは思えない、どこか高原の風を受けているような、久しぶりの心地よさのなかで、天の風もこのように、ある道にはいつも吹いているのだろうと思った。
間違った道を行くとき、どんなにしてもさわやかなこの風は受けることができない。
心のなかにも、道ができる。人間の思いに気をとられ、込み入った迷路のようなものができてしまっているとき、どこからも風は吹き込んでは来ない。
しかし、ほかのことは脇において、幼な子のような心もて神をみつめるとき、天からの風が吹いてくる。
そしてそれとともに、今日の谷川のように、いのちの水も流れているのが感じられる。